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2006/11/22

人が海をつくっている

滞在しているホテルには、深夜に
入ったから、
 回りの様子がよくわからなかった。

 「このホテルはどれくらい古いのですか?」
 「100年くらいです。インドでも、最も
ヴィクトリア朝の雰囲気を残しているホテルです」

 静かで、優雅な空気が流れている。
 ぐっすり眠って、朝食をとった。

 朝、会場である原子核研究所に向かおうと、
タクシーをお願いした。

 表通りに出たとたん、人と、車と、
騒音と、あらゆるものの衝撃波が
わっ! と一斉に襲いかかってきた。

 優雅なホテルの空間を一歩出ると、
そこは人いきれと埃と犬と排気ガスが
充満した混沌だった。

 コルカタ中心街で車がなかなか動かない。
 ずっと、クラクションが鳴っている。

 歩道でヒゲを剃ってもらっている
男がいた。
 こんな所に! という車が行き交う
道の中央の島に、
 サリーを着た若い女が二人寝ている。

 車が止まった、そのわずかな隙を
縫って男が飛び出した。
 交通の流れが動き出し、男は
あわてて飛び跳ねた。

 11月は乾期。
 空気はいがらっぽく、窓から
勢いよく吹き付ける。

 原子核研究所がなかなか見つからず、
タクシーの運転手が車を止めて何度も聞く。

 もういいよ、と思った頃に、
サハ・インスティチュートと書かれた
看板が見えた。

 会場に入ってしまえばいつもの通りだが、
今まで見てきたものの動揺が胸の中で
うごめいてなかなか収まらない。

 一人づつたっぷり話すスタイルの学会。
 Semir Zeki、Ralph Freemanと続く。

 コーヒー・ブレイクの時に、
主催者のBikasに挨拶した。

 北海道大学からは井上純一さんが
来ている。

 Hakwan Lauは早口で喋る男で、
ずっとUKかと思っていたが、
 香港生まれで、6年前にOxfordに行ったのだと
初めて知った。

 スピーカーのひとりの講演の後で、
Change Blindnessの現象学的分類について
「あなたの紅茶一杯ではないかもしれませんが・・・」
と前置きして聞いたが、
 やはり通じなかった。
 他の質問者も苦労している。

 技術的なことにしか関心がなく、
それ以上の意味合いについて考えないタイプの
研究者は時々いる。

 通じない。そのことを気にしない。
 この点については、インドの同僚たちは
大いに勇気があった。

 次々と立ち上がり、質問するが、
壇上のイギリスやアメリカの英語ネィティヴの
スピーカーたちが、
 顔をしかめ、耳に手を当て、身を乗り出して、
最後に
 「何だって? 何を言っているのか、
全然わからないんだけど」
と異口同音に答えた。

 それが、何度も繰り返されると
次第に演劇性を帯びて、まるで
イギリスのコメディを見ているような気分に
なり、ひとり笑いの爆発を我慢した。

 それでも、インドの同僚たちは気にしない。
エライものである。

 一日の終わりはHakwan Lauの
トークで、意識の時間的次元に焦点を当てた。

 Readiness potentialの問題から始まり、
voluntary actionのintentionを知覚した
時点、action自体を知覚した時点の間の
200ミリ秒の間にTMSを加えると
各時点がそれぞれ前、後ろにずれる
など、興味深い話。

 「だから、意識が本当に随意運動の
コントロールに関わっているのかどうか、
現時点では残念ながらわからないんですよ」
とHakwan。

 結局私がその日の最後の質問者になった。

 「あなたが言ったことは、何人かの論者、
たとえばHorace Barlowや、Nick Humphreyが
主張する、意識は内部状態の他者との共有の
ためにあるという考えとconsistentでは
ないでしょうか。
 たとえ、因果的に能動性を持たなくても、
after the eventで、それを知覚し、
 行動の理由や、動機について、他人に
それをコミュニケートすることはできる
わけですから」

 「そうなんですよ。私の現在のボスの
Frithも似たようなことを考えているんですよ。
 ただ、現時点ではempirical evidenceが
十分にないんですけどね。」

 パーティーは酒もなく、
何となく始まり、食べ終わると自然に終わった。

 となりにいたJonathan(キリスト教徒なので
そんな名前が付いているが、生粋のインド人)に、
 「インドのパーティーはいつもこうなのか?」
と聞いたら、
 「ああ、そうだよ。一時間くらい続くことも
あるけど」
とのこと。
 それから、四方山話をした。

 Bikasがホテルまで送ってくれた。
 
 「もともとコルカタに住んでいるのですか?」
 「私はそうです。しかし、私の両親は、
バングラデシュから来た難民でした。
 独立の時の混乱で、逃げてきたのです。
 そして、ガンジス川の向こうに、家をつくりました。」
 
 ずっといろいろなことを話して、
ホテルに戻る。

 Bikasがとなりにいるので、見つめることは
できなかったが、
 路上には昼間よりも人の数が増えて、
寝支度を始めている人たちもいる。

 きれいな女の人たち。子ども。
所在なさげな男たち。
 皆、歩道の上で、路肩で、そこに
いるのがこの世の宿命であるかのように、
たむろし、寝転がり、うずくまっている。

 再びホテルのヴィクトリア朝の優雅な空間に戻り、
 キング・フィッシャーを飲んでため息をついた。

 wikipediaなどで調べる。コルカタの路上生活者は
推定200万人。バングラデシュ独立時に
大量の難民が流入し・・・とある。

 Bikasの家族の物語は、息子が原子核研究所の
教授になり、孫も出来て・・・という
幸せなものになったが。

 人が海をつくっている。その中をかき分けて、
泳いでいる。
 哀れみとか、そのようなことはしずく一滴を
前に立ち上がるものなのであって、
 海を前にして、どうすることもできずに
ただ呆然と立ちつくすだけ。

 そのような場所から、なにかを考えるしか
ない現実が、地球の上にあった。


コルカタ郊外で。撮影の動画からの切り出し。

11月 22, 2006 at 09:36 午前 |

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さて、やっとのことで「ことば・コトバ・言葉…」について書き上げてから 近所まで、買い物に出かけてまいりました。 その道すがら、いつものように斜め30度くらいに視線を向けて おもしろき雲のカタチを眺めながら、歩いているうちに… さっき書いたばかりのコトバたちでは、言い切れていないことやら書き足りないところが 次から次へと、あの空を流れる雲のように浮かんでまいりました。... [続きを読む]

受信: 2006/11/23 8:04:01

コメント

初めまして7zと申します。
「そのような場所から、なにかを考えるしかない現実が、地球の上にあった」という言葉を受けて(内容的にはほとんど関係ないんですが)mixi に日記を書いたので文中リンクを張らせて頂きました。(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=275390220&owner_id=2997619)
事後報告となり申し訳ありません。

投稿: | 2006/11/23 17:05:16

匂うほどに生活の漂う人の波
インドは深い海かもしれない
絶え間なく意識の波の漂う
人も等しく深い海かもしれない
溺れもがく営み
海中の

鴎の飛び交う北の海から
13年前に旅したインドを思い出しました。
きっとあの時と変わらず同じあの世界があるのだろうと

投稿: | 2006/11/22 22:50:11

なんか、この記事を読んでるだけでも、自分がインドに行った気になります。
茂木先生、お疲れ様です。

投稿: サイン(koichi1983) | 2006/11/22 22:25:19

生活の漂う人の波
インドは深い海かも知れない
心に漂う意識の波
人も等しく海のよう
泳ぎもがく営み
遠のく記憶
海水の

鴎の飛び交う北の海より
13年前に旅したインドを思い出しました。
きっと何も変わることなくあの時のままの
あの世界なのだろうと

投稿: | 2006/11/22 22:25:17

コルカタの路上生活者が推定200万人…。その路上生活者を含めた大きな人の海…。それは犬やクルマや人力車や、その他諸々を含めた大きな混沌の海と化して、旅人の茂木先生に襲いかかってきたというのか。

印度亞大陸のカオスの底に、凄まじい生きるエネルギーが渦巻くのを、このエントリーを見て感じた。

人からなる巨大なカオスの海をまえにして、旅姿のフラワーピッグはただ立ちつくすばかり。自分も若し印度へきたらその人海の凄まじさには言葉を失い、唖前呆然とするばかりだろう。

「人が海をつくっている。…その中をかきわけて、泳いでいる。哀れみとか、そのようなことはしずく一滴を前に立ち上がるものなのであって、海を前にして、如何することも出来ずに、ただ呆然と立ちつくすだけ。…そのような場所から、何かを考えるしかない現実が、地球の上にあった。」

強大なエネルギーを秘めた人海と、舞い上がる塵芥。野良犬、サリーを着た婦人、子供、バングラデシュ独立時に流れてきた難民が路上生活者と化して、コルカタに住むべく建てた、背の低い掘っ建て小屋のような家。その中をここの人々は泳ぎに泳ぎ、日々をしかし一所懸命に生きている。

悠久の歴史も、ITも、タジ・マハールも、モヘンジョ・ダロも、路上生活者たちには、無関係なのだろう…。

その中に立ち尽くし、そこから何かを考えなくてはならない、と思うフラワーピッグ。

ふと思ったが、印度は古代以来四姓制度(カースト)が今だにあって、四つの身分によって、職業的ほかその他いろいろと格差があると聞いている。

印度は、ずっと昔から“格差社会”だったのだ。それを変えようとしたのは、釈迦であった。

如何にしたら、この路上で生きる人達を幸福に出来るか?…人海に呆然としつつも、そこに思いを廻らす為には、畢竟、釈迦と同じココロにならなければならないのだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/22 20:29:54

「森が海を作っている」ような話と関連することかと思いました。
 路上生活者の海ということですね。
 コミュニケーションできなくても平気、というメンタリティにも興味深いものがあります。

 昔、「人間は脳の10%も使っていない」という話をよく聞きましたが、あれは「顕在意識に割いているのは10%もない」という意味ではないかと今は考えています。たとえば料理をしていると、気づかぬうちに目を閉じていることがあって、そういうときは決まって跳ねた油が閉じた目蓋に当たる。これって、顕在意識以外のどこかで、油が飛んでくるという視覚情報を認知して、勝手に反応しているのですよね。でも、最後まで油が飛んできた映像は私の顕在意識には認識できないまま。
 意識って何なのでしょう。専門外の私はあれやこれや想像することしかできないのですが。

投稿: | 2006/11/22 13:44:45

昔立寄った、ムンバイの街を思い出しました。
路上で眠る親子連れ。
サリーをまとって丸まった母親の輪のなかで眠る幼子。
その一極が幼子の全世界。そして安寧。
インドかぁ・・。
旅のご無事を祈念。

投稿: | 2006/11/22 10:01:01

インド、わ~面白いですね。

行ってみたいけど、怖い。
茂木先生の旅行を垣間見た感じです。
インドこそ富めるものと貧しきものが混在している感じ。

昨日、『脳のからくり』買いました。
分かりやすくて面白いです!

投稿: | 2006/11/22 10:00:21

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