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2006/09/05

時にキラリと宝石のように輝くなにか

 保坂和志さんと、お話しする。
 保坂さんの「新潮」連載が二冊目の本
『小説の誕生』にまとまるのを
記念して。

 「保坂さん、この連載はいつまで続くんですか?」
 「一応、第三期で終わる予定なんだけど、
第三期は隔月になったから、再来年くらいまで
かかるかなあ」
 「次の小説は?」
 「第三期連載が終わってからだから、その後に
なるかな」

 「小説の本質は、これ、と切り出すことが
できないものだけど、現代は切り出すことの
できる作品の方が流通しやすいですよね」
 「そうなんだよね。でも、そういうのは
状況論だから。それにとらわれずに、なるべく
明るくいきたいと思っている」
 「科学でも、似たようなことが起こっています。
複雑系のような、全体性を引き受けようとする
試みは挫折の連続。わかりやすい断片的な知を
流通させるという方向に全体が流れています」
 「ああ、そうか、科学でもそうなってるんだ」

 「保坂さんは、抽象的、本質的な議論と、
身辺雑記のようなものを区別なく共存させて
いますよね」
 「ああ、あれはボクの前からの特徴で、
サッカーの話をしていたと思うと、いきなり
あのような難しい話になってしまうんだよ」

 「小林秀雄の散文が好きですが、一方で
青山二郎に、お前の書く文章よりも座談の
方がはるかにおもしろい、と言われもしている。
 プラトンは話し言葉の方が書き言葉より
上だと考えていましたが、話し言葉のエラン・
ヴィタールのようなものを生かした文体を
つくるというのは課題で、保坂さんの文章は
その意味で面白い」
 「だから、手書きをしているんだよ。
話し言葉の面白さを表すためには、ワープロで
打つより手書きでうねうね書いた方がいい。
 ぼくは、一つの仕事をしている時には
基本的に他の仕事はしない。
 一週間から十日で、「新潮」の連載原稿
50枚から80枚を書く」

 「ダンサーの金森穣さんとお話した時、
金森さんが、身体表現を本当に突きつめようと
思ったら、おもいきりゆっくり動かして、
その際にどのような筋肉がどうかかわっているのか、
それを把握してからじゃないとダメだと言って
いました」
 「ああ、それとは違うよ! だって、ぼく
ゆっくり字を書いているわけじゃないもん」
 「そういうことじゃなくってですね(笑)。
字そのものを書くのは普通のスピードでも、
 全体としてゆっくり書いているわけでしょう。
ぼくも、難しい文章を書く時にはゆっくりに
なります。でも、さぼっているという感覚は
全くなくて、何やら軟体動物のようなものが
内側でうごめいているのを感じる。
 その軟体動物の動きには案外無駄がなくて、
ただ外に出てくる文字表現がゆっくりになるだけ
という感覚になります。」
 「ああ、そういうことだったら。ボクも、
さぼっているわけじゃないからそうだ」

 「小島信夫!」
 「カフカ!」
 「グーグル!」
 「再び小島信夫!」
 「再びカフカ!」
 「一回休んでグーグル!」
 「つまりは、言葉で表せないものを表現しようと
しているわけだからねえ。時間がかかってしまう、
ということではないんだ。時間がかかるような
ことをしたいんだよ。」

 対談の模様は
 新潮社のPR雑誌「波」に掲載される予定。

 須貝利恵子さん、保坂さんと鰻丼を食べて
いたら、「新潮」の編集長の矢野優さんと、
おなじみ、北本壮さん、金寿煥さんが
現れた。

 「7万!」
 「10万!」
 「韓国語版と併せてでどうだ!」
 「ホッピー!」
 「村上春樹!」
 「大江健三郎!」
 「踏み絵!」
 「版権を求めて三千里!」
 「新婚家庭!」
 「葛岡晃来襲!」
 「旅は女性誌になった!」
 「それで茂木さん、これが10月刊行予定の
南直哉さんの
「老師と少年」のゲラ
です。原稿用紙100枚ですが、キキセマル
出色の出来です。ぜひお読みを!」

 ぼくの人生はクオリアを始め難しいことに
絡め取られて、なんとか動きたいと
思っているのであるが、
 時にキラリと宝石のように輝くなにかが
現れて、ぼくの魂に息を吹き込んでくれる。

 保坂和志さんのaspectual shapeとか、
「老師と少年」とか。

9月 5, 2006 at 08:47 午前 |

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コメント

こんなに頑張ってるんだから 助けは、有るな!と

驕っていても 助けはある!

自他ともに 認める 何かが 満ちる時 

確実に足元を照らす 行灯のように 。。。☆

投稿: | 2006/09/05 22:48:19

保坂さんとの会話のやり取りが結構面白いです。その保坂さんが、「話し言葉の面白さを現わす為にはワープロよりも手書きがよい」と仰っているのが印象深かった。なるほど、ワープロやPCを使った文章よりも、生身の言葉としての血肉が伝わるような気がする。

私もこうして茂木先生の、このブログにコメントしたり、ブログを拵えてそこに文字を打ちこむ前は、シャープペンを握って手書きで文章を書いていた。ところがインターネットという“便利な”ものが現われたら、手書きの習慣がホトンドなくなってしまった。

一方的な“決めつけ”じみた言葉が飛び交うネットの世界。手書き以外でも、話し言葉の血肉が、魂が伝わるような文章表現のありようを模索しなくてはならないのかもしれない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/09/05 22:35:01

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