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2006/07/20

空白の密度

関西生産性本部主催の会で
『脳と創造性』についてお話するために、大阪へ。

 同じ、あるいは似たようなテーマで
何回か話していくうちに、少しずつ
語り方や、素材が変わっていく。

 お話しているうちに、
論理がクリアになったり、
結びついていなかったものがつながったり、
 今までにない視点を発見したりする。

 原稿を読んでいるわけではないから、
その場で生成されているものだから、
 話すということは実は創造すること
なのだ。

 「脳」整理法でも書いたことだが、
 相手に向かいあってコミュニケーションしている
うちに知らず知らずのうちに
 新しい自分が創造されていく。

 講演会で話している最中に、
というのは、まさに短い時間における
メタ認知、暗闇への跳躍の機会であって、
だから、自分が考えていることについて
お話するというのは、一方的に
情報を与える、というのとは違う。

 京都へ。 
 ブライトンホテルに荷物を置き、
比叡山延暦寺への山道を登っていく。

 実は中学校の修学旅行以来ではないかと思う。
あの時は路肩にたくさんの猿がいた。

 雨は上がったが、「自生の猿に注意」
という看板が目立つだけで、
 「ご本人」たちは一向に見えない。

 東塔の第一駐車場に着き、
橋本麻里さんに「着いた」と連絡。 
 織田信長が比叡山を焼き討ちした
事件についての看板を眺めていると、
タクシーが停まって見覚えのある姿が。

 「あれ、内田先生も今到着ですか?」

 やがて、マイクロバスが近づき、
橋本麻里さんに導かれて、
先着し、いろいろと
お参りを済ませた一行が降りて来た。

さあて、打ち揃いし面々は、
内田樹さん(フランス思想)、
原研哉さん(デザイナー)、
杉本博司さん(現代美術家)、
小柳敦子さん(ギャラリー小柳)、
千宗屋さん(武者小路千家次期家元)、
黒川由紀子さん(臨床心理士)。

 天台宗開宗1200年を記念して
行われる能と狂言の会『至高の華』に
橋本さんに誘われて(そそのかされて)
集まった面々である。

 夕闇が次第にあたりを濃く染めていく
中、根本中堂へ。

 開演まではまだしばらくあるが、
このメンバーだと、座談が
とてつもなく面白い。

 座談というのはこの上ない知的遊戯。
 話題の選び方、間の取り方、
ひねり、うけ、飛ばし、かしげ、
たわみ、のばし、放し、つかむ。

 原研哉さんに、最近
考えていらっしゃるという「白」や「しわ」
の話を聞く。

 publicにはembargo前だろうから
詳細は約すが、原さんの目の付け所は
相変わらず鋭く、興味深い。

 内田さんとは四方山話をする。
 あちらこちらに飛ぶ話をすると、
とてつもなく面白い人だということを
徐々に学びつつある。

 反射神経、跳躍力抜群。
 これも武術の鍛錬による身体性、精神性か。

 内田、原、茂木を引き合わせるのが
一つのねらい、と常々言っていた
橋本麻里さんの慧眼に感謝。

 根本中堂へ。

 千宗屋さんは、比叡山の得度した
僧侶でもあり、僧服に身を包んだ
姿は堂に入っている。
 
 ありがたくもいろいろ教えてくださる。

 普通のお堂は仏さまを見上げて拝む
かたちになっているけれども、
 比叡山では衆生と同じ高さにあって、
僧侶たちが間にある
「奈落」と言って良いほど低い広間に
座して勤行する、ということを
初めて知った。

 根本中堂は国宝にして世界遺産。

 言うにいわれぬ伝統に満ちた
お堂にて、古来の舞曲が、今まさに。
 はじまる。

 梅若六郎さんによる『翁』。
 野村万作、野村萬斎による『大黒風流』。
 
 僕は、笛の音を驚くほど間近に聞きながら、
文化のエコロジー、情報の遮断ということについて
何とはなしに思いをふわふわとさせていた。

 そんなことを考えたのは、座談の折に、
浄土院で十二年間結界の外に出ずに
最澄の御廟所にて奉仕する、侍真僧のことを
耳にしていたからかもしれない。

 橋本さんたちは、私が到着する前に
現在の侍真の方に会って話を交わしたらしい。

 帰りのタクシーの中で、
千さん、橋本さん、原さんと乗り合わせ、
詳しく聞いた。
 侍真の方は、期間中、本当に
外に出ないらしく、  
 当代は、原さんたちによると、
中沢新一さんに似た面構えだという。

 僕は、空間的な立て籠もりは
さることながら、
 情報において隔離されることの
意味が重大なのではないかと思って、その
あたりのことをいろいろと伺った。
 テレビもなし、新聞もなし。
おそらくは世話をしにやってくる
僧侶たちと交わす言葉だけが
唯一の情報源だろう、とのこと。

 だとすれば、オウム真理教事件も、
イラク戦争も、インターネットも
ご存じない、ということかもしれない。

 そのことが、現代においては
かえって光り輝く宝石のように
まぶしく感じられるのはなぜか。

 千さんは二ヶ月山ごもりした時、
時折落ちていた古新聞を拾い、
 そのわずかな情報からむさぼるように
吸い取ったというが、 
 情報を絶つことによって生まれる
飢餓感というのは大変なものだろう。
 
 その空白の密度にかけて、
私も少し情報断ちをやってみようかしらん、
などと夢想する。

 精神にとって
 全てはコントラストであるし、
空白は必ず自発的妄想によって
埋め尽くされるものであるから。

 何もない砂漠と密林の豊饒は
実はぐるりと裏でつながっている。

 さてさて、俗世間へと降り、
 はらぺこの一同が会したのは、
祇園花見小路の「楽楽」。
 
 一歩入って、おや、と思った。
 座敷に上がり、御主人の中田智之さんに
伺うと、やはり以前「常や」だったところ
である。

 おしら様哲学者、塩谷賢と通った店で、
なつかしい。

 食事をしながら、座談の続き。

 杉本博司さんのウィットに富む毒舌を
楽しむ。

 杉本さんの「海」の写真が、最近ニューヨークの
オークションで6000万円の値がついた
という話題に。

 小柳敦子さんが、「うちは直で仕入れて
いますから、いくらオークションで値が
上がっても、関係ありません!」
とビールを飲み、断言する。

 杉本さんの毒舌に導かれ、美術業界、
世間一般について、とても
面白い話がいろいろ出たのではあるが、
ここに書くことができないのは
まことに残念なことではある。

 毒は時と場所を選んで処方すべきものであって、
タレナガシするものではありません!
と賢き方のお声がどこかから聞こえ
るような気がいたします。

 再会を約して解散。

 明けて今朝、
 東京に帰る。
 ゼミをする。
 研究室の面々に会って
議論するのが楽しみ。

 情報遮断、空白の間合いについては、
継続して考えることにしよう。


高橋瑞木さんから、今度の土曜日、
水戸芸術館の
オープニング・レクチャーについての
問い合わせ。

 大切な機会だから、美や人間の根本に
ついて考える時間としたい。

7月 20, 2006 at 07:21 午前 |

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コメント

茂木さんのブログをいつも読んでいますが、過密スケジュールの中で3書き上げるブログは一種独特のスタイルがあり、不思議が感じがします。エッセンスだけが凝縮していて、読んでいると茂木さんと同じ体験をしているようです。
これからも楽しみに読ませてもらいます。

投稿: | 2006/07/23 22:04:03

もう一度読み直して

黒川由紀子さんから小澤勲さん、そして「ペてるの家」
最後に立岩真也さんのお話にたどり着きました。

この方のところに、このところ、よくたどり着くのは
まぁ、そちらのほうを、いま私が向いているということでしょうか?

ほんとうにいろいろな方が、いらっしゃいますね…

投稿: TOMOはは | 2006/07/22 7:26:40

比叡山 延暦寺    血の筋の融宴

 こんな世だからこそ 強い血筋の融合が混沌の抜け道となる哉もと

喩して  九鬼の水軍  皇の人  ○○一族  等々

 九鬼は、やがて 育む道へ 形を変えたように

練りに練った 天の刻が現れる時が近付いているようにも思われて                          かけ離れた宴を 見上げることが出来た。。。

   まだまだ みやびな世界が在る事に 安堵

 

 

投稿: | 2006/07/21 5:59:48

侍身僧という役目があるんですね。
中沢新一さん似のかたお一人で守られているのでしょうか…。
十二年という数には、なにか意味があるのか気になります。
情報がない世界で長く過ごすってどんなだろう。
数日テレビを見ないのがせいぜい、なかなか想像がつきません。

投稿: | 2006/07/21 0:17:58

話すことによって新たなる自分が創造されてゆく、とするならば、話すことの出来ない人は、どのようにして新しい自分を創造していっているのだろう。

かれらは我々のように、話すことでコミュニケーションを成り立たせている普通人とは違う方法で、自己を新しく創造しているにちがいない。

いずれにしても人類は自己以外の他者と交流することで、新しい自分を創造し、構築しているのだ…。


また、私達の頭上を絶えず飛び交い続ける、無数の情報の洪水。その洪水をすっぱりと遮断して、12年間も結界の中に生き続けてきた人もいるとか。驚きである…!

おそらく彼は我々とは違う自己創造のプロセスを経てきているのかもしれない。

彼の情報遮断による空白の密度は、我々よりもとても濃いのかもしれない…!

「精神にとって、全てはコントラストであるし、空白は必ず自発的妄想によって、埋め尽くされるものであるから。…何もない砂漠と密林の豊穣は、実はぐるりと裏で繋がっている。」

「何もない砂漠」と「豊かな密林」…。

それは、きっと仏典に説くところの我等が生命の奥に潜む“まよい(無明)”と“さとり(法性)”であり、「砂漠」はまよい、「密林」はさとりである。まよいの面とさとりの面とは、裏で繋がっているか、あるいはコインの裏表のような関係にあるに違いない。

おそらく彼は、さとりの面を出すために、まよいを絶って情報を遮断したのだろう…。

まよいの面ばかりが目立つ情報過多の世界…我等もつまらん情報を耳にココロに入れずに遮断しようかしらん、でもそれはなかなか難しいものね。でもまあなんてつまらん情報ばかり飛び交っているのかなァ、この俗世間って。遮断もしたくなるやろなぁ。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/20 19:43:18

いつも楽しく拝読させて頂いています。
いわば「情報の断食」、僕も興味あります。
断食(肉体的に)してみて中身を綺麗にしてみたいな・・・と思っていたところで、丁度今日の日記を拝見したものですから、「情報を絶ってみる」という部分に反応してしまいました。
これからも楽しませていただきます。

投稿: ごう もしくは・・・ | 2006/07/20 14:28:09

『空白の間合い』については、よくわかりませんが

いろいろなものが渦巻いて、いろいろなものが凝集(凝縮)して

その一瞬に(おそらく)空白のようなものがあって

そのあと、ひかるものがあるようなないような…

そんな気がいたしました。

相変わらず言葉足らずで、情けない限りです…

ところで、私はまだ延暦寺を訪れたことがありません。

「真言密教」…というのは、どんな世界なのか?

あえて、避けていたような気がします…

投稿: TOMOはは | 2006/07/20 9:17:44

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