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2006/09/29

思い切りgeekで、space cadetでいいんだけど

 時が経つにつれて考えることは
いろいろ変わっていくけれども、
 今、「人生の目的は何ですか?」
と聞かれたら、
 「学習すること」
と答えるかもしれない。

 open-endedな人間の認知過程には
終わりがない。
 「気付き」のメタ認知を通して、
人間はどんどん変わっていく。

 学習という視点から見ると、どんな経験も
楽しめる。
 一生、完成型などない。

 創造的と言われる活動分野においても、
99%は学習である。
 残りの1%に独自性のインスピレーションが
宿る。

 BBCのサイトで、A brief history of infinityという
podcastを見つけた。
 オーストラリアの物理学者Paul Daviesなどが
無限について語っている。

 イギリスのこの手の番組の質は高い。
聞いていて齟齬がなく、気持ちが良い。

 Part Iで、「宇宙はビッグ・バンによって
始まりました」
と言った後、

 ぶっおおおおおおおん!

という爆発音が入る。その後で、

 「すみませんでした。ハリウッド的に過ぎましたね。
実際には、宇宙には空気がないので、音はしません。
ビッグ・バンは、実際には、こんな感じでした」

 ・・・・・・・・・・

というような感じで無音が数秒続く。

 Part IIではカントールの無限集合論をやっていた。
 もともとは9歳の男の子が考えたという
大きな数の単位、googolの話も
出てきた。
 googolは10の100乗のことである。
 (googleという社名はここからとられた)
http://en.wikipedia.org/wiki/Googol

 こういうのが、ラジオとはいえ、日本でできるか
と言えばできないだろう。
 日本のマスメディアは心優しくて、
「こういうことを言うと視聴者がわからないんじゃ
ないか」という配慮を常にしている。

 でも、日常って、とにかく自分にはわからない
こと、計り知れないことがたくさんある。
 そういうものに囲まれているからこそ、
学習できるという側面がある。

 「わかりやすく」という素材は、本当は
学習的ではない。

 インターネットでさまざまなalternativeな
道が出て来てもよい時代だろう。
 たとえ、それが最初はLong tailだとしても。

 Yahooの検索会議というので、
増井俊之さんと一緒に30分ずつ喋った。

 増井さんは研究所の昔の同僚だが、
明後日からアメリカのAppleで働くために
カリフォルニアに行くという。

 「引っ越しの準備はできましたか?」
 「大変ですよ。段ボールと格闘していますよ」
 「住む家は決まったんですか?」
 「決まりました。ベッドルームが6個あります。
最近、あっちでは家を探すとき、掲示板で
やるんですね。物件を見つけて、相手方と
交渉して、弁護士が出てきて書類を書く。
 不動産屋が介在しないんですよ。あれは
いいなあ」

 ボクは、searchとchoiceという話をした。

 ボクは、ガジェット・マンだし、
インターネットのような新しいメディアは
基本的に抱きしめる方だけれども、 
 一方で、常に「人間」の方に引き戻したい
とも思っている。

 「できることは何でもやる」という
googleスピリットが現代のメルクマールで、
 ボクもそれに賛成だが、
 一方で、原理的な困難の方にも向き合うことを
忘れないでいたい。

 constructive empiricismと、原理的な思考の
両方を忘れなければ、おそらく大丈夫。
 一つの方向だけに行くのが一番危ない
(というかつまらない)

 だから、思い切りgeekで、
space cadet
でいいんだけど、その一方で良質の文学作品を
読むようなことも忘れない方がきっと
脳の学習としては良い。

 ボクは検索会議に出ていた人たちの
明るい実際主義をとても良いと思った。
 人間が、チューリング・マシーンから始まって、
インターネットという遊び場を手に入れてこと
(そこでは、最もシリアスな仕事が、最も
楽しい遊びとイコールになってしまうのだ!)
は凄いことだと思う。

 その一方で、電車の中で読み返している
漱石の『行人』の散文としてのすばらしさも
忘れないでいたい。

 仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。

 何気ない部分にこそ、漱石の凄みが
顕れる。
 前からずっと読んでいくとわかります。
 
 ボクは、現代人は、人間性と
明るい実際的態度の間で引き裂かれているのかも
しれないが、だからこそこの世は面白い
んだと思う。
 
 人間の本質を考えることと、
ネットの技術のブレイクスルーのための
課題は無縁ではないはずだ。

 だって、人間は結局幸せになりたいんだからね。
 幸せの条件がいかに複雑なものかということを、
文学者は良く知っている。

9月 29, 2006 at 04:57 午前 |

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コメント

スペース坊やがやさしく歌うよ。
|     _      ̄
(校舎のかげ、芝生のうえ、すいこまれる空。。。とかなんとか)

投稿: yo | 2006/09/30 9:39:31

今日、私は遅すぎる夏休みをとって、“自然の本質を探って、自然とどのように折り合いをつけていくかの媒介物として自らを考えていた”芸術家の展示をみてきました。
茂木さんは「人間の本質を探りながら、ネットとの折り合いを考えて」くださってるのかな、と思い、ちょっと感謝したくなりました。

投稿: kyono | 2006/09/30 0:41:29

だって、人間は~
最後の3行。ふっと、じわっときました。
素直に漱石を読みたい!と思って本屋さんにいったら、
漱石おいてなかった・・・・。

投稿: 平太 | 2006/09/29 21:25:50

人の認知過程はopen‐endedで終わりが無い。しかも一生、未完成である…。そもそも、心のベースステーションである脳がopen‐endedなシステムなのだから。

人間は本来、死ぬまで学習し続ける動物だ。

クリエイティヴな分野でさえ99%の学習と1%のオリジナリティ・インスピレーション。

人は人生で沢山のことを学習することによって無限に成長を続け、変わって行く。

「わかりやすさ」について、仰る通り、日本のマスメディアというのは「こういう事を言うと、視聴者がわからないんじゃないか」という「配慮」を常にしているというが、それは本当は、配慮でなく、「余計なお世話」でしかない。それこそ、学習的とはいえない。

自分がわからないもの、計り知れないもの――自分にとっては未知の領域に囲まれていればこそ、本当の意味での学習ができる。

「わかりやすさ」という言葉は、両刃(もろは)の剣だと思う。たとえば、仏教で最高の経典である「法華経」の難解な法理を民衆に解く為に釈尊や日蓮は、民衆に理解出来るように、巧みな譬喩を用いて、法華経の難解な教えを噛み砕いて説いていった。

そういう意味でなら「わかりやすさ」も必要なのだが、今の日本のマスメディアのように、視聴者の無理解を恐れて、難しい問題をストレートに言わないのであれば、それこそ、そういう「わかりやすさ」は、結果的に民衆を愚弄しているだけで、「配慮」でもなんでもない。視聴者をこれ以上「衆愚」にしないためにマスメディアは、難しいことヘタに「わかりやすく」しないで、敢えて言うべきである。

ネットの時代だからこそ、人間の本質に立ち向かうこと、原理的な難題に立ち向かうことがいよいよ大事だと思うのだが。

その原理的な問題とは、それは生命の本質に関わる大きな問題のような気がするのでは。

しかし、ネットと共存しながら、そういう問題に立ち向かおうとしている人は、意外に少ないと思う。

茂木先生は、その数少ないタイプの一人だと思いマス。

オイラも、時代と共存しながら、難儀なる人間の本質的課題と向き合いたいと思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/09/29 19:33:35

geek 行人 space cadet

絶対を意識して、それからその絶対が相対に変わる刹那を捉えて、そこに二つの統一を見出すなんて、随分骨がおれるだろう。第一人間が出来る事か何だかそれさえ判然しやしない。

兄さんはまだ私をさえぎろうとはしません。何時もより大分落ち着いているようでした。

私は一歩先へ進みました。  

           昇華 行人

投稿: 一光 | 2006/09/29 8:01:49

茂木先生のブログを読むのは、本当に楽しみです。漱石の一文を示されていましたが、そうした日々の機微を感じながら、人間は感情の生活をしていると思います。どんなに強引な商取引をしている人でも……。人は多重な性格を生きるしかない、と考えています。それもなるほど、脳がそれを求めるからなのでしょうね。

投稿: 内嶋 善之助 | 2006/09/29 7:55:22

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