« 『アハ!体験 4つの間違い探し』 | トップページ | 最後に目覚めて現実の »

2006/11/27

魂をくすくすと震わせて

一日中ずっとひたすら仕事をしていたが、
終わらず。

 さすがに、やや呆然とする。

 集中すると、当然のことながら
時間の流れは消える。

 充実しているときでありながら、
 意識の神様から時間泥棒に会っている風情も
あり。

 とにもかくにも終わらせなければならない
ことがある。
 果たさなければならない義務がある。
 今日も、研究会で京都に向かうはずが、
どうもむずかしそうだ。

 アインシュタインは、『自分は灯台守
(lighthouse attendant)になりたい』
と言っていた。
 世間から隠遁したいという衝動は、
誰にでもある。

 世界についての真実は、つねに相反する
いくつかの方向性から成り立っていると
考えないと、バランスを欠く。

 たとえば、「脳の本質はコミュニケーションにある」
という命題は真実だが、
 その一方で、「コミュニケーションを断絶しなければ
花開かない課題もある」というのも事実である。

 良い例が「フェルマーの最終定理」を解決した
ワイルズで、
 もっとも本質的な思考を行うために
ワイルズは長きにわたって自宅の部屋に引きこもり、
そのため、同僚の数学者たちは彼は行方不明に
なったと思ったほどだった。

 もちろん、「引きこもれば独創性を発揮できる」
という命題も単独では真実ではなく、
 実際ワイルズが最終的に難題を解くことが
できたのは、久しぶりにでかけた研究集会で
最新の研究動向に触れることができたのが
きっかけだった。

 単独の志向性のベクトルでは問題が解決
しないことは、
 生命現象というダイナミックな有機的プロセスの
本質を考えれば当然のことである。

 いかに、相反する動きを視野の両端にとらえ、
バランスよく動かしていくか。
 そのような感性がどうしても必要である。

 しばらく前に、池上高志と「純粋さは
生命力の衰えの表れである」
という議論をしたが、
 クリエィティヴな人が
往々にして猥雑なのは、モーツァルトの
例をみるまでもなく当然のことであろう。


 その一方で、ただカオスであれば良いという
わけではなく、
 美しき形而上的結晶世界への志向性も、
また必要なのだ。

アマゾンUKからLittle Britainの
Third SeriesのDVDが届いた。

 イギリスのコメディを見るのが、
わが最大の気晴らしなり。

 英語のネイティヴ化計画の実践という
意味もある。

 眠りに落ちる前のほんのわずかな時間を、
灯台守は魂をくすくすと震わせて過ごした。

11月 27, 2006 at 07:04 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 魂をくすくすと震わせて:

» 「上を向いて歩こう♪」 トラックバック Little Tree
今朝も、遅刻ギリギリの時間にkirikouが登校していき、 そのあとを追うように、9時の開店前に間に合うように慌てて家を出て 駅前のレンタルショップの返却ボックスへ借りていたDVDを入れてきました。 [続きを読む]

受信: 2006/11/27 20:48:16

コメント

ほぼ 移動なしの日常の上に立つ   a
    僅かばかりの移動      A

   慧眼に触れ 魂を 救守 くす と震わせて

  空とか 余とか 閑とか 休とか

        無くても良いと   灯台守に告ぐ  Aa ”

 

投稿: 一光 | 2006/11/27 21:30:45

私がこのエントリーへのコメントを書いている今ごろは、茂木先生のお仕事も、一段落ついているでしょうか。

溜まった仕事を片付ける合間に、最良のコメディを見るのは、疲れた頭を癒すのにうってつけかもしれない。

ひとつの真理を発見する時には、時には、外部との接触を絶ち「ひきこもり」状態に自分を追いこむことも必要なのか。

…“単独の指向性のベクトルでは問題が解決しないことは、生命現象というダイナミックな有機的プロセスの本質を考えれば当然のことである。…如何に、相反する動きを視野の両端にとらえ、バランスよく動かしていくか。そのような感性が如何しても必要である。

…クリエイティヴな人が往々にして猥雑なのは、モーツァルトの例を見るまでもなく当然のことであろう。…その一方で、ただカオスであれば良いというわけではなく、美しき形而上的結晶世界への志向性も、また必要なのだ。

「蟄居」も「解放」も、「カオス」も、「結晶的世界」もこの私達が生きている世界が有機的なものだからこそ、存在するのだ。

それぞれの「世界」を如何行き来して、バランスをとってやっていけるか。脳科学者でなくても、そんな感性が必要なのかもしれない。

それにしても、この日記の言葉は、どこか結晶的なうつくしさとカオス的な多様性にあふれている。だから「クオリア日記」は、少なくとも私が見てきたブログの中では、最も美しいブログなのだ。
どうもすいませんm(_)m

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/27 19:55:57

はじめまして。毎日,思索の種として拝見させて頂いております。「灯台」ということで思い出しましたが,日本最後の有人灯台「女島灯台(めしまとうだい)」が来年4月で無人化するそうです。
 一つの場所に留まるということで言えば,画家のAndrew Wyethもそうですね。「クリスティーナの世界」を初めて見たとき,ハッとさせられたのを覚えています。
 「こちらを立てればあちらが立たず」ではないですが,引きこもることによって(しか)得られる(ない)もの,コミュニケーションによって(しか)得られる(ない)ものがあるかもしれませんね。

投稿: K.S | 2006/11/27 13:33:31

わたしにはあなたの書かれることは
ほとんどが難しく遥かなんです
でもなぜかたびたび救われるような
気持ちのよさをもらって帰ります
多方向だからかなぁと思います

投稿: Ikuyo | 2006/11/27 10:03:28

おはようございます。おつかれさまです。
茂木さんのことをよ~く見てるかた、そばにいる方なら、
今、茂木さんがどういう状況で、どういったご心情でいらっしゃるか
おわかりだと思います。

ご自身の魂を大切になさってください。

投稿: 平太 | 2006/11/27 9:00:06

おはようございます
茂木さんお時間がたりないようですね
私も時間が足りません
最初営業時間でやっていましたが
その後も夜中もそして今日は5時から仕事やってます
確かにウチの場合バイク店なのでシャッターを開けると駄目なのです
一回開けてカソリンを使用していたら、どうしても今修理しろと言われて困った事があります
作業の際は絶対シャッターを開けず、休みですと電話で断り
仕事に没頭しています。隠遁と同じであると考えます
隠遁しないと一日48時間欲しい気持ちになります

確かに老人は親切にすると
「ありがとうございます」
ときちんと純粋に気持ちを伝えます
一方では横断歩道のないところをゆっくり渡っているので
私は一旦停止して待ちます
自分では必ずしも純粋の定義は当てはまらないのではと思います

投稿: おさむ | 2006/11/27 8:11:56

コメントを書く