石川賢治 東京芸術大学 講義
Lecture Records
東京芸術大学 美術解剖学 講義
石川賢治
2006年10月30日(月)
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
音声ファイル(MP3, 72.8MB, 79分)
10月 31, 2006 at 08:34 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
Lecture Records
東京芸術大学 美術解剖学 講義
石川賢治
2006年10月30日(月)
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
音声ファイル(MP3, 72.8MB, 79分)
10月 31, 2006 at 08:34 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
moonstruckという言葉がある。
Dazed or distracted with romantic sentiment.
という意味。
偶然撮影してみた月下の花の写真が
鮮やかな色を呈していることに驚愕し、
「月光写真」というライフワークに出会った
石川賢治さん。
石川さんに、東京芸術大学の「美術解剖学」
の授業に来ていただいた。
静かに、年経た樫の木のように語り出す。
コマーシャル・フォトグラファーとして
大成功し、
経済的にも恵まれ、「プロの写真家になる」
という夢を果たした石川さん。
その人生の絶頂に、転機を迎える。
仕事で訪れたハワイで、月光で撮る写真の
可能性に出会い、これが生涯の仕事と
思い定める。
物質的な豊かさの後に訪れた、
「四門出遊」のごとき覚醒。
まさに石川さんは、月に打たれたのだ。
そして、何ものかの伝道師となる。
授業を終え、皆でそぞろ歩きをする。
上野公園のいつもの場所。
見上げると半月。
植田工と蓮沼昌宏が買い出しの袋を持って
かけつける。
石川さんがプリントを取り出し、
学生たちが石川さんを囲む。
芸大の授業の後の「上野公園での飲み会」は、
セレンディピティによって発見した設いだが、
これほど心地よい時間というものは
やはり一つの奇跡であって、
いつまで続くかわからないし、
植田工も就職が決まってしまったし、
人は去り、関係は変わっていってしまうだろうが、
いつまでも覚えていることで、
「今、ここ」を定着させていくしかないんだろう。
この日記さえも、その縁(よすが)の一つとして。
夜風にふっと
尾道に引っ込んでしまった津口在五
のことを思い出して、
電話して皆で話した。
元気そうで何も変わっていない。
アイツがいた時間は、本当にどこかに行って
しまったのだろうか。
津口も、授業の後の上野公園の飲み会のことを
時々は思い出してくれているだろうか。
まだボクが学生だった時、
小津安二郎の『東京物語』を見て
たまらなくなって新幹線に乗り、
山陽本線を尾道に向かい胸を弾ませ、
千光寺公園から尾道水道を見下ろした。
ちょうど桜が満開で、うららかな陽光の
下ボクは缶ビールを買って飲んだ。
あれ以来、尾道は聖地の一つとなった。
そんなこと、あんなこと。
あの場所に今津口はいる。
渡船を渡り、島に広がるあたたかく心地よい
人のすみか。
去ってしまったものは戻らないが、
共有した時間は、きっと何かのつながり
の感覚として残っていて、
人生のさまざまな局面における
「蜘蛛の糸」になってくれているのだろう。
時間を供にするということ。
何かを「シェア」するということ。
時の流れをポトラッチ(potlactch)する。
それが親愛の情の表現でなくて、何であろう。
月に打たれた石川さんは、向き合ってきた
時間の中で掴んだ大切なものを惜しみもなく
差し出してくださった。
無理をして絞り出しているのではない。ただ、
流れ出してしまうのだ。
自分の内側に豊饒をかかえ、それがあふれ出る
人は世界に対して恵みを与えてくれる。
10月 31, 2006 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
東京芸術大学 美術解剖学
石川賢治
月光だけを使った写真で知られる
写真家の石川賢治さんをお招きしました。
聴講歓迎!
2006年10月30日(月)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
10月 30, 2006 at 08:19 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年11月12日号
(2006年10月30日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第28回
ウィスキーづくりに学ぶ
抜粋
では、どうすれば社会の中に多様性を培うことができるのか? 様々な個性を伸ばすことは、トップ・ダウンでコントロールしてできることではない。ウィスキーの原酒が、同じように仕込んでも自然に異なる個性を伸ばしていくように、人間もまた、放っておけばそれぞれのキャラクターを発展させていくことができる。多様さを強制することはできないのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
10月 30, 2006 at 08:10 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
Lecture Records
「One Man Spaceship」発売記念
ジェフ・ミルズ トークセッション
「エレクトロニック・ミュージックと創造性」
Jeff Mills×湯山玲子×茂木健一郎
2006年10月29日(日)
青山ブックセンター本店にて。
音声ファイル(MP3, 109.2MB, 119分)
10月 30, 2006 at 08:05 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
Lecture Records
茂木健一郎
「科学の恵み、技術の矜恃」
2006年10月29日(日)
東京工業大学 工大祭における講演
東京工業大学 大岡山キャンパスにて。
音声ファイル(MP3, 53.2MB, 58分)
10月 30, 2006 at 08:01 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
学園祭の雰囲気は独特だ。
その青春の熱さに、感染する。
東工大の大岡山キャンパスを歩くと、
いろいろな人が声をかけてきた。
その様子を見ていて、となりに
いた新潮社の金寿煥さんが言った。
「いやあ、みんなさわやかでいいなあ。
ぼくも、もう一度戻りたいなあ。」
「高校生になりたいですか?」
「いや、あの頃は暗黒だったからいやだ。
大学に入って、やっと解放されたんだから。」
確かに、キャンパスは解放区だ。
自転車サッカーのデモンストレーションを
している人たちがいた。
不自由な姿勢で自由を追求する。
いいじゃないか。
「科学の恵み、技術の矜恃」
というタイトルで話す。
しかし、会場の雰囲気とか、もろもろで、
実際には漫談になってしまった。
最低限、大切なことは伝えたと思う。
ガクサイの雰囲気の中で話すのは面白い。
最近のトークの中では、一番
笑いが出ていた。
工大祭実行委員会の諸君の
雰囲気がなんだか初々しくてまぶしい。
ガクサイのパンフレットをつくる
んだって、そりゃあ大変だったろう。
青春のエネルギーを惜しみなくあふれさせ、
浪費させること。
いいなあ。
生命の本質が浪費でなくって、他に
どのようなとらえ方があるだろうか。
そもそも宇宙はやがてビッグクランチで
縮んでしまうか、
熱的死を迎えるしかないのだ。
つかの間の生命のなぎ。その中での、
ぱっと放出されるサンゴの卵のような、
惜しみなき、悔いの無き、潔き。
筑摩書房の伊藤笑子さんもいらっしゃる。
ごめんなさい。『科学の恵み』の
原稿、まだ書けていません。
同じプリマー新書の著者である布施英利さんは
さすが優秀で、
「ダ・ヴィンチ」を上梓した後、
すでにもう「ピカソ」を書き上げたという。
もって範とすべし。
国連大学の裏の
青山ブックセンターに移動。
新潮社の北本壮さんと落ち合う。
金さんから北本さんへの、新潮社ゴールデン・リレー。
Jeff Millsさんはほんとうにいい人だった。
good natured human being.
湯山玲子さんはさすがにクラブ・カルチャーに
造詣が深く、見事なしきりぶり。
通訳をしてくださったのは
アメリカ在住10年、現在はデザイナーを
しているK氏。
カフカと同じ頭文字にしたのは、
紹介していただいた時、お名前がよく
聞き取れなかったからだ。
K氏に火山鯨名刺をお渡した。
あとでメールを
下さると言っていたので、
名前が判明することと思う。
Jeff Mills, 湯山玲子、茂木健一郎、K氏
終演後、Jeffを囲んで四方山話で盛り上がった。
湯山さんと電通の佐々木厚さんは同じ学習院の
出身なり。
以前は、英語で喋ると人格が変わると言われて
いたが、
最近は日本語でも一致してきた。
正確に言うと、一致するような時間帯がある。
外国語の楽しみは、多声性ではないか。
一人のひとの中に複数の声があるからこその
楽しみ。
シャーマニズムのメタファーを援用しても
いいけれども、
とにかく狭い意味での「自分」以外のものを
引き受け、立ち上げるのだ。
明け方、
密林に入って「わあ、こんなに暗いのか」
と魂の底からびっくりする夢を見て起き上がった。
環境をねつ造するという感覚が、依然として
気になっている。
10月 30, 2006 at 07:55 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
Lecture Records
大竹伸朗 × 茂木健一郎
2006年10月28日(土)
東京都現代美術館
『大竹伸朗 全景』
開催記念公開対談
音声ファイル(MP3, 112.9MB, 112分)
10月 29, 2006 at 09:54 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
金曜日は、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の制作にたずさわっている人びと
(「プロフェッショナル班」)の
合宿で箱根へ。
夕食の時間になり、椎名誠さんの
エッセイに出てきそうな古典的日本の宴会
会場へと向かった。
有吉伸人チーフプロデューサーが、
「さあ、これからはじまるぞう!」
というやる気を見せながら、みんなを
待ちかまえる。
「宴会開始!」を待ちかまえる有吉伸人さん。
須藤祐理さんと本間一成さんが漫才をして、
住吉美紀さんが逆立ちをした。
池田由紀さんは、有吉さんにロンドンへの
取材直訴をして、
山本隆之さん(タカさん)は落語家の
ごとくゆらゆらと歩きまわった。
二次会の席に、「松ちゃん」こと、
松本哲夫さんがいらした。
有吉さんが「天才」と絶賛する映像編集の
プロ。
『川の流れはバイオリンの音』など、
国際的な賞を受けた数々の作品で知られる
佐々木昭一郎さんと一緒に仕事をされてきた。
松ちゃんは「あまり完成しすぎたものは
ダメなんだな。できあがり過ぎると、これは
いけない」と言いながら、
自分で、「うん、うん、うん」と相づちを
入れる。
映像の演出論。
私にとってのそのかぐわしい新知見の数々を
ビールで飲み込む。
「松ちゃんは、見えていることが高度過ぎて、言葉に
することがなかなかできないんですよね」
と有吉さん。
朝、起きて温泉に行く時、有吉さんはまだ
春眠のイノシシのように横たわっていた。
その有吉さんと東京に向かって移動しながら、
演出論をいろいろと伺った。
新幹線のこだま号は満席で、通路に立って
ぼそぼそと話す。
「『プロフェッショナル』で、過去の逆境とかを
振り返るシーンで、自動車を運転しながらバックミラーを
見る、そんなシーンを使うじゃないですか。
現在の映像に過去の内省をオーバーラップさせる、
あの手法は以前からあったものなんですか?」
「いやあ、なぜか、車に乗っているとか、電車に
乗っている時の映像に内省的なコメントをつけると、
はまるんですよ。もともと、『プロジェクトX』の
初期に、過去の再現ドラマばかりだとドキュメンタリー
としては不満があるということで、現在の映像に
かぶせたのが始まりなんですけどね」
「自転車を漕いでいるシーンとかだと、ダメなんで
しょうね」
「そもそも、撮影が難しいですね(笑)。しかし、
撮れたとしても、やはり内省的コメントとは
合わないでしょうね。能動的過ぎるんじゃないかな。
電車か何かに乗っていて、午後4時くらいの光が
窓の方からぱーっと差し込んでくる、という感じだと、
過去を振り返るナレーションがぴたりとはまるん
ですけれどもね。」
「歩いている時はどうですか?」
「歩いている時は、それを横からカメラが追うと、
どうしてもそれが視野に入って意識してしまって不自然に
なるので、大抵の場合使えないんですよ。
案外使えるのが、交差点で待っている時のシーンですね。
というのも、交差点には、信号や車など、目を向ける
べき対象がたくさんあるので、取材を受けている人も
それらを見ているうちについついカメラが回っている
ことを忘れて自然な立ち姿になるんですね。
だから、ベテランのドキュメンタリー屋は、
この道を行くとあそこに交差点があるから、と計算して
カメラを回し始めるんです。
あと、交差点で、4隅に電柱があったりすると、
こうぐるっと人物の周囲で回り込みながら撮影すると、
次々と電柱が画面をスィープするので、動きのある
絵がとれるんですよね。」
「やはり、鏡はいいですか」
「初期のドキュメンタリー屋がよく使っていた手は、
床屋からロケを始めることなんですよ。取材対象に、
「まず床屋に行きましょう」と誘って、そこから撮影する。
床屋には、鏡もあるし、変化のある絵がとれるんです。
あと、最初に床屋に行ってしまえば、
取材期間中、髪の毛は基本的に同じですからね。
人物の髪の毛が次第に長くなる、というのは
自然なんだけど、今まで長かったのが、突然短くなる、
というのはヘンですから。」
有吉さんと談義を続けながら、ゆりかもめに
乗って、お台場のフジテレビに行った。
有吉さんの旧友の小松純也さんがにこにこと
現れる。
東京都現代美術館での大竹伸朗さんとの
対談。
大竹さんとは意気投合の朋友なので、
打ち合わせなどゼロでも何の問題もない。
90分+30分はあっという間。
まだまだ話したいことがあって、
100分の1も終わっていない気がする。
ブルータスの鈴木芳雄さんや、
電通の佐々木厚さん、
それに芸大の植田工や粟田大輔が
現れる。
私の大好きな「ミスター・ピーナッツ」
の前で、
森本美絵さんが大竹さんとのツーショット
を撮ってくださる。
「もりもっちゃん」は何時もながらに
仕事が早い。
打ち上げの席でも、大竹さんは熱かった。
ぼくも呼応して久しぶりにかなり噴火。
粟田も、触発されて「おれはやるゾウ」とポーズを
取った。
粟田、やれ。
日本の美術界の輝ける星となれ!
経験を重ねるにつれて、闘いの仕方が、
徐々に洗練されて
行くのは自然の流れであるが、
一番大切なのは、パッション。
熱き思い、これぞという愛がなければ、
全ては空しい。
人工的不自然、自己欺瞞、官僚制度、
形式主義。
私が憎む「人間精神の敵」のほとんど
全ては、
愛の欠如、枯渇が遠因となっている。
だからこそ、「愛なき人」が「権力」や
「世間の名誉」に目を眩ませているのを見ると、
若い頃は反発していたが、
最近ではかわいそうになってしまうのだ。
水道管をひねるがごとく愛がわき出てきたら、
この世は違った場所になるだろう。
もっとも、愛の泉は自らの胸の中にしかない。
10月 29, 2006 at 09:45 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
に向かって移動中。
箱根の山奥で合宿があった。
新幹線で戻り、レインボーブリッジを渡った。
すてきな晴天。
こんな日は、どんなに忙しくても
気は晴れ晴れとしている。
人間の感情に影響を与える
天候の偉大さよ。
10月 28, 2006 at 02:34 午後 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
いくら忙しいといっても、
寿司屋のネタじゃあるまいし、
イクラ何でも忙しすぎる。
そんな一日だった。
オレは007か、と思うくらい、
次から次へといろいろなことを
しなければならなかった。
しかし、どんなに忙しくても、
絶対に「楽しい」と思い続けたい。
それは一種の職業倫理であって、
楽しみ続けなければ、「強化学習」
による神経回路のつなぎ替えがうまく
起こらないものはもちろん、
何よりもベストのパフォーマンスが
得られないからだ。
スケートの清水宏保さんによると、
世界記録が出るのは、むしろ主観的には
「流している」と感じるくらいの楽しい
時だという。
大リーグの選手が緊迫した場面で
ガムをかみながら楽しそうに打席に向かうのも
そのため。
この日記はできるだけ「楽しそうに」
書くことにしているけれども、
それは、実際にも楽しんでいなければ
良い精神の動きが保てず、相手に、自分に、
そして人生に失礼だと思うからである。
電通で「アハ体験」の某タイアップ企画の
打ち合わせ。
ソニーコンピュータサイエンス研究所
からは、私と夏目哲さん、佐々木貴宏さん、
ソニーミュージックの出口豊さん。
ソニーコンピュータサイエンス研究所の
綾塚祐二さんが、素晴らしいhidden figureの数々を
制作。
綾塚さんは、何かを掴んだ!
本当に良く安倍晋三首相に似ている佐々木貴宏さん
が、
「ぼくはこれがいいと思うんですよね」
と総理の重々しさで推薦する。
1−2月頃には、ぐんと力の入った企画を
世間に届けられそうだ。
せっかくだから、「アハ体験」が流行語ナントカとか
ヒット商品ナントカにノミネートされるくらいに
なればいいのだけれども。
ホテル・オークラにての仕事に、
「傷だらけのマキロン」こと、
NTT出版の牧野彰久さんが来て、
私が喋っているのをじっと聞いていた。
マキロンが傷だらけなのは、私が一向に
原稿を書けないからである。
ごめんなさい、マキロン。
終了後、牧野さんが近寄ってきた。
原稿の催促か、と思ったら、それだけでは
なかった。
「今日遅刻してしまったのは、ぼくは
パパになったのですよ。」
「えっ、そうだったのか! おめでとう!」
「今朝だったのです。昨日の夜あたりから
兆しがあって。」
「じゃあ、今日は眠いんじゃない? 男の子、
女の子?」
「男の子なのです。名前は、シリュウに決めました」
「どういう字?」
「ツカサドル、に難しくない方のリュウです。」
「かっこいい名前だなあ」
「司竜というのは、三国志に出てくるのです。
いやあ、茂木さん、一日で人生が変わりましたよ!」
マキロンが色紙を差し出したので、
私は、竜の絵を描いた。
「えーと、おくさんはどんなイメージの人ですか?」
「背が高いのです。年下ですが、しっかりしていて、
ぼくにとっては、おねえさんみたいな人なのです。」
「ふむふむ。」
出来上がった色紙と、マキロンを一緒に撮った。
パパママト アソンデ オオキク ソダツ
ソシテ アマガケル
パパになったマキロンと、私が描いた色紙
「この左側にいて司竜を載せているのが、妻ですか」
「いや、そうじゃなくて、それはマキロンで、右から
顔をのぞかせているのが奥さんのつもりなんだけど」
「なるほど。そういわれればそう見えますね。
ウレシイです!」
マキロンとタクシーで丸ビルに移動。
理化学研究所の講演会。野依良治先生と親しく
お話するのは初めてだった。
先日手術をされた、河村隆夫さんが会場に
いらして、びっくり。
「朝のクオリア日記を読んで、どうしても話を
聞きたくなりまして」と河村さん。
お元気そうな姿に、本当に安心して、
飛び上がるほどうれしかった。
研究所へ。
定例ミーティング。
所眞理雄所長と打ち合わせ。
「ヨミウリ・ウィークリー」
に掲載されるタイアップ記事の取材。
セガから11月30日に発売される
アハ体験の第二弾、
『脳に快感 みんなでアハ体験!』
について。
小俣圭、柳川透と話し込む。
小俣のやっているMcGurk効果のSOMによる
解析における、刺激間の距離関係の深い意味について、
考えて、整理した。
その結果、ある洞察に到達し、
なぜMcGurkという顕著な現象が起こるのか、
その根本的原因が明示化され、
大分見通しが良くなった。
柳川のシミュレーションについては、
その論理的構造をより明確にできたと思う。
Generic neural networkで示せる
functionalな議論と、そのphysiologicalな構造、
機能への接続を区別して考えることが
大事である。
思考を導くものは、「なにかがある」
という引っかかりの感覚である。
「この先を考えると、なにかがありそうだ」
という感覚は、まず間違うことがない。
ただ、必ずいつもそこに行けるとは
限らない。
何かにひっかかり、それに挑み、
苦しい暗闇を抜けて、向こう側に抜けると、
まぶしい明るさが待っている。
それが思考というもののダイナミズム。
黄泉の国をいったん通って、
再び生まれ変わる。
そんな死と再生のプロセスにどこか似ている。
思考とは、その力動の精華において、
実に精神のレインカーネーション(輪廻転生)
となるのである。
10月 27, 2006 at 07:57 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
2006年 独立行政法人
理化学研究所 科学講演会
野依良治
茂木健一郎
泰地真弘人
姫野龍太郎
茅幸二
丸ビルホール
13:00開場
13:30開始
・入場無料
プログラム詳細
http://www.riken.go.jp/r-world/event/2006/kagaku/index.html
10月 26, 2006 at 08:04 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第30回
ヒットの秘密は“トゲ”にあり 〜玩具 企画開発・横井昭裕〜
10年前、社会現象を引き起こし、合計4千万個を売り上げた「たまご型ゲーム」。高齢者を熱狂させた、「すねる」ぬいぐるみ。競争の激しいおもちゃ業界で、ヒットを連打する企画会社の社長であり、現役企画マン、横井昭裕。横井は、ヒットする企画は「トゲのある企画」だと言う。トゲとは、引っかかり、違和感、意外性…。トゲのある企画とは、どうやって生み出すのか。「たまご型ゲーム」という時代を象徴する商品はどうやって誕生したのか。更に、この夏、横井が挑んだ、おもちゃ業界史上かつてない大きな挑戦に密着。ヒット企画マン・横井の仕事の極意に迫る。
NHK総合
2006年10月26日(木)22:00〜22:44
10月 26, 2006 at 07:31 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (4)
読売新聞2006年10月26日(木)朝刊
読書週間特集 脳を生かす本 茂木健一郎
(疾走ジャンプ+渋谷ガード下)
10月 26, 2006 at 07:28 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
「One Man Spaceship」発売記念
ジェフ・ミルズ トークセッション
「エレクトロニック・ミュージックと創造性」
Jeff Mills×湯山玲子×茂木健一郎
2006年10月29日(日)18:00〜
青山ブックセンター本店
http://www.aoyamabc.co.jp/events.html#ao20061029_2
10月 26, 2006 at 07:26 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
東京工業大学 工大祭
茂木健一郎
脳と人間 −科学の恵み 技術の矜持(きょうじ)−
2006年10月29日(日)
14時〜15時
東京工業大学 大岡山キャンパス
西9号館2階ディジタル多目的ホール
(当日12時から配布の整理券必要)
10月 26, 2006 at 07:21 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
『大竹伸朗 全景』展イベント
大竹伸朗×茂木健一郎 対談
2006年10月28日(土)15時〜
東京都現代美術館
各定員200名/当日先着順(メインエントランスにて10時より整理券配布)
/入場無料(ただし、当日有効の全景展チケットが必要です)
10月 26, 2006 at 07:20 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
二日前にヒンズースクワットを
やりすぎて、階段を上り下りする時痛い。
もうしばらくフルマラソンを走っていない。
翌日、太ももが痛くて、
ゆっくりと歩いていたあの頃を
もう一度取り戻すために。
人間が自分の置かれている文脈に
よって変わることはもちろんであり、
ひとりの力ではどうすることもできない
ことも多い。
モーツァルトが、大阪の道頓堀に
生まれていたら、
作曲するにせよ、全く異なるモチーフの
ものを生み出していたろう。
文脈について考える時にいつも
思うのは、お店のこと。
どれほど商品やサービスを充実させて
いても、その店がある場所が人通りの
少ないところだったら、商売は苦しい。
逆に、多くの人が通り過ぎる場所の
店は恵まれている。
夜、ものを考えながら久しぶりに通る
道を歩いていると、
かつて馴染みの店があった。
ふだんからあまり人通りはない。
普通の酒屋さんだったのだろうが、
今はコンビニ風に改装している。
最後に訪れた時には雑誌置き場だった
場所に、野菜が置かれている。
最近、近くにコンビニチェーンがたくさん
進出している。
この店の経営者の夫婦の間で、
雑誌のかわりに野菜を置こうと相談した、
その会話の趣意を想像することができる。
なんだか切なくなってしまって、
入ってキュウリを二本、それにビールを買った。
さてさて私という人間がヒンズースクワットを
すると、
太ももの筋肉細胞は「うわー来た!」
とアクチンフィラメントとミオシンの間に
すべり運動を起こし、
血液が流れ、カルシウムが放出され、
「ヒンズースクワット」という
自分たちが投げ込まれた文脈の中で
必死に活動しようとする。
多細胞生物も、人間社会も、
文脈を引き受けた活動という切なきダイナミクス
なしでは成り立たないなり。
札幌に日帰りした。
タクシーの運転手が、ずっと日本ハムの
話をしていた。
夜の仕事で、東山紀之さんに会った。
姿かたち、歩き方、圧倒的に
かっこよかった。
姿も一つの才能なり。
人はみな、自分の置かれた文脈の中で
生きるしかない。
身長が150センチメートル台だっという
モーツァルト。
ピアノの一オクターブも届いたのだろうか。
天才の間違いないメルクマールの一つは、
自分の置かれた文脈の中で必死に生きることなり。
時には、文脈をねつ造さえしても。
10月 26, 2006 at 07:14 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
朝、たまっていたメールへの返事を
書き始めた。
ものすごいスピードでとにかく書き続けて、
はっと気付いたら、3時間半経っていた。
「茂木さん、メールの返事くれない」
とか
「忘れているでしょ」などと言われるが、
この有り様である。
もうしわけない。
三宅美博研究室の高野弘二君の
博士論文の予備審査を、別日程で
やった。
ソニーコンピュータサイエンス研究所に
来ていただいた。
論文内容には問題なし。
終了後、研究室の何人かと、
五反田の「チェゴヤ」で食事する。
高野の顔を見ていると、ヒゲが濃い。
しかも、髪の毛の生え際のパターンと、
ヒゲの生え際のパターンが、「上下対称」
である。
「お前、ひっくりかえしても同じだなあ!」
私は感嘆して叫んだ。
高野くんとは、学位審査などで何回か
会っているが、
youtubeの話をしたのがきっかけで、
おやっと思った。
「お前、いい感じでオタクなんだなあ!」
私は叫んでばかりいる。
とにかく考える時間を確保するのが
必死の闘いである。
歩くのが一番良い。
精神の空き地をつくり、そこから様々な
植物が生えて怪しい花を咲かせるのを待つ。
心脳問題を解くか、あるいは見通しを
つけなければ
わが生涯は悔いが残るなり。
しかし、心脳問題という「チェス」は、
きわめて複雑で、盤面を見渡すことも難しく、
今が序盤なのか、あるいは一手詰めなのか、
無意識の嵐に耳をすませてもなかなか
わからない。
ここのところの忙しさ、というか
ものごとの立て込みかたは、
一段と密度が増したようであり、
瓶にびっしりと詰まったジェリービーンズの
よう。
大きい粒と小さい粒が入った瓶を揺すると、
大きい粒が上にくる。
ミックスナッツで試してみるとよい。
この現象の根本的原因がまだわかって
いないのだとうことが、西成活裕さんの
『渋滞学』(新潮選書)に書いてある。
私の人生という瓶も、
どうしてそうなるか判らないにせよ、
うまく揺すればソートされて
重要なイッシューが上の方に来るかしらん。
昨日の日記に書いた「昆虫脳」の
本は何かとお問い合わせを受けた。
水波誠さんの『昆虫ー驚異の微小脳』
(中公新書)である。
多くの昆虫たちにとって、そろそろ朽ち果てるか、
冬眠に入るべき季節となった。
それでも、人間たちの脳髄は、木枯らしの
季節がすぐそこに来ても
ますます赤々と熱を発している。
10月 25, 2006 at 05:30 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (3)
私は活字中毒の気があって、
何か読んでいないと気が済まない。
今、トイレには、角川の歳時記と
昆虫脳の本が置いてあって、
今朝はバッタの飛翔について知った。
前翅と後翅の振動の周期の位相のずれ
の図を眺めた。
バッタのカラダという拘束条件の
下では、このようなずれが空中に浮遊し続ける
上で必要なのだろう。
突然、そうか考えるということは飛び続ける
ことか、と思った。
思考が浮遊し続けるために必要な、
脳内の神経細胞の配置と活動とその相互関係。
何かについて考え続けていて、ふわっと
うまく浮かび上がれた時の何とも言えない
高揚感は、まさに飛行の原理に基づいている。
東京都現代美術館で、大竹伸朗さんと
対談。
カメラが回り始める前は、エッセンシャルな
ことを喋ってはいけないので、
どうでもよいことを話す。
「大竹さんの名前は、なぜ、シンローというの
ですか?」
「さあ。親にも聞いたことがないな」
「結婚式の時は、やはり、シンローが、という
ところで受けたんでしょうか」
「それは、小学生の時から言われていたよ。
本番でも、シンローのシンローが、と言われたよ。」
「シンロー指導とか、そんなことはなかったですか」
「それはなかったな」
「大竹伸朗全景」展は、
作品数の膨大さに圧倒される。
2000点。
作品の設置には、5週間かかったという。
一つひとつの作品の「つくりこみ」も
強烈。
そして、継続する意志。
「代表作」とも言えるスクラップブックは、
なんと一万頁以上あって、
ほぼ一日一頁の「スクラッパー
活動」をした計算になると言う。
「とにかく、何か描いていないと気が済まない
わけよ。貼るのが快感なわけ。かといって、
スクラップするためにコレクションするという
こともなくて、身の回りにあるものを貼る。
タダ、ということが大事なんだと思う。」
「わざわざお金を払って手に入れる、ということは、
そこに作為が入ってしまうからダメだという
ことですね。無意識から上がってくるものとの
関係、という意味でも意識の経済圏に
閉じこもってはいけない。」
「とにかくさ、偶然、というのがいいと思うわけ。出会った時に、ああ、これはそのうちに何かに
使えるな、というんじゃなくて、もっと強烈に
衝動が生まれるんだよね。」
大竹さんは、マルセル・デュシャン
のことを一貫して「画家」だと思ってきたという。
「いわゆる「レディ・メード」も、あれを
「絵」だと思ったときに、よりラジカルに
感じられるんだと思うんだよね」
「つまり、全ては画材だということですね。
岩絵の具は、自然の中にある岩を拾ってきて、
加工してつくる。それと同じように、時には
立体物をも張り付けるという行為が、画材で
何かを構成していく「絵」に通じる。」
「それとさ、マチエールだよね。油絵の
あの独特の絵肌あるじゃない。色だけじゃ
なくて、さまざまな「すでにあるもの」
のマチエールに惹かれる」
大竹さんの日本の描き方は独特である。
日本をモチーフにしていながら、
私たちの知っている日本、すでに表象空間の
中でキッチュに定型化したそれとは違う。
西洋の美的伝統の中での「普遍」に対する
「特殊」をやや偽悪的に衒うのではなく、
もっとすっきりとした、透明感のある
表現に達している。
その秘密は何なのだろう、
と大竹さんが青年期に二万円を握りしめて
赴き、一年間朝から晩まで働いたという北海道の
「別海」の牧場時代の絵や写真を眺めて考えている
うちに、ああそうか、大竹さんは孤独なんだ、
と思った。
いわゆるキッチュな日本の描き方は、
見るものとの共犯関係を前提にしている。
大竹さんは、そのような相手との
なれ合いを潔しとしない。
主観が変われば、風景も変わる。
「日本人の一人ひとりが、もっと自分自身
だけで立って、孤独になるだけで、日本という
国は変わるかもしれませんね。」
そのように私は大竹さんに言った。
大竹さんが、東京芸大近くの「車屋」まで
来てくださった。
植田工がいろいろなところに
電話して、芸大の学生が10名ほど集まった。
本音と本気の、芸術談義。このような
時間が楽しい。
粟田大輔と植田工が、大竹さんと話し込んでいる
ところをパチリと撮った。
大竹伸朗さんは、いつ、どこにいても
孤独に見える人である。
大竹さんといる間に、何回か、
思考がふわりと浮遊した。
左から、粟田大輔、大竹伸朗、植田工。
根津の「車屋」にて。
10月 24, 2006 at 09:02 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
Vernaと一緒に移動していると、
次第に、日本のあれこれを
英語を話す人(ないしは、他の言語が母国語だが、
日本語よりも英語が頼りの人)の目を通して
見るようになる。
新幹線のチケットに日本語しか印刷
されていないことに気付いて驚いた。
たとえば、「名古屋」「東京」という
文字しかなく、Nagoya Tokyoとは印字して
いない。
ひょっとすると、券売機で英語表示を
選んだり、窓口で英語で話していると、
「英語で印刷される」モードになるのかも
しれないが、
他の人がチケットを買ってくれる場合も
あるだろうし、
システムとしては英語の表記くらい
ないとまずい。
これでは、自分の持っているチケットの
行き先すらわからない。
日本にもっと観光客を呼び込みたいのならば、
「ようこそ日本」とか、「美しい国」などの
観念論だけでなく、
地道に小さなことを積み上げないと仕方がない。
日本は、文化的には
まだ「鎖国」のメンタリティが強いのかも
しれない。
Vernaと東京駅に降り立ち、
「ああ、いい天気だなあ」
とほっとして、
タクシーを降りたところで携帯の
電話が鳴った。
「聖心祭実行委員会のタナカ
ですが」
「はあ」
「茂木先生は今どちらにいらっしゃいますか?」
それで思い出した。
聖心女子大学の学園祭で講演することに
なっていたのだ。
Vernaと一緒にいて、ついつい頭が
エトランジェのモードになっていた。
正門に着いた時は、もう15分前だったが、
ギリギリで間に合った。
担当している聖心の授業は4月から7月なので、
10月にキャンパスを訪問するのは初めて
である。
講演終了後、実行委員会の人たちが
「一緒に写真を撮っていいですか」
と集まってきた。
3年生は、学園祭が終わると、就職活動が
本格化するのだという。
聖心祭実行委員会の人たちと。
聖心女子大学のキャンパスには、
いろいろなところにマリア像や、
宗教をモティーフにした西洋の宗教絵画がある。
いつも広尾から入る門から教室に直行し、
そのまま帰るので、
薔薇が咲いている庭があることさえ
知らなかった。
どのような環境の中にいるかということは、
知らず知らずのうちに人を変えて
いくのではないか。
その点において、聖心女子大のキャンパスで
学ぶひとたちは恵まれている。
一方、精神の砂漠にいる人は、
自分で環境をイメージし、創造するしかない。
人間は、環境に対して受け身として
だけあるのではない。
環境に影響を受けるのであれば、
それをねつ造してさえしてしまおう。
文学の可能性の一つが、その一点に
あることはふと気付けば当たり前のことではないか。
もう一つの、あったかもしれない日本の
ことを想った。
10月 23, 2006 at 06:59 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (4)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年11月5日号
(2006年10月23日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第27回
一時停止できない「映画」に生命の躍動を感じる
抜粋
私が子どもの頃良く行っていた映画館も、何時でも入退場できた。学校が休みの時期など、ゴジラやモスラなどの怪獣映画がかかって、仲間たちと見に行った。子どものことだから集合時間もいい加減で、ずっと楽しみにしていた目玉の作品でも、平気で途中から入っていた。
ストーリーが進んでしまっていて、重要な伏線や端緒がわからなくても、気にせずに映画を楽しんだ。そして、二回目の上映で最初から見て、「そうか、あの事件はそういう理由で起きていたのか」「犯人はあんな風に証拠を隠したのか」などと頭の中でつないで、それなりに満足していた。映画のストーリーに即して言えば「タイム・トリップ」をしているようなものだったが、それでも構わなかったのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
10月 22, 2006 at 06:12 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
最近は時間がなくてなかなか書けないんだけど、
英語のブログ
は本当は毎日、記したい。
普段当たり前だと思っている日本での生活を
英語で書こうとすると、いろいろ苦労する。
日本語圏では自然にわかることを、
いちいち注記付きで記していかなければ
ならないのだ。
その抵抗感が、つまりは自分たちのことを
外から見る「メタ認知」であり、
無意識の意識化である。
カナダから、15歳の時にホームステイで
お世話になったVernaが来て、
八日市の招福楼にお連れした。
もともと、『和樂』の関係で
来る予定だったのが、ちょうどVernaが
日本に来るというので、誘ったのである。
東京駅で待ち合わせをして、新幹線に乗った。
「最後に日本に来たのは、いつだっけ?」
「1993年だったと思う」
「ランディーとトレバーはどうしていますか?」
「元気よ。ランディーは最近も南アフリカに
行ってきた。忙しく働いている。ケン、あなたは、
以前、ランディーとトレバーでは、ランディーの
方が繊細で、トレバーがタフのように一見
思えるけど、実際は逆だ、と言ったの覚えている?」
「そんなこと言ったかなあ。」
「あなたが言ったことは本当だとつくづく思う。
でも、いつそんなことを言ったのかしら?」
「さあ、いつだったかなあ。」
「1978年の時のはずがないわね。15歳で、
そんなに洞察力があるはずないもの。」
「その後、大学生になってから再び
ヴァンクバーを訪れた時だったかなあ。」
今回の『和樂』の旅はいつものように
橋本麻里さんがコーディネートして
下さっている。
米原で近江鉄道に乗り換え。
小さな駅舎からゆったりと列車行。
Vernaは、車内の制服を着た中学生たちに
興味をもって、盛んに写真を撮る。
それで思い出した。ホームステイした
数年後、Vernaたちが日本にやってきた時、
盛んに小学生や幼稚園児がカワイイと言って
写真を撮っていたことを。
「特に、あの、小鳥みたいな黄色い帽子を
かぶって歩いている子どもたちは、本当に
カワイイ」
尼子で降りて、西明寺へ。
住職一代に、一回だけ公開が許されるという、
秘仏「薬師瑠璃光如来」を拝観する。
この前に公開されたのは、52年前だと言う。
人々がにじり寄るようにその姿を
見上げている。
私も、順番を待って、膝で歩み寄るように
身体を曲げて拝した。
細部はよくつかめないが、その神々しい
お姿がかいま見える。
突然、「ああ、そうか」と気付きの瞬間が
訪れた。
秘仏の何年に一度の公開、というのは
時々話に聞くが、実際に体験するのは
初めてである。
その意味のようなものが、自分の中で
納得がいった。
「橋本さん、今回の和樂、もう書けましたよ。」
「待ってください。本来の目的の招福楼は
まだですから。」
脳の機能の本質とは何か。
私にとっては、今まで気付かなかったことに
目を開かされるというのが何よりの
よろこびで大事だから、
そのような語り口になる。
思うに、人は、自分の体験の中で
何が大事かを整理して、
その世界観の下に、「脳はこのような機能を
持っている」という「語り」をするのでは
ないか。
脳語りが、自分を映し出す鏡なのである。
招福楼には、以前「おしら様哲学者」
塩谷賢と訪れた。
それ以来の再訪。前に来た時は昼で、
庭の白砂が目に鮮やかだったのを覚えている。
85歳になるという招福楼の
ご主人が茶室で薄茶を振る舞って
くださった。
橋本さんの友人、武者小路千家の若宗匠、
千宗屋さんがご紹介下さったのである。
ご主人は、もう60年間も
京都の武者小路千家にお稽古に通われている
という。
和ろうそくに照らし出された
茶室の中で、至上の時。
かつてそのような夢を見たような気がする。
やがて
食事の間へ。
Vernaが正座をしにくいというので、
椅子を持ってきてくださった。
床の間を背に、まるで女王かエンプレスの
ように見える、とVernaをからかった。
床の間を背に、EmpressのようなVerna
いちいち英語で説明していく中で、
伝わるよろこびと、ぽろぽろと指の間から
砂がこぼれ落ちていくような悲しみと。
日本語圏の中でしか成立しない意味の
数々があふれて流れ消え、そのかわりに、
全く別のなにかが立ち上がる。
この世界で生きていく上で最も
大切なことのひとつは、お互いに容易に
理解し合えない、しかしそれぞれが
固有の豊饒を抱いた世界の間で引き裂かれる
ことを体験することではないか。
そのようにして、初めて世界の中に
並列する不可視で多様なものたちの豊かさに
感謝する気持ち、簡単には見ることのできない
他者を思いやる心が生じる。
一つの世界の中での安住よりは、
引き裂かれてありたい。
そのようにして、初めて魂の運動が始まり、
気付きの時も訪れる。
10月 22, 2006 at 06:02 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (3)
今朝もマラソンをしてきた。
合同住宅に住んでいる方々にとっても、
北江古田公園や、駅に抜ける際に
つかっていた、とても気持ちの良い
スロープだったのだと思う。
それを、わざわざ川にあるフェンスとぎりぎり
のところにもう一つフェンスをつくった。
何の意味があるのか、理解に苦しむ。
後世のために、記録しておくことにする。
公園の入り口に設置された立て札
(2006年10月21日朝撮影)
スロープ。奥に見えるのが、新たに設置されたフェンスで、
川沿いのフェンスと1メートルくらいの距離しか
なく、通過しにくい。青シートで
テントを張っているホームレスの方々が、
居にくくなる場所に設置されている。
(2006年10月21日朝撮影)
10月 21, 2006 at 10:03 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
誕生日の朝、近くの森でジョギングを
していたら、
3月31日の日記
で書いた場所とは
別のところに、またフェンスが出来ている。
私は、さっそく中野区の公園課に電話した。
「私たちも驚いたのです。いつの間にか
フェンスがつくられていたのです。あそこは、
財務省の住宅の敷地ということで、
突然フェンスがつくられたのです」
との答え。
嫌な予感はしていた。
斜面に大木が生えるその気持ちの良い
土地の川べりに、
しばらく前から青いビニルシートが
幾つか点在していた。
そのうち、何かをするんだろうと
思っていたが、
まさか、そのビニルシートぎりぎりに
フェンスをつくるというような
姑息なことをやるとは思わなかった。
中野区の公園課に聞いた財務省の
電話番号にかけた。
「国有財産の保全」のために、
フェンスをつくったのだという。
「ご存じのように、ホームレスの方も
いらっしゃいますからね」と担当者。
フェンスをつくると、どうして
「国有財産が保全」されるのか、
理屈がわからない。
ただ、気持ちのよい斜面があるだけなのに。
「ホームレスの方々に退去して
いただくためには、もう少しソフトな
やり方もあったのではないか」
とだけ申し上げて、電話を切った。
この件については、いろいろ書きたいが、
今は気力がない。
かつて、新宿駅西口の地下街に
意味のない突起物をつくったセンスと
同じである。
なぜ、そのような行為を私が
イヤだと感じるのか、
おそらく言ってもわからないだろう。
話が通じない相手に何を言っても
無駄である。
東京大学の情報学環に西垣通さんを
訪ねる。
とても書ききれないほど、
いろいろなインスピレーションを
いただいた。
西垣さんが、日本では孤立しているように
感じることがあるとおっしゃったので、
私は養老孟司さんの話をした。
「養老さんの最近の一連の著作は、
自分がその中では住みにくかった日本
という社会の本質がどこにあるのか、
その由来を一生懸命解き明かそうとして
いたんだと思うんです。
バカの壁とか、世間とか、
脳化社会とか。
そう思うと、なんだか切なく思えて
くるんです。」
西垣さんに誘われて、学士会館分館で
昼食。
本当に楽しい時間であった。
「あっ、ぼく一時から会議があるから
行かなくては」
「すみませんでした。もう5分過ぎていますよ」
「いいんです」
西垣さんをお見送りし、
しばらく、NTT出版の佐々木元也さんと
お話する。
ぼんやりと本郷三丁目まで歩いた。
途中に、「かねやす」がある。
竹内薫と、徳間書店から
出ていた「トンデモ科学の世界」
の新装版用の対談。
奇しくも、文庫化してくださる
大和書房の松浦早苗さんがゲラを
取りにいらっしゃる。
文庫のデザインができあがっていた。
単行本と文庫本。
新旧の本が並んだ。
本家「トンデモ科学の世界」と文庫本
「最近は、科学がトンデモだというより、
政治がトンデモなんじゃないか」
私の気分がほろ苦だったのか、それとも
薫に触発されたのか。
竹内は、そのうちニューヨークにでも
暮らし出すんじゃないかと思う。
六本木ヒルズ。審査員を務めさせて
いただいた、
三菱化学ジュニア・デザイナー・アワード
の表彰式。
http://www.m-kagaku.co.jp/mcjda/award/awd01_index.html
受賞者たちの顔は、未来への希望に輝いていた。
夜の六本木を、森の静寂をとっくの昔に
忘れてしまったような表情の人たちが歩く。
それでも、希望という木漏れ日だけは残る。
世界が、それほど美しい場所ではない
と思える日もある。
そんな時、ふとカナダの湖のほとりに引っ込んだ
グレン・グールドの生涯を思う。
一年に一回、誕生日くらいは、
soul searchingをしてしんみりとするのが
相応しいのだろう。
10月 21, 2006 at 09:08 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
タイト・ロープの上を歩いているような
スケジュールで生きているから、
何か一つ不具合があるとメルト・ダウンする。
Eudoraがまたおかしくなった。
メールをダウンロードしながら
別のメールを書いていたら、
「処理中」のくるくる矢車(のように
見えるアイコン)が回ったまま、反応
しなくなってしまったのだ。
以前にもEudoraはおかしくなった
ことがあり、その時の記憶をたどって
eudora settingsなどをreplaceして
なんとかしのいだ。
しかし、その間、メールの送受信が
できず、時間が空しく過ぎていった。
こういうのは、本当に痛い。
もっと安定したソフトウェアという
ものはできないものかしら。
そもそも、何だか再び風邪気味だった。
無茶苦茶なスケジュールを考えれば、
ムリもない。
これはまずいぞ、というので、
収録の時にいただく弁当よりも
温かいものを、ということで、
ばらえ亭に行って、わんたんメンを食べた。
それで少しはほかほかしたような
気がして、
収録の時に着るシャツは肌の上にいきなり
なので、それだとスースーするだろうという
懸念を払拭し、そのまま本番に臨んだ。
ゲストの
サントリーのチーフ・ブレンダー、
輿水精一さんがスタジオに入り、見つめる
中で、私と住吉美紀さんがウィスキーの
樽の横に立った。
「V字」のテーブルの上には
原酒がずらりと並んでいる。
FDのコデリン(小寺さん)が
紙コップに入った水を持ってきてくださった。
一口飲んで、「うゎっ」となり、
笑ってしまった。
「これ、ウィスキーが入っていますよ!」
スタッフが笑い出した。
セッティングの時に余ったウィスキーを、
紙コップに入れてあって、
それをお茶と間違ってしまったのだ。
オープニングの顔が赤ら顔になるんじゃ
ないかと懸念されたが、
幸い絶妙な分量で、酩酊もせずに
かえって身体が温まって風邪が吹っ飛んだ。
私は、「響 17年」で風邪を治したのである。
輿水さんとの対話は、インスピレーションに
満ちていた。
詳しくは『プロフェッショナル』のHPに掲載
されるキャスターコラム、及び
『読売ウィークリー』で。
収録後、「茂木さんはもう少し残っていて
ください」というので、何だか変だなあ
と思いながらV字のテーブルのところにいると、
なんとロウソクの火が揺れるケーキが!
翌日(10月20日)が私の誕生日だというので、
バースデーのお祝いをしてくださったのだ。
感激。一気に吹き消す。
みなさん、ありがとうございます。
ケーキは、スタジオ横の待合いスペースで
振る舞われた。
私がもらったピースには、名前入りのホワイト
チョコレート。
スタジオでお祝いしていただいたバースデー
住吉美紀さんの横で、デスクの山本隆之さん(タカさん)が
おいしそうにケーキをほおばる瞬間をぱちり。
ケーキに向かってのタカさんの「前傾姿勢」に、
「やる気」を感じた。
住吉美紀さんの横でケーキに前傾姿勢の山本隆之さん
eudoraの不具合の根本理由は以前として
わからず。
何とかご機嫌ナナメにならない、という
形での「そろそろ運転」が続いている。
「響 17年」で何とか持った形の
私も、徐行運転をした方が良いのかしらん。
10月 20, 2006 at 08:36 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (1)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第29回
さらけ出して 熱く語れ
〜経営者・新浪剛史〜
売上げ1兆4千億円、グループ全体で16万人を束ねる大手コンビニエンスチェーン社長、新浪剛史47才。5年前、大手商社の一サラリーマンから転身し、コンビニの変革を担う。日本経済界の新世代と呼ばれる40代経営者の代表格だ。好調といわれるコンビニ業界だが、内情は既存店の売り上げ7年連続減。 「変わらなければいけない」が新浪の口癖だ。新浪は、誰にでも分かるシンプルな言葉で、何度も同じことを繰り返し伝える。どう人に伝え、どう人を説得するか。トップに必要な能力は「コミュニケーション」だと新浪は言い切る。高齢者や女性をターゲットにした新業態など、既存店の大改造に乗り出した新浪はこの夏、大きな決断をしようとしている。企業カラーの「青」を変える。コンビニが「変わろうとしている」ことを社員や加盟店のオーナーに伝えることがねらいだが、現場の反発は必至だ。 新浪はどうやって、現場に伝え、説得するのか。既存店の厳しい現状もふまえながら、新世代経営の旗手の仕事の現場を描く。
NHK総合
2006年10月19日(木)22:00〜22:44
10月 19, 2006 at 07:39 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (5)
アトランタで面白かったのは
タクシーの運転手との会話だった。
アフリカから来た人が多かった。
ナイジェリアからの人に二回、
ソマリア出身者に一回当たった。
「ナイジェリアって、人口が
日本と同じくらいじゃなかったっけ?
日本の人口は、1億2000万人くらい
なんだけど」
「いや、今は2億人いるよ。80年代
には、それくらいだったけど。」
「2億人! そんなにいるんだ。すごい!
ナイジェリアはサッカーが強いね」
「ああ。でも、ここでは、サッカーに興味を
持つ人はほとんどいないよ。そんなスポーツ
ってあったっけ、ていう感じだよ。自分たちが
やるスポーツ以外は、この世に存在しないと
思っている。」
「ソマリアの経済はどう?」
「経済なんて、ないも同然だよ。ところで、
北朝鮮の核の問題は、やっぱり心配かい?」
「それはそうさ。日本は核爆弾の被害を
受けた唯一の国だからね。」
「で、どうするんだ?」
「アメリカが決めるさ」
「だって、アメリカは遠いじゃないか」
「日本の政治家は、ワシントンの方を向いている
んだよ」
「でも、戦争が起こったら、まっさきに
被害を受けるのは君たちだろう」
「まったくそうさ。だから、戦争なんて
起きてほしくないよ」
「インドのどこから来たの?」
「ニューデリーだよ」
「ニューデリーには、公共交通機関はある?」
「いや、車の渋滞がひどいよ。でも、最近
地下鉄が出来たけれど。」
「インドでは、十九×十九まで暗算で覚える、
というのが有名だけど、あれ、本当?」
「うん? どういう意味?」
「たとえば、8×8は64でしょう。それが、
十九×十九まで学校で覚えるって、本当なの?」
「ああ・・・そのことか、それは、当たり前
じゃないの?」
「当たり前・・・いや、それはインドだけの
ことらしいよ」
「そうだったのか。もっとも、ぼくは十五×
十五までしかできなくて、その後は筆算するしか
ないけれどもね・・・」
学会中、関根崇泰との会話はマジな
ものになった。
関根が発表している実験条件の一部に
疑義があり、
本格的な議論になってしまったのだ。
Society for Neuroscience(北米神経科学会)
の会場は巨大であり、
その隅で、議論は始まった。
巨大な北米神経科学会の会場
ちょうど、研究室のメンバーで食事に
行くところだったのだが、
「どこのレストランに行くか適当に決めて、
勝手に歩いていってくれ。ついていくから」
とだけ言って、
ノンストップで機関銃のように
まくし立てながら、関根と一緒に歩いていった。
議論は結論が出ず、日本に来る途中でも
何回かメールでやりとりして、
現地時間水曜午後の関根の発表に間に合わせた。
はげしいタタカイであった。
しかし、今となっては懐かしい思い出である。
アトランタで交わした、会話の数々・・・
関根、ナイジェリア、ソマリア、インド・・・
日本に帰ってきてあっという間にモードチェンジ。
NHKでの打ち合わせ後、
有吉伸人さん(ありきち)の学生時代の
後輩だというフジテレビの小松純也さんと
有吉さんの立ち会いの下、会食。
大人の会話。小松さんと私には、
「笑い」という共通の関心事項がある。
眼下に見える渋谷の夜景が、様々なものに
重なって見える。
有吉さんは、いろいろ大変なことがあるのに、
「この後プロフェッショナルの試写があるから」
とNHKへと消えていった。
人間の
社会の成り立ちというものがわかるにつれて、
そのようなものをどっしりと支えている
地球というこの土くれの有り難さも
身に沁みてくる。
10月 19, 2006 at 07:36 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
『生きて死ぬ私』 (ちくま文庫)
は増刷(4刷、累計18000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。
10月 18, 2006 at 03:56 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
2分のタッチの差で成田エクスプレスに乗車。
東京駅から仕事をしながらタクシーでNHKに来て、
今5階の食堂でポークカレー300円を
食べてほっと一息ついている。
カレーはおいしいなあ。
機内食でいろいろ出たけれど、
やっぱりカレーが一番だ。
カレーでこれからの仕事への英気を養う。
となりの人が眠っていて、何となく悪いなあと思って
パソコンも論文もゲラも取り出さなかったので、
たっぷりと世間離れしたことを考えることができた。
10月 18, 2006 at 03:45 午後 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
空港にいる。
あと数分で飛行機にのる。
今朝は4時に起きてずっと仕事をしていて、
ごはんを食べ損なった。
いつもお腹を空かせている。
ニュースはずっとNorth Koreaのことをやっている
飛行機の中では浮き世のことを忘れるつもりなり。
10月 17, 2006 at 10:39 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年10月29日号
(2006年10月16日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第26回
多様性こそ脳の栄養
抜粋
先日、作家の小川洋子さんにお目にかかって対談した時、小説と数学は似ているという話になった。
小説において、ある作品の印象は、最初から最後までその文章を追っていかなければつかむことができない。一部分の断片的な引用は、強い印象を与えたり、記憶に残ったりはするが、その小説そのものの味わいとは違う。小説の魅力は、最初から最後まで文字を丹念に追って行った時に受ける感銘にあるのであって、それは、強いて言えばその小説全体の中に宿っているとしか表現しようがないものである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
10月 15, 2006 at 09:05 午後 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
こっちに来る前に、関根崇泰が
ネットで天気を調べて、
「わっ、2℃とかになっていますよ」
と言っても、誰も信じなかった。
アトランタは「南部」というイメージが
あったからである。
私も、「お前、何か勘違いしているんじゃ
ないか」
と言って相手にしなかった。
ところが、来てみたら本当に寒かった。
昼間は暑いくらいだが、夜になると
ぐっと冷える。
Society for Neuroscienceは、二万人以上が
くる大学会で、
会場のGeorgia World Congress Centerも
巨大である。
セッションの時間が終わり、
学生たちはオリンピック・パークに
いると言うので、
さっそく行ってみた。
噴水のそばに全員集合している。
数えてみると、私を入れてちょうど10人。
修士一年の石川と野澤をのぞいては、
みんな発表する。
南部料理を食べにいった。
会話の途中で、探索の話になり、
「アトランタ・ム」に探せばいいんじゃないか
と言ったら、しーんとした。
関根が、ぼそりと、「ある年齢になると
そういう冗談が面白くなるんでしょうね」
と言った。
私は腹いせに赤ワインを関根のグラスに入れて
にらみつけてやった。
食後に行ったパブはアフリカ系の人たち
ばかりで、
おじさんがポラロイド写真を売りつけに来た。
みんな寒いと言っているのに、星野英一
だけはTシャツを着ている。
「お前、寒くないのか?」
と聞くと、「寒くはないですが、お腹がいたいです」
と言ってビールを飲まない。
外に出るとますます寒い。
星野が、
「今朝、ホテルのそばを散歩していたら、
黒人のおじさんが、厚着で歩いていて、
ぼくを見て、Aren't you cold?と聞いたんです」
と言いながら相変わらずTシャツで歩いている。
ファイヴ・ポイントという地下鉄の駅で
星野の写真を撮った。
「もっと寒そうにしろ」と言ったけれども、
へらへらしていた。
持っているのが学会のバッグである。
「お前寒くないのか?」と言われた星野英一クン
(茂木研究室修士課程)
私だけホテルの予約が例によって出遅れて
中心街がとれず、
離れたBuckheadという地域に泊まっている。
ところが、ここは実はバーやレストランが多いところ
らしい。
地下鉄の駅で降りて、暗い夜道を歩いていると、
うまそうなステークハウスがあった。
仕事をたくさん持ち込んでいるので、
朝早くえいやっと起きて始めた。
途中で、
お腹が空いて、もうダメだ、となったので、
ルームサービスで「アメリカン・ブレックファースト」
を頼んだ。
ハッシュブラウンを9割方食べ終わった頃に、
トマトケチャップがあることに気付いた。
しまった。大好物である。
BGMとしてFOXテレビをかける。
完全に共和党御用達なり。
その一方で、
ニューヨーク・タイムズに健全なる批評精神を
見る。
今年のノーベル平和賞の対象になった
「マイクロ・クレジット」について、
「最貧困層ではなく、境界層に融資した方が
経済発展を促すのではないかという批判もある」
と書く一方で、
「Yunus氏は人間的温かさを伝えることの
できるすぐれたセールスマンでもある。クリントン
前大統領が主催した会議で、「物乞い」の人に、
どうせ家を回るんだったら、その時小さな商品を
持って売ったらどうだと提案した話をして、
そのすぐれたアイデアに、会場から感嘆の
声が上がった。最後に、Yunus氏が、「今までに
たくさんの人々が、物乞いの生活から抜け出しました」
と言うと、拍手がしばらく鳴りやまなかった」
と熱い思いもにじませる。
同じお金を貸すのでも、動機は大違いだ。
東京の街頭でティッシュをもらうのも、何だかはばかられる。
そろそろ明るくなってきて、
木の梢がオレンジ色に染まってきた。
10月 15, 2006 at 09:00 午後 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
アトランタに到着。
なぜか、税関のあとまた荷物検査があり、
サウス・ターミナルの4番で
再び受け取れと荷物を取り上げられた。
地下鉄でターミナルをE、D、C、・・・と移動する。
最後がTerminal T、
BはブラボーのB、
(B as in Bravo)
TはタンゴのT
(T as in Tango)
とアナウンスが流れる。
Buckheadに行ってくれと言ったら、
「週末にBuckheadに行くのは大変だぜ」
とドライバーが言った。
電話で話し始めたが、何語かわからない。
今回来たのはSociety for Neuroscience annual
meetingのためである。
学生たちや、田谷文彦、張キさんは、
すでに先にアトランタ入りしている。
高速道路から、Coca Colaというロゴの
入ったビルが見えた。
10月 15, 2006 at 05:42 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
東京芸術大学 美術解剖学の後期の授業は、
2006年10月30日(月)から再開します。
当日は、月光を用いた写真で知られる
石川賢治さんをゲストにお招きいたします。
茂木健一郎
10月 14, 2006 at 09:04 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
年間1300冊も出版され、世界的にも珍しい絵本博物館が30館もあるなど、日本は今、絵本ブームだ。1956年、月刊絵本「こどものとも」が発売されて以来50年、絵本は進化してきた。加古里子、五味太郎、長新太ら多くの才能を輩出し、科学絵本やナンセンス絵本など多彩な絵本も誕生。絵本好きとして知られる作家・探検家の椎名誠がピアニストの山下洋輔、脳科学者の茂木健一郎らと対談。絵本の魅力とは何かを探る。
NHK教育/デジタル教育1
2006年10月14日(土)22:00~23:30
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=700&date=2006-10-14&ch=31&eid=12286
10月 14, 2006 at 09:01 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (1)
羽生善治さんと対談する。
途中、柳川透が来た。
アメリカ行きの飛行機のチケットを
研究所に取りに立ち寄る時間がなくなって
しまったので、
柳川に持ってきてもらったのである。
羽生さんの話が聞けるという「ボーナス」
付きである。
記憶の話が中心になった。
「羽生さんは、やはり谷川さんが最大のライバル
という感じですか?」
「そうですね、何となく感性が合うというか、
他の人との間では起こらないようなことが
起こる、という感覚はあります」
「今までに、どれくらい指しているんですか?」
「そうですねえ、160局くらいでしょうか?」
「どんな感じで対局されているんですか?」
「今までにあったパターンは、二度と起こらないように
気をつけて打っているんだと思います」
「谷川さんと指した対局は、全て覚えて
いるんですか?」
「それは、当然です。それで、前と同じパターン
でやっているのでは、谷川さんと指している意味が
ない、そのように思うわけです。だから、同じことは
繰り返したくない。」
将棋の棋士が差し手を決める時に、
コンピュータとは違う点として「直感」
ということがしばしば強調される。
しかし、羽生さんのやり方は
少し違うようだ。
羽生さんの頭の中には、過去の様々な
棋譜で試みられたことの膨大な蓄積がある。
ある局面で「直感」を働かすということは、
その状況での駒の配列に基づいて先を読む、
ということだけを意味するのではない。
「この局面はあの対局のあそこと同じだ」
などという具体的な記憶も常に参照される。
過去の蓄積という「巨人の肩」
に乗って、羽生さんの指し手は決定されるのだ。
将棋においては、「棋譜」という形でその
全歴史が記録されている。
だから、繰り返しを避ける、というような
方針も、もし(羽生さんのように)十分な
記憶力があるならば、可能になる。
しかし、本当は人生一般、社会、国家も
同じで、
日本人は過去を水に流しがちだが、
本当は過ぎ去りし昔を決して忘れず、
そこから学び続けるということが
大切なのではないか。
Those who forget history are doomed to repeat it.
(歴史を忘れる者は、それを繰り返す羽目になる)
という格言がある。
過去の教訓を忘れずにいるというのは、
いわゆる「直感」とは少し違う
回路になる。
負けた時に、その原因を分析して学ぶ、
ということも同じことだ。
成功した時の「強化学習」は無意識、
自動的に成立し得るが、
熱いものに触れて懲りる、というような
単純な場合は除いて、
失敗からの学習は、ステップを論理的、
意識的に追う作業を必要とする。
将棋の棋士は、「奨励会」に(羽生さんの
場合は12歳で)入会して以来、
ずっと「失敗から学ぶ」という訓練を続ける。
たとえば、何曲か指した後、
2,3時間、仲間と失敗の原因を検討する
というのは普通だという。
その際、羽生さんが大事だと言っていたのは
「当事者意識」
負けたとき、ついつい私たちは
「自分のせいではない」とか、「これは私に
起こったことではない」などと棚に上げたい
という衝動にかられるが、
本当は、引き受けて、向き合って、
当事者意識をもって冷静に分析しなければ
学ぶことはできないのだ。
なぜ、そのような「敗因の検討」
ができるのかと言えば、「ご褒美があるからですよ」
と羽生さんは言った。
たとえ、タイトルがかかった試合で負け、
がっくり来ている時でも、
自分が負けた原因を検討しているうちに、
「そうか、こんな新手があったのか」とか、
「こういう着想があったか」と気付くことが、
うれしいから、それがモチベーションになる、
と羽生さんは言う。
羽生さんが負けて落ち込んでいる表情が、
「あっ、そうか」と負けを忘れて輝き始める。
そんな光景が目に浮かんで、私はそれを
とても素敵なことだと思った。
その他、ここには書ききれないくらいの
たくさんのことがよぎった対話の時間だった。
将棋という「脳の使い方の文化」に学ぶべき
ことは多いと思う。
羽生さん、ありがとうございました。
記念に写真を撮った。
なぜか、柳川の顔だけが白く写った。
「ぼくがあとで修正します」と言っていたので、
柳川の手元にはそのうち白くない柳川の顔が入った
写真ができあがるだろう。
羽生善治さん(中央)、柳川透(右端)と。
朝日カルチャーセンター。
打ち上げに、
「たけちゃんマンセブン」こと、筑摩書房の増田健史
が久しぶりにきた。
「いや、増刷した茂木さんの本の見本、随分
渡していなかったからたまってしまって、持って
来ました」とたけちゃんマン。
久しぶりに政治と、日本の学者の話をして、
そうなると案の定「爆発軌道」になる。
たけちゃんが、「茂木さんはそうは言いますが、
あの学者さんたちだって、やるべきことをやっている
んです」と弁護する。
しばらく二人で話し合った結果、
どうやら、私はインテリに辛く、
たけちゃんは状況に辛いんだということが
わかった。
日本の学者が
だらしないのは、日本という国が近代において
置かれた宿命(その一般社会への反映)においてである、
ということになる。
一方、ぼくは、やせ我慢というか、
一般社会がどうであれ、ノブリス・オブリージュを
果たしていないやつらに矛先が向く。
いずれにせよ、ボクの中にはまだまだ
マグマが噴火への熱を帯びて潜んでいる
のだった。
くわばら、くわばら。
幻冬舎の大島加奈子さんによると、
昨日放送の『プロフェッショナル』は
幻冬舎内で大変な反響で、
様々な作家の方から電話がかかってきたという。
石原さんも喜んでいらしたとのこと。
なんだかほかほかとうれしかった。
10月 14, 2006 at 08:55 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (4)
朝日カルチャーセンター
「プロフェッショナル 番外編」
茂木健一郎 住吉美紀 佐藤可士和
2006年11月18日(土)18:15〜20:15
新宿 住友ホール
斬新な発想で時代を切り開く仕事師たちの今と未来を描くTV番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK総合木曜22:00)の番外編です。 数々のヒットデザインを世に送り出す、アートディレクター佐藤可士和氏。既存の枠組みにとらわれず多方面にアートディレクションの力を発揮するプロジェクトを進行中。 関心のない人のバリアを破ってその心に飛び込む広告や商品を創る。そのためには何が必要か。困難なハードルを乗り越えるにはどうすればよいか。 最新の研究をふまえて、“こころ”に迫る、気鋭の脳科学者茂木健一郎氏。 佐藤氏と、番組の進行を務める茂木氏ほか、今もっとも注目を集める3人が、プロの生きざまに迫り、明日への元気をお届けします。
(技術的問題により、朝日カルチャーセンター関係の
ウェブサイト等には「その他一名」と書かれていますが、
実際には住吉美紀さんが参加されます)
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/index.html#
10月 13, 2006 at 09:22 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
朝日カルチャーセンター講座
脳とこころを考える ー脳とことばー 第一回
2006年10月13日(金)18:30〜
朝日カルチャーセンター(新宿)
人間にとって、言葉は大切な宝物です。感情や記憶の脳システムの絶妙な協調作業により、人間は言葉を生み出し、伝え、受け取っているのです。時には一つの言葉を発見したり、新しい言葉の組み合わせを思いつくことは、他の何よりも脳を活性化させます。本講座では様々なことばの営みを参照し、最先端の脳科学の知見を紹介しながら、イメージを言葉に置き換えていく脳の働きに迫ります。講座の第4回目は、俳人の黛まどかさんをお迎えして、脳と俳句について語り合います。
10月 13, 2006 at 09:13 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
中学校の時、全校で遠足に行き、河川敷を
歩いたことがあった。
あの頃、なぜかみんなエンジ色のジャージを
着ていて、
河川敷をゆったりと拡散しながらそぞろ
歩きすると、
すすきが揺れ、トンボが飛び、
誰かがひっつき虫を見つけて投げつけた。
気になる女の子がどこを歩いているか、
なんとなく意識していたり。
仲間たちと腹をかかえて笑ったり・
黙って青空を見上げたり。
とにかく胸がざわざわと揺すられる時間だった。
あの頃、ああいうことはこれからの人生でも
何回でもあるんだ、と思っていたが、
実際にはそんなことは二度となかった。
ひっつき虫を思い出したのは、
『プロフェッショナル
仕事の流儀』の収録にゲストでいらした
「たまごっち」の開発者、横井昭裕さんの
お話がきっかけである。
横井さんが、社長をされている企画会社
「ウィズ」の社員たちと居酒屋で会話をしていて、
「ひっつき虫楽しかったね」という話になり、
それをヒントに玩具の開発を思い着く。
その様子をとらえた
ビデオをスタジオで見ていて、私たちはひょっとして
子どもの頃の楽しかった幻影を一生追い続けているのか
もしれないな、と思った。
思春期に入ろうとする頃、
背伸びして大人の世界を見上げると、
そこはキマジメな仕事、約束、責任の世界の
ように思え、なんだか息苦しく、
鉛色の飴が引き延ばされたような場所に思え、
鼻がつんとしたのを覚えている。
核が爆発し、猟奇事件が起こり、不正や格差があるいやな世の中だが、
そんな中、子どもの頃のようなピュアな遊び
だけが私たちの精神の平静を保っていて
くれるのかもしれない。
実際、研究は遊びだし、文章を書くことも遊び
だし、すべて、人生の不確実性に向き合うことは
そうだ。
聖なり遊び! わがよろこびよ。
「プロフェッショナル」の石原正康さん
の回を見た住吉美紀さん(すみきち)からメールが
届いた。
凄いですよ、茂木さん!
「文学は毒である」という会話の部分が
使われていましたよ!
毎回、4時間近くスタジオで話している
のだが、放送されるのはそのごく一部の
15分余り。
どうしても、とんがったところとか、深く入った
ところは編集の過程で落ちてしまう可能性が
高く、私や住吉さんは常々切なく感じていたのである。
「文学は毒である」という部分は、石原
さんの発言もかなり突っ込んでいて、
また、文学という表現の分野にかかわるものの
矜恃のようなものが現れていて、
放送されて本当に良かったと思えるのである。
見逃してしまった方、是非再放送で!
「たまごっち」を世界中で4000万台という
大ヒットに育てた横井さんは、ヒットには
「とげ」が必要だという。
万人にとって抵抗感なく受け入れられる丸いものでは
流されていってしまうというのである。
「たまごっち」の場合には、一度始めると
「一時停止ボタン」もなく、世話をし続けるしかない
という設定が「とげ」だった。
もし、世話をさぼっていると病気になったり、
性格が悪くなったり、死んでしまったりする。
果たして「プロフェッショナル」という
番組は企画としてはどうなのか?
収録の最後に、「さりげなく聞いてください」
と副調整室から指示があった。
私は、もうカメラが回っていないような
風に、「さりげなく」聞いた。
横井さんの答えにしびれた。
まず、「プロフェッショナルというのは、
絶対的な技量、経験、ノウハウをもっていて、
素人が千人束になってかかっていったとしても、
全く歯が立たない。それくらいの絶対的な
差がある人を言うんです」と言ったあと、
「プロフェッショナルという番組は、
そういう「プロフェッショナル」ということを
テーマにしていること自体が「とげ」なんじゃ
ないですか」
と断言したのである。
なるほど、と思った。
最近は、プロとアマの境界が曖昧になって
きていて、
アマっぽいプロが受けたりする。
そんな時代に、普通の人から見たらはるかに
遠く見える、プロたちの凄まじい努力と挫折と
苦悩と栄光の物語を放送すること自体が、
一つの「とげ」なのだろう。
今の自分からは遠いところにある。
だからこそ、そこに近づきたいと憧れる。
努力しようと思う。
そんな心の動きは、きっと平成日本の
地上波テレビの風景の中では「とげ」だ。
有吉伸人チーフプロデューサー(ありきち)が、
感心したように歩みよってきた。
「いやあ、実は、プロフェッショナルの
企画は、最初からそのようなことを目指して
構想していたんですよ。ははは。」
有吉さんの髪の毛が、気のせいかいつもより
もさわやかな青年風に見えた。
「プロフェッショナル」のチーム全員にとっての
「ひっつき虫」が見つかった。
10月 13, 2006 at 08:59 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第28回
ベストセラーはこうして生まれる 〜 編集者・石原正康 〜
村上龍「13歳のハローワーク」120万部。天童荒太「永遠の仔」200万部。五木寛之「大河の一滴」253万部。驚異的なペースでミリオンセラーを連発する編集者・石原正康、44歳。渡辺淳一、山田詠美、村上龍、よしもとばなななど、10年以上の長きに渡り、信頼関係を築き続けている作家も多い。 自らの仕事を作品の誕生を手助けする「助産婦」だと言う石原の仕事は、産みの苦しみと闘う作家と、24時間・全人格的な付き合いを行う。電話にメール、そして頻繁に会って、とことん話す。 中でも、石原が全力を注ぐのは、初めて原稿を読む読者として、作家に感想を伝えるとき。いいと思ったことを言葉を尽くして、褒める。その伝え方が、原稿の今後を左右することもある。 もう一つ、石原がこだわるのは作者が作品に込めた「熱」を広げていくこと。時には書店にも足を運び、作家の思いを伝える。書店から読者へ、読者から読者へ。それが、大事な本を世に広めることにつながると、信じる。 今、石原は、かつて「天国への階段」で大ヒットを生んだ作家・白川道に再び、書き下ろし長編小説を依頼中だ。しかし、クライマックスの執筆を前に、白川の筆が突然止まった。編集者・石原は、はたしてどんな手に出るのか・・・。 綺羅(きら)星のごとき作家たちとの仕事の現場に密着。名物編集者の仕事術に迫る。
NHK総合
2006年10月12日(木)22:00〜22:44
10月 12, 2006 at 07:42 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (6)
田園都市線は、なぜあんなに時間がかかるの
だろう。
余裕だ、と思って各駅停車に乗っていると
ひどい目に会う。
開始時間12分前にすずかけ台の駅に着き、
リボビタンDを三本買い、「片手で三本持つ」
というわざを見せながら歩いていった。
柳川透、小俣圭、恩蔵絢子の
博士の予備審査。
リポビタンDは、彼らのためである。
こういうのは、本人もそうだが、
指導教官もどきどきするものである。
指導教官は、「主査」ではあるが、
同時に「弁護人」でもあり、
しかしあくまでも審査だから、
直接助け船を出すわけにもいかず、
はらはらしながら見守るしかないのである。
三人とも無事切り抜けた。
良かった。
私が、最近、どんな方にお目にかかっても、
大抵「きっと私の方が忙しい」と思う理由の一つは、
私がそれだけ多くの文脈を引き受けている
(引き受けすぎている)ということに由来する。
博士号をとらせるということは、
その論文を投稿し、通すということの
面倒を見るということであり、
これは一大事業なのである。
それが、学生の数だけ私にふりかかって
くる。
本当に大変なのである。
博士号は、そう簡単にオートマティックに
とれるものではない。
論文を書けることはもちろん、
人の前で自分の研究についてちゃんと
客観的に、文脈付けて説明できなければならない。
そこまで行くのは本人も大変だ。
宮下英三先生に、「関根崇泰くんはどうしました?」
と聞かれたので、
「あいつは今年はあきらめました」
と答えたのだが、間違っていた。
終わったあと、軽く打ち上げをしようと
すずかけホールで待っていたら、
関根崇泰もいっしょに歩いてくる。
「あれ、来てたんだ!」
と思った。
やはり、今回の予備審査はパスだとしても、
同期のなかまたちと一緒にいたいのだろう。
カモノハシ(関根のあだ名。似ているのだ)の心中を
思った。
「お前、あと一年やるんだろう」
「違いますよ。11月にもう一度予備審査が
あるじゃないですか。あれに出したいんです。」
「お前、それじゃあ、その時までに論文投稿しないと
だめだろう。」
「ええ。だから、SfN(北米神経科学会)の間に、
書こうと思っているんです。」
「そうだったのか!」
関根が論文を書く、というのは、つまり
私がかなりの手助けをしなければならない、
ということを自動的に意味をする。
一日のうち何回か、「こりゃあ死にものぐるいで
がんばるしかないな」と思うことがある。
私は、すずかけ台キャンパスに残る
豊かな森を見上げた。
青葉台で打ち上げた後、
同じ方向の関根、小俣と電車の中に座って
関根のPCでSfNの発表のパワーポイントを
直した。
関根の研究は2004年に続いてslide presentation
(口頭発表)に選ばれた。
ということは、Society for Neuroscienceの
reviewerの中に関根のやっていることが
面白いと思っている人たちがいるということであり、
ちゃんと論文にすれば良いところに通る可能性がある
ということなのだが、
関根はなかなか書かない。
慶応の経済出身なのに、英語ができない。
「ここも違うよ」
「これじゃ、意味が通らないよ」
関根にジャブを出しつつ、
ひたすら打ち込む
ああ、打ち上げのあとも車中でパワポを
直すあわれな魂よ。
関根、小俣と別れ、私は書評しなければ
ならない本を読み始めた。
つぎからつぎへと、文脈が私を通り過ぎていく。
10月 12, 2006 at 07:33 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
関係者の皆様
2006年10月14日(土)午後より、
2006年10月18日(水)午後まで、
Atlanta, U.S.A.に参ります。
この間、基本的にメールは読める予定です。
10月 11, 2006 at 09:30 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
グローバリズムの荒波と日本語のやさしき水域
風邪を引いたときに私が実行している
「民間療法」があって、それはつまりニンニク。
かなりの確率で、一日で治る。
さっそく朝、生ニンニクを擦ったが、
ふと気付くとそれに合うおかずがない。
しかたがないので、ラーメンに見立てて、
味噌汁に入れてぐっと飲んでうっとなった。
強烈な刺激が喉から胃にむかって流れ落ち、
むせそうになった。
しばらく平静にして、気を取り直して、
無事ニンニク味噌汁を完飲。
休んでもいられないのである。
読売新聞の岡本記者と、カメラマンの立石紀和
さんとハチ公前で待ち合わせ。
立石さんは、「ちっ、ここは汚い風景だ」
とか、
「これじゃ絵にならないぜ」
といちいちドキリとさせることを言う。
しかし、腕は確か。ガード下で見事なショットを
決めた。
そして、宮下公園で、私は走らされ、
「そのあたりでジャンプしてください」
という指示の下、『小林秀雄全集 別巻1 感想』
をもって跳躍した。
ああ、ピカソよ、ヘーゲルよ。
NHKの打ち合わせ。
エレベータ・ホールで、椎名誠さんの
番組の宣伝ポスターを目撃。
そうか、今週の土曜日に教育テレビでやるのか。
思えば、たき火をしながら椎名さんとお話したのは
今年の夏の一つの良き思い出であった。
どう映像に定着されているのだろう。
仕事をしながら、吉本隆明さんのお宅へ。
対談のために何回か伺ってきたが、
とりあえずはこれが最後である。
話は「多様性」の問題から入り、
フーコーがマルクスを単一の巨大な思想家とはせずに、
当時のヨーロッパに並び立つ様々な思想的樹木の
一本に過ぎない、と位置づけていたことに言及。
そこから、様々なうねうねくねくねがあって、
最後に、吉本さんが、
「ぼくは、自分に向こうから来るものを、
偶然ではなく、必然としてとらえてきた」
というようなことを話された。
自分の意志に基づき、何かを能動的に
やる、という局面からは偶然性が排除されている
ように見え、
逆に世界の側からやってくるものは
コントロールができないゆえに偶然性が満ちている
ように思われるが、
吉本さんは、親鸞の「行き」「帰り」の
メタファーを援用して、
いかに受け身を必然としてとらえるか、
という問題が大切だ、と言われたのである。
行きがけの駄賃に、見かけた貧しき人を
助けることには、単なる偶然以上の意味はないが、
もし、帰り道に貧しき人を助けるならば、
その一人を助けることに世界の人全てを
助けるくらいの意味があると。
吉本さんのお話をうかがっていて、
私は、科学における偶然性の概念には、
認知的にみて、ものごととの出会いを正面から
受け止める真摯さに欠ける側面があるということを
悟って、心深く恥じた。
吉本さんは大きな、森のような、そして
土のように温かい人だった。
吉本さん、いろいろとありがとうございました。
またお目にかかる日を楽しみに。
吉本隆明さんとご自宅で。
再び仕事をしながら、読売新聞へ。
久しぶりに読書委員会。
鵜飼哲夫さんに、立石さんが撮影した写真を
見せられる。
空中浮遊していた。
本当に久しぶりに、委員会後の
A to Z の飲み会に少しだけ顔を出す。
川村二郎さんが隣りにいて、川上弘美さんが
前にいて、自然に文学談義になった。
ちょっとカゲキに言い過ぎたかもしれない。
丸くなったように思っていたが、根は
変わらない。
何かのきっかけで顔を出す。
くわばらくわばら。
一つ気付いたことは、科学というのは
グローバリズムの荒波の中にいるということで、
それは良いことでもあるけれども、
同時に精神を荒廃させることでも
あるんだと思った。
文学はもちろん、居並ぶ人文科学系の先生
方は、もちろんマックス・ウェーバーとか
なんとか参照するけれども、
それはとりあえずは翻訳を通してで
いいのであって(翻訳自体が一つの業績になるの
であって)、とりあえず、やさしい日本語の
世界の中で世界が完結している。
話題にされていることの端々に、
いきなりがつんとグローバリズムに接続している
科学とは異なる、
やさしい「ドメスティック」の気配が感じられた。
そのことを、昨夜はむしろある意味では好ましい
ことのように思い、その感情が一つの発見だった。
科学論文を書くということならともなく、
ダーウィンのように一つの体系を英語で示す
というのは巨大な胆力がいる。
昼間、吉本さんと今西錦司さんの話を
していただけに、
グローバリズムの荒波と日本語のやさしき水域の
対照は身に沁みた。
吉本さんが柄谷行人さんから聞いたという
話。
柄谷さんがジャック・デリダとニューヨークで
会った時のこと。
デリダは、柄谷さんに、「お前の著作を通り過ぎなけ
ればどうしても前に進めない、と思えば、みんな
日本語を一生懸命勉強するだろう。なのになぜお前は
わざわざ英語で本を書くのだ」と言ったという。
吉本さんは、これまでの生涯の中で、一度も
外国に行っていないのだそうである。
10月 11, 2006 at 08:54 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (4)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年10月22日号
(2006年10月7日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第25回
脳を育む「編集前」の生の体験
抜粋
何が起こるかわからない複雑怪奇な現代社会を生き抜く。そのためには、生の体験が必要である。ここまでは、多くの人が同意したとしても、では、生の体験の本質とは一体何なのか、改めて問われると考え込んでしまうのではないか。どうしたら、いわゆる「お勉強」を超えた体験を深めることができるのか、その方法論がわからないというのが多くの人々の実感なのではないだろうか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
10月 10, 2006 at 08:38 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (2)
自分ではそうも思っていなかったのだが、
どちらかと言えば私は子どもの時から風邪などを
引きやすい体質らしい。
年のうち、何日かは風邪で学校を
休んでいて、一日も休まない、という
ことはなかった。
一日も休んだことはない、という人は
案外いるので、そういう人に比べれば
私はやっぱり弱いんだろう。
パリで寒い中を薄着で歩いていたのが
たたったのか、
風邪の症状が出た。
昼に蕎麦を食べに行って、
その帰り、
時差と合わせ技で「もうダメだ」
という感じになった。
夕食まで眠り、食べたあと
しばらくしてまた眠った。
だから、全部で12時間くらいは眠った
んじゃないか。
驚いた。このところの記録更新である。
これだけ休んで、治らないんじゃ
仕方がない。
なんとか持ちこたえたのじゃないか。
今朝は起きて、そろりそろりと
身体を運転中。徐々にスピードが
上がっていく予定なり。
核実験の問題だが、結局は政治的
安定を目指すに限る。
ヨーロッパはドーバー海峡を挟んで
歴史的に仲の悪かったイギリスとフランスが
核保有国として対峙しているが、
最近は政治的に安定しているから
脅威ではない。
経済的、政治的統合に向かっている
ヨーロッパに比べ、東アジアは
困った状況にある。
短絡的な反応をするのは簡単だが、
戦略として、一体どのような落としどころを
考えるべきか?
政府やその周囲の戦略専門家に、
きちんと考えて欲しい。
昨日は双六で言えば「一回休み」。
この「休み」のエネルギーをうまく使って
今日からまたがんばっていきたい。
10月 10, 2006 at 08:33 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
パリ最終日。
朝、靴下をはこうと思ったら、
色が合わない。
おかしいなあ、と思って、かばんの
中を見たら、
やはり一足ずつもってきてしまったらしい。
参ったなあ、と靴のところにいって
愕然とした。
前日、やはり一足ずつ違う色の
靴下をはいていたらしく、
それが脱ぎ捨ててあった。
それで計算が合う。
もっとも、アタマの方の計算が合わない。
なぜ、一日気付かないでいたのか。
集英社の「すばる」編集部の岸尾昌子さん
がホテルに迎えにくる。
前日までブリュッセルに取材に行かれて
いたとのこと。
荷物を転がして、近くのJoel Sternheimer
さんの家へ。Joelはindependent physicistで、
「タンパク質の音楽」などに興味を持って
研究されている。
約2時間の対話を終えて、空港へ。
パリよ、さようなら。
食事をしながらLove Boat, The streets
of San FranciscoなどのアメリカのTVドラマを見る。
パリに行く時に見たMission Impossibleも
そうだったが、アメリカのTVドラマはなかなかに
すぐれている。
30分や1時間といった尺が合っているのだろう。
きりりとしまった構成は完成度が高い。
一方、ハリウッド映画になるとどうしても
冗長になるし、人間表現の浅さ(現実の
アメリカ人がどうの、というわけではなく、
世界市場に向けた商品としての映画におけるそれ
)が鼻につく。
Mission ImpossibleのTVドラマは、DVD
で買って見たいとまで思った。
眠って眼が覚めたら、誰もいなかったはずの
隣りの席にクマのように大きな人が眠っている。
トイレに行こうと思ったが、クマの人に遠慮
してごろごろしていたら、
二回目の食事が
来る前にクマの人はさっといなくなった。
立つときに、毛布などを直した手つきで
おや、と思った。
トイレに立ったら、クマの人が制服を
着て働いている。
クマの人は、疲れてしまったのだろうか。
クマの冬眠は、気持ちが良いのか知らん。
スターバックスでコーヒーを買い、
成田エクスプレスへ。
いつもならば週刊文春と週刊新潮を買い、
キャッチアップするのだが、
今回はまだ読んでいないのが出ていない。
それだけ短いパリ滞在ではあった。
10月 9, 2006 at 11:48 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
たとえ二泊の短い滞在でも、
習慣のようなものはできるもので、
ルー・マンジュの小さな
ホテルから、
「アラブ・インスティチュート」
の横にある植物園を抜けて、
バスチーユ通りにある会場まで
歩いていくリズムのようなものが出来た。
池上高志が学会帰りにパリに立ち寄っていて、
やはりというか、面白いことになった。
池上と私の話は、いつもちょっと漫才のように
なる。
「茂木、お前、現代思想のオレタチと
郡司の鼎談、読んだか?」
「いや、まだ、活字になってからは
ちゃんと読んでいない」
「お前、直し入れたか?」
「いや、テニオハ程度で、ほとんど直して
いない」
「郡司のところ、スゲー加筆してあって、
数式とか一杯使っているんだぜ。
「えっ、そうなのか。
「どうやって、対談中に数式を口で言うって
いうんだよ!」
「ふうん。」
「郡司の発言が、一頁くらいずっと続く
ところもあるんだぜ。それで、オレタチが、
一言、「それは違うんじゃないか」とかいうと、
また郡司がだーっと喋る、っていうことになって
いるんだよ。まるでオレタチがばかみたいじゃ
ないか。」
「そうなのか。ははははは。」
私と池上が同じ会場にいると、ちょっと
まずいことになるというか、
もともとうるさい二人が相乗作用で
ますます大変なことになる。
二日目はいくつか議論のセッションがあって、
まずはロルフ・ファイファーと池上が参加した
ロボットについての議論があった。
セッションはインフォーマルなもので、
カフェでみんなで議論する。
ジョン・スチュワートが
いろいろ面白い議論をふっかけて
いたのだが、
池上が、「ロボットをつくることの
目的は、最終的にはやっぱり恋愛だろう。
みなさんは「ブレード・ランナー」という
映画を見ましたか? あの中で、人間が
レプリカントと恋に陥るけれども、
やっぱり、そういったところまで行く
ヒューマノイドを作らなければならないんじゃ
ないか」
と言って、
ストレート・ジャケットを着ていたような
会場の雰囲気が少しゆるんだ。
この時しかないな、と私は
すかさず立ち上がって、
「身体性というバズ・ワードの、
正確な定義は何なのでしょう? 身体性が
大事だ、ということはみんながいうけれども、
身体性が実際には何を含意するのか、
そのことについて説得力のある表現を、
私は聞いたことがありません。
脳の神経細胞のネットワークの自発的
活動や、それにともなう一回性学習などの
メカニズムを考慮すると、本当に
いわゆる「身体性」が知性の創発に必要なのか、
疑問に思わざるをえません。
もちろん私はここでは「悪魔の代理人」
を演じているわけですが、皆さんどう思いますか」
とロボット・セッションに対して
はある意味では掟やぶりの「凶器攻撃」
をふっかけた。
ロルフが反論して、池上も力学系の視点から
の話をして、
休憩時間になっても、
nonholonomic constraintの話など、
いろいろエッセンシャルな議論ができた。
「しかし、nonholonomic constraintと知性が
結びつく、という議論は聞いたことがないなあ」
「そりゃあ、論文を書くしかないだろう」
「えっ、誰が書くんだ?」
「オレとオマエに決まっているだろ〜!」
池上が、「オマエ」という時は、ちょっと声が
高くなる。
夕刻、今度はボクがパネリストだった
セッションがあったのだが、そこに池上が
飛び入りで参加することになった。
始める前に、マーリーン・ワイナンツが、
「嫌な予感がするの」とばかりに
私と池上の方を見て、
「私のセッション・チェアパーソンとしての
役割は、この二人の日本人が暴走しないように
うまくコントロールすることね」
などと言った。
マーリーンは、私のインタビューをして
ヤヌスという雑誌に載せてくれる、
いい人なのである。
セッションが始まり、私と池上はやはり
喋りまくっていたが、
ちゃんとセッションの文脈に合わせて、
発言を出来たのではないかと思う。
自信はないけれども。
会場は盛り上がっていた。
丁々発止。
パリはロゴスを楽しむ場所なり。
終わったあと、私は池上に言った。
「やっぱ、日本は不思議なところだよな。
よくあるのは、オレが何かぱーっと言うじゃん、
そうしたら、みんなしーんと黙ってしまうんだよな。
ヨーロッパだと、こっちが何か言うと、必ず
返ってくるじゃないか。オマエも、そういう
経験ないか?」
「何言ってるんだよ。それが、まさに日本の
問題点なんじゃないか。そういうことばっかりだよ。
やっぱり、たまには日本をでなきゃダメだな。
オマエ、昔パリに一緒にアパルトマンを借りよう
と言っていたじゃないか。オマエ忙しくなりすぎて、
アパルトマン借りることもできないだろう。」
「いや、だいじょうぶだよ・・・」
「オマエ、ほんとうか〜! 少し、仕事減らせよ!」
こういう時、池上の声は一段と甲高くなる。
会場の外にあった運河をぼーっと歩いていたら、
イワンがやってきて手を挙げた。
パリの太陽はなぜか印象派のように見える。
NHKの『プロフェッショナル』の「ゴクアク三兄弟」
の末っ子こと(長男は私)、河瀬大作さんから
メールが来た。
<
私めは、指揮者、大野和士さんのロケで、ブリュッセルにおります。
ワーグナーの大曲「トリスタンとイゾルデ」の深遠なる
愛の世界に毎日、耽溺しています。
ブリュッセルとパリとは列車でたったの2時間の距離。
あうことはかなわずと思いながらも、近くに茂木アニキがいるとおもうだけで、
嬉しくなりメールをしたためた次第であります。
相変わらず超多忙な日々のようですね。
どうぞパリで思う存分、羽を伸ばして、おいしい料理とおいしいワインをご堪能ください。
カワ坊拝
>
うれしい便り。
ボクも、トリスタンとイゾルデの
世界に耽溺したし。
10月 8, 2006 at 01:56 午後 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (2)
ソニーコンピュータサイエンス研究所は、
パリにもブランチがあって、
その10周年のオープン・ハウス、
シンポジウムに来ている。
テーマはIntensive Science.
私は二日目のPanel Discussionに出る。
所長のLuc Steelsの話を聞きながら、
言語の進化について考えた。
言語の最大の特徴はそのopen-endedな点に
あると思われる。
Lucが過去にやったtalking headsや、
名付けゲームは、この点において、
「それが設定された問題に対して
最適化してしまう」
という問題があった。
Lucが今回発表したプロジェクトは、
問題が生じた時に新たな単語などの要素を付け加える
ことでその「修理」をしていくという
点において、
open-endedな世界に一歩近づいた
ように思われる。
結局パリにもたくさん仕事を持ち込んで
いて、
ニッチもサッチも行かない。
それでも、パリの通りをオイッチニと
歩いた。
どこにも行かなくても、ただ歩くだけで
素敵な気分になれる街。それがパリ。
普段歩いていない分だけ、オイッチニ
オイッチニと自分にサービスして歩いた。
トールキンの『指輪物語』
にStriderというのが出てくるが、
まさに自分もそうなった気分だった。
外国の街をエトランジェとして歩いていると、
普段自分を包んでいる文脈がはがされて、
魂が風邪を引くような寂しさを感じる。
一方、それがかえって福音であるかのようにも。
そういえば、フランス人は皆ひとりぼっちの
ような顔をして座っているなあと、
カフェで気がついた。
10月 7, 2006 at 02:46 午後 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
「プロフェッショナル」の収録を終え、
成田空港へ。
雨の渋谷で濡れた。
食べて、眠って、ミッション・インポッシブルを
見て、眠って、論文を読んで、書いて、パリに着いた。
朝の4時半。荷物を載せたベルトがきしむ
音がする。
10月 6, 2006 at 11:44 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
科学大好き土よう塾
茂木健一郎
『ヘンだ!大昔の生きもの』
NHK教育
2006年10月7日 09時15分〜09時59分
10月 5, 2006 at 07:39 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第27回
心動かす広告 命宿す写真 〜写真家・上田義彦〜
サントリー、資生堂などの広告を手がけ、日本を代表する広告写真家といわれる上田義彦。上田は商品そのものを撮らない。商品のもつイメージや空気感を全く別のモノで表現し消費者に商品をアピールする。昨年、広告賞を総なめにした日本茶の写真では、宮沢りえと本木雅弘が演じる江戸時代の夫婦の凛(りん)とした姿で、お茶の清涼感と伝統性を鮮烈に印象づけた。 上田がこだわる撮影の流儀は、「自分を信じる」。上田は、自分の心が動くまで、シャッターを切らない。待って、待って、待ち続ける。その姿は、サムライの真剣勝負にたとえられるほどだ。自分の心が動けば、見る人の心も動く。徹底的に自分を信じ、妥協しない。多くの人の心を動かすのが使命の広告。どうしたら、人の心を動かすことができるのか、誰もが知りたい普遍的なテーマに対する一つのヒントがそこにある。 モノの売れない時代に、モノを撮らずに、モノの魅力を伝える。天才にして究極の職人と呼ばれる男の流儀に迫る。
NHK総合
2006年10月5日(木)22:00〜22:44
10月 5, 2006 at 07:26 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (4)
脳は自発的に活動する臓器ではあるが、だからと言って外部からの「強制」や「トリガー」をかけることが悪いわけではない。
先日NHKの「スタジオ・パークからこんにちは」に出演した時、突然スタジオにいらして本当にびっくりした小林忠盛先生だが、、小学校5年、6年と担任していただいた。当時、「生活帳」というものがあり、そこに毎日日記を書いて提出していた。
半ば強制されていたわけだけれども、そのお陰で、当時の私が何を考えていたかが残った。今でも時に読み返してみることがある。いろいろとしみじみとする。
「クオリア日記」を毎日よく続けられますね、と言われることがあるが、そのお陰で残っているものがたくさんあると思う。
徳間書店から「クオリア日記」が『やわらか脳 茂木健一郎「クオリア日記」』(仮題)というタイトルで本になる。ゲラを読み返していると、自分で書いた文章ではあるが、面白い。へえ、こんなことを考えていたのか、随分深いことを考えているなあなどと、感心することもある。
しばらく前に、ネットをサーフィンしていて、「歴史を振り返らないものは、同じ間違いを繰り返す宿命にさらされる」という言葉に出会った。日記を残しておくということは、自分自身に過去と向き合う一つの大切な資産になるのであろう。
もっとも、普段は読み返す暇もない。こうして、本になるのでゲラを読んでいると、いろいろなことを想う。
ゼミ(『The Brain Club』)。恩蔵絢子、柳川透、小俣圭が「プログレス・レポート」。柳川はパワーポイントが間に合わず、紙に書いたメモを使ってやった。しかし、研究についての論点が明確になって、とても有意義であった。
ちょうどお昼時だったので、おにぎりを買いに近くのコンビに行った。柳川と議論しながら行った。おいしそうなカップ・味噌汁が目に入ったので、人数分買って帰った。
今回の参加者は、
1、2、3、・・・、9人だった。
自分の番が終わって、小俣がやっている間にほっとしてカップスープを飲んでいる。その柳川の表情が良かった。ほっとした時の味噌汁はうれしい。もっとも、柳川が飲んでいたのは、ピリ辛春雨スープだった。
発表中の小俣圭(左)と、ほっとしている柳川透(右)
ゼミを出て、参議院議員会館へ。「次代を考える東京座会」の記者懇談会。私は「ギャップ・イヤー」の話をした。玄関に立つと、次々と黒塗りの車がくる。私はカラフルなタクシーに乗る。
その「東京座会」の母体のPHP研究所。小川充さんを相手に、ネガティヴな感情から抜け出る方法についてお話した。
八重洲の読売中公ビルへ。「中央公論」の井之上達矢さん、岡田健吾さん、松本佳代子さんと会食。
しばらく前に、井之上さんからメールが来て、「小津安二郎監督が通っていた「伊勢廣」でどうでしょう?」と打診された。さすがは井之上さん。そう言われては断れない。
岡田健吾クン(左)、井之上達矢さん(右)。「伊勢廣」の前で。
最初は多様性の話をマジメにしていたが、そのうち岡田さんの恋愛論議になった。いつも句読点なしに立て板に水を流す岡田クンが、レンアイになると少し言いよどむのが面白い。
人生の本質は、案外よどみに現れます。
もっとも、よどんでばかりいては困るのであって、だから、時には外部からの強制が必要なのであります。
その加減が難しい。
10月 5, 2006 at 07:24 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
Updates in the Qualia Journal
To do whatever you can.
The professional way.
10月 4, 2006 at 09:35 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
関係者の皆様へ。
2006年10月5日(木)夜から、
2006年10月9日(祝)朝まで、
Parisに行きます。
この間、メールは基本的に読めるとは
思います。
茂木健一郎
10月 4, 2006 at 09:11 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
関係者の皆様へ。
2006年10月5日(木)夜から、
2006年10月9日(祝)朝まで、
Parisに行きます。
この間、メールは基本的に読めるとは
思います。
茂木健一郎
10月 4, 2006 at 09:11 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の打ち合わせ
をしていたら、
有吉伸人さんが妙なことを言った。
「茂木さん、午前11時に出なくちゃいけない
んですよね?」
「えっ? そうでしたっけ?」
「何か、お昼にどこかでトークしなくちゃ
いけないから、打ち合わせが11時まで
ということになったと思うんですけど」
「あれ? ボク、12時に中央公論の
岡田健吾さんが西口玄関に来て、写真を撮ることに
なっているんですけど。」
「いや、確かにお昼に仕事があると言って
ましたよ! 調べた方がいいですよ」
有吉さんに促されて、コンピュータを
開けてカレンダーを見たら、
何と、確かに12時から1時間経済関係の
トークをすることになっている。
あわてて岡田さんに電話した。
「茂木さん、そろそろマネージャーつけた
方がいいですよ」
と有吉さん。
打ち合わせはいつも決まった小部屋でやる。
番組で流れるVTRを見ながら
進め方について詰める。
危ないところだったなあ、と動揺しつつ、
ちょっぴり安堵し、何だか指が寂しくなって、
ぱちぱちと写真を撮った。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』台本
打ち合わせ中。住吉美紀アナウンサー(右)、池田由紀ディレクター(左)
打ち合わせ中。有吉伸人チーフプロデューサー(左)、小山好晴デスク(右)
活字と映像の仕事の感覚はいろいろ
違う。
住吉美紀さん(すみきちさん)のように
10年以上やっていると、
ボクなんかが未だにわからない
感覚が立ち上がっていくらしい。
収録に活字のヒトがゲストに来た。
ちょっと嬉しいのである。
幻冬舎の石原正康さん。
山田詠美さんの直木賞受賞作
『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』を
24歳の時に編集したり、
村上龍、吉本ばなな、渡辺淳一らの
作家とミリオンセラーを連発したりと、
まさにスーパー編集者なのである。
活字の仕事のうれしいところは、一文字まで
自分で責任を持って詰めていけることである。
一方、映像は、どんなことを言っても
編集の過程で落ちてしまう可能性がある。
活字と違って、不特定多数の視聴者が見るという
性質上仕方がないこととはいえ、
スタジオでのトークが白熱し、高まって、
奇跡のようなことが起こった時に、
それが放送では使われないのはちょっと寂しい。
でも、ベストな瞬間を志の高い有吉組
のひとたちが拾ってくださるだろう!
と信じて、いつもがんばっている。
石原さんと「文学の毒」の話になった。
文学は、作家という世の中に少し不適応な
野獣が生み出す毒のようなもので、
適量ならば薬にもなるが、
処方を誤れば死に至ることもある。
話しながら、きっとここは使われないだろうな
と思った。
NHK総合テレビで放送するには、
ちょっと濃すぎる。
しかし、それでいいのである。ぎりぎりの
線でがんばっていなければ、エキサインティングな
ことはできないのだ。
DVDになる時には、放送できなかったトークも
収録されるので、その時に、奇跡は世に降臨する
かもしれない。
メディアの特質というものは個人の思惑を
超えて、さまざまなことを規定していく。
そのようなこととの葛藤の中に、
表現というものがある。
それを言うのならば、活字にも限界があり、
やはり映像でなければ表現できないこともある。
幻冬舎の大島加奈子さん、電通の佐々木厚さん
も交えて打ち上げに。
ぼくはちょっぴり眠くなってしまって、
飲み会の最中にこっくりするという得意技を
披露した。
開けて今朝、
仕事をしながら、カヴァレリア・ルスティカーナの
DVDをかけた。
グランド・オペラ全盛のイタリアに、突然
降臨した、ごく普通の人々の生活を描く
ヴェリズモ・オペラ。
字幕をイタリア語にしておいて、ちらちらと
見ると面白い。
パッションの文化である。こういう血の気の多い
人たちのつくりだす音楽や文学があって、良かった。
結局は多様性こそが救いになる。人生も文化も
モノカルチャーは良くない。
森林は容易に見通すことができないが、だからこそ
多くの生きものたちが根付いている。
不可一覧性と多様性はおそらく同じこと。
世界の中の簡単には見ることのできない、隠された
ものをこそ思い、その豊饒さを味わいたい。
石原さんはハワイに取材に行くという。
今のボクからは、ハワイは隠されて見えず、
だからこそその豊饒さがうれしい。
10月 4, 2006 at 08:35 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
10月3日(火)01時〜15時まで、ココログ
メンテナンスのため日記のアップ、コメント、
トラックバックの受付ができなくなるようです。
ご了承ください。
茂木健一郎
10月 2, 2006 at 08:52 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
ふと気付くと、不思議な気がする。
次から次へとさまざまなことに熱中している
今の状態は、子どもの頃、野山に分け入り、
いつどこから飛んでくるかわからない
蝶を待っていた時の感覚に
似ている気がする。
捕虫網を持ってこそいないものの、
その気になれば、上から照らすかんかん照りの
太陽や、そよぐ風が感じられ、ざわざわと揺れる
木の葉の音まで聞こえる気がする。
行きの新幹線は食べ物飲み物断ちだった。
ひたすら仕事を続けた。
眠りもしなかった。
帰りの新幹線は、弁当を食べ、ビールを
飲み、それから眠った。
ちょうど、田谷文彦が京都にいたので、
さそって一緒に帰った。
紫野和久傳の弁当を大丸の地下二階で買った。
本当は、どきどきだったのだ。
売り切れているんじゃないかと、
エスカレーターを急いだ。
二段弁当は一つしかなくて買えなかった。
和久傳の弁当
ボクが何故和久傳の弁当を愛してしまった
かというと、
とてもすっきりしていて、変に凝っていず、
しかしその背後にしっかりとした仕事の
積み重ねがあることが実感されるからだ。
味付けもあっさりしていて、一つひとつの
素材の力が引き出されていて、
全体として、まるで現代アートの作品のような
統一感がある。
褒めすぎのように感じる人がいるかも
しれないけれども、
クオリア原理主義者として、和久傳の弁当には
固有のユニークなクオリアがあることを
証言いたします。
そもそも、文学でも絵画でも映画でも音楽でも、自らの最上の芸術体験を振り返って見れば良い。そこに立ち上がってくるのは、どんな言語にも意味にも構造にもましてや機能にも置き換えられない、一つの印象=クオリアなのではないか。そのクオリアは、言語化やシンボル化を拒絶してはいるものの、他とは明確に区別が付く、ユニークな個物として確かに捉えられているのではないか。
たとえ言葉にできないとしても、ある作品にはその固有の印象があり、人格のようなものがある。そのことを知らない芸術家は一人もいまい。
茂木健一郎『クオリア降臨』(文藝春秋)より
ごちそうさまし、田谷に「眠るね」と
言ってから、目を閉じた。
眠りに落ちる時は、いつも心地よい。
死というものが、永遠の眠りだとするならば、
本当は心地よいものであるはずなのではないか。
ひょっとすると、眠りに入る時の心地よさは、
意識を失うことに対する懸念、恐怖をなだめる
あめ玉のようなものか。
この日記は、文体や雰囲気をいろいろ
工夫している。
徳間書店の本間肇さんがテーマごとに
まとめて下さった過去の「クオリア日記」
のゲラを読んでいたら、自分で言うのも何だけど、
とても面白く、
思索的なところの読みでがあったので、
少しそのような部分も増やそうかと、この所の
会話中継主義とは少し違うスタイルを時々試みて
みようかとも思う。
朝日小学生新聞の講演が終わった後、
九州大学の目黒実さんと打ち合わせをした。
薄羽美江さんもたまたまお仕事で京都に
来ていて、講演会場にいらしたので、
目黒さんにご紹介した。
Children's museumという共通の接点が
あったので、
お二人は大いに意気投合した由。
癒しというのは、全体性を回復することだから、
前のめりの現代人は、少し昔のことを思い出す
と良い。
今度新幹線で眠る時は、子どもの頃
野山の中で捕虫網を持ち、
空気のふるえに耳を澄ませていた、
あの時間の流れのことを思い出してみることにする。
10月 2, 2006 at 04:57 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (1)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年10月15日号
(2006年10月2日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第24回
「希望に満ちた怪物」を応援
抜粋
その時々の社会の「正解」の外に出ることには勇気がいる。成功するかどうかは、保証されていない。だから、多くの人が「優等生」でいようと努力し、親たちも子どもたちをそのように教育しようとする。
自分たちは「希望に満ちた怪物」でいいんだ。そのように思ったら、少しは気楽になるのではないか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
10月 1, 2006 at 08:05 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
うったまがった。
熊本県の旧菊水町(合併して和水(なごみ)町)
の謎の隧道遺跡、「トンカラリン」に行った。
誰が何のためにいつ作ったのか、わからない。
松本清張が「卑弥呼の鬼道」という説を
唱えてから、有名になった。
由来がはっきりしないので、文化財の指定が
難しいという。
幾つかの部分からなっていて、全長450メートル。
案内してくださったのは、和水町教育委員会の
益永浩仁さん。
「なぜトンカラリン、と言うのですか?」
「地元では、穴が開いていて、そこに
石を投げ込むとトンカラリン、という音が
するというので、そう呼ばれていたようです。」
「なるほど」
「それと、コウモリがそこから出てくるというので、
コウモリ採りの穴、とも言われていたようです。」
コウモリ採りの穴の下は、実は天井石
によって覆われた深さ7メートルの「地隙」になっており、
その裂け目を歩いた。
益永さんが先導して懐中電灯で照らしてくださるが、
それがなければ真っ暗である。
珍しいというキクガシラコウモリがいた。
行き着いたところに階段があり、
その先は、人が四つんばいになってやっと
通れるような狭い真っ暗なトンネルが続いていた。
「この先行けるのですね」
「行けます。地上まで20メートルくらいです」
正直言って、恐怖はあった。
「行くしかないでしょう」
そろそろと前に進んだ。
時々、腰がつかえそうになった。
ゆるやかな勾配で上がっており、
しかし地上はなかなか見えない。
トンネルが途中で曲がっているので、
終点が見えないつくりになっているのだ。
5、6歳まで、時々見ていた夢がある。
真っ暗なトンネルがゆるやかに曲がっていて、
そこを私はいつまでも落ちていくのだ。
今となって後知恵で考えてみれば、
産道を通ってこの世に出てきた時の
記憶、ということにでもなるのだろうが、
当時はとにかく恐ろしかった。
そして、産道の記憶、という特定の解釈に
着地をするまえのその表象の方が、
私の存在を意義深い形で脅かして
いたように思うのである。
トンカラリンは、出生を再体験することに
よる生の再生、というイニシエーションの意味が
あった、という解釈もある。
地元の子どもは入ってきて
あのトンネルを経験するのだろう。
大丈夫だとわかっていても、恐ろしい。
しかし、生まれるとは恐ろしいことだったに
違いない。
随分長く感じられた時間が過ぎて、
地上が見えてきた。
「トンカラリン」のトンネルの出口が見えてきた。
橋本麻里さんは、杉本博司さんにトンカラリンを
薦められたという。
周囲の風情といい、沖縄の斎場御獄のような
生死について潔い深さがあった。
環境はがらりと変わる。
東京に戻り、汐留の日本テレビへ。
「世界一受けたい授業」の収録。
このブログで使おうと、控え室の表示を
撮っていたら、佐谷直子さんが言った。
「これ、おはよう紙って言うんですよね。」
「おはよう紙? なんでですか?」
「入ってきた時に、「おはようございます」
と言うじゃないですか。それで、「おはよう
紙」というのです。」
「なるほど。」
「新人の時、先輩に、「おはよう紙用意して
おいて」といきなり言われて、「えっ、おはよう紙って
なんだろう、おはようって書いてある紙かな、とか、
とまどいましたよ〜」
「おはよう紙」
スタジオに入って、携帯電話の電源を切った。
再び佐谷さん。
「一応、切っておこうとおもいましてね。」
「そうですか、圏外だから大丈夫だと
思いますが」
「この前、NHKの『プロフェッショナル』の
スタジオで、圏外でも電波を出しているから、
マイクにノイズが入ると言われたんです。」
「えーっ。ここでは、みんな、圏外だから
気にしたことないですよ。NHKの方が、性能の良い
マイクを使っているんじゃないですかあ〜」
無事収録を終え、お目付役の
新潮社の金町井孝さん、金寿煥さんと
一緒に町に出た。
金さんが、「ハイボールのうまい店」
に連れていくと言う。
すぐそこですよ、すぐそこですよ、
と大分歩いた頃に、Rock Fishという店があった。
「茂木さん、ビールがお好きなのはわかって
いますが、騙された、と思って
ハイボールを頼んでください。」
というので、そうしたら、確かにまろやかで
うまい。
町井さんが、「ロックがなくてこういうのは
いいなあ」としきりに感心する。
金さんは新婚ほやほやで、「カレーパンをつくるのが
うまいのです」と自慢する。
町井さんは「えっ、お前、結婚していたの?」
とびっくりする。
町井さんがうったまがった。
ハイボールを三杯飲んだ。
男たち三人がしみじみとハイボールを傾ける。
実にハードボイルドの世界であるが、
どうも私一人だけが子どもっぽかった
ような気がする。
ニヒルな大人の男の味わいを出すには
どうすればいいんでしょうか。
ねえ、町井さん、金さん。
大人の魅力。新潮社の町井孝さん(左)と金寿煥さん(右)
10月 1, 2006 at 07:32 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
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