最後に目覚めて現実の
最近、ときどき「時代の変化」という
ことを考える。
かつてあったものがすでにないということは、
悲しいことのように思えるけれども、
だからこそ時間軸の上で多様性が
実現されるのだとも言える。
熱帯雨林の中で、同じ種類の木が
近くどうしにはないように、
気分ががらりとかわるからこそ、
容易には見通せない多様なものたちが
時間の流れの中で現れては消える。
変化の波は、個人のライフ・ヒストリーの
中にも訪れる。
ぼくも人並みに落ち込んだり、
デフレスパイラルに陥ったり
したことも青年期にはよくあったけれども、
そのような気分も、あっという間に
変わるのだ、という「メタ認知」
が立ち上がってから、精神が強くなった。
没入し、時が経つのを忘れた
経験は、必ずや消えることなく
伏流して、またふたたびよみがえる。
インドはすっかり遠くなったけれども、
いつかまた活き活きとよみがえる
ことがわかっているから、
今は東京での仕事の生活に没入する。
ある変化のベクトルがあると、
ついついそれを単純に延長して、
未来はそうなると予想してしまいがちだが、
本当は、志向性などあっという
間にかわる。
ツバメのようにひらり! ひらり!
そのリズムこそが人生だし、
生命体だなあ。
仕事をしながら、チャイコフスキーの
『くるみ割り人形』のDVDをかけた。
昔、ロンドンのコベント・ガーデンで
見たことがある。
クララがくるみ割り人形が転じた王子に
いざなわれて、夢の世界に入る。
とても楽しく美しい「花のワルツ」
や「こんぺいとうの精」の踊り。
そのファンタジーの時が
blissであることはもちろんであるが、
最後に目覚めて現実のクリスマス・ツリーの
下にかけよるクララも、またとても
幸せなように感じるのだ。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎も、
また、歓喜を感じたのではないか。
ロンドンに入ればあっという間に
その気分になるし、
沖縄の島を歩けば、ぼくは永久のゆうなぎを
求めるだろう。
没入し、変化することを恐れない限り
人生はおそらく大丈夫である。
ロンドンで好きだった科学機器の店、Arthur Middleton。
コベント・ガーデンの近くにあった。
この写真を見るだけで、気分はがらりと変わる。
11月 28, 2006 at 03:50 午前 | Permalink
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コメント
茂木さんのモードの変化は私の長年勉強してきたNLP心理療法では、情報処理における感覚を変えることです。映像、音、体感覚、内部言語を変えることで、自分が変化することができることは素晴らしいことですね。それは、体験と、脳そのものが織り成す構成力(パターンの記憶)により、現実より豊かなものになりますね。精神科医・心療内科医で、児童思春期も専門の一つとする私は、茂木さんの素晴らしいクオリア研究が人類社会の理解に理論だけでなく、実践として役立つようにと考えています。志向性がどのように起こるかご意見をお聞かせください。子どもがなぜいじめに志向するのか模索しています。
投稿: 竹内小代美 | 2006/11/30 6:44:54
このコメントを入力しているころには、茂木先生のモードはさらに変わっているに相違ない。瞬間瞬間で、人の心のモードは変わるものだ。
未来をこうだ!と予想しても、いざその「未来」の日がきたら、予想とは全然違っていたりして。
1970年代、藤子・F・不二雄が描いたような、夢と希望に溢れた前向きな未来図は、完全には実現しなかった。でも、私達は夢と希望を棄ててはいけないのだろう。
兎にも角にも、過去から現在、現在から未来へと、刻々と変わる時間軸のなかで、人はどんどんそのモードを変えて行けるものだ。
それは、あたかも、ツバメのようにひらり、ひらりといったように、だ。
ある土地に行けばすっかりその土地のモードになるし、夢の世界に没入すれば、その夢の世界の住人になれるのだ。
人間はそういうトクな性質を持っている。
生きて居るとなんだかんだあるけれど、ヒトに生まれて良かったなァ。
追伸:
エントリーの終わりに載っていた科学機器の店のお写真、いい味出しているなァ…。日本だと「いわしや」みたいなものなのかな?
投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/28 18:44:31
ああ、科学機器のお店でした。。(笑)
すっかり読み間違えて、見た感じも楽器屋さんと思い込んでました。
失礼いたしました
投稿: M | 2006/11/28 7:45:46
茂木さんきょうは日記の更新もお早かったですね。
曇天ですが、空がだいぶ明るくなってきました。
ロンドンの、この楽器店…なんともすてきです。
科学楽器ってどんなのでしょう。。
中に入ってみたいです。
没入と、変化を恐れなければ大丈夫…
わたしには、なにかに没入することはとてもむずかしいのですが、
なにかに没入している人を見ると、ほんとうにそう思えますね。。
自分なりの没入法みたいなものを、なんとか見付けたいと思いました。
志向性はあっという間に変わる…
そうですよね。
こころ強いおことばです。。
ありがとうございました
投稿: M | 2006/11/28 7:30:51