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2006/10/19

ぼくは十五×十五までしかできなくて

アトランタで面白かったのは
タクシーの運転手との会話だった。

 アフリカから来た人が多かった。
 ナイジェリアからの人に二回、
ソマリア出身者に一回当たった。

 「ナイジェリアって、人口が
日本と同じくらいじゃなかったっけ?
日本の人口は、1億2000万人くらい
なんだけど」
 「いや、今は2億人いるよ。80年代
には、それくらいだったけど。」
 「2億人! そんなにいるんだ。すごい!
ナイジェリアはサッカーが強いね」
 「ああ。でも、ここでは、サッカーに興味を
持つ人はほとんどいないよ。そんなスポーツ
ってあったっけ、ていう感じだよ。自分たちが
やるスポーツ以外は、この世に存在しないと
思っている。」

 「ソマリアの経済はどう?」
 「経済なんて、ないも同然だよ。ところで、
北朝鮮の核の問題は、やっぱり心配かい?」
 「それはそうさ。日本は核爆弾の被害を
受けた唯一の国だからね。」
 「で、どうするんだ?」
 「アメリカが決めるさ」
 「だって、アメリカは遠いじゃないか」
 「日本の政治家は、ワシントンの方を向いている
んだよ」
 「でも、戦争が起こったら、まっさきに
被害を受けるのは君たちだろう」
 「まったくそうさ。だから、戦争なんて
起きてほしくないよ」

 「インドのどこから来たの?」
 「ニューデリーだよ」
 「ニューデリーには、公共交通機関はある?」
 「いや、車の渋滞がひどいよ。でも、最近
地下鉄が出来たけれど。」
 「インドでは、十九×十九まで暗算で覚える、
というのが有名だけど、あれ、本当?」
 「うん? どういう意味?」
 「たとえば、8×8は64でしょう。それが、
十九×十九まで学校で覚えるって、本当なの?」
 「ああ・・・そのことか、それは、当たり前
じゃないの?」
 「当たり前・・・いや、それはインドだけの
ことらしいよ」
 「そうだったのか。もっとも、ぼくは十五×
十五までしかできなくて、その後は筆算するしか
ないけれどもね・・・」

 学会中、関根崇泰との会話はマジな
ものになった。
 関根が発表している実験条件の一部に
疑義があり、
 本格的な議論になってしまったのだ。

 Society for Neuroscience(北米神経科学会)
の会場は巨大であり、
 その隅で、議論は始まった。


巨大な北米神経科学会の会場

 ちょうど、研究室のメンバーで食事に
行くところだったのだが、
 「どこのレストランに行くか適当に決めて、
勝手に歩いていってくれ。ついていくから」
とだけ言って、
 ノンストップで機関銃のように
まくし立てながら、関根と一緒に歩いていった。

 議論は結論が出ず、日本に来る途中でも
何回かメールでやりとりして、
 現地時間水曜午後の関根の発表に間に合わせた。

 はげしいタタカイであった。
 しかし、今となっては懐かしい思い出である。
 アトランタで交わした、会話の数々・・・
 関根、ナイジェリア、ソマリア、インド・・・

 日本に帰ってきてあっという間にモードチェンジ。

 NHKでの打ち合わせ後、
有吉伸人さん(ありきち)の学生時代の
後輩だというフジテレビの小松純也さんと
有吉さんの立ち会いの下、会食。

 大人の会話。小松さんと私には、
「笑い」という共通の関心事項がある。

 眼下に見える渋谷の夜景が、様々なものに
重なって見える。

 有吉さんは、いろいろ大変なことがあるのに、
「この後プロフェッショナルの試写があるから」
とNHKへと消えていった。

 人間の
 社会の成り立ちというものがわかるにつれて、
そのようなものをどっしりと支えている
地球というこの土くれの有り難さも
身に沁みてくる。

10月 19, 2006 at 07:36 午前 |

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» 茂木先生もでしたか・・・ トラックバック 4月8日
10月は、誕生日ラッシュだと少し前に書いたけれど、 もう一人いらっしゃいました。 つくづく、10月生まれの方とはご縁があるようですね。 不思議が重なって、なんだかおもしろおかしくてたまらない私です。 さて。。。本日の本題に入りましょう。 茂木健一郎先生、お誕生日おめでとうございます。 ファンと言いながら、おすすめブログにまでしておきながら、 本日のブログ記事を読むまで存じ上げませんで申し訳ございません。 毎回楽しく、時に目をクルクルさせながら(笑)... [続きを読む]

受信: 2006/10/20 17:02:03

コメント

こんばんは。

ソマリアと言うと、最近のお国事情は少しは良くなったのでしょうか?
5年前の私の知識では、内戦で少女達が兵士に犯される、悲惨な、最も世界の中で悲しい国のイメージでした。

5年前の中国は発展途上国で、日本やアメリカは驚異を感じていたのですが、今ほどの報道は無かったです。

5年の月日は、みるみると国を変えてしまうものだなぁ、と感じます。
また安徽省に行ったのですが、3が月前は、古いビルを崩した瓦礫の後がそこらにあったのです。その一年前は「街は地震で全て崩壊したかのようだった」と現地の住民は言っていました。

3ヶ月の間だに、道路は広げ舗装され、美しい街路樹が植えられ、高層ビルが乱立し、そのスピードぶりに目を見張りました。

中国は活気があり、生き生きとし、規則などくそ食らえという感じ!

横断歩道は怖くて、一人で渡れません。信号無視が当たり前で。だから交通事故はしょっちゅう目撃します。

バスの中、病院の中、所構わず、携帯電話で大きな声で話します。
土地も、人も熱いエネルギーが満ちている感じ。

今回一番印象に残ったのは、ホテル29階のラウンジ兼レストランからみた風景です。
6日滞在した日、全て、街が白いモヤになっていたことです。一見霧のように見えるのですが、霧ではなく、開発による、スモッグではないか、と感じました。その時期、イネを燃やしているのだ、と現地の人は言っていましたが・・・。

長く滞在すると喉をやられます。黄砂もあるし。

帰りに、今までも目にしていたのですが、今回改めて、笑ってしまったのは、上海の空港でパスポートやチケットをチェックする、税関の通路上のインフォーションに「工作員」という表示があって、あれ? 工作員というと、北朝鮮の工作員? 
をイメージしてしまう日本人の私がいました。(笑)工作員の下には、英語でSTAFFと書いてありました。なるほど、なるほど、って感じ。

それにしても、日本に帰ると(いえ私はほとんど日頃日本にいるのですが)日本のテレビのニュースや報道番組は暗く、ドコモ同じネタを繰り返しやっているのでがっかり致します。

投稿: tachimoto | 2006/10/20 1:43:00

国と国のかけ引きと、人間関係の諸々の関係が重なって見える今日このごろです。しかし、この複雑でたいがいしんどい人生が捨てられません。絶対死なないくまむしのように生きたいと思います。

関根さん、心底うらやましいです。こういうタタカイって相手になってくれる人、なかなかいないです。
血肉を師匠からむさぼって、生きてください。
あなたの師匠は、情熱人、血肉枯れない凄い人なのです。・・・
と私は思います。
茂木博士の尊い情熱を心より尊敬いたします。

投稿: 平太 | 2006/10/19 21:18:29

アメリカのタクシーの運ちゃんっていろんな所から来ているんだなぁ。さすがは多民族国家だわ…。で、話し合って見ると我々がパブリックに知っているその国の情報と、現地の実態がずれているのが分かるのか…。

マア、現地の実態と、我々に伝わっていることとは、必ずしも一致はしないものなのだな。21世紀に入って久しいのに、ジャーナリズムもまだまだ不正確な部分もあるものだ。

写真を拝見したけれど、北米神経科学会の会場って、だだっぴろいんですね~。うわ~。

こんなだだっぴろい会場の片隅で関根さんとメール等で熱のこもった議論をしてたなんて…。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/10/19 19:17:37

15×15=225 19×19=361

どちらも 生活数では、ないので できなくていいです。

100×5  1000×5  10000×5 

で 充分です.  語の談 誤の談 後の談 活用

投稿: 一光 | 2006/10/19 9:03:06

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