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2006/07/27

今日は台本ないですから

湘南新宿ラインで横浜へ。

 パシフィコにはしばらく前にも来たような
気がする。
  
 座長の原正彦さん(東京工業大学教授)
によると、オルガテクノは今年が第二回目。 
 主に有機マテリアル関係の研究者、技術者
がくるという。

 会場内で『脳と創造性』というタイトルで
話す。
 ここのところ、このタイトルが多いが、
話すことは毎回少しずつ「進化」している。

 クオリアは「100ノーベルくらいの
難しさ。だから、解けなくてもしょうがない
というんだから、気楽なもんだ」という
ジョークを言っていたら、
 原先生が、終わった後、
「この後1ノーベルの先生も御登壇されます」
と。

 1時間後くらいに、
 野依良治さんが登壇される予定
だったらしい。
 野依先生がいる前で「ノーベル」ジョークを
しなくて良かった。

 研究所へ。
 ミーティング。 
 所眞理雄所長と脳の議論。
 北野宏明さんと久しぶりに話す。

 夕刻、ふと思いついて、
学生たちに「散歩するか」と声をかけ、
田谷文彦も誘って、研究所から
歩いて10分ほどのところにある
原美術館
へ行く。

 カタログの文章を書いていながら、なかなか
行けないままでいた束芋さんの
展覧会を見る。

 『にっぽんの台所』を含む展示作品は、
すばらしい充実ぶり。

 新作『公衆便女』の前に座り込み、考えた。
 これは、確かに、深いところで
「現代の日本」という気がする。
 美術が、往々にして現実を棚上げして
理想を描こうとするものならば、 
 束芋さんはにっぽんの「今、ここ」
に踏みとどまり、日本の痛いところや
どうしょうもない部分も含めて
引き受けて表現している。

 逃げるな。向き合え。
 それで、このような表現に昇華することが
できるんだったら、それはサイコーの
芸術と言えるのではないか。

 ショップには、
 カタログは、7月下旬入荷とあった。

 創造の最高の形式の一つが、自らが変化することにあるとするならば、そのきっかけとなる毒は全てのアーティストにとって欠かすことのできない創造性の源である。魂の糧となる毒を創り出すことこそが、全ての表現者の野心であると言っても良いだろう。ビタミンが、生命にとって欠かすことのできない「成功した毒」であるとするならば、やがては古典となる芸術作品も、また、ビタミンのように人類にとって必須の毒たらんとの野心を抱く、希望に満ちた怪物として出発する。

(茂木健一郎 『束芋ーー内に秘めた毒が美に昇華される時』(原美術館 束芋「ヨロヨロン」カタログ)

 麹町の日本テレビへ。
 『ニューロンの回廊』

 作家、町田康さん。
 
 町田さんとは、讀賣新聞の読書委員会で
「ああ、どうも」程度の挨拶を
交わすけれども、きちんとお話するのは
初めてだった。

 『くっすん大黒』、『夫婦茶碗』
といった作品で「饒舌体」の文体で
デビューした町田さんは、「河内十人斬り」
に取材した『告白』で新たな境地に
達し、今や日本の文学の「ど真ん中」
にいる。

 収録開始前の打ち合わせで、
「今日は台本ないですから」
と言われた。
 紹介VTRもない。
 ただガチンコで話せばいいのだという。

 えっ、いいんですか、と私は
思わず聞き直してしまった。

 テレビの収録における対話と、
雑誌や本などの活字メディアにおける
対話は違う。

 テレビは、やはり不特定多数の
視聴者に向けて説明的なスタンスも必要に
なるし、深い興味にかき立てられて
どんどん進んでいってしまうと、
 「ついていけない」と感じる
人たちが増える。

 だから、テレビの時には、どうしても
ある程度「手加減」すると同時に、
 逆に活字メディアでは考慮しなくても
良いようなことに気を配る難しさが
出てくる。

 「どうぞ自由に」ということは、
つまり、まるで活字メディア向けに
対談するように、どんどん行って良い
ということである。

 これも、ゲストが町田康さんだから、ということ
だろう。

 実際、40分に一回VTRを入れ替える
以外は、ほとんどカメラを気にせずに
勝手に町田さんと話すことができた。

 お陰で、町田さんの創造の秘密を、
かなり深いところまで掘り下げること
ができた。

 町田さんは、魂を荒れさせて、
多孔質にしなければダメだという。
 そうでないと、いろいろなものを
吸収できないという。

 単なる「趣向」で書いたような
小説なつまらないが、
 そのようなものを書く
人のたましいは、表面が
つるんつるんとしている、と町田さん。

 さらに強調していたのが、
「言葉のダイナミックレンジ」
 ボキャブラリーという問題ではなく、
言葉の振れ幅が大きくないと、
作品世界の奥行き、広がりが
貧しくなるというのである。

 番組の最後で、町田
さんが私に質問するコーナーがあった。

 この人のことだから、脳の話など
聞かないだろうな、と思っていたら、
案の定、
 「茂木さんが仕事を断る基準は
何ですか」
と来た。

 「騙されてみる、ということで自分の
幅を広げるということころが
あるから、あまり断らないできたんだけど、
さすがにここのところは断っています」
と答えると、 
 「じゃあ、どのようなもんを断るんだ」と
畳みかけるから、
 「相手が真剣じゃないときとかかな」
と言うと、
 「オレと同じだ、実、真(まこと)がない
もんはダメだよね」
と町田さん。

 「茂木さんは、何でも正直に
言うのかと思っていたら、
 言わないことも多いんだね」
 「いや、でも、時々爆発することが
ありますよ」
 「いつ爆発しました」
 「たとえば、***の時」
 「あっ、あのイベントね、なるほど」

などと会話が進む。

 たっぷり二時間話した。
 とっても面白かったが、
 これを「テレビ」番組にしたてる
編集サイドはチャレンジだと思う。

 しかし、
 テレビというものは、視聴者に
心地よいものを提供し続けることによって、
結果として魂が「つるんつるん」
としてしまっているのかも知れず。

 たまには、町田さんの言うように
「魂を荒立たせる」「多孔質」
の番組もあってもいいんじゃないでしょうか。

 せっかく町田さんと話すんだからと、
白い椅子の背後にMP3レコーダーを
仕込んでおいた。

 途中で電池がなくなるかな、
と思ったが、無事最後まで生きていた。

 町田さんが、時折、ささやくような
小声で話していたところは
 撮れているかどうかわからんと思っていたが、
どうやら大丈夫だった。

 生の会話の録音を重大視するように
なったのは、小林秀雄の講演録音
が人生の福音になって以来のことである。

 家に帰り、日付が変わる頃
からビールを飲みながら
「中央公論」の時評を書き始める。

 やっと書き終えて井之上達矢さんに送る。
 思わず、ため息が出た。

 人生、忙しすぎる。
 
 ここは一つ、インテリジェントに、
そして静かに継続的に爆発してやろう
じゃないか。

有田芳生さんの日記が、
ブログに移行した。

 初日のエントリーから、
 有田さんの内なる情熱が伝わってくる。

7月 27, 2006 at 07:51 午前 |

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コメント

先にしました書き込みで、
「公衆便女」の漢字を間違えてしまいました。
すみませんでした。

投稿: | 2006/07/27 23:10:36

束芋さんの展覧会には行こう行こう、と思いつつも、なかなか叶わず。今週こそ思いきって行って来ようか知らん。

束芋さんは、きょうびスポットライトを浴びる「ホワイトボックス」系のアーティストなどとは違って、日本の「いまここ」に踏みとどまり、その毒々しい、いやらしい部分、汚いところから逃げずに、それらを引きうけて作品を作っているんだな…。とかなんとか
書いているけれども、行って彼女の作品に直接触れなければ、こんなこと書いても意味がない、と思う。

束芋さんの、この姿勢は、去年原宿で行なわれたあの例のくそイヴェントに集ったクズクリエイター達には到底、真似出来まい。
現実をタナアゲして理想ばかり追い求めても、下手したら、空虚で陳腐なものが出来上がるばかりのような気がする。

束芋さんのように、今の日本の中に漂っている全ての毒素を引きうけて、ビタミンのような有益なものに昇華させられる、そんな芸術家に私もなりたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/27 19:55:57

ニューロンの回廊、町田さんと茂木さん、
今回はとくに見たいけれども、見れませぬ。

またファイルで公開していただけるのでしょうか。
ありがたいことです。
でもうちのへそまがりPCは常の通りだめに違いない。
 ♪気になるのに聞けない~ 
状態です。

町田さんの言葉とか文章は、
どことなく調子が漱石先生にも通ずるものがあっておもしろいです。
魂を荒れさせて多孔質にする
たましいの表面がつるつるん すごいです。

真がないもんはだめだよね
やはり町田さんはこういう考えをおもちの方だったんですね。
先生に確かめようとしたのがおもしろい。
創造の秘密、知りたいなあ。

言葉の触れ幅が大きくないと、
作品の奥行きと広がりが貧しくなる
本当にそうですね。
わたしなどは、どんな作品でも、
小説を書けるというのはすごいことだと思っていましたが、
少しまえ、それこそつるつるんの小説にあたってしまい、
ふだんはしない途中放棄をとうとうしてしまいました。

現代作家の直木賞受賞作なのですが、
どうして? と考えてしまいました。
視点がよかったのかもしれません。
忍耐力が足りないせいもあるけれど、
最後まで読めなければ視点がいいとか、それすらわからない・・。
すぐあとに三島さんの文を読んで、ため息がでました。

ヨロヨロン展
まえに新聞で「公衆便所」の世界観を束芋さんが話しているのを見て、
深い意味がこもってるんだなあと興味が湧きました。
絵だと思っていたのですが、動画なんですね。
茂木先生の解説とても気になります。


投稿: | 2006/07/27 14:27:15

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