人生は「ある」ではなく、「なる」
この5年間くらい使っていた
リュックが壊れてきたので、
買いにいった。
島田雅彦さんの『彗星の住人』を読み返しながら
行った。
文庫化に当たり、解説を書かせていただく。
人間の恋の偶有性と、
国家の成り立ちのそれが共鳴する。
青年期は誰にも負けないくらい
歩くのが速かったが、
最近は追い抜かれることも多い。
ぼんやりと考え事をしている
からだ。
風景がゆったりと流れる中を、
昨日、丸山健二さんがチェックインするのを
お見送りしたホテルのロビーを通った。
同じ空間なのに、昨日は丸山さんという
肉体がそこに息づいていて、
今日はいない。
そのことを、不思議に寂しい、それでいて
慰安される思いで振り返った。
久しぶりの雨がしっとりとややうすら寒く
降っていたことにもかかわるのかもしれない。
人生は「ある」ではなく、「なる」(werden)
である。
生命は、常になりつつある。
そのようにして組織体は維持されているので
あって、
だから、死ねばすぐに解体が始まる。
一見同じ肢体で変化なく存在し続けている
ように見えても、
それは散逸構造であって、能動的に
その姿が維持されている。
一つの奇跡である。
「ある」は実は「なる」だから、
そこから、新しいものが生み出されるという
創造性は、生命の根本的な成り立ちの
「写し」に過ぎない。
島田さんの本を読みながら、どうしても
三島由紀夫の『豊饒の海』4部作の完結編、
『天人五衰』というタイトルが
一つのイメージとして響き続けた。
衰えるということも、「なる」という
ことの一つの様相であるならば、
それは生命というものの一つの積極的な
機能でもあるのだろう。
なんだか、出来上がってエスタブリッシュ
されちまったものは、魅力がないなあ、
などと思うことがあるが、
あやうさこそが「なる」という
ことの一つのメルクマールなのであって、
青年期の恋というものはつまり
お互いに「なりつつ」あるあぶなっかしい
ものどうしの共鳴現象なのである。
なり終わちまった精神はすでに腐敗を
始めていて、
その腐り行く匂いを味わうチーズ愛好家でも
なければそんなに親密に近づいて行けるものでも
ない。
ボクは服を選ぶ時は売り場をぐるりと
一周すればあっという間に決まって逡巡しない。
それこそ、売り場に着いて一分で決まってしまうが、
リュックはいつも悩む。
学生時代からそうだった。
イメージするものが製品化
されていないからだろう。
クリスマスちっくな商品が並んで、
人びとがごったがえす「ハンズ」の売り場で
案の定ぐるぐると回って、
疲れ始めた頃にやっと決めた。
包装してもらい、
歩き始める。
成功とか失敗とか、そんなこと知って
たまるか、と思う。
パリでシンポジウムをやった時に、
Marleen Wynantsが、「脳科学をやっていて、
philosopherで」と紹介したのでびっくりしたが、
考えてみると自然哲学ということで
全く構わないと思う。
『生きて死ぬ私』は哲学書でいいし、
これから解明しようとしている
心脳問題も、脳科学という「ある」を「なる」
に接続すれば、
とびっきりの哲学問題であろう。
科学革命は、哲学的「なる」と接続しなければ
「なる」ものではない。
『彗星の住人』はカバーをとると漆黒で、
それが手になじんで、
雨の新宿を歩くに本当にふさわしかった。
11月 20, 2006 at 04:07 午前 | Permalink
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受信: 2006/11/20 19:41:22
» 新リュックに夢を詰め込んだ日 トラックバック 夢への滑走路(名も無きポスドクの愉快な旅)
今使っていた愛用のリュックが
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以前、この日記にも書いたけども
リュックを選ぶときに... [続きを読む]
受信: 2007/03/06 10:50:19
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コメント
人生は「ある」ではなく「なる」に共感します。そして生命はなりつつある…、個人的には【老化】を思います。常に今は変化しつつしかももとの吾にあらず。規則性は常に崩壊へと進みつつあるのかなあともおもいます。それが即ち、「死」にいたるのかなあとも。
竹内さんとの共著の御著書「脳のからくり」を拝読しました。
プロフェッショナル…も見てます。
体に気をつけて頑張ってください。
二児のお母さんより
投稿: てくてくえんじぇる | 2008/05/05 16:15:41
で、茂木先生がどんなリュックを買ったかに興味がいってしまう私は、世の中に「ある」ものに囚われ気味のようです。ちなみにわたしは、Milletのリュック持ってますが、ショルダーバッグの方が好きです。最近はTEMASです。
投稿: sakaguzi | 2006/11/21 22:43:08
えぇっ!?あの大学院説明会の時に使ってたリュック、壊れちゃったんですか?!
働き者の主人とあっちこっち飛び回った思い出を持って、満足して逝かれた事でしょう…
ご冥福を祈ります。
そして、新しいリュック、この主人は物使いが荒いぞ!頑張りたまえ!!
投稿: cosmosこと岡島義治 | 2006/11/21 22:32:10
とほほ,,,
クオリアだかクリオアだかエオリアだかもワカランくなってしまいました.
でも,イレモノへのこだわりはよ〜〜くワカリました.
投稿: choshi choshie | 2006/11/21 11:29:33
生きて居るということは、常に危うさと同居していて、それが一つの「なる」と言うことなのか知らん。
恋は「なりつつある」もの同士の危うい共鳴現象、か…そういえば、私は恋愛らしい恋愛なんてこの年(42歳)になるまで、したことないなぁ。
恋という名の共鳴現象をホトンド体験しないまま、私はドライフラワーのように「なる」のだろうなぁ。マジで。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/20 20:31:21
飴のように延びて行く時間の中で、自分という生命体は、一瞬タリとも「とどまって」はいない。いつまでもそこに「ある」わけでもない。
このエントリーで茂木さんが言うように「なる」もの、「なりつつある」ものなのだ。それが生きるということの実相なのだ…。
何に「なる」か、といえば、それはきっと、「エネルギーとしての生命」に「なる」ということなのだろう。そうだ、生きる、ということはエネルギーというものに、我々は肉体も意識もひっくるめて、まるごとゆっくりと返っていく、ということなのだ。
死ねば肉体(有機体)はバクテリアの作用で腐り出し、やがて土に返る。
意識は無意識と共に、エネルギーの1部と化して、宇宙を貫く生命のリズムのなかに融けこむ。そしてまた生の息吹をもった「生き物」という有機体としてまた地上に産まれて来る…。
我々の五体が能動的に姿が維持される「散逸構造」なのも、衰えてゆくのもすべては「なる」ためにあるのだろう。
仏教で説く「成・住・壊・空」という言葉を思い出している。成=発生・誕生、住=維持、壊=崩壊、空=宇宙リズムとの融合、…と、現代的に言うと上のような意味らしいが、生命体は常にこの四態を繰り返し、産まれては生き、死んでは産まれ、また生きてゆく。…それを永遠に繰り返すのだという。
茂木さんも我々も、永遠に「成・住・壊・空」を繰り返して、存在し続けるのだろう。
それにしても最近の「日記」は奥が深い。茂木先生は、多忙な一方で、やはり深淵なものに迫られているのだろうか。
沢山の仕事を抱えつつも、深淵にせまりゆくフラワーピッグは、科学をベースフィールドにしつつも、ますます哲学者になりつつあるようだ。
優れた科学者は、哲学者としての顔も持っている。
過去の歴史上に登場した偉大な科学者たちは、みな一面、哲学者でもあった。
茂木先生は、このブログを書かれる前からそうだったのに違いないが、最近、いや増してそう「なりつつ」あるような気がしている。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/20 19:33:10
茂木さんのクリオア日記は
判るようでワカラン,判らないようでワカル
いつも不思議な読後感に襲われます,
写真をupされていないのに
確かに雨の匂いと湿り気と人の気配が感触として伝わってきます..
投稿: choshi choshie | 2006/11/20 10:58:37