« ワイズ | トップページ | Reflections on the ever-changing »

2006/12/28

思い切った小乗的世界観で

わが青春。
 紅顔の高校生だった頃。
 
 生きているとはどういうことか、
 努力して、何かを達成したからといって、
死んでしまえば意味がないじゃないか。
 人並みに、そんなことを考えていた。

 それで、ニーチェにはまった。
 『悲劇の誕生』の中の、「世界は美的過程として
のみ是認される」という言葉が
あの頃のわがモットーとなった。

 『ツァラトゥストラ』の
中にある「舞踏」(tanzen「タンツェン」)という
 概念をわが守護神とした。

 問うな。ただ踊れ。
 自分のうちなるリズムを宇宙に向かって
開いていけ。
 そのような生命哲学が
高校の時の私の気分にぴったりきた。

 大学生の頃、「モーツァルト・モード」
というのを発明した。
 ある晴れ上がったような気分を表す。
 平明さの中に、迅速に全てがなされていく。
様々なことが生起していく。
 一種のフロー状態。
 思えば、あれは個人思想系列的に言えば、
ニーチェの「タンツェン」の
子孫だったのだろう。

 時は巡り、たくさんの水が橋の下を
流れ、
 昨今は「変貌」ということに
最も価値を置くような気分が
 胸に立ちこめている。
 むしろ確信と言うべきか。

 どっしり座り、動かない。

 一つひとつの何かに取り組んで
行くことで、自分が確実に変わっていく
という感覚。
 自分は幼虫であり、サナギであり、
蝶になったとしてもさらには 
 先の変態がある。
 古い自分が死に、新しい自分が再生する。
 そのような通過儀礼をどれくらい
持つことができるか。
 一方で、受け継がれていくものは
確かにあるはずなのだ。
 
 時々刻々と回路のつなぎ目が
変わっていく。
 そのような普遍学習にこそ
 最も価値を置くようになった。
 つまりは孔子や本居宣長に
共鳴するようになるわけである。

 不用意に意味やゴールを持ち込むのでは
ない。
 龍門の滝も結局はタンツェンの系列である。
 収束に対する、「拡散」の原理をいかに
確保するかということが肝心だ。

 だから乱読せよ、走れ。出会え。

 このホープフル・モンスターは、
 そんな一介の生命哲学を胸に抱いている。
 白魔法使いの弟子として、
杖の使い方をいろいろと工夫している。

 それにしてもここの所の
乱読は乱脈気味で、
トイレやお風呂やはてまた歩きながら
いろんな本を読んでいる。
 活字宇宙の中で永遠の舞踏を続ける
 八の手を持つ神にでもなるつもりか。

 小俣圭、恩蔵絢子、柳川透の博士論文が
締め切りだった。
 三人とも、一生懸命になって
長い文章を書いてきた。

 こちらも、一生懸命に読んで
文章を直したり、debuggingをしたりした。
 修士一年の頃を知っているから、
成長したなあとしみじみ思う。
 みんな、大きくなりました。

 博士論文は人に読ませるために
書くものだと現役学生の頃は
誤解していたが、
 今では自分が成長するために
書くのだと断言することができる。

 もともと、表現というものはすべからくそうだろう。

 他人のためにするのではない。自分の
ためにするのである。
 どのような表現をするか、
工夫をこらして趣向をきわめることが
 美しき変貌を続けるための妙薬なのだろう。

 そんな、思い切った小乗的世界観で
さまざまを見てみるのも良いんじゃないか。

 朝、モーツァルトをかけながらチョコレートを
食べていると調和が胸を満たしていく。

 モーツァルトは、全ての曲を、自分に聴かせる
ために書いていたのだと断言できる。
 本当の優れた表現行為は、変貌のマジックとして
自分自身の中で完結しているという
側面があるのだと思う。
 
 作者自身を変貌させてくれるような表現行為こそが、
傑作を生み出すのである。

12月 28, 2006 at 09:37 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 思い切った小乗的世界観で:

» 茂木健一郎先生序文『冑佛伝説』読者感想(9) トラックバック 御林守河村家を守る会
人形作家アラヤシキ・ツネさまからいただいた mixiトピックへの書きこみと、メッセージの全文、 また、私の返信もふくめて、そのやりとりのすべてを、 アラヤシキさまの承諾を得て連載することにいたしました。 ********************************************** 差出人... [続きを読む]

受信: 2006/12/29 3:51:54

コメント

今日の日記にて小乗的?と思い(無知でスミマセン。)調べましたらここへ。

先生、こちらの記事にスコーンと射ぬかれてしまいました。
欠けてしまっていたもの求めていたもの。今の私に必要なものがここに詰まっておりました。


古いわたしが死に新しいわたしの再生。
だから乱読せよ、走れ。出会え。
自分が成長するために。
うちなるリズムを宇宙に向かって。
自分が確実に変わっていくという感覚。
美しき変貌を続けるための妙薬。。

先生の言葉がぐるぐるぐるぐるとさまざまな光を放ち飛びまわる。そのうち光は束になりやがて一筋の路に。

投稿: wahine | 2009/06/08 11:22:34

茂木健一郎様

人は出逢うべき人とは必ず出逢う。
しかも一瞬早からず、一瞬遅からず。
しかし自分にその思いがなければ、
面前にその人ありといえどもそれを知らず


以前にも、書いた森信三氏のお言葉。

茂木先生の日記を読ませていただいて、
このようなことを言うのは、
おこがましいけれど、

とても理解できる内容で、
私のどこかで感じてきたこと
私のどこかで考えていたことを
文字にしてくださっていて

心がじんとしています。

ありがとうございます。

投稿: Yoshiko.T | 2009/06/08 10:36:13

白魔法使いの弟子・・の弟子にしてください☆
私は主に、様々な生き辛さを抱えた方のために杖をふります。
茂木先生が発見される大きな希望を
一番裾野で、一番現場で伝えられたら最高ですね。

投稿: おか | 2007/01/09 1:21:54

脳の一部が欠損しているようで「2001年宇宙の旅」の「宇宙」が抜け落ちていました。(ほんとにとろいんです)失礼しました。

茂木先生には、落とさないで頂いたことを感謝いたします。
本当に、ありがとうございました。
お体をいたわりつつ、ほうれん草ならぬ、チョコレートをお口に放り込んで、真っ赤なポルシェで来年も疾走して下さいね!
私は、来年はオレガノを押さえ、控えめでいきたいと思います。
色々と学ばせて頂きました。ありがとうございました。
それでは、良いお年を~!

投稿: tachimoto | 2006/12/29 12:03:44

Kodomo no koro yukiguni de sodachimashita.

Fuyu no samuihi mo 1 pon no rousoku wo mochi
sono akari no yurameki to atatakasa wo daiji ni
idakinagara akari wo tayasanu you ni
seikatsu shiteimashita.


Soshite Shakai ni de te hataraite iru aida ni
watashi no akari wa kieteitanodesu.
kiete iru koto sura kizukanumama!

"Akari wo tomosaneba!"
shikashi mou matchi no arika ga wakarimasen.
Shibaraku matchi wo sagashi"teku teku" aruite iru to
minami no houkara shio no kaori ga shitekimasu.
Umi no chikaku made kiteimashita.

"Umi" ha tabun watashi no umi soshite watahijishin.

Natukashisa tadayou sono suimen ni "yura yura" ukande
itakunarimashita.

Suimen ni hyouryu shiteita aruhinokoto
suimen kara marude jyakunaifu no youni "suuuu" to
umi no soko ni karada ga mogutteikidashimashita.
Shizukana shizukana umi no soko.
Kikoeru no ha shinzo no oto gurai nari.
Yoru ni ha kuro iro no maku ga oritekimasu.

Sono kuro iro no nakade ha totemo onaka ha sukimashita!
Nanode batter mo tatpuri haitta mirufiyucake wo "pakuri pakuri."
" pari pari shari shari toron toron!!"
Suruto pari pari toiu oto to torokeru kurimu ya funwari to kaoru
rikyuru ga awayuki no youni karadajyu ni furi hajimemasu.
Shiroku kagayaki nagara "hara hara " to!

-----------------------------------------------------------------

2006 kouhan ha Asahi C C no sensei no kouza ni sanka deki ta kotoga

kaitei kara miageru hikari ni miryokutekina kagayaku youso wo hattuken deki ta youdesu!

Arigato gozaimashita.

Yoi otoshi wo omukae kudasaimase!!

(orei no aisatsu de gozaimashita / jyohotoroku ha fuyou desu)

投稿: katagiri naomi | 2006/12/29 11:06:39

茂木先生の”起源問題”を読んでいるうちに、
面白いもので、自分の起源を掘り起こしてしまいました。

その隠蔽された自分というか・・、自分では隠蔽したとは思ってはいなかったのです。過去より未来を考えることに意味があると思っていました。
けれども、確かに過去の自分があって、今があり、未来に繋がって行くのですものね。
”我々は何処からきたのか?” と問う前に”自分は何処から来たのか”を自分と向き合って知ることの重要性を何となく感じました。
これって、内観ってことでしょうか。

茂木先生が、井上陽水と同じで、赤い靴が欲しい、と思っていた子供時代は、私も同じだったな~と。私は赤い水着を買ってもらいました。
夏休みの宿題で、赤いバラの刺繍を作品に出したことを不思議と思い出しました。あまりに上手く出来たので、先生は親が手伝ったと思ったのが分かりました。一度も親に手伝ってもらったことはありませんでしたが。お友達は皆親が手伝っていましたからね。

高校生の頃は、映画ばかりを観て、将来は映画評論家になりたいなんて思っていました。茂木先生は学者になっただけあって、難しいものを読まれていたのですね。
私が哲学書を初めて読んだのは5年くらい前で、ショーペン・ハウアーに感激! でも勿論高校生の頃ニーチェの名前だけは知っていました。映画「2001年の旅」の挿入曲ヨハン・シュトラウスの「ツァラトストラはかく語りき」が大好きで、あの曲を初めて聴いたとき、私の中の血液が踊るような興奮を覚えました。何か大発見! をした時のような、驚き、と言うのか、そんな感じ。それでレコードを確か買いました。
部屋にポインセチアがありますが、葉の上部は深い赤です。
赤は血の色でもあり、生命の躍動の色かもしれないですね。一瞬で飛び込んでくる赤というクオリア。

クリスマスの朝、パソコンの椅子の下に、赤いリボンだけが落ちていました。赤という色は不思議な仮想を体験させてくれます。

投稿: tachimoto | 2006/12/29 1:21:33

茂木先生の若い頃から現在までの人生哲学的遍路(心の遍歴)が垣間見得るきょうの「日記」のエントリー。

ニーチェの“タンツェン”、モーツァルト・モード、
そして普遍の中で変化を繰り返し乍ら学習する「普遍学習」…。
フラワーピッグはこうしていまの境地にたどりついたというわけか。

次から次へとニューロンの配線が変わって行く自己内面の変貌、
その中には宇宙的普遍と紙一重の、生のダイナミクスが潜んでいる。

そこをこの脳研究者は真剣に見つめている。

きょうのエントリーには、茂木健一郎という、
心の発生原理を探り続けるのを生涯の生業(なりわい)とする智者の、
ある決然たる意思が秘められている。

“表現”と言う事についてもきょうのは大切なことが
書かれている…。

「モーツァルトは全ての曲を、自分に聴かせるために
書いていたのだと断言できる。
…本当の優れた表現行為は、
変貌のマジックとして、自分自身の中で完結しているという
側面があるのだと思う。
…作者自身を変貌させてくれるような表現行為こそが、
傑作を生み出すのである」。

自分は、自己自身が変貌するくらいの表現を果たして、
心がけているのだろうか…?そうでなければ、きちっと
おのれが変質するほどの表現を心がけていこうと思う。

如何なる藝術表現も
ただ他人に見せる為にやっているのではない。
モーツァルトに限らず、
優れた藝術者はみな自分自身の
変貌のマジックとして表現行為をしていた
側面があったのだろう。

そしてそういう行為からうまれたものが
後世に名を残す傑作となったのであろう。

さて暮れも押し迫って参りました。

茂木先生、この一年あまり、
この「クオリア日記」を始め、
講演などでもお会いして、
色々なお話を伺うことが出来ました。

おかげでいままで得られなかった体験・知見を
多少ナリとも得る事が出来ました。

(自分が考えてきたことの補強にもなったと思いマス)
茂木先生の御蔭で、斯かるわたくしめも
今までとは違うモードに
すっかり切り替わりました。

2007年はどんなふうに自己が変貌していくのか?
少なくとも、もう少し前向きな方向に
変わって行きたい。
暗い情念を明るいものに変えられる力を
もっと発揮してみたいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/28 19:23:12

コメントを書く