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2006/10/24

いつ、どこにいても孤独に

私は活字中毒の気があって、
何か読んでいないと気が済まない。

 今、トイレには、角川の歳時記と
昆虫脳の本が置いてあって、
 今朝はバッタの飛翔について知った。

 前翅と後翅の振動の周期の位相のずれ
の図を眺めた。
 バッタのカラダという拘束条件の
下では、このようなずれが空中に浮遊し続ける
上で必要なのだろう。
 
 突然、そうか考えるということは飛び続ける
ことか、と思った。
 思考が浮遊し続けるために必要な、
脳内の神経細胞の配置と活動とその相互関係。

 何かについて考え続けていて、ふわっと
 うまく浮かび上がれた時の何とも言えない
高揚感は、まさに飛行の原理に基づいている。

 東京都現代美術館で、大竹伸朗さんと
対談。

 カメラが回り始める前は、エッセンシャルな
ことを喋ってはいけないので、
 どうでもよいことを話す。

 「大竹さんの名前は、なぜ、シンローというの
ですか?」
 「さあ。親にも聞いたことがないな」
 「結婚式の時は、やはり、シンローが、という
ところで受けたんでしょうか」
 「それは、小学生の時から言われていたよ。
本番でも、シンローのシンローが、と言われたよ。」
 「シンロー指導とか、そんなことはなかったですか」
 「それはなかったな」
 
 「大竹伸朗全景」展は、
作品数の膨大さに圧倒される。
 2000点。
 作品の設置には、5週間かかったという。

 一つひとつの作品の「つくりこみ」も

強烈。
 そして、継続する意志。
 「代表作」とも言えるスクラップブックは、
なんと一万頁以上あって、
 ほぼ一日一頁の「スクラッパー
活動」をした計算になると言う。

 「とにかく、何か描いていないと気が済まない
わけよ。貼るのが快感なわけ。かといって、
スクラップするためにコレクションするという
こともなくて、身の回りにあるものを貼る。
タダ、ということが大事なんだと思う。」
 「わざわざお金を払って手に入れる、ということは、
そこに作為が入ってしまうからダメだという
ことですね。無意識から上がってくるものとの
関係、という意味でも意識の経済圏に
閉じこもってはいけない。」
 「とにかくさ、偶然、というのがいいと思うわけ。出会った時に、ああ、これはそのうちに何かに
使えるな、というんじゃなくて、もっと強烈に
衝動が生まれるんだよね。」

 大竹さんは、マルセル・デュシャン
のことを一貫して「画家」だと思ってきたという。
 
 「いわゆる「レディ・メード」も、あれを
「絵」だと思ったときに、よりラジカルに
感じられるんだと思うんだよね」
 「つまり、全ては画材だということですね。
岩絵の具は、自然の中にある岩を拾ってきて、
加工してつくる。それと同じように、時には
立体物をも張り付けるという行為が、画材で
何かを構成していく「絵」に通じる。」
 「それとさ、マチエールだよね。油絵の
あの独特の絵肌あるじゃない。色だけじゃ
なくて、さまざまな「すでにあるもの」
のマチエールに惹かれる」

 大竹さんの日本の描き方は独特である。
 日本をモチーフにしていながら、
私たちの知っている日本、すでに表象空間の
中でキッチュに定型化したそれとは違う。

 西洋の美的伝統の中での「普遍」に対する
「特殊」をやや偽悪的に衒うのではなく、
 もっとすっきりとした、透明感のある
表現に達している。

 その秘密は何なのだろう、
と大竹さんが青年期に二万円を握りしめて
赴き、一年間朝から晩まで働いたという北海道の
「別海」の牧場時代の絵や写真を眺めて考えている
うちに、ああそうか、大竹さんは孤独なんだ、
と思った。

 いわゆるキッチュな日本の描き方は、
見るものとの共犯関係を前提にしている。
 大竹さんは、そのような相手との
なれ合いを潔しとしない。

 主観が変われば、風景も変わる。

 「日本人の一人ひとりが、もっと自分自身
だけで立って、孤独になるだけで、日本という
国は変わるかもしれませんね。」

 そのように私は大竹さんに言った。

 大竹さんが、東京芸大近くの「車屋」まで
来てくださった。
 植田工がいろいろなところに
電話して、芸大の学生が10名ほど集まった。

 本音と本気の、芸術談義。このような
時間が楽しい。

 粟田大輔と植田工が、大竹さんと話し込んでいる
ところをパチリと撮った。

 大竹伸朗さんは、いつ、どこにいても
孤独に見える人である。
 大竹さんといる間に、何回か、
思考がふわりと浮遊した。

左から、粟田大輔、大竹伸朗、植田工。
根津の「車屋」にて。

10月 24, 2006 at 09:02 午前 |

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コメント

おれ、芸術やってっけど、カッコつけてるわけじゃねんだよ。

そこんとこ、夜露死苦。

ってTシャツが言ってます。
芸術家のかたや、その方面を志してる人って、開拓者のように、
エネルギー感じますね。

目や、姿勢が熱いです。
その姿勢いただきです。勝手に感謝!

投稿: 平太 | 2006/10/25 22:26:03

「継続する意志」
なぜ、ご存知なのでせう。
わたしに必要な言葉。つまり私に欠けている心構え。
また本日も感謝申し上げます。

大竹伸朗さんのあのコラージュ、ずっと継続されていらしたのですね。

明日も一日ちゃんと過ごします。。。
そうそう、そして、TVくらい観ましょう。(番組がDVDになったらいいな‥。)

投稿: Sakura/shi-shi | 2006/10/24 23:13:25

そうか!と考えることは飛びつづけること…たしかにそうなのに違いない。
何かについて考え続けていて、突如、思考がふわりと浮かび上がる時に何とも言えない高揚感を感じるのは「飛行の原理」に通じるというわけか。

人は物事を考える時、脳内で飛躍、飛躍を繰り返すのかもしれない。

大竹伸朗さんとの語らいで、何時何処にいても孤独な人というのはいるのだということを悟った、フラワーピッグこと茂木先生。このときにフラワーピッグの脳内で思考の飛躍が起こったのに相違ない。

思えば、アキバ文化にせよ、その他の日本に溢れるポップアートにせよ、見手との「共犯=馴れ合い」関係とは関わりなく、一人だけで孤高にしているものはきわめて少ない。

考えて見れば、岡本太郎も、見手との馴れ合い関係で芸術をクリエイトした訳ではない。それはデュシャンも、サルヴァトーレ・ダリも同様であろう。彼等は明らかに「一人立つ」ということを最後まで身をもって貫いて、一生を終えた。

作り手、見手との馴れ合いででき上がっている「世界」に眼がなれてしまった我々も、もっと一人でたって、孤独、孤高にならなければ、つまり、互いとの「馴れ合い」根性を棄て、自分の力で立たなくては、この日本という小さな島国世界を変えることはできない、ときょうのエントリーを読み、銀鏡子は思うのであった。

そうだ、この島国に住まう我等は「一人立つ」ということがいまこそ必要なのだ!


大竹伸朗さんと同じように、実はフラワーピッグも「一人立つ」を身をもって貫く「孤独」の人なのではないか。どれだけ人に評価され、人に囲まれても、茂木先生は明らかに「一人立って」いる。だから先生はぶれると言うことが無いのだな。……と思う銀鏡子であった。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/10/24 19:35:34

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