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2006/07/29

√2/4

 朝日新聞社の加藤明さん。
 中村うさぎさんについて。

 「一個人」の佐藤尚宏さん、
 Office Sayaの長谷川智昭さん。
 小沢忠恭さん。
 『ひらめき脳』について。

 移動しながらも、仕事を猛スピードでやって
いく。 
 朝4時前に起きてから、
一分一秒を争そう感じ。

 研究所で、小俣圭と石川哲朗が
いたので、私は言った。

 「あのさ、いろいろあるだろうけど、
ちょっと待っていてね。ライフゲームの
『グライダー』のスピードでやっている
から」

 「あれ、遅いじゃないですか」

 「何を言う。グライダーは、ライフゲームの
世界における光の速度で動いているのだ。
 4サイクルで(1、1)動くから、
 スピードは√2/4だぞ!」

 あまり説得力はないが、
要するに一生懸命やっているということです。

 吉本隆明さんのご自宅。
 幻想、欲望の話から入り、
現代のお話をいろいろうかがう。

 前回、古典的な意味での知識性は
もはや成り立たなくなった、
というようなことをお話したが、
 さらに言えば、吉本さんはごく普通の
生活者の感覚の中にこそ、
 古典的な知識性の限界を超える
より深い知の可能性を見ているのでは
ないか。

 吉本さんの凄いところは、
今でも、常に自分の考えを前に前に
進めようと努力されているところだ。

 むずかしいところを辛抱強く考えて、
そしてその結果自分が少しずつ変わっていく。

 これ以上の喜びがこの世に存在するだろうか。

 光文社の新海均さんと
新宿へ。

 中沢新一さん、それに中沢
さんの旧知の友人である内藤礼さんと
4人でお話する。

 中沢さんが始めた芸術人類学研究所
のことについてなど。

 上海料理のうまい店だった。

 中沢さんは、私より一回り
上(同じ寅年!)
だということだが、芸術人類学の
マニフェストをするんだから、
 何しろ元気だ!

 人間、「これからこれをやるんだぞ!」
というマニフェストをいつも懐に抱いて
生きていることが肝要であろう。

 手元のファイルを見ると、
私の実質上のデビュー作
『脳とクオリア』
(日経サイエンス社、1997年)
の序章を、私は
1996年12月24日に完成
させている。

 あの頃の真摯なマニフェストの気持ちを、
私は忘れていないし、日々胸に抱いて生きていきたい。
 √2/4のスピードで、動いていきたい
のであります。

  私は、ストーン・ヘンジの前に立っている。私の末端の感覚器を刺激するものは、電磁波であったり、気体分子の振動だったり、地面からの抗力であったりするかもしれない。私の脳の中で起っているニューロンの発火現象を、物理的に、因果的に記述しようとすれば、私を取り囲んでいるものは、そのような、せいぜい100種類の原子からできた物質であるということになるだろう。だが、私の感覚しているものは、それとは違う。私は、草の緑と、そのわさわさした模様を感覚する。私は、冷たい、それでいて心の奥をさわやかにする風を感覚する。私は、古代の遺跡の、年月を経た岩の、ごつごつでかつ滑らかな味わいのある表面の様子を感覚する。私は、私の下にある大地が、私の足の裏を押してくる確かな存在感を感覚する。そして、このような感覚の一つ一つは、それぞれ、他と間違えようのないある質感をもっている。このような質感の集合が、「私はストーン・ヘンジの前に立っている」という私の認識を構成している。私は、これらの質感の集合体として、ストーン・ヘンジの前に立っている。
 私は、一つのテーゼに達する。私を取り囲む世界は、質感にあふれているのだ。このことこそが、私が私の存在について考える時、もっとも顕著な事実である。

(茂木健一郎 『脳とクオリア』 序章より)

(『脳とクオリア』序章 図1−1)

7月 29, 2006 at 07:31 午前 |

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受信: 2006/07/29 8:19:36

コメント

始めてこの文章を読んだときの衝撃を、忘れません。
『脳とクオリア』を一気に読んで、先生に電話しました。
もう10年近く前のことです。

気の遠くなるほどの遙かな距離なのでしょうけれど、クオリアの旗手として、その旗を高く掲げ、果敢に才能の天馬を駆って進む先生のお姿に、感嘆するばかりです。

投稿: 河村隆夫 | 2006/07/30 3:47:20

今夜は、近所の神社のお祭りです。

盆踊りの太鼓の音が
風にのってかすかに聴こえてきます。

PCに向かう時間を見つけて
中沢新一さんをめぐって、2~3覗いておりました。

それにしても、松岡正剛さんのお書きになったものは
なんとも、盛りだくさんですね。

とても凄すぎて、ただただ「畏敬の念」を
感じずにはいられません。

男性だからなのか、個性でいらっしゃるのか
そういえば、小林秀雄さんの文章にも
感じたように思いますが

私には、こんなにたくさんの言葉や本や
いろいろな方々の考え方などを
目の前に置かれるよりも

同じわからないながらも、もっとすっきりと
どこからか、一筋の光がのびてくるような感じ方が
性にあっている気がします。

(もちろん、皆さまの足元にも及ばないのは
承知の上で申し上げますが)

脳の使い方、あるいは思考の方法や感じ方に

おそらく、なにか違いがあるのでしょうか…

それはそれで、またおもしろきこと…かもしれませんが。

投稿: TOMOはは | 2006/07/29 20:27:12

「脳とクオリア」序章の中に有る、ストーンヘンジの前に立つ茂木先生の姿。
あまり現在と変わらないような気が…。失礼しましたm(_)m

太古の巨石時代の遺跡の感触、そしてそれが厳然と立っている大地の感触がひきだすクオリアと共に、太古の浪漫を、そして、古代人の幻影を茂木先生は感じたのだろうか。


遺跡を包む空気と共に、古代世界に触れ、それを思うことは、現代人にとって遠大な歴史の浪漫に身を投げることだ。

茂木先生はストーンヘンジに触れたとき、きっとその浪漫に身を投げられたのだ…。


投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/29 19:42:36

私も、いまだに「クオリア」やその他のことばの意味など
あやふやであるのにもかかわらず

先生の『あの頃の真摯なマニフェスト』のどこかに

強く惹かれるものがあるように感じています。


変わりつつも、流れているもの・ことたち…

時間と空間の座標軸すら、そこにはいらないような…

ただ、在る…ということは…

ふと、そんなことばにならないものが浮かんでまいります…


(こんなときサティの音は、とても心地よく響きますね…)

投稿: TOMOはは | 2006/07/29 14:27:05

我々のように、ごく普通に生活している者の生活感覚のなかにこそ、
古典的な知識性の限界を超える、より深い知の可能性がある、と吉本さんはみておられるという訳か。
そうだ!インテリだけが知の可能性の鍵を握っているのではない。まさに我々庶民こそ、今までの古典的知識性を超越する知の鍵を握っている、とみておられるのだ。
その「知の鍵」とはいったい何か・・・。それが我々にはわからないからこそ、この吉本隆明の知見は大きな意味を持っていると思う。

さて、茂木さんが最初の著作「脳とクオリア」の序章に記した思いを忘れていないことを知り、とてもうれしく思っている。
これこそ、まさに「初心忘るべからず」ー「初志貫徹」である。
それにしても多忙この上ない茂木先生の日常である。
再三再四で申し訳ないが、なにとぞ、ご自愛のほどを。

この世ですべて目にし、耳にし、口にし、手に触れるものは、すべてクオリアのなせる技なのだから...。
道は遠くても初志貫徹でご自身の行くべき道を進んでいっていただきたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/29 11:27:03

質感にあふれているいまをとらえようとしている表現者です。
私は詩人で、茂木さんは科学者ですね。

投稿: | 2006/07/29 10:12:15

正直、マニフェストと聞くと、商売上、産廃管理表を連想します。
私が自信のなかで掲げる言葉としては、なじみません。

自分の中で燃え立つような、奮い立つような言葉を探すことからはじめようっと。

投稿: | 2006/07/29 9:19:17

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