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2006/12/15

なぜこのアダージョを

さいきんはメールの返事さえろくに
できない状況で、
 いくつか、「お返事しなければ」
と心にかかっている仕事上のメールもあり。

 どうかひとつ、寛容の精神でお待ちいただければ
と思います。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

 カメラリハーサルの合間に、
 「生放送をやりたい」
という話を住吉美紀さんとしていた。

 「生放送だったら、編集で落ちてしまう
ということもないしなあ。でも、
 いろいろなことを言い過ぎて、
 「しばらくお待ちください」の画面に
なったりして。」

 「今、有吉伸人さんが降りてきています、
って視聴者の前に真実が明らかになってしまったり
するかもしれませんね」

 「有吉さんが降りてくる」というのは、
収録の節目、最後の「プロフェッショナルとは?」
の質問の時などに、特に指示が必要な
ときに「上にある」副調整室から
階段を駆け下りてくること。

 トントントントン

という音がすると、「ああ、有吉さんが
降りてきた」
と思うのである。

 ゲストの
 村松謙一さんは企業の私的再建を
専門に手がける弁護士の方。

 ディレクターは、久保健一さん。

 年間1万3000件の企業倒産があり、
その大半が中小企業。
 大切な仕事の場を失うだけでなく、
家や土地といった生活の基盤を奪われる
こともある。

 その結果、自殺してしまう人があとを
経たない。

 村松さんは、そんな現状に強い問題意識を
持ち、倒産させずに債務者と交渉して
企業をよみがえらせる「私的再建」に
日々取り組む。

 担当していた会社の社長さんが
自殺してしまったことで、
 「救うことができなかった」と
いう悔悟の念にさいなまれる。

 しかも、その後、最愛の娘さんを
亡くしてしまう。

 自分にとって大切なものを守りきる
ことができなかった。

 その思いが、村松さんを突き動かす。

 「板子一枚下は地獄」というが、
極限を見てしまったものは強い。

 収録を終え、いつものように
日経BPの渡辺さんの取材を受ける。
 それから、
 五反田に向かう。

 「アハ体験」関係者の大忘年会が
開かれたのである。

 セガのPSPのゲーム。
 ソニー・エクスプロラ・サイエンスの展示。
 ソニー・エリクソンの携帯への搭載。
 ポストペット10周年のイベントのコンテンツ。
 その他、未公開プロジェクト。

 乾杯の発声! と夏目さんが言うので、
 「みなさん、アハ元年ありがとうございました」
叫んだ。

 たくさんバカ話をした。
 しかし、そのうちのいくつかは、プロジェクト
になるかもしれない。

 
「アハ体験」
は今青年期なり。

 なんだか、本当に楽しい時間だったことだなあ。

 雨の中を傘を差さずに走ったり、タクシーを
とめたり、廊下を歩いたり、コーヒーを飲んだり、
ひたすらキーをたたいている中で
 時々ふと考えていたのは、
モーツァルトの弦楽四重奏曲(K465)『不協和音』
のこと。

 モーツァルトが、なぜこのアダージョを
書いたのか。
 考えると心の暗がりの中底光りして満ちてくる。

 人生の滋味を増すのは、容易にはその本質を
見極めることのできない「エニグマ」である。

 地獄と天国の間には、きっと本当に薄い
一枚の皮しかなくて、
 生きとし生けるものの喜びもかなしみも
その皮一枚に由来する。

12月 15, 2006 at 08:01 午前 |

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コメント

村松さんの生き方に感動し私のブログでも紹介させて頂きました。
今後とも頑張って世の中に問題提起をするいい番組を作って下さい。

投稿: 大津留公彦 | 2007/01/13 21:23:55

突然の乱入、失礼いたします。
名前は「くきえめ」と読みます。
はい。これは創作の上のペンネームです。

あたしは喪失のイタミを共に味わった…村松の姉でございます。
僅か15歳。花でいうならまだほんの「つぼみ」でした。
その膨らみかけた蕾をむしりとるように
運命は姪を「千の風」にしてしまったのです。

弟夫婦のカナシミは言葉にしても足りない、それは計り知れないものでした。
あたし自身、イノチの炎が突然ふっと消えていくのを目の当たりにした“あの日”のことは
残像のように今もあたしの記憶の画面をうろうろと彷徨っています。

そうです。姪が逝ってしまったあの日。
弟は弟なりのカタチで、
・・・そしてあたしは「創作」というカタチで
イノチへの想いを遺しておこう、そう思った日でもありました。

今回は村松の弁護士として、いえ人としての
阿修羅の世界を潜るような『生き様』を
NHKさまが追いかけてくださるコトになり、大変嬉しく思います。
亡くなった両親、そして姪に代わり、
ココに「感謝」の言葉を残させていただきます。
ありがとうございました!!

投稿: 九鬼ゑ女 | 2007/01/10 23:06:46

「板子1枚下は地獄」の世界を垣間見た人間というのは、恐ろしいほど強いものなのだ。救うべき人やかけがえのない肉親を失い、精神の危機に追いこまれ、どん底よりも深い地獄を見た経験が、弁護士を中小企業の再建と救済へと突き動かす。

我々はきっと、天の喜びと地獄の苦しみの間にある皮1枚の世界で喜怒哀楽の日々を普段は送っていて、ひょんなことからその皮をずぼ!と破ってしまい、地獄の境涯へとまるで奈落を落ちるがように落ちて行く。そしてそこで本当のどん底を味わい尽くした時に、真に強靭な生命力と意志をもった存在として「再生」するのに違いない。もっとも中にはどん底に耐えられず、死を自ら選ぶものもいる。

艱難汝を玉にす、という格言があるが、その艱難が想像を絶するものであればあるほど、体験する人間はいよいよ「珠玉」の輝きを得るのだ。

果して、自分はこれから先、凄まじいであろう人生のどん底=艱難を克服し、自らを玉にする事が出来るであろうか。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/15 23:40:06

おはようございます。茂木さん。
今日は朝カルの日ですね。
どんなお話しが聞けるのか、楽しみにしています。

ところで私は、ココを訪れる多くの人たちと同じように
毎朝こうしてあふれ出る茂木さんの言葉の中から、
「アハッ!そういうことだったのかもしれない!」と、
ひらめきをもらえるコトが多々あるのです。

昨夜も、“革命”という字はなぜ、革と命の組み合わせで
出来ているのだろうかと、子どものようなことを考えていました。
茂木さんの「皮一枚に由来する」との言葉に、まるで答えを
頂いたかのような感動を覚えました。

これからも、茂木さんの思考回路にインスパイヤーさせてもらって
1日1アハを目指したいと思っています。

投稿: ひみつのあこ | 2006/12/15 9:21:52

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