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2006/11/06

仏像で測れる人生の成熟度

ヨミウリ・ウィークリー
2006年11月19日号
(2006年11月6日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第29回
仏像で測れる人生の成熟度

抜粋

 時は流れ、大学院生になって広隆寺を訪れた時には大分眼が出来ていたように思う。体重が「0.1トン」を超える親友の哲学者が一緒だった。
 「おい、茂木、知っているか。かつて、大学生がその美しさに魅せられて思わずこの仏像に抱きついて、指が折れてしまったんだぞ」
 博識の彼はつぶやいた。なるほど、いくら拝見しても飽きない、美しく神々しいお姿をしている。ありがたく、もったいない。中学生の私はこの弥勒菩薩半跏像の前に立ち、一体何を見ていたのだろう。何という大切なものを見逃していたことか。
 そこの君、もっとしっかり見なさい! 
 タイムトリップして、制服姿の私自身をどやしつけてやりたくなった。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


11月 6, 2006 at 08:05 午前 |

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» お月様とミートボール トラックバック 「パンドラの函」の裏書き
 お月様はきょうはまんまる満月だ。でもきょうは空がぐずって曇りがち。せっかくの満月も拝めないよ〜。  中学校の修学旅行に京都に行った事がある。京極とかでのみやげ物の思い出が強くて、生八つ橋と梅花型のそばぼうろを買ってきたことがある。もっとも京都からかえって来た時に寒さがもとで風邪を引いて、学校を休んでしまったことがある。  仏像に関する思い出、といえば三十三間堂の夥しい仏像群が思い起こされる。金の針のような光背を背負った菩薩像は、一体一体の顔が微妙に違う。目の長さが違ったり、ヒゲの長さや太さが違... [続きを読む]

受信: 2006/11/06 19:48:47

コメント

京都には、本当に修学旅行以来行っていない。何とも寂しい限りだ。私は仏閣というよりも、街やの風情が見てみたい。

ところで…茂木さんを見て思うのだが、なんだか、「歩く大仏」のように最近、見えてきたのだが…(笑)。
もじゃもじゃアタマが、大仏のヘアースタイルをイメージさせてくれる。
…失礼しましたm(_)m

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/09 19:34:46

若い頃  ある人に言われた

   女なら 広隆寺 弥勒をめざせ    古拙 半眼

      

  近頃   キョロキョロしてた  落ち着こう       まるで 大仏

投稿: 一光 | 2006/11/06 9:54:59

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