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2006/12/31

茂木には何にもないからなあ

フセイン元大統領は自分は
現職の大統領であると主張しながら
死んでいった

 正義だと言って人間がやっていることの
中には、随分残酷なことがたくさんあるんじゃ
ないか。

 イギリス、Channel 4のコメディ
Peep Show
第二シリーズの第二エピソードには、
 ナチを信奉する人種差別主義者が出てくる。

 主人公である優柔不断のマークは、
最初はふつうの男だと思って仲良くしているが、
そのうち、とんでもない差別意識を持った
男だということがわかってくる。

 最後に、マークがチクって、
差別主義者はクビになってしまうのだが、
 そのあっさりとした引き際に、
視聴者は、卑劣なのはむしろ「正義の味方」
だったはずのマークの方じゃないかと
思わされる。

 フセインや人種差別が良いと言っている
わけではなく、
 ある一つの文脈に固執するところからは、
良質のコメディも、本物のヒューマニズムも
生まれないと言いたいだけだ。

 ヒューマニズムとは、つまり、人間という
存在が様々な文脈を同時に引き受けられる
ということを直視し、そのことを大切に
することを意味するんじゃないか。

 人道に対する罪を犯した者、
 人種差別主義者
も、文脈を変えればパパであり、
 一人のおびえる若者であり、
 気の良いパーティー・アニマルである。

 西欧諸国が死刑を廃止している背景には、
ヒューマニズム=多様文脈性
という哲学があるのではないかと思う。

 イラクの子どもたちは、どんな
思いで日々のニュースに接している
のだろうか。

 乱世には哲学や思想が現れるという。
 孔子が登場したのは、中国の内政が
乱れた春秋時代だった。

 乱世というのは、別に国だけにある
わけじゃなくて、
 一人の人間の中にもあり得る。

 デカルト的な「我」の統一など
ないと主張するのが、
 ダニエル・デネットを筆頭として
一つのはやりであるが、
 それは、別にジェラルド・エーデルマンの
唱える「ニューラル・ダーウィニズム」という
標語を待つことなくても、
 有機体としての人間の有り様を
眺めてみれば至極当然のことではないか。

 自分の思想、哲学が鍛えられるのも、
内なる乱世を抱えている時である。

 そのようなことを年末に思う。

 思えば、うだうだぐだぐだして
いた思春期だった。

 ボクのひとりの人間としての特徴の
一つは、
 「王様は裸だ!」
と言ってしまうことで、
 そのせいで、どこにも着地点を
見つけることができなかった青春時代だった。

 今だって着地点を見つけたとは思わない。
 以前、畏友池上高志に、
「茂木には何にもないからなあ」
と言われたことがある。

 一生このスタイルでやっていく、
といったような大地がないという意味か。
 池上は大学の先生をやっていくので
とりあえず良いと思っているんだろう。

 モーツァルトも、孔子も、
一生宙ぶらりんだったから、
 「何もない」ということはむしろ
誇りにすべきことなのだと思う。

 それにしても自分の「ギャップ・イヤー」
はなかなかとれそうもない。

 内面的には、漂泊の思い止まずである。

12月 31, 2006 at 08:36 午前 |

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受信: 2007/01/01 17:38:06

コメント

子曰、
聖人吾不得而見之矣、
得見君子者、斯可矣、
子曰、
善人吾不得而見之矣、
得見有恒者、斯可矣、
亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰、
難乎有恒矣。

う~む、水成論的感情のようなものはやはり必要なのでしょうね。

投稿: naritoku | 2007/10/11 10:47:00

たぶん私は、「王様の耳はロバの耳」派です。
「王様は裸だ!」派の方々は、
叫ぶ井戸を探して右往左往している人より
ずっと素敵な人生になると思います。
どんどん「王様は裸だ!」と言って下さい!
…と、あんまり、けしかけては、いけませんよね?
真実を暴かれたほうは、羞恥心から
反撃してくるかもしれないし。。。
着地するのは疲れちゃってからでイイ、
というのは駄目でしょうか?
鷹だって「ふががががー」と
エサを食べている時よりも、
獲物を狙って眼を光らせながら
空を旋回している時のほうが、
活き活きしているように思えるんです。
…と、人に言うのは簡単なのですが、
自分は常に低空飛行、
至るところで着地しっぱなし、
うだうだのぐだぐだのずるずるのどろどろ!!!
こんな私ですが、今年の目標は、
「白魔術にかかる」ことなんです。
せっかくかぼちゃの馬車が用意されている時に
「いや、私は、暖炉の掃除が好き♪」
などと言っていては、何も始まらないから。。。
新年早々こんなコメントを読まされては、
たまらないかと思いますが、
今年は、「怒涛の腕立て腹筋ヒンズースクワット攻撃」
を楽しみにしています(笑)!
また、こんな長いコメントで
空白を奪ってしまいました、ごめんなさい。

投稿: まり | 2007/01/01 0:22:25

何もない。
とらわれるもの。なくて結構。すばらしい。
生命の底力感じる日記これからも楽しみにしています。

大地を大空を大海原を宇宙を駆け抜けるつきぬける強い生命の力。
こちらまで、勝手に筋肉ついてきそうです。

今年も大活躍、おつかれさまでした。

投稿: 平太 | 2006/12/31 20:14:19

そんなことはない、茂木健一郎は茂木健一郎である。自分に何があるかを人や肩書きで決めてもらわなければ不安になるような覚悟のない人間のブログなど、今後いっさい読まないぞ。丸善丸の内のトークショーの後、何時間もかけて全員にサインをし、絵まで描いていた茂木健一郎をファンはどんなに幸せそうな顔で握手を頼んだり、嬉しさこの上ないという顔で写メールにおさまっていたことか!その間中、隣にずっと立っていた徳間書店の編集者やサインを待っていた私もずっと見ていたぞ! しっかりせいっ! 何を肩書きにもっていても最後に判断が下されるのは人間性である。歴史がそれを証明しているではないか。 忘れたかっ! 茂木健一郎、来年もガンガンもがいてくれよ、その先にしか「自分が何か」は存在しえない。天才とは常にそういう過程しか踏まないし、その過程のある者のみが天才への候補者となりえる。 決して途中で棄権なんかするなよっ! 見守ってるからなっ!!!
2006年、よく頑張りました! 2007年は少し絞っていこうぜっ、体重だけじゃなくてね。 今年も私に考える楽しみをくれて有難うっ、茂木健一郎!!! ふあり ふありより

投稿: ふあり ふあり | 2006/12/31 19:27:38

こんにちは。
きょうは大晦日らしい寒さですね。

メサイアをかけながら部屋のそうじをしました。
聴きなれていないので最初は、手を動かすと音が聞こえない、
耳を使うと手が動かない、という感じでしたが、合唱のあたりからスムーズにいきました(喜)
よしあしまでは・・もうちょっと聴かないとわかりません。。

茂木さんになにもなかったら、わたしなどはどうなるんだろう・・と考えてふと、
あ、比較にならないか、と気づきました(笑)

罪を犯した人や政治家などなど
まるで違う生き物や、宇宙人みたいにけちょけちょんに言っているのを見かけると、
ぞっとした気持になりますね。 ネットならではということもあるのかな。。

数年前に、
この世でもっとも罪なのは、自分がいちばん正しい、
なんでもわかってると思い込むことなんじゃないか・・と感じて、
それ以来、すべてわかったというときは、先生流にいって、
人生の「尻もちをつく」ときだと思い、
それ以来、自分はそうならないように、気をつけるようにしてはいるんですが。。
いまも人にとやかく言ってる人を見ると、何か言ってやりたくなる癖が抜けませぬ・・ 
まだまだであります(笑) 

       ×       ∞       ×        ∞       ×     

今年は、茂木健一郎さんに出会えて、とてもよい年になりました。
日記でも、いろんな茂木さんに出会えた気がします。 
 茂木さん ワン、ツー、スリー、
おおまかに分けると3つくらいになります。って、どうでもいいことですよねえ・・(笑)


わたしはなるべく直感を大切にしているんですが(ときに失敗あり・・)
その直感が、茂木さんには真理があるよ、と言っておりました。
日記やお話から、直接お会いして、見ていても、なんとなく、そう感じます。 
だからこそ、素直にお話がきけるのでうれしいです。

一見真理、一見やさしげ・・なものが、世の中にはごろごろとしていると感じますが、
自分の直感に、今よりもっと忠実に生きたいと、年の終わりに思いました。


すてきな日記や、いろいろな機会などを与えてくださり、
ほんとうに、ありがとうございます。 感謝しております。

良いほう、悪いほう、どちらにもころぶ可能性を誰もがもちあわせているのなら、
良いほうへころころ、石をころがすべく、これからも
茂木さんからいろいろ、吸収、お勉強して行きたいです。

きょうはコメント多くて大変そうですが、こちらに書かせていただきました。
長々とすみませんでした。


お正月こそは、ふだんよりゆっくり、お休みの時間がとれるとよいですね。。
来年も茂木さんのお話を聴けるのを楽しみにしています。
 
よいお年をお迎えください。。☆

投稿: M | 2006/12/31 17:14:48

茂木先生、年末ぎりぎりまでお仕事なのかな・・・。お察しいたします。そして本当にご苦労様です・・・。

ヒトラーよろしく人種差別を叫ぶ者、殺人をおかした者だって、家に帰ればフツーの家庭人だったりするところが多分脈なるこの世の常なんだよね・・・。

よく、TVのニュースで、凶悪な殺人犯人に大切な家族を殺された人のコメントが流れてくるけれども、それらはなぜか「犯人を死刑にしてほしい」との一点張りで、しかもどの人も同じようなことを言っている。

人を人と思わぬような、凶悪至極の殺人鬼だって、家に帰れば普通の家庭人だ。文脈をかえてみれば、案外何処にでも居るような人たちなのだ。

「殺人犯を死刑に」と叫ぶ人たちの底知れぬ悲しみは察するにあまりあるけれども、見方を変えれば、彼らもある一つしかない「文脈」に雁字搦めになり、結局は「殺す側」に回っているということだ。

そこにはむごたらしいほどの、犯人への復讐心という「ルサンティマン」しかなく、暖かい真のヒューマニズムなどありはしない。
「ヒューマニズムとは、つまり、人間という存在が様々な文脈を同時に引き受けられるということを直視し、そのことを大切にすることを意味するんじゃないか」

フセインが死刑になったことで、彼を支持してきたイスラム教スンニ派の(あくまで一部の)過激な集団がシーア派が多数住むところへテロを引き起こし、多数の死傷者を出したとニュースが伝えていた。

彼らもやはり、多数の文脈を引き受けることができなくなってしまっているのではないか。「正義」の名ゆえに。「正義」は非常によい言葉だけれども、他方では悪徳を為した他者の存在を抹殺してしまう(悪徳を為した者とて、「悪」の文脈を離れてしまえば、ごくごくフツーの人たちなのだ)。

いわば「正義」とは使い方を誤ると多様な文脈に満ちたヒューマニズムをつぶしかねない、トンデモないことになる「諸刃の剣」なのだ。

日本には、茂木先生の言われるような多様な文脈を同時に引き受けられることを直視し、それを大切に思うという「ヒューマニズム涵養の文化」が欠落してしまっている。

だから一つの文脈・・・それが「国家」にしろ「正義」にしろ・・・に下手すると、雁字搦めになってしまうのではないか。

春秋戦国時代のように、今日の世界も、きわめて“乱世”だ。このとき同時に人間も内なる乱世を抱えている。見方を変えれば、人間自身の内なる乱世が、世界の外なる乱世を生み出すといっていい。

そのときに自分が持っている思想・哲学が鍛えられる。もっていなければ、乱世に流されるだけである。

日本人は、果たしてどれくらいの人が、孔子のようにしっかりした思想を持っているのだろうか。茂木先生は間違いなく持っているけれども。

孔子やモーツァルトのように、フラワーピッグも一生宙ぶらりんで、漂白しながらクオリアの起源を探っていくのだろうか。

それはともかく、本年度はありがとうございました。来年もまた「クオリア日記」におじゃまします。よろしくお願いします。

長くなってしまい、相済みません。それでは・・・!

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/31 14:51:42

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