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2006/09/06

たとえその状況を作ったのが神様だとしても

 英語の表現に、
in your own timeとか、
at your leisureという
ものがあるが、
 相手に自分のペースで
物事をやる余裕を与える
という哲学を表しているようで、
ぼくは好きだ。

 たとえ、なにかをやるということが
決まっている時でも、
 相手に、「それをやらない」
あるいは「好きな時にやる」
というオプションを与えるという
ことが、
 一つの倫理的態度だと
私は感じる。

 インターネット上のコミュニケーション
で気になるのは、
 上のような精神に反することが
横行していることだろう。

 たとえば、「決めつけ」というのは
相手にスペースを与えない行為
だと感じる。
 たとえ、ある人に対して
現時点である判断をしたとしても、
その人が本当にそういう人かどうか
判らない。

 そういう人ではないかもしれない、
あるいは、その人が自らを変える
可能性があるということを
いかに認容して、
 語るか、ということが
重要なのだろう。

 ジョージ・W・ブッシュはいろいろな
揶揄の対象になる人だが、
 「ブッシュはこういうやつなんだから、
こう決めつけていいんだ」
というのではなく、
 ブッシュだって、本当はどういう
人かわからないし、これからも
その世界観や行為が変わるかもしれない
(変わらないかもしれないけど)
ということをいかに認容しつつ
物語るか、これがポイントだと
私は考える。

 昨日の
 菊地成孔さんとの対談。
 とても面白く炸裂し、
疾風だったが、
 途中で、
 そんなことにも触れた。
 
 菊地さんは、リズムやテンポ
というのは単一ではないと
言っていたが、
 結局、相手や自分にスペースを与えない
態度は、良い音楽を生まないのだろう。

 月曜にお会いした保坂和志さんが、
現代なんて良いことなどほとんど
ないけれど、状況論に目を奪われ
過ぎないで、あくまでも明るく
いくのだ、と言っていたけれど、
 「時代」と「自分」の間に
スペースを入れましょう、それが
大事だとフラワーピッグも思う次第です。
 
 みなさん、どんなに絶望的で、
哀しい状況にあったとしても、
そのような状況と自分との
間にスペースを作ろうではないですか。

 たとえその状況を作ったのが
神様だとしても、神様にだって、
at your own leisureや
in your own timeではなしに、
人間にあれせいこれせいと
命令する権限などないはずなのです!

 そして、菊地さんと激しく同意した
ように、「ユーモアのセンス」こそが
スペースづくりには欠かせないので
ありまして、
 そのスペース作りを
われらが桑原茂一さんが
せっせとやってくださっている
わけであります。

9月 6, 2006 at 08:55 午前 |

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受信: 2006/09/06 14:11:52

コメント

 先日の菊地成孔さんとの対談を大変興味深く伺いました。その場に居る事が出来てツイている一日だと思いました。ありがとうございました。
 「相手に自分のペースでやる余裕を与える」という考え方にとても賛同します。
 自分も自分の考えの基に行動したり考えたりするから、自分以外の人にももちろん同じ権利があると想像して接しようと、そういう余裕を当たり前に、自然に持てる様に努めたいと改めて思いました。
 対談の中で「いかに4、5歳児を自分の中に見つけるかが大事」といった点に一瞬触れられていましたが、それは具体的にはどのような事なのか、また別の機会に詳しくお話を伺ってみたいと思った次第です。

投稿: | 2006/09/10 18:10:09

「相手に自分のペースで
物事をやる余裕を与える」

本当に様々なところでこの哲学が実践されたら
時間に追われ、とげとげしくなる心が
どれだけ少なくなるか、と思います。

茂木先生が文章のなかで対象とされたこととは
少し違うかもしれませんが、

「相手に自分のペースで
物事をやる余裕を与える」

就労において、この余裕を与えてもらえれば
輝ける人がどれだけいることか。

言い換えると、この余裕が社会で認められない
ために、はじきだされたり、うまく働けない人が
どれだけいることか、と思います。

忙しさの波に乗れない人たちは
砂浜でボードを抱えて立ち尽くしています。

投稿: | 2006/09/08 1:18:44

ふと、今日の先生の文章の語尾が気になりました。

私でさえも、レポートを書くときは、
当然、普段よく使っている「思う」「想う」「感じる」「気がする」は
おそらく、使わない形を意識していると思います。

「示唆する」「推察される」などなど…

英語でどんな表現をするのかも、わかりませんし
単純に辞書をひけばよいということでもないと思いますので…

「コトバ」のことは、私にとって
当分、目の前の大きな「宿題」かもしれません…


『自由意志を侵さない』という表現を聞いたことがあります。

そのあたりのことと、スペースは大切にしながらも
「時代」と「個人」のスキマを埋めていく方向性が

どこかでつながってくるのかもしれませんね…

投稿: TOMOはは | 2006/09/07 5:57:14

心にしみました、ありがとうフラワーピッグ!

投稿: | 2006/09/06 21:16:20

「ユーモアのセンス」こそが
スペースづくりには欠かせないに、
同感!
ユーモアに救われる部分って
本当に多いなって思います。


投稿: | 2006/09/06 20:33:26

何かと「決めつけ」じみた言動が横行するネット社会。それに連動してか、リアル社会もそうなりつつあるような気がする。

そんな時に、ある「状況」と「自分」との間にスペースを設けることが本当に大事だ。相手をこうだ!とか、アイツはこんなもんよ!と“決めつけ”るのではなく、相手が変わる可能性と、相手のパブリック・イメージと実際とは違うことを如何に認容できるか。そこに、自分自身が他者を許容できる人間に成長できるか否かが、かかっていると思う。

最近、親が子供に傷害を受ける事件が多発しているのは、専ら親のほうに、子供にいったんでも自分のペースで物事(好きなことでも)をやる余裕(スペース)を与えず、ただ、

「あーしろ!こーしろ!こーしないからダメなんだ!」

…うんぬんと言いすぎる(命令する)ことに大きな原因があるのではないか。全く当然乍ら、子供は親のロボットなどではない。

仮令悲劇的な状況が訪れたとしても、そんな状況と自分の間に余裕の空間(空白)を設けることが、人生にはつくづく大切だと思う。

目先のコトに振りまわされず、この世知辛い時代と自己との間に空間を持つ、そのためにはユーモアが先ず必要で、さらに根底には人生哲学もいるのではないかと思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/09/06 18:44:54

「時代」と「自分」
「他者」と「自分」
「状況」と「自分」
…のあいだにスペースをおくって、大事なことですね。
ほどよい距離感、そこにユーモアもほしいし、想像力もほしい気がします。

神様にもin your own time とか、at your leisureをさしあげては?
私たちそれぞれの理想を即座にかなえてくれって神様に押しつけても、いろいろご都合もあるでしょうから。
そこにもスペースを…。
おたがいさまってことで。
(おたがいさまっていい言葉だなぁ。)ふふ。

投稿: kyono | 2006/09/06 10:08:03

> 結局、相手や自分にスペースを与えない
態度は、良い音楽を生まないのだろう。

とある音楽屋さんとも話をしたのですが、リズムセクションが力任せにがんばってしまう音楽は、聴いていてつらいし、疲れます。

最近、和太鼓の講習があり、太鼓は力任せに叩くのではなく、力を抜いてばちの落ちる勢いを利用して音を出すのだと言うことを知り、そういうことなんだろうと思いました。自分ひとりの力で音を出すのではなくて、物に働いてもらうこと、人を楽しませようと力むのではなく、他者と楽しんで場をつくりだしていくことが、地味だけど、物事を良い方向へ向かわせることなのではと。

>みなさん、どんなに絶望的で、
哀しい状況にあったとしても、
そのような状況と自分との
間にスペースを作ろうではないですか。

間を大事にして、人やものを遊ばせる空間をつくりたいですね。切羽詰った状況に陥ってしまうと、なかなか距離が見えなくなってしまうのですが。物事に動じない強さがほしいものだと、いつも思います。
こうして、ネットに書き込むことは、私にとって一種の間をつくっていくことであるようにも感じられます。

投稿: ほしの | 2006/09/06 9:52:57

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