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2006/11/08

「時計ぐるぐる」

声が出なくなった。

 打ち合わせや対談などが入っていた
ため、本当に困った。

 でも、なんとかかすれ声でがんばった。

 高野進さんが末續慎吾さんをいろいろと
指導しているビデオを見ながら
 ぼくは声の出し方をいろいろと
工夫していた。

 「それにしても、何故、末續さんたちは
上半身裸で走っているのでしょう」
 ぼくは素朴な疑問を持った。

 「上半身の筋肉の動きを観察して、
コーチングに役立てるためかな」

 住吉美紀さんが「女子的には・・・」
と言って、それから「うふふ」と笑った。

 ジョシというのは便利な言葉だ。

 有吉伸人さんは、徹夜明けである。

 密息や循環呼吸を使って
超絶技巧で尺八を吹く
 中村明一さんと
お話しする。

 尺八は、西洋楽器とは異なる
ベクトルの方向に進化してきた。
 複雑系の制御力学はより高度なものになる。
 
 要素還元主義というのは、科学的な世界の理解
の文脈においてよりも、
 構成論においてよりエッジが立つのではないか。

 西洋音楽はまさに要素還元主義だ。
 音を定義し、それを組み立てる。
 だから、楽譜が書ける。

 一方、尺八は、音のさまざまな
ニュアンスをそのまま生かそうとする。
 整数倍の倍音だけでなく、
 非整数倍の音も奏でる。

 生命現象は勝手に起こってしまう
のであって、
 まずは要素を用意し、それを組み立てるのではない。
 だから、尺八は生命により近い。
 しかし、それを制御することは
容易ではない。

 先日の京都大学の湯川秀樹、朝永振一郎
の生誕100年記念シンポジウムが
きっかけで、総合的知性と専門性の
関係が気になっている。

 湯川秀樹の中間子論は、むろん数理物理学の
業績だが、
 湯川は同時に子どもの時から論語などの
漢籍に親しむ、教養の人であった。

 物理や数学は専門性が高いものと
思われているが、
 そこに総合的知性がどうかかわるか。
 中間子のポテンシャルを思いつく
際に、湯川の広い教養がそれを後押し
したことは疑いない。

 レオナルド・ダ・ヴィンチの業績で
最後まで残るのはおそらく「絵」だが、
 ダ・ヴィンチは、総合的教養を持ち、
人間性について深い洞察を抱いていたから
こそ「モナリザの微笑」を描けたのではないか。

 札幌に来た。相変わらず声は出ない。
 夜の会食で、部屋に入っていくとき
張り上げなくてはならない場所か、気になった。
 
 「なかなかハスキーなのもいいですよ」
と慰められる。
 やや低音気味に発声すると、ましらしい。

 うとうととするのが、いつも心地よい。

 明けて、
 今朝は一言も発していないので、治っているか
どうかわからない。
 ヴィックス・ドロップは二つなめた。

 狭い場所でもできる、「時計ぐるぐる」
という遊びを思いついて、「これだ!」
と思った。

 ところが、夢から醒めてみると、
どうもそう簡単ではない。
 ホテルの部屋は、それなりに大きいのだが、
 夢で思いついた「時計ぐるぐる」が
できそうではない。
 そもそも、「時計ぐるぐる」は、正午のところで
身体を反転させる時に足が絡んでしまいそうだ。

 ぐるぐるしているのは、時計ではなく
人生か。

 部屋にドリップコーヒーがないので、
お茶でがまんした。

 できるだけ声を出さないようにして
研究会に備える。

11月 8, 2006 at 07:45 午前 |

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コメント

時計ぐるぐる 人生ぐるぐる 宇宙もぐるぐる   巡ってる

       確かに毎日   巡ってる

            目処

  近い将来に置く  密かに置く  自分だけの為に置く


     

          

投稿: 一光 | 2006/11/09 5:35:14

湯川、ダヴィンチ…。優れた業績を残した発明家や理学者というのは、やはり、総合的な教養を積んできた人達で、決していわゆる“専門バカ”ではないということなんだなぁ…。
ミーソン(中間子)のポテンシャルも、「モナリザの微笑」も、総合的な知性の基盤があって、初めて光を放つものなのか。

数学なら数学だけ、物理学なら物理学だけ、というように、それぞれの専門分野しか頭に無い、単なる専門バカな人々には、トテモじゃないが彼等のような偉大な足跡は残せないだろう。決めつけることは出来ないが、また自分はよくわからないが、如何も、日本の学術界には、そういった自分の専門のことしか知らない人が結構いるのかもしれない。

総合的教養を育むには、いうなれば「知的雑食性」が必要なものかと私は思う。いろんな分野にアタマからつっこみ、取り組み、おのれの血肉としていく…。その上で専門性を身につけていくことが、学問をする者として、後世に足跡を残すことに繋がっていく、と銀鏡子は思う。

茂木先生も、芸術や文学など、いろいろな分野に足を踏み入れ、それらを自身の血肉にしているのではないか。フラワーピッグは、湯川やダヴィンチが歩んできたのと同じ道を歩んでいる、そんな気がするのだが。

夢の中でフラワーピッグが思いついた「時計ぐるぐる」遊び。でも夢から醒めて、現実の世界でこれをやろうとしたら、何故かうまくいかない。夢と現実のギャップというのはそういうものなのです、茂木先生。

でも先生のそんな姿は傍から見たら、妙に可愛い(?)光景にうつるに違いない。

人生も、宇宙も、時計回りにぐるぐる廻る…回っていくうちに、フラワーピッグこと茂木健一郎も、たるの中でじっくり熟成され行くワインのように、奥深い人間になってゆく…。それはさておき、何卒咽喉のケアには気をつけてください。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/08 19:41:21

茂木さんはじめまして。
少し前から毎日楽しくのぞかせていただいてます。
名古屋の会社員です。
時計ぐるぐる、の記述に思わず笑ってしまいました。
具体的にどんな遊びなのでしょうか。
機会がありましたら発表してください。楽しみにしています♪
早く声がもどるといいですね。

投稿: rubino | 2006/11/08 13:21:24

喉の具合がよろしくないとのこと、ご心配申し上げます。

私は10年ほどまえに扁桃腺の切除をしたあと、
極力話さずに、口にすこしずつ水をふくんで、
喉をいつもうるおしていました。
それで早めに治ったように記憶しています。
喉の乾燥がよくないようです。

どうぞお大事なさって下さい。

投稿: 河村隆夫 | 2006/11/08 8:20:39

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