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2006/11/11

ココロのタテカン

相変わらずツナワタリの一日だった。

 榊原英資さんがホストをされる
料理番組の収録で、
 嵐山吉兆の徳岡邦夫さんに再会した。

 カニがおいしかった。
 
 竹内香苗アナウンサーと、
「朝ズバッ!」の話をした。

 ゼミ。
 柳川透、小俣圭が追い込みに入っている。
 関根崇泰にふざけて英語で話しかけたら、
ボウゼンとしていて、
 周囲のひとたちの方がわかって
笑っていた。
 関根くん、英語をしっかりやらんと
いかんぜよ。
 
 朝日カルチャーセンターの後の
飲み会で、話の流れの中にああそうだと
思い出した。

 この前京都大学に行った時に、
湯川秀樹、朝永振一郎生誕100年
記念シンポジウムがあった会場の
 百周年時計台記念館の
前に、立て看板があったのだ。

 幻冬舎の大島加奈子さんと
筑摩書房の伊藤笑子さんに見せたら、
「デザインを考えていますね」
「配列がいい」
「文字の形がうまいです」
などと、編集のプロらしい
感心をした。

 なるほど、そのまま本の帯にでもなりそうだ。

 ボクが大学に入学した頃は、駒場
キャンパスを歩いていても
 タテカンの類がたくさんあったものだが、
今や多くの大学で絶滅危惧種になってしまった。
 
 しょせん蟷螂の斧だろうが、
全部なくなったら寂しい。

 ボクは「何が改憲だ、ふざけるな」
という表現が面白くて笑ってしまったのだ
けれども。

 誰かが、「年内に葬ろう」
という「具体的な行動計画」が書かれているのが
いい、とコメントしたが、
 本人たちにもさすがに安倍内閣を
年内に退陣させる算段がついている
わけではあるまい。

 いずれにせよ、学生諸君、一つ大いに
青春を燃やしてください!

 いろいろな政治的立場があって
良いと思うが、
 私が気持ち悪いと思うのは
みんなが同じ意見になることで、
 社会の中には当然異論反論があって
良い。

 タテカンを見て眉をひそめる
良識派のおじさまがいてもいいし、
 いいぞもっとやれと拍手喝采
するお調子ものがいても良い。

 日本は特定の問題については
みんな同じ意見になったりしやすい
国だから、
 心の中にタテカンの一つや二つ立てておいた
方が健康にいい。

 ボクの今朝のココロのタテカンは、

「何が確率だふざけるな
機能主義を年内に葬ろう!」

にでもしておこうか。

 文学でも人生でも、そしてもちろん政治でも、
 大切なのは「多声性」である。

11月 11, 2006 at 09:02 午前 |

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この世はほとんど、効率重視の機能主義社会。 そこに人々は放りこまれて、ロボットのようにさせられている。 複雑適応系である人脳は、これに永久に耐え得ることあたわじ。 成果、成果、成果、確率、確率、確率、 成果、成果、成果、数字、数字、数字。 成果を数字と確率であらわせ。数字が大事だ、成果が大事だ。 何々が何々になる確立は何々%…。 プロセス云々は問答無用。 …。…。……。…。…。・・・・・・。 そのうち次第に窒息しそうになったそのあまりに、 ついにいじめや自殺が発生し始め、 社会のタガが外れ始めた。 ... [続きを読む]

受信: 2006/11/11 19:17:35

» 太田総理 トラックバック My little corner of England
今日の太田総理は「世論調査」について。日本人は「これが多数の人に支持されている」 [続きを読む]

受信: 2006/11/13 15:37:24

コメント

 湯川秀樹さんというと、私は、核兵器の廃絶のために力を尽くされてきた方、というイメージのほうが強いです。
 廃絶以外ない、と湯川先生は「ココロにタテカン」を掲げ、そしてその言葉、その言葉を発した自分の心に誠実に行動されてきたのだと思います。「ココロにタテカン」を立てかけるというのは、きっと、自分の目指すところが具体的にイメージされているからでは?
 湯川先生のされてきたことは「蟷螂の斧」であったかもしれません。亡くなられてから20数年経っても、核兵器は廃絶などされてはおらず、湯川先生がおっしゃったように、垂直にそして水平に拡散しているわけですから。けれど、たとえそれが蟷螂の斧であったとしても、湯川先生は、自分を表現されました。それは、覚悟のいることであったと思います。止める理由は十分すぎるほどあったと思いますし。けれど、行動されました。行動されたのは、湯川先生がノーベル賞を取るほどの学者であったから、だけではなかったと思うのです。
 多様性も多声性も、誰かが授けてくれるものではないのだと思います。自分が、私はこう思うと、たとえそれが「蟷螂の斧」であったとしても、声に出すこと。それから始まるのではないでしょうか。一人一人が自分を表現しない限り、社会に多様な存在があることはわからないのかもしれません。一人一人が違う声色で違う言葉を話す。それはとてもめんどくさくて、そしてとてつもなく面白いことなのではないでしょうか。がんばれ、ではなくて、がんばる。自分のこととして考え、行動する。
 今は、「内心の自由」を求めると、処分されてしまう世の中だから、なおさら、自分の声を自分の中にだけ押しとどめておかないほうがいいのだ、と自分に言い聞かせ、行動しています。それがたとえ、蟷螂の斧であったとしても。

投稿: まゆさん | 2006/11/13 8:42:07

茂木先生京都にいらしてたのですね。

京都でも京大以外は、タテカンに許可が必要だったりと
いろいろ難しいようです。

ちなみに京大はまだ、無頓着なようで、
「およよ?こんなところに?」
と思わされる場所ににょきにょき看板が生えてきます。

人様に迷惑をかけない範囲ならマアイイカと思ってい
るご様子。


ちなみに、、、京大は、夜中地下にバーがでます。

投稿: kawai | 2006/11/12 14:40:20

タテカン、

確かに見なくなりました。国の政治が自分たちの未来を形作るのだということを
実感として持っていない学生が多いのでしょうね。

この写真のタテカン、とても新鮮! 大学生も棄てたものではないな~、と感じました。

安部総理を年内に葬るとは、過激ですが、平和憲法が如何にすばらしいものか、ということを
訴えているのですね。

日本は今問題山積ですが、そんな運動をやっている学生さんたちを応援したいです! がんばれ! 30年後、50年後、100年後の未来の為に。

投稿: tachimoto | 2006/11/12 0:55:12

 確かに僕も、宗教屋の中にいるとそう感じるように、みんなが、同じ方向を向いて、同じ事だけをいう世界なんて1秒もいたくないけれど、「白黒ハッキリしてくれよ…」と思っちゃうところもあるんだよねぇ…

 一番気分が楽なのは、世界全てが自分の思い通りに動いている状態。(笑)

投稿: cosmosこと岡島義治 | 2006/11/11 22:32:15

「何が確立だふざけるな!機能主義を年内に葬ろう!」…こりゃいいですね、愉快痛快!安倍晋三を葬るよりも、機能主義を葬ったほうがおもろい世の中が出現するかもしれないよ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/11 19:01:49

いつも仕事の合間に日記を楽しく読ませていただいております。

>何が確率だふざけるな
これは、ちかごろ神経科学ではやりのベイズ的脳観のことを指しているのでしょうか?

もし、そうだとしたら、その言葉は
潮流への反骨から?それとも科学者としての客観的判断から?
どちらなのでしょうか?

投稿: かりめろー太 | 2006/11/11 18:39:43

「ココロのタテカン」名コピーだと思います。
自分は何をココロのタテカンにしようか
考えさせられました。

先日の「疾走学派」もよかったです。
茂木さんの日記はタイトルもいつも素敵。

これからも楽しみにしております。

投稿: リリアン | 2006/11/11 13:34:30

よくある大学の、全学連による「立て看板」。

最近は見かける回数も減ったように思えるが、たまたま、東大の赤門とか正門などを通りかかると、この手の看板がいまだにがんばっているので、嗚呼、全学連もまだ生きてんのかな、という思いがする。確かに、書体なんかは独特だし、「安倍晋三を年内に葬ろう!」などというとんでもない(笑)表題には「おめーら、本当に葬れるのか、あいつを?」なんて(少なくとも私自身は)ぷっぷっ・・・!と笑いながら突っ込みを入れたくなってしまう。

「何が改憲だ ふざけるな」なんて表現もご愛嬌ものだ。

おっしゃる通り、この立て看板を見て他者が如何思うかは一人一人の自由でいいと、銀鏡子もかくの通り思います。みんながおんなじ意見持ったら、私だって気持ち悪いよ!

どんな感想持ったっていいじゃないの。ほんと。

茂木先生も言われるようにこの島国は、特定の問題になるとみんな、意見が同じになりやすい傾向があるから、心の中に立て看板の一つや二つたてといたほうが(心の)健康にはいいだろう。

みんなが意見を同じうしやすい国は、人類が歩んできた膨大な歴史のアーカイヴから引っ張りだしてみても、いかんせんファシズムに流れていきやすいようだ。

ヒトラー時代のドイツもそうだったし、日本においてはなおさらそうであった。

一国の破滅の裏には必ず、といっていいほど、あらゆる分野においての「多声性」の「抹殺」があった。

日本においては、軍部政府における言論統制、本当はアメリカに負けているのに「勝った、勝った」と嘘を言って国民を欺瞞し、戦争にかり出す「翼賛放送」というものをラジオを通してやっていた。戦争関連のニュース映画が強制的に上映されたり(1941年)、とにかく「多声性」があれほど損なわれた時代はないといっていいかもしれない。

これらの過去における反省の上で、現行憲法で「思想・言論の自由」が保証されたのはご存知の通り。

翻って今。電車の中吊りを見ると、今度はどうも言論の自由をはき違えているような言説が見出しとしてのせられている。その中には、故意に虚偽のネタをもとにして書かれたものもあるという。

多声性は尊重されるべきだが、口からでまかせの嘘を言ってもいいとは誰もいってはいないぞ。某週刊誌の編集者諸君。

それはともかく、いろいろな意見があるというのは、単一な意見にみんなが引きずられやすい日本社会にとっては好いことだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/11 12:04:13

何か言ってやる!やってやる!って燃えてる人が好きです。
思想的なことはいろいろあるでしょうが、
勝手に老け込んだ、わかったような、平坦主義が嫌です。

あきらめた人間には絶対になりたくない!
いんきんたむし君にならず、からっと元気に参りたいです。

リーダーをコケにするだけじゃなく、やるなら本気でやってほしいです。

投稿: 平太 | 2006/11/11 10:27:43

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