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2006/07/21

尽きることがないんだ

 京都から新幹線に乗った。

 本を読んでいたが、眠くなる。
Tシャツだとちょっと寒々しい外の風景。
 毛布をもってきて被った。

 新幹線の中で眠りながら、東海道を
びゅんびゅんと飛んでいく。

 PHPに行くとき、「半蔵門」
というといつもよくわからないところに
ついてしまう。
 見当識の喪失。電話をして、
やっとわかった。 
 
 研究所へ。
 ゼミ。
 恩蔵絢子さんが、報酬系の論文。
 張キさんが、視覚系の神経活動の
うち、無意識の認識にかかわるものを
fMRIで画像化した論文。

 大塚まりさんと、幾つかの未処理の
案件を片付ける。

 8月のECVPの際のロシア行きの
ビザとかフライトの話。

 関根崇泰がマジメに論文を
書く、「決起集会」にしようと、
あさりへ。

 ビールで乾杯。
  
 乾杯したんだから、きちんと論文を
書きましょうね。

 私は30分で切り上げる。

 よくある流れ。あさりの
おにいちゃんや、おばさんに、
「先に帰ります」と言って出る。
 向こうも慣れたもので、
「あら、どうもありがとうございました」
てなもんである。

 早稲田大学大久保キャンパスへ。

 池上高志、郡司ペギオ幸夫と
私の3人で、
三輪敬之さん、相澤洋二さんのお二方を
訪ねて議論するという形。

 池上、郡司とは過去何回議論して
きたかわからない。

 私たちの特徴は、会うと顔を
見合わせてにやにや笑い、肩をたたき、
「おまえ、なんだよお」と言って
またふふふと笑うくらい仲がいいのにも
関わらず、議論する時には容赦なくばしばし
言い合うこと。

 郡司が例によってfunctorがどうの
こうのと、形式的抽象世界
の中でいろいろ言っていたので、
 私は、認知の世界をそのような
ものの中にマッピングするのには
とてつもない原理的困難がある、と文句を言った。

 量子テレポテーションとある種の
トランプの手品が形式的に通底している
などと言うから、
 しかし量子テレポテーションの時には
空間的な隔たりという現象論的な性質が
あり、それは形式に落としてしまえば
消えてしまうから、
 その差異を無視することはできないんじゃ
ないかということを言ってすでにごちゃごちゃに
なりはじめた。

 話題はダーウィンの問題になり、池上と
郡司でいっしょになってダーウィン的なものを
否定しようとしているように聞こえたから、
 ダーウィニズムというのは、ニュートン主義、
時空主義の部分集合じゃねえか、
 ダーウィンを叩くのは相手を間違っている
んじゃないか、
 郡司はデジャヴなどと良く言うが、
その存在論的、認識論的ステータス如何
などと。

 そしたら池上が、ダーウィンが偉いのは
生成、起源の問題を初めて論じたことであって、
その意味ですでにニュートン主義からの逸脱の
萌芽があるんじゃないか、というようなことを
言った。

 この点については私もいろいろ
思うことがあり、しばしば赤ワインとビールと
シャンパンをチャンポンにして飲んで
考え込んだ。

 相澤先生はにこにこ笑っていて、時折
スルドイツッコミを言う。
 三輪先生はすべてを取り仕切っていて、
「おもしろいなあ」と繰り返す。

 しかし、郡司、デジャヴと言っても、
その時に人間が感じている現象論的な
属性は、脳のさまざまな部位の活動
のシステム的組み合わせから生成される
ものであって、 
 それをヘタな形式に落としたとしても、
いわば思考のモノカルチャー、
 貧しい世界へ行ってしまうんじゃないか、
と文句を言う私。
 
 それに対して郡司は、いやあ、そんな
ことはないと思うよ、質料を前提にしてしまって
いては、問題は解けないんだ、
と言うから、それはそうだと思う、

 議論はうねうねぐねぐね
外は雨。

 シンデレラの時間が近づき、
 池上高志と先に帰った。 
 二人で高田馬場まで歩く。

 久しぶりにしんみりと話したような
気がする。

 こういうことを議論していると、
 いつも同じ難しいところにぶつかって、
そこで途方に暮れてしまう。
 でも、そういう問題を避けて通っている
よりはましだ。
 
 そういう動かし難い奇っ怪な岩山が
概念世界に立ちはだかっている、
そのことに気付いている、忘れることが
できない、そういう仲間がいるということは
本当に有り難いこと。

 また池上や郡司と竹富島に行って、
徹底的に3日でも4日でも話し合いたい
なあと思う。

 対象がでかく、深すぎて
いくら議論しても尽きることがないんだ。

 会を主催してくださった
三輪先生、相澤先生ありがとうございました。

7月 21, 2006 at 07:58 午前 |

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コメント

会話って戦いですよね。
そういえば、スパイク・リーの映画なんかで、ウイットに富んだ会話の応酬してますね。リズムがいいからこ洒落てるなぁ、なんて思ってしまいますけど、結構せめぎあってるなぁ、と最近気付きました。

お三方のあついあつい議論、一度拝聴したいです。。。

投稿: shimizutoshifumi | 2006/07/26 18:39:58

同じ日に度々失礼いたします。ついでとゆうと違うのですが先生の本のプチ活字中毒になりつつある私ですが、「生きて死ぬ私」のP70の3行目からのくだりで自分が存在しない・・・何々から とりあえずは生きている状態にある恐怖よりも救いようがないと思うのだが・・ までのくだりの意味がわからず先に進めません。ぶしつけではありますが、もしよろしければリターンお願いします 安部

投稿: abekaori | 2006/07/22 1:44:24

☆デジャブ☆  大スペクタル編もあれば 四コマ編もある

大スペクタル編は大スペクタルとして ・・・

いつものが来た~  ふむ ふむ  三コマ

四コマ目の落ち  知ってるぞ

変えてやる~  無理かな  無駄かな

変えられることも有る

三コマ目までの日常 四コマ目の非日常  尽きることがない

☆テレポーテーション☆
 
意識は飛ぶ  物は跳ばない 方がいい。   宙の掟 or 科学の未来

投稿: 一光 | 2006/07/21 22:19:11

とても素敵な事で、それでいて素敵なお話ですね。そんなお友達がいる とゆう事がまた先生の素敵なところなんだと再認識しました。私今日久しぶりに姫路より東京に戻り、クオリア日記読ませて頂きました。心が顕れる感です。何故かここをのぞくと毎回そんな気がしてなりません。私と同じ気持ちで先生の日記を詠んでいる方も多いのではないのでしょうか。今爪がアートでPC入力シズライのですが、どうしても誰かに伝えたくてピコッツてみました。全然新米未熟者の私ですが、たまにとうりすがりでこうしてしまうかもしれません。どうぞ宜しくお願いします

投稿: 安部香里 | 2006/07/21 18:17:05

毎日、雨がじとじとじとじと、降り続いている。こういう時、魂にカビや苔が今に生えてくるのでは、といらぬ心配をするよりも、むしろひたすら、面白いことを考えてにやけるのが、私の梅雨の過ごしかたのひとつだ。

きょうのエントリーを読んでいると、ビシビシバシバシ!と議論しあう3人の姿が浮かんでくるようだ。普段は仲良くても、いざ科学的議論ともなれば、剣豪達の真剣勝負のように徹底して論じ合う。科学者はこうでなくてはならない。

徹底して理を尽くした議論の果てに、動かし難い難題の巌山(いわやま)もやがて風穴が開き、そこから新たな知の世界を垣間見ることになるのだろう…。

科学者は常にある問題についてしばし考え、徹底的に論じ合い、分析することによって、次第に新しい知見を切り開くのだろう。

茂木、池上、郡司の3氏が論じていることは、まさにいま、科学界の最も難題とされている問題なのである。この問題が明かされるとき、彼等の歓喜はいかばかりか。

竹富島はいま烈火の如き太陽が照り付け、エメラルドの海がきらめき、みどり輝く珊瑚礁に極彩色の魚達が乱舞する、いまがいちばんいい時期かもしれない。
と、こんな文を書いている私は一度も竹富島はおろか、沖縄諸島には行った事がない。嗚呼(@~@)


投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/21 18:13:04

あつーい激論戦わせて、その後人間関係潤滑に続くのはなぜ。

議論の中身によるか、人間性か、両方か。

熱くなる感情の中身が良いものなのかな。

投稿: 平太 | 2006/07/21 8:20:03

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