一時停止できない「映画」に生命の躍動を感じる
ヨミウリ・ウィークリー
2006年11月5日号
(2006年10月23日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第27回
一時停止できない「映画」に生命の躍動を感じる
抜粋
私が子どもの頃良く行っていた映画館も、何時でも入退場できた。学校が休みの時期など、ゴジラやモスラなどの怪獣映画がかかって、仲間たちと見に行った。子どものことだから集合時間もいい加減で、ずっと楽しみにしていた目玉の作品でも、平気で途中から入っていた。
ストーリーが進んでしまっていて、重要な伏線や端緒がわからなくても、気にせずに映画を楽しんだ。そして、二回目の上映で最初から見て、「そうか、あの事件はそういう理由で起きていたのか」「犯人はあんな風に証拠を隠したのか」などと頭の中でつないで、それなりに満足していた。映画のストーリーに即して言えば「タイム・トリップ」をしているようなものだったが、それでも構わなかったのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
10月 22, 2006 at 06:12 午前 | Permalink
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コメント
映画館というと、昔はよく上映の途中で出入りできたものだった。最近行っていないので好く事情がわからないが、いま映画館は完全入替制で、途中から入って上映作品をみることができない、ということらしい。
それにつけても懐かしく思い出すのは「怪獣もの映画」と「東映まんがまつり」。夏休みや春休みによく親に連れられて行ったものだ。
スクリーンの映画はDVDなんぞと違って、一時停止というものがない。次から次へと流れるように画面が変わる。そこに生の感動というものがあった。私達はDVDと大画面TV、もしくはプロジェクターの発達によって、生の映画が提供してくれていた生の感動を忘れていってしまっているのかもしれない。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/10/22 14:29:06