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2006/12/16

あひみての

 取材を受けていて、
写真家の方と雑談していたら、
 取り出されたパンフレットに
俄然興味を持ってしまった。
 
 北野謙さん。

 Our faceというプロジェクトで、0歳から
100歳までの2424人を重ねた
肖像写真を作成している。

http://www.ourface.com/

 デジタル処理をしているのではなく、
あくまでも銀塩写真で少しずつ露光を重ねて
焼き付けている。

 「あのう、平均顔が美人である、という知見は
ご存じですよね」
 「ええ」
 「うゎあ、これなんか、身体の部分がまるで
鉛筆画のように見えますね」
 「これは、小学校で撮ったものなんですけどね。
ちょっと少なくて、二十数名くらいかなあ」

 北野さんが以前に撮られたという、
駅の雑踏を行く人の重ね合わせ写真も
面白かった。

 まるで、メッカのカアバ寺院の周囲を
へめぐる人たちのよう。

 このような写真が私たちの心を
惹き付けるのは、
 世界が実際にそのように見えることが
あるからではないか。

 脳研究グループの会合(ゼミ)

 まずは、ヘライトモミツがTMSの
論文を紹介する。

 以前は自分でぱっと論文を読んで、理解する
というスタイルだったが、
 最近は「教育的配慮」
から、いかにいろいろと質問して
 紹介者の理解(とその欠如に対するアウェアネス)
を促すかということを心がけている。

 学問には終わりがないから、いくら
勉強しても、それで十分ということはない。
 もちろん、それは私も同じこと。

 近頃つくづく思うのは、独創性などということは
最後の1%くらいあれば良いのであって、
 99%は過去の巨人たちの肩に上る
作業となる。
 この99%をきちんと積み重ねないと、
ろくな1%が生まれない。

 目指すのは、「圧倒的な知的卓越」である。

 柳川透が研究についてプレゼンテーションし、
その意義について議論する。

 evokedとspontaneousの差異を、
個体を前提に考えるのではなく、
 むしろ回路網の内部的なトポロジー、
コネクティヴィティに基づいて
 定義すること。

 その際、どのようなコントロール・パラメータ
が現れるか。
 制御理論の本質的発展と脱構築を望む。

 朝日カルチャーセンターは、
黛まどかさんとの対談。

 黛さんとならば、と打ち合わせを
一切しないで本番に入った。

 あっという間の90分+質疑応答30分。

 ちょっと趣向があった。手元に、
黛さんの最新句集
『忘れ貝』を置き、
 ときどきおもむろに取り上げて
朗唱したのだ。

 つひの色得て紫陽花の揺れやまず
 
 それからはとめどもなしに女郎花

 さうしなければ凍蝶になりさうで

 イントネーションを直されたり、
読み方を間違ったり、
 散々なり。

 本職が朗詠すると、空気が一瞬にして
変わった。

 質疑応答の最後に、「5年後、10年後の
目的は何ですか」と聞かれた。
 
 黛さんが話しているうちに、うまい
答えを思いついた。

 あひみての のちのこころに くらぶれば
 昔はものを 思はざりけり

という歌があるでしょう。
 もともとは恋の歌だが、人生全般そうだと
思う。
 クオリアに気付いたとき、それまで何も
考えていなかったんだと思った。
 気付きの階段を上るたびに、
昔は世界の深さや豊かさを知らなかった
 と感じる。

 5年後、10年後に、「なんだ、2006年の
もぎけんいちろうは、何にも考えていなかった
じゃないか」と自分で思えるような、
 そんな人生を送りたい。

 まるでラジオのスタジオにいるようだった。
言葉に集中していると、
視覚というものはあんがい削ぎ落ちていくものである。

 忘年会をする。今年も新宿住友ビルに
お集まりいただき、ありがとうございました。

 来年は中沢新一さんや盟友竹内薫との
対談などもあります。
 
 6月にはサプライズも。

 神宮司さん、宣伝いたしましたゾ。

12月 16, 2006 at 11:30 午前 |

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コメント

 なに?なに? サプライズってなんだろう!?

 すごい、とびきりのサプライズ(例としては
「茂木健一郎と赤ちょうちんで語り合う夕べ」とか)
だったら、津軽海峡、びゅーんと飛び越えちゃうしか
ないかなあ~。

 5年後も、10年後も、男の子な健一郎さまに会いに。

投稿: 龍神 | 2006/12/17 7:26:37

声聞きて 寂しき空に 月はなし

投稿: tachimoto | 2006/12/17 0:37:55

 目と手しか動かさない日々に、明日があるさと一人ごと、何時かはこの頭が時代を開けるように…

投稿: cosmosこと岡島義治 | 2006/12/16 18:00:30

7年くらい前からSONYなるものに興味を持ち、探究心の赴くままに、社史から製品から何から何までリサーチして、ややいっぱしのSONY通を気取っていた時代があった。

そのとき、茂木健一郎なる、クオリア(質感)を探求している人物がSONYの研究所に居るなんてことは全くの想定外であった。

4年前、Sony Dream World 2002という催しに行った時に、初めてクオリアなる概念と出会った。茂木健一郎を知るのはそれから半年後のことだ。

その茂木先生がクオリアというものを探求していることを知るにつれ、クオリアが生命と結局は直結するものだということを直感した。

クオリアの概念を知る前の私は、ただの単なる「SONY-Maniacs 」な人間にすぎなかった。つまりクオリアについては何も知らなかったというわけ。

昨夜、朝日カルチャーセンターにお邪魔して、黛まどかさんに初めてお目にかかり、俳人というのはこの世界の移り変わり行く様を五・七・五の類型に込めて、垰やかな言葉で表象するものなのだということを知らされた。

それまで俳句については、「あ、松尾芭蕉ね、あの人の句はあーでこーで」といったいわば生半可な知識でとらえていたにすぎなかった。

たおやかなる言葉の持つ、宇宙的なすべてを含有せんとする力に、俳句や短歌を詠んだり見たりする際に、細心の注意を払ってみたいと思う。

独創性はほんの1%、99%は不断の努力、巨人の肩に乗ること。そうしなければ真の独創は輝かない。独創性にこだわりすぎて、かえって凡庸なものしか生み出せなくなっては、
わずかながらとはいえ、才能を持って生まれてきたかいがない。
微力ながらも、独創性を光らす為に、巨人の肩にて奮闘したいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/16 12:49:22

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