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2006/11/12

いわゆる消去主義です

なんとなく疲れていて、
土曜の午前中はソファに寝転がって
 金曜日に宝島社の田畑博文さんにいただいた
宝島新書 門倉貴志著『ワーキングプア』
を一気に読んだ。

 支度をして、家を出て、
 慶応大学に行こうと、地下鉄のエスカレーターを
上がっていると、青い作業服を着たおばさんが
ぞうきんを持って、ベルトをぬぐいながら
上がっていった。

 時給がいくらでも、人は働いている時には
充実感を感じて没入してしまうものである。

 大学院生の時、アルバイトで塾講師をした。
 時給は悪くはなかったが、塾全体の収入に
比べてつりあっていたのかどうか、
 そんなことは実は余り考えなかった。

 小学校の時には奇妙な思い出がある。
 何かが欲しくなって、
お金を貯めようと、
 母親の知り合いの八百屋さんで
もやしを詰める仕事をしたのだ。

 どれくらいもやしを詰めたのか
覚えていないが、
 とにかく、終えると「はい、けんちゃん」
と100円くれた。
 ぼくは、濡れた手をズボンで拭いながら、
「ありがとう」
と受け取った。

 今考えてみると、小学生一年生の男の子が
小さな手でもやしをつめているのは
どうにも不思議な光景だが、
 当時の本人には、そんな自覚はなかった。

 そもそも、八百屋さんにしてみれば、
「100円」は労働の対価
というよりも、迷惑だけどかわいいから
お小遣いをあげよう、という感じだったかもしれない。
 
 飽きずに一週間くらいは通った。
 貯めたお金で何を買ったのか、覚えていない。

 目の前の労働に、充実感を感じる。
 それは人の美質だが、
経済システム全体から考えると、
 それゆえにかえって隠蔽されてしまう
問題もあるのだろう。

 IT長者が次々と誕生していく。
 ネット上のサービスが、一年足らずの
うちに一千億円単位の時価総額に化ける。
 新しい時代の息吹であることは
間違いないが、
 そのことによって得られる「創業者利益」
の一部分は「新しい価値」
が生み出されただけでは説明できない
「所得移転」なのではないかと
疑う。

 みんなが一億、十億という金をつかんだら、
それこそ天文学的な経済成長になるか、
 ハイパーインフレーションになるはずだ。

 経済成長率も、インフレもそこそこで
一部の人がIT長者になっているということは、
つまりは所得移転なのではないか。

 それでもあまり文句を言わないということは、
つまりITによって気付かないうちに
 「広く薄く」事態が進行している
ということなのだろう。

 現象学会のシンポジウムは、大いに楽しんだ。

 オーガナイザーの河野哲也さんと、
終了後お話する。

 「いやあ、楽しかったです。」

 「現象学者たちは、分析哲学者とはまた違います
からね。」

 「M先生は、分析哲学だと思っていましたが」

 「いや、M先生は現象学ですよ。もっとも、分析
もできてしまうのですが。」

 「N先生はどうですか?」

 「あの人は、完全な分析哲学ですね。いわゆる
消去主義です。自然言語で記述されるものの実体は
最終的には消えてしまうという立場ですね。」

 「ああ、そうか。デネットと同じだ」

 N先生もM先生も東大の駒場の科学史・科学哲学に
いらっしゃる。

 難しい問題について、
さまざまなアプローチから考え抜くのは本当に
楽しい。
 自分が考えたことを、興味を共有するひとたちと
分かち合うことはさらに楽しい。
 お金はまあ、そこそこにもらえればいい。
 
 何の因果か、近所の八百屋の店先で
せっせともやしを詰めていた小学一年のあの頃と、
 気分はあまり変わっていない。

11月 12, 2006 at 09:30 午前 |

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コメント

昭和40年代の小学1年生への「労働の対価」としては100円はかなり高額ですね. 
それは,茂木少年がもやし詰めの達人(仕事の流儀を弁えた)であったか
それとも,茂木母と少年の心意気に惚れた八百屋のご主人からのチップだったのか,,,
それにしても,7歳の茂木さんは何がほしかったのかな 
脳の形をしたオレンジ色のアメフトボールではなかったですよね,,,,,

投稿: ちょし | 2006/11/13 12:02:04

現象学会ではお世話になりました(質問の際に援護射撃をしていただいてしまった村上です)。トラバ申し込みさせていただきました。
ご講演刺激になりました(偶有性の部分)。本当は現象学者はもっと脳神経学とコラボしていけるはずなので、他の人にも刺激になっていると良いのですが。
ご多忙かと思いますが、お体にお気をつけてください。

投稿: murakami | 2006/11/12 21:12:21

「労働」の「美質」に隠れてしまう様々な問題点…ここでいう「所得移転」とか「時給」についての問題とか、働いている本人には想像もつかないことが、知らず知らずの間に見え隠れしている。

「ワーキングプア」、いくら働いても自分の思うようには豊かになれず、生活保護並みの最低賃金しかもらえない人々の問題が云々される一方で、ITの発展によって一部の人間が新手の富裕層になっていく現実がある。

しかし、それに対して、仰るようにさほど文句は聞かれないようだ。所得移転によって一般人とIT長者との格差が開いているにも関わらず、だ。それもやはり知らないうちにITの力で「広く薄く」事態の進行が進んでいるのだろう。それでも人は、しょせん目の前の労働には、充足感を感じてしまうものなのだ。

マァ、お金はそこそこ、自分の希望を十分満たせる範囲の額だけもらえればいいにこしたことはない。要は自分の充足感をそこそこ満たす額のお金を手にすることなのだ。IT長者がいくら産まれようが、そんなの、どうでもいいこっちゃ、気にしていたら、きりがないわい!…と思えばいいのだ。

必要以上のカネを手にすると、人はおかしくなる。逆に必要以下のカネしかもらえなくても飢餓感にとりつかれる。ワーキングプアの人は自分の身の丈よりも少ない給料しか貰っていないのが問題なのかもしれない。日本企業もドケチになったものだ。まったく。

それは兎も角、少なくとも孤高な学者であるフラワーピッグにとって、様々なアプローチからおのれの取り組むべき難問を考えること、さらにそれを考えを同じうする人々を思いを共有することは、このうえない充足感をもたらすのだろう。

学者は本来、カネのあるなしに関係なく「考えること」に命を燃やす人種なのだから。

それにしても茂木先生の取り組んでいる心脳関連の問題の、如何に難解なことか。

意識、ひいては生命の問題とも深く関わっている問題故に、一筋縄では解けない難しさを伴っていることはこうして「日記」を一年間読んでみて、多少ながらわかってきたことだ。だから様々なアプローチからの考察が必要になるのだろう。

心脳関連問題の中には、一般的に「非科学的」というククリで説明されてしまう「霊的なもの」も含まれる。

普通の脳科学者は、こういう問題は頭ごなしに「非科学的」と断じて、それ以上は問題にしないようである。しかし、フラワーピッグは、今をときめくスピリチュアリストとも果敢に対談する。そして科学者の立場として、そういう問題には慎重にならざるを得ないという結論を導き出す。

霊の問題というのも、脳内で起こる一種の現象であることは間違いないということを茂木先生も熟知している。が、しかしこの問題ですら、クオリアの問題と同様、数値的な通り一遍の解析法では解けない問題なのだ。

自然言語で記述されるものの実体は、最終的には消えてしまうという「消去主義」。しかし、すべて消えてしまうのだろうか?…ウィルス・細菌の類いから、寄生虫から、はては宇宙を動かすエネルギーに至るまで、全て消滅するというのか?…では、ものが新しく生まれる時、まったく何も無い所から生まれる、とでも言うのだろうか??

この問題を、明日の美術解剖学講義に出席のあとの、飲み会の際にでも質問したい、と思っている。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/12 11:59:48

気づくこと、発想、思考がすべてマイナスへ向かう傾向を世の中にを感じる。

そこで、「それがどうした!」って跳ね返してやりたいと思う。
マイナスの方向に目がいって、走れなくなるのはごめんだ。

隠蔽なんてひっぱがして寒風にさらしてやればいいんだ!

子供の頃にけんちゃんが近所に住んでいたら、友達になれたかなあ・・。
けんか友達だったらなれていたかなあ。

投稿: 平太 | 2006/11/12 11:50:49

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