« √2/4 | トップページ | 「夢の超特急」が日常と化す時 »

2006/07/30

実際カントやハイデガーはそういうことをやっていた

新しいMacBookが来たので、
朝起きて真っ先に
引っ越し作業をした。

 キーピッチが違うのと、
キーの間にPowerbook G4よりも
隙間が空いていて、
何となく慣れないうちは
たくさん道を踏み外しそうだ。

 Classic applicationが使えなく
なるのも懸念材料だが、
 何とか移行していくことができるだろう。

 日本数学教育学会の全国大会で、
室田敏夫先生に本当に久しぶりに
おめにかかった。
 東京学芸大学付属高校を卒業して
以来だから、25年ぶりという
ことになる。

 正門のところに立っている
室田先生のご様子があまりにも
変わっていないので、思わず
微笑んだ。
 室田先生は、私が習った時は
赴任されて二年目。
 大変若かったわけだけれども、
ちょっとはにかんで教える
そのスタイルが、私は好きだった。

 一度、確率の話をしている
時に、「確率がゼロであるということは
絶対に起こらないということとは
違う」と言われた。
 これが大変印象に残っていて、
確率というもの、測度というものの
不思議さを考えるきっかけになった。

 そのような思い出を、講演中に
ご披露したら、室田先生は
笑っておられた。

 エレベーターに乗った時、
「あれ、おかしいな」と室田先生が
言われる。
 「開くって、普通左にあるんじゃ
なかったですか。右だったかなあ」
と言う。
 
 左にあろうと、右にあろうと、
見て開くだったらそれで良いとも
思うが、そのようなことにこだわるのが、
いかにも室田先生だ、とうれしくなった。
 
 人格というものは変わらない。
長い間、安定している。
 そして、本人にも他人にも容易に気付くことの
できない様々な鉱脈が
一つの人格の中にある。
 
 これが、後半の話の伏線になる。

 おしら様哲学者、
塩谷賢
がホワイトヘッド学会に出席するために
ミュンヘンやザルツブルクに行っていたらしい。
 
 そのお土産を渡したい、としばらく
前からせっつかれていたのを、
 学芸大学の会が終わって、
武蔵小金井から国立に移動して、
そこで会うことにした。

 塩谷は八王子から出てくる。

 塩谷が今まで食べた中で3本指に
入るというカレー屋に入り、
 一橋大学の横を通って
カフェに入り、
 それからアイリッシュ・パブに入り、
居酒屋に入りと延々と話し続けたが、
 その間私がずっと気になっていたのが
「人格」の問題だった。

 先日吉本隆明さんのところにお伺いした
時に、自我というものを
社会的、政治的事象に結びつけて
ありありと考えることが大事である、
という話を吉本さんがしていた。

 塩谷と話しているうちに、
私が自分の中では自明としている
ことを、
 いかに人にわかりやすく伝えるか、それに
こころを砕くのが哲学であり、思想であるという
ことに気付かされた。
 
 あまりにも自分にとっては
当たり前のことだから、かえってそれが
盲点になって他人にはわかりにくいということが
あるものだ。

 たとえば、僕はどんなに偉大な知的成果でも、
物理主義的な世界のあり方のリアリティに接続
していないものは二次的なものである、と見なす
癖があるけれども、それは世間ではどうやら
自明なことではないらしく、
 そのあたりの消息を明かすこと自体が
困難だがやりがいのあることになる。

 面白いのは、塩谷の延々と続く
講釈を聞いているうちに、
 私がつい眠くなってうとうとしても、
塩谷はかまわずしゃべり続けることで、
 時々目を覚まして
「ああ、そうか」
「それは、こういうことだろう」
と相づちを打っていると、
塩谷は気にせずに続きを喋っていく。

一人はこっくりと眠っており、
その男に対してもう一人の相撲取りの
ような男が個物がどうの、時間の
流れにおける完了的なものが
どうのなどと講釈を続けている。

端から見ていたら、こんなに滑稽な
風景もないと思うのであるが、
本人たちはずっとこんな調子で
やっているから、平気なものである。
 
あれは1981年の春。
理科一類に入って、全学で10人くらいしか
とらないようなレアな授業に行くと、
学生服を着た塩谷にでくわした。

当初、塩谷に熊というあだ名を付けて
いたように記憶する。

あれから散々会ってきて、
塩谷の変人奇人ぶりは
身に染みこんだ。

論文を書かず、
学位をとらず、
就職もしないが
驚くべき才能をまき散らすという
塩谷のやり方には随分慣れたつもりだったのだが、
昨日はそれでも新しい発見があったから
驚いた。

それは、
塩谷が案外コモンセンスを持った大人
だということで、
そっちの方の才能を伸ばして、小難しい講釈を
垂れていなければ、もっと出世するものを、
惜しいことだと思うが、
本音では賢く振る舞ってそれなりに
世を渡っていく人よりも塩谷の方が
面白いと思っているんだから仕方がない。

「何だか知らないけど、今日はお前が
まともな人間に見えるよ。お前はエライ
んだなあ」
と言っていたら、その頃
立川で花火が上がり始めた
時刻だったらしい。

どんな人格でも、自分にとって大切なこと、
自明に思われること、違和感を抱くこと、
そういうことを解き明かしていく作業は、
必ず普遍に通じるはずで、
実際カントやハイデガーはそういう
ことをやっていたんじゃないか。

自分の中に鉱脈があると思えば、誰でも
ほくほくするはずで、それは実際そうなので、
一部の人たちの特権ではないのであります。

そういうことを日本の教育ももう少し
教えた方が良いのではないかと
思う。

文化はその享受においてのみならず
創造においても万人に開かれているのである。
中途半端なエリート主義は迷惑千万なだけだ。

7月 30, 2006 at 09:30 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 実際カントやハイデガーはそういうことをやっていた:

コメント

高校時代の恩師と、クマのようにでっかいおしら様と久々に遭遇された茂木先生。
その、おしら様との会話との際に、おしら様がじつは「コモンセンス」の持ち主だったとの発見に至るとは、う~ん、果たして、自分が昔の友達とこのように会って話したとき、そういう新しいことを見出せるのかな?と少々不安に思った次第。

旧友との出会いで、新しい発見をする為には、まず、自らの感覚のアンテナを常に磨いていなければ、と思う。

「どんな人格でも、自分にとって大切なこと、自明に思われること、違和感を抱くこと、そういうことを解き明かしていく作業は、必ず普遍に通じるはずで、実際カントやハイデガーはそういうことをやっていたんじゃないか。…自分の中に(いまだ見えざる)鉱脈があると思えば、誰でもほくほくするはずで、それは実際そうなので、一部の人たちの特権ではないのであります。」

他者との語らいの中に、ひょっとしたら、自分の中の知られざる鉱脈を見出すことができるかもしれない。その鉱脈から、新たな自分の領域を切り開くことが出来るのに相違ない。

文化の享受と創造は、一部の特権的エリートの専有物ではなく、万人に最初から開かれた特権のはず。それがそうでない(ように見える)ところに、日本の教育界の大きな問題点の一つがある。

コモンセンスの無い中途半端なエリートたちに、文化の享受と創造を何時までも独占させていてはいけない。

カネと教養を独占した一部のやつだけが、勝ち組づらして、不幸にして教養を身につけられなかった多くの一般人を見下ろし、見下す。

そんなきょうびの“いやらしい”状況に一日も早くピリオドを打たなければならないと思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/30 12:07:27

久々!に『僕は』という言葉をつかっておられますね。
心からくつろぎ、開放的な時間をもたれたのですね。

学生時代からの友人、恩師は本当に宝物のような存在ですね。
そういった方々と今も、何年かぶりにあっても語ることができる、人生って本当に素敵だと思います。

語りあえるって双方が、響く何かをもっていないとできないから。

投稿: 平太 | 2006/07/30 10:03:15

コメントを書く