« (本日) 東京芸術大学 美術解剖学 森村泰昌 | トップページ | 森村泰昌 東京芸術大学 講義 »

2006/11/14

「クオリア」の「クオ」のあたりが

先日の日本現象学会の会場で、
演壇のテーブルに張られている
「茂木健一郎」という文字を
ぼんやり見ていたら、
 ゲシュタルト崩壊が起こった。

 文字が奇妙に思える
だけでなく、
 そもそも、なぜ、この文字列が
私という人間を指し示しているんだろうと
思った。

 なんでもよかったはずじゃないか。

 いつの間にか、自分という存在を
この文字列を通して認識している。
 その不思議さに心がふるえた。

 松岡正剛さんと那須で対談して
いた時、
 松岡さんの前の卓上に
『クオリア入門』が置いてあった。

 その「クオリア」の「クオ」のあたりが
解けていって、
 この文字列がいつの間にか
 私のライフワークを指し示している
ことが不可思議に感じられて
ならなかった。

 美術解剖学の授業で、森村泰昌さんが
「私」の話をした。
 「セルフ・ポートレート」
というテーマを追求してきた森村さん。
 デュシャンの「レディ・メード」
がペインティングの技法における
革新であったとすれば、
 森村さんは選択することのできない
自分の肉体というマテリアルを
用いて
 レディ・メードを新展開させている。

 人間はひょっとしたら
出来損ないかもしれず、 
 その「理由」は「私」などというものを
確固として持ってしまった
ことにあるのかもしれないと
森村さんは言った。

 できそこないかもしれぬ「茂木健一郎」
を抱えて、「私」は「クオリア」の問題を
考えている。

 先日ロシアに行った時、国家というものは
偶有的な存在だと確信した。

 ロシア一国がさらされてきた、
さまざまな事態。国境のゆらぎ。
 異物の侵入。

 「茂木健一郎」や「クオリア」
がほどけゆらいだのは何らかの良き兆しだと
思いたい。

11月 14, 2006 at 08:30 午前 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55852/12679547

この記事へのトラックバック一覧です: 「クオリア」の「クオ」のあたりが:

» [雑記]ことばのかべ〓 「壊れかけのゲシュタルト」 トラックバック saritote
でもやっぱり同じ条件で比較した時、目に入って来やすいのは圧倒的に日本語。すくなくとも僕のレベルでは。 たとえば街中なんかで日本語を見かけたり、通行人が喋ったりしているのを聞くと、それはもう背髄反射並みに反応するわけです。 特に、このごろ考えるのが、「活字」... [続きを読む]

受信: 2007/03/14 13:27:01

コメント

文字が溶け出すなんて
私だったら 単純に怖いと思い 不安になります。
「茂木健一郎」さんは単なる名前であっても、
いろいろなめぐり合わせがあって その名が選ばれ 出会われたのだと思います。
「クオリア」だって 長い長い言葉の歴史をふまえての 名付けをされているのだから、
クリオネが代役を務めるわけにはいきません。
なぜ「ほどけゆらいだ」のか それはどんな「良き兆し」なのか 私には少しも分からないのですが、
何か良いことはありましたか?

言葉は 生まれたり 消えていったり 意味が変容したりする、
言葉なりの命があるように私には思われます。
(あまり へんなことを言っているようでしたら 承認・公開しないで下さい。)

余談で申し訳ないのですが・・・
11月15日夜9時台のフジテレビ、大泉洋さん出演の番組を見ていたら、
茂木先生も出ていらしたので、神出鬼没だなあと思いました。
ちなみに、私の母(若い頃から登山が趣味)は数年前、番組で紹介されていた、秘湯・阿曽原温泉に泊まったそうです。がけっぷちの登山道は、すれ違うときのことを考えると小さいリュックで行かないといけない、そうです。茂木先生が登られることはないだろうとは思いますが・・・。

 

投稿: yuli | 2006/11/17 3:19:24

人間は「私」などというものを確固たるものとして持ってしまったが為に出来そこないになってしまったのかもしれず、その確固たるものを表象する記号に過ぎない「氏名」を抱えて、それぞれの「生活上の問題」や「ライフワーク」を生きて行こうとするものなのかもしれない。

ゲシュタルト崩壊で「茂木健一郎」という文字列を通して自分を認識している不思議さを発見して、フラワーピッグの魂が震えたのは、そもそもこの確固たる「私」とは何者か?という深い「自己存在」の問題に迫り、そこから「クオリア」の問題にせまるべし、という茂木氏自身の魂の奥底からの啓示に違いない。

忙しい日々を過ごしていても、ゲシュタルト崩壊を通して自己自身の認識の不思議さに魂が震える茂木健一郎先生なら、いまだ厚い壁に被われたクオリアのなぞを、それこそ仮令一生かけても、解くことが出来るだろう。

自己存在の問題に深く迫れる人にのみ、難問題の扉は開かれる筈だと思う。

私自身はとても「クオリア」のなぞなど当然乍ら解くことは出来ないが、「クオリア」を表象する芸術の道に何としても進んで行きたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/14 18:45:45

            謎は解ける
 
          ゲシュタルトの崩壊

小学生のころから 苦手な字  赤

    何故か 黄 と 青は 許せる

         赤 は どうも 納得いかなかった
 

           白は 素直でいい

投稿: 一光 | 2006/11/14 9:06:11

ゲシュタルト崩壊の、ぼんやりとしかも深刻に迫ってくる不思議感はわたしも好きです。

ところで以前「トリビアの泉」でやっていたと思いますが、「ぷ。」をずーっと見ているとボウリングをしている人に見えます。読点がちょうどボールになる感じです。これもゲシュタルト崩壊の一種でしょうか。

投稿: shiba | 2006/11/14 8:45:04

コメントを書く





絵文字を挿入