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2006/09/24

ぐるぐると回る土塊(つちくれ)の上に

相澤洋二さんは、私の
大好きな先生の一人であって、
 目に明るい狂気の影があるというか、
アタマの中でずっとジャズの音楽が
鳴っている気配がある。

 シンポジウムの最後にあったディスカッションで、
相澤さんが、
 「物理学を初めとする客観化という
ことについてどう考えるのか、
 そのことをみなさんどう思いますか? 
 それではダメだ、というのだったら、
思い切り主観というものに向き合うべきなので
あって、
 その勇気がないのだったら、やらなければ
良い」
という意味のことを言われたのが
大変印象的であった。

 私は、それを受けて、
 「確かにコペルニクス的転換が
必要とされているのかもしれませんね」
と言った。
 
 今となっては当たり前のことだけれども、
天動説の世界から地動説への転換は
大変勇気の要るジャンプだったに違いない。

 自分たちが安定した世界の中心に
いるという世界観から、
 一気に、宇宙の中を物凄いスピードで
ぐるぐると回る土塊(つちくれ)の上に
立つという脆弱な虚空の中に投げ込まれる。
 それが、ショックでなかったはずがない。

 私は、意識のハードプロブレムに
どのような戦略で臨むべきか、
という話をしたけれども、
 どこかでコペルニクス的転換に相当する
ジャンプをする必要があるのだろう。

 足元がふらふらするような
脆弱さの中に飛び込む必要が
あることを銘記せよ。

 時間の方はまったく破産していて、
大変苦しい。

 シンポジウムの後電通の佐々木厚さんが
来ていて
 数人で焼き肉屋に入ったが、
 マジできびしくビールを一杯飲んで、
キムチを食べたところで
 出た。

 灯台守になって、光の番だけしながら、
ゆったりと思索できたらどんなに
いいかな、と思うときもある。

 幸福な人にも、不幸な人にも、
宇宙の光は平等に与えられている。

9月 24, 2006 at 04:33 午前 |

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» 大転換が必要な課題 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@プトレマイオスの天動説が浸透しきっていた時代、「動いているのは地球で、太陽ではない!」という説「地動説」をうちたて、証明した二人の科学者がいた。 @それが、コペルニクスとガリレオ・ガリレイだ。 @彼等は天文への深い思索と観察の末に、太陽系の真実を発見し、天動説は間違っていることを確認した。 @その「真実」とは「宇宙(太陽系)の中心にあるのは太陽で、地球はそのまわりを他の惑星といっしょに廻っている一塊のつちくれにすぎない」ということである。 @しかし、彼等が折角この真実を発見したのに、彼等によって天... [続きを読む]

受信: 2006/09/24 11:22:15

コメント

はじめてコメントさせていただきます。最近、毎日こちらの日記を楽しみに拝見しています。
私は、美術館で学芸員をしており、展覧会の企画の合間にここ6年ほど、小学校、文化ボランティアらと連携で作家と出合う陶芸制作や本物作品の鑑賞を組み込んだ出張や来園の授業を展開しています。(年間3000人ほどの子どもたちが関わってきました)そこでは、子どもたちが、粘土の触覚を「気持ちいいー」と言いながら、とてもうれしそうに、集中して作品に取り組む場面に出会います。(たびたび学習障害の子どもたちが、みんなと制作を完結させることができたり)日常で自分たちに見せなかった表情を見せてくれると現場の先生方がおっしゃるので、この粘土という素材の特殊性や、人にもたらす効果というものについて、もっと知りたい、どなたか研究はどうなっているのか?臨床心理学?心理学?はたまた脳の研究?などと思いながら、模索していました。仕事で出合う作家たちが作品に向かうバイオリズムにも興味があったのですが、小さなアーティストたちの、触覚を楽しみながら導かれている創造力に、とにかく驚かされています。彼らが見せる創造性溢れる、ものづくりの大切な瞬間に、授業ごとに立ち会っているので、そのメカニズムに大変興味をもつようになりました。(このような貴重な現場にいるのだから、何か研究できるのかもしれないとも)またこのような粘土が、触覚から創造性や心に働きかける重要な素材であるとすれば、さらにこのような取り組みを広げていくことが必要かもしれないと、思うのです。
 茂木先生のお忙しいなかの「余裕」のリアルな描写がとても面白く、毎日楽しみにPCを開いています。この取り組み自体に”土塊の上の脆弱さ”を感じながらも、土には何かとてつもなく大きなパワーがあるような気がして…。季節の変わり目、お体にはくれぐれもご自愛くださいませ。
滋賀県立陶芸の森学芸員 三浦 弘子

投稿: | 2006/09/24 23:16:06

このエントリーを読み、かつてコペルニクスの地動説を証明したガリレオ・ガリレイが、裁判に敗訴したとき、

「それでも地球は動いている」

と言ったのを思い出した。
当時は天動説が正しいと思われていた。それがコペルニクスとガリレイによって大転換された。で、神学者たちをはじめ、天動説の信奉者たちはその衝撃に耐えられず、ガリレイを裁判にかけたのだった。自分達が安定した宇宙の中心だと思っていた地球が、実は太陽という名の燃え盛る炎の恒星のまわりを、恐ろしく凄まじいスピードにてぐるぐるまわっている、ただの脆弱な土塊(つちくれ)に過ぎなかったことを知ったときの衝撃は、それこそ世界がひっくり返るほどであったろう。

そしてその弱々しき土塊の上に立っているという虚空に投げ込まれるという恐怖を人々が襲ったことはいうまでもない。ガリレイを裁いて有罪にしたのは、この脆弱な虚空に投げこまれた、人々の―特に神学系統の学者達の―自分達の信じていたものがひっくり返されたことに対する、言い知れぬ恐怖感だったのではないか。

今では天動説よりも地動説の方が正しいことがガリレイ以後の天文学者によって証明された。


天文にせよ、意識にせよ、未解決の科学史上の難問題(ハードプロブレム)を完璧に解明するには、コペルニクス的大転換を期すべく、大いなるジャンプをして、足下がぐらつくほどの弱々しさの名かに飛びこんでいくことが大切なのだろう。

茂木先生にはそれをやれる勇気と執念があると、小生は思っている。いま先生は恐ろしく多忙だが、必ずそれをやれるときが来ると、思っている。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/09/24 10:46:35

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