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2006/09/10

国宝にはならないのです

気分が変わるときはがらりと
そうなるもので、
 志向性のモードが変わった。

 おそらく、その変化は半年とか一年後に
ゆっくりと姿を現してくるんじゃないか。

 「和樂」の渡辺倫明さん、それに
橋本麻里さんと山陰を回った。

 浸食でできた海の洞窟や、
 海辺の神社、
 それに大社造りの古社を巡った。
 最後のものは神社建築には珍しく
国宝なのだそうである。

 神社が国宝にならない理由は、宮内庁管轄
だからなどと考えていたが、
 そうでもないらしい。
 
 このあたりの知識に(も)詳しい橋本麻里さんに
聞いた。
 
 「ということは、伊勢神宮はなぜ国宝に
ならないのですか」
 「建物が新しいからではないですか」
 「物理的に新しくなってしまうと、国宝には
なりませんか」
 「ソフトウェアが古くて価値がある、という
のでは、国宝にはならないのです。」
 「うーむ」

 20年毎に遷宮を繰り返す、というような
ことは、文化財保護制度が想定していない
事態なのだろう。

 「日本のクオリアを旅する」という
連載の取材だが、
 できるだけ楽器としての自分を鳴らそうと
思っている。

 ある体験の本質はそのクオリアに現れる、
故事来歴や固有名は本質ではない、というのが
マニフェストだが、
 クオリア原理主義の具体を解明しようと
すると、これが案外難しい。

 クオリアというのは意識の現れの
ようだが、
 そこで起きていることは無意識からの
生成であり、奔流であり、
 自分がどのようなクオリアを感じているか
を把握することは、
 結局は無意識と向き合うことにつながる。

 林を渡る風を感じ、干されたシロイカの
しんなりとした姿を見つめながら、
 今私に起こりつつある事態とは
一体何なのか、ずっと考えていた。

 出雲大社にも行こうとしたが、
時間切れの気配があり、
 空港へと方向を変える。

 美保関で買った焼きシロイカが、
そのままになっていた。
 「あれっ、アイスクリームのコーンの
匂いがするなあ。あっ、そうか。焼きイカか」
と言ったのは、渡辺さんである。

 ビールで乾杯して、
懸案の焼きシロイカを
テーブルに出した。

 「大丈夫でしょうか」
 「おつまみセットも注文しているから、
大丈夫でしょう」
 「さっさと証拠隠滅しなければ」
 「ああ、しかし、ボクはもうお腹が一杯で
たべられそうもありません。ちょっと電話を
してきます」

 そう言って渡辺さんは立ち上がった。

 山陰を回っている時、
 あちらこちらで声をかけられて、
はずかしかった。

 前日の地元のテレビで松江東高校での
講演の様子が放映された影響だろう。

 ロケットに乗って上昇するフラワーピッグを
描いて許していただいた。

9月 10, 2006 at 07:39 午前 |

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コメント

“クオリアというのは意識の流れのようだが、そこで起きていることは、無意識からの生成であり、奔流であり、自分がどのようなクオリアを感じているかを把握することは、結局は無意識と向き合うことに繋がる”。

クオリアは五感で様々なものごとを感じているときに、無意識のうちに奔流のように爆発的に自分の中にて起こってくるものなのかもしれないが、その生成過程などを科学的視点から具体的に述べるのは、いかに脳科学界の精鋭と言えども、きわめて至難のことに相違ない。

脳…心…生命の問題、なかんづくクオリアの問題と言うのは、あらゆる心脳問題上の課題の中でも、難問中の難問ではないか。“無意識”が必ず絡んでくる、その発生過程から意義にいたるまで“純粋に”科学の力で解き明かそうとするのは、脳のほかの機能を明かすことよりも至難の技であろう。
クオリアの問題を解くには、それこそ純粋な科学だけでなく、哲学、思想、宗教、芸術などに対する俊敏なセンスがないと出来ないだろう。

その為にマニフェストを宣言までしてクオリアの問題解明への挑戦を繰り返している茂木先生は、そうしたセンスを備えている数少ない研究者だと思う。

いずれにしてもクオリアの問題をもひっくるめて、脳を…さらには
“魂”を科学する、ということは、我々のような凡人の想像を絶する艱難が山脈のように横たわっているに違いない。


くしゃくしゃアタマ、童顔のフラワーピッグがその艱難の山脈を登攀しきる日が何時か必ず訪れることを念願したいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/09/10 10:48:50

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