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2006/08/31

プロフェッショナル 仕事の流儀 野村陽一

プロフェッショナル 仕事の流儀 第24回

一瞬の美にすべてを懸ける

〜花火師・野村陽一〜

全国の花火大会で連戦連勝を続ける孤高の花火師、野村陽一、55歳。最も格式の高いといわれる秋田・大曲の花火競技会で2連覇、そして茨城・土浦の競技大会では4連覇を果たすなど、花火界は今まさに、「野村の時代」を迎えている。
野村の花火は圧倒的に美しい。正確な円形、鮮やかな色彩。光の一つ一つが一糸乱れず瞬いては消える。その影には、ミリ単位の精度で花火を作り上げていくという野村のすさまじいまでの執念がある。花火の光の1つ1つを構成する「星」と呼ばれる丸い火薬は、菜種などの「芯(しん)」に水に溶いた火薬を塗りつけて作る。1日に塗る火薬の厚さは0.5ミリ。それを半日かけて天日で完全に乾かす。これを何ヶ月間も、ただただ繰り返していく。それでも出来が気に入らなければ、一からやりなおす。地道な作業を、完ぺきにこなしてこそ、花火は人々の記憶に残るものとなる。その揺るぎない信念を野村は、20年間という長いどん底の中でつかみ取った。希代の花火師、野村陽一の一夏に密着し、職人魂の深奥に迫る。

NHK総合
2006年8月31日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

8月 31, 2006 at 07:59 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

落語家のヒトと話したような

多用につき
 簡潔に。

 日本進化学会シンポジウム。
 終了後、郡司ペギオ幸夫が「大学に
電話しなくちゃ」という。

 それで、携帯電話を貸したら、
芝生の上に横になって、茂みに
頭を突っ込んだ。

 おしりだけがぷくりと出ている。
 一体何をしているんだろうと
思ったら、
 パソコンの画面が明るいところだと
見れないので、暗い場所を
探しているのだった。

 研究室の学生たちが大いに受けて、
ぱちぱちと写真をとる。
 「初郡司」体験の田辺史子は、
ショーゲキを隠せない様子であった。


パソコン画面をのぞき込む郡司ペギオ幸夫
撮影 茂木健一郎

 私とか池上とかは、郡司の奇行を見慣れて
いるので、何ていうことはない。
 あら、そう、てなものである。

 新宿で、池上高志、郡司ペギオ幸夫
と鼎談。

 カレーをぱくぱく食べながら
ぺちゃくちゃ喋った。
 
 郡司的なモデルは
脳で言えば「情報表現」「計算」の切り出し
に相当するのか?

 いずれにせよ、neural correlateという
概念を徹底的に追求していった時に、
 案外non-trivialな問題が立ち現れる
のだと思うのだ。

 そうではないですか、池上高志さん。

 江原啓之さんにお目にかかる。
 とても面白い話だった。
 江原さんがなぜ今のような
活動をされているのか、
 その個人史的必然性を
受け取ったように思った。

 下町生まれという江原さんは気さく。 
 思い出すと、落語家のヒトと話した
ような印象へと変貌している。

 楽しみにしていたのだが、
部屋の中を言い当ててもらう機会がなかった。
 もし、江原さんが次のようなことを
言っていたら、
 私の世界観は大いに揺れ動いていたこと
だったろう。

 「茂木さんの部屋ね、開封しないで
積まれている沢山の郵便物が見えますね。
 本も置き場所がなくて床の上にどーんと
積んでありますね。
 仕事で使う本を探すとき、いつも
必死で横ばいになっているでしょ?
 読み終わったファックスは、
捨てましょうね。
 あれ、用紙の端が赤くなっていますよ。
そろそろ交換ですね。」
 
 椎名誠さんにお目にかかる。
焚き火の前で絵本の話をして、
ビールを飲んだ。
 最近の椎名さんの遊びの
中心は釣りだそうである。

 さすが焚き火名人。
 「生木の焚き火が最高ですね」
という意味が、一夜のレッスンで
よーくわかりました。

 椎名さんに言わせると、乾燥した、
よく燃える木の焚き火は「ゲヒン」
なのだそうです。

 「焚き火は人生みたいだなあ。
最初は火がなかなかつかなくて、
 そのうちに本格的に火がついて、
めらめらと青年期を迎える。
 そのうち、火の勢いも衰えてきて、
 いよいよオレの人生も終わりか、
と寂しい気持ちになってくる」
 と椎名さん。

 あさってからチベットに行くとのこと。
 椎名さんの人生は、まだまだ
新しい薪をどーんと投入!
 の気配だった。

 私の方は
 今日、明日、あさってと
「危機」的ハードスケジュール。
 ナントカ乗り切れるだろうか。

 晴れ時々、焚き火にビールな人生を
確保したい。

8月 31, 2006 at 07:53 午前 | | コメント (5) | トラックバック (4)

2006/08/30

超絶技巧であることは間違いない

インターネットというのは便利なツールだが、
その上にあるテクストには偏りがある。

 同時代というのは、暗黙のうちに
ある精神性を前提にしているところがあって、
 知らず知らずのうちにとらわれてしまう。
 
 これだけインターネットの存在感が
圧倒的になってくると、
 自然に対する人工、のような対立軸と
同じことが、
 非インターネットとインターネットの
間に生じてきているように思う。

 昔、養老孟司さんがコマーシャルで
「私は一日に10分は
人間がつくったものではないことを
読むようにしています」と言っていたけれども、
 ネットを経由して来るのではない、
時代や文脈の離れた
テクストを読むということがバランス上
大事になってくると思う。

 ということもあって、朝食の前などに
小林秀雄全集を拾い読みしたりしている。

 田中美知太郎さんがプラトンの事を書いていたのをいつか読んで大変面白いと思った事がありますが、プラトンは、書物というものをはっきり軽蔑していたそうです。(中略)従って彼によれば、ソクラテスがやった様に、生きた人間が出遭って、互いに全人格を賭して問答をするといふ事が、眞智を得る道だったのです。そういう次第であってみれば、今日残っている彼の全集は、彼の余技だったという事になる。彼の、アカデミアに於ける本当の仕事は、皆消えてなくなってしまったという事になる。

(「喋ることと書くこと)小林秀雄全集(新潮社)第十一巻)

 代々木で降りて、久しぶりに
明治神宮の森を抜けた。

 そうか、そういうことか、と思った。

 人と対話するということは、
理想を言えばプラトンにつながる。

 現代のプラトンは案外電波の中にいるのか
もしれない。
 スタジオで奇跡を起こしてやろう。
 そうすれば、アカデミアの仕事は消えずに残る
だろう。

 参道には、私の大好きな「光の川」が
できていた。


明治神宮の「光の川」2006年8月29日
撮影 茂木健一郎

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、島根県の中学校で英語を教える
田尻悟郎さん。

 田尻先生の授業は、子どもたちの表情が
イキイキとしていて、
 笑いが絶えない。

 普通の授業は、だまって聞いている、
という時間が多く、
 「オンタイム」が案外少ないが、
田尻先生の授業は、「オンタイム」
が長い。
 子どもたちが主体的にinvolveされている。

田尻先生の授業を、受けてみたい!

 住吉美紀さん(すみきち)の冒頭の
せりふの言い方のテクニックに感心した。

 「さて、今日は、全国のお父さんお母さん方、
必見です」
というのだが、
 「お父さんお母さん」の前に、
笑うというか、声がほころぶというか、
なぞの現象が起こり、
 その明るくふくらんだ勢いで
言葉が発せられていくのである。

 しかも、その瞬間、カメラが切り替わって
ワンショットになり、すみきちの顔が
大写しになるのである。

 一体何をやっているのか、よくわからないけれども、
コロラトゥーラのソプラノに匹敵する
超絶技巧であることは間違いない。
 
 しかも、すみきちは、3、4回繰り返した
全てのテークで、
 上の「ほころび笑い」のようなものを
繰り返すのだった。
 
 あれは偶然ではなかったのか、
意図的にやっている「何か」だったのか、
と思うと、その計り知れない技術に
人が話すということの奥深さを思い知らされるの
だった。

 すみきち、恐るべし!

 有吉伸人チーフプロデューサー(ありきち)
も、「すみよし、今の最初のところ、良かったよ」
と首からタオルをかけて言ったのであった。

 プラトンの言うように、人と人との
ディアローグの中にこそ、なにかが生成される
んだろう。

 今日は進化学会なので、久しぶりに
郡司や池上、岡ノ谷さんと会って、話すことができる。
 楽しみである。

 プラトン、降臨すべし。

8月 30, 2006 at 07:33 午前 | | コメント (8) | トラックバック (0)

2006/08/29

確かに死語なんではないか

論文の英文をコツコツと
修正している時間の流れは好きだ。
 
 ひとりの職人のように仕事に向かい合い、
没頭すること。
 その間、自分もなく、時間の流れもない。
 生きているということを実感するのは、
往々にして
 時間の流れが苦しいまでにリアルに感じられる
時だけれども、
 時間や自己が消える時が一番充実している
というのはひとつのパラドックスだろう。

 久しぶりにNHKへ。打ち合わせ二件。
 
 住吉美紀さん(すみきち)さんが
短いズボンを履いているのを見て、
有吉伸人(ありきち)さんが
「おっ、すみきち、今日はホットパンツだな」
 と叫んだ。
 「ホットパンツ?!」
 山口佐知子さんとすみきちが
同時に叫んだ。

(お断り:当日記は、やまぐちさちこさんを
「山口幸子」と記して来ましたが、
 実は「山口佐知子」と書くことが
判明しました。お詫びするとともに
訂正いたします。これは、やまぐちさちこ
さんが幸薄い、という意味では決してありません)

 「ホットパンツ」というのは、確かに
死語なんではないか。
 旭川局から来た森田哲平さんが
笑っている。

 打ち合わせの時には橋本さとしさん
のナレーションがまだ入っていないので、
PD(プログラム・ディレクター)の人が
あてて朗読する。

 ところが、所々つまってしまう。
ありきちさんが、「おい、森田、
東京に出てきたら、すみよしが渋谷のギャル
みたいな格好しているから、くらくらしているん
じゃないか」
という。
 「ゴクアク三兄弟」の三男、河瀬大作さんが
「東京というのは恐ろしいところだなあ、
と思ったろう」
 と追い打ちをかける。

 「それにしても有吉さん、今日は、
森田、と呼び捨てにしたり、プロデューサー
っぽい言動が目立ちますね」
 「セーターを肩にかけなくっちゃ!」
 「それで、人差し指を突き出して、
「ハイ、そこ行って!」とか言わなくちゃ!」

 打ち合わせの空き時間、私が
ワードファイルを開けて、英文を
直していると、すみきちが質問して
来たので、説明した。
 「つまり、私はチーフプロデューサーの
ようなもので、一人ひとりの学生が
プログラム・ディレクターのようなもので、
一緒に「番組」(論文)をつくります。
 しかし、自分自身がプログラム・
ディレクターになることもあります」
と言うと、すみきちが、
 「それは、うちの業界ではわかりやすい
説明ですねえ!」と言った。

 ロシアの土産はチョコレートを持っていったが、
すみきちがぱくぱく食べている。
 「私、チョコレートとまらなくなるんですよお」
 「でもぜんぜん太らないなあ」
 「この前、友達と、死ぬ前に最後に食べたい
ものは何か、という話をしていて、私が
チョコレートと言ったら、エッ、てびっくり
されたんです」
 「・・・・(絶句)・・・・・」
 「茂木さんは何ですか? ビールでしょ?」
 「いや、その、死ぬ前にビールを飲む元気が
あるかどうかわからないから・・・」

 夜、日本財団ビルの中で「構想日本」
の会。
 少し早めについて、カフェで仕事を
していたら、
 構想日本代表の加藤秀樹さんが
迎えにいらした。

 甲野善紀さんと本格的にお話するのは
初めて。
 ぼくは、甲野さんが掘り下げていらっしゃる
ような身体性の問題と、
 身体性ということとは一見無関係に、
そこから離れる方向に進行
しつつあるように見える
現代の趨勢との間に何らかの関係性を
結びたいと思った。

 たとえば、ナンバ歩きのようなものを、
日本人はついつい西欧の「普遍」に対する
「特殊」だと思いがちだが、
 そうではなく、「特殊」がすなわち「普遍」
であるという覚悟を持つべきなのであろう。

 エルミタージュで、古代ギリシャの
彫像を見た時、人間の像と
神々の像がまったく同じであることが
印象的だった。
 古代ギリシャ人たちのように、
自分たちの身体性が、そのまま普遍につながる
という感覚を持ちうるか?

 明治以降、日本人は自分たちの身体を
普遍に対する特殊だと思いこまされている
ところがある。

8月 29, 2006 at 08:45 午前 | | コメント (7) | トラックバック (5)

2006/08/28

シヤカヤニスバヤクカレイニ

ロシアから帰ってきて、
近くの公園を歩いていたら、
 何だかいつもと感じ方が違って、おやっと
思った。
 
 言葉や記号に落とすことのできない形で
五感が刺激されること。
 自分の中のいのちのようなものが、周囲と
呼応して動きだすこと。
 そのようなことに敏感になっている
自分がいた。

 体験の中に実際にそのようなことが
あるということと、
それを言語化できるということは違う。
 こどもの頃、捕虫網を持って
野山の中に分け入っていたころにも、
確かに昨日感じたようなことを
感じていた。

 しかし、そのことを、あまりうまく
言語化できていなかったし、
 今でもそうなんじゃないかと思う。

 森の中を歩き、周囲に生命が満ちあふれている
その気配を感じること。
 セミや、鳥や、すごい勢いでもくもくと
育ち、そしてやがて枯れていく植物たちの
息吹を感じること。
 そのようなエラン・ヴィタールのシャワーの
中に身をさらすこと、
 生命の潮の流れの中に浸ることが、自分が
創造的に生きる上でも画期的に重要な
何かを与えてくれるんじゃないか。

 そんなことを考えながら歩いてきた。
 
 およそ、新しい考え方というのは、
最初は何らかの気配のようなものとして
来るのではないかと思う。

 プラトンが書き言葉を話し言葉の下に
置いていたというのは、エラン・ヴィタール
との関係においてだけれども、
 考えというものはそもそも「なまもの」
で、それを広く永く伝えようと思ったら
書き言葉という「碑文」にするしかないけれども、
 本当は意識の中の(あるいは無意識へと続く)
かぐわしく、些か頼りなく、そしてあくまでも
なまなましい気配として、考えるということの
最初の契機はある。

 その意味で、昨日公園の中を歩いていて
感じた何かは、きっとかけがえのないもので、
 しばらくは時々振り返り、
寄り添ってみようと思う。

 北の大地から
 帰ってきたら、さっそく仕事に追われている。

 私の人生において
「空白」をつくるというのは
とにかく一つの決意であるので、
 できるだけしなやかに、素早く、
そして華麗に手足を動かして、
 この難局を打破したいものだ。

 思えば、野のいきものたちはもともとそうやって
生きている。ヘタをすれば食われてしまうんだから、
しなやかに素早く華麗に動くのは当たり前だ。
 
 のたくり回っているミミズだって、あれは
それなりにシナヤカニスバヤクカレイニ
動いているんんだろう。

 葉っぱの上でじっとしているツマグロヨコバイ
だって、
 ぼろぼろになった羽で飛び回っている
シジミチョウだって、
 ロイヤルバレエ団のプリマも顔負けの
シヤカヤニスバヤクカレイナ動きを見せている。

 そして、やがて時は満ち、過ぎていく。

 早朝仕事をしていて、カラスの声に混じって
セミのそれが聞こえるのも、あとどれくらいの
ことだろう。

 シヤカヤニスバヤクカレイニ動き、
そしてそれもやがて沈黙する。

 いつか、様々なことの結末がつき、
宇宙の始原のエネルギーも燃え尽き、
 地球も太陽も全てなくなってしまった時、
残された
沈黙の音を聞くのは誰なんだろうか。
 
 そんなことを考えていれば、
 いにしえの人が神を思ったのも当然だ。
 
 エルミタージュで古代ギリシャの彫像を見ていて、
アポロンやアフロディテのような神さまと
人間がまったく区別がつかないことに
気付いてそこに大事な問題があると直覚した。

 フランクフルト大聖堂で見た様々な宗教的
モティーフにも、その問題はまっすぐにつながっていた
ように思う。


フランクフルトの大聖堂で。
撮影 田谷文彦

8月 28, 2006 at 05:18 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/08/27

シンポジウム 「意識の進化」

日本進化学会 2006年大会 シンポジウム

意識の進化
http://shinka.lab.nig.ac.jp/sympo_contents.html#s11

日時:2006年8月30日 (水) 9:30〜12:00 
場所:東京代々木
国立オリンピック記念青少年総合センター
http://nyc.niye.go.jp/

センター棟1階(101号室)

企画者:池上 高志(東京大学 大学院総合文化)

意識の問題は、その進化的基盤を考えることによって明らかになってくると考えています。そこで前回同様、今年も意識の進化シンポジウムを提案し、その数理論理的、脳生理学的、認知心理的、複雑系的考察を行ない、意識の進化を科学的問題としてグラウンドしたいと思います。

講演予定者
 
・池上 高志(東大総合文化)
 Homeochaos から意識へ

・茂木 健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所)
意識の第一原理

・岡ノ谷 一夫(理化学研究所脳科学総合研究センター)
自己言及・再帰性・ミラーシステム

・郡司ペギオ幸夫(神戸大・理学部)
時間の起源;現在に帰着しない過去

使用言語:日本語

8月 27, 2006 at 06:38 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

日経サイエンス 対談 「遺体科学」が目指す文化としての解剖学

茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア
「遺体科学」が目指す文化としての解剖学
ゲスト:遠藤秀紀(京都大学霊長類研究所教授)
日経サイエンス 2006年9月号
(2006年8月25日発売)

http://www.nikkei-science.com/

8月 27, 2006 at 06:02 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

蝶を見て動体視力を鍛える

ヨミウリ・ウィークリー
2006年9月10日号
(2006年8月28日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第19回

蝶を見て動体視力を鍛える

抜粋

 「そうそう、この感じ!」と見上げているうちに、ふと気付いた。蝶が飛んでいる様子で種類を見分けるということは、私にとっては当たり前のことだが、蝶を追いかけたことがない人には、不思議な芸当に見えるに違いない。実際、どう見分けているのか、言葉で説明しろと言われると、案外難しい。「ああいう風に飛んでいるのは、この種類」とパッと見てわかってしまうが、それは子どもの頃蝶を追いかけていたからである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

8月 27, 2006 at 03:52 午後 | | コメント (2) | トラックバック (0)

構想日本フォーラム 甲野 善紀 × 茂木 健一郎

第109回 構想日本フォーラム
古武術とクオリア  丁々発止の切り結び
甲野 善紀 (武術家) × 茂木 健一郎 (脳科学者)

日本財団2F・大会議室
2006年8月28日(月)18時30分
〜20時30分(18時開場)

http://www.kosonippon.org/forum/new.html 

8月 27, 2006 at 03:47 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

(本日)TOKYO FM 「松任谷由実のSweet Discovery 」

TOKYO FM 「松任谷由実のSweet Discovery 」
ゲスト:茂木健一郎
2006年8月27日(日)
13時〜13時55分

http://www.tfm.co.jp/yuming/

8月 27, 2006 at 10:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

トマトジュースのことを考えているだけでも

ルフトハンザというのは便利で、
機内でインターネットができる。

目覚めると、飛行機は北海道と同じくらいの
緯度を飛んでいた。

食事を挟んで、二つの映画を見た。
一つは、Rowan Atkinson(ミスター・ビーン)、
Maggie Smith、Kristin Scott Thomasが出ている
"Keeping Mum"、
もう一つはJennifer Aniston、
Kevin Kostner、Shirley McLaine が出ている
"Rumor has it"である。

前者はイギリスの映画だから意味がちょっと
違うが、文句を言う割には
ハリウッド映画を見るのは、
一つには
英語の勉強と割り切っているからである。

読む分には苦労しないが、
アメリカなまりの英語、
とくにスラングは苦手で、
テクストで見ると大したことを
言っているわけじゃないんだが、
音楽として聞き慣れていない。

どちらもコメディなのは、やはり、
行くときにみるのを途中で止めた
Mission Impossible IIIのように、
知性を感じない暴力表現に
不快な思いをするというような
経験をする確率が低いし、
そもそも私は笑いが好きだからである。

(Mission Impossibleは、もともとは
もっとウィットのあるドラマではなかったか?
IとIIは見ていないので何とも言えないが、
IIIについては、冒頭といい、その後の
展開といい、かなりNGだった)

フランクフルトでは、田谷と一緒に大急ぎで
1時間くらいで「カミカゼ」観光をした。
Dom(大聖堂)を訪れ、
それからゲーテの生まれた家
を目指して歩いて行き、
ゲーテの銅像を見上げたりした。

思えば、私は大いにゲーテを敬愛していた
時代があったのだ。

私の青春時代のある時期は完全にドイツびいきで、その
後いろいろぐれたり、気が散ったり、
忘れちまったりしたが、
精神の古層には、ドイツ的なるものが
確実にある。

ところで、ゲーテ的な世界と、
飛行機の中で見た現代の映画二本を
比べると、明らかにその精神世界が
違う。
「芸術」と「商業映画」を
一緒にするな、という意見もあるだろうけれども、
ぼくはどちらかと言えば、そのような
ジャンルを立てずに、すべてを
平等に見たいと思う。
 そもそも、同じ人間がつくり、
味わっているのだから、共通点も多いにある
はずで、
 一見軽薄なように見えるものの後ろに、
如何に深い人間ドラマを見るか、という
点に最大の関心があるのだが。

 キアロスタミが「桜桃の味」の中で、
現代的によくある「メイキング映像」
や「楽屋落ち」の手法の背後にある
精神的に深い問題を掘り起こしたことに
対する衝撃と感謝は、忘れてはいない。

 アメリカのハリウッド映画的な
ものの背後には、何が隠蔽されているのか?
 結局このような問題を真面目に考えないと、
現代に向き合っていることにはならない。

 ところで、トマトジュースに
胡椒と塩をかけて飲むのって、
すごく不思議である。

 もちろん「ジュース」なのだけれども、
何だかトマトそのものを食べているような
気分にもなる。

 まるで、野菜という固体が、
魔法で液体になってしまったよう。
 しかもその液体は、どろどろしていて、
今にも「立ちそう」で、
 なんだか別のカテゴリーのものの
ようなのだ。

 私の概念世界の中で、胡椒と塩をかけて
飲むトマトジュースは、野菜でもジュースでもない
ような、不思議な場所を占めている。

 無人島に行ったら、トマトジュースのことを
考えているだけでも一日はつぶせそうだ。

8月 27, 2006 at 07:09 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/08/26

ゆうみんがあそんでくれた。

こんにちは、田谷文彦(たやふみひこ)です。
茂木さんの「一番弟子」で、大阪大学で
博士号をとり、今同じ研究所で
研究しています。

サンクトペテルブルクで一緒に食事している
時に、茂木さんが、「大発見をしたぞ!」
と言いました。
「田谷くん、ひょっとして髪の毛毎日
クシでとかしている?」
と聞くので、正直に「ハイ」と答えました。

そうしたら、茂木さんが、「ひょっとしたら
昼間もときどきとかしているのか?
研究所のトイレなんかでも、鏡の前で
とかしているのか?」
と聞くので、
「自分の部屋の中が多いです」と答えました。

今朝、泊まっているホテルの朝食のテーブルが
一杯だったのを見ると、茂木さんが
Ich habe eine besser Idee
とかなんとか言いながら外に出ました。

となりに、Metropoleとかいう
もっと良いホテルがあって、
昨日の夜から目をつけていたようなのです。
ドアマンにGuten Morgenとか
言いながら、茂木さんはFrankfurter Allgemeineを
持って入って行きました。

ぼくがサラミとかをとって戻ってくると、
「ニュルンベルガーというのを注文しておいたよ。
フランクフルターよりも小さなソーセージらしいよ」
と言って、立ち上がっていきました。
とにかくいつも動いていて、落ち着きのない
人なのです。

何をしにいったのかと思ってみていたら、
なんと、シャンパンのグラスを二つ持って
現れました。
「いやあ、あそこにあったろ。あれ、飾りなのかな、
と思ってメニューを見てみたら、
飲んで良いみたいだから、持ってきちゃったよ」
と言っています。

それで、シャンパンを飲んで小さなソーセージを
食べている時に、突然茂木さんが言いました。
「そうか、うかつだったなあ。
田谷、猫読んだことある?」
「猫、ですか?」
「漱石の猫だよ、あの中に、迷亭って出てくる
じゃないか。あれって、酩酊から来ているんだなあ。
今まで気付かなかったよ」

茂木さんは、本当はグラス二杯飲むつもりだった
ようなのですが、メイテイしてしまうと
まずいのでやっぱりやめよう、
と言いました。

それから、ぼくの髪の毛を見て、
「田谷の分け目って、七三とかじゃなくて、
5.3対4.7くらいだなあ。やや右半球優位だ。
そうだ、そのことを日記に書こうと思って
忘れていた」
と言いました。

しばらくして、
「ぼのぼのって知っている? あの中に、
パパが遊んでくれた、というのがあるじゃない。
あれ、好きなんだ。昨日の田谷のユーミンとの写真、
「ユーミンが遊んでくれた」というタイトルで
ブログで引用しようと思っていたんだけど、
しまった、忘れてしまったよ」
と言いました。

それから、Frankfurter Allgemeineを読み始めました。
「ベートーベンは、もしかしたらフランス人だったのか?
だってさ」
と茂木さんが言います。
 ある指揮者がフランクフルトに来て、ベートーベンの
5番とチャイコフスキーの5番を振った
演奏会の評論を読んでいたのです。
「○○は、賢い芸術家ではあるが、インテリではない。
だってさ、ひどいなあ。ハハハ」
と笑いながら、茂木さんの目がきらりと
光ったのをぼくは見逃しませんでした。

また、何か、くだらないことを思いついたに
違いありません。

「そうだ、ブログ、田谷の一人称で
書いていいか? とりあえずホテルに戻って、
パッキングしよう。
小俣と柳川、恩蔵の論文、ソッコーで終わらせなくては。
サンクトでも進めてはいるんだけどね。
しかし、飛行機に乗ると反射で眠ってしまうから、
起きてからが勝負だな・・・うんぬんかんぬん」

茂木さんは一人で何かしゃべり、
ドアマンにAuf wiedershaun!
とかなんとかくだけたことを言いながら
出ていきましたが、ぼくは最初の一言が
気になって仕方がありませんでした。

部屋でパッキングしていると、
茂木さんから電話がありました。
「あのさあ、さっきの、田谷の一人称で
書いておいたから。見てみてね。
10分後にロビーね。一瞬だけ、
ドームを見にいってみよう。
じゃあ、後でね」
と言って電話が切れました。

ううっ。
多動症の人が師匠だと、
いろいろ苦労します。

でも、ユーミンさんとのツーショット、
イイカンジでお気に入りです。

しかし、結局のところ、
一番遊んでいるのは茂木さんのような気がして
ならないのです。


ユーミンが遊んでくれた。
田谷文彦、松任谷由実
サンクトペテルブルクの市場にて。
撮影 茂木健一郎

8月 26, 2006 at 04:20 午後 | | コメント (4) | トラックバック (2)

 ユーミン現る!

ホテルをチェックアウトした後、
私は終わらせて日本に送らなければならない
 急ぎの仕事があったので、
 ロビーにてかちゃかちゃやっていた。

 田谷文彦は、アストリアホテルの近くにある
聖イサク寺院の内部を見学に行っていた。

 突然、誰かが「茂木先生!」
と声をかけてきた。
 目をあげると、雲母(きらら)社の
小熊晃代さんである。

 後ろから、「あら!」という感じで、
サングラスをかけた松任谷由実さんが
現れた。

 先日ユーミンのラジオに行った時、
たまたま二人ともサンクトペテルブルクに
行くということが判明した。
 それで、「できれば現地で会いましょう」
などと言っていたのだけれど、
 ボクがチェックアウトする日に入れ替わりで
ユーミンがチェックインするということで、
これはムリだ! と諦めていたのである。

 ボクたちの飛行機は夜の7時で、
その前に田谷文彦とロシア料理を
食べに行こう、そうだ、もう一度きっちり
キャビアで勝負しよう、しかし、
その前に急ぎの仕事を
終わらせよう、とロビーにいた時に
ユーミンが現れたのである。

 「こんなに早くホテルに来るとは思いませんでした」 
 「飛行機が少し早く着いたの」

 サンクトペテルブルクの神様は
不思議な神様である!

 「ここで待ってますね!」
と言って、ユーミンを見送った。

 仕事を再開し、終了し、
 ちょうど電子メールを送り終わった時に、
ユーミンが
「これ、ウェルカムでもらったの」と
言いながらシャンパンを持って戻ってきた。

 通訳のターニャも一緒である。


ユーミン、ターニャ、田谷文彦、小熊さん
撮影 茂木健一郎

 きらら社というのはユーミンの会社で、
小熊さんはゆっくりシャンパンを飲む暇も
ないくらいいろいろ電話をしている。

 ユーミンたちは、来日するサーカス団との
仕事(ユーミンの歌で、サーカスの人たちが
何かするらしい!)でモスクワに来ている
のだが、
 その合間に、サンクトペテルブルクに
来た、ということのようで、
 そんなこんなを話しているうちに、
「じゃあ、ダヴィドフでご飯を食べましょう!」
ということになった。

 テーブルに座ると、ユーミンの
怒濤の注文が始まった。

 「どうせだったら、一番いいキャビア
食べましょう」
 「今、もってくるので、どの大きさが
良いか、決めてください」
 「そうねえ、じゃあ、これにしましょう」
 「パンケーキがいいですか」
 「それよりも、あの、黒いパンが
いいわ。なんていったっけ、あの、ドイツパン
よりも黒いやつ。あと、アジイカはあるかしら」
 「ないかもしれませんが、キッチンに言えば
つくるかもしれません。あるいは、運転手にそう
言えば市場から買ってくるかと思います」

 ユーミンがいろいろ「おいしそう!」な
アイデアを出すと、ターニャが見事に
それに対応する。
 そのやりとりの
コレオグラフィーを私は
 感心しながら見ていた。

 私など、メニューを見て、まずは
酒を注文して、「これとこれとこれ!」
などとテキトーに頼んであとはぼーっとしている
だけなんだけど、
 ユーミンは組み立てから自分で考える。

 凄いなあ、と思った。

 ダヴィドフはアストリアホテル内の
レストラン。
 アストリアホテルのエレベーターの
横には、過去に宿泊したVIPの名前が
プレートになっていて、
 大統領や王様の類も多い。
 どんな注文にも、柔軟に対応できる
体制はもともとあるのだろう。

 「先日、自動車の中で宮沢賢治の
「注文の多い料理店」の朗読を聞いていたん
ですがね」
 「うんうん」
 「ポップスターと
国家元首は、どっちが注文が多いと
思いますか?」
 
 「あら、国家元首は、そもそもそういうこと
知らないのよ」
とユーミンはキャビアをたっぷり
黒パンに載せながら言った。

 「ぜーんぶお膳立てされているから。何が
おいしいとか、何と組み合わせると良いとか、
そういうことは知らないんじゃないのかしら」

 なるほど。
 私は国家元首ではなくて、
どちらかと言うと南の国の
ボケラッタ大王だが、ユーミンの言った
「アジイカ」
というのは知らなかった。
 話を聞いていると、
香辛料を練り上げたようなものらしく、
とってもうまいものらしい。

 アストリアの厨房がつくってきた「アジイカ」
が満を持して登場、となった。
 しかし、あわれ、これは
ユーミン的には「却下!」になった。
 「これは、サルサっぽいわね」
というのである。
 確かに言われてみるとサルサっぽい。
 幻のアジイカがどんなアジナノカ、
俄然気になってきた。

 「二度付け禁止!」
と叫んでアジイカならぬサルサイカに
いろんなものを付けて食べる
ユーミン。
 「私はウラジオストクの出身なのです」
とにこにこして言うターニャ。
 「あっ、私はこういうものです」
と名刺を差し出し、小熊さんと挨拶を交わす
田谷文彦。
 いろいろな光景が午後の太陽が差し込む
空気に溶け合って、
 記憶に残るランチョンとなった。

 ユーミンは本当に親切な人で、
「エルミタージュ美術館は逃げていかないけど、
茂木さんは今日で帰っちゃうから!」
と、ボクと田谷文彦を自分の車で
空港方面に送ってくれた。

 その途中で、「アジイカ、黒パン!」
とマーケットに寄ってくれた。
 私はウオッカをひっかけて
赤い顔をしてふらふらしていたが、
 ユーミンはしらふっぽかった。

 おかしいな、同じ量を飲んだはずなのに!

 しかし、赤いコートがちょうど良い
カモフラージュになっていたのかもしれない。

 きっとそうだ! 夏にウオッカを
飲む時には赤い服に限る!


顔が赤い私と、服が赤いユーミン。サンクトペテルブルクの市場にて。
撮影 田谷文彦

 ユーミンにこっち、こっち、
と言われて手の上に載せてもらって
なめたアジイカは、
 香辛料たちが自分たちを生んでくれた
母なる大地に帰る途中のような、
 そんな味がした。

 ユーミンたちは、タクシーで
エルミタージュに向かい、
 どうぞこの車で空港まで行って
くださいと言う。
 かたじけない。
 このお礼は、いつかどこかで。。。

 手を振って車が走り出すと、
風景がふわーっと溶け出した。

 飛行機に乗り、フランクフルト
の空港に降りる寸前、深々とした
森が見えてきた。

 フランクフルトにはトランジットで
何回も来ているが、
 いつも眠っているか通路側で、
こんなに深く、広い森があるとは、
私は知らなかった。

 昔愛唱していた、ゲーテの詩が
浮かんできた。

Über allen Gipfeln
Ist Ruh',
In allen Wipfeln
Spürest Du
Kaum einen Hauch;
Die Vögelein schweigen im Walde.
Warte nur! Balde
Ruhest Du auch. 

 最後の
「待てよしばし、もう少しで
お前も憩うのだ」
というフレーズを、人生の慰めに
していた時期もあったのである。

 中央駅まで電車で出て、
張キさんは別のホテルで、
田谷とチェックインし、
 近くの店まで歩いて
ビールとハンバーガーのようなものを
食べた。

 旅の終わりに、何だか少し憩うた
気がする。


フランクフルトの小さなレストランで。
撮影 田谷文彦

 飛行機の中でもらったDie Zeitという
新聞に、
 「私たちは新しいフェミニズムを必要としている」
という記事があった。
 「15人の女性たちが、いかに彼女たちが
男たちの心の準備を過大評価して、結果として
力を受け渡してしまったか、ということを記述する」
と副題。

 メディアの論調が
国によって違うことにはいつも新鮮なオドロキを
感じる。

 ドイツの新聞を読んでいて、日本が
地理的な距離以上に遠く感じた。


8月 26, 2006 at 02:29 午後 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/08/25

そのような時間の流れも

 自分たちの発表も無事終わり、
今日は日本に帰る。
 しかし、ヘンな時間にしか
飛行機がないので、
 フランクフルトに一泊することになる。

 田森佳秀は、ひとあし先に帰った
(はずである)。
 朝6時30分の飛行機に乗るので、
 「午前2時30分に迎えにくる」
とホテルのロビーに貼ってあった、
とは本人の弁。

 「まいったよ。こんな小さな字で
オレの名前が書いてあって、
 あとは時間が書いてあるだけなんだぜ。
 電子メールも電話もなし。
 もし、オレが掲示板を見ない性格の
人間だったら、どうするつもりだったん
だろう?」

 こればかりはわかりません。
 ホント、どうするつもりだったんでしょう?

 田森は、仮眠でもしちゃうと
アウトだから(これがホントの「仮眠ぐー=アウト」?)
 ずっと起きているのだ、
と一緒にいったアゼルバイジャン料理の
店から一人で歩いて消えていった。

 「お前のことだから、プログラムでもしてれば
起きているんだろ」
 「一番良いのは、計算なんだ」
 「しかし、計算をやると時間の流れを
忘れてしまうんじゃないのか」
 「そうなんだよ。だから、ロビーで計算を
しようと思う。オレ、自分がどんな失敗を
するか、あらかじめ判っているから、
 それを避けるための手段をいくつも
開発しているんだ」
 「それが本当のメタ認知だなあ。ははは」

 ロシアにおける力強い真実と愛に
満ちた会話であった。

 なぜ、アゼルバイジャン料理に行ったかと
いうと、朝のうちは「もう一度、
キャビアできちんと勝負しよう」と
言っていたのだが、お昼に行った
赤暗い内装の謎の店でヘンなお寿司を
食べたせいか、生もので勝負する気力がなくなり、
 じゃあ、インド料理に行こうか、
と言っていたのだが、
 田森が、「インド料理だったらいつでも
どこでも食べられる。オレは、旧ソ連圏の、
中央アジアのどこかの料理が食べたい!」
と強く「中年の主張」をしたので、
 不憫に思い、アストリア・ホテルの
コンシェルジュから、Bakuという
レストランを予約したのだった。

 ガリーナも言っていたが、ロシア人は
よく歩く。

 コンシェルジュに、「タクシーの
運転手はこのレストランを知っているだろうか」
と聞くと、
 「あら、そんなに遠くはないわよ。
ほら、この通りをこう行って、曲がって、
まっすぐ行って、それで大丈夫!」
とおねえさんは教えてくれたが、
 そこはまさに私たちが学会会場から
とぼとぼと歩いてきたルートで、
 確実に30分はかかるのだった。

 アストリアホテルに歩いている
最中から、
「足が痛い。なんでお前は
こんなに歩くのが好きなんだ。やせる
ためか? それだったら、オレも
わかるけどな。しかし、それそろ
限界になってきた。独り言にしようかと
思ったが、いっそのことお前に大声で
言って、いやみにしてしまおうと考えが
変わった」
などとぬかして(もとい、仰って)
いた田森が、ふたたび30分も歩くことを
承知するはずがなかった。

 初めて口にするアゼルバイジャン
料理は、今までに感じたことの
ないクオリアに満ちていて、
 五感がすーっと開かれていくのが
わかった。
 ぜんぜん油っこくなくて、
まるで印象派の風景が化石になって
白みがかっていったような印象。

 一同は、かの地に思いをはせ、
 そうだぼくたちはユーラシア大陸の
東の端に浮かぶ島国の住人なんだけれども、
 本当はシルクロードを通して
はるか中央アジアにもつながっているのだった。
 ぼくたちの文化の中にも、
アゼルバイジャンが何百万分の一か、
チャンプルーになっているかもしれない。
 宝石は小さなものほど見つけた時にうれしい。
 そうだそうだ、
 もう一杯グルジアワインを飲もう、
とロシア最後の夜を惜しんだのであった。

 何日か同じホテルにいると、次第に
いろいろな行動が
 ルーティン化してくる。

 朝起きると、まずは冷蔵庫に行って
コーラを取りだし、飲みながら
仕事をするのが日課だった。

 朝のレストランでは、
小さな瓶に入ったケチャップを
 一個持ってきて、
 田谷文彦に半分わけてあげるのが
習慣になっていた。

 レストランに降りていく10分前に
田谷の部屋に電話して
 「大丈夫か? いけるか?」
とやってから、頃合いを見て、
おもむろにエレベーターを
包むように大きならせんを描いている
階段をたかたか降りて
 (私の部屋は6階である)
 3階にいる田谷が
エレベーターの前に立っている
いるところに出くわさないかと期待していたが、
一度もタイミングが合わなかった。

 夕方、バーに入っていって
腰を下ろすと、
 顔なじみになった店員から、
「今日は、調子どう? またキャビア食べる?」
などと聞かれた。

 そのような時間の流れも、
今日で終わりである。

 日本では課題山積、
艱難辛苦、全力疾走、一気集中、
難関突破、臥薪嘗胆、一点突破・・・
の生活が待っているが、
 仕事に追われながらも、ロシアの
大らかな空気を吸って、大いに
魂が歓びを感じたと思う。
 
 今は解放を得て浮上した
モーツァルトのExultate Jubilate
(K.165)の気分です。

 それではみなさん、また日本で!
(しかしその前に一度フランクフルトで
日記を書くとは思う)


食料品店「エリセーエフスキー」で物色中。
撮影 田谷文彦


「はつ恋」のツルゲーネフの銅像の足下に。
撮影 田谷文彦

8月 25, 2006 at 01:11 午後 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/08/24

プロフェッショナル 仕事の流儀 飯塚哲哉

プロフェッショナル 仕事の流儀 第23回

リスクをとらなきゃ、人生は退屈だ

〜ベンチャー経営者 飯塚哲哉〜

大人気の液晶テレビやプラズマディスプレイの心臓部を支える、小さなベンチャー企業がある。社員わずか85人。だが、売上高は200億円を超える。10億色に及ぶ色彩情報を瞬時に伝送する高性能LSIの分野で、世界トップクラスのシェアを誇る。率いる社長は、エンジニア・飯塚哲哉。43歳の若さで大手メーカーの部長に昇進、だがその安定した地位を捨て、「日本にシリコンバレーを作る」という旗印の下、ベンチャーの荒海にこぎ出した。人呼んで、業界の“坂本龍馬”。激動の半導体業界で投資と提携を繰り広げる飯塚。リスクを見極め、勝負時をかぎわける。決断の最後の鍵は「人」。世界のメーカーを相手に競争を繰り広げ、生き延びてきた飯塚の、リスクに向き合う流儀と経営の哲学に切り込む。

NHK総合
2006年8月24日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

8月 24, 2006 at 12:45 午後 | | コメント (1) | トラックバック (4)

旅の「真昼時」

学会が行われているのは
ロシアの軍の医学アカデミーというところで、
 入り口には、ちゃんと軍服を着た人が
いて警備している。

 最初は、身分証明書か何か見せないと
通れないのかと身構えたのだけれども、
 そんなことはなく、手をふって
にこにこ入れば良いのだった。

 こんなことを言うと何だが、1991年の
旧体制崩壊以降の
自由主義経済の波に洗われた新生の
「ロシア」の中に、時折、それ以前の
「ソ連」の雰囲気が表れていてそれが面白い。

 二日目だったか、
 ガリーナに連れられて
 夕食に入った「イタリアン」
レストランで、なぜかワインがなくて
 ビールとウォッカを頼んだ。

 そのビールが、「うわあ」という
くらいぬるく、ガリーナは怒って
「氷持ってきて、氷!」
と言った。
 私はにやにやして、「やったあ、
ソ連だ!」と面白かった。

 田森佳秀、田谷文彦と両替を
しようと入った銀行の中には、キャッシュ
ディスペンサーもないし、 
 何の案内もない。

 呆然としていると、大男の係員が、
「こっちこっち」と教えてくれた。
 そこには両替の窓口があり、
向こうに女の人が動いていて、
 ガラス越しにこっちを見ると、
何故か行ってしまった。

 看板を見ると、営業時間内である。

 だが、大男は、事務所の中に入って
なにやら一言ふたこと交わすと、
「クローズド、クローズド!」
と手を振るのであった。

 ガリーナだったら、またもや
怒り出すのかもしれないが、
 私はそのような状況をしみじみ
楽しんでいる自分に気付いたのだった。

 トローリーバスに乗っているとき、
床下から聞こえてくるエンジン音が
まるでクルミとクルミをこすっている
ようで心地よく、
 油を敷いたような懐かしい木の
感触に、「古いもの、古い習慣も悪くないわい」
と思うのだった。

 思うに、今の東京はコンビニにしろ
電車にしろみんなぴかぴかで、効率よく、
その中に暮らしていると確かに便利なのだけれども、
 以前に世界はどんなところだったか、
私たちは忘れてかけているんじゃないのか?

 バスの検察のおばさんが座る席が、
なぜかそこだけ「特別席」のようになっていて、
 花柄のクッションがかけられていたり、
涼しげな日よけの布がガラスにかけられて
いたりして、
 乗客よりも心地よさそうだった。
 
 運転手の趣味なのか、ガラス窓の
上の方に花柄のステンドグラスのような
プリントが張られている。

 つまりは、仕事の現場を自分たちが
楽しいように「改装」しているわけだけれども、
そのような「パーソナルなタッチ」も
なんだかしみじみ味わい深く、
 何でもかんでも「これがソ連だ!」
と決めつけるのはどうかと思うが、
 新生ロシアの経済発展の中、普通の
ヨーロッパの街並みと変わらない
風景が現出しつつある現在、
 むしろそのような昔ながらの光景にこそ
旅する者の心をつかむ何かが
あるように感じた。

 大都会、サンクト・ペテルスブルクでさえ
そうなんだから、田舎にいったらもっと
ステキなんじゃないか。
 機会があったら、ロシアの田舎に行ってみたい。

 学会の一日を終えると、
いろいろ考えることができる。
 一見報酬系の問題と
関係がないようなさまざまなことが
実はかかわってくるなあ
 認知プロセスはやはり
個々のトピックだけじゃなくて、全体
を見なければダメだなあ
などと歩きながら
つぶやいているうちにお腹が
空いてきた。

 それで、泊まっているアストリア
ホテルでキャビアを食べる、
という作戦を田谷文彦、田森佳秀をさそって
実行することにした。

 Red Cavierというのがイクラである、
ということはこっちに来て知ったが、
私が食べたいのはそっちじゃなくて、
 Black Cavierの方である。
 
 夕食はブルータスの鈴木芳雄さんたちと
一緒で、そこにはガリーナも来て
 Black Cavierもあるレストランに連れて
いってくれるはずだったが、
 とにもかくにもその前に
きっちりと勝負をつけておきたかった。

 メニューを見ると、
Black Cavierには三種類あって、
 Belugaというのが一番高い。
 驚くほど高い。
 高いが、うまいに違いない。
 もはや、それを行くしかないだろう。

 g数によって値段が違う。

 「この、55gというのはどれくらいの
体積なんだろうか?」
 「1円玉55枚だよ」
 「しかし、一円玉は水に沈むだろう」
 「ああ」
 「キャビアは、水に沈むだろうか?」
 「きっと、沈むんじゃないか?」
 「とすると、55立方センチメートルよりは
小さい、ということだろうか?」

 などと一悶着あった後、
「中」のベルーガをエイヤッと
注文した。

 いやあ、おいしかったですね。
 幸せでした。

 このような時、私は自分が感じている
クオリアをできるだけ正確に把握し、
言語化することによって
 「もとを取ろう」とする。

 歯触りが並の魚卵とは
違う。
 とんぶりともタピオカとも
イクラともちがって、ぷちっとするわけではなく、
しんなりと抵抗なく歯でつぶされていって、
最後にわずかにバネがふわんと利く、という
感じがする。
 塩味の背後に様々な複雑なものが
絡み合う空がある、という感覚。
 もし、空が青空ではなく緑空で、
その緑空に夕暮れがあったとしたら、 
 私たちの食べたベルーガのキャビアのような
ものになるんじゃないか。

 今までパーティーなどで「キャビア」
と称するものは食べてきたけれども、
 名高いアストリア・ホテルのキャビア・バーで、
 キャビアとはこういうものであるという
絶対基準を打ち立てたかった。

 とりあえず、満足である。

 そうこうするうちに約束の時間になり、
鈴木芳雄さん、ガリーナ、森本美絵さんが
やってきた。

 4人でキャビアのある店に行くという
ことになっている。

 実はきっちりと一度勝負は済ませてきた、
ということは鈴木さんには内緒で、
 涼しい顔でアストリアから歩いてすぐの
「1913」というレストランに行った。

 ロシアのレストランはどこも
音楽の人が入っていて、
 歌ったり、楽器を奏でたりする。

 「1913」も、ギターと
ヴァイオリンと歌い手が
奏でる音楽の
 風情がすばらしかった。

 ガリーナが面白いロシア語を幾つか
おしえてくれた。
 「プリクラスナってわかりますか?
「すばらしい」っていう意味です。プリクラするな
みたいでしょ?」
 「スッパコイノイノチというのは
お休みなさいというという意味です。酸っぱい恋の
命みたいでしょう」

 私はお礼に「キボンヌ」という言葉を
教えてあげた。

 涼しい顔で、黒キャビアキボンヌと
鈴木さんに言った。

 二回目も、また、おいしかった

 ロシアのシャンパン(ではなくシャンパンスカヤ)

 おいしくいただいていると、
せっかくきれいな音楽を流しているというのに、
隣りの席の人の声がうるさい。

 聞き耳を立てると、アメリカなまりの
英語が聞こえた。
 「私の飲んだジュースでおいしかったのは」
などと、どうでもいいようなことを大声で
言っている。

 「あの人たちは、世界のどこに行っても
我が物顔で、本当にきらい!」
とガリーナが怒り始めた。
 
 「イギリスでは、コンサート会場で
うるさいとシーッと蛇が鳴くような音を
立てるんですよ」
そういって、ヒス音を
実際にやって見せたが、効果はないようだった。

 趣味の悪い振る舞いをする人というのは、
知らず知らずのうちに魂が荒れていって
しまうのです。
 合掌。

 ロシア料理というのは油っこいという
先入観があったが、口にしたものは
スープといい、メインといい、
 むしろ日本料理よりも油がないという
くらいすっきりしたもので、
 冷製のボルシチなど「ビートのスライス
が静かな湖に浮かんでいる」という風情だった。
 
 全く新しいロシアのイメージが
心の中にできたことに感謝しなければなるまい。

 エルミタージュで見た
 ブノワの聖母に似た小さな女の子が、
「なぜこのお母さんから」というくらい
年期の入った女性と「なぜこのおとうさんから」
というくらいごつい男に連れられて入って
きたところで、楽しい宴席はお開き。

 明日鈴木さんはモスクワへ、
森本さんはモスクワ経由で東京、
 ガリーナは今回の仕事が終わり、
ということで再会を約してサヨナラした。

 アストリアの前の広場は大きく、
 ローラーブレードをしている
人の渦の中に立ち止まった。

 ちょうど遅い日没。教会の向こうの
空があまりにもきれいで、
 久しぶりに「夕焼け写真」をとった。

 きっとあれが今回の旅の「真昼時」
だったのだろう。


ドストエフスキーの墓の前で文豪に思いを馳せる。 
撮影 森本美絵


Beluga cavierを前にしてうふふと笑う。
撮影 田谷文彦

8月 24, 2006 at 12:44 午後 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2006/08/23

一つひとつの「部分」をあるやり方で

ロシアに来ても結局
時間に追いかけられていて、
 日本にいたときと余り
かわらない。
 
 今日は田谷文彦が
発表。
 明日はぼくと田森佳秀の発表が
ある。

 いつもと違うことがあると
すれば、人間というのは
歩いたりご飯を食べたりする時に
どうしても周囲の環境に影響される
ものだから、
 その時に立ち現れるものに
おいてだろうか。

 ちょっと、その当たりのことを
振り返ってみたい。

 エルミタージュ美術館の中を
歩いている時、いろいろな
ことを考えた。
 様々な作品の性格や、
ロシアというもの。
 あるいは、美術館という制度。

 玉座の間をブルータスの鈴木芳雄さんや、
写真の森本美絵さんたち、それにガリーナと
歩いていたとき、ふと不思議な思いに
とらわれた。

 その空間には、確かに皇帝が人々を謁見する
のにふさわしい「クオリア」があるように
感じたが、それはどのように
構成されているか。

 玉座の間のドアの金の装飾を
拡大しても、
 美しいことは確かだが、
大国の皇帝の威厳には届かない。


「玉座の間」のドア(部分)

 一つひとつの「部分」を、あるやり方で
積み上げていった時に、初めて
ある興味深い全体が生まれる。

 その際、単なる結晶構造のように、
あるいはアモルファスな構造のように
積み上げてもダメだし、
 フラクタル次元のような単一
パラメータで記述されるやり方でも
だめである。

 もともと、クオリアは、個物が
関係性を積み上げると、いかにそこに
新しい実体が生まれるか、という問題である。

 色においても、すでにcolor constancyに
示されているようにそのような
メカニズムが顕れているが、
 ダ・ヴィンチやゴッホの傑作においては、
部分から全体への積み上げが、
 よりnon-trivialな形で行われている。

 それは、小説などでも同じで、
たとえ全体がある均一な気分で満たされる時でも、
部分の単なる繰り返しが全体なのではなく、
 ある有機的な構造がなければならない。

 そのようなプロセスを通して、ある
クオリアが生まれる。
 玉座の間の、ダ・ヴィンチの、そしてゴッホの
他と比較して間違いようのない印象が生まれる。

 その印象を生むのは、無意識のプロセスを
全て含めた意味での「文脈」ではあるが、
 故事来歴とか、市場での評価とか、
容易に言語化できるような「文脈」を通して
定義づけられるものではない。

 通常言われるような「文脈」は、
上のような意味でのクオリアを特定するには
粗すぎる。
 
 だからこそ、
クオリア原理主義なのである。

 写真を二つ送っていただいた。
 

ダ・ヴィンチ「ブノワの聖母」を見ているところ
(撮影 鈴木芳雄)

マチス「ダンス」の前で田森佳秀と。
(撮影 田谷文彦)

 夕食の時、田森佳秀がギロンを
始めた。
 学会にくると、大抵こうなる。

 北方4島の問題や、中国や韓国との
問題。

 田森はこういうことに関して常々
strong opinionを持っていて、
 ちょっとエキセントリックに聞こえるのだが、
それなりに筋は通っているのだ。

 田森は、しきりに、
「隣国が日本のことを悪くいう教育を
ずっとやっているのはよくない。
日本やロシアはそういうことはないじゃないか」
とガリーナに訴えていた。

 なるほど、それはそうかもしれない、
と思った。

 ぼくはと言えば、できるだけユーモア
をもっていなすのが好きで、
 「ロシアの人は南に来たいと
思っているんだから、もっと北の島
だったらくれるかもしれない」
とか、
 「目の前に中国人のかわいい女の子が
来たらどうするんだ?」
とか田森にジャブを出しながらウォッカを
飲んだ。

 後の質問に対する田森の答えは、
「あっさり意見を変える」
「オレはプライベートの問題を優先するんだ」
と田森。

 こういうところが田森の信用できるところである。

 私は、常々、
 隣国のことをわるくいって澄ましているひとを
みると、
 きっと隣国とつきあわなくてもすむ人なんだな、
と思っている。

 同じ人間、何らかのかかわりがあったら、
そう簡単に切り捨てられるものではない。
 日本は島国だから、ときどき自分たちだけで
やっていけると思う人たちが現れるが、
 実際には世界は相互依存していかないと
やっていけない。

 芸術も科学も人生も大切なのは
何が実際にこの世界で働いているかを
ありのままに見る目であって、
 小さな世界のファンタジーをつくりあげる
ことではないと思う。
 
 玉座のクオリアをつくりあげるのは、
細部から全体に気を配る職人的気質であって、
 単なる大言壮語ではない。

8月 23, 2006 at 11:20 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2006/08/22

意識とはなにか 9刷

ちくま新書 
『意識とはなにか』 
は、増刷(9刷、39000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。


8月 22, 2006 at 12:36 午後 | | コメント (0) | トラックバック (3)

容易に見通すことのできない

 会議の良いところは、
普段なかなかできないゆっくりとした
議論ができることで、
 とは言っても時間に追われていることは
変わりないのだけれど、
 少なくとも食事の時は仕事が
中断するから、
 田谷文彦や田森佳秀と
たっぷり仕事の話ができた。
 
 田谷とは、EEGまわりのことや、
今後の海外との協力関係について
相談できたし、
 田森とは、hidden figuresをつくる
上でのアルゴリズムについて、
 いくつか有益な議論をすることが
できた。

 みんな人生が進むにつれて
忙しくなっていくから、
 こうやって会議でもあって
強制的に隔離されないと
ダメなのである。

 もっとも、最近はインターネット
という便利だが恐ろしいものが
あって、平気でいろいろな仕事が
押しかけてくる。

 食事のあとの、タクシーを待つ
時間に「ちょっとごめん」
と仕事をしていたら、田森が
あきれて、あいつは
いそがしいなあ、
うんぬんかんぬんと言っているのが
聞こえた。

 何を言っても田森だったら
率直でキモチがいいから、気にならない。

 ブルータスの鈴木芳雄さん
と、ガリーナに誘われて、
休館日のエルミタージュ美術館に
出かけた。

 写真の森本さんがいろいろ撮っている。

 鈴木さんたちは、日本テレビ
が今度エルミタージュ展をやるので、
 その関連でサンクト・ペテルブルクに
来ているのである。
 
 いろいろな作品を見たが、
ダ・ヴィンチの聖母像二点に
もっともこころを惹かれた。

 私が、聖母像の前で「これはこれは」
などと感心していると、
 ガリーナは、「ダ・ヴィンチは
宇宙人だと思う」
などと言っている。

 田森も、「やっぱりダヴィンチはうまいね」
などと言っている。

ダ・ヴィンチの『リッタの聖母』をのぞき込む田森佳秀

 ガリーナは流暢な日本語を喋る
ロシア人で、両親はグルジアから
来たらしい。

 エルミタージュは、もともとは
エカテリーナ2世のコレクションが始まりで、
 wikipediaを見ればわかるように
エカテリーナというのはなかなかに
大変な人なのである。
 
 ガリーナがエカテリーナやピョートル大帝
について、迫真の説明をするので、
 次第に古のひとたちがまるで
旧知の人物であるかのような錯覚に
囚われ始めた。

 構成作家の富樫香織さんから、
「サンクトペテルブルクに行くなら、
このグルジア料理の店(The Cat)に行かないと
ダメだ!」と
メールをいただいていたので、
 ガリーナに知っていると聞いたら、
知ってるからみんなで行こうという。

 テーブルに座って喋っていたら、
何と、そもそも富樫さんが
この店を知っているのは
 ガリーナに教えられた
からだと判明。
 AさんとBさんが裏でつながっていた。
 まさにスモール・ワールド・ネットワーク。

 ガリーナは優秀なコーディネーターとして
大変手広くやっているようなのである。

 あまり油を使っていないで、
さわやかでおいしい。
 田森も、「おれ、食べるものに
惹き付けられると歯止めが利かなくなるんだ」
などと良いながらぱくぱく食べている。

 グルジアというのは一体どこにあるんだろう、
と思って探してみたら、
黒海に面している。
 しかも言葉はロシアとは全然違っていて、
 文字もビルマ文字のようなのだ。

 つまり、ロシアまわりにも多くの
民族がいて、
 それらがいろいろ複雑な関係性をもって
生きる現場を呈しているのである。

 日本から見て、ロシアと
ウクライナ、グルジア、ベラルーシ、
などなどの関係は本当によくわかりにくい。
 それぞれの国の人たちは、
ウクライナ語、グルジア語、ベラルーシ語を
話している。 
 旧ソ連の関係で、ロシア語も話す。
 このあたりの事情には、いろいろ
面倒なことがありそうだ。

 サンクト・ペテルブルクに来て、
グルジアに祖先のいるガリーナに
グルジア・レストランに連れて来られて、
 店の人がロシア語の歌の次に
グルジア語の歌を歌って、
 それがロシア語からも全く類推が
利かないものらしい、という事実に
呆然としている中で、
 初めてこのあたりの人たちが
投げ入れられているややこしい事態を
リアリティをもって感じることができた。

 これが旅をするということなんだなあ、
としみじみ思う。

 ホテルのロビーでウォッカを
飲む。
 初日に飲んでおいしい
と思ったのが、Russian Standardという
ガリーナお薦めのブランドのまさに
それだった。

 Imperialというやつを飲む。

 鈴木さんがクールに杯を傾け、
 森本さんが突然もりもっちゃんに
変貌する。

 鈴木さんと森本さんが先に帰り、
田森、私、田谷の三人でさらに
Imperialな世界を探求した。
 
 仕事があるから、
と11時で打ち切ったが、
 なぜか田谷の部屋にワインが届いている
というので、
 どれどれ、と一瞬行ってさらに
飲んだ。

 ロシアに来てまだ一日だけだが、
いろいろなもののシャワーを浴びている。

 ウクライナの人や、グルジアの人たち
から見たら、
 世界はどのように見えるんだろうかと
思う。
 
 もし神様がいらしたら、
世界の言葉を全て話すことは間違いないだろう。

 せいぜい一つか二つの言葉しか
話せない我ら人間よ、嗚呼。

 有限の立場はそれなりにやるしかない。

 世界が、容易に見通すことの
できない様々なものたちによって
成り立っていると感じる時、
 私は人生を深く愛する気持ちになるのだ。

8月 22, 2006 at 12:24 午後 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/08/21

『ニューロンの回廊』 辻口博啓

BS日テレ
『ニューロンの回廊』 FILE No.11 パティシエ 辻口博啓

 OA:8月20日・27(日) 20:00−20:54
    8月23日・30(木) 19:00-19:54

 今回ドクター・モギが潜入したのは、パティシエ・辻口博啓の「脳」。

 パティシエ界のワールドカップ「クープ・ド・モンド」をはじめ、世界大会で3度の優勝、“パティシエ世界一”の称号をもつ男、辻口博啓。98年の開店以来、“行列のできるケーキショップ”として、客を魅了し続けている自由が丘「モンサンクレール」のオーナーシェフである。彼が送り出す繊細かつ、大胆なスウィーツの数々は、常に驚きと感動にあふれている。まさにパティシエ界のファンタジスタ辻口博啓。 石川・七尾の和菓子屋で育った辻口は、今、自らの原点である「和」の世界に挑戦している。また「小麦粉アレルギーの子供たちにもケーキを食べたときの感動を味あわせたい」という思いから、米粉で作られたケーキを発表。まさに新たなスウィーツの開拓者として、幅広く活動を展開している。
 常に斬新、常に刺激的なスウィーツを生み出す辻口の脳に、自らをチョコレート・ハンターと称するほどのスウィーツ好き、ドクター・モギが迫る!
 さらにスウィーツの世界から、「食」という人間にとって本質的問題を探る。

http://www.bs-n.co.jp/shokai/newron.html

8月 21, 2006 at 01:54 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

資源保護の観点から

成田エクスプレスの中で、仕事を
続けようと思ったが、さすがに
「これは眠った方がいい」
と思って、かくんとなって、
次に気付いたのは空港第二ターミナル
ビルの前だった。
 
 飛行機の中でトムクルーズ
主演の「ミッション・ポッシブルIII」
を見たが、途中でやめてしまった。

 その理由は、「青春と読書」
の連載原稿に書くことにする。

 フランクフルトで乗り換え。
 ふらふらしていたら、
見覚えのある顔が。
 わが畏友、田森佳秀その人である。

 おお、ということでBlack Forestという
Bierhausに入り、ビールを飲みながら
しばし語らう。

 もし田森と遭わなかったら、
ロビーで飲まず食わずで仕事を
していたことになるだろう。
 そうしたら、ものすごくお腹が
空いていたことだろう。
 それはそれで良かったのだろうけど、
友と語らうのはとてもうれしい。

 今回、私と田森はMaking good hidden figures
というタイトルで
 European Conference for Visual Perception
で発表する。
 そのためのサンクト・ペテルブルク入り
である。
 
 ところで、なぜ直行しないのか、
フランクフルトまでわざわざ行ってから
戻るのかと言えば、
 ダイレクト・フライトが
ないからである。
 
 モスクワ経由だと、
変な時間に着くとか、
国内便だからうんぬんとか、
そんな事情があるらしい。

 さて、そういうわけで、
 いよいよ、ロシアの大地を踏んだ。

 ガイドブックには、
ロシアはとにかくでかい、
と書いてあったが、
 あれだけでかい国土に、
日本の人口よりも少し多め
(一億四千万人)の人しか
住んでいないんだから、
 確かに土地がたくさんあるに
違いない。

 空港から移動する車内から
見る街は、なんだかスケールの
感覚がおかしく、
 旧ソ連時代の名残なのか、
やたらと大きな銅像があった。

 田森と一緒に移動すると、
かならずいつもより時間がかかる。
 というのは、彼が「非典型的なこと」
をしようとするからで、
 今回も、
空港で、学会を通してホテルを申し込んだ
人たちは迎えの人たちが来ていたのだが、 
 その人に「茂木もついでに
アストリア・ホテルに連れていってくれ」
と交渉を始めたので、
 私は外で待っていた。

 一人だったら、さっさと
白でも何でもタクシーを拾って
移動していたろうが、
 田森が交渉するのを見ているのが
面白い。

 なぜ外に佇んでいたかというと、
一度建物の外に出ると、また入るには
セキュリティ・チェックを受けるようになって
いたからである。
 うかつに出てしまって、
田森に、「おーい」と手を振って知らせた。
 その後すぐに、交渉は成立した。
 
 結局、20ドル追加で払うことに。
こういう、「規定があるわけじゃないが、
その場の感じで決まる額」
というのは面白い。
 まさに神経経済学の問題。

 へんてこと言えば、イミグレーションの
書類がロシア語でしか書いていなくて、
みなルフトハンザからもらった「説明書」
を見ながら、苦労して書き込んでいた。

 ヘンテコではあるが、私は何だか
ロシアの人たちが好きになった。

 アストリア・ホテルに着き、
一足先に来ていた田谷文彦を
呼び出して
 ビールとウォッカを飲んで
打ち合わせしたが、
 そのバーの人たちも佇まいも好きだった。

 何というか、一言でいうと
はにかんでいるというか、
 うつむいているか、
そんな態度が感じられる。

 タルコフスキーの
『惑星ソラリス』の冒頭、
 男の子が「こんにちわ」
と言って、女の子が絶妙な間合いで
「こんにちわ」と恥ずかしそうに言う
シーンがあるが、
 あんな感じの斜め17度くらいに
微妙に傾く感じが、
 ホテルのレセプションの人とか、
いろいろな人たちにあった。

 この日記を書き終わると、
さっそく仕事に追われるわけで
(ネットがつながって良かった!)
のんびりおろしあ、というわけには
行かないのだが、
 この「斜めかたむき」パーソナリティの
クオリアに接しただけでも、
 すでに、ロシアに来て良かったなあ
と思っている。

 それと、今日はぜひキャビアという
やつを食べてみたい。
 資源保護の観点から、
一人250gまでしか持ち出せないうんぬんとガイド
ブックに書いてあったりすると、
 もともと持ち出す気はなかったのだが、
ますます興味を惹かれて、
 一つ資源保護の観点から賞味をして
みたい、と思う。

 ウォッカがとてもおいしく感じられたが、
これはまずいことだと思う。
 ロシア政府は国民にあまりウォッカを
飲んではいけません、と言っている
ようだが、
 確かにあれはうまい酒です。

8月 21, 2006 at 12:37 午後 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/08/20

アダモステより愛を込めて。

 徹夜明けの朝、
 カラスのかあを聞きながら
急ぎのメールの
返事をしていたら、
 先日の天命反転住宅での
イベント
における
「アダモステ」コンビの
写真が送られてきているのに
気付いた。

 寝不足の風狂に、みなさまに
愛を込めて。
 左側が吉村栄一さん、
右側が南の島からやってきた
ドクター茂木です。

 次は、「ロシアより愛を込めて」
になることでしょう。
 
 そろそろ家を出る準備をしなければ。
 みなさん、しばしサヨウナラ!


8月 20, 2006 at 05:04 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

許容しあうことで犬は人間の最良の友になった

ヨミウリ・ウィークリー
2006年9月3日号
(2006年8月21日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第18回

許容しあうことで犬は人間の最良の友になった

抜粋

 ところで、厳密な意味では「他人の心がわかる」とは言えない犬たちだが、彼らと人間の交流は、社会的知性がそもそもどのように進化してきたのかを考える上で、大切なヒントを提供してくれる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

8月 20, 2006 at 03:07 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

短いご挨拶

東京フィルハーモニーのこども音楽館は
とても楽しかった。
 
 なにかが起ころうとしている、
バックステージの雰囲気がとても好き。

 チョン・ミュンフンさんの指揮も
言葉も愛に満ち、
 富樫香織さんの
ディレクションは的確であった。

 モーツァルト君が舞台に
出ていって、
 実は夜の女王くんやパパゲーノ
君だったことがわかった時の
客席のどよめきが心地よかった。

 パパゲーノを熱演された晴雅彦さんには、
ステキなプレゼントをいただきました!

 打ち上げもそこそこに
家に帰り、
 もはや徹夜モード。

 飛行機の中で眠るから、
まあ、いいか。
 仕事1、仕事2、仕事3、・・・
と順序数で片付けつつ、
 仮眠するタイミングを逃しつつ
ある模様。

 このブログを書き終えたら、
もう次の仕事にかかります。
 
 ロシアのホテル(サンクトペテルブルクのAstoria)は
インターネットが通じる模様。
 関係者の方々、ご安心ください。

 では、仕事をして、それから
行って参ります。

8月 20, 2006 at 03:02 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/08/19

自分自身を救うために

電車で移動中、
 長谷川眞理子さんの
『ダーウィンの足跡を訪ねて』
(集英社新書ヴィジュアル版)
を読了。

 「青春と読書」連載中から
楽しみに読んでいた。
 
 長谷川さんが、ガラパゴスや
ケント州のダウン・ハウスなど、
ダーウィンゆかりの場所を訪問しながら
「種の起源」を著した偉人の生涯と
仕事について考察する。

 写真も豊富で、情報も的確。
科学に対する愛が伝わってくる本。
 
 最近ダーウィンに心を惹かれるのは、
意識の科学はひょっとしたら
「種の起源」以前の段階にあるのではないかと
いう認識からである。

 数理的なロジックをぎりぎり詰めていく、
ということも大事だが、
 その一方で、意識という不可思議な現象について、
現在知られている経験的事実を総合して、ある
妥当な仮説を立てることが必要だと
痛感する次第。

 それこそが、まさに『種の起源』において
ダーウィンがやったことだった。

 朝一番で、研究所へ。
 『ナショナル・ジオグラフィック』
日本版に掲載される、VAIOのタイアップ記事。
中村征夫、中村卓哉 親子のとった水中写真、
動画を見ながら、映像が与えるクオリアについて
コメントする。

 続いて、テレビ朝日で放送される予定の
特番に関する収録。
 鳥越俊太郎さんがいらっしゃる。

 欠点を克服すると、それがかえって
長所になる、という話をしていたら、
 鳥越さんがああ、そうか、というような
顔をされる。

 「私は、実は小学校の時はひとまえに出るのが
苦手だったんですよ。
 教室で起立して教科書を朗読なんかするときは、
足がガクガクふるえてねえ。
 その後も、とにかく大勢の前に出るのが苦手
でした。
 それが、大学に入って、このままでは生きて
いけないと思って、サークルに入り、
 無理矢理人の前に立つようにしようと
思って、マネージャーに立候補したんです。
 そんな自分が、まさかテレビに出る仕事をするように
なるとは、思いませんでした」

 番組は、脳内物質がテーマで、
9月に放送される模様。

 羽生善治さんと対談。
 椿山荘で。

延々と6時間くらい話す!

 羽生さんと私が話したら、
おそらくそのような内容になるだろう、
という筋からはまったく外れて、
 私にとっても非常に意外で、
しかもエキサイティングな方向に話が
向かっていった。

 そもそも、将棋の目的とは何か、
「勝つ」「負ける」ということ
は何か、というような話を深掘りしていったのである。

 羽生さんによると、名人位というのは
もともとは世襲の家元制であったが、
 江戸時代、将軍の前で一年に一回(11月17日)
行われる御前手合いでは、
 あらかじめどのような流れで勝ち、負けるかが
決まっていて、
 たとえば最後に持ち駒がちょうどなくなる、
といった、「美しい」型が重視されたの
だという。

 ちょうど武道の組み手のように、
勝敗以外の美意識が重視されたのである。

 しかし、名人の一門の人たちが
むき出しの勝ち志向での手合いに弱かったか
と言えば、
 そんなことはなく、
 当時の在野の指し手が名人一門の高弟と
手合いをして、相手にされずコテンパンに
やられたという記録が残っているという。

 名人自身は手合いをせず、棋譜も残って
いないというから、
 おそらく一門の中では切磋琢磨していたの
だろうが、対外的には、「型」が整った、
一種の理想型としての将棋を示していた
というのである。

 現代の将棋で、もし江戸時代の家元制の
下での名人たちのような美意識が残っているとすれば、
たとえば「投了」へ向けての「形作り」
のような作業の中にあるのかもしれない、
と羽生さん。

 もちろん、最終的には「勝ち」「負け」
という二項的結末によって留保されているとしても、
途中の指し手にまとわりついているものは、
美意識であり、一期一会であり、好奇心であり、
発見することの歓びではないか。

 その他にも、「将棋」という文化のまわりに
ある様々な不可思議でうるわしい光を放つ
ものたちの話が弾んで、これは素晴らしい
対談本になるわい、という予感に満たされる。

 版元は大和書房。
 書き手はなんと、エース登場、橋本麻里さん。

 今日も仕事で出かける。もうぐずぐず言わず、
ひたすら短距離ダッシュを続けることとした。
 できることは全てやる。

 Mac OSXの様子がどうもおかしく、
不具合が蓄積しているらしい。
 再インストールするだけのHDの空き領域が
ないので、
 Tech Tool Pro 4.5で修復しつつ
使う。
 Eudoraはなんとか動くようになったが、
昨日はキーボードがむちゃくちゃになって、
「」やアポストロフィが変な文字になった。

 とくに、アポストロフィが出なくなったので、
いちいちコピペしていた。
 論文執筆の追い込み時に全く
困った事態なり。

 今朝はふたたびTech Tool Pro 4.5で修復
したので、元にもどった。
 しかし、Norton Utilitiesと違って、
このソフトは何を検出して、何を修復したのか
その詳細が表示されないのがちと不満である。

 柳川、小俣、恩蔵との論文をばーっと
仕上げなければならないし、
 その他にもやることが沢山あって、
ロシアに行っても結局仕事ばかり
しているんじゃないかという
予感がする。

 いずれにせよ、明日の朝早くに
遠いかの地へと
出かけなければならない。

 ユーミンもサンクト・ペテルスブルクに
来るようで、
 宿泊のホテルも一緒だったのだが、
 私がチェックアウトする日にユーミンは到着。
 ジョイント企画はまぼろしとなってしまった。
 残念。
 
 忙しい時の合間に、活字を読むと魂が癒される。

 東京を巡る地下鉄の中で読んだ長谷川眞理子
さんの前掲書の中に見つけた
パッセージがあった。

 彼とエマの間には全部で10人の子どもが生まれたが、
そのうちの二人・・・は幼くしてすぐに死んだ。・・・
他の子どもたちも、元気いっぱいとはいえなかった。
ダーウィンは、自分とエマがいとこ婚であることの
影響がでているのではないかと案じていた。だからこそ、
あれほど詳しく自家受精と他家受精の研究をしたの
である。

(『ダーウィンの足跡を訪ねて』170頁)

 フロイトやユングの精神分析は、もともとは
自分自身を救うために構想された。
 
 学問とは、もともとそういうものではないか。

 そのように考えることの大切な意味を私に教えて
くださったのは、河合隼雄先生である。 

8月 19, 2006 at 09:39 午前 | | コメント (12) | トラックバック (7)

2006/08/18

自分でちゃんと空白をつくる

朝4時に起きて、
ずっと仕事をしていて、
 それでも終わらなかった。

 結局、「短距離全力疾走」をずっと
くりかえしているようなもの。
 
 あつくて身体はそんなに動かしては
いないが、
 あたまのなかは大いに運動している。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のスタジオに入っていったら、
 住吉美紀(すみきち)さんが、
「茂木さん、空白ですよ、空白」
と私のブログを引き合いに出していった。

 まったくだ。必要なのは、空白だ。
 それがない。

 働けども働けども、わがくらし
空白がなし。
 じっと手を見る。

 なんだか上の句は矛盾を含んでいる
ようにも感じる。
 
 ゲストのベンチャー企業経営者、
飯塚哲哉さんは、
 スケジュール管理は自分で
やっているという。

 普通、社長になると秘書が
管理するんだけれども、
 それだとどんどん会議を入れられて
空白がなくなるんで、
 スケジュールは絶対に渡さないというのだ。

 実際、ドッグイヤーどころか
マウスイヤーで動いている
半導体業界トップのベンチャー企業の
社長さんなのに、
 飯塚さんのスケジュール帳には
ちゃんと空白の時間がある。

 私は、スタジオで、
いかに脳の働きからして
創造性を発揮するには
 「空白」が必要であるかを
熱弁し、
 空白原理主義はここに誕生したのであった。

 「そうであったか、私はなまけものではなくて、
創造性を発揮するために空白をつくっていたので
あった」と飯塚さんの顔もぱっと明るくなった。

 しかし、その次に私は墓穴を掘った。

 飯塚さんの話を受けて、
 「ぼくもそうです。スケジュールは
自分で決めています」
と言うと、飯塚さんは
 「じゃあ、空白がないのは、茂木さん自身の
責任ではないですか」
と言う。

 がーん。
 そうだったのか。
 確かに、一個一個の仕事はできる、
と判断して入れていくと、
 その結果電線の上にびっしり止まった
メジロのようになって、
 二進も三進も身動きができなくなるのである。

 飯塚さんに、どうやって空白を
作っているのですか、と聞くと、
簡単です。仕事を受けるのは
自分で返事するけれども、
断る時には別のひとがやる、
とのお答え。

 自分で返事をするのは、
「そういうのを待っていたんです」
というような仕事で、
 それに対して「あいにく、スケジュールが
立て込んでおりまして」
という返事は、秘書の人が
やるというのである。

 それは、いい、まねをしよう、
とは思ったけれども、
 この日記にこうやって書いてしまうと、
やりにくくなるような気がする。
 きっと、自分でちゃんと空白を
つくる訓練をしなければならないのでしょう。

 飯塚さんとのお話は大変面白く、
プロフェッショナル ビジネス・スペシャル!
ができるんじゃないかと思うほどだった。

 ディレクターの久保健一さんは、
飯塚さんがなかなか本音を吐かない
ということで苦労したようで、
 「この男は、本音を言わない」
というナレーションのコメントを
台本に書こうと取材一日目に
して思ったということだ。

 しかし、飯塚さんは、
 スタジオでは、
住吉さんと私に人生観、ビジネス観を
率直に語ってくださった。
 これも、あたかもスペース
・シップの中にいるような
スタジオの魔力でありましょうか。
 はたまた、すみきちスマイルの
効果でありましょうか。

 オンエアは8月24日の予定。

 その時、私は、嗚呼ロシアにいるのであり
ました。

 飯塚さんは、すみきちがフランスから
中継した番組を見ていたようで、
 「楽しそうでしたねえ」
と言うと、
 すみきちは、「本当に大変だったんです。
楽しむ暇なんてありませんでした。
5時間眠っている間だけが休息で、
それ以外の時は、目が覚めてから
眠るまでびっしり働いていないと、
移動しながらの生中継はできなかったんです!」
と説明する。

 「涼しそうでしたね」と飯塚さんが言うと、
すみきちは、
 「とっても熱くて、38度もあって、
汗だらだらでしたあ!」
と言う。

 つまり、プロというものは、
どんなに苦しくても、本当にあの人は
楽しそうだなあ、バカンスを楽しんでいる
ようだなあ、と思わせなければ
いけないということなのである。

 編集で徹夜明けでも
サッカーの試合には行く、
有吉伸人チーフプロデューサー(ありきち)
さん同様、
 ハードワークが人生の楽しみを
壊さないようにしよう、ということですな。

 この日記も、私の生活において
本当はそのような意味を持っていて、 
 どんなに朝から晩まで全力疾走で
苦しくても、
 この日記を書く時だけは
一日の出来事の中で楽しいことだけを
ピックアップして、
 いかにも「おもしろ人生」のように
書く、
ということがモットーであるはずなのだった。
 
 ただ、そうすると、本当に
ノーテンキにうろうろしていると
思う人がでるやもしれないので
 (先日の天命反転住宅でのハワイの「ロコ」
メークが、
 本当に日焼けしていると思ってしまった
人たちがいるように)
 一応、このような「メタ」なお断りの
コメントも書いてみるのである。

 帰りながら拾ったニュースに、
驚き、とても心配になる。
 河合隼雄先生が入院されたとのこと。

 河合先生とお目にかかり、
交わした会話をいろいろと反芻して、
 次にお会いする時はこんなことを伺おう、
こんな話をしようと熱望していた
矢先であった。

 一日も早い先生のご快復を心より
お祈りいたします。

8月 18, 2006 at 06:52 午前 | | コメント (13) | トラックバック (1)

2006/08/17

プロフェッショナル 仕事の流儀 飯塚哲哉

今週の放送は、特別編成のため、休止です。
さて、来週のプロフェッショナルは・・・

プロフェッショナル 仕事の流儀 第23回

リスクをとらなきゃ、人生は退屈だ

〜ベンチャー経営者 飯塚哲哉〜

大人気の液晶テレビやプラズマディスプレイの心臓部を支える、小さなベンチャー企業がある。社員わずか85人。だが、売上高は200億円を超える。10億色に及ぶ色彩情報を瞬時に伝送する高性能LSIの分野で、世界トップクラスのシェアを誇る。率いる社長は、エンジニア・飯塚哲哉。43歳の若さで大手メーカーの部長に昇進、だがその安定した地位を捨て、「日本にシリコンバレーを作る」という旗印の下、ベンチャーの荒海にこぎ出した。人呼んで、業界の“坂本龍馬”。激動の半導体業界で投資と提携を繰り広げる飯塚。リスクを見極め、勝負時をかぎわける。決断の最後の鍵は「人」。世界のメーカーを相手に競争を繰り広げ、生き延びてきた飯塚の、リスクに向き合う流儀と経営の哲学に切り込む。

NHK総合
2006年8月24日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

8月 17, 2006 at 06:57 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

出だしのテンポが早すぎてはいけない!

今週は本当にスケジュールがきつく、
かなり苦しい状況になっている。
 
 なんでこんなにやることがあるんだ!
と思わず悲鳴を上げたくなってしまう。

 日曜からロシアに行くので、その前に
しておかなくてはいけないことが
たくさんありすぎて、
 青息吐息である。

 絶対に、全部が終わるとは思えない!

 なるほど、人生というのは
いろいろなサプライズを用意しているものだと
思う。
 これほど「空白」を求めての
きびしい闘いが待っているとは思って
いなかった。
 
 獲得は喪失と表裏一体である。
 何かやるべきことを
獲得するということは、空白の喪失をも
意味するのだった。

 本当は日記を書いている場合では
ないのだが、
 これは精神の最後の砦。

 こうやって書いて振り返っておかないと
全体性が失われ、バランスが崩れる。

 8月17日(土)にオペラ・シティ
である
こども音・楽・館 2006
のリハーサル。

 楽屋口から入っていくと、
ちょうどチョン・ミュンフンさんが
パパゲーノ役の晴雅彦さんの
歌を聴きながらいろいろアドバイス
していた。

 東京フィルの関係者は、マエストロ・
チョン・ミュンフン
さんのことをとても尊敬していて、
 その思いは打ち合わせの時の
発言の端々からも伝わってきたのだが、
 私が垣間見た、練習の様子からもその理由は
わかった。
 
 今回の趣向で、晴さんは関西弁で
Ein Madchen oder weibchen wunscht Papageno sich...
のアリアを歌っていたのだが、
 マエストロからの指示は英語で、
 それを聴いた瞬間、晴さんは
突然、「関西弁で
パパゲーノを歌う変な人」から、
 「威儀を正して英語で指示を受ける
芸術家」に変身するので、
 その変貌ぶりが面白かった。

 「このフレーズと
フレーズの間にブレークを入れるとき、
それが物理的にどんなに長くても
いいけれど、必ずそのブレークを挟んで
フレーズが一つにつながっていなければならない」

 チョン・ミュンフンさんはそんなことを
言いながら自分で歌って見せた。

 続いて、パパゲーナ役の高橋薫子
さんも加わって、
 「パ・パ・パ・パ・・・」
の二重唱。

 ここでは、マエストロは、「出だしの
テンポが何よりも大事です!」
と強調していた。

 出だしのテンポが早すぎてはいけない! 
 途中からは、テンポは普通でいいけれども、
とにかく最初だけはゆっくり始まらなければ
いけない!

 なるほど!

 舞台進行の打ち合わせでは、
マエストロの「パワープレー」
が心地よかった。

 段取りを説明しようとすると、
「ここに書いてあることと何か
違うことがありますか? 同じならば
いいよ!」
とぱっとさえぎってスイっと流す。

 指揮者道を垣間見た思いだった。

 進行台本は、「一つの番組の台本を
書くのに50冊本を読む」
放送作家の富樫香織さんで、
 こちらはもう完全に信頼しているから、
 後は当日のアドリブがどれくらい
炸裂するかである。

 さてさて空白を求めての闘い。
 あまりにも苦しいので、仕事の合間、
歩きながら必死に空白をつくった。

 空白とは時に能動的に作り出すものなり。
 歩きながら、相互作用同時性の
ネットワーク構造についてのイメージを
ふくらませる。

 灼熱の都会の街を行き交う人たちは
どこかさびしげだった。
 
 皆、人生の過酷な真実にあえぐ
金魚さんたちなのだろうか!
 金魚たちは、晴れ着をまといつつ、
どこに流れていくのでしょう。

 さて、私はクオリア日記という
息継ぎも終わったことですし、
 ふたたび、仕事の海深く潜って
いくことといたします。

 明日まで、しばしサヨウナラ。

8月 17, 2006 at 04:47 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/08/16

『脳の中の人生』8刷

中公新書ラクレ 茂木健一郎
『脳の中の人生』は増刷(8刷、累計49000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

8月 16, 2006 at 09:10 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

お知らせ

メールソフトの不具合により、
2006年8月11日18時43分
よりも前にいただいたメールが
現在参照できない状態になっています。

この点、ご承知おきくださいますよう
お願いいたします。

茂木健一郎

8月 16, 2006 at 09:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

「その他」

 Eudoraの不具合はいろいろやったけれども、
よく原因がわからない。
 新しくインストールしても落ちるので、
ひょっとしたらOS側の不具合かとも
思うが、
 再インストールするだけのhard diskの
余裕がないし、
 手元によいutilityがないので、
修復を試みることもできない。

 仕方がないので、Mailで新しいメール
だけは拾って対応するという片肺飛行を
続ける。
 
 今日、utilityを手に入れたら、
そのCDから起動してさらに修復を
試みてみようと思う。

 ソフトウエェアの動作に影響を与える
パラメータが多すぎて、
 モグラ叩きには時間がかかる。
 ただでさえ忙しいのに、消耗するから、
適当に付き合っているに限る。

 すっきりしないけど、
コンピュータととの付き合いというのは
土台そんなものだと思う。

 すっきりしないことこそが、
生命活動の源泉になる。
そんなところが、人間との付き合いの感覚に
似てきている。

 もっとも、コンピュータ上の
人工生命は今のところ駆動力に欠けているんだけど。

 山梨はリゾナーレに行った。
 星野リゾートが経営している。

 場所柄、野菜がおいしく、
波のあるプールとともに堪能したが、
 何よりもうれしかったのは小淵沢が
私にとっての聖地、「日野春」に
近かったことである。

 日野春と言えば知っている人は知っている、
知らない人は知らない。
 国蝶オオムラサキの多産する雑木林が
ある。
 
 リゾナーレから車で20分の道を
2泊の滞在中3回往復した。

 子供の頃何回か通い、
最後に行ったのは中学一年生の
時だったと思うが、
 博士号をとってから
一度だけ歩いて、それが最後だったと記憶する。

 確かこんな風景があったはずだ、
と思って探しても、名残が重ならない。
 
 まだまだ林は残っているし、
近くの長坂町にはオオムラサキセンター
もあるから、
 現役の自然環境だと思うが、
 私の知っているかつての日野春とは
どこか調子が違う。

 いろいろなところにブルドーザーが入り、
土がむき出しになっている。
 オオムラサキの安全基地になっているのは、
釜無川に至る斜面で、
ここは開発できないから、当分は個体数は
安泰だと思うが、
 平地の側の雑木林は破壊し放題
だということに心が痛んだ。

 だからといって、土地所有者が
やりたいと言えば、
 やれるのが現代の社会なのだろう。

 自分が遊んでいた雑木林が
ある日ブルドーザーでさら地になるのは
子供の時から何回も経験してきて、
 その度に心が痛んで、
もうその感覚には慣れっこになっているから、
 いまさらどうというわけでもないが
 オオムラサキの里をうたっているんならば、
もう少しやりようがあるんじゃないかと思う。

 文明の果実を享受していて
言うのもなんだが、
 無軌道な自然破壊ほど考えはじめると
腹が立つことはなく、
 それが日野春でも進行していることに
悲しみを覚える。

 人口減少にも良いところが
あると思わざるを得ないが、
 人口が少々減っても
人間の開発欲はそう簡単には消えないだろう。

 結局は経済原理。
だとすれば、神の見えざる手を変えて
自然環境が残るようにするしかない。
 それと、nature educationか。
 自然に対する関心がない人が多すぎる。

 リゾナーレは、『プロフェッショナル 
仕事の流儀』の記念すべき第一回に
ご出演いただいた
星野佳路さんが経営されている。

 初日、NHKの河瀬大作
さん(極悪兄弟三男)と出くわした。
 河瀬さんも『プロフェッショナル』
つながりで来たなり。 

 気のせいか、河瀬さんはいつもより
焼けていたように思う。
 そして、笑い顔がさらにおおらかに
なっていたと感じた。

 日野春をうろうろした私も、
なんとか焼けになっているんじゃないか。
 笑い顔のほうは、どうかわからない。
一つ鏡ににかっと笑ってみましょう。

 終戦記念日に東京に帰り、
半蔵門のTOKYO FMに向かった。
 松任谷由実さん
のラジオ番組。

 コンサートツアーの最終日に
お誘いを受けていて、うかがうことが
できなかったのが。
 かえすがえすも残念。

 松任谷さんと「デート」
をテーマに話す・・・
 ということだったのだが、
 話題はぐねぐねうろうろし、
それが心から楽しかった。
 
 久しぶりにお目にかかる松任谷さんは
相変わらずチャーミングで、 
 ツアーを終えたばかりで
さぞお疲れだったと思うのだけれども、
 テンポよいその語りはまるで
それ自体が音楽のようであった。

 ユーミンの楽曲のクオリアの
秘密については、機会があったら
また話したいな。

 NHKへ。
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
 リゾナーレ土産の「黒玉」を持参した
ところ、
 住吉美紀さんが「おいしい、おいしい」
と3つも食べた。
 
 すみきちは私と違ってダイエットの
必要はないなり。
 
 その住吉さんのことで、面白い話を聞いた。
 今度、朝日カルチャーセンターで
私と住吉さん、それに佐藤可士和さんをゲストに
呼んで、
 「プロフェッショナル 番外編」
という講座をやるのであるが、
 その商業活動としての告知に、
住吉さんの名前が使えないということになり、
 「茂木健一郎、佐藤可士和 その他」
という形で告知されることになった。

 この「その他」がすみきちなんだけど、
朝日カルチャーセンターの歴史上、
 「その他」と記されたのは
井上陽水さんだけなのだそうだ。

 すみきちが、井上陽水と並んだ日!

 さてさて、今日からの通常業務の
日々、やることが山積、ほんとうに
破たんしそうな時間。
 
 コンピュータソフトの不具合は
歯に挟まったスルメのごとく気になるが、
そんなことをもろともせずに
 とにかくできることをやる、
前に進むしかないなり。

 John Lennonは、
Life is what happens while you make other plans.
と言いました。
 
 朝日カルチャーセンターも、人生も、
「その他」にこそ本質がある。

8月 16, 2006 at 09:04 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2006/08/14

 暑中お見舞い申し上げます。

そもそも、13−15日は
お盆でもあり、
今夏唯一の休暇の予定だったのですが、
 仕事は終わらないわ、コンピュータの
調子は悪くなるわで、ひどい目にあっております。

 仕事をしようと思ったら、
メールソフトである
Eudoraが落ちて、何回やっても復旧せず、
 このようなときはいろいろ
やることがあるもので、
 設定ファイルを変えたり、
preferenceを入れ替えたり、
 あるいは再インストールなど、
いろいろやっているうちに
泥沼に陥りました(笑)。

 謎なのは、再インストールしても、
落ちることです。

 落ちることに再現性があっても、
何の救いにもなりませんね(笑)

 特に困るのが、もらったメールが
読めないことで、
 ワードで受信簿のファイルを
開けようとしたら、大きすぎて(125MB!)
落ちる。
 
 仕方がないのでMax OSX付属のMailに
インポートしようと思ったら、
 そっちも落ちる!

 実に困ったことに、いろいろ
なものが落ちるのです。

 エッセンシャルな問題を考える前に、
道具が落ちるんですから、話になりません。

 というわけで、今日、明日は、
私の頭脳も、コンピュータもまともに
動いていない可能性がありますので、
ご注意ください!
 
 この日記も落ちるかもしれません。
 他の仕事は落とさないようにがんばります。

8月 14, 2006 at 10:29 午前 | | コメント (4) | トラックバック (4)

2006/08/13

「アダモステ」現る!

 「できることは何でもやる」
この哲学に私はとりつかれた。

 とくに、不可能と思われること、
どうせ成功しないと思われることでも、
 できることはいろいろ
あるんだから、何でもやる。
 それがいいんじゃないか。

 IT化、インターネットの発達は、
「できること」の範囲を拡大しつつ
あるように思う。
 
 原理的な限界があったとしても、
それがあたかもないかのように
営々と努力する。
 そんな態度がふさわしい時代。

 検索するとどうもその方が良いようなので、
新幹線を大宮で降りて、
 湘南新宿ラインで行こうと思った。

 グリーン券を買って、座って仕事を
しようと思ったのである。

 ところが、グリーン車まで満員で、デッキに
人が立っていた。
 立ち席でもグリーンはいると書いては
あるが、何だか釈然としない。

 仕方がないので、アハ・センテンスを
一つ考えた。

 「動けなかったのに、予定通り
目的地に着いた」

 答えは一番下で。

 三鷹の天命反転住宅。
 桑原茂一さんが、スカイパーフェクトTV
とディスカバリーチャンネルと
やる親子向けのイベントで
 話をしてくださいと頼まれていた。

 桑原さんには、私を野口英世に
仕立てた「前科」がある。
 今回も何かあるのだろうと思ったら、
ハワイの「ロコ」に仕立てられた。
 私の前に、すでに吉村栄一さんが
黒塗り仮面と化していた。
 ミョーに似合って、
昔「オレたちひょうきん族」に出ていた
 「アダモステ」現る!
かと思った。

 鏡の前に座って、
黒く塗られ、
 アロハシャツを着る。

 今日来るこどもたちが、もともと
そういう人だ、と思ったらどうするんだ
と考えたが、
 乗りかかった船だから、そのままぐいぐい
漕いでいく。
 
 そんなわけで、「南の島大学 脳研究所
ドクター茂木」としてこどもたちの
前に登場した。

 さて、このイベント、コンセプトは
桑原さんから伝えていただいていたものの、
あとはその場のこどもたちとのやりとり
を通しての即興。
 キャラクターつくりとか、会話とか、
すべてその場で作っていく。

 このような労働集約的な現場は
楽しい。
 自分の身体とか智恵とか、
そういうのをぎりぎりの密度で
酷使することをしないと、
 仕事をした気がしない。

 それは、研究もそうだし、文章を書くのも
そうだし、このようなライブの場も同じだ。

 何かに似ているな、と考えていて、
 むかし、町内のこども会で
劇団のお兄さんとかお姉さんが
来て、「ふるやのもり」や、
「やまんば」を演じてくれた時のことを
思い出した。

 こどもは、大人がばかなことをやっているのを
見るのが好きで、
 ものすごい勢いで精神的によりかかって
くる。
 もっと、もっと! というエネルギーは、
「八時だよ全員集合」で「志村、うしろ!うしろ!」
と叫んでいた高度経済成長期のこどもと
今のこどもたちは変わらない。

 ぼくがこどもの時、
夏のこども会に来てくれた
お兄さん、お姉さんたちも、それぞれの
青春の都合の中で、何とか時間をやりくりして
 こどもたちのためにとやってくれたんだろう。
 どれくらい練習したり、段取りしたり
する暇があったかわからないが、
 一度こどもの前に出てしまえば
待ったなし、
 容赦はないから、精一杯演ずるしかない。

 別の部屋では、料理ユニット「GOMA」
の人たちがふしぎな味のたべものを供し、 
 そして東京芸術大学の植田工が
ディレクションした「芸大部屋」では、
 ボクサーとか、ボディトレーナーとか、
風船とかがあって、
 奇妙なテーストの空間をつくり出していた。

 こどもたちには、「芸大部屋」
はどのように見えただろう。
 制作者として、ずらりと芸大所属の
名前がならんでいる。
 お父さん、お母さんに聞いて、
美術系の最難関だということを知るかもしれない。
 
 その人たちが、なぜ、一生懸命
あんなばかなことをしているのか、
 そのしみじみした味わいに
何かを感じてくれたらなあと思う。

 オレだって、「南の島からやってきた
ドクターもぎです。日本にアハ体験を広める
ためにやってきました!」
などと言っていたけど、
 ふだんは少しはマジメなことを考えて、
やっているのです。

 三回の授業が終わった後、
取材に来ていたひとたちから質問を受けた。
 案の定、「茂木さんは今日のために
日焼けしたんですね」という人がいた。

 そうではありませんってば。
 黒く塗ったんです!

 助手役の「アダモステ」、吉村栄一さんは、
会話の途中でわたしがつい
 「助手の吉村くんは、マジックが得意だったね!」
などと言ってしまったもんだから、
 最後に「このコップの水を1秒で消してみせます!」
と叫んで、
 ぐるりと一周しながら飲み干す
はめになった。
 
 いやあ、大人とこどもの交渉の場に
表れるさまざまなダイナミクスは実に面白い
ものですね。

 時々童心にかえることのできる
大人に、悪い人はいないように思います。
 見学に来られた電通の佐々木厚さんも、
「うん、うん」と深く肯いていたのでした。

 すばらしい夏の一日をプロデュースして
くださった桑原茂一さん、ありがとうございました。

(答えは「満員電車」)

8月 13, 2006 at 08:47 午前 | | コメント (10) | トラックバック (9)

2006/08/12

うつろい

 東京工業大学大岡山キャンパスへ。

 高校生向けの「Inter COE」の会。

 主なミッションは、研究することの面白さ
や醍醐味を訴えかけて、高校生に
東工大に関心をもってもらうことだと
わかっている。

 だから、脳の話ももちろんしたけれども、
「科学の恵みと技術の矜恃」という副題で
語りかけた。

 「科学の恵み」は、「自分自身から離れて
世界について考えること」(detachment)
を中心にお話しし、
 「技術の矜恃」は、「原理的に不可能だ
などと簡単に言わずに、できることは何でも
やること」だと高校生にアツク伝えた!
 
 終了後、東京工業大学学長の相澤益男
先生や、機械制御システムの佐藤勲先生、
研究協力部の鈴木範雄さんと昼食を
とる。

 東工大では、「世界文明センター」
という形で
教養教育の充実を図っていると
相澤学長。

 私自身、最近「教養」ということの
大切さに関心が向かっている。
 インターネット時代になって、
さまざまな情報が溢れている中、
 いかに最終的に自分の人格、世界観に
統合されるかたちで
 さまざまなことを学んでいくか
という姿勢が大事なのではないか。
 
 それこそ、教養を高めるために
できることは何でもやるべきだ!
 教養を深く広くしていくということは
人生の目的であるべきでありましょう。
 
 東京駅で徳間書店の牧田謙吾専務と
待ち合わせ。

 石井健資さん、本間肇さんも
いらっしゃる。
 しかし、お二人とも校了前ということで、
ホームで手をふってサヨウナラだった。

 郡山へ。
 『本と脳の話』をする。

 本の良いところは、人間の全体性を回復
できる点にあるのではないか。
 テレビはどうしてもその場限りで
流れていくメディアになりがちだし、
 私たち現代人は皆、前のめりに生きていて、
過去を振り返らなすぎる。
 
 過去のさまざまな人類の体験を振り返る
縁としての本の役割を大切にしたい。
 
 そのような趣旨で。

 福島県には福島民報と福島民友という
二つの代表的な新聞社がある。
 
 そのうちの福島民報の戸井田淳さん、
二瓶盛一さん、花見政行さん、
それに高島書房の高島瑞雄さんと
会食。

 作家の玄侑宗久さんと奥様が
いらっしゃる。

 私は玄侑さんの『御開帳綺譚』の解説を書かせて
いただいたことがある。
 また、玄侑さんが拙著『脳と仮想』にコメントを寄せて
くださったという経緯もあり、
 縁がなかったわけではないが、お目にかかるのは
初めてだった。

 玄侑さんはチャーミングな方で、言葉の
選択とそのリズムが心地よかった。

 玄侑さんを見ていて、前から感じていた
疑問を思わず口にした。

 「なぜ、僧侶は色気があるのでしょう」
 「うつろい、だからでしょう」
 「なるほど。そうですね。これで、明日の
ブログに書くことは決まった!」

 恋も仏道も「うつろい」である。
 諸行無常は色っぽい。
 風、光、林、水。万物に共感せよ。嗚呼。

 明けて今朝は東京に帰る。
 阿房列車の旅は続く。
 うつろいの中に本質を見つめたい。

8月 12, 2006 at 07:44 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2006/08/11

人類の根源的なパッション

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、
 花火師の野村陽一さん。

 野村花火の三代目として家業を
受け継いだが、
 最初は技術もノウハウもなく、
 その花火は「闇夜のカラス」
と酷評されたという。

 それから奮起して
精進したが、
 その道筋は並大抵のものではなかった。

 花火は、技法を
自分の弟子以外には
容易に明かさない「秘伝」の
支配する世界。

 野村さんは
 自分で試行錯誤するしかなく、
 大会で優勝するまで、
19年間は鳴かず飛ばずだったという。

 その長い不遇の時代を
どうして乗り越えられたかと言えば、
 花火の虜になった、
魅せられたからとしかいいようがないと
野村さん。

 火というもの、それが放つ光
に対する人類の根源的なパッション
が、花火というものの背後にあるということが
納得できた。

 有吉伸人チーフプロデューサー
(ありきち)が、
 「スタジオのドキュメントとして
出色の出来でした」
と言った、
 野村さんの魂の奥底に
触れることのできた4時間だった。

 この4時間の対論が、
15分に編集されて
 放送される。

 野村さんの花火は、仕込みに三ヶ月
をかけ、
 打ち上げれば5秒の勝負。

 時間という切り口で私たち
人間の思いのやりとりを
考えてみると、面白い。

 担当のデスクは「極悪三兄弟」の
末っ子、河瀬大作その人であった。

 終了後、いつもデスクの人が
テープレコーダーを持って
キャスターコメントを録りにくるのだが、
 河瀬さんにその気配がない。
 
 「河瀬さん、コメント録らなくて
いいんですか?」
 「あっ、とります、とります」
 「テープレコーダーはどこにありますか?」
 「あっ、上です。10階です」
 「取りにいくの大変ですねえ。私の持っている
ICレコーダーで、録音して、後で送りましょうか?」
 「おっ、さすが兄貴。助かります助かります」

 というわけで、私は着替えの部屋に戻って、
一人ICレコーダーに向かって
 野村さんとお話した感想をピピタン
した。

 (注:ピピタンとは、ひとりで
喋っている状態を言う。セキセイインコなどが、
籠の中で一匹でぴゅぴゅるるるるなどと鳴いていたり、
あるいは、桃太郎の昔話を、「むかし、むかし・・・
と話した後で、思わず最後に自分の名前を
「ぴぴたん、ぴぴたん」と言ってしまう
ような様を表す造語で、茂木健一郎によって
10年前から使われているが、社会に一向に広まる
様子はない。「ピピタンする」とか、
「あの人ピピタンだよね」など、同士や形容動詞
として用いられる)

 だから、野村さんとお話して
感じたことの音声は、
 ここにある。
 (MP3、2分、1.9MB)
 
 打ち上げの時、
住吉美紀さん(すみきち)が、

 「野村さんが花火の虜に
なった、ということを
聞いた時、思わず、恋愛でも
そうなんですか、と聞こうと
思ったんですけど、
 どうせ編集でカットされて
使われないだろうなあ、と思って、
やめてしまいました」

 と言っていた。
 
 なるほど、ジョシ的には
そのあたりが気になるところなのであろう。

 人生が、花火のように大きく
咲いたら。

 とにかく労働集約的な
私の毎日。

 花火は空白なくして咲かない。

 空白はどこにあるのか?

 昼間には全くなく、
いつそれが訪れるかというと、
 案外目覚めた直後だったりする。

 いつもはすぐに活動を始めるのだが、
時に、
 ぼんやりとテレビのニュースを
眺めている時もある。

 今朝、そうやって見ていると、
 自民党の総裁選挙で、
ほとんどの派閥が安倍氏の支持に
向かいそうだという。

 「○○派は、△△派は・・・」
とアナウンサーが名前を連呼する。
 
 わが祖国ながら、
 不思議の国ニッポン。

 政党のポリシーで党議拘束が
かかる、というのならばわかるが、
自分たちのリーダーを選ぶ選挙で
派閥が単位になるというのは
どういうメンタリティーなのか?

 こういうことを、合理主義から
exotismを見る視点から語ることは
簡単なのだが、
 一体我等の選良はなぜ「派閥」
で行動するのか、
 そのあたりをよくよく考えて
見なければなるまい。

 考えること以上の快楽はありません。
 
 火に魅せられることも、
 群れ集うことも
人類の根源的なパッションなんだろう。

 じゃあ、派閥の親玉が美しい
花火かと言えば、どうもそうでもないようだ。

8月 11, 2006 at 07:43 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/08/10

プロフェッショナル 仕事の流儀 夏スペシャル

プロフェッショナル 仕事の流儀

夏スペシャル 
NHK総合 2006年8月10日 22:00〜23:00

ひるまず 壁に立ち向かえ

〜プロフェッショナルの逆境克服法〜

「プロフェッショナル仕事の流儀」が始まって半年あまり。30、40代を中心に、熱い反響が寄せられる中で特に多いのが、無名時代のプロたちが壁を乗り越えていくエピソードへの共感。そこで、夏の特集として、「プロフェッショナルたちはいかにして壁を乗り越えたか」をテーマに、60分の拡大スペシャルを放送する。これまで番組に登場した一流のプロたちの知られざる逆境との格闘を紹介するとともに、キャスター茂木健一郎が、最新の脳科学的見地から、逆境克服の秘密を読み解いていく。
さらに、Jポップ屈指のヒットメーカーであり、主題歌Progressの作詞作曲、ボーカルを担当したスガシカオが登場。会社勤めを辞め、音楽の世界に飛び込んだ無名時代、いかに壁と向き合ったのか掘り下げていく。kokuaによる主題歌のバンド演奏も披露、「あと一歩だけ前に進もう」とメッセージを送る。

細田美和子のスタッフノート

http://www.nhk.or.jp/professional/note/index.html

8月 10, 2006 at 09:49 午前 | | コメント (7) | トラックバック (7)

中央公論 時評 雅子妃に差し上げたい「ギャップ・イヤー」

中央公論 時評 雅子妃に差し上げたい「ギャップ・イヤー」

 茂木健一郎 時評『雅子妃に差し上げたい「ギャップ・イヤー」』

 中央公論 2006年9月号
(2006年8月10日発売)

http://www.chuko.co.jp/koron/ 

8月 10, 2006 at 08:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

カッコいいとか、そういうことがあまり好きじゃない

朝一番で、伊東乾さん、青木茂さん、
跡見順子さんとミーティング。
 朝日新聞の井原圭子さんも
同席。

 場所は四谷駅から
ほど近いルノアール。

 意識的な意思決定に先立つ身体運動
について。議論する。
 伊東さんは開高健賞を受けられることが
決まったとのこと。
 オメデトウございました。

 井原さんと、日本人に必要な自己批評の
話をする。
 いくら自分たちの国は良い国だと言ったって、
夜郎自大で周囲の人間は共感してくれない。

 むしろ自分たちの欠点は自分たちで
先に言ってしまった方がいい。
 その方が寄り高みを目指せるし、
何よりも人間の態度として美しい。

 夏目漱石先生を見習え、ということです。

 終了後、麹町のBS日テレに歩く。
 あと一回あるが、それはテレビマンユニオンの
スタジオでやるので、
 『ニューロンの回廊』を麹町で
収録するのは最後である。

 2、3年前には、自分がここまで
「テレビ」というメディアにかかわるとは
思ってはいなかった。

 どんな制作現場でも、
最後はプロとしての意識、ものづくりの
心意気というものが大切になるんだなあ、
ということを思う。

 ゲストは、書家の柿沼康二さんと
パティシエの辻口博啓さん。

 「ドクター茂木」としての
演技もう終わりである。
 何となく芸風がつかめてきたような
気がするし、
 テレビマンユニオンの花野剛一さん
としてはもう1クールやりたかった
所なんだろうけど、
 正直言えば、
 ほっとした気持ちもある。

 人生では、スペースを
作ることも大事です。
 そうでしょ、花野さん。

 柿沼さんは様々な書の賞を総なめ
してから、アートとしての
表現に取り組まれている
方。
 柿沼さんの手ほどきで書を
したためて、初めてその
 何とも言えない奥深い
楽しさに目覚めたように思う。

 私は小学校の時の書道の授業が
苦手で、何しろヘタなものだから、
 楽しいと思ったことは一度もなかった。

 柿沼さんのとなりで、まずは空海が最澄に
宛てて書いたという国宝「風信状」の
「風」を臨書した。
 それは、「吸い込むこと」
に当たると柿沼さんは言われた。

 それから、自由に書いた。
 これは、「吐き出すこと」
だと柿沼さん。

 「風」という字の横に
落款としてフラワーピッグを描いたら、
柿沼さんが眺めて考え込んでいる。

 「茂木さんは、カッコいいということが
あまり好きじゃないでしょ」
などと言う。
 
 「普通、字は右肩上がりに書くと
かっこよく見えるんだけど、
茂木さんはわざと右が下がるように
書いている。
 カッコいいとか、そういうことが
あまり好きじゃないということが
わかります」
と柿沼さん。

 その一言で、何かが解放されたような気がする。

 吸って、吐いて、自由になれ!

 柿沼さんは9月から1年間アメリカの大学
で書を教えられるとのこと。
 「ギャップイヤー」で大きく飛躍される
柿沼さんの未来が楽しみである!

 辻口博啓さんのチョコレートは、
自分でも何回か買って、また人から
いただいて食べたことがある。
 いつも一粒ひとつぶ大切に食べる。

 ところが、今回の
収録に関して言えば、「演出」で一気に6個食べ、
それをアシスタントの岡村麻純さんが
「ドクター、食べ過ぎですよ」
と止める手はずになっていると言う。

 それは、チョコレートに
対して申し訳ないなあ、と思ったが、
指示だから、仕方がない。
 
 普段はゆったりと一つ食べる
味の宝石を、
 一気にぱくぱくぱくと
食べた。

 コーヒーも水もなしである。

 続いて辻口さんとお話したが、
何だか妙なことが起こった。

 ぐわーっと、ものすごい
エネルギーが身体の内側から
わき上がってくるように感じたのである。
 気分が高揚し、
心なしかかっかと熱くなる。

 ランナーズ・ハイならぬ、
チョコレート・ハイとはこのことか、
とびっくりした。
 
 調子に乗って、というわけではないが、
台本指示により、
辻口さんの代表作
「セ・ラ・ヴィ」及び
「タルト・フランボワーズ」も食す。

 夕飯前にこんなにスイーツをいただくのは
初めての体験であり、
 スイーツの食べ放題バイキングに来たような
気持ちになる。

 「セ・ラ・ヴィ」はさすがの味。
素材の個性が立っていて、
しかも全体としては調和がある。

 「タルト・フランボワーズ」は、
カカオのえぐみを生かした大人の味。
 その向こうに、広大無辺なる
味の空間があることが確かに
感じられた。

 そして何よりのサプライズは、
お米の粉を使ったスポンジ・ケーキ。
 小麦粉アレルギーの子供たち
にもスイーツの楽しみを、という
思いで作られたとのことだが、
 「えっ、これが米が原料?」
と驚くほどさわやかで、しっとりと
していて、
 むしろ小麦粉よりもいいんじゃないか
とさえ思ってしまう。

 辻口さんは実家が七尾の和菓子屋で、
子供の頃から甘味に親しみ、
小学校の時にはもうケーキのスケッチや、
店のレイアウトを描いていたという。

 まさにパティシエになるために
生まれてきたような人。

 180センチはあるだろうという
長身で、人柄も大きく、
 そのスイーツに対する姿勢も格闘技のようだな、
と思って、そう申し上げたら、
辻口さんは実は格闘技が大好きだとの
ことだった。

 つくることの歓び、
人に歓びを与えることの歓び。

 辻口さんのスイーツの格闘的展開に
これからも目が離せない。

 収録が終わり、
田中ナオトさんが
「このスタジオでの収録は最後ですので、
ニューロン組の記念撮影をします」
と声を上げた。

 ナオトは、どちらかと言うと
立川談志のようなクールでシニカルな
スタンスが印象的だったので、
 そんなナオトがそんなことを言うので
何だかしんみりしてしまった。

 小津安二郎の映画の一シーンの
ように、全員で並んで記念撮影をする。
 私のニューロンの回廊にしっかりと
刻み込まれました。

 スタジオを出る時、花野Pと立ち話。
 「元気ですか、花野さん!」
と言うと、
 「みんなにそう言われるけど、元気です!」
と花野さん。
 すると、
 となりにいた佐藤さんが、
 「今、大人になりつつあるんですよ!」
と言いました。

 打ち上げは9月の最終収録の後に
ある模様。
 その時は大いに盛り上がることと
いたしましょう。

8月 10, 2006 at 08:33 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006/08/09

こども音・楽・館 2006

こども音・楽・館 2006

2006年8月19日(土)
11:00〜
15:00〜
(2回公演)
東京オペラシティ コンサートホール

指揮・監修:チョン・ミョンフン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
特別ゲスト:茂木健一郎
タミーノ:土崎譲(テノール)
パパゲーノ:晴雅彦(バリトン)
夜の女王:小川伸子(ソプラノ)
パミーナ:松田奈緒美(ソプラノ)
パパゲーナ:高橋薫子(ソプラノ)
構成・演出:富樫佳織
CGデザイン:西尾巧

http://www.tpo.or.jp/japanese/concert/kodomo2006.html


8月 9, 2006 at 10:32 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

クオリア再構築 島田雅彦×茂木健一郎

クオリア再構築vol.2
銀河の剣
島田雅彦×茂木健一郎

集英社 すばる 9月号

 
http://www.shueisha.co.jp/CGI/magazine/rack.cgi/magazine/subaru_detail.html?key=detail_b&zashimei=subaru

8月 9, 2006 at 07:18 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

その点は触れないでください

 高知から羽田に帰ってきて、
空港で朝ご飯を食べた。

 南ウィング到着出口2番
を出たところにある
Bakery & Cafe Blue Sky
は思い出の場所。

 『脳と仮想』の前書きで触れた、
サンタクロースの会話をふと耳にした
場所である。

 2001年の暮れ、私は羽田空港にいた。朝一番の飛行機で旅行から帰ってきて、レストランでカレーライスを食べていた。私の横に、家族連れがいた。五歳くらいの女の子が、隣の妹に話しかけていた。
「ねえ、サンタさんていると思う? 〇〇ちゃんは、どう思う?」
 それから、その女の子は、サンタクロースについての自分の考え方を話し始めた。
「私はね、こう思うんだ……」
 その先を、私は良く聞き取れなくなり、カレーライスの皿の上にスプーンを置いた。
「サンタクロースは存在するか?」
 この問いほど重要な問いはこの世界に存在しないという思いが、私を不意打ちしたのだ。

茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮社)より

 もう、4年半たつのか、
とガラス窓の前に立って思った。
 あの時、あそこの席に座っていて、
女の子はあそこにいて・・・と
はっきりと思い出すことができる。

 カレーライスを食べ終え、
空港のターミナルを歩き始めた
私は、
 思考の確かなとっかかりを掴んだ
よろこびに、高揚していた。

 ふとしたことがきっかけとなり、人生を
確実に変えていく。
 波乱はいつ訪れるかわからない。

 羽田のあの店は
私にとっての聖地の一つだ。

 余裕だろうと思って乗ったタクシーが
首都高速の大渋滞でなかなか着かない。

 雨が降ると車が混むとは
言うが、
 ずっとのろのろ。これならば
モノレールに乗れば良かったと
併走する高架をうらめしく見る。
 
 NHKの打ち合わせに遅れて
到着。
 申し訳ありませんでした。
 
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の最初の収録の時に意気投合して
結成した
 「極悪三兄弟」。

「次男」の小池耕自さんがクローズアップ現代に
移籍予定ということで
解散の危機に瀕している!

 しかし、
 「三男」の河瀬大作さんが
デスクを勤めた「花火師」の
VTRが面白かった。
 極悪三兄弟、
 「長男」はともかく、
次男三男はすばらしい活躍ぶりである。
 次男も「クロ現」で暴れるだろう。

 NHKを出て、
一路東方へ。

 吉本隆明さんにお目にかかる。

 吉本さんには、いつもながら
虚を突かれる。

 皆、老人と決めつけるが、
100歳まで生きるか、150歳まで
生きるか、わかるはずはないじゃないか、

 人類の歴史というものは、畢竟
個人史ではないか。

 マルクスは「限定された類」と言ったが、
本当に限定されているかどうか、
わからないじゃないか。

 吉本さんの言葉を自分の内側に響かせて
いるうちに、
 精神の中でなにかがうごめき始める。

 触発されるものが世間で流通している
回路とは違う。
 人間のあるべき、に対する
感度が違う。

 学問を超えた総合性とでも
言うべきものだろう。
  
 カメラが入り、
対談風景を撮った。

 最後に吉本さんと並んで、
二人で収まった。

 吉本さんのお宅には、あと何回か
うかがう予定。

 ヨミウリ・ウィークリーの
川人献一編集長がご栄転で、
今までお世話になったことに対する
お礼の会が丸ビルで。

 川人さんが時折考えにふけるような
表情を見せ、 
 週刊読売以来の川人さんの
編集人生を垣間見る思いがした。

 川人さん、ありがとうございました!
今後も宣伝部長としてご活躍くださいますよう!

 家に帰ってくると、徳間書店から
重版通知があり、
 何だろうと開けてみると、
うれしい驚きだった。

『生きて死ぬ私』

を8月31日に
2000部増刷すると言う。

 

 1998年に8000部発行され、
その後絶版状態だった
この本に動きが出たのは、
『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)
を発行してくださった
「たけちゃんマンセブン」こと
増田健史さんのお陰である。

 文庫本で読める、ということは
本当にありがたいことだけれども、
読者の皆様の便宜のためにお伝えしたい
ことがある。

 徳間書店版とちくま文庫版には実は重大な
差がある。

 徳間書店版には、その頃出始めたばかりのデジカメ
で私が撮影した写真が多数掲載されていて、
それが原著の独特の味わいとなっていた。


「結婚式」(『生きて死ぬ私』より)

 ちくま文庫版のあとがきを書いている時、
「もとの本には写真があったが」などと
触れたら、たけちゃんから「茂木さん
お願いだからその点は触れないでください」
と言われてやめた経緯がある。

 というわけでございまして、
 二つの本は性格が違うので、
徳間書店版は写真を含めた「愛蔵版」
ちくま文庫は携帯に便利な判型として、
両者ともどうぞご愛顧いただければ
幸いに存じます。

 ここのところ本当に仕事に追われていて、
紙一枚も挟むスペースがない。

 ASAP(as soon as possible)
で小俣圭、柳川透、恩蔵絢子の
論文をしあげなければならないし、
 本当に苦しい毎日である。

 そんな中、この日記を書いている時だけ
人心地がする。
 
 オレはひょっとしたら千日回峰行
をやっているのであろうか。 

8月 9, 2006 at 07:03 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006/08/08

どうなるかわからないから人生は面白い

Lecture Records
茂木健一郎 『どうなるかわからないから人生は面白い』
第56回高知市夏季大学

2006年8月7日
高知市文化プラザかるぽーと
音声ファイル(MP3, 90分、82.7 MB)

8月 8, 2006 at 06:33 午前 | | コメント (1) | トラックバック (7)

210ということはないが

 高知市民大学へ。
 今年で56年続いているとのこと。

 今まで二度来た講師は今年来る
立花隆さんだけで、
 それも30年ぶりとのこと。

 場所柄、坂本龍馬の話をする。

 1000人収容の会場があふれて、
テレビモニターで見ている人たちも
いるということで、
 終了後、その会場の方にご挨拶に行った。

 地元の富士書房の方が本を売ってくださった。
 講演前にサインをして、
 講演終了後もひたすらサインをした。

 これまでの最高記録であることは間違い
ないなり。
 「ひらめき脳」、「脳の中の人生」、「脳と仮想」
の三種類を、各70冊、計210冊
 を完売してくださった。

 一人2、3冊買う方もおられて、
時間の関係上1冊しかサインできなかったので、
 210ということはないが、
150は間違いなく越えていて、
 180くらいはサインしたんじゃないかと
思う。

 「できるだけ全員に違う
図柄で描く」というポリシーでやっている。
 相手の顔を拝見して、その雰囲気で瞬間的に
創発する。
 さて、そのようなことをすると、
活性化する脳の領域はどこでしょう?

 ベートソンのイルカの話につながるなり。

 フラワーピッグはヘトヘトになりながらも
アイツトメマシタ。

 サインをしてもらう側の話だと
 私自身は、今まで一度だけある。
 大学院生の時、大江健三郎さんが
東大生協にいらして、
 その時『懐かしい年への手紙』に
サインしていただいた。

 自分の名前を書いて並んで、
「茂木健一郎様  大江健三郎」
と丁寧に書いてくださった。

 その時の本は今でも大切にとってある。
大江さんがノーベル文学賞をとられる
前のことである。

 さて、東京にトンボ帰り。

 桂浜くらいは行こうかと思ったが、
すぐそこと思ったところが、
 案外遠くて、果たせなかった。
 ビールを飲んで刺身を食べただけで
初めて来た高知を後にする。
 
 しかし、土地の方々のご厚情には
触れることができた。

8月 8, 2006 at 06:04 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/08/07

フラワーピッグ君のオメメ

そう言えば、ここのところお弁当ばかり
だったなあ。
 だから、目先を変えようと
 朝ご飯は八戸駅でそば。

 めかぶというのもおいしそうだ、
とは思ったのだが、
 結局てんぷらそばに生卵を
落とす。

 七味唐辛子をぱっぱっぱと
かける。

 あたたかいものが喉を通っていくと、
何だか元気になるような気がした。

 景色も見ず、ひたすら仕事をしながら
乗っていって、青森に着く直前に
目鼻がついた。

 改札のところで、橋本麻里さんと
合流。

 タクシーで三内丸山遺跡へ。

 縄文というのは、大らかだと思う。

 大らかさが伝染するのか、
特別公開の資料室で土器を触らせて
くれた。

 橋本さんは、各地の美術館事情に詳しい。

 「火焔式土器の人たちが言っていました
けれどもね」
 「はい」
 「壊れたらそれで、もともとばらばらで
出土したものだからって。」
 「うーむ。なんと」

 復元された住居も良かったが、
一部分、土に埋もれたまま保存してある
場所が心惹かれた。

 土の中に埋まって、しばらくすると、
何とも言えない味がつくように思う。
 掘り起こすという作業も
精神の深いところに訴えかける
ところがある。

 埋蔵、発掘といった土まわりの
できごとの持っている気配が好もしい。

 青森駅前に戻ると、
そこはもう文明がチカチカしていて、
 縄文のおおらかさとか、
土まわりの好もしさとは遠い世界
であったが、 
 そんなことは気にせずに
お寿司を食べた。

 「さっき、土器を見ていた時に、
いきなり話しかけてきたおじさんがいたでしょ」
 「ええ」
 「日本の土器は、動物が描かれていないのが
特徴だとか何とか言っていたでしょ。」
 「静かに見ているのに、ちょっとうるさかった
ですねえ」
 「椎名誠だったら、ああいうおじさんのことを
書くんだと思うんですよ。しかし、ぼくは
編集してしまって書かないことにしようと思う」

 と橋本さんに言ってしかし書いている私は
矛盾している。

 ストーンヘンジ(環状列石)のある小牧野遺跡へ。
 
 アプローチが美しい。
 ところどころに放置してある自動車があり。
 それが、内側からも草が生え、埋もれ始めて
いて、
 三内丸山で見た復元住居のうち、
次第に草に埋もれて土に還ろうとしている
ものたちに似ている。

 ストーンヘンジのある周囲の様子も
好もしく、
 その空気を身体に染みこませている
うちに
 帰る時間とはなった。

 橋本さんは仙台に向かうなり。
 私は空の人となる。

 きっちり青森羽田分を眠って、
空港からタクシーに乗る。

 東京女学館近くのスタジオ。
 松坂慶子さん。
 『婦人画報』スタッフ。

 松坂さんは、マジメな、しかし
オチャメでステキな方だった。

 フラワーピッグ化すると、
なぜか突然カタナカになってしまうのだ。

 ここからは、ソニー広報の中谷由里子
さんが同席。

 六本木のグランド・ハイアットへ。
 朝日新聞、加藤明さんと。
 先日の中村うさぎさんに関する
取材の続き。

 お台場のフジテレビへ。

 「スタメン」

 爆笑問題の二人、それに阿川佐和子さん
のMCの三人のやりとりが面白い。

 妙な話だが、生放送の本番のスタジオに
いて、
 私はとてもゆったりしてしまった。

 確かに緊張はしているのだけれども、
喋らなくてはならないのは
 阿川さんから振られる時だけで
(それがいつくるか判らないから
こまるんだけど)
 あとはビデオを見たり、他の人の話を
聞いていればいいんだから、
 普段の「はい次、はい次、はい次・・・」
の仕事状況に比べて、何てラクなのだろう!
とフキンシンなことを考えてしまった。

 それにしても、太田光さんの
切れ味は鋭く、地上波テレビの中の
インテリ代表という感じがした。

 フジテレビの車で、再び仕事をしながら
自宅へ。

 結局ずっと仕事をしている。
 えいえいえい。

 呆然とビールを飲みながら、
さらに仕事。

 しかし、フラワーピッグ君の
オメメはそう長くは開いていることが
できなかった。

8月 7, 2006 at 06:19 午前 | | コメント (10) | トラックバック (0)

2006/08/06

チョコとコーヒーがもたらす朝の仕事の快適さ

ヨミウリ・ウィークリー
2006年8月20・27日号
(2006年8月7日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第17回

チョコとコーヒーがもたらす朝の仕事の快適さ

抜粋

 コーヒーは、長らくドリップで飲んでいたが、最近になってカプセルに入った粉でエスプレッソを淹れる機械を購入し、愛用している。コーヒーを一口すすると、その味と香りに脳と身体が覚醒し、さあやるか、という気分になる。


全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

8月 6, 2006 at 09:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

ニューロンの回廊 町田康

2006年8月6日(日)BS日テレ 20:00〜20:54 

『ニューロンの回廊』  File No.10 町田康

 今回ドクターモギが潜り込んだのは、作家 町田康の脳。
1996年処女小説「くっすん大黒」を発表以来、芥川賞、川端賞、谷崎賞とあらゆる文学賞を総なめにし、今や日本文学界の中枢に確固たる地位を築いている町田康。

溢れ出る才能を叩きつけるかのように繰り出されるパワフルな言葉の数々。その饒舌な文体の陰に隠された緻密な計算とは?また、昨年読書界の話題をさらった傑作長編「告白」はいかにして生み出されたのか?そしてそもそも、なぜ彼は小説を書くのか?

パンクシンガーとして十代でデビューして以来、日本語表現の可能性を執拗に追求してきた町田の脳に、ドクター・モギが潜入。人類最大の武器である「言語」、その稀代の使い手と徹底的に語り合う。
 
『ニューロンの回廊』

8月 6, 2006 at 08:57 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生の出発

ここのところ、眠い。
暑さのせいか、夏ばてというやつか、
 今だったら、何時間でも眠ることができる
気がする。

 しかし、そういうわけにも
行かないので、
 東北新幹線ぎりぎりセーフ。

 前のめりになっているような
変なシートは、座ると
ちゃんと沈んだ。

 隣りに、ソニー教育財団の人が
来ると思って待っていたが、
 大宮を過ぎても誰も乗ってこない。

 普通車、グリーン車ともに
満席です。
 というアナウンスを聞きながら、
 シュウマイ弁当を食べる。

 二週間前くらいから、
キヨウケンが食べたくて仕方がなかったのだ。

 子供の頃、父親が時々キヨウケンの
シュウマイを買ってきてくれて、
 その中にはひょうたんのような醤油入れが
あった。

 その頃、カラシを付けて食べていたか
どうか覚えていない。
 「おいしいシュウマイ、キヨーオーケーン」
というコマーシャルがよく流れて
いたものだ。

 シュウマイを食べて、一眠りして、
仙台についた頃になって、
 やっと隣りに若者が乗ってきた。

 トイレに行くと、子供と母親が
座っていて、
 その他にも立っている人たちがいて、
びっくりした。
 全席指定の列車に、どうやって
立ち席で乗るんだろう。

 青森でねぶたをやっているので
込んでいる、
 ということらしい。

 私の目的地は八戸である。

 ところが、講演会場は知っているんだけど、
そこにどうやって行くのかよくわからない。

 降りてうろうろ気味にエスカレーターに
向かっているとき、
 露木和男先生が声をかけてくださって
助かった。
 
 ソニー教育財団の渡辺さんもいる。

 地元の河原木先生が迎えに来て
くださっていた。

 「昨日まで寒かったのですが、皆さんが
来るのを待っていたように真夏日になりました」
と河原木さん。

 河原木さんの髪は、手入れの行き届いた
芝生のようで、おもわず撫でたくなる。 

 芝生頭の河原木先生に先導されて、
八戸の街中を行く。

 三八教育会館で行われる
ソニー科学教育研究会(STTA)平成18年度
東日本ブロック研修会。
 
 そこに講師としてうかがったわけである。

 まだ、開始までに時間がある。
 ソファに座ってお話していて、
そうだ、と隣りの公園を散歩する。
 
 いつも背負っている重いリュックがない!
 身軽で歩く、という時間が
圧倒的に足りなかった。

 眠るのが本当は一番いいんだろうけど、
歩くのも心身のリラックスになる。

 ただふらふら歩くだけで
シアワセになるなんて、人間は
何て単純なのだろう。

 科学的思考力についての
講演。
 最近私はパワーポイントで
喋るのがなんとなく嫌になって、
自由に話すのが好きになってきた。

 夜の懇親会までにはまだ間がある。

 河原木先生と奥山先生が
八戸を案内してくださることになった。

 本当は、ホテルで眠っていたら
体力は赤丸急上昇だろうな、
などとも思ったが、
 芝生頭の河原木先生だったら、
きっと面白いところに連れていって
くださるだろう、と思ってホイホイ
ついていった。

 是川の縄文館で、美しい土器を見る。
 朱の漆を塗っているものもあり。
 
 十日町で火焔式土器を見た時に
得たインスピレーション、
 縄文の人たちには抽象ということの意味が
違っていたに違いないという思いが
またかすめる。

 いくら見てもあきない気がする。
心は縄文に飛んでいる。

 縄文館を出て、
大きな木の下をくぐっている時、
 黒い影が横切って、反応したら、
河原木先生が「さすがですねえ」
と言った。

 チョウトンボのようなものを見たような
気がしたのだが、
 もう一度探すとキマダラヒカゲだった。

 珍種が普通種にメタモルフォーゼして
しまった。

 河原木先生が、車を運転しながら、
心に残るのは逃した蝶でしょう、という。
 まるで人の心を読むかのような
ヒトである。

 八戸キャニオンとは何のことか
と思ったら、
 石灰石の露天掘り。
 なるほど、百数メートルの
深さまで掘り下げられていて、
 螺旋状に道路があり、
 遙か下をダンプが走っている。
 キャニオンに相違ない。

 海まで天然の芝生が続く、
というから、どういうところかと思ったら、
イギリスの風景に似ていた。

 近くに古びた旅館がある。
もう少しきれいにしたら、
と思ったけど、
 支部長の工藤先生によると、
ものすごくうまい刺身を出すから、
それでいいんだそうである。

 ウミネコの繁殖地として有名な島で
ミャーミャーというサウンドスケープ
につつまれる。
 蕪嶋神社はウミネコ神社である。

 ホテルへ。

 どうぞお休みください、
と河原木先生は言いながら、
 色紙を8枚も渡した。

 そもそも約束の時間まで20分しかない。
 こうなったら、と新しい
サインのスタイルを編みだした。

 絵詞である。
 絵だけじゃなく、いろいろ言葉をつける。
 これからしばらくはこれで行きたいと
思う。
 
 懇親会はあまり食べないでくださいと
工藤先生に言われていた。
 だから、ビールを飲んで、
お酒を飲んで、
 あとはへらへらしていた。

 途中、また隣りの公園をふらふらして
戻ったら、
 東日本各支部の先生方の自己紹介が
もう終わりの方だった。
 しまった。面白いものを聞き逃した。

 二次会へ。
 芝生頭の河原木先生の親族が
やっていらっしゃるらしい。

 ウニや岩ガキがうまい。
 ヘタすると眠っちゃうな、と思ったから、
水を沢山飲んだ。
 
 水飲み猿なり。

 途中、またふらふらとコンビニに行って、
靴下を買った。
 洗うのが面倒だったのだ。

 そうしたら、工藤先生が目敏く
「茂木先生まだどこかに行かれていましたね。
御著書を読んだ時から、このヒトはふらふらとどこかに
行くだろうと思っていたけど、やっぱりそうでした」
と言われた。

 実は、工藤先生が会の初めに
挨拶された時、
 私はそのリズムとか文学的雰囲気にカンドーして、
「そうか、青森は日本のアイルランドだったんだ!」
と太宰や寺山を思い起こした。

 昔、ダブリンの学会でTony Vealeの話を
聞いて、その音楽的リズムに心動かされた
記憶がよみがえった。

 しかし、それは工藤先生の個人的資質かも
しれず。
 いずれにせよ青森と文学の関係が見逃せない。

 会は10時でお開きになり、
比較的早く眠れた。
 6時間意識を失い、普通ならば十分な
はずだが、
 どうも寝足りない。疲れている。
 しかも、やることが沢山あるのだが、
今日は三内丸山に行かねばならない。

 しかも東京に帰ってからは、
松阪慶子さんとの対談と、朝日新聞の取材と、
それからフジテレビがある。

 なんてこった!

 締め切りが過ぎているもの、
ASAP(as soon as possible)
でやらなくてはならないもの、
 ものすごく沢山あるのです。

 自分でもあんまりだと思うが、
仕方がない。

 気を確かにもって、カシャカシャカシャと
仕事をして、
 あとは寸暇を惜しんで眠ってしまおう。

 お休みなさい。ぐーっ。
お早う、目ぱっちり、カシャカシャカシャ。
 ふたたびお休みなさい、ぐーっ。

 瞬時にリフレッシュ、人生の出発だ!


8月 6, 2006 at 07:41 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/08/05

スタメン

2006年8月6日(日)
の「スタメン」に出る予定です。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/sutamen/index.html

8月 5, 2006 at 05:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

白河夜船を漕ぐ

お昼、五反田の
「フランクリン・アベニュー」
にて、『ブルータス』の鈴木芳雄さんと
ランチ。

 セガのミーティング。
「脳に快感 アハ体験」
の第二弾について。

 『日経大人のOFF』の
取材。
 「大人の脳科学」を考えようじゃないですか、
皆さん。

 カリフォルニア工科大学から
金井良太さんが来てセミナーをしてくださる。

 金井さんはクリストフ・コッホや
下條信輔さんあたりと研究をしていて、
最近は土屋尚嗣さんと『意識の探求』
を翻訳した。

 私はこの本の書評を書いていて、
明日の日経新聞に掲載される予定。

 金井さんは、adaptationにattentionが
与える影響を調べ、
さらに、attentionというのは通常は
visual awarenessに上ることを前提
とするけれども、
 上らない場合にもspatialに
attentionを導いて、
 その結果adaptationが
どうなるか、という話をした。

 もう一つは、視覚と聴覚のsimultaneity
judgmentが、主観的な思いこみのような
ものによってある程度flexibleに
変わる、という話。

面白い!

 本当はゆっくり議論したかったのだけども、
私は夜の予定が入っていたから、
 金井さんと友人の平松さんを
あさりに誘導し、あとはいつものように
関根崇泰に「宴会部長」を頼んで、
 新宿へ向かった。

研究室の面々は、金井さんと大いに盛り上がったらしい!

金井さん、ありがとう。

そして、オレは研究室を盛り上げるために
できることは何でもしようと思う。

 朝日カルチャーセンター。
 『映画と脳』の第二回。

 終了後、飲み会の時に、
次から次へと仕事の話で、
いささか疲弊した。

 逃げ出して空の星を見ようと
思ったが、新宿は光でいっぱいなのだ。

 週刊文春の椎名誠さんの連載で、
私のヨミウリ・ウィークリーの
連載のことに触れてくださっていると
複数の方が教えてくださったが、
 先週に限ってなぜか読み落としてしまった。
 なんてこった。

 とにかくもう僕はやりたいこと、
やらなければならないことと、
 現実にできることとの間の
ギャップに悩む日々なのであって、
 いつもはニコニコいいひとなのだが
ゆるい感じでこっちに来ると
アッタマに来てしまうこともあって
 昨日も宴会の時にちょっと爆発して
しまった。
  
 いかんいかん、火山は時折
溶岩をどかんぷしゅんと抜いて
あげなければならないよね。

 だから、そういう時、
この日記のスペースに火山とか
マグマとかそういう絵を書けると
とてもいんだけど、
 テクストベースというのは
不自由だ。

 なんでこんなに早く起きているのかというと、
やる仕事があるから、というよりは、
 出かけなければならないから。

 青森に行くというのはいいんだけど、
いただいたチケットを見たら、
 何と東京駅6時56分発の
新幹線だった。

 がーん。

 とにかく出かけて、八戸まで
眠っていくしかあるまい。
 
 眠い眠い。

 金井さんと喋っているとき、
「オレは日本というシステムの犠牲者なんだよ」
という自分でもびっくりするフレーズが
出た。
 
 無意識の叫びだろうか。
 
 本当にそうだったら、いやだな。

 でも、みんなでこんなにお互いを忙しく
しているこの国は、ちょっとおかしくないか。

 一ヶ月カナダに行ってカヌーを漕ぐ、という
ことがどうしてできないんだろう。

 仕方がないので、新幹線の中で、
白河夜船を漕ぐことといたします。

8月 5, 2006 at 05:36 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

2006/08/04

認知科学における基本概念について

Lecture Records

茂木健一郎 「認知科学における基本概念について」
日本認知心理学会、日本認知科学会合同シンポジウム
2006年8月2日(水)
中京大学八事キャンパス

音声ファイル(MP3, 27.3MB, 30分)

8月 4, 2006 at 09:03 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

(本日)朝日カルチャーセンター 『脳と映画』

朝日カルチャーセンター講座
脳とこころを考える 『脳と映画』
第二回

2006年8月4日(18:30〜20:30)

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0607koza/A0301.html#

8月 4, 2006 at 08:51 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

もの言わぬもの

名古屋からのぞみで
帰り、
 早稲田大学で集中講義の最終日。

 レクチャーをするのは好きだ。
 いかに、自分たちが普段前提にしているような
暗黙知を、形式知、明示的な知として
提示できるか。
 
 前のめりに進んでいくという
だけでなく、
 後ろに下がって背景から現れて
くるものを言葉に直していく作業。

 私に授業をするようお誘いくださったのは
国際教養学部の内田亮子教授。
 内田さんは進化生物学がご専門で、
Terrence Deaconが日本に来たとき
初めてお目にかかった。
 
 教養はLiberal Studiesだが、
人格を陶冶することはますます重要に
なってきているのではないかと思う。

 最近になって「人格」の問題にとみに
興味が出てきたのは、それが
「私」という有限の存在が世界に向き合う
形式だと思うからである。

 「私」という意識が世界に向き合う
時、そこに人格が現れる。
 単に世界を受動的に認識する
だけでなく、働きかけ、
 不確実性を乗り越え、
投企していく

 ところが、人格は世界の中で
簡単には流通しない。
 インターネットの登場によって、
人々の中から、単離し、切り売りできる
リソースはどんどん流出するが、
 人格はそう簡単にはふわふわと
飛んでいったりはしない。
 
 しかし、ある人に出会って
一番印象に残るのは「人格」
であるし、
 自分自身の「人格」
を一つの芸術作品として
完成させる、というのは
全ての人の野心で良いのではないか。

 肝心なことは、そしてしみじみ
嬉しいことは「人格」に正解は
なくさまざまな形があり得るという
ことだろう。

 三鷹の天命反転住宅へ。
 ニューロマーケティングの
研究会。

 neuroeconomicsの人間知
全体の中における位置づけを
議論した後、
 ビールを飲みながら話を続けた。

 作家の大竹昭子さんにご紹介いただいた
写真家の大森克己さんとお話する。

 作品を、いくつか拝見した。

 写真が世界と向き合う形式だとしたら、
そこには人格のオーラが反映されるの
かもしれない。

 人と人との出会いというものは、
実に、それぞれが銀河くらいうわーつと
でかい人格宇宙どうしの衝突
なのかもしれない。

 今日も、社会の中で大星雲と星団が
ぶつかり合っている

 うわあ!

 ぼくは人格の美しさと奥深さを
何よりも求めてやみません。

 つまりは、インターネットに溢れる
偶有性の海に自分を投企するとともに、
容易には流通しない、もの言わぬものたちに
心を寄せたい、ということであります。

 1998年のクリスマス頃書いていた、
『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)の中の一節を
思い出す。

 船は、那覇港を目指して航行していた。私は、那覇がビルの林立し、車が行き交う、文明の都であることを思い出していた。私は、渡嘉敷島に残してきた「もの言わぬものたち」を思い出しながら、暗然とした気持ちになっていた。その時の私には、人間が操作し、管理することのできる人工物=「言葉」に支えられて運営されている文明に対する違和感が非常に強く感じられていた。 
 船が那覇までの行程の半分ほどを過ぎた頃であろうか。船の後方を振り返った私は、意外なことに気がついた。渡嘉敷島もその一部である慶良間諸島の島影が、水平線の彼方におぼろげながら見えていたからだ。心の中で、「文明」の世界への再突入の準備をしていた私にとって、慶良間諸島の姿がまだ見えていたことは、新鮮な驚きだった。
 それから三十分くらいの航海の様子を、私は忘れることができない。船の前方には、次第に那覇の港が近づいてきていた。大型船、小型船が行き交い、灯台が見え、浮標が点在し、海面にはオイルが浮き、飛行機が上空を飛び、そしてビル群はますます大きく見えてきた。これらのものが、「文明」を構成する「言葉」であることが、その時痛切に私の胸に迫ってきた。好きであれ、嫌いであれ、私たちの文明は、これらの「言葉」、私たちが作り出し、流通させ、操作する「言葉」から成り立っているのである。一方、船の後方には、なつかしい慶良間諸島の島影が見えていた。その姿は、自然が数十億年かけて作り上げてきた豊かで多様な世界、それにも関わらず私たちの「文明」という言葉のネットワークの前では、「もの言わぬもの」、「流通しないもの」であるものたちの世界を象徴していた。その時の私には、那覇と慶良間諸島が代表する二つの世界が、私の乗った船から同時に見えたということは、きわめて意味深いことのように思われたのである。
 船が那覇港に着いても、慶良間諸島は依然として洋上遥か彼方に見え続けていた。私は、「言葉」以前の、「もの言わぬものたち」があふれる世界から、「言葉」が飛び交い、流通するものがあふれる文明の世界へと戻ってきたのである。
 人間にとって、「言葉」とはマルオミナエシの貝殻のようなものだ。「言葉」は、私たちの生の痕跡の、ほんの一部分の、不十分かつ誤謬に満ちた証人に過ぎないのである。それにも関わらず、人間は「言葉」にすがって生きていかざるを得ない。「言葉」という貝殻に、必死になって自分の人生の模様を書いていくしかないのである。
 だが、もの言わぬものたちが存在しないわけではない。
 私は、蟻の様子を見るのが好きだ。蟻が巣をつくっているのを見るとき、その動作の不可思議さが私の心を強くとらえる。今、この特定の場所、特定の時間に、蟻の足の下にある砂の様子や、草を揺する風の動きや、それらを全てを照らしだす太陽の光がどうしてこのような形で世界の中に現れたのか、不思議な感じがする。そのことは、どんなに科学が発達しても決して解くことのできない謎である。
 私の心は、もの言わぬものたちとともにある。

茂木健一郎 『生きて死ぬ私』
(ちくま文庫) 

8月 4, 2006 at 08:40 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2006/08/03

プロフェッショナル 仕事の流儀 小柳栄次

プロフェッショナル 仕事の流儀 第22回

恋して泣ける技術者たれ

〜ロボット技術者・小柳栄次〜

地震やテロなどの災害現場で、人命救助活動を支援するレスキューロボット。この分野で注目を集めている技術者、小柳栄次(55歳 千葉工業大学・未来ロボット技術研究センター副所長)。国際的なロボットコンテスト「ロボカップ」のレスキュー部門で2連覇を収めた他、実際に新潟県中越地震で災害復旧支援活動に従事するなど、実用化を見据えた開発で、世界的に注目を浴びている。
小柳は実は、30代後半までは、ロボット開発とは全く縁のない工業高校の教師だった。だが、あるときロボット技術の魅力に魅せられ、「四十の手習い」にとロボット開発の道に進んだ、遅咲きの技術者である。その流儀は「最先端より信頼性」。万に一つのミスも許されない災害現場で使われるからこそ、多少古くても安定性のある技術をパズルのように組み合わせ、機動性に優れたロボットを作りこむ。現在、小柳は大学生たちとともに、操作性を向上させた新型機の開発に没頭している。夜を徹して行われる小柳の開発現場の1ヶ月半に密着する。

NHK総合
2006年8月3日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

8月 3, 2006 at 07:12 午前 | | コメント (1) | トラックバック (3)

義経になりました

何だか、ここのところ
何回も名古屋に来ている気がする。

 どっちの方に行っているのか
わからないまま、タクシーに揺られる。

 目的地に着くと、はっとして、
あわててMacBookをしまう。

 「そうやって打っていて、データが
消えることってありますよね」
と運転手さんが言う。

 中京大学。
 認知科学会、認知心理学会の
合同シンポジウム。
 
 私は、認知科学の直面している
問題点として、
いかに確率的な記述を超えるか、という
ことがあるという話をした。

 最近思うこと。
 シンポジウムの際にどのような話題を
選択し、それについていかに話すか
ということに、フィロソフィーは
現れるのではないか。

 自分にとっては切実な世の中との
渡り合い方は、多くの場合気付かない
暗黙知に支えられていて、
 それを言語化し、普遍的なものに
接続し、
 人に説明できるようにすることが
有意義な事なのではないかと
考えるのである。

 目を瞑り、自己を省みて、
そのような作業をしているだけでも
退屈などしないし、
 何よりも脳が変わっていくんじゃないか。

 脳の機能というとどうしても
感覚や運動においてとらえ勝ちだけども、 
 自己を少し外側から見るメタ認知の
プロセスなど、
 boot-strapping的な
プロセスもダイナミクスとしては
とても大事なはずだ。

 シンポジウム参加者、斎藤洋典先生
と懇談する。

 斎藤洋典先生とお目にかかるのは
久しぶり。
 相変わらずお元気だった。

 川口潤先生は、落語に造詣が
深いと見た。
 日本酒がなくなって、「義経になりました」
と言ったら、
 ただちに反応されたのが
川口先生だったのである。

 原典は『青菜』である。
 何だか久しぶりに古典落語がたっぷり
聞きたくなった。

8月 3, 2006 at 07:08 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/08/02

メールアドレス

メールシステムの変更に伴い。
当分の間、 kenmogi@csl・・・・・
で始まるアドレスへのメールは、読むのが
遅くなり、すぐにお返事ができない可能性が
あります。

私へのメールは、
kenmogi@qualia-manifesto.com

あてにお送りくださいますよう
お願いいたします。

茂木健一郎

8月 2, 2006 at 07:53 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本認知科学会 シンポジウム

日本認知心理学会・日本認知科学会 
合同企画シンポジウム
2006年8月2日(水) 16:30−18:30

中京大学八事キャンパス 431教室

企画・司会:川口潤(名古屋大学)
「心,モデル,データ:心の理解をめぐって」
                        
話題提供者:
戸田山和久(名古屋大学)
三輪和久(名古屋大学)
茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所)
ディスカッサント:
豊田弘司(奈良教育大学)

http://jcss.gr.jp/meetings/JCSS2006/program.html

8月 2, 2006 at 07:28 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

(本日発売)『プロフェッショナル』主題歌「プログレス」

2006年8月2日(水)発売
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
主題歌

kokua

「Progress」

8月 2, 2006 at 06:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

みーんみーんみーん

私が連携教授をさせていただいている
東京工業大学大学院の入学試験。

 すずかけ台キャンパスで、
受験生のみなさんの真剣なプレゼンテーション
を聞き、
 質疑応答をする。

 事前に修士一年の野澤真一から
メールをもらっていた。
 石川哲朗といっしょに、すずかけ台に
いるから、
 昼になったら連絡をくれ、
というのである。

 私の研究室の学生は、修士一年の時は
授業などもあり、すずかけ台にかなり
くる。
 その後は、五反田のソニーコンピュータサイエンス
研究所が主な研究の舞台になる。

 今は、野澤と石川にとって、
「すずかけ台時代」である。 

 それで、「昼になったら連絡をくれ」
というのは、すずかけ台の駅前にある
てんぷら屋「てんてん」で飯をおごれ、
というのである。

 私は、新しい場所にいくと必ず
周囲の飲食店をサーチするという
犬のような習性をもっているが、
 すずかけ台駅の場合、
周囲は静かな住宅地で店らしい店も
ない。

 サーチはあっという間に
終わって、
 おいしい店はてんぷら屋の
「てんてん」にトドメを刺すということが
すぐに判った。

 てんてんがすり込まれた
私の脳髄は、用事があってすずかけ台
に行くと、「てんてん」に行くのを
楽しみにしている。

 野澤に、「なんで今日すずかけ台
で試験があるって知っていたんだ?」
と聞くと、
 「だって、知能システム科学専攻の
ホームページに載って
いたじゃないですか」
と言う。
 
 それはそうだが、野澤の動機が、
後輩たちが入ってくるのはいつかを知りたい、
ということにあったのか、
 それとも衣がついて油で揚げられた
魚介類への志向性にあったのかどうかは
判然としない。

 いずれにせよ、お昼、
めでたくテーブルに着く。

 私と石川は天丼、野澤は
天ぷら刺身定食。

 「こういうところに来るとね、柳川透は
一番高いものを頼むんだ。この前夜
来た時には、あわびの天ぷらを頼んだんだよ。」
と教えてやったら、
 野澤は躊躇なく、尊敬する先輩を
見習う道を選んだようだった。

 夜、渋谷でNHKの細田美和子
さんが正式に「番組開発部」から
「プロフェッショナル」班に移動
されたことをお祝いする会。

 少し遅れて会場に行くと、
大変な数の人たちがいた。

 博多から異動して、
PDとして参加することになった
石田さんとしばらく話す。

 石田さんによると、
NHKの先輩が、
 「そうか、今NHKで一番過酷と言われる
現場に行くんだな、オメデトウ」
とはなむけの言葉をくださったとのこと。

 過酷ではあるが、intenseな
経験なのだろうと思う。

 宴もたけなわ、
撮影、音響効果、音声、編集、フロア、スタッフ
などなどの様々なセクションの方々が
立ち上がり、番組に対する思いを語る。

 印象的だったのは、撮影班の百崎さんが、
「プロフェッショナル」の現場を通して、
ドキュメンタリーの本来の醍醐味、
つまり、最初から教科書的な答えが
あるんじゃなくて、
 一体何なのか、正体がわからない
対象に対して、そのわからないところに
こそ本質があると信じて迫っていく、
 そのような原点を思い起こさせて
もらった、そのような場を
与えてくれた有吉伸人さん
ありがとう、と語っていらっしゃった
ことだった。

 制作現場には、様々な思いが
あふれているが、それは最終的な
「プロダクト」に明示的な形では
書き込まれていない。

 しかし、人々はそのような
思いを、最終的に形になったものから
暗示的な形でも必ず受け取っているのではないか。

 消費者行動を理解する
上での鍵となる概念とされる
「インサイト」にしても、
 そのような暗黙知の
伝達を考えて初めて意味のあるものとして
立ち上がるのではないか。

 そんなことを考える。

 最近の私にとっては、
歩きながら考えるのが何よりの
快楽になっている。
 「逍遥学派」であるが、
現代のショウヨウガクハは雑踏の中を
リュックを背負って歩く。

 昨日は、すずかけ台や渋谷を歩きながら、
一つは、小俣圭のSOMによる
マガーク効果再現の意味と、
 もう一つは、不確実性に対する記述
としていかに確率概念を超えるか
ということを考えていた。

 確率は、factualとcounterfactualを
ひとまとめにしてアンサンブルとして
扱うが、
 その二つを明確に分けて処理の
流れを考える必要がある。

 その具体的なプロセスは脳の認知
感情記憶回路にあるはずだ。

 秋のような涼しさ。しかしまた
暑さがやってくるだろう。

 これからが人生の夏の盛りであるような気がなぜか
してくる。

 みーんみーんみーんと懸命に
鳴いてみよう。

8月 2, 2006 at 06:37 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2006/08/01

人生の一回性に感情は燃え上がり 風の旅人 第21号

風の旅人 第21号 (2006年8月1月発行)
茂木健一郎
連載 「今、ここから全ての場所へ」 
第6回 人生の一回性に感情は燃え上がり

抜粋

 思想を科学につなぐ上で必要なこととは一体何かというやっかいな問題をひとまずは置き、思想という立場から見た科学主義のアキレス腱について考えていくと、私がここのところ考えてきた人間の「感情」の問題に行き着くことになる。人間の感情が果たす役割、感情の内包する志向性、そして、その生きる上での意義といったテーマを突きつめていくと、従来の科学主義の限界が見えてくるように思う。このあたりの消息について、この際だから少し考えを深めることができたらと思う。

全文は「風の旅人」で

http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/index.html

8月 1, 2006 at 06:28 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

クレタ人であることを否定するところ

早稲田大学国際教養学部での授業。

昨年は週に一回やっていたのだが、
今年は集中でやることになった。

国際教養学部というのは、基本的に
英語で授業をするところで、
帰国子女なども多いけれども、
苦労している学生もいる。

もう夏休みの期間なので、
学生は三十数名と
少なく、
そのうちの1人が中国からの
留学生で、
あとは日本人である。

日本人同士が英語で語り合うのが
defaultというのは奇妙な
状況だけども、
その中からなにかが生まれてくる
ような気配もするのだ。

淡水と塩水が混じり合う
汽水域にしか棲息できない
さまざまな生きものたちの
気配を思う。

お昼休みに、
ロシア大使館でビザを申請するために
金沢から東京に出てきた
田森佳秀が来た。

吉村栄一さんと、クラブキングの
新堀桂子さんも来た。

リーガロイヤルホテルでお昼を食べる。
去年の前半は週一回ここに来ていたから、
なつかしい。

みんなでカレーを食べた。
途中、保坂和志さんから電話があった。
久しぶりにお話する。

このリーガロイヤルホテルのカフェで初めて
NHKの有吉伸人さん、細田美和子さんに
お目にかかったのが、昨年の5月19日の
ことだったのだった。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/05/post_3019.html 

あれから沢山の水が橋の下を
流れた。

授業の後半は、強化学習
や文脈判断の問題をやった後に、
「自己批評文」を書いてもらって、
発表してもらった。

聞いていて感心したのは、
どうやら早稲田大学のスクール
カラーのようなものだった。

もちろん個人差もあるが、
自分が早稲田大学生であることや、
世間との関係についての見方など、
共通点もあり、
それがしみじみと伝わってきた。

教室の後ろでプログラミングをしながら
聞いていた
田森佳秀も、「オレもそう思った」
と言っていたから、
そんなに外れた印象ではないだろう。

授業が終わる頃に筑摩書房の増田健史
が来て
一緒に早稲田の方向に歩き、
NHKブックスの大場旦と合流した。

二人とも早稲田出身で、
スクールカラーのことを話したら、
「そんなことはないですよ!」
と否定した。

ところが田森が、「そんな風に否定するところが
やっぱり早稲田だ」と言ったので、
おかしかった。

クレタ人であることを否定するところが、
クレタ人らしい。

今日は入試で東京工業大学のすずかけ台
キャンパスに行く。

満員電車に乗るから、音が欲しいが、
携帯音楽プレーヤーが小さすぎて
どこに行ったかわからなくなった。

8月 1, 2006 at 06:11 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)