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2006/10/11

グローバリズムの荒波と日本語のやさしき水域
 
 風邪を引いたときに私が実行している
「民間療法」があって、それはつまりニンニク。
 かなりの確率で、一日で治る。

 さっそく朝、生ニンニクを擦ったが、
ふと気付くとそれに合うおかずがない。

 しかたがないので、ラーメンに見立てて、
味噌汁に入れてぐっと飲んでうっとなった。
 強烈な刺激が喉から胃にむかって流れ落ち、
むせそうになった。
 しばらく平静にして、気を取り直して、
無事ニンニク味噌汁を完飲。
 
 休んでもいられないのである。

 読売新聞の岡本記者と、カメラマンの立石紀和
さんとハチ公前で待ち合わせ。
 立石さんは、「ちっ、ここは汚い風景だ」
とか、
 「これじゃ絵にならないぜ」
といちいちドキリとさせることを言う。
 
 しかし、腕は確か。ガード下で見事なショットを
決めた。

 そして、宮下公園で、私は走らされ、
「そのあたりでジャンプしてください」
という指示の下、『小林秀雄全集 別巻1 感想』
をもって跳躍した。

 ああ、ピカソよ、ヘーゲルよ。

 NHKの打ち合わせ。
 エレベータ・ホールで、椎名誠さんの
番組の宣伝ポスターを目撃。
 そうか、今週の土曜日に教育テレビでやるのか。
 
 思えば、たき火をしながら椎名さんとお話したのは
今年の夏の一つの良き思い出であった。
 どう映像に定着されているのだろう。

 仕事をしながら、吉本隆明さんのお宅へ。

 対談のために何回か伺ってきたが、
とりあえずはこれが最後である。
  
 話は「多様性」の問題から入り、
フーコーがマルクスを単一の巨大な思想家とはせずに、
当時のヨーロッパに並び立つ様々な思想的樹木の
一本に過ぎない、と位置づけていたことに言及。

 そこから、様々なうねうねくねくねがあって、
最後に、吉本さんが、
 「ぼくは、自分に向こうから来るものを、
偶然ではなく、必然としてとらえてきた」
というようなことを話された。

 自分の意志に基づき、何かを能動的に
やる、という局面からは偶然性が排除されている
ように見え、
 逆に世界の側からやってくるものは
コントロールができないゆえに偶然性が満ちている
ように思われるが、
 吉本さんは、親鸞の「行き」「帰り」の
メタファーを援用して、
 いかに受け身を必然としてとらえるか、
という問題が大切だ、と言われたのである。

 行きがけの駄賃に、見かけた貧しき人を
助けることには、単なる偶然以上の意味はないが、
もし、帰り道に貧しき人を助けるならば、
 その一人を助けることに世界の人全てを
助けるくらいの意味があると。

 吉本さんのお話をうかがっていて、
私は、科学における偶然性の概念には、
認知的にみて、ものごととの出会いを正面から
受け止める真摯さに欠ける側面があるということを
悟って、心深く恥じた。

 吉本さんは大きな、森のような、そして
土のように温かい人だった。
 吉本さん、いろいろとありがとうございました。
 またお目にかかる日を楽しみに。


吉本隆明さんとご自宅で。
 
 再び仕事をしながら、読売新聞へ。
 久しぶりに読書委員会。

 鵜飼哲夫さんに、立石さんが撮影した写真を
見せられる。
 空中浮遊していた。

 本当に久しぶりに、委員会後の
A to Z の飲み会に少しだけ顔を出す。

 川村二郎さんが隣りにいて、川上弘美さんが
前にいて、自然に文学談義になった。

 ちょっとカゲキに言い過ぎたかもしれない。
 丸くなったように思っていたが、根は
変わらない。
 何かのきっかけで顔を出す。
 くわばらくわばら。

 一つ気付いたことは、科学というのは
グローバリズムの荒波の中にいるということで、
それは良いことでもあるけれども、
 同時に精神を荒廃させることでも
あるんだと思った。

 文学はもちろん、居並ぶ人文科学系の先生
方は、もちろんマックス・ウェーバーとか
なんとか参照するけれども、
 それはとりあえずは翻訳を通してで
いいのであって(翻訳自体が一つの業績になるの
であって)、とりあえず、やさしい日本語の
世界の中で世界が完結している。

 話題にされていることの端々に、
いきなりがつんとグローバリズムに接続している
科学とは異なる、
 やさしい「ドメスティック」の気配が感じられた。
 そのことを、昨夜はむしろある意味では好ましい
ことのように思い、その感情が一つの発見だった。

 科学論文を書くということならともなく、
ダーウィンのように一つの体系を英語で示す
というのは巨大な胆力がいる。

 昼間、吉本さんと今西錦司さんの話を
していただけに、
 グローバリズムの荒波と日本語のやさしき水域の
対照は身に沁みた。

 吉本さんが柄谷行人さんから聞いたという
話。
 柄谷さんがジャック・デリダとニューヨークで
会った時のこと。
 デリダは、柄谷さんに、「お前の著作を通り過ぎなけ
ればどうしても前に進めない、と思えば、みんな
日本語を一生懸命勉強するだろう。なのになぜお前は
わざわざ英語で本を書くのだ」と言ったという。

 吉本さんは、これまでの生涯の中で、一度も
外国に行っていないのだそうである。

10月 11, 2006 at 08:54 午前 |

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受信: 2006/10/12 4:44:36

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受信: 2006/10/21 15:56:51

コメント

        男は七十過ぎてから

飄々人 吉本隆明さん  どこ吹く風の情  素敵です。

いま 本棚に一冊 ・・ 二冊 三冊 と増えそうです。

何を 何処から尋ねても きちんと答えてくれる人が傍にいる環境  理想です。

いいなぁ  吉本ばななさん

投稿: 一光 | 2006/10/12 17:54:57

お体は元気になられましたか?

ちょっと、偶然か必然か、という感じですが、11日の午後、私はシャンハイ行きのANAに乗っていました。

右隣の座席に強烈なにんにく臭の男性が座っていて、そこら一帯に匂いを振りまいていたのですが、私は私の左側の白人男性に、匂いの元が私と勘違いされていないか、気が気ではなかったのです。(笑)

もしかしたら、その方も風邪を治すためににんにくの摩り下ろしを飲んできたのかもしれないですね。
いや~まいった~という感じだったのですが、とにかくエコノミーの狭い座席ですから・・。

今北朝鮮の緊張もあり、飛行機は乗りたくなかったのですが・・。

茂木先生、人間の体も働き過ぎると擦り切れてしまうので、くれぐれもお大事にしてくださいね。

投稿: tachimoto | 2006/10/12 17:17:02

吉本氏との対談は、何に掲載されるのでしょうか。
ぜひとも、拝読したいです。
いかに受身を必然としてとらえるか。このお考えに、日々の自分を恥じる次第です。言い訳無用で、真摯に日々の出来事に向き合いたいです。

投稿: renren | 2006/10/11 23:44:09

一人を助けるのに世界の人全てを助けるくらいの意味がある…吉本隆明さんのおっしゃることは、なんという重みがあるのだろう。そして、何と宇宙的なのであろう。

一人を救うことは世界人類全てを救うことに通ずる、という一つの大きな「真理」の前には、仮令最先端の科学と言えども、我と我が身を恥じてひざまずいてしまうのである。

「私は科学における偶然性の概念には、認知的に見て、物事の出会いを正面から受けとめる真摯さに欠ける側面があるということを悟って、心深く恥じた。」と、脳科学者も我が身を省みるほど、その真理は深い。

グローバリズム、マルキシズムなど、様々な人の生んだ「…イズム」など、宇宙を動かし行く「法則」と「真理」の前には小さなちりあくたのようなものに相違ない。

グローバリズムの中に身をさらしていると、精神は荒廃するという。それを防ぐ為に、ドメスティックな「水域」が緩衝材の役目を果す。「ドメスティック」な水域も時には魂の荒れを防ぐこともあるものだと思った。

要は、やはりバランスだと思う。
どっちかに偏る事無く、グローバリズムとドメスティックとの丁度好い均衡を保つことが、激動の時代を行き抜く、一つの処方箋となるのかもしれない。

それにしても、吉本さんが1度も外国に行っていないのに、普遍的な思想を持つことが出来たのは、凄いことだと思います。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/10/11 19:26:04

仏様に見えます。吉本さん。

お家におよばれしたら、たぶん、目があった瞬間泣いてしまいそうです。

受け止めてくれるお顔されてる・・。

受け止めてもらいたい。甘えってわかってるけど。

それにしても、茂木博士、まだカメラなれないんですね。

照れてます。視線はずし過ぎ!(笑)

投稿: 平太 | 2006/10/11 19:22:36

今西錦司の本を、ちょうど本日、入手したところだったので、この日記を読んで驚きました。偶然ですね(^^)

投稿: ほしの | 2006/10/11 13:52:01

いろいろなことを触発される今日の日記でした。
「向こうからやってくるもの」――それは他者でしょうが、それを受け入れるための精神の深いレベルでの私たちの用意はいいでしょうか。ふれあってもそれと通り過ごしてしまっていることがあれば実に哀しいかな、ですね。力ある他者はしかし、有無を言わさず私を鷲掴みする力を持って現れます。そんな他者と出会うことがたまにでもいいからあればいいのですが。しかし、こちらからも他者にそれを贈与できなければいけないのでしょうけれど。

投稿: 五十嵐茂 | 2006/10/11 10:19:11

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