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2006/12/02

落ちる

あんまりいろいろな
ことがありすぎて、
 一日ひと昔、
 なんだかぼうっとしている。

 テレビの仕事をしていて、
 「編集で落ちる」
ということばを学んだ。
 なんだか、切なく、そして厳しい。

 この日記も「編集で落ちる」
ことがたくさんある。
 すべては私の人生のかけがえのない
瞬間なのだけれども。

 有吉伸人さんから、
メールをいただいた。

 残すか落とすか、ぎりぎりの
判断の結果かたちになったものたち。

 私たちのからだのかたちも、
また、分子の反応の気が遠くなるほどの
積み重ねの末に、
 「いま、ここ」にある。

 「編集で残った」ものの
すぐ横に、
 「編集で落ちた」
ものたちの存在がうらめしくも
潔く、そしてひそやかに息づいている。

 椿の花が落ちる瞬間を、一度だけ
見たことがある。
 垣根のある道を歩いていた。

 事が起こり、そのあと、巻き戻した
ようにそのことが
繰り返しくりかえし見えた。

 カタストロフィに大きいも小さいもなく、
その時、小惑星がぶつかる音がはっきりと
聞こえた。

12月 2, 2006 at 09:39 午前 |

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こうしてもいいんだ、とパーミッション(許可)で考えると、人生は楽しくなる [続きを読む]

受信: 2006/12/02 10:19:44

コメント

おはようございます。

「編集で落ちる」というのは良いものを作る上での切なさを感じます。
私はNHKの『プロフェショナル仕事の流儀』はとてもすばらしい番組だと思っています。
いつも楽しみにしています。

どこから主役のプロフェショナルを探してくるのだろう? 人知れず働いている、その道のプロを公に晒す選択を何方かが見つけ出して、取材しインタビューし、シナリオなどの下地が出来てから、スタジオでの茂木先生と住吉さんとのフリートークがあるのでしょう。

有吉さんは統括プロデューサーですよね。
私は、たまに見そびれたり、15分遅れで見たりとかの日もありますが
一番楽しみにしている番組です。
スタッフの、良い番組を作りたいという情熱が感じられます。それに、あの番組を作るコンセプトがとても明確で、時間の枠のなかで、上手く構成されているな、と素人ながら私は感じています。

正直、NHkに文句を言ったことは無いのですが、韓流ブームでチャンネルをひねると韓国ドラマばかりでうんざりしていたことが多かったのです(韓国が嫌いなのではありませんが)。
『プロフェショナル仕事の流儀』は、これぞNHKでしか作れない番組だ、と思います。

応援しています。

それから、茂木先生はゲーテに勝る詩人だなぁ、といつも思っています。
それは日記を読んでのことですが・・。


投稿: tachimoto | 2006/12/03 4:02:49

結局は無駄なものは省かれる
無駄なものの中に本質はある
そこまで辿り着くには
やはり多くの方法を駆け巡り
多くの時間を刻み込み
自身の中に宿さなければならない
血の滲みがなければならない
魂を奈落の底へと落とし込む
表現の善し悪しは
心底の響き他との共感だと思う
それこそ単調で簡素な物だ
でもそれが親密に遠い

投稿: プラチナ・バス | 2006/12/02 19:56:56

編集で落ちたものたちをネットで配信すればいいのに、と思うのは私だけでしょうか。『プロフェッショナル』45分じゃ短いです。茂木さんとプロの方とのやりとりをもっと見たいです。NHKのコンテンツって公共財なんじゃないかなあ。(こんなこと茂木さんのブログにコメントしても仕方ないですね。)
 茂木さんのブログで講演の内容がMP3で聞けるようになっているのはとってもありがたいです。ほぼ全部聞いています。先日の横国での講演内容、とっても良かったです。感動して涙してしまいました。今の自分に響く内容でした。
 超ウルトラスーパーお忙しそうですが、ご自愛ください。

投稿: mosutoya | 2006/12/02 15:40:18

椿の花がぽとりと落ちる瞬間・・・それは、茂木先生にとって、切なく厳しい自然の摂理をみた瞬間だったのだろう。首がもげるように落ちる椿のおこすカタストロフィ。それは多分、椿の花の死ぬ瞬間だったのだ。その瞬間の美しさ、また切なさと厳しさ。

うらめしく息づく落ちたもの=死にゆくものの気配。落ちた椿に限らず、落ちて死に行くものがそこらここらにころがり、潔さにも似た風情をたたえているのだ。

分子が寄り集まって、反応を繰り返したあげく肉体が形作られ、やがて年を経るとともに老いて衰え、最後にはもとの分子、素粒子にかえってゆく。その間の「いま、ここ」を私たちは懸命に生きている。

ところで今日は午後から水戸で佐藤卓さんと対談なさるとか。充実したひとときになるといいですね。それでは、きょうは、これまで。明日までごきげんよう。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/02 12:45:22

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