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2006/11/18

笑みを浮かべているような

鴨川シーワールドの勝俣悦子
さんに聞いた、
 最後はおぼれて沈んでいく、
 シャチの巨大な死について
考えていて、
 生が最後に苦痛を伴うのだとしたら、なぜ
それはそこにあるのか、などということを
思っていると、
 ふと、ワグナーが久しぶりに聞きたくなった。

 ジークフリート3幕、ブリュンヒルデが
「かがやく愛よ! こうして、笑いながら死んでいく!」
(Leuchtende Liebe Laughender Tod!)
と叫びながら英雄の胸に飛び込んでいく場面を
かけた。

 シャワーを浴びて外に出た時、
「ああ、そうか」と思った。
 精神運動の負が、正に転化するような
魂の錬金術がある。

 「負」は、私たちを打ちのめすだけではない。 
むしろ、計り知れない暗黒がなければ
生まれない白日の輝きというものがあるの
であって、
 その意味で、創造性といものは
優等生的ではなく、必然的に危険思想を
含んでいる。

 上田義彦さんのスタジオで、
写真を 住吉美紀さんと一緒に撮っていただく。
 本間一成さんと山口佐知子さんが
「ディレクター」として同行。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』に
上田さんが出演された縁で、
 番組用の正式のポートレートを
お願いしたのである。

 上田さんがシャッターを押すと、
ぽん! と音がして、
 光がまたたく。

 ポラロイドを見る。
 「上田調」と呼ばれる眺めの中に
定着された自分の姿に、
 環境からまわりまわって無数の光子を受けている
身体の息づきが感じられた。

 終了後、私服に戻って上田さんと三人で
記念撮影。


茂木健一郎、住吉美紀、上田義彦

 上田義彦さんのやわらかな表情そのものが、この
世に満ちあふれている光を思い起こさせる。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

 「アハ体験」のひとつである
「隠し図形」(アハ・ピクチャー)についての
あるブレスト。

 綾塚祐二さんが、「試作」を50持ってきた。

 「綾塚さん、本当にうまくなりましたね!」
 「いやあ、もうノウハウは確立しましたよ。」
 「傑作の隠し図形が、4つしかなかった時を
考えると、夢のようだなあ」
 「ははは。茂木さん、ぼくは、アハ・ピクチャー
作成の『暫定世界チャンピオン』を名乗ることに
しましたよ」
 「いや、間違いなく現時点での世界チャンピオン
だと思います。そのうち、アハ・ピクチャー
作成のいろいろな流派ができて、「統一世界戦」
が行われたりして。」

アハ・ピクチャー作成 暫定世界チャンピオン 綾塚祐二

 ゼミ。
 関根崇泰が、アダプテーションの論文をやる。

 「その、lag adaptationというのも、bayesian integration thoery
の範疇に入るの?」
 「いやそうではなくて、bayesianとは別に
lag adaptationがあって、それが競合するのです。」
 「そうか、でも、ぼくは、bayesianというのは
つまらないなあ、と思っていたんだけど、
adaptationの説明原理としては使えるんじゃないかと
今思ったんだ。prior distributionが変わるわけだよね。
それで統一的に行けたら美しいじゃないか。
lag adaptationも、その広義のモデルのセットに
入るんじゃないの?」
 「それとは別なのです。」

 最近、「教育的効果」を考えて、
自分で論文を読んじゃうよりも、あくまでも
説明させて理解しようとしているので、
 著者たちがどのように書いているのか
確認していない。

 中沢新一さんと新宿でお話しした。
 「ブルータス」の鈴木芳雄さんの
アレンジ。

 暗黒を明に変える魂の錬金術のことを
話したら、
 中沢さんが、
 「茂木さん、ぼくのこと、ダークサイドが
あると思っているでしょ」
と言った。

 「いや、(しどろもどろ)
そのですね、やはり人間は暗黒面
がないと、創造のエネルギーが生まれないと
思っているわけでして」
 「ぼくは暗黒面ありますよ。坂本龍一も
かなりダークなところがあるね。ある意味では
ぼく以上かな。ははは」

 中沢新一、坂本龍一両巨頭の
「ダークサイド」とはなにか。
 詳しい話は聞かなかった。

 ダークサイドが、暗黒のまま現れるんじゃ
ダメで、ポジティヴなものに転化して
始めて当人にとっても世にも恵みをもたらすの
であって、 
 暗黒はあくまでも秘されたものであって良い。

 モーツァルトは人生で様々な悲嘆を
経験したであろうが、
 彼の音楽のほとんどはプラトン的な明るさを
示している。

 どんなに人生の苦労をしても、
しわだらけの顔に笑みを浮かべているような。
 そんな人のささやかな歓びにこそ、
魂の錬金術の驚くべき力が顕れる。

11月 18, 2006 at 09:10 午前 |

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コメント

負を負と捉えすぎなんじゃないかと思う。最近の世間の傾向として。
負は負だけどそこで完結してないし、真っ黒でおわりで、マイナスではないと思うんです。負もあっていいと思うのです。
う~む。上手く表現できないけど。
負をかわいそうと思ってほしくないし。

自殺の問題にしろ、難しいこと色々いってるけど、結局生きている喜びを感じてないことが原因だと思います。

負は終わりでない、負を生きる、生き抜くことの楽しさっていうか、
そういうのがかけちゃってるんじゃないのかなあ。今の時代。

いろんな黒があるように、ダークも種類があるのだなあ。

投稿: 平太 | 2006/11/19 9:58:36

ついに「日記」が本になりましたね。御目出度う御座います!さっそくにでも購入して読みとうございます...!

「ダークサイドが、暗黒のまま現れるんじゃダメで、ポジティヴなものに転化して、初めて当人にとっても世にも恵みをもたらすのであって、暗黒はあくまでも秘されたものであって良い」・・・。暗黒=ダークサイドを光に変えるのは、畢竟「魂の錬金術」というものなのだ・・・。

古今東西の芸術家は、己の中にある暗闇=ダークサイドをポジティヴな美しいものに転化して、世を喜ばせ、人に夢を与え、当人に生きる糧を与えてきたのに違いない。

この「日記」を毎日書いている、フラワーピッグこと茂木博士の中にもダークサイドはある。が、このフラワーピッグも、そんな自分の中の暗黒を、魂の錬金術でポジティヴな言動、行動、そしてこうした「日記」や種々の著作などに転化して、我々の前に光をともしてくれている。

モーツァルトがあれほど数々の、人生の悲劇に見舞われながらも、プラトン的な明るさに満ちた名曲をたくさん世に残し得たのも、この魂の錬金術のなせるワザに違いない。

己の内面の闇を光に変える錬金術、しかし、それは当然ながら、芸術家や科学者などの専売特許ではなく、我々人間誰しもの生命に備わる、根源的な希望から発せられるものなのに違いないと、私・銀鏡子は思う。

閑話休題、茂木先生とすみきちさん、上田義彦さんが並んで写っている写真、お3人ともとてもいい表情をなさっています・・・。上田さんの表情が柔和でいいですね。

もとにもどって・・・、モーツァルトも小林秀雄も、己の中の暗黒面をものの見事に、自らの生命に備わる魂の錬金術で、それぞれ音楽、美しい文章という「輝けるもの」に昇華させた。

我もまた、己に備わる魂の錬金術で、己の暗黒面を光に変えていきたいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/11/18 12:57:53

暗黒はあくまでも、秘されたものでよい。
ダークサイドが暗黒のまま現われるんじゃだめで、ポジティブなものに転化して初めて恵みをもたらす。。

ほんとうに。
きょうの日記も、宝物がぎっしりです(嬉)

元気がふつふつと沸き起こる感じです。
幸せな気持ちになりました。
ありがとうございます。

投稿: M | 2006/11/18 10:36:26

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