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2006/12/10

だから、酒場でうつらうつら

NHKラジオセンターには、
ゆったりとした空気が流れている。

 夏目房之介さんとは以前からお目にかかりたかった
ので、
 ラジオでご一緒できてうれしかった。

 緒川たまきさん、内藤啓史アナウンサー
と4人で話していると、
 なんだか現代というものから遠く離れた
場所にいるようだった。

 今日の時代精神をつくりだしているものは
多くあるが、そのうちの大きいものは
 視覚的イメージの操作ではないか。

 松山からの中継に耳を澄ませていると、
温泉宿の間取りや、坊っちゃん列車の様子を
音声から再構成せねばならず、その不自由さが
かえってこみ上げる喜びにつながるということが
ありありと実感できた。

 時には、視覚を遮断してこそ。

 汐留の日本テレビへ。
 「世界一受けたい授業」の収録。

 登場は死に神の恰好をさせられた。


 『世界一受けたい授業』セットの横で、出番直前。
広報の中谷由里子さん撮影。


 つつまれる、というのは心地よいもので、
カウントダウンをされていても、
 どこか落ち着いてしまっている。

 胎児の時に見える世界は無明だったの
だろう。
 見えないということは、生きることの
始まりの、生命の泉の源へと私たちを
誘うのではないか。

 打ち上げで、うつらうつらした。
 
 ここの所、飲み会で眠っていなかったので、
久しぶりだった。

 先日ワイズで手に入れたジャケットが
暖かく、心地よく、包まれているうちに
ついついうとうととした。

 新潮社の町井孝さんになぜ「夏目賞」
がないのでしょう、と聞くと、
 シャレにならないからでしょうと言う。

 名前が大きすぎると、かえって賞の
冠としてはうまくいかないという不思議な
ことに気付いた。

 芥川はともかくとして、直木三十五は
あまり読まれていない。
 
 しかし、賞は言うまでもなく大きくなっている。

 放送作家の富樫香織さんが、チョン・ミュンフンは
素晴らしかったと言った。

 倉田忠明さんは、最近はアキバ系のリサーチを
続けているらしい。

 ああ、そうですかと言っているうちに、
再びうとうとする。
 目が覚めると、ワイズのジャケットに
ぽかぽかと包まれていて、
「それはそうでしょう」
とずっと聞いていたようなふりをする。

 でも、ばれているに決まっている。
 みんな、やさしいなあ。

 佐々木厚さんに頼まれて書いた
「欲望解剖」の一冊が富樫さんに渡った。

 最近のサインには竜やキリンが出てくることが
多いが、即興で文章を書くこともある。

 文字も絵だということが、最近気になって
しかたがない。
 
 目を閉じて、世界の全てを遮断したときに
みえてくるものは何?

 原生林が消え、ビルが立ち並び、
風景がすっかり変わってしまったとしても、
 目を閉じて見えてくるののうち、
ずっと同じものがあるはず。

 それがユングの言った集団無意識だとすれば、
人間の本質はそこにこそあるはずだ。

 だから、酒場でうつらうつら。
 つつまれると昔に帰れる。

12月 10, 2006 at 10:34 午前 |

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コメント

先生のご活躍テレビ等でいつも拝見しております。
直木三十五はご指摘のように現在ではほとんど小説を読まれることのない作家です。
昨年甥である植村鞆音さんが「直木三十五伝」という本をお書きになっておりますのでご一読いただくと、いかに直木三十五という人間が魅力的かがご理解いただけるのでないかと考えます。
私達が直木三十五の生まれ育った大阪の谷町に記念館を作ったのも忘れ去られた地元の文化的資産を多くの人々に知っていただきたいというのが発端であります。
行政の力を借りないで市民の手で記念館を作って運営することは想像以上に大変で、特に資金繰りに毎日頭を痛めております。
大阪にお越しの機会には是非お寄りください。

投稿: 直木三十五記念館事務局長 | 2006/12/13 8:44:35

Cafeのほうに書こうと思いながら
筆が(いえ指が)、どうも迷っているようでしたので…
こちらにします。

「アクティブ・イマジネーション」という言葉を聴いてきました。

いつかだったか接近しつつ、けれど
遠ざけていたところに、また近づきつつあるような…

その両者の間に、
橋のかかる日が来るのでしょうか?

投稿: 風待人 | 2006/12/12 18:27:12

「その出会いは突然やってきて、不意打ちがゆえに私の存在の核を根底から揺るがした。つまり一つの宇宙の真理の啓示であり、偉大なるセレンディピティであり。それは、あなたにとって何か。考えよ!」と書かれた絵?は、私へのプレゼントにもなりました!!
10.04にこのような出会いをしてから、不思議なことが起こり・・・
クオリア日記には、キーワードがたくさんありました。
そのキーワードを、手繰り寄せたらユングのシンクロニシティ・セレンディピティであることが分かってきました。
その奥には、集団無意識があるのですね。
しかし、偉大なるセレンディピティであることまでは理解しましたが、「それは、あなたにとって何か。考えよ!」となると・・・
けれど、いつか虹のかけ橋の下にたどりつきたいので考えます。

いままで、フロイトやユングやとを気にする世界にいませんでしたので、見えない深い世界をしると、不思議があたりまえなこととなり
楽しくて。
私は、どちらかというとワイズの方をよく知ってる世界にいました
から、ワイズのジャケットにぽかぽかと包まれて、うとうとしていらっしゃる先生をイメージすると嬉しくなりました。

投稿: sae | 2006/12/11 1:02:24

実に面白く あったかい 素適なラジオ放送でした。
どの方もそれぞれに 漱石さんに 想いを馳せて
松山や熊本を含め 心地のいい 音の時間が流れました。

茂木先生は 漱石さんの自筆のものをお持ちなんですね♪
  いいなぁ~ 。 実に 羨ましいです。 
昔ゼミの新年会で 恩師の宝物として 長い前置きのあと
ロンドンから送られてきたという 何人もの友人に宛てられた
漱石さんのお手紙のことを想いました。   一緒に
ゼミ旅行で参った 鎌倉・東慶寺の 顰に倣う の小さな碑のことも

房之介さんの声に想う 漱石さんの声も 
現実の茂木先生の声もリズムも 素適でした。

いい時間を ありがとうございました。

投稿: tomo | 2006/12/10 19:30:54

再度トラックバックに挑戦させていただきます。研究者ではないのでつたない文章ですが・・・何度も挑戦させていただきます。コメント欄ではご挨拶させていただきましたが、コンサルティングの成否は「白魔術」と「黒魔術」の使い分けではないかと・・・もちろん「黒魔術」は使いませんが・・・・。言葉とは魔術である。それに秘せられた中身が「白」か「黒」かだけだと考えます。

投稿: 飯嶋 倫 | 2006/12/10 17:19:33

先生!何故だかわからないのですが、私が目を閉じて、先生が話している様な世界を見ようとすると、物凄くぞくぞく・・怖い、でも気持ちいいような、でも怖い。です。まだ感じたことが無い感覚。ん-、あ-、もう少し解りやすく、かつライトに教えて頂きたいです。

投稿: abekaori | 2006/12/10 13:38:30

オハヨウ御座います。コメント一番乗りかどうかはわかりかねますが…。とにかくきょうは、昨日までの冷たい雨模様から一転、冬のすみきった青空と暖かい日差しに溢れた、よい天気になりました。

「夏目賞」が何故無いのか?

同じ世界的文豪でもカフカには「カフカ賞」があるというのに…。カフカも大層なビッグネームであるにも関わらずその名を記した文学賞があるのに、漱石にそれがないのは何故なのだろう?

しかし漱石自身の気持ちになって見れば、自分の名を冠した文学賞が出来るというのは、何だかシャレにならないほどこっぱずかしい気分になるか、誇らしい気分になるかどっちかなんだろう。私が漱石の立場なら、前者だろうなぁ。


芥川は「蜘蛛の糸」「トロッコ」など短編は読んだことがあるが、直木三十五の作品は(多くの方々はそうだと思われるが)1度も読んだことが無い。おそらく茂木さんも、この人の作品は読まれたことがおありでないのだろう。あまり読まれていない作家の名を冠した賞ほど不思議に存在感が大きくなる、これまた考えれば不思議ことだ。

芥川も文豪としてはビッグネームだが、漱石よりスケール的に小さいので賞が存続し、大きな賞になっている。

包まれることについて…。

“胎児の時はおそらく無明だったのだろう。…見えないということは、生きることの始まりの、生命の泉の源へと私達を誘うのではないか。…”

眼を瞑ると生命の源泉へと知らず知らずに引きこまれて行く。夢心地の状態でそうなっていくのだからトテモ心地よい。

眼を瞑り、全てを視界から遮断してくると見えてくるもの…それが人間の本質だとしたら、我々は寝ている間に、生命の源の中にいるということになる、無意識の中で。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/10 11:16:56

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