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2006/07/15

魂の清涼剤

 現代において、明示的な意味で
人類の知の全てを引き受ける、ということは
とても不可能だ。
 
 たとえば、脳科学という科学の一分野
だけをとってみても、
 そこで得られている知見を全て
フォローするなど、できる仕業ではない。

 生ける百科全書派は存在しないのだ。

 だから、世界全体を引き受けるという
作業は、「感情」の部分でやる
しかない。

 自分という存在が、137億光年の
大きさを持つ宇宙の中心にいるところを
思い浮かべ、
 その時のうわーっという
感情を忘れずにいる。
 
 世界の中に、ありとあらゆる知が
浮遊し、溶け合い、拡散していく様を
思い浮かべる。
 そのような時にわき上がる感情を
忘れずに生きていることで、
 専門バカにもオタクにも
ならなくて済むのではないか。

 そんな議論を、ここのところ「ちくま」の連載
「思考の補助線」上で展開している。

 その「ちくま」担当の増田健史から留守電。
 
 口調から、これは、「脳」整理法が
増刷になったとか、そういうシンプルな
連絡ではなくて、さてはタケチャンマンセブン、
ややっこしい用件かな、とコールバックしたら、
案の定であった。

 ややこしかったが、
用件自体は直ぐにすんで、月末に
予定しているタケチャンマン、オオバタン
(NHKブックス編集者、大場旦)との
飲み会についての話題。

 「大場さんは、茂木さんがその時までに
約束の原稿を書かないとビールを飲みに来ない、
というのは本当ですか?」
 「本気らしいよ。その、ほら、何ていった
っけ。オレも一応法学士なんだけど、20年前だから、
忘れちまったよ。
そういうのは、カイジョ条件というのか、
テイシ条件というのか。」
 「うーんとですね、カイジョ条件じゃない
でしょうか。」
 「そうであったか、そうであったか。
さすると、月末にビールを飲むという
契約はすでに成立しているのかのう。」
 「ははは。そうではないでしょうか。」

 増田健史(タケチャンマン)は
法学修士(憲法学)である。

 オオバタンとビールを飲むのが
解除条件なのか、停止条件なのかを
議論することが、「世界全体を
感情において引き受ける」ことに
どのように資するのか、
私にもわからない。
 
『ニューロンの回廊』 
の収録は、
デザイナーの滝沢直己さん。

 開始前に、花野剛一プロデューサー
(花野P)と、番組の
行く末についていささかスリリングな
会話を交わす。

 「茂木さん、楽になっていい、とか
思っているでしょう。」
 「そんなことはないですよ! やっぱり、
フォーマットをつくるのは大変だから。」
 「いいんですよ。こっちも一生懸命
やるだけだから」
 「前回から脳の模型を出したけど、
あれは、どうでした?」
 「好評でしたよ。最初はCGを合成
していたんだけど、それも必要ないくらい」

 花野さんは、最初にあった時から
ずいぶん「大人っぽく」なって
きた感じがする。

 やっぱり、人間、苦労は買ってでも
するもんだね。
 
 ゲストの滝沢直己さんは、イッセイ・ミヤケの
チーフ・デザイナーの重責を背負っている
アーティスト。

 その服は、本当に実験精神に満ちていて、
バルーンのようにふくらむやつとか、
麦わら帽子と同じ素材でできているものとか、
靴のモティーフのもの、
寝袋のように前身を包む作品など、
 目からウロコ。
 
 いくつかの作品を実際に着させていただいたが、
身体感覚がばーっと変わっていくのが
自分でもわかった。

 滝沢さんはとても素敵な方で、
話が弾んで、ディレクターの森義隆さん
の予定よりもぐーんと収録時間が延びた。

 日テレ麹町南館を出ると、
しかし空気はまだじんわりと暑かった。

 いつも思うのだが、
今の私の人生のモンダイというものは、
いくつかの文脈が交錯していて、
それらを全て引き受けなければならないということ。

 今日の日記の冒頭で書いたような
ことを真剣に考えざるを得ない必然性が
あるのも、
 おろかにも一生にして三生を経るが
ごとく、を実践しているからだろう。

 研究の方が忙しくなってきた。
 小俣圭から投稿論文のpdfに直したものが
送られてきていて、それを読む。
 柳川透は、論文のrevisionの詰めを
一生懸命やっている。
 そろそろ、須藤珠水の論文も
気になる。
 関根崇泰のボディ・イメージの
話もまとめなければならない。

 相互作用同時性のネットワークにおける
展開についても、水道管(water works)
の中を水がすーっと
通っていくように考え詰めたい。

 神経経済学と今は仮に名前がついている
学問分野を突破口として、確率概念の
支配に風穴を開けたい。

 いずれにせよ、感じるのは自分を棚上げ
するんじゃなくて、すべて自分に引き寄せて
考えなければならない、ということである。

 最近解説を書かせていただいた
河合隼雄先生の『縦糸横糸』(新潮文庫、近刊)
の中にこんな素敵な文章があった。

  さて、その深層心理学であるが、これを創始したフロイトにしても、ユングにしても、最初は自分の心の病を治そうとして、自ら自分の心を分析して成功した(中略)つまり、学問として、できる限り一般的、体系的にまとめあげているが、最初の出発点は、ある人間が自分自身のことをよく理解しようとしてはじめたことである。(中略)深層心理学は他人のことをとやかく言うためではなく、自分を知るために、時がそれがいかに苦痛であっても、役立ててゆくためにできてきたものである。

 自分のことは棚上げして
他人のことばかりあげつらう言説がメディアの
中で目立つ昨今、河合さんの上の文章を
服用して魂の清涼剤としたい。

7月 15, 2006 at 07:36 午前 |

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コメント

ある 御方が

  世界を救おうとする者 一人救えず
       一人救う者  世界を救う  と

  
   せめて あなたの愛する人を 幸せに  と


      すべては  個 から 自身 からでしょうか。

投稿: | 2006/07/16 7:24:09

前働いていたユースホステルに中卒の女の子がいました。その女の子は暇があるとテレビを見ていました。テレビ中毒って感じかな。一方私はテレビは見ずに本ばっかり読んでいました。活字中毒って感じかな。でも悔しいことに、私が知識をひけらかすと、ことごとく、それテレビで見たというのです。ある一面感心し、ある一面、私は負け惜しみのように、そんな知識は上っ面にしか過ぎないと自分にいいきかせたものです。百科全書家というとなぜかその女の子を思い出します。

投稿: | 2006/07/16 0:52:30

生きるって個としては、とてもパーソナルな問題てして取り上げられるけれど、全体として組み込まれてしまった瞬間にその存在をも忘れられてしまうもんですね。
感情ですが、やはり連鎖なんですよね?
反応因子としてヒトは様々なものを蓄積していて、それが何かの影響を受けて誰かが反応したエネルギーが拡散したときに、世界のどこかのヒトもその影響を受けてとシンクロにシティが生まれるものなんでしょうか?
ヒトの受信、発信機としての機能みたいなものは研究されないのですか?

投稿: 海馬 | 2006/07/15 12:32:05

なるほど。確かに今のメディア(特に何処とはいわないが、主に中年のおじさんむけの週刊誌や最近の地上波テレビ)は、自分のことは棚上げして他者のことをあれやこれやと挙げつらってばかりいるようだ。

そんなメディアに属する総ての連中にこそ、河合隼雄さんの本のような「魂の清涼剤」になりうる書籍を読んだ方がいいと思うが、如何であろうか。

あ!”オオバタン”さんや”タケちゃんまん”さんとかは別ですm(_)m

茂木先生、くれぐれも熱中症にはお気をつけてください。水分を十分に補給されることをおすすめします。(但し、ビールで補給するのはいけませんよ・・・!)

本業である脳研究のほうがお忙しくなっておられるとのことですが、これから酷暑の季節ゆえ、暑さに注意してがんばっていただきたい。
先生とご門弟たちの研究が、いつしか、脳という人類最後のミステリーゾーンの謎を解き明かしてくれることを密かに期待しています。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/15 12:04:02

茂木先生は宇宙軸で考えてらっしゃるんですね。
だからバランスのよさを感じるのかなぁ。
大きいのですね。

河合先生、茂木さんの対談で、魂を見るんです、
というようなことが書いてあって、すごいなあ、と思いました。
自分のことばかり考えていてはいけないけど、すべて自分に引き寄せて考えなければいけない・・・、
できないときも多いですが、ほんとにそうですね。


投稿: | 2006/07/15 10:01:09

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