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2006/07/16

「老い」を吉本隆明と語る

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月30日号
(2006年7月15日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第14回

「老い」を吉本隆明と語る

抜粋

 今にも雨が降り出しそうな曇天の下、編集者と東京大学の赤門前で待ち合わせた。吉本さんのご自宅は、そこから車で5分ほど。学生時代慣れ親しんだ風景が、その日はいつもと違った意味を秘めているように映った。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 16, 2006 at 09:29 午前 |

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大それたことを書くつもりは、まったくありませんので…前もってお断りをしておきます。 今朝は曇り空で、この時間は、まだ空気も少しひんやりとしていますが この一週間、関東地方は真夏のような暑さが続いていました。 入道雲の広がる夏空で、午後になると空気が湿ってきて、風向きが変わって 雷が鳴りだし、夕立が降ったりやんだりというお天気が、何日か続きました。 先週の金曜日は、夏休み前の最後の通級指導日でした... [続きを読む]

受信: 2006/07/17 10:03:49

コメント

記事を昨日読みました。吉本さんが老いはじめて、「故障したりして初めて、身体をもった存在であることを実感した」というくだりは、興味深く読みました。病弱な人や事故などで若いうちから身体を意識せざるを得ない人生もあります。ですが、やはり吉本さんですね。「古典的な知識性の時代は終わった」と、懐古趣味や古びた権威などなく、「今」そのものを積極的に批評しようとする姿勢こそ、日本の多くの老人が学ぶべきものだと思います。「古典的な知識」が通用する時代ではない、ことすら理解できない人々が大勢います。トフラーの「富の未来」を今読んでいるのですが、そういった意味で、この本はとても面白いです。

投稿: 内嶋善之助 | 2006/07/19 7:22:04

老いてこだわる  今で言う チョイ悪が楽しい

拘りも増え 厄介な自分と向き合うとき 迷い無く道が見える

人であれ 物であれ 共に生きるもの への 拘り

万物を受け入れる境地には、まだまだ至らない。プロセス

50を過ぎ これからだ と思える自分に驚きです。

迎える70のとき 完璧なる 意地悪ばあさんになってるわ。

    今一番ほしいもの    ドグマ

投稿: | 2006/07/17 6:45:06

「脳から始まる」を拝見しましたが、吉本隆明さんって、本当、深い方なんですねぇ。金魚も猫も、吉本さんの雰囲気にスッカリなじんで、お互い「共存」関係にいるようです...。

その吉本さんが古典的な知識人よりもポップな一般人のほうが時代の先端をすすんでいる、と仰ったなんて、う~ん、このお方は現代と言う時代を見とおしていらっしゃるなァ、との感想を持った。

古典的な知的思考に縛られている大学教授などよりも渋谷のがんぐろorマンバちゃんたちのほうが先端人というわけか…。確かに彼等のセンスは非常にポップで面白い。外国のクリエイターも彼等のファッションセンスには一目おくほどだ。

しかし、彼等は感性は豊かでも、深い人生哲学と思索する習慣をもっていないようにどうしても見えるのだが…。

また彼等は本当の意味で新しい「文化」を「創造」していると言えるのだろうか?

無論、新時代を疾走し得るクリエイター達が、あの渋谷や原宿にたむろする若い群衆の中に絶対いないとも限らない。しかし、時代の鮮やかな転回を促すような、目の醒めるほどの斬新な表現をし得る先進的・創造的な人間が、未だ彼等の中に現われていない(ように少なくとも自分には見える)のは何故なのか??ただ、時代の「流行」に流されて生きている時間を無駄に使っているだけなのではないのだろうか?

そんな人間たちがやがて、老いを迎えたとき、次第に少なくなって行く生きる時間を慈しむことが、果たして出来るのだろうか、というか、だいいち、老年を迎えるまで彼等は生きて行かれるのだろうか。老いに差し掛かった時、自らに向き合って行けるのだろうか?

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/16 14:17:44

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