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2006/07/08

焚き火とか、海とか、風とか。

 PHP研究所。
 脳と感動について。

 AISTのNatalia Polouliakhが研究所に来て、
遺伝子とhigher cognitionを結びつける
方法についてtalkしてくれる。

 視覚、聴覚のように、receptorの
種類が少なくてperceptが構成される
ものと、
 嗅覚、味覚のようにchemicalに対する
receptorの種類が多くて
perceptが構成されるものは、
 どうやら様子が違うのではないか。

 朝日カルチャーセンターへ。
 講座に行く前に、
広場で夕風に吹かれながら
 田辺史子のICONIPの論文を
finalizeして、投稿する。
 
 映画と脳。
 ずいぶん久しぶりに
カルチャーセンターで話す気がする。

 『誰も知らない』

 『ベニスに死す』
を見て、
 それから映画を見た時の
脳活動についての論文を読んだ。
 
 先日の吉本隆明さん訪問のことを
受けて、
 科学主義はなぜ思想的に深まらないのか。
 思想が科学主義に着地するには
どうすれば良いかを、議論。

 ここまで、例によって朝から
晩までうわーっと
いろんなことをやらなくてはならなくて、
時間に追われて追われて追われて
いたが、
 ふと、気付くと、朝日カルチャーが
終わったあと、本当に久しぶりに、
とりあえずは明日の朝までは何もしなくても
大丈夫、という状態になった。

 それで、電通の佐々木厚さんをはじめと
するいつものメンバーと少しゆったり
飲んだ。

 飲んでいたら、自分の日常に対する
一種のメタ認知が立ち上がって、
別の意味でうゎーっとなった。

 そもそも誰かが椎名誠の話を
始めるからで、
 焚き火とか、海とか、風とか、
寝転がってみる夜空のきらめきとか、
そういったもんが頭の中を嵐のように
通り過ぎていって、
 私の心は一時的にstudent movement
となった。

 そういうときに心がふわっと
なるのは、
つまりは私たちが
いつかは死すべき存在だからだろう。

 池上高志から、共通の知人、
Joseph Goguenの
訃報のメールが届いた。
 とても驚くとともに、
言い尽くせないほど
哀しいきもちになった。

 私たちの認知はどこまで成長しても
終わりがないopen-endedなプロセスであるが、
私たちの生はいつ終わるかわからない
 indefinite-endedな飛躍の連続である。

 胸のときめきこそが、メメント・モリの
化学反応の証しだろう。

 Josephの魂に平安あれ。

7月 8, 2006 at 09:57 午前 |

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» カラヤン有終の美 トラックバック 精神科医としての人生
7月7日(金) 病棟診察の一日。 一週間の治療方針の総括をして、 来週の治療方針の軌道修正などを行っていた。 久しぶりに、時間が空いた。 新宿の朝日カルチャーセンターに行って 茂木健一郎さんの「脳とこころを考える」を受講した。 今回のテーマは「脳と映画」であった。 茂木さんは、僕の最も尊敬する方の一人だが、 生の講義を拝聴するのは、初めてであった。 是枝監督の『誰も知らない』と、ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』のそれぞれ一部を見た。 まず、『誰も知らない』の冒頭場面..... [続きを読む]

受信: 2006/07/08 22:57:36

コメント

生きとし生ける全ての者は、いつかは死すべき存在…。
だからこそ、懸命なる生が輝きを放つのだ。

ある人から、こういうことを教わった。

「よく死ぬためには、よく生きよ」と。

芸術と認知は無限なれど、生は有限なり。

indefinite-endedな飛躍の連続なる我等の限り有る生なればこそ、人は賢明に、そして真剣に、一日一日を噛み締めるように生きていかなくてはなるまい。

人生の“浪費”は慎まねば!

限り有る生だからこそ、人はまじめに懸命に生きていくしかない。

知人の方のご冥福あらんことを。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/07/08 22:05:46

心がふわっとなるのは、死すべき存在だから
ほんとうにそうかもしれません
世の中で絶対なものは死だけだと少し前に思ったけれど、
生はindefinet endedだというふうに考えたことはなかった。
気づきでした。

投稿: M | 2006/07/08 18:05:24

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