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2006/12/19

不可能なるがゆえに

 東京芸術大学の図書館で
 江村哲二さんと
 音楽の話をした。

 西洋音楽には、対位法や和声法
など、
 さまざまな音楽理論があるが、
肝心な音楽の美しさや魅力についての
 理論はなかった、と江村さん。

 その美しさは、神からの贈りものであると
考えられてきたと。
 解き明かすことが不可能がゆえに、
強く惹きつけられる、そのミステリー。

 池上高志が、授業の中で
「科学の深遠な理論は、たいていの場合
不可能性の証明である」という趣旨の
ことを言っていたことに重なった。

 「偶有性を作り込む」という大切な
キーワードが立ち上がった。

 ゲーデルの不完全性定理、
すなわち、自然数論を含むような公理系が
もし無矛盾であれば、その中に証明も反証も
できない命題が存在するという定理も、また、
 不可能性を突きつける。

 筑摩書房の伊藤笑子さんや
サントリー音楽財団の佐々木さんを交えて
のランチ、
 白のグラスワインの銘柄をソムリエが
教えてくれたが
 そのときのふわっとした感じに、
「知ることと知らずにいることのバランス」
を思った。

 空気がO2であることを知らずに
いた時に、その隠蔽ゆえに人類の
中に立ち上がっていた志向性を時には
思うべきなのではないか。

 起源が隠蔽されているがゆえに
創発することがある。

 どんなワインかわからずとも、
とりあえず飲んでしまえ。

 創造の方法論は、実は起源にさかのぼる
ことなのではないかと思えてならない。
 そのうちの一番大切な営為のひとつは、
「私」の世界観や感性が由来する、
 その起源に立ちかえることである。

 江村さんと話し続けながら、
歩く。
 空気の冷たさが心地よい。
 上野公園の紅や黄色の葉っぱが目に染みる。

 授業のあと、美術解剖学教室で
忘年会。

 「おしら様」塩谷賢や、
 理化学研究所の谷淳さん、岡ノ谷一夫さん
も来て、大盛況。

 布施英利さんは最近アルタミラの洞窟に
行ってきたという。

 「鍾乳洞が、まるでガウディの大聖堂の
ようでした。
 楽器の起源は、上から下がっている鍾乳石を
叩いたことだと言うのです。」

 粟田大輔が、デュシャンについて
論文を書いている。
 「缶けり」における、缶の中に広がる
暗闇の問題。

 P植田こと植田工が来年は就職してしまうというので、
みんなさびしがる。

 電通の佐々木厚さんもさびしがる。

 通常は、美術解剖学の授業は12月で終わり
だけれども、
 植田の「卒業記念」で、年明けに
もう一度授業をやろうかしらと考える。

 人生において大切なことは、大抵「不可能」
なことである。
 植田が人生を前に進み、しかもずっと芸大の
美術解剖学教室に居続けることは不可能だ。

 「ここ」にいて、同時に「あそこ」に
いることは両立できない。

 いかにこの世が愛しくても、
ずっと生きていることはかなわない。

 不可能こそを思い、そして人生を
抱きしめなさい。

 この世を生きる上でもっとも大切な
真実(まこと)は、「不可能」の由来するところを
知ることではないか。

 不可能なるがゆえに、我愛す。

江村哲二、茂木健一郎 2006年12月18日 上野公園にて
(伊藤笑子 撮影)

12月 19, 2006 at 08:03 午前 |

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コメント

一月は美術解剖学の授業はなかったんですね。。
植田さんのおこころ配りのおかげで、授業に参加しやすかったです。 ありがとうございました。
新たな道のり、がんばってくださいませ。

記念授業、実現すると良いですね

投稿: | 2006/12/19 22:56:43

科学の深淵な理論は大抵の場合、不可能性の証明である…。

人生においてまず大事なのは「不可能性」ということか。

たしかに、このままの姿で永遠に生き続けると言う事は不可能だ。

およそ生きとし生けるものは、新しく生まれてくるためには
1度死ななければならない。
如何にいまある生をいとおしんでも、
永久にこのままの姿で生き続けることは出来ないのだ。
いったん死ぬことが必要だ。

この地上に生きるものは、死を得ることで、
再びあたらしい生命体としてこの地上に
生まれてくることが出来る。

生きることを含めて、
ものごとはこのままの状態が永遠に続くということはない。

たとえば、私達がこのままずっと永遠に、「クオリア日記」へのコメントを書いたり、自身のブログを更新し続けることは不可能だ。

茂木さんが「クオリア日記」の更新を永久に続けることも不可能だ。

こんな生活はいつか終わりが来る。そして私達の人生も終わりが来る。

本当の「不可能」は転換し難い。いな、ホトンドできないといっていい。「不可能を可能にする」という人を時折みかけるが、転換できる「不可能」は「可能」のうちに入るものだ。

物事は転変し、永遠不滅を保つのは不可能だ。
本当に永遠不滅なのは宇宙を貫く生命の法則だけだ。

「余の辞書に不可能といふ文字はなし」
と言ったのはナポレオンだが、
彼の言っている「不可能」は不断の苦闘で
転換可能な事柄なのだ。

ともあれ、肝心要なのは人生の上での
「不可能」が如何に大事かということを知り、
その上で、かけがえのない人生を大切に
生きていくことなのに違いない。

「時の流れ」を引き戻すことは不可能であり、
死を免れることも、親を選んで生まれることも
不可能だ。

これこそまさに人生にとって大切なことだ。

不可能の向こうに見えるのは生命の永遠、
宇宙の永遠法則なのに違いない。

科学者たちはその永遠法則へ向かって
苦闘を伴う前進を始めている。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/19 20:50:48

朝、ぼけーっと一日が始まるのが普通だった。
今年は、クオリア日記との出会いがあって、朝から考えたり、感じたり、思ったりで一日が始まるのが習慣になった。

すごい差だと思う。
幸せな差だ。


PCの前で、うなったり、笑ったり、それは違うんじゃねーの、って
言ってみたり。動揺したり、反省したり。

あ~ありがたや~。でした。
気が早いので、今日、一年の感謝の気持ちをお伝えしたいと思いました。
茂木健一郎さま、クオリア日記さまありがとう。

投稿: | 2006/12/19 9:25:30

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