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2006/07/31

対談 茂木健一郎 × 梅田望夫

特集  ウエブ2.0
対談 茂木健一郎 × 梅田望夫
「記憶や知識にもはや意味なし」
「脳とネットは共進化する」

朝日新聞社 
AERA 2006年8月7日号
(2006年7月31日発売)

http://www.aera-net.jp/aera/index.php


7月 31, 2006 at 07:01 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

うわあとかあかあ

青年期から、思想というものは
「世界全体を引き受ける」ことを
志向しなければならないと
思っていた。
 
『クオリア降臨』
第一章「世界を引き受けるために」
で書いたように、何も大それたことを
考える必要はなく、きっかけはどんなに
小さなことでも良い。

 沖縄の渡嘉敷島の海岸で、マルオミナエシという二枚貝の、黒く富士山のような模様が沢山入った殻を拾って歩いた早春の午後のことが忘れられない。私の手の中にあったのは、さまざまなパターンのマルオミナエシの貝殻だった。無限のバリエーションの模様の作り出される不思議に夢中になりながら、ふと、かつてそれらの貝殻の中で生きていたであろう軟体動物のことを思った。そこにあったであろう、ささやかなる生命の躍動(エラン・ヴィタール)に思いを馳せた。
 海は、私の前に静かに広がっていた。その水面の後ろに、珊瑚礁の豊かな生態系が息づいているはずであった。私の手の中にある貝殻の一つ一つが、珊瑚の海の豊穣の中で生まれ、さまざまな困難をくぐり抜けて生きのび、やがて力尽きて砂の上にぐにゃりと横たわっていった軟体動物の命の証であるはずだった。貝殻という「もの」こそ、かろうじて世界の中で流通し得る。一方、軟体動物の生自体は、誰にも目撃されず、流通することもなく、ひっそりと息づき、ひっそりと消えていく。世界は、誰にも知られず生き、死んでいくマルオミナエシのように、決して流通することのない、もの言わぬものたちに満ちている。もの言うものたちのことは他人に任せよ。もの言わぬものたちをこそ思え。この宇宙の中にかつて存在し、やがて潰えていった無数のもの言わぬものたちのことを思い、それらのもの全てを引き受けるような一つの言葉、一篇の詩を持ちたいと希求せよ。

(茂木健一郎『クオリア降臨』(文藝春秋)p.8~9)

 世界全体を引き受けるとは、
明示的な知の体系を組み立てるという
ことではなく、感情の技術なのである、
ということに気付いたのが最近の進歩で、
昨日、MacBookで使えるDDを買うために
新宿に出かけ、
 ヨドバシカメラでエアエッジの機種交換を
して、待っている間に
 近くのルノアールで『ちくま』の連載
「思考の補助線」を書いている
時にも、結局はその問題になった。

  何も天才的な知性や、驚くべき博識を持てという話をしているわけではない。子供の時に最初に星空を見た時の「うわあ」をしっかりと記憶している人ならば、誰でも、世界の全体を引き受けるという志向性を了解することはできるのではないか。誰もがアインシュタインのように統一場理論に挑戦できるわけではないが、少なくとも、そのような志向性がどのような感情を伴い、どんな風に人格を陶冶していくものか、直観的な理解をすることは可能なはずだ。

(茂木健一郎 『ちくま』連載「思考の補助線」第16回原稿)

『ちくま』連載は、おそらく24回で終わるんだと
思うが、ばらばらになっている人類の知の体系
の間に補助線を引く、という当初の目的は、
不確実性や無限、断絶に向き合う
感情の志向性に着目することによって、
どうやら無事大団円を迎えられそうな
状況になっている。

 増田健史への面目も立とうという
ものである。

 もう一つ、集英社の『青春と読書』
で書いている「欲望する脳」は、孔子の
「七十従心」の問題を
取り上げ、「倫理」(いかに生きるべきか」
という視点から人間について考察しているが、
二つの連載が共鳴しつつ、同時に展開してきたのが
不思議な感じだ。

  ならば、孔子の「七十従心」とは、一体何なのか? 年をとったら欲望のレベルが落ちて、結果として矩を踰えなくなった、などという陳腐なことを言っているはずがない。マキャベリ的知性の下での先回りした節制を指しているとも思えない。「七十従心」は、もっとのびやかな印象を与える。現代の科学主義の知的射程を超えてしまった何かがそこにあるようにさえ感じる。一体、孔子は何を言おうとしたのだろう。
 今、私の前に、「七十而従心所欲、不踰矩」という言葉が、一つのエニグマとしてぶら下がっている。このエニグマを避けては、人間理解という学問的興味の上からも、一人称を生きる意味からも、先に行けそうもない。二千五百年前に一人の男が残した言葉を清玩しつつ、人間の欲望を巡る探究を始めようと思うのである。

(茂木健一郎 『欲望する脳』第一回)

 担当編集者である鯉沼広行さんは、
『ちくま』との同時進行にどのような
感想を抱いているんだろうか。
 たけちゃんマンセブン(増田健史)は、
同時に連載が始まるという話を聞いた時
「茂木さん、それはないでしょ〜」
などと言っていたが。

 鯉沼さんも、あの温厚そうな
表情の裏で、
 実は、「うううんん クククククッ!」
とうなっているのかもしれない。

 とにもかくにも、
海の波、深海の砂、マントル対流の
中の分子、
 マルオミナエシや、星空を前にして「うわあ」
と感じるような意味で、世界全体を引き受ける
ことを志向し続けて生きるということ
以外に、今後の人生でやるべきことは
ないように思うのだが、
 その意味では今の私の人生は忙しすぎる
のではないかと思う。
 
 「世界全体を引き受ける」とは、
決して、いろいろなことを全てやろうとしたり、
 複数の場所に同時にいようとしたり、
全てを覆う明示的な知の体系を
実際に構築することを必要条件とする
ことではないからだ。

 もう少し、心の余裕というか、
ゆったりする時間が欲しいなあ。。。

 と思いつつ、今日もまた、止むにやまれぬ
事情で、
 こうして小さな時間から起きて、
カラスがかあかあ言うのを聞きながら、
仕事をしているのだ。

 それにしても、カラスのかあかあが、
人間が星空を見た時の「うわあ」と同じ
だったらどうしよう!

 うわあとかあかあを結びつけることで、
僕たちとカラスは、簡単に共鳴
できるんじゃないか。

 そうそう、忘れていた。
 忘れていた。今朝は、冷蔵庫の中にパステルの
プリンがあるのだった。
 やったね!

 カラスがかあかあの朝なべ仕事を
やる前に、
 あのとろりんぷるんのクオリアを
味わって元気になろう。
  
 本当はカラス君にもふるまいたいけど、
森に向かって「うまいよ〜」とささやくだけ
にする。

7月 31, 2006 at 04:25 午前 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2006/07/30

DD

 MacBookのキーボードには
慣れてきた。
 明日からの外での生活時の
利便性チェック、とばかり、
念のためと愛用の
FujitsuのAH-F401を差したが、うまくいかない。

 ネットで調べると、どうやら
インテルマック対応のドライバがないらしく、
最新のDD
という機種に変更する必要が
あるらしい。

 そんなことになっているとは知りませんでした!

 僕は、モバイルができないと
生活が崩壊するので、
 今日は一日デスクワークのはずだったが、
一瞬出かけて交換しなければならない。

 面倒だが、仕方がない。

 NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のチームとの昨年末の忘年会のカラオケで、
踏まれてガワが壊れたあとも、
 ガムテープで止めてがまんして
使い続けてきたAH-F401Uとも、
 ついにお別れである。

 さようなら、イトシキヒト。

 こんにちわ、アタラシキヒト。

 新機種は今までより通信速度が上がったり
するのだろうか?

7月 30, 2006 at 02:25 午後 | | コメント (5) | トラックバック (0)

脳と数学

Lecture Records

茂木健一郎 「脳と数学」
日本数学教育学会全国大会
(東京学芸大学)
2006年 7月29日(土)9:30〜11:00

音声ファイル(MP3, 78.7MB, 85分)

7月 30, 2006 at 10:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「夢の超特急」が日常と化す時

ヨミウリ・ウィークリー
2006年8月13日号
(2006年7月31日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第16回

「夢の超特急」が日常と化す時

抜粋

 大学生になって、一人で食堂車に行き、なつかしいその味に再会したことがある。ビールも注文し、「私も一人前になったんだなあ」という感慨にふけったものだが、その食堂車も今はなくなってしまった。
 新幹線で売っているアイスクリームも、楽しみの一つだった。子供の頃、乳脂肪分がたくさん入った「高級アイスクリーム」は珍しく、新幹線の中でお姉さんが籠に載せて売りに来ると、買ってくれないかなあ、とドキドキしたものである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 30, 2006 at 09:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

実際カントやハイデガーはそういうことをやっていた

新しいMacBookが来たので、
朝起きて真っ先に
引っ越し作業をした。

 キーピッチが違うのと、
キーの間にPowerbook G4よりも
隙間が空いていて、
何となく慣れないうちは
たくさん道を踏み外しそうだ。

 Classic applicationが使えなく
なるのも懸念材料だが、
 何とか移行していくことができるだろう。

 日本数学教育学会の全国大会で、
室田敏夫先生に本当に久しぶりに
おめにかかった。
 東京学芸大学付属高校を卒業して
以来だから、25年ぶりという
ことになる。

 正門のところに立っている
室田先生のご様子があまりにも
変わっていないので、思わず
微笑んだ。
 室田先生は、私が習った時は
赴任されて二年目。
 大変若かったわけだけれども、
ちょっとはにかんで教える
そのスタイルが、私は好きだった。

 一度、確率の話をしている
時に、「確率がゼロであるということは
絶対に起こらないということとは
違う」と言われた。
 これが大変印象に残っていて、
確率というもの、測度というものの
不思議さを考えるきっかけになった。

 そのような思い出を、講演中に
ご披露したら、室田先生は
笑っておられた。

 エレベーターに乗った時、
「あれ、おかしいな」と室田先生が
言われる。
 「開くって、普通左にあるんじゃ
なかったですか。右だったかなあ」
と言う。
 
 左にあろうと、右にあろうと、
見て開くだったらそれで良いとも
思うが、そのようなことにこだわるのが、
いかにも室田先生だ、とうれしくなった。
 
 人格というものは変わらない。
長い間、安定している。
 そして、本人にも他人にも容易に気付くことの
できない様々な鉱脈が
一つの人格の中にある。
 
 これが、後半の話の伏線になる。

 おしら様哲学者、
塩谷賢
がホワイトヘッド学会に出席するために
ミュンヘンやザルツブルクに行っていたらしい。
 
 そのお土産を渡したい、としばらく
前からせっつかれていたのを、
 学芸大学の会が終わって、
武蔵小金井から国立に移動して、
そこで会うことにした。

 塩谷は八王子から出てくる。

 塩谷が今まで食べた中で3本指に
入るというカレー屋に入り、
 一橋大学の横を通って
カフェに入り、
 それからアイリッシュ・パブに入り、
居酒屋に入りと延々と話し続けたが、
 その間私がずっと気になっていたのが
「人格」の問題だった。

 先日吉本隆明さんのところにお伺いした
時に、自我というものを
社会的、政治的事象に結びつけて
ありありと考えることが大事である、
という話を吉本さんがしていた。

 塩谷と話しているうちに、
私が自分の中では自明としている
ことを、
 いかに人にわかりやすく伝えるか、それに
こころを砕くのが哲学であり、思想であるという
ことに気付かされた。
 
 あまりにも自分にとっては
当たり前のことだから、かえってそれが
盲点になって他人にはわかりにくいということが
あるものだ。

 たとえば、僕はどんなに偉大な知的成果でも、
物理主義的な世界のあり方のリアリティに接続
していないものは二次的なものである、と見なす
癖があるけれども、それは世間ではどうやら
自明なことではないらしく、
 そのあたりの消息を明かすこと自体が
困難だがやりがいのあることになる。

 面白いのは、塩谷の延々と続く
講釈を聞いているうちに、
 私がつい眠くなってうとうとしても、
塩谷はかまわずしゃべり続けることで、
 時々目を覚まして
「ああ、そうか」
「それは、こういうことだろう」
と相づちを打っていると、
塩谷は気にせずに続きを喋っていく。

一人はこっくりと眠っており、
その男に対してもう一人の相撲取りの
ような男が個物がどうの、時間の
流れにおける完了的なものが
どうのなどと講釈を続けている。

端から見ていたら、こんなに滑稽な
風景もないと思うのであるが、
本人たちはずっとこんな調子で
やっているから、平気なものである。
 
あれは1981年の春。
理科一類に入って、全学で10人くらいしか
とらないようなレアな授業に行くと、
学生服を着た塩谷にでくわした。

当初、塩谷に熊というあだ名を付けて
いたように記憶する。

あれから散々会ってきて、
塩谷の変人奇人ぶりは
身に染みこんだ。

論文を書かず、
学位をとらず、
就職もしないが
驚くべき才能をまき散らすという
塩谷のやり方には随分慣れたつもりだったのだが、
昨日はそれでも新しい発見があったから
驚いた。

それは、
塩谷が案外コモンセンスを持った大人
だということで、
そっちの方の才能を伸ばして、小難しい講釈を
垂れていなければ、もっと出世するものを、
惜しいことだと思うが、
本音では賢く振る舞ってそれなりに
世を渡っていく人よりも塩谷の方が
面白いと思っているんだから仕方がない。

「何だか知らないけど、今日はお前が
まともな人間に見えるよ。お前はエライ
んだなあ」
と言っていたら、その頃
立川で花火が上がり始めた
時刻だったらしい。

どんな人格でも、自分にとって大切なこと、
自明に思われること、違和感を抱くこと、
そういうことを解き明かしていく作業は、
必ず普遍に通じるはずで、
実際カントやハイデガーはそういう
ことをやっていたんじゃないか。

自分の中に鉱脈があると思えば、誰でも
ほくほくするはずで、それは実際そうなので、
一部の人たちの特権ではないのであります。

そういうことを日本の教育ももう少し
教えた方が良いのではないかと
思う。

文化はその享受においてのみならず
創造においても万人に開かれているのである。
中途半端なエリート主義は迷惑千万なだけだ。

7月 30, 2006 at 09:30 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/07/29

√2/4

 朝日新聞社の加藤明さん。
 中村うさぎさんについて。

 「一個人」の佐藤尚宏さん、
 Office Sayaの長谷川智昭さん。
 小沢忠恭さん。
 『ひらめき脳』について。

 移動しながらも、仕事を猛スピードでやって
いく。 
 朝4時前に起きてから、
一分一秒を争そう感じ。

 研究所で、小俣圭と石川哲朗が
いたので、私は言った。

 「あのさ、いろいろあるだろうけど、
ちょっと待っていてね。ライフゲームの
『グライダー』のスピードでやっている
から」

 「あれ、遅いじゃないですか」

 「何を言う。グライダーは、ライフゲームの
世界における光の速度で動いているのだ。
 4サイクルで(1、1)動くから、
 スピードは√2/4だぞ!」

 あまり説得力はないが、
要するに一生懸命やっているということです。

 吉本隆明さんのご自宅。
 幻想、欲望の話から入り、
現代のお話をいろいろうかがう。

 前回、古典的な意味での知識性は
もはや成り立たなくなった、
というようなことをお話したが、
 さらに言えば、吉本さんはごく普通の
生活者の感覚の中にこそ、
 古典的な知識性の限界を超える
より深い知の可能性を見ているのでは
ないか。

 吉本さんの凄いところは、
今でも、常に自分の考えを前に前に
進めようと努力されているところだ。

 むずかしいところを辛抱強く考えて、
そしてその結果自分が少しずつ変わっていく。

 これ以上の喜びがこの世に存在するだろうか。

 光文社の新海均さんと
新宿へ。

 中沢新一さん、それに中沢
さんの旧知の友人である内藤礼さんと
4人でお話する。

 中沢さんが始めた芸術人類学研究所
のことについてなど。

 上海料理のうまい店だった。

 中沢さんは、私より一回り
上(同じ寅年!)
だということだが、芸術人類学の
マニフェストをするんだから、
 何しろ元気だ!

 人間、「これからこれをやるんだぞ!」
というマニフェストをいつも懐に抱いて
生きていることが肝要であろう。

 手元のファイルを見ると、
私の実質上のデビュー作
『脳とクオリア』
(日経サイエンス社、1997年)
の序章を、私は
1996年12月24日に完成
させている。

 あの頃の真摯なマニフェストの気持ちを、
私は忘れていないし、日々胸に抱いて生きていきたい。
 √2/4のスピードで、動いていきたい
のであります。

  私は、ストーン・ヘンジの前に立っている。私の末端の感覚器を刺激するものは、電磁波であったり、気体分子の振動だったり、地面からの抗力であったりするかもしれない。私の脳の中で起っているニューロンの発火現象を、物理的に、因果的に記述しようとすれば、私を取り囲んでいるものは、そのような、せいぜい100種類の原子からできた物質であるということになるだろう。だが、私の感覚しているものは、それとは違う。私は、草の緑と、そのわさわさした模様を感覚する。私は、冷たい、それでいて心の奥をさわやかにする風を感覚する。私は、古代の遺跡の、年月を経た岩の、ごつごつでかつ滑らかな味わいのある表面の様子を感覚する。私は、私の下にある大地が、私の足の裏を押してくる確かな存在感を感覚する。そして、このような感覚の一つ一つは、それぞれ、他と間違えようのないある質感をもっている。このような質感の集合が、「私はストーン・ヘンジの前に立っている」という私の認識を構成している。私は、これらの質感の集合体として、ストーン・ヘンジの前に立っている。
 私は、一つのテーゼに達する。私を取り囲む世界は、質感にあふれているのだ。このことこそが、私が私の存在について考える時、もっとも顕著な事実である。

(茂木健一郎 『脳とクオリア』 序章より)

(『脳とクオリア』序章 図1−1)

7月 29, 2006 at 07:31 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/07/28

脳と数学

日本数学教育学会
全国研究大会(東京学芸大学)

茂木健一郎 脳と数学
2006年7月29日(土)9:30〜11:00

http://www.sme.or.jp/conp/conp_01_2006_02.html

7月 28, 2006 at 08:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『夜空ノムコウ』と同じくらい

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

 この番組のスタジオでは、
 編集上の自由度を確保するため、
「ショート・ヴァージョン」と
「ロング・ヴァージョン」
の両方を撮ることがあるが、
 今日のこの日記も、また「やること山積、
せっぱつまり」状態のため、
とりあえずは
 「ショート・ヴァージョン」で行きますが、
余裕ができたら後で
「ロング・ヴァージョン」も
書きたいと思います。

 昨日の収録は、細田美和子さんが
(最後かも知れない)ディレクターを勤めた
(コードネーム)「夏スペシャル」
であり、テーマは「壁を乗り越えろ」でありました。

 住吉美紀さん(すみきち)と掛け合いで
進めて参ります。

 番組後半は、
 主題歌『progress』を作詞・作曲
したスガシカオさんがスタジオに来て、
 トークしたのであります!

 カラオケでは
 スガさんのアルバムSugarlessヴァージョンの
「夜空ノムコウ」を愛唱するスガシカオ
ファンの私ですが、
 実際にお目にかかった
 スガさんは本当に真摯で素敵な
人でした。

 番組の主題歌
『progress』
は、
スガさんにとって、『夜空ノムコウ』と同じくらい
「うまく出来た!」
曲だとのこと。

 CDが、ついに8月2日発売予定。
 是非、アマゾン等で予約されては
いかがでしょう。

 そして、私は何とナレーションに初挑戦。
 スタジオで映像に合わせて台詞を
喋りました。

 編集でカットされなければ(笑)
 放送の際、冒頭のVTRに合わせて
流れるはずです。

 収録後、有吉伸人(ありきち)さん行きつけの
イタリアンで、スプマンテを飲みながら、
 いろいろおもしろい話を聞きました。

 細田さんも、一山越えてほっとした
ようにワインを楽しんでいらっしゃいました。
 馬場さんは札幌が好きなのです。

 以上、クオリア日記、2006年7月28日
「ショートヴァージョン」でした。

7月 28, 2006 at 04:37 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2006/07/27

Transmusic 2007

サントリー音楽財団主催「トランスミュージック2007」
へ向けての江村哲二さんとの共同のブログです。

http://transmusic2007.blogspot.com/

7月 27, 2006 at 08:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

プロフェッショナル 仕事の流儀 徳岡邦夫

プロフェッショナル 仕事の流儀 第21回

変える勇気 変えない勇気

〜料理人・徳岡邦夫〜

日本を代表する料亭「吉兆」。46歳の若さで京都・嵐山本店の厨房(ちゅうぼう)を指揮する料理長・徳岡邦夫。
1200年を誇る京料理の伝統をベースにしながらも、現代風にアレンジされた料理を作る。徳岡の技は、国内外の料理人たちから注目を集めている。 かつて吉兆のような高級料亭は、会社経営者、文化人、政治家などの常連客がほとんだだった。徳岡は時代遅れだと、イメージの払拭(ふっしょく)に力を入れた。一見さんを受け入れ、吉兆ならではの最高の料理ともてなしを手抜きすることなく出した。改革と伝統を重ねあわせながら、徳岡は店を変えていった。現在、懐石コースは5万円ほどにもかかわらず。予約が取れないほどの人気である。徳岡には究極の目標がある。「自分の料理で客を泣かせたい」。徳岡邦夫の料理道の神髄に迫る。

NHK総合
2006年7月27日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

7月 27, 2006 at 07:55 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

今日は台本ないですから

湘南新宿ラインで横浜へ。

 パシフィコにはしばらく前にも来たような
気がする。
  
 座長の原正彦さん(東京工業大学教授)
によると、オルガテクノは今年が第二回目。 
 主に有機マテリアル関係の研究者、技術者
がくるという。

 会場内で『脳と創造性』というタイトルで
話す。
 ここのところ、このタイトルが多いが、
話すことは毎回少しずつ「進化」している。

 クオリアは「100ノーベルくらいの
難しさ。だから、解けなくてもしょうがない
というんだから、気楽なもんだ」という
ジョークを言っていたら、
 原先生が、終わった後、
「この後1ノーベルの先生も御登壇されます」
と。

 1時間後くらいに、
 野依良治さんが登壇される予定
だったらしい。
 野依先生がいる前で「ノーベル」ジョークを
しなくて良かった。

 研究所へ。
 ミーティング。 
 所眞理雄所長と脳の議論。
 北野宏明さんと久しぶりに話す。

 夕刻、ふと思いついて、
学生たちに「散歩するか」と声をかけ、
田谷文彦も誘って、研究所から
歩いて10分ほどのところにある
原美術館
へ行く。

 カタログの文章を書いていながら、なかなか
行けないままでいた束芋さんの
展覧会を見る。

 『にっぽんの台所』を含む展示作品は、
すばらしい充実ぶり。

 新作『公衆便女』の前に座り込み、考えた。
 これは、確かに、深いところで
「現代の日本」という気がする。
 美術が、往々にして現実を棚上げして
理想を描こうとするものならば、 
 束芋さんはにっぽんの「今、ここ」
に踏みとどまり、日本の痛いところや
どうしょうもない部分も含めて
引き受けて表現している。

 逃げるな。向き合え。
 それで、このような表現に昇華することが
できるんだったら、それはサイコーの
芸術と言えるのではないか。

 ショップには、
 カタログは、7月下旬入荷とあった。

 創造の最高の形式の一つが、自らが変化することにあるとするならば、そのきっかけとなる毒は全てのアーティストにとって欠かすことのできない創造性の源である。魂の糧となる毒を創り出すことこそが、全ての表現者の野心であると言っても良いだろう。ビタミンが、生命にとって欠かすことのできない「成功した毒」であるとするならば、やがては古典となる芸術作品も、また、ビタミンのように人類にとって必須の毒たらんとの野心を抱く、希望に満ちた怪物として出発する。

(茂木健一郎 『束芋ーー内に秘めた毒が美に昇華される時』(原美術館 束芋「ヨロヨロン」カタログ)

 麹町の日本テレビへ。
 『ニューロンの回廊』

 作家、町田康さん。
 
 町田さんとは、讀賣新聞の読書委員会で
「ああ、どうも」程度の挨拶を
交わすけれども、きちんとお話するのは
初めてだった。

 『くっすん大黒』、『夫婦茶碗』
といった作品で「饒舌体」の文体で
デビューした町田さんは、「河内十人斬り」
に取材した『告白』で新たな境地に
達し、今や日本の文学の「ど真ん中」
にいる。

 収録開始前の打ち合わせで、
「今日は台本ないですから」
と言われた。
 紹介VTRもない。
 ただガチンコで話せばいいのだという。

 えっ、いいんですか、と私は
思わず聞き直してしまった。

 テレビの収録における対話と、
雑誌や本などの活字メディアにおける
対話は違う。

 テレビは、やはり不特定多数の
視聴者に向けて説明的なスタンスも必要に
なるし、深い興味にかき立てられて
どんどん進んでいってしまうと、
 「ついていけない」と感じる
人たちが増える。

 だから、テレビの時には、どうしても
ある程度「手加減」すると同時に、
 逆に活字メディアでは考慮しなくても
良いようなことに気を配る難しさが
出てくる。

 「どうぞ自由に」ということは、
つまり、まるで活字メディア向けに
対談するように、どんどん行って良い
ということである。

 これも、ゲストが町田康さんだから、ということ
だろう。

 実際、40分に一回VTRを入れ替える
以外は、ほとんどカメラを気にせずに
勝手に町田さんと話すことができた。

 お陰で、町田さんの創造の秘密を、
かなり深いところまで掘り下げること
ができた。

 町田さんは、魂を荒れさせて、
多孔質にしなければダメだという。
 そうでないと、いろいろなものを
吸収できないという。

 単なる「趣向」で書いたような
小説なつまらないが、
 そのようなものを書く
人のたましいは、表面が
つるんつるんとしている、と町田さん。

 さらに強調していたのが、
「言葉のダイナミックレンジ」
 ボキャブラリーという問題ではなく、
言葉の振れ幅が大きくないと、
作品世界の奥行き、広がりが
貧しくなるというのである。

 番組の最後で、町田
さんが私に質問するコーナーがあった。

 この人のことだから、脳の話など
聞かないだろうな、と思っていたら、
案の定、
 「茂木さんが仕事を断る基準は
何ですか」
と来た。

 「騙されてみる、ということで自分の
幅を広げるということころが
あるから、あまり断らないできたんだけど、
さすがにここのところは断っています」
と答えると、 
 「じゃあ、どのようなもんを断るんだ」と
畳みかけるから、
 「相手が真剣じゃないときとかかな」
と言うと、
 「オレと同じだ、実、真(まこと)がない
もんはダメだよね」
と町田さん。

 「茂木さんは、何でも正直に
言うのかと思っていたら、
 言わないことも多いんだね」
 「いや、でも、時々爆発することが
ありますよ」
 「いつ爆発しました」
 「たとえば、***の時」
 「あっ、あのイベントね、なるほど」

などと会話が進む。

 たっぷり二時間話した。
 とっても面白かったが、
 これを「テレビ」番組にしたてる
編集サイドはチャレンジだと思う。

 しかし、
 テレビというものは、視聴者に
心地よいものを提供し続けることによって、
結果として魂が「つるんつるん」
としてしまっているのかも知れず。

 たまには、町田さんの言うように
「魂を荒立たせる」「多孔質」
の番組もあってもいいんじゃないでしょうか。

 せっかく町田さんと話すんだからと、
白い椅子の背後にMP3レコーダーを
仕込んでおいた。

 途中で電池がなくなるかな、
と思ったが、無事最後まで生きていた。

 町田さんが、時折、ささやくような
小声で話していたところは
 撮れているかどうかわからんと思っていたが、
どうやら大丈夫だった。

 生の会話の録音を重大視するように
なったのは、小林秀雄の講演録音
が人生の福音になって以来のことである。

 家に帰り、日付が変わる頃
からビールを飲みながら
「中央公論」の時評を書き始める。

 やっと書き終えて井之上達矢さんに送る。
 思わず、ため息が出た。

 人生、忙しすぎる。
 
 ここは一つ、インテリジェントに、
そして静かに継続的に爆発してやろう
じゃないか。

有田芳生さんの日記が、
ブログに移行した。

 初日のエントリーから、
 有田さんの内なる情熱が伝わってくる。

7月 27, 2006 at 07:51 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/07/26

(本日)オルガテクノ2006「有機テクノロジー展/国際会議」

オルガテクノ2006「有機テクノロジー展/国際会議」
2006年7月26日12時30分〜13時30分
パシフィコ横浜

茂木健一郎『脳と創造性』

http://release.japan.cnet.com/release/abstract.html?release_id=9849

http://www.orga-techno.com/exhibit/comsemi.php

http://www.pacifico.co.jp/accessmap.html

7月 26, 2006 at 07:23 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

魂の交わりと孤独をどちらも

 ふと思った。
 朝から晩まで、「どの仕事のために
今これをやっているのか」と文脈付けられた
ことばかりじゃないか。

 文脈から自由な、勝手に魂が動き出すような
時間を確保しないと、やって
られないと思って、即日実行したい!
と思いながら歩いていった。

 誰にも会わずに、一人で閉じこもるのは
得意なはずで、
 どんな地下室の手記でも書いて見せるから、
さっそく・・・と思って予定表を見ると
何やらびっしり文字が書かれており、
 真白き大地はどこにもない。

 しかし、こういう時に現実とは異なる
仮想を想像することは昔から得意だったのであって、
空想の中ではコンサートをやめてカナダの
湖の畔に一人住むグレン・グールドである、
と思うことにした。

 午前。
 量子重力や情報幾何、ツイスターの
専門家であるDorje Brodyと、Julian Brody
と会って議論した。

 二人とも香港生まれでJulianなどは
数えるとき中国語でやるというよく
わからないペアで、
 私は英語で喋った方がナチュラルかな、
と思ったがDorjeが日本語で喋るんで
 合わせてしかし英語っぽい日本語で
議論していた。

 DorjeはRoger Penroseと共同研究していて、
先日の75歳の誕生パーティーにも
出ていたとのこと。
 DorjeもRogerも、超ひも理論、超膜理論が
キライである。

 しかし、オックスフォード大学のMathematical
InstituteのRogerの後任には、
 天敵の超ひも理論の専門家が来てしまったのである。

 「ロンドンも、すっかり超ひも理論の専門家ばかりに
なってしまいました。」
 「それは、宇宙の中には粒子と反粒子の両方
が同じ数あるはずなのに、なぜか粒子ばかりに
なっているのと同じだね」
 「まさにそのジョークを私は使ったことが
あります。超ひも理論によると、ひもと反ひもは
同じ数存在するはずだから、私は超ひも理論を
支持するために、反ひもになっているんだと!」

 しかし、Dorjeのジョークの効き目なく、
反ひもよりもひもの方がますます多い宇宙に
なりつつあるようである。少なくともこの地球上では。

 さらに、社会一般の人にとってはおそらく
どうでもいいであろうが、我々にとっては
面白くて仕方がない会話が続く。

 「Dorjeは、超ひもで量子重力が解決できると
思っているの?」
 「できるはずないよ。そもそも、ひも理論の
専門家の多くは量子力学の基本的なことすら
わかっていないんだから。
 数学的なハードルが高いし、「セクシー」
だから、もっとも優秀な学生が惹き付けられる。
それで、教授に、ちょっとエキゾティックな
数学上の問題を解いてみなさい、と言われ、
実際に解く。
 しかし、これらの秀才くんは、他のことを
知らないままスクスクと育っていくから、
 当然、量子重力を解決するような総合的な
視野は得られないのさ!」

 その後、JulianやDorjeとイギリスのコメディ
などに関して延々と喋りつつ、
 本筋である神経経済学とインターネット
などの議論もしたが、本当に面白い
時間でありました。

 研究所に移動。
 
 東京都図画工作研究会の
高橋香苗先生とお仲間、それに
日本文教出版株式会社の
新佐紘之さんがいらっして、
 子供の発達におけるアート・エデュケーション
の意義についてインタビュー。

 アートの良いところは、「正解がない」
学習を促すところだろう。

 美意識の発達には正解がないが、
だからこそ魂にとって大切である。

 『ウェブ進化論』の梅田望夫
さんがいらっしゃる。
 「アエラ」のための対談。

 アエラ編集部の佐藤秀男さん、内山洋紀さん、
朝日新書編集部の石川雅彦さん、井原圭子さん、
それに筑摩書房新書編集部の福田恭子さん。

 梅田さんとは初対面だったが、
話が面白くて次からつぎへと飛び出し、 
 ノンストップの二時間であった。

 詳細はアエラの記事を見ていただくことと
して、いくつかご披露。

 「ウェブ進化論」というタイトル
は、グーグルで検索して一件も引っかからなかった
言葉を選んだ、とのこと。

 なるほど、そうすれば何よりも
言葉として新鮮であるし、本が出た後に
検索して引っかかるものは全て
 自著に関わるものであると
確信できる。

 「子供の名前をつけるときも、グーグルとの関係で
考えるということができるんですよ」
と梅田さん。

 「一つの考え方は、一件もひっかからない
名前をつけるということ」

 「もう一つは、同じ姓の著名人の名前を
付けてしまうということ。
そうすると、将来、子供が自分の名前で検索しても、
著名人の情報ばかりが出てくるから、自分の
個人情報が一切出ず、世間から隠れて
生きることができます!」

 なるほど、John Lennonや、
田中角栄という名前にしておけば
 グーグルかくれんぼが可能であろう。
 
 普段はアメリカにいて時々日本に来る
という梅田さん。
 本当に面白い方で、ぜひまたお目にかかって
いろいろ議論させていただければと思った。

 出井伸之さんのスタッフの方々との
ミーティング一件。

 讀賣新聞社へ。

 エレベーターで町田康さんと乗り合わせたので、
「明日よろしくお願いします」と言った。

 「町田さんは、朝原稿を書くんですか?」
 「そうなんですよ。朝10時までに一日の
仕事を終えてしまって、あとは自由に好きなことを
やります」

 本に目を通し、セレクト。

 文化部の待田晋哉さんや鵜飼哲夫さんに
「すみません、すみません」
と言いながら、途中で退席。

 ちょうど川上弘美さんがいらした時だった。

 渋谷のNHKへ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
打ち合わせ。

 フランスでの一週間の「生中継」
を終えた住吉美紀さんが空港から
かけつける。

 すみきち、お疲れさまでした!

 有吉伸人さん(ありきち)が、今度
 細田美和子さんが今度正式にプロフェッショナル
班に移籍されるので、
 歓迎会をやります、と案内状をくださる。

 「あれ、今までは違っていたんですか」
とすみきち。

 確かに、細田さんはプロフェッショナルの
立ち上げの時からの中心メンバーなのであるが、今まで
正式には「番組開発部」所属だったらしい。

 その細田さんが「最後のディレクターかも」
をつとめる「夏スペシャル」の打ち合わせ
が笑いを交えつつも真剣に進行して行く。

 フランス中継が始まる前の日、ヤフーの
キーワード検索ですみきちが第一位に
なったとありきちさん。

 「これはすみきち
何かやらかしたか、と思ったよ」

 実際にはすみきちは何も「やらかして」
はいなかった。
 住吉美紀さんの人気が赤丸急上昇
したということらしい。

 昼間の梅田さんのお話と合わせ、
「検索史観」のようなものができあがる。

 打ち合わせが終わり、長い一日が過ぎ、
家に帰り呆然とビールを飲む。

 たまには良いだろう、
と全くながら仕事をせず、
 「サラリーマンNEO」
を見た。

 私は湖のほとりに一人住む
グレン・グールドであるはずなのですが、
今日もまたそうはいかなかった。

 しかし、また、特筆すべき
面白い一日だったこともまた事実。
 やっぱり、人と会ってお話することも
必要。
 
 いっそのこと、思い切りあって、
思い切り立て籠もって、
 魂の交わりと孤独をどちらも味わってしまえ。
 
 ぼやき節じゃなくて瞬間の空想
飛躍においてこの忙しき日常を
乗り切っていくことにしたい。

 東京の雑踏の中をふらつきつつも、
 我は湖のほとりに住む
孤独な魂である・・・・ということにしておこう。

7月 26, 2006 at 07:10 午前 | | コメント (10) | トラックバック (2)

2006/07/25

(本日)スタジオパーク アンコール特集

NHK総合テレビ 『スタジオパークからこんにちは』
2006年7月25日(火)
13:05〜13:59
アンコール特集
山本晋也 茂木健一郎 室井佑月

http://www.nhk.or.jp/park/

7月 25, 2006 at 05:49 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

できることは全てやろう

やることも溜まっているし、
朝、今日は「仮病」で全部さぼってしまおうか、
などともチラリと思ったが
(実際にそんなことをすることは
ありませんので、関係者の
方々、今後私がビョーキだと言った時は、
本気で信じてください!)、 
結局はマジメに出かけ、
ちゃんと全て出席した梅雨の一日。

 電通の研究会の後で、近くの
日本テレビの前にある
 『明日の神話』を見る。

 中央の骨が踊っているよう。
 生命のヤケクソの力を
侮ってはいけません。

 岡本太郎という人は、構想が
本寸法というか、それこそ「骨太」
だ。
 大阪万博の少し前につくられた
というこの作品。
 原子爆弾が炸裂する瞬間を
描いたというその構想の中に、
踊る骸骨を配置する。

 人間の現代にとって何が本質なのか、
まっすぐに見つめた人。

 かくなる私めもまだまだヤケクソ踊りを
続けることにいたしましょう。

 デザイン関係の賞の審査会。

 他人の作品を「審査」することに
慣れていらっしゃる先生方の
 発言に内心はらはらする。

 そんな中、はにかんでいらした
柏木博さんと、 
 「半年一生懸命つくった作品に
こんなこと言われているとは
思わないだろうなあ」
などと言った都築響一さんに 
 シンパシー。

 もっとも、柏木さん、都築さん、
私のような人たちばかりだと
審査は進まないことも明らかなり。
 パワープレーは必要です。

 講談社へ。
 森定泉さんと、hidden figures
(アハ!ピクチャー)の
本について打ち合わせをする。

 そういえば、hidden figureの
共同研究をしている金沢工業大学の
田森佳秀の様子はどうだろうと、
 電話をした。

 「これから、田森に電話して
聞いてみますね。」
 「あっ、モリタカズヨシ、じゃなくて?」
 「いえ、そうではなくて、金沢工業大学の
タモリです。」

 田森は、小学校の時、自分はクールで
かっこよくするんだ、と思っていたのが、
ある日、学校に来てみると、皆が顔を見ると
わーわー騒ぐ。

 タレントのタモリが、テレビに出るように
なって、同じ名前だ、と囃していたのである。

 「それ以来、ぼくはハードボイルドな
人生を送ることができなくなったんだ」
とは田森の弁。

 そういうことはどうでも良くて、
田森と「ルミナンスの第二項をとる」うんぬんの
話をした。

 久しぶりに講談社に来たので、
ブルーバックス編集部に行ってみよう
ということで、森定さんと上がる。

 そしたら小沢久さんと梓沢修
さんがいらして、
 お話していたら、
 新雑誌Kのスタッフがいらして、
 お話していたら、
 ビジネス書編集部の方がいらして、
 お話していたら、
 小沢さんに、「茂木さん、ちょっと
マジメな話をしましょう」
と3階の食堂に拉致された。

 そのような流れの中で、
 いつの間にか森定さんとははぐれていた。

 最後に見た森定さんの表情が
不安そうだったのは、気のせいだろうか。

 さて、私の人生という阿房列車
だが、本当にヤケクソで踊り続けないと
とてもこなせないほど切実で真剣な
課題がたくさんある。

 そんな中、朝コーヒーを飲みながら
書くこのブログは、貴重な精神の全体性の
回復のきっかけになっているように思う。

 しばらく前から、このブログは
一つの「アートプロジェクト」なんじゃ
ないかと思っていた。

 他人様に見せる
という意味合いと同時に、
 人生のヤケクソ踊りのリズムを
刻んでくれているのではないかと
思う。 

 できることは全てやろう。
 
 そう言えば、昨日鯉沼広行さんに
送った集英社『青春と読書』の連載
「欲望する脳」には、こんなことを書いた
のだった。

 そのような現代において、孔子の記した「自分の心の欲する所に従っても、倫理的規範に抵触しない」という命題について真剣に考えることは、結局、実現できないことを志向することの意味について考察することにつながる。そしてそのような倫理上の思索は、たとえ、コリン・マッギンが主張するように人間にはその解明が原理的に不可能だったとしても、あくまでも意識の起源を追求する知的探求と同型の精神的態度へと合流していく。
 容易には実現できないことをいかに志向するか? そのこと自体が、現代における一つの倫理命題なのである。

7月 25, 2006 at 05:46 午前 | | コメント (11) | トラックバック (2)

2006/07/24

がぶがぶと飲む

 ずっと走ってきて、
 久しぶりに何の予定も入っていない日曜日、
それでもデスクワークを、と思ったが、
 身体が「休める!」と思ったのかどうか、
やたらと眠くて仕方がない。

 お昼を食べたあと眠り、
夜も早く眠ってしまった。

 おかげで仕事ができていないなり。
 困ったことである。

 カラスがかあかあ鳴いている。

 昨日蕎麦屋に行く時に森の中で見たカラスは
巨大に見えた。
 古代の飛竜のよう。

 雨が続く季節の、思ったより
涼しい風情は好きなのだが、 
 今年はちょっと長すぎるようだ。

 二度目に(夜)眠る時、
先日アマゾンのUKから輸入した
Extras
を1エピソード(30分)見る。

 先日の水戸芸術館での打ち上げの時、
吉本の笑いの話になって、
 それはそれでいいけど、
吉本流の笑いだけがこの世の全てじゃないだろう、
と言った。
 
 身体を張った笑いや、
 あうんの呼吸の笑いもいいけど、
 世の中の様々な事象、
とりわけタブーになっていることや、
矛盾が溢れていることについて、
知的に突っ込んでいく笑いも
見てみたい。

 吉本のような関西の流儀を
面白い、というのが、
 ちょうど巨人に対して阪神を
応援することのように
 日本では「政治的に正しい」
ことのように思われがちだけど、
 実はそうすることは
本当に関西のためにはならない
んじゃないかと思う。

 吉本に限らず、現代の日本の笑いは
社会の本当のタブーには目をつぶって
安全圏で遊んでいる
ところがあり、
 その点がイギリスのコメディに比べると
大いに物足りない。

 笑点は好きで、
見ることが出来る限り見るが、時間帯の問題もあり、
子供にもわかる笑いが中心である。
 
 そんなことを書いていて気付いたが、
村上春樹の小説の欠点は、
 大人になりきれていない
ことなのではないか。
 
 その甘ったるい青年の味わいが
文学だという考え方はもちろん可能だけれども。
 
 さてさて仕事。
 とは言っても、身体が重いなり。
 とりあえず、エスプレッソをやや薄めに
入れて、がぶがぶと飲むことから始める。

 がぶがぶがぶがぶがぶ。

 人生がコメディであるとすれば、
カラスがかあかあという時間から起きて
薄味のエスプレッソをがぶ飲みしている
私の人生にはどのようなエピソードが
書かれているのか。
 
 神様の台本をちょっと覗いてみたい。

 がぶがぶがぶがぶ、ちらり。

7月 24, 2006 at 04:45 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/07/23

負け続けている時にこそGファンは心を寄せるべき

ヨミウリ・ウィークリー
2006年8月6日号
(2006年7月24日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第15回

負け続けている時にこそGファンは心を寄せるべき

抜粋

子供の頃、草野球をしていて三振をしてしまうと、次の打席もまたダメなのではないかと思ってしまったものだった。ツーストライクまで追い込まれて、また次の球も空振りするというイメージを持ってしまうと、本当にそのような結果になった。スポーツでネガティヴのスパイラルに巻き込まれるということがどういうことか、幼い私の体験からも納得できる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 23, 2006 at 11:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

心を震わせる表現とは何か?

Lecture Records

『ライフ』展 オープニングレクチャー
茂木健一郎 「心を震わせる "表現" とは何か」
水戸芸術館
2006年 7月22日(土)14時〜15時30分

音声ファイル(MP3, 80.2MB, 87分)

7月 23, 2006 at 11:37 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

クリストのやわらかい手

案の定眠ってしまって、
 水戸に着く少し前で目が覚めた。

 大学があり、そのまわりに
森がある。
 こんな場所を歩いてみたいな、
と思っていたら、大きな池が現れた。

 後で調べたら「千波公園」である。
 
 確かに千の波くらい入るだろう。
 地方、都会と簡単に言うが、
理想は広々とした豊かな空間と
 文化の組み合わせではないか。

 その文化の拠点として水戸芸術館は
特筆すべき成果を挙げている。
 最初に訪れたのは、クリスト
の「アンブレラ」の時だと思う。
 調べてみると1991年のことで、
開館の一年後ということになる。
 
 あの頃の私は、今よりももっと
激しやすく、そして恐らくは偏っていた。
 若さゆえのバランスの悪い
奇妙な鋭さもあったかもしれない。

 30分遅れで到着、高橋瑞木さんと
会場を巡る。

 プロとして作品を生み出している人々と、
様々なハンディキャップの中表現を
いわば自らの運命として選び/選ばれた
人々。

 当初の予定通り、
「二度と同じパフォーマンスはやらない」
マリーナ・アブラモヴィッチの精神に帰依して、
展覧会に触発された問題を話し、質疑応答を
した。

 公演中に予告したように、次の
エントリーでmp3を公開します。

 レセプションにはデザイナーの佐藤卓さんの
姿もあり、
 出品作家を始め、多くの方々と
お話する。

 二次会で高橋さんにエジプトの話を聞き、
やなぎみわさんがいらした辺りで
辞してスーパーひたちに乗った。

 明けて今朝、なんとなく疲れが
出て、昨日買った「阿房列車」を読みながら
ソファに寝転がり、ぼんやりしていると、
 電話がある。

 最初の口調ですでにわかるが、
「茂木さまの自己資金
なしで、賃貸するマンションを・・・」
などという。
 興味がありません、とすぐに切った。

 その後に、また別口のところから
マンションを買わないかコールがある。

 世はバブルから一回りして
再び投機の熱に浮かれているようだ。

 不思議で仕方がないのが、株のネット取引に
熱中する人たち。
 ものの理(ことわり)からして、
全体の利得は平均株価によってキャップされるに
決まっている。
 
 だとすればそれを超えてもうけた分は
他人からの所得移転だろう。

 売買の往復でいずれにせよ手数料収入のある
証券会社は別として、
 個人が投資ならぬ投機をするのは
ゼロサム・ゲーム。
 自分が得をすれば、必ず損をしている
人がいる。

 いわば、不可視な中間層に印象が
和らげられた、追い剥ぎゲーム。

 好きな作家の小説でさえ、十分に読み味わう
ことができないというのに、  
 ライフワークをこつこつと積み上げる
ことにすら四苦八苦しているのに、
 そんなものに人生の貴重な時間を費やしたくない。

 もちろん、何をしても
それは個人の自由である、というのは
お説ごもっとも
 投機が資源の最適配分をもたらす
という経済理論は山ほどあるに違いない。

 しかし、そのような事象に対して
私がどういう印象を持つかというのも
自由なのであって、
 百けん(門の中に月)先生ではないが、
放っておいてもらいたい。

 パソコンで数字の上下に一喜一憂
している様子は、昨日見た水戸芸術館の
作品の佇まいとはよほど違っている。

 アンブレラを始め多くの大規模なインスタレーション
を行い、議事堂を包み、島を赤く取り囲んだ
クリストだが、それほど儲かっているわけではなくて、
今は夫妻で
マンハッタンの小さなアパートに住んでいる、
ということをしばらく前に聞いたような気がする。

 ネット長者とはおよそ違った
生活ぶりである。 
 しかし、それでも好きなことを
やってきた人生に悔いがあるはずがない。

 やせ我慢とかそういうことではなく、
脳の報酬系のダイナミクス(欲望とその充足の
質)からして、そのはずだ。

 1991年、クリストが並べた
青い傘を見に、二度美しい里山に出かけた。

 ぼんやりと眺め、様々なことを受け取り、
 なるほど、傘はキャンバスで、むしろ
里山の方が絵なのだ、と思った。

 たまたま駐車場にクリストその人が
いて、若き感激をもって握手した。

 小柄な人で、とてもやわらかな手だった。

 そのやわらかな手の感触と、
昨日見た
高橋瑞木さんのキュレーションによる
Life展の作品は、心の中で似たような場所にある。

 一方、今朝電話をかけてきた投資マンションの
男や、デイ・トレーダーのメンタリティには
目をそむけたくなる。

 もちろん、だからと言って、電話で勧誘する男も、
デイ・トレーダーも、それぞれの生を
ある意味では懸命に生きているということも
わかった理屈である。

 そのような事象がないと、
いわゆる世の中というやつが回っていかない
だろうということも判っている。

 しかし、上野駅で焼きそばをつくって
売っている人の表情や、 
 キオスクのおばさんの見事な仕事ぶりを
ついつい思いだしてしまうのだ。 

 時に、全てを平等に見る神のディタッチメント
を得たいとは思うが、
 何しろ不完全な、死すべき人間のこと。

 私の限りある人生において、
 クリストのやわらかい手の方に
肩入れしてしまうのは仕方がない。

7月 23, 2006 at 11:27 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/07/22

「ほら、やっているよ」

水戸芸術館の高橋瑞木さんから、
「10時のスーパーひたちに乗ってください」
と念を押されていた。

 家をでるのが微妙な時間になったので、
タクシーならば絶対間に合うだろうと
手を挙げた。

 運転手さんが、高速の方が早いという。
ヘンだなあ、と思ったが、
プロなんだからと思い直して、
お願いしますと言った。

 私の家から上野を結ぶと、高速は外れている。
それでも遠回りしてでもそっちの方が早い
ということもあるかもしれない、プロなんだから、
と思って、バックシートで黙って仕事をしていた。

 ところが、なかなか高速に着かない。
時刻は過ぎていく。
 高速に乗ったら、今度は渋滞。
 運転手さんは無言。
 あれ、高速を降りたぞ、
と思ったら、
 なぜか神宮外苑のあたりを
走っていた。

 素直に下を走っていれば、今頃
文京区のあたりだったはず。

 参ったなあ、と思いながら、
高橋さんにメールを送った。

 高橋さま

本日、何卒よろしくお願いいたします。

まずはお詫びを。乗ったタクシーがわけのわからない
人で、変なルートを通って渋滞にまきこまれ、
おそらく10時のスーパー日立に間に合いません。
10時30分のでいきます。すみません。
(今皇居のあたりです)

また、今日は、「パワーポイントなしで」自由に喋った方が
良いという考えに変わったので、
そのようにご用意いただけますでしょうか?

よろしくお願いいたします。


茂木健一郎拝

 危機管理の鉄則は、最悪の
事態を想定して心の準備をしておくこと
だと思っている。
 もう間に合わない、と開き直って、
仕事を続けたが、なんだか腹
の底がぷすぷすとくすぶっている。

 ああ、これは久しぶりにバランスを
崩しそうだな、と思った。

 上野駅で降りる時文句の一つ
も言おうと思ったけれども、
 ミスジャッジメントは意図的なもんじゃ
ないんだからと、 
 黙ってお金を払い、
 しおれた気持ちで30分遅れの
切符を買った。

 それでも、10時の特急に乗りたいと言って
いたのに、運転手さんが説明も侘びも
しないのは、どうかと思った。
 おそらくきまりが悪かったのだろうけれども。

 何となく阿房列車が読みたくなって、
上野駅の構内の本屋で探したら、
新潮文庫のがあった。

 『第一阿房列車』の表紙では、
百けん(門の中に月)先生が
鉄道の制服、帽子をまとい
しかめ面で「はと」のヘッドマーク
の後ろに写っている。
 その写真を見たら、
 「ほら、やっているよ」と
何だかほんのりと笑ってしまって、
 それで精神の
 バランスは戻った。

 でも、念のため、
心の平穏のために苺チョコレートと
スターバックス・ラテを買った。

 この日記は基本的に明るいことを書こう
と思っているが、
 私だって人間、いろいろな苦りはある。

 今朝は百けん先生のお姿が悪魔払いを
してくださった話をご披露した次第。

 フレッシュひたちは動き出した。
 水戸では元気にやることにします。

7月 22, 2006 at 10:36 午前 | | コメント (17) | トラックバック (2)

(本日)水戸芸術館 「ライフ」展 Opening Lecture

水戸芸術館

『ライフ』展
オープニングレクチャー
茂木健一郎 「心を震わせる "表現" とは何か」
2006年 7月22日(土)14時〜15時30分 *開場13時30分
会場:水戸芸術館ACM劇場/定員:300名/料金:500円
*チケットは当日券のみ(整理番号付)を 9時30分よりエントランスホールチケットカウンターで販売します。

http://www.arttowermito.or.jp/life/lifej.html

7月 22, 2006 at 08:02 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

金魚はぱくぱく

 内田百けん(門の中に月)の名作、
『阿房列車』は、冒頭、百けん先生が
 大阪に行く金策をするのだけれども、
 ただ大阪に行って、そのまま
帰ってくると貸し主に言う。
 泊まらないのですか、
と相手が聞くと、
 お金があったらそのまま帰ってきます、
お金がなかったら泊まるかもしれません、
などと言って、相手が「わかりませんな」
という。

 私も完全な阿房列車と化した。

 電通の佐々木厚さんにお誘いを受けた
研究会に出席するために、
 再び名古屋に日帰りする。

 ここのところ、何回東海道新幹線に
乗ったことだろう。
 通勤で東京から新大阪を毎日往復している
人は、この日本に一人くらいはいそうだ。

 佐々木さんが新幹線の前で
ビールと弁当を持って待っています、
というメールを励みに、
東京駅近くで二件のミーティング。 
 JR東日本の方と、
それからドキュメンタリージャパンの
方々。

 煙草谷さんとお会いするのは
土曜塾以来だ。

 「この前、高橋理さんと、煙草谷さんが
JTの就職面接に来たら、絶対に落ちないだろう、
という話をしていたんですけどね」
 「私も、実は、就職いよいよどこも
なかったらJTを受けようと思っていたんです。」
 「高橋さん、土曜塾から「ためしてガテン」
に異動されるようですね」
 
 などと煙草谷さんと話していた場所が、
丸の内ホテルのシガーバーであったというのは
ちょっといい感じである。

 研究会の前後は新幹線の中で
佐々木さんとビールを飲み、弁当を食べ、
眠る。

 睡眠新幹線。お陰で、このところの
睡眠不足が少しは解消したように思う。
 
 どれくらい眠っているのですか、
と良く聞かれる。
 5時間くらいかな、と答えると、
この前、人間、睡眠時間が短いと
寿命が縮むそうです、と言う方がいた。

 だからというわけじゃないけど、
新幹線の中で眠りました。

 人から何かを言われる、
というのは時に我々に
影響を与える。

 以前、通りすがりの
おじさんに、「あんた、椎名誠に似ているなあ」
といきなり言われたことがあった。

 その後、おじさんは、「もっとも、
あんたはちょっと肥えとるけど」
と付け加えた。

 そのオチが面白いので、ここのところ、
講演で自己批評の話をするときに
 「ちょっと肥えとるけど」の
おじさんのネタを使っている。

 京都の居酒屋で、「兄ちゃん、刹那って
知っているか」と議論を持ちかけられた
こともあった。

 なんだか、いろいろな人に様々な
ことを言われた思い出が交錯する
朝なり。

 「肥えとるけど」おじさんを思い出して、
腕立て、腹筋をした。

 話は変わるが、他人に何かを
強制しようとする人が苦手だ。

 英語でin your own timeとか、
at your leisureといった表現があるが、
 他人に何かを要求するにしても、
薦めるにしても、その人がそれを望んでいるのか、今
欲しいのか、
 スペースを与えない感じというのが
どうにも苦手である。
 
 でも、そのスペースを与えない
人というのは案外世の中にいるもんである。

 スペースがないと、金魚はぱくぱく
苦しくなってしまうのです。

 もちろん、編集の方々からの
締め切りのご連絡は最大限に尊重いたします。

 今日も水戸に阿房列車。

 眠って乗り過ごさないように、
ビールは飲まないこととする。

7月 22, 2006 at 08:01 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/07/21

尽きることがないんだ

 京都から新幹線に乗った。

 本を読んでいたが、眠くなる。
Tシャツだとちょっと寒々しい外の風景。
 毛布をもってきて被った。

 新幹線の中で眠りながら、東海道を
びゅんびゅんと飛んでいく。

 PHPに行くとき、「半蔵門」
というといつもよくわからないところに
ついてしまう。
 見当識の喪失。電話をして、
やっとわかった。 
 
 研究所へ。
 ゼミ。
 恩蔵絢子さんが、報酬系の論文。
 張キさんが、視覚系の神経活動の
うち、無意識の認識にかかわるものを
fMRIで画像化した論文。

 大塚まりさんと、幾つかの未処理の
案件を片付ける。

 8月のECVPの際のロシア行きの
ビザとかフライトの話。

 関根崇泰がマジメに論文を
書く、「決起集会」にしようと、
あさりへ。

 ビールで乾杯。
  
 乾杯したんだから、きちんと論文を
書きましょうね。

 私は30分で切り上げる。

 よくある流れ。あさりの
おにいちゃんや、おばさんに、
「先に帰ります」と言って出る。
 向こうも慣れたもので、
「あら、どうもありがとうございました」
てなもんである。

 早稲田大学大久保キャンパスへ。

 池上高志、郡司ペギオ幸夫と
私の3人で、
三輪敬之さん、相澤洋二さんのお二方を
訪ねて議論するという形。

 池上、郡司とは過去何回議論して
きたかわからない。

 私たちの特徴は、会うと顔を
見合わせてにやにや笑い、肩をたたき、
「おまえ、なんだよお」と言って
またふふふと笑うくらい仲がいいのにも
関わらず、議論する時には容赦なくばしばし
言い合うこと。

 郡司が例によってfunctorがどうの
こうのと、形式的抽象世界
の中でいろいろ言っていたので、
 私は、認知の世界をそのような
ものの中にマッピングするのには
とてつもない原理的困難がある、と文句を言った。

 量子テレポテーションとある種の
トランプの手品が形式的に通底している
などと言うから、
 しかし量子テレポテーションの時には
空間的な隔たりという現象論的な性質が
あり、それは形式に落としてしまえば
消えてしまうから、
 その差異を無視することはできないんじゃ
ないかということを言ってすでにごちゃごちゃに
なりはじめた。

 話題はダーウィンの問題になり、池上と
郡司でいっしょになってダーウィン的なものを
否定しようとしているように聞こえたから、
 ダーウィニズムというのは、ニュートン主義、
時空主義の部分集合じゃねえか、
 ダーウィンを叩くのは相手を間違っている
んじゃないか、
 郡司はデジャヴなどと良く言うが、
その存在論的、認識論的ステータス如何
などと。

 そしたら池上が、ダーウィンが偉いのは
生成、起源の問題を初めて論じたことであって、
その意味ですでにニュートン主義からの逸脱の
萌芽があるんじゃないか、というようなことを
言った。

 この点については私もいろいろ
思うことがあり、しばしば赤ワインとビールと
シャンパンをチャンポンにして飲んで
考え込んだ。

 相澤先生はにこにこ笑っていて、時折
スルドイツッコミを言う。
 三輪先生はすべてを取り仕切っていて、
「おもしろいなあ」と繰り返す。

 しかし、郡司、デジャヴと言っても、
その時に人間が感じている現象論的な
属性は、脳のさまざまな部位の活動
のシステム的組み合わせから生成される
ものであって、 
 それをヘタな形式に落としたとしても、
いわば思考のモノカルチャー、
 貧しい世界へ行ってしまうんじゃないか、
と文句を言う私。
 
 それに対して郡司は、いやあ、そんな
ことはないと思うよ、質料を前提にしてしまって
いては、問題は解けないんだ、
と言うから、それはそうだと思う、

 議論はうねうねぐねぐね
外は雨。

 シンデレラの時間が近づき、
 池上高志と先に帰った。 
 二人で高田馬場まで歩く。

 久しぶりにしんみりと話したような
気がする。

 こういうことを議論していると、
 いつも同じ難しいところにぶつかって、
そこで途方に暮れてしまう。
 でも、そういう問題を避けて通っている
よりはましだ。
 
 そういう動かし難い奇っ怪な岩山が
概念世界に立ちはだかっている、
そのことに気付いている、忘れることが
できない、そういう仲間がいるということは
本当に有り難いこと。

 また池上や郡司と竹富島に行って、
徹底的に3日でも4日でも話し合いたい
なあと思う。

 対象がでかく、深すぎて
いくら議論しても尽きることがないんだ。

 会を主催してくださった
三輪先生、相澤先生ありがとうございました。

7月 21, 2006 at 07:58 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/07/20

空白の密度

関西生産性本部主催の会で
『脳と創造性』についてお話するために、大阪へ。

 同じ、あるいは似たようなテーマで
何回か話していくうちに、少しずつ
語り方や、素材が変わっていく。

 お話しているうちに、
論理がクリアになったり、
結びついていなかったものがつながったり、
 今までにない視点を発見したりする。

 原稿を読んでいるわけではないから、
その場で生成されているものだから、
 話すということは実は創造すること
なのだ。

 「脳」整理法でも書いたことだが、
 相手に向かいあってコミュニケーションしている
うちに知らず知らずのうちに
 新しい自分が創造されていく。

 講演会で話している最中に、
というのは、まさに短い時間における
メタ認知、暗闇への跳躍の機会であって、
だから、自分が考えていることについて
お話するというのは、一方的に
情報を与える、というのとは違う。

 京都へ。 
 ブライトンホテルに荷物を置き、
比叡山延暦寺への山道を登っていく。

 実は中学校の修学旅行以来ではないかと思う。
あの時は路肩にたくさんの猿がいた。

 雨は上がったが、「自生の猿に注意」
という看板が目立つだけで、
 「ご本人」たちは一向に見えない。

 東塔の第一駐車場に着き、
橋本麻里さんに「着いた」と連絡。 
 織田信長が比叡山を焼き討ちした
事件についての看板を眺めていると、
タクシーが停まって見覚えのある姿が。

 「あれ、内田先生も今到着ですか?」

 やがて、マイクロバスが近づき、
橋本麻里さんに導かれて、
先着し、いろいろと
お参りを済ませた一行が降りて来た。

さあて、打ち揃いし面々は、
内田樹さん(フランス思想)、
原研哉さん(デザイナー)、
杉本博司さん(現代美術家)、
小柳敦子さん(ギャラリー小柳)、
千宗屋さん(武者小路千家次期家元)、
黒川由紀子さん(臨床心理士)。

 天台宗開宗1200年を記念して
行われる能と狂言の会『至高の華』に
橋本さんに誘われて(そそのかされて)
集まった面々である。

 夕闇が次第にあたりを濃く染めていく
中、根本中堂へ。

 開演まではまだしばらくあるが、
このメンバーだと、座談が
とてつもなく面白い。

 座談というのはこの上ない知的遊戯。
 話題の選び方、間の取り方、
ひねり、うけ、飛ばし、かしげ、
たわみ、のばし、放し、つかむ。

 原研哉さんに、最近
考えていらっしゃるという「白」や「しわ」
の話を聞く。

 publicにはembargo前だろうから
詳細は約すが、原さんの目の付け所は
相変わらず鋭く、興味深い。

 内田さんとは四方山話をする。
 あちらこちらに飛ぶ話をすると、
とてつもなく面白い人だということを
徐々に学びつつある。

 反射神経、跳躍力抜群。
 これも武術の鍛錬による身体性、精神性か。

 内田、原、茂木を引き合わせるのが
一つのねらい、と常々言っていた
橋本麻里さんの慧眼に感謝。

 根本中堂へ。

 千宗屋さんは、比叡山の得度した
僧侶でもあり、僧服に身を包んだ
姿は堂に入っている。
 
 ありがたくもいろいろ教えてくださる。

 普通のお堂は仏さまを見上げて拝む
かたちになっているけれども、
 比叡山では衆生と同じ高さにあって、
僧侶たちが間にある
「奈落」と言って良いほど低い広間に
座して勤行する、ということを
初めて知った。

 根本中堂は国宝にして世界遺産。

 言うにいわれぬ伝統に満ちた
お堂にて、古来の舞曲が、今まさに。
 はじまる。

 梅若六郎さんによる『翁』。
 野村万作、野村萬斎による『大黒風流』。
 
 僕は、笛の音を驚くほど間近に聞きながら、
文化のエコロジー、情報の遮断ということについて
何とはなしに思いをふわふわとさせていた。

 そんなことを考えたのは、座談の折に、
浄土院で十二年間結界の外に出ずに
最澄の御廟所にて奉仕する、侍真僧のことを
耳にしていたからかもしれない。

 橋本さんたちは、私が到着する前に
現在の侍真の方に会って話を交わしたらしい。

 帰りのタクシーの中で、
千さん、橋本さん、原さんと乗り合わせ、
詳しく聞いた。
 侍真の方は、期間中、本当に
外に出ないらしく、  
 当代は、原さんたちによると、
中沢新一さんに似た面構えだという。

 僕は、空間的な立て籠もりは
さることながら、
 情報において隔離されることの
意味が重大なのではないかと思って、その
あたりのことをいろいろと伺った。
 テレビもなし、新聞もなし。
おそらくは世話をしにやってくる
僧侶たちと交わす言葉だけが
唯一の情報源だろう、とのこと。

 だとすれば、オウム真理教事件も、
イラク戦争も、インターネットも
ご存じない、ということかもしれない。

 そのことが、現代においては
かえって光り輝く宝石のように
まぶしく感じられるのはなぜか。

 千さんは二ヶ月山ごもりした時、
時折落ちていた古新聞を拾い、
 そのわずかな情報からむさぼるように
吸い取ったというが、 
 情報を絶つことによって生まれる
飢餓感というのは大変なものだろう。
 
 その空白の密度にかけて、
私も少し情報断ちをやってみようかしらん、
などと夢想する。

 精神にとって
 全てはコントラストであるし、
空白は必ず自発的妄想によって
埋め尽くされるものであるから。

 何もない砂漠と密林の豊饒は
実はぐるりと裏でつながっている。

 さてさて、俗世間へと降り、
 はらぺこの一同が会したのは、
祇園花見小路の「楽楽」。
 
 一歩入って、おや、と思った。
 座敷に上がり、御主人の中田智之さんに
伺うと、やはり以前「常や」だったところ
である。

 おしら様哲学者、塩谷賢と通った店で、
なつかしい。

 食事をしながら、座談の続き。

 杉本博司さんのウィットに富む毒舌を
楽しむ。

 杉本さんの「海」の写真が、最近ニューヨークの
オークションで6000万円の値がついた
という話題に。

 小柳敦子さんが、「うちは直で仕入れて
いますから、いくらオークションで値が
上がっても、関係ありません!」
とビールを飲み、断言する。

 杉本さんの毒舌に導かれ、美術業界、
世間一般について、とても
面白い話がいろいろ出たのではあるが、
ここに書くことができないのは
まことに残念なことではある。

 毒は時と場所を選んで処方すべきものであって、
タレナガシするものではありません!
と賢き方のお声がどこかから聞こえ
るような気がいたします。

 再会を約して解散。

 明けて今朝、
 東京に帰る。
 ゼミをする。
 研究室の面々に会って
議論するのが楽しみ。

 情報遮断、空白の間合いについては、
継続して考えることにしよう。


高橋瑞木さんから、今度の土曜日、
水戸芸術館の
オープニング・レクチャーについての
問い合わせ。

 大切な機会だから、美や人間の根本に
ついて考える時間としたい。

7月 20, 2006 at 07:21 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/07/19

時にとても大変だ

昨日はちょっとタイトな日だったのだ。

 朝早く、研究所へ。
 TBS「王様のブランチ」の取材。  
 新潮新書『ひらめき脳』と
セガの「アハ体験」の両方に関して
いろいろお話する。
 新潮社の町井孝さん
がいろいろ画策してくださった結果なり。

 ディレクターの東海林和美さんが
ピエール・マルコリーニのチョコレートを
持ってきてくださった。

 仕事の合間に私が食べる、という
リサーチに基づいてのうれしい
お心遣い。

 本やゲームより、チョコレートが
売れてしまったらどうしよう。

 新潮社の金寿煥さん
といっしょに聖心女子大学まで移動。
 車中、打ち合わせなどする。

 4月からやってきた「現代の脳科学」
の授業も、今日の試験でおしまい。
 始まりのチャイムがなると、鉛筆の音が
一斉に聞こえ始めた。 

 カタカタカタカタ

 カイコが一斉に葉っぱを食べているよう。

 研究所に戻る。 
 ソニー本社で中鉢社長と
お話する。

 品川駅へ。

 橋本麻里さんから送っていただいた
新幹線のチケットを使えないことが判明
して、もったいないからと、一瞬
中央改札の外で待ち合わせて渡す。
 
 新幹線改札口へ。アスコムの新井晋さん、
柳千絵さん、媒体計画の山本貴也さん、
NHKの高橋理さん、福島昭さん
Mosaicの神田賢人さんなどと待ち合わせ。
  
 新幹線の中で、メールをチェックしたら、
羽生善治さんとの対談をまとめるのを
橋本さんにお願いしました、というメールが。
 さっき会ったばかりなのに、知らなかったぞ、
なあんだ、と思う。

 小田原から仙石原の養老孟司さんの
「バカの壁」ハウスへ。

 養老さんと対談。
 いただいたレジュメには、いろいろ
書いてあったが、養老さんのこと。
 (1)そもそも読んでいるか
 (2)読んでも、その通りにするか
という二つの関門があるから、
 どうせどうなるかわからない、と
思っていた。

 案の定そうだった。
私は、一応、世間の人が喜びそうな
ことを言う準備はしてあったのだが、
養老大先生は、いつものように
ひんやりとするようなリアリティ
の溢れるお話で、
 ああすればこうなるじゃなくて、
なるようにしかならない、
という態度を子育てや教育においても貫く。

 どうも、養老先生が隣りにいらっしゃると
私の過激な部分が活性化するようで、
 いつもは言わない本音のようなものが
ぽろぽろと出てしまった。

 途中で、高橋理さんから
「あまり飛ばさないでください」という
カンペが出ているんじゃないかと思ったが、
よく考えたら対談と写真を撮るだけで
カメラは回っていないのだった。

 課題は「大人の議論」の空間を
どう構築するか、ということだと
思う。
 今、世間に溢れているのは
批判するにせよ、ポジティブ・シンキングで
行くにせよ、単純化した子供っぽい
言説。

 養老さんが、
「この前テレビ見ていたら、魚を
食べると頭が良くなる、なんてことを言って
いたんだよ。そんなもん、食べたければ食べれば
いいし、魚がなければ他のもんを食べるしか
ないだろう。以上、おしまい。」
と言われていたが、

 「魚を食べると頭がよくなる」
に類した「そんなわけないだろう」という
ツッコミを入れたくなる言説が
むしろ大量消費品になっている。

 養老先生との対談を終え、近くの
ホテルに移動。

 布施英利さんも加わって、
文藝春秋の飯沼康司さん、松下理香さん同席の下、
「養老先生はどういう先生か」
「教育とは何か」
という鼎談。

 この三人で顔を合わせてきちんと
話すのは初めてである。

 布施さんは、養老さんのいられた
東大医学部に10年もいらしたとのこと。

 本物の養老さんの弟子である。
 私の方は1997年に『脳とクオリア』
の書評を養老さんが読売新聞に書いてくださったのが
最初の接点だった。

 どうしたら、大人の議論が構築できるのか、
そんなことをずっと考えていた。

 布施さんが指摘したように、
ピカソがそうであったように、
子供のような絵を描くということは
一つの目標でありうる。 
 そこで、養老さんが、「一度成熟を通過するんでしょ」
と言われたが、
 世界の様々なことを引き受け、総合的に
見ることを知っている大人の成熟の中に
ある子供らしさは好ましいものだと思う。

 明けて今日は関西へ。

 ヘンな夢を見た。どこかの学校にいたら、矢を飛ばす
のが得意なところで、時間がくると、
誰か一人のところに飛んでくる。

 オレのところにくるだろうな、と思っていたら、
案の定、ものすごいスピードで矢がびゅんと
飛んで、自分をかすめて壁に突き刺さった。
 
 あぶないところだぜ、全く。直後に目が覚めたから
良いようなものの。

 子供でいるのも、大人になるのも、
時にとても大変だ。

7月 19, 2006 at 10:44 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2006/07/18

江橋節郎先生

江橋節郎先生の訃報に接し、
深い悲しみの思いに打たれ、 
 限りない寂しさを感じました。

 私は江橋先生が東京大学理学部物理学科
につくられた生物物理学三教室の一つ、
若林健之先生の研究室でご指導を受け、
博士号を取得いたしました。
 若林先生は江橋先生の東京大学医学部
時代のお弟子さんで、私は江橋先生の
孫弟子ということになります。
 夏の学校に講師としておいでいただいた時に
親しくお話させていただいたこと、
 学会や生理学研究所での研究会などの折、
その深い学識と温かいお人柄に接し、
 感銘を受けたことなど、思い出はつきません。
 
 ご愛用の丸めがねが製造中止となると聞き、
何十もまとめて注文されたことや、
 生理学研究所に赴任されてすぐ、
道に迷われて、奥様に電話をされ、
「おい、今おれはどこにいるんだ?」
と聞かれたことなど、
 そのユニークなお人柄とともに、
お教えいただいた様々な事柄が偲ばれます。 
 
 余人に代え難いあの独特の佇まいが、
今も私の心の中に鮮明に残っております。
  
 ここに、学問や人生についてお教えいただいた
様々なことに深く感謝を申し上げ、それらを受け継いでいく
ことをお誓いするとともに、
 江橋先生のご冥福を心からお祈りいたします。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0717/002.html

7月 18, 2006 at 06:50 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

調子外れ

 新幹線の中は、Sue Townsendの
Number Tenを読むことで、
 なんとか眠らずに名古屋に着いた。

 名古屋からタクシーで南山中学、高校へ。 

 タクシーの運転手さんが、「よく
わからないから、聞きますわ」と
尋ねた相手が関係者だった。

 会場のホールに着いたのが、30分前。
お昼でも、といわれたが、いいです!
とお断りして、最終的なスライドの
チェックなどをしていた。

 100分間、脳と創造性の話をする。
 人間が不確実性を好むように
なるためには、安全基地が必要なのであって、 
 いかにそれを育むか。

 終了後、自然発生的にサインをさせていただく。

 インタビューを受ける。
高校生向けの、キャリアマガジン用の
記事で、大学生や編集者の
「お目付」がついているが、
基本的に高校生が質問する。
 
 4名の高校生が、それぞれ、好きな
ことを聞いてきた。
 人生いかに生きるべきか、という
テーマだったはずだが、
 「人間は、死ぬ直前にどのような
ことを経験するものなのでしょうか」
とか、
 「友人が、幽体離脱の方法というのを
教えてくれたんですが、本当にそういう
ことはできるのでしょうか」
といった、あまり人生論とは
関係のない方向に話が流れていく。

 しかしまあ、それでいいのではないか、
とも思う。
 「本当に聞きたいこと」を尋ねて
来たのだ。

 小学校の頃、「こっくりさん」というのが
流行って、友人たちと数名で
紙にひらがなを書いて、
 コインを指で押さえて
「こっくりさん、こっくりさん、お入りください」
などと言って、
 指がどのような文字をなぞるか、ドキドキ
しながら見ていた。

 もちろん、今では無意識のプロセスとして
の科学的説明が可能だけれども、
 子供にとって、自分が生きている
生活空間のすぐ横に全く異なる世界が
ぽっかりとあるという感覚は、何とも
形容しがたいスリルに満ちあふれた
ものであった。

 そのような感覚がプラクティカルな意味での
「人生論」とはずれる、ということを、
大人は判断できるけれども、
 高校生にとって、「死ぬ時はどんな
体験をするのか」「友達の言っている
幽体離脱の方法は、本当か」といった
質問は、どこか微妙なところで人生論の
ど真ん中にあるのだろう。

 京都大学の霊長類研究所に
いる内山リナさん(元東工大)と、
 サワダさんが来て、
意思決定のメカニズムの議論を少しする。
 内山さんが元気そうで、良かった。

 大雨の中、名古屋駅へ。
三連休の最後だからか、新幹線が珍しく
一杯で、
 しばらく先までとれなかったから、
切符を買って、
 それから、「なご屋」という
ラーメン屋で味噌ラーメンを注文し、
食べ終わる頃何となくそんな気になって
餃子と生ビールのセットを頼んだ。

 美しい順番は逆だと思うが、
そういう風になってしまったんだから仕方がない。

 そもそも、
ラーメンを食べてしまおうと思ったのは、
新幹線が満席で、 
 ぎゅうぎゅう詰めの中で
弁当を食べるのは何となく気詰まりだ
なあというイメージがあったからで、
 最初から流れの調子が外れている。

 新幹線の中で、Sue Townsendを読了。
Adrian Moleで有名になった人で、
今回はダウニング街10番と、私の好きな
イギリス首相ものだったから、
大いに期待したが、 
 Amazonのreviewにもあるように、
傑作とは言い難かった。

 しかし、それでもいい。
 もともと忙しいのに読む気になったのは、
英文の著述を本格化させようという
野望があるからで、
 文体とか、ウィットの密度とか、大変
参考になった。

 インタビューをした高校生の
一人が、「オレは俳優になりたいんです」
と言っていた。
 なれるかどうか、わからないが、
プラクティカルな人生論のちょっと横に
あるそのような領域に引き寄せられていくのは、
大いに結構じゃないか。

 幽体離脱とか、こっくりさんとか、
そんな仕方がないことに関心を持つのは、
精神の若さの証拠じゃないか。

 人生の本質は、案外調子外れの
中にあるんじゃないかと思う。

もっともバランスは崩してはいけない。

7月 18, 2006 at 05:02 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006/07/17

本当は、もっとゆっくり

 時間がないので
芳名録のようではあるが、
 ベーシックな流れだけを記す。

 日本認知行動療法学会は、
イタリアで始まったメソドロジーを中心に
展開、研究されている研究者の集まり。

 会場の福岡国際会議場には、
静岡から、冑仏研究家の河村隆夫さんの姿もあった。

 一時間話した後、シンポジウム。
 合間に、会場で紀伊国屋が本を売っていたので、
サインをさせていただいた。

 椎名誠さんからお電話がある。 
 仕事関係のお話。
 心がほかほかした。 

 西鉄グランドホテル近くで、
九州大学のユーザーサイエンス機構の
坂口光一さん、田村馨さん、
藤枝守さん、目黒実さん、清水麻記さん、
石田陽介さん、
ジーコムの神崎依子さんと議論。

 河村隆夫さんも参加
される。

 その後、現代思想編集部の栗原一樹さん
日本認知運動療法学会の
森岡周さん、小鶴誠さん、
デザイナーの平松暁夫妻などがいらして
とてもにぎやかに。

 最後は、屋台でラーメンを食べた。

 明けて、新幹線で名古屋に向かっている。
寝過ごして、気付くと東京、
講演開始時間はとっくに過ぎて・・・
なんてことにならないか、とても
心配。
 
 朝ご飯にはめんたいこが
二つも入ったからしめんたい弁当を
買ってご機嫌なのだ。

 今は小倉に停車である。
 母の故郷。
 子供のとき、よく帰省した
なつかしい場所。 
 
 本当は、もっとゆっくりと訪れたい。

7月 17, 2006 at 08:06 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2006/07/16

「老い」を吉本隆明と語る

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月30日号
(2006年7月15日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第14回

「老い」を吉本隆明と語る

抜粋

 今にも雨が降り出しそうな曇天の下、編集者と東京大学の赤門前で待ち合わせた。吉本さんのご自宅は、そこから車で5分ほど。学生時代慣れ親しんだ風景が、その日はいつもと違った意味を秘めているように映った。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 16, 2006 at 09:29 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

私の「今、ここ」は

  インターネット時代のパラドックスの
一つとは、
 情報空間内ではいくらでも自由に動けるのに、
身体は相変わらず「今、ここ」
に縛られていることの中にあるのではないか。

 情報の自由に比しての身体の
不自由はまことに味わい深く、香ばしく、
しかし自由と不自由の距離が銀河の
ごとく離れ始めるとき、私たちの
魂は切ないきしみを立て始める。

 佐々木かをりさんとは、
対談などで何回かお目にかかっている。
「国際女性ビジネス会議」は
佐々木さんが主催されて、今度で
11回目。
 
 ビジネスウーマンが1200名会場を
埋め尽くした様子は実に壮観。
 5%のマイナリティと化した男性たちは
どことなく心細そうである。

 私も珍しく少し緊張していた。
 緊張とは、つまり、自分がどのようなモードで
接すれば良いのかわからない、ということ
から生まれる。
 だから、スピーチの冒頭に
「いやあ、こんな時は少し緊張しますね」
とあえて口にして、会場が笑って、
それからおもむろに本題に入ることにした。

 もちろん、計画などない。その場の
即興である。
 
 10分遅れで始まったのだが、定刻に
終わらせた。
 その分さぼろうというのではなくて、
 話の密度を濃くして、タイムキーピングに
貢献したなり。

 私の次のスピーカーが
WHOの進藤奈邦子さんで、
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録以来久しぶりにお目にかかった。

 進藤さんは、私のことを、「先輩!」
と呼ぶ。 
 学芸大学付属高校の同窓だからである。

 佐々木かをりさんも、進藤奈邦子さんも、
とにかく元気だ。
 ひょっとしたら、本当に、現代は
女性が元気な時代なのかもしれない。

 佐々木さんが強調されていたように、
 会場にたくさん人が集まる、
ということの効果は確かにあって、
こればかりはどれほどインターネットが
発達しても、価値が減ずることはない。

 ネットの上ではどこでも飛べるということの自由
と、自分は常に「今、ここ」にしかいることが
できないということの不自由。
 その不自由さを持ち寄ってこその
パワーがあるのだ。

 遠い土地に住んでいる人の日常を、
ありありと思い浮かべるということは、
 ネットでその土地のことを調べるというのとは
違う。

 自分の日々が、慣れ親しんだ東京の
この生活空間の中に展開されるのではなくて、
来る日も来る日も、そのまた次の日も、
 遠く離れた風光と潮の満ち干と人々の
さざめきの中に行われ、自分の身体が
それに包まれて時が流れていく、そのような
人生を、我が事として想像すること。

 ホテル・グランパシフィック・メリディアン
の会場を埋めた人々を見ながら、
私はなぜかそんなことを思っていた。

 博多へ。 

 私の「今、ここ」はゆったりと、
じれったいくらいゆっくりと、
 137億光年の宇宙の片隅の小さな
惑星の表面を移動して行く。

7月 16, 2006 at 09:23 午前 | | コメント (9) | トラックバック (4)

2006/07/15

魂の清涼剤

 現代において、明示的な意味で
人類の知の全てを引き受ける、ということは
とても不可能だ。
 
 たとえば、脳科学という科学の一分野
だけをとってみても、
 そこで得られている知見を全て
フォローするなど、できる仕業ではない。

 生ける百科全書派は存在しないのだ。

 だから、世界全体を引き受けるという
作業は、「感情」の部分でやる
しかない。

 自分という存在が、137億光年の
大きさを持つ宇宙の中心にいるところを
思い浮かべ、
 その時のうわーっという
感情を忘れずにいる。
 
 世界の中に、ありとあらゆる知が
浮遊し、溶け合い、拡散していく様を
思い浮かべる。
 そのような時にわき上がる感情を
忘れずに生きていることで、
 専門バカにもオタクにも
ならなくて済むのではないか。

 そんな議論を、ここのところ「ちくま」の連載
「思考の補助線」上で展開している。

 その「ちくま」担当の増田健史から留守電。
 
 口調から、これは、「脳」整理法が
増刷になったとか、そういうシンプルな
連絡ではなくて、さてはタケチャンマンセブン、
ややっこしい用件かな、とコールバックしたら、
案の定であった。

 ややこしかったが、
用件自体は直ぐにすんで、月末に
予定しているタケチャンマン、オオバタン
(NHKブックス編集者、大場旦)との
飲み会についての話題。

 「大場さんは、茂木さんがその時までに
約束の原稿を書かないとビールを飲みに来ない、
というのは本当ですか?」
 「本気らしいよ。その、ほら、何ていった
っけ。オレも一応法学士なんだけど、20年前だから、
忘れちまったよ。
そういうのは、カイジョ条件というのか、
テイシ条件というのか。」
 「うーんとですね、カイジョ条件じゃない
でしょうか。」
 「そうであったか、そうであったか。
さすると、月末にビールを飲むという
契約はすでに成立しているのかのう。」
 「ははは。そうではないでしょうか。」

 増田健史(タケチャンマン)は
法学修士(憲法学)である。

 オオバタンとビールを飲むのが
解除条件なのか、停止条件なのかを
議論することが、「世界全体を
感情において引き受ける」ことに
どのように資するのか、
私にもわからない。
 
『ニューロンの回廊』 
の収録は、
デザイナーの滝沢直己さん。

 開始前に、花野剛一プロデューサー
(花野P)と、番組の
行く末についていささかスリリングな
会話を交わす。

 「茂木さん、楽になっていい、とか
思っているでしょう。」
 「そんなことはないですよ! やっぱり、
フォーマットをつくるのは大変だから。」
 「いいんですよ。こっちも一生懸命
やるだけだから」
 「前回から脳の模型を出したけど、
あれは、どうでした?」
 「好評でしたよ。最初はCGを合成
していたんだけど、それも必要ないくらい」

 花野さんは、最初にあった時から
ずいぶん「大人っぽく」なって
きた感じがする。

 やっぱり、人間、苦労は買ってでも
するもんだね。
 
 ゲストの滝沢直己さんは、イッセイ・ミヤケの
チーフ・デザイナーの重責を背負っている
アーティスト。

 その服は、本当に実験精神に満ちていて、
バルーンのようにふくらむやつとか、
麦わら帽子と同じ素材でできているものとか、
靴のモティーフのもの、
寝袋のように前身を包む作品など、
 目からウロコ。
 
 いくつかの作品を実際に着させていただいたが、
身体感覚がばーっと変わっていくのが
自分でもわかった。

 滝沢さんはとても素敵な方で、
話が弾んで、ディレクターの森義隆さん
の予定よりもぐーんと収録時間が延びた。

 日テレ麹町南館を出ると、
しかし空気はまだじんわりと暑かった。

 いつも思うのだが、
今の私の人生のモンダイというものは、
いくつかの文脈が交錯していて、
それらを全て引き受けなければならないということ。

 今日の日記の冒頭で書いたような
ことを真剣に考えざるを得ない必然性が
あるのも、
 おろかにも一生にして三生を経るが
ごとく、を実践しているからだろう。

 研究の方が忙しくなってきた。
 小俣圭から投稿論文のpdfに直したものが
送られてきていて、それを読む。
 柳川透は、論文のrevisionの詰めを
一生懸命やっている。
 そろそろ、須藤珠水の論文も
気になる。
 関根崇泰のボディ・イメージの
話もまとめなければならない。

 相互作用同時性のネットワークにおける
展開についても、水道管(water works)
の中を水がすーっと
通っていくように考え詰めたい。

 神経経済学と今は仮に名前がついている
学問分野を突破口として、確率概念の
支配に風穴を開けたい。

 いずれにせよ、感じるのは自分を棚上げ
するんじゃなくて、すべて自分に引き寄せて
考えなければならない、ということである。

 最近解説を書かせていただいた
河合隼雄先生の『縦糸横糸』(新潮文庫、近刊)
の中にこんな素敵な文章があった。

  さて、その深層心理学であるが、これを創始したフロイトにしても、ユングにしても、最初は自分の心の病を治そうとして、自ら自分の心を分析して成功した(中略)つまり、学問として、できる限り一般的、体系的にまとめあげているが、最初の出発点は、ある人間が自分自身のことをよく理解しようとしてはじめたことである。(中略)深層心理学は他人のことをとやかく言うためではなく、自分を知るために、時がそれがいかに苦痛であっても、役立ててゆくためにできてきたものである。

 自分のことは棚上げして
他人のことばかりあげつらう言説がメディアの
中で目立つ昨今、河合さんの上の文章を
服用して魂の清涼剤としたい。

7月 15, 2006 at 07:36 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006/07/14

『ひらめき脳』12刷

新潮新書 『ひらめき脳』は、増刷(12刷、累計72000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

7月 14, 2006 at 01:15 午後 | | コメント (0) | トラックバック (2)

新潮社『考える人』2006年夏号

新潮社『考える人』
2006年夏号
戦後日本の「考える人」100人100冊

http://book.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji.html

私は辻静雄、開高健、柳田國男について書いています。

7月 14, 2006 at 11:07 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

「脳と創造性」in 愛知

第18回愛知サマーセミナー 

 茂木健一郎 「脳と創造性」

コンピューターにはできず、脳にしかできないこと、すなわち創造性とコミュニケーションについて、それを支える脳のメカニズムをやさしく解説します。

2006年7月17日(海の日)12:30〜14:10
南山中・高校 ライネルス・ホール

http://www.ask-net.jp/summer/search/?e=2006&x=959

7月 14, 2006 at 10:57 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

人生の軌跡の様々よ、嗚呼

ココログのメンテナンスのため、
3日ぶりの更新となりました。

 毎日書こうと、三日分まとめて記そうと、
それをしている間の意識の流れは
同じである。

 いずこも同じstream of consciousnessに載せて
人間はさまざまな「ことのは」を紡ぐ。

 11日、デザイナーの小野塚秋良さんと
対談。

 流行の話になって、「どうも私から見ると、
最近はポロシャツは着にくいというか、
何か「キテナイ」感じがするんですが、
どうでしょうか」
 と伺うと、答えは明確だった。

 「ああ、それは、茂木さんが顔が大きいからですよ。
デカ顔にはポロシャツは似合わない」
 
 「ゴルフウェアなんか着ているおじさんは、
どうもいかがなものか、といつも思ってしまう
のですが・・・」

 「ああ、それは、身体を鍛えていないで
貧弱だからですよ。アスリートが着ると、
ちゃんと似合う。」

 ガーン。
 そうであったか。誠に明快なお答えであった。
 流行の問題ではなく、体型の問題であったとは。
 ファッションとは、己を知ることであると
悟った。
 ゴルフウェアはともかく、ポロシャツが
キテナイと思っていたのは自分のせいだったのか。

 打ち上げは桑原茂一さん、吉村栄一さんも
交えて「たらふくまんま」にて。
 とってもおいしい、たのしい。
ふくよかな時間。

 空けて
 12日、新幹線にて大阪へ。

 指定の席に座り、しばらくぼうっとしていると、
どうもおかしい。
 出発時間になっても、出る気配がない、
ような気がする。
 
 これは、
 ひょっとしたら、
 ことによると、
隣りのホームの列車か・・・
と気付いた時には、もうそっちは動き出していた。

 ああいう時の、一瞬青ざめるような感覚があって、
その後に「またやってしまったぜい」
という後悔が襲ってくる感じは、
何度経験してもイヤなものである。
 
 またもや、自由席に座るはめになる。

 予約していた席には、
もっと注意深いはずの私のドッペルゲンガーが
座って、大阪まで行ったことでしょう。

 これが飛行機ならば、「お客様、この飛行機は
お乗りになる高松行きではなく、帯広行きです」
と教えてくれるのだが。

 大阪大学での集中講義。
 ふたコマというのは本当にあっという間
である。
 人生のひとコマ、授業のふたコマ。
 
 終了後、浅田稔さんのERATOの
プロジェクトに行く。
 しばらく議論した後、
千里中央に出て、
浅田さん、荻野正樹くん、吉川雄一郎くん、
石黒浩さん、吉田千里さんと会食。

 石黒さんがご自身にそっくりに作った
ヒューマノイド・ロボット「イシグロイド」
の話と、荻野くんのお見合いの話で
盛り上がる。

 翌13日、東京に帰る。
 今度は列車を間違えなかった。
ドッペルゲンガーと一致していました。

 NHKへ。『プロフェッショナル 仕事の流儀』
収録。
 
 ロボット技術者の小柳栄次さん。

 小柳さんは、工業高校の先生をしながら、
思い立って三十半ばで大学研究室に通い
始め、五十を過ぎて博士号を取得した
「遅咲き」の研究者。

 異例のスタートながら、今ではレスキューロボットの
研究において世界の最先端を走っている。

 小柳さんの言われていたことで
印象的だったのは、
 「何かを始めるのは努力、継続するのは
案外やさしい。辞めることには勇気がいる」
ということ。

 人生も半ばにして、
 新しいことを始めることができない、
と嘆く人が多いが、つまりは今までやって
いることを辞める勇気がないだけのことではないか
というのが小柳さんの考え方。
 
 確かに、スペースを作らなければ
人生新しいことは始められない。
 辞めなければ、始められない。

 そういえば、私は不意のシュウゲキを受けた。
収録の合間に、いつものように
エッジの電波が届く「お客様コーナー」
にて仕事をしていると、
 後ろから声がかかった。
 振り返ると、NHK出版の大場旦さん。

 いつもはにこにこ大場旦。
 議論をすると、テーブルどすんどすんオオバタン。 
 原稿催促の時は、怪奇オオバタン。

 オオバタンの本の原稿を、私は
ここのところの多忙で一行も書いていないのだった。

 オオバタンが前に座ったので、
私は仕方なく(よろこんで)カレンダーを出し、
オオバタンが眼光するどく見つめる中、
 「いや、美の問題についてはですねえ、
私も深く考えるところがありまして、つまりは
断絶や無限の状況というものをですね・・・」
などと言いながらその場で原稿を書き始め
さえした。

 しかし、そんなことでごまかされるようでは、
ベテラン編集者はやってはいられないのである。
 オオバタンのまなじりはきりきりと鋭角的に
なっていったのだった。

 本当は心優しきオオバタン。
 美の問題について考え、ビールを飲みましょう。
と、ここには書いておくことにする。

 それにしても、
 ここのところ、ちらちらとよぎっている
ある考えがあって、
 それは、つまり、「天才」というものは、
今までにない生命軌道上の動きを試みる
人ではないかと。

 その動きは無駄になる可能性が高いが、
成功して定着すると、人類にとっての
新しい安全基地になる。

 だから、今までにない心身運動を
心がける必要があるのです。

 来週は収録が休みで、VTRの試写も
ないため、打ち上げの時の有吉伸人
チーフプロデューサー(ありきち)
はうれしそうだった。

 一方、住吉美紀アナウンサー(すみきち)
は「明日早くのフライトでパリに入って、それから
10日間、フランスから世界遺産の中継です!」
とそそくさと帰っていった。
 すみきちよ、無事中継を終えて
また『プロフェッショナル』の収録で
会いましょう。

 ありきちっあんは、あれからまたおいしい
お酒が飲めただろうか。
 
 オオバタンの鋭角は鈍角になって
おやすみになったろうか。

 ありきち、すみきち、オオバタン、そして私。

 人生の軌跡の様々よ、嗚呼。

7月 14, 2006 at 08:47 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2006/07/11

(本日)TALK dictionary 小野塚秋良 × 茂木健一郎

TALK dictionary 小野塚秋良 × 茂木健一郎

2006年7月11日(火)18:00〜20:00 (17:45開場/入場無料)
@アップルストア銀座 3Fシアター
東京都中央区銀座3-5-12 サヱグサビル本館
(松屋銀座向かい)

http://61.206.38.13/news/2006/07/post_74.html


7月 11, 2006 at 08:18 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

中央公論 時評 「オフサイド」に見る創造的叡智

中央公論 2006年8月号
時評2006
「オフサイド」に見る創造的叡智
茂木健一郎

http://www.chuko.co.jp/koron/

7月 11, 2006 at 08:13 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ココログ・メンテナンス

ココログのメンテナンス
が2006年7月11日(火)14:00〜
2006年7月13日(木)14:00
に行われるため、
この間、本ブログは更新されません。
また、コメント、トラックバックの受付も
できません。
閲覧は、通常通りできる予定です。

詳しくは上記リンクをご覧ください。

7月 11, 2006 at 07:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

水戸芸術館 「ライフ」展 Opening Lecture

水戸芸術館

『ライフ』展
2006年7月22日(土)〜10月9日(月・祝)
(月曜休館)

オープニングレクチャー
茂木健一郎 「心を震わせる "表現" とは何か」
2006年 7月22日(土)14時〜15時30分 *開場13時30分

http://www.arttowermito.or.jp/life/lifej.html

7月 11, 2006 at 07:23 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 仕事の流儀 羽生善治

プロフェッショナル 仕事の流儀 第20回

直感は経験で磨く

〜棋士・羽生善治〜

25歳の若さで前人未踏の7冠を達成。現在も3冠を維持し、将棋界のトップを走る“勝負師”羽生善治。10代のころから天才と呼ばれ続ける羽生だが、7冠を取った後、次第に戦績を下げ2年前には1冠にまで落ち込んだ。そして35歳になり羽生は、新たな境地で将棋に臨むようになった。「勝ち負けだけにこだわらず、生涯をかけ自分の将棋を極める」かつて羽生は、「才能とは」と尋ねられると、「一瞬のひらめき」だと語っていた。しかし今は、こう答える「才能とは、情熱、努力を継続できる力だ」。 番組は、ふだん見たことのない棋士・羽生善治の日常に密着する。対局の日、渋谷駅から将棋会館までの2㎞の道のりを歩いて向かう姿。対局の合間、夕食をとるために離れたレストランに人知れず向かう姿。素顔の羽生を追いながら、決断する際の精神コントロール術や、対局を見極める眼力などにも迫る。

NHK総合
2006年7月13日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

7月 11, 2006 at 07:17 午前 | | コメント (2) | トラックバック (4)

ナマコがナマコとしての生を全うしているように

それがどんなことであれ、
結局は
 「よりよく生きる」
 「十全に生きる」
ということなのではないかと最近感じている。

 たとえば、海の中のナマコがナマコと
しての生を全うしているように、
 人間もまた、それぞれの生を
充実させるしかないのだ。
 
 「抽象的」な人間の知的活動、文化の創造も
また、
 結局は「生きる」ということに
つながっているのだろう。
 
 ブルーバックス「アインシュタインの世界」
の中で、
 著者のインフェルトが、アインシュタインは
死ぬまで頭の中でジャズ・ダンスを踊って
いたような印象がある、というようなことを
書いているが、
 多くの天才たちは頭の中で
十全と生きることで、創造を成し遂げて
来たのだろう。

 東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。
 今年度の大学院入試関連の業務。

 小俣圭の論文を読みながら行く。

 すずかけ台キャンパスの木々は
いつ見ても勢いがあり、
 ああ、こういう景観はいいなあ、
と思う。

 青土社の
『食のクオリア』について。
 青土社の今岡雅依子さん、
コピーライター/シナリオライターの
 中田満之さん

 どんなに文化が発達したとしても、
結局、人間は食においては自然に頼るしかない。
 先日お目にかかった嵐山吉兆の徳岡邦夫さんも同趣旨のことを言われていたが、
 結局、おいしさとは、自然の力のこと。

 何事も人智でなさんとする現代人にとって、
食が一つの盲点なのも、当然のことだろう。

 鳥居坂の国際文化会館へ。
 新潮社『考える人』の創刊4周年の行事。

 養老孟司さんの講演を聞く。
 布施英利さん、ユニクロの柳井正さんの姿も。

 祝賀パーティー。
 さすが新潮社、『考える人』
だけあって、
 各界の実に多才な方々がいらしている。

 椎名誠さんとお話する。
 椎名さんは真っ黒に日焼けして、
まるで漁師のようだった。

 パーティー終了後、新潮社の
葛岡晃、北本壮、金寿煥、森史明の
面々と飲む。

 どうも、このあたりが出版界に
おける「極悪グループ」のようである。
 うーむ。

 さて、今日も頭脳も身体も
イキイキと生きることを
心がけることにしよう。

7月 11, 2006 at 07:12 午前 | | コメント (9) | トラックバック (4)

2006/07/10

日本認知運動療法学会

2006年7月16日(日)

福岡国際会議場

13:00〜
特別講演2「脳とクオリア」
茂木健一郎(ソニーコンピューターサイエンス研究所)
15:00〜
特別鼎談 「意識の宇宙:脳科学と臨床現象学の架橋」
ファシリテータ 河本英夫(東洋大学)× 加藤 敏 × 茂木健一郎
総合司会 宮本省三(高知医療学院)、森岡 周 

http://www.ctejapan.com/syukai/syukai.html

7月 10, 2006 at 02:20 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

国際女性ビジネス会議

国際女性ビジネス会議 

ホテル・グランパシフィック・メリディアン
2006年7月15日(土)10:10〜11:00
茂木健一郎 脳科学から見た人間の無限の可能性

http://www.women.co.jp/conf/program.html

7月 10, 2006 at 12:13 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ヨミウリ・ウィークリー 川人編集長のブログ

ヨミウリ・ウィークリー、川人献一編集長
のブログに、先日の東京ブックフェアでの
トークショウの模様が書かれています。

http://yomiuriweekly1.hontsuna.net/article/1733671.html 

7月 10, 2006 at 08:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

衝突コソガ人生ダ

 渋谷のハチ公前で、
NHKの細田美和子さんと待ち合わせ。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のロケ。

 いつもしているように、街中を歩きながら、
立ち止まって考えたり、本を読んだり
しているところを撮る。

 「お休みのところ、すみませんねえ、
茂木さん」
 「いえいえ。何しろ、細田さんにとって、
ディレクターとして最後の番組ですから」
 「そんなことを言わないでくださいよ。
さびしくなるじゃないですか」

 日曜日の渋谷、原宿は
たくさんの人出。
 
 その中を、歩き、撮られる。
 
 撮影が終わって、カメラを持たせて
いただいた。
 10キロ。
 私のリュックも同じくらいの重さだけれども、
片手で持つところが違う。

 「今日は、これからお仕事ですか?」と
細田さん。
 
 「そうですね、それと、久しぶりに
少し走ってみようと思うんです。いつも
リュックをしょっては走っているんですけど、
それだとあまり喜びがないんですよね」
 「ああ、移動の時ですね。ジョギングは、
どこを走るんですか?」
 「家の近くの公演と、森です」
 
 細田さんたちに別れを告げ、
明治神宮の森を抜ける。

 歩きながら考えるのは、何よりの快楽である。
 最初のうちは、自然と最近の人生の
さまざまなことが頭をよぎり、
 ああでもない、こうでもないと思う。
 
 それから、次第に、本質的な問題群が
心を占めるようになってくるのだ。
 みそぎを済ませてから核心に
至る。

 結局ジョギングは、30分くらい。
 久しぶりにのびのびと身体を
動かしていると、
 内側からリズムが立ち上がってくる。

 朝起きて、イタリア対フランスを
見ていたら、
 ジダンが頭突きをして
退場した。

 冷静沈着だと思っていたジダンが、
頭をぐんとぶつけて、相手のディフェンスを
倒した。

 その前の、キーパーに取られてはしまったが
矢のようなシュートと合わせて、
今回のワールドカップを象徴する
イメージになった。


 ボールにもあたまをぶつけ、
相手の胸にもあたまをぶつける。

 サッカーは衝突の芸術なのだと悟る。
 
 『クオリア降臨』 でも引用した、
漱石の『三四郎』で美禰子と出会う
場面を思い出した。

 ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、池の向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋の色も目についた。鼻緒の色はとにかく草履をはいていることもわかった。

(夏目漱石『三四郎』)

 三四郎の青春は、美禰子との衝突から
始まる。
 人生の本質が衝突にあるとするならば、
ボールと人間が衝突を繰り返す
サッカーに魅せられるのも当然だろう。

『クオリア降臨』から、もう少し引用しておく。

 『三四郎』が書かれた当時、日本という国は、ヨーロッパという強大な他者との衝突コースの中にいた。それはざわざわとした過渡期であった。ファースト・インパクトはすでに起こり、その衝撃は日本社会の至る所で深化しつつあった。もはや、戯作や歌舞伎だけの日本ではなかった。異文明との衝突の影響の中で、どれだけ多くのものが消えていったことだろう。三四郎が、美禰子のことを思いながら「電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある」というイメージに自分の夢の生活を託し、そのことを私たちもまた自然なこととして了解してしまう時、その背後には多くの「古い日本」が埋もれてしまっているのである。
 欧州文明との衝突の中で、日本語の表記は変わり、文体が変わり、多くの新しい言葉が作られた。そのような社会と言語の激動の中で、近代文学が誕生した。近代日本文学とは、まさに衝突の中に生まれた芸術である。それは、内的必要の切実な発展を追っていった結果などではなく、明治という文明の衝突が生み出した偶然の果実であった。
 衝突は、新しいものを生み出すと同時に、古いものが突然断ち切られるきっかけともなる。それは、日本という大きなスケールでも、個人という小さなスケールでも起こる。美禰子というきらめく小惑星と衝突してしまった後では、故郷に残してきた三輪田のお光さんの影は薄くなる。三輪田のお光さんは一体何を象徴しているのか。その気になれば幾らでも個人の生活における、あるいは日本の近現代史におけるアナロジーを見いだせるだろう。『三四郎』は、まさに「衝突小説」である。その小説世界の中からは、三四郎の恋愛事件から日本の富国強兵がもたらした近隣諸国との軋轢まで、様々な衝突の音が聞こえてくる。

茂木健一郎 『クオリア降臨』(文藝春秋)より

 『クオリア降臨』は『文學界』に
連載した「脳のなかの文学」をまとめた本であります。

 今日もまた新たなcollision courseに向かって、
我が人生は進むなり。

 衝突コソガ人生ダ。

7月 10, 2006 at 06:22 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/07/09

東京工業大学 4回Inter-COE21シンポジウム

東京工業大学 4回Inter-COE21シンポジウム

第4回Inter-COE21シンポジウムは、 将来の研究者・教育者を目指す高校生の皆さんに、 「最新の研究内容の講演」と「最新の研究成果の見学」を通し、 東工大の誇る最新の研究を体験していただくことを目的に開催されるものです。
表題にあるCOE21、すなわち「21世紀COEプログラム」は、 文部科学省が世界最高水準の研究教育拠点の形成を目的に創設したものです。 東京工業大学は、これまでの実績を誇る12の研究分野で この「21世紀COEプログラム」を獲得し、 「世界に誇る知の創造」「世界に通じる人材の育成」を目標に 世界最高水準の研究教育拠点を目指しています。

プログラム

特別講演 茂木健一郎
「脳と心の関係を探るー脳科学の最前線」

http://www.titech-intercoe21.jp/special.htm

7月 9, 2006 at 07:11 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Reclaiming Homunculus in a non-trivial way.

Ken Mogi
Reclaiming Homunculus in a non-trivial way.

posted at
"The Origin of Consciousness" blog.

7月 9, 2006 at 04:55 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

東京芸術大学 美術解剖学

東京芸術大学 美術解剖学の授業は、
10月に再開いたします。

7月 9, 2006 at 09:53 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

イギリスのパブから学ぶ田舎に必要な「インフラ」とは?

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月23日号
(2006年7月10日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第13回

イギリスのパブから学ぶ田舎に必要な「インフラ」とは?

抜粋

 イギリスのパブについては、鮮烈な思い出がある。一番最初に訪れた時、南イングランドの田舎を歩いた。見渡す限りの緑の丘陵が広がる中、延々と歩行者しか通らない細い道が続く。見晴らしの良い丘の上には、「今は亡き妻メアリーの思い出に捧げる」と記されたベンチが置かれ、赤いポピーの花が風にやさしく揺れていた。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 9, 2006 at 09:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

イギリスのパブから学ぶ田舎に必要な「インフラ」とは?

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月23日号
(2006年7月10日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第13回

イギリスのパブから学ぶ田舎に必要な「インフラ」とは?

抜粋

 イギリスのパブについては、鮮烈な思い出がある。一番最初に訪れた時、南イングランドの田舎を歩いた。見渡す限りの緑の丘陵が広がる中、延々と歩行者しか通らない細い道が続く。見晴らしの良い丘の上には、「今は亡き妻メアリーの思い出に捧げる」と記されたベンチが置かれ、赤いポピーの花が風にやさしく揺れていた。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 9, 2006 at 09:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

国際ブックフェアトークショウ

Lecture Records

2006年7月8日(土)
国際ブックフェア (東京ビックサイト)
讀賣新聞、日本テレビブース

茂木健一郎、二居隆司(ヨミウリウィークリー編集部)

 音声ファイル(MP3, 27.8MB, 30分)

7月 9, 2006 at 09:42 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

魚たちは驚いて飛び跳ね

 神楽坂のスタジオで、
撮影。
 私が遅れてしまったこともあって、
あまり時間がなかった。

 カメラの川崎栄治さんに、冗談で
「カワサキさんは速撮りだから大丈夫
ですよね!」
と言ったら、本当にそうだった。

 15分であっという間に
撮影終了。

 ローカスの板谷智さんも
満足の様子。
 
 讀賣新聞の車で、ビックサイトへ。
 中央公論新社の
 岡田健吾さん(中公新書ラクレ)
 濱美穂さん(婦人公論)
 松本佳代子さん(中公新書)、
 ヨミウリ・ウィークリーの
川人献一編集長、
二居隆司さん
などのおなじみの
メンバーを始め、国際ブックフェアーだけに
宣伝部の方々もたくさんいらっしゃる。

 いただいたIDには、「VIP 作家」
とあり。

 やっぱり作家で行こう(笑)。

 しばらく皆さんと歓談した後、
讀賣グループのブースで、二居さんと
二人でトークショウをする。

 ざわざわした会場で、音響も十分ではなく、
条件は必ずしも良くなかったのであるが、
皆さん熱心に聞いてくださって有り難かった。

 終了後、サイン会。
 整理券が30枚出ていて、
あと何人です、と岡田健吾さんが耳打ちして
くださる。
 
 茂木さん、一人30秒くらいで
描かないとマズイですよ、などと言われるが、
 こっちはやはりちゃんと描かないと
気が済まないのだ。

 私のサインに添える絵の系譜は、
初期においては「茂木の木」
が中心だった。
 
 その「茂木の木」に、いつの頃からか
鳥が一羽とまるようになった。
 この原型は大学院時代に友人からもらった
福田繁雄さんの木のオブジェにあって、
 その実物は今も研究所にある。

 その後、突然変異的にフラワーピッグが登場し、
様々な変種も現れた。
 昨日も、水に浮かぶボトルや、サバンナや、
エジプトや、ロケットの中や、波乗りピッグが
現れた。

 もう一つ、重要な系譜は「まじめな」
サインで、
 これは、先日愛知県立一宮高校
に伺った時に、編みだした
 脳の絵を描いて、

「創造ハ自己改革デアル」
とか、

The human brain at the moment of creation

とか、
 シリアスな文句を描くことにしている。

 いらした方の顔とか、仕草とか、全体の
雰囲気を見て、
 「あっ、この方はフラワーピッグがいいな」
 「この人は、マジメ脳の方じゃないと
マズそうだ」
などと判断して、ぱっぱっぱっと
描いていくのである。

 無事終了。新宿のICCへ。

 北野宏明さんがプロジェクトマネージャーをやられている
未踏ソフトウェアのシンポジウム。

 ラウンドテーブルで、たっぷり
2時間半やった。

永野哲久さんと城一裕さんの『モナリザ』
は映像と音を相互変換するエンジン。
 永野さんは、ガッツとこだわりのある
人だった。

 遠藤拓己さんと徳井直生さんのPhonethicaは、
世界にある数千の言語をわたり歩くセレンディピティ
を促進するプロジェクト。
 遠藤さんは言葉の選択のセンスと、
フィロソフィーの作り込みが素晴らしかった。

 会場から、東京芸術大学の粟田大輔が
スルドイ質問を飛ばしていた。

 基本的に、メディアアートは
融合領域なのだから、
 時にアート側からみて
つくりが甘かったり、トホホなものが
あるのは仕方がない。

 一方、永野さんが見せた
ような「オレはツールをつくるんだ!」
という技術者のハートにも熱い共感を
覚える。

 終了後、NTT東日本の広報の
取材を受ける。
 ICCはリニューアルして、
常設展示の作品は無料で見られるようになった。

 従来の「メディアアート」という
壁を打ち破り、レオナルド・ダ・ヴィンチの
ごとき自由闊達な世界に至る道がちらりと
見えた。

 『英語でしゃべらナイト』のプロデューサー、
丸山俊一さんが作られた
 「爆笑問題×東大!東大の教養決定版」
を見る。 
 
 面白い。

 『異化力!』(NHK出版)で、
対談させていただいた時にも
丸山俊一さんが言われていたこと、
つまり、

異質なものを同居させることで、
今までにない動きを生むこと

が実現していたと思う。

 日常生活の中でいろいろなものと出会う時、やはり
心の中に動きが生じるし、
 それが生きるということか。

 地球上を大気が動き、水が流れ、
魚たちは驚いて飛び跳ね、そのような万物の
躍動の中に、私もまたいる。

7月 9, 2006 at 09:19 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/07/08

(本日)オープンサロン 『未踏ソフトウェアの創造』

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2006/Opensalon/index_j.html

日時:2006年7月8日(土)午後4時より
会場:ICCギャラリーA
定員:350名
入場:無料
主催:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

シンポジウムの模様はインターネット中継されます.

参加者
北野宏明(情報処理推進機構 未踏ソフトウェア創造事業プロジェクトマネージャー)
茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー,脳科学者)
遠藤拓己(《Project Phonethica Installation "Rondo"》出品作家)
徳井直生(《Project Phonethica Installation "Rondo"》出品作家)
永野哲久(《Monalisa: 音の影》出品作家)
城一裕(《Monalisa: 音の影》出品作家)
ドミニク・チェン(ICC研究員)

7月 8, 2006 at 10:07 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

(本日)国際ブックフェア トークショウ、サイン会

2006年7月8日(土)
国際ブックフェア (東京ビックサイト)
讀賣新聞、日本テレビブース
14:00〜14:30 茂木健一郎トークショウ
(ヨミウリ・ウィークリー編集部 二居隆司氏との対談)
14:30〜14:45 サイン会

http://www.chuko.co.jp/event/016/

http://www.reedexpo.co.jp/tibf/

7月 8, 2006 at 10:00 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

焚き火とか、海とか、風とか。

 PHP研究所。
 脳と感動について。

 AISTのNatalia Polouliakhが研究所に来て、
遺伝子とhigher cognitionを結びつける
方法についてtalkしてくれる。

 視覚、聴覚のように、receptorの
種類が少なくてperceptが構成される
ものと、
 嗅覚、味覚のようにchemicalに対する
receptorの種類が多くて
perceptが構成されるものは、
 どうやら様子が違うのではないか。

 朝日カルチャーセンターへ。
 講座に行く前に、
広場で夕風に吹かれながら
 田辺史子のICONIPの論文を
finalizeして、投稿する。
 
 映画と脳。
 ずいぶん久しぶりに
カルチャーセンターで話す気がする。

 『誰も知らない』

 『ベニスに死す』
を見て、
 それから映画を見た時の
脳活動についての論文を読んだ。
 
 先日の吉本隆明さん訪問のことを
受けて、
 科学主義はなぜ思想的に深まらないのか。
 思想が科学主義に着地するには
どうすれば良いかを、議論。

 ここまで、例によって朝から
晩までうわーっと
いろんなことをやらなくてはならなくて、
時間に追われて追われて追われて
いたが、
 ふと、気付くと、朝日カルチャーが
終わったあと、本当に久しぶりに、
とりあえずは明日の朝までは何もしなくても
大丈夫、という状態になった。

 それで、電通の佐々木厚さんをはじめと
するいつものメンバーと少しゆったり
飲んだ。

 飲んでいたら、自分の日常に対する
一種のメタ認知が立ち上がって、
別の意味でうゎーっとなった。

 そもそも誰かが椎名誠の話を
始めるからで、
 焚き火とか、海とか、風とか、
寝転がってみる夜空のきらめきとか、
そういったもんが頭の中を嵐のように
通り過ぎていって、
 私の心は一時的にstudent movement
となった。

 そういうときに心がふわっと
なるのは、
つまりは私たちが
いつかは死すべき存在だからだろう。

 池上高志から、共通の知人、
Joseph Goguenの
訃報のメールが届いた。
 とても驚くとともに、
言い尽くせないほど
哀しいきもちになった。

 私たちの認知はどこまで成長しても
終わりがないopen-endedなプロセスであるが、
私たちの生はいつ終わるかわからない
 indefinite-endedな飛躍の連続である。

 胸のときめきこそが、メメント・モリの
化学反応の証しだろう。

 Josephの魂に平安あれ。

7月 8, 2006 at 09:57 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/07/07

アハ!体験は日本人の“ひらめき養成ギプス”

アハ!体験は日本人の“ひらめき養成ギプス”——茂木健一郎氏トークショー

2006年7月2日、ソニーが運営する体験型サイエンスミュージアム「ソニー・エクスプローラサイエンス」内で、2006年6月22日から7月30日まで開催されている「アハ!体験スクエア」にて、脳科学者の茂木健一郎氏によるトークショーが行われた。

IT media ニュース

7月 7, 2006 at 08:17 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

(本日)朝日カルチャーセンター 『脳と映画』

朝日カルチャーセンター講座
脳とこころを考える 「脳と映画」
第一回

2006年7月7日(18:30〜20:30)

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0607koza/A0301.html#

7月 7, 2006 at 07:31 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

男からの手紙 『同じです!』

<シリーズエッセイ> 男からの手紙 

茂木健一郎 「同じです!」

婦人公論 2006年7月22日号(7月7日発売)

http://cm.chuko.co.jp/~fujin/

7月 7, 2006 at 07:29 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

TALK dictionary 小野塚秋良 × 茂木健一郎

TALK dictionary 小野塚秋良 × 茂木健一郎

7/11(火)18:00〜20:00 (17:45開場/入場無料)
@アップルストア銀座 3Fシアター
東京都中央区銀座3-5-12 サヱグサビル本館
(松屋銀座向かい)

http://61.206.38.13/news/2006/07/post_74.html


7月 7, 2006 at 07:10 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

魂の叫びがスタジオにこだました

朝一番で、研究所でフジテレビの
取材を受ける。
 
 セガの「アハ体験」のゲーム、
お台場のソニーエクスプロラサイエンスの
イベント、 
 その背後の脳の話。

 7月9日(日)17:30〜18:00の
スーパーニュース ウィークエンド
内で「日曜日の特報コーナー」として
放送される予定とのこと。

 大手町の日経サイエンスへ。
 京都大学霊長類研究所の
遠藤秀紀
さんとお話する。

 遠藤さんといえば、「解剖男」
などの一連の魅力的な文体の本で知られるが、 
 何といってもパンダの「第七の指」
の存在とその機能的意義を明らかにした
お仕事で有名。

 動物の解剖学に関する学問的情熱は
もちろん、欧米並みの骨格標本等の
データベースを日本でも構築すべきだと
主張するその熱意においても、
 とても素敵なヒトである。

 上野の国立科学博物館の、巨大動物の
並ぶ部屋は、遠藤さんがデザインされたもの。
 「ああいうものを、合議制でつくろうとしては
ダメなんですよ。だから、ぼくは徹底的に
根回しなどを排除しました」
という言葉が印象的だった。

 遠藤さんは、もともと動物の解剖が
したかった。
 しかし、世の趨勢としては、
解剖は教育課程の中に位置づけられるもの、
という風潮が強く、
 そんな中、「どこに行けば解剖を
やらせてもらえるか」といろいろ工夫して
きたという。

 情熱さえあれば、道は開ける。

 「闘う解剖学者」、遠藤秀紀さんと
またゆっくりとお目にかかって
お話したい。

 NHKへ。
 一仕事できるかと思ってやっていたら、
高速を通って、あっという間に着いてしまったので
かえってあてが外れる。
 大手町から15分もかからなかった
のではないか。
 
 「東京というのは、時間帯と方向によっては
早いんですよ」
と運転手さん。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
 京都、嵐山にある吉兆の徳岡邦夫
さんがゲスト。

 細田美和子さんが「最後の(?)」ディレクター
をつとめるコードネーム「夏スペシャル」
(細田スペシャル)のため、
 スタジオに入る前からカメラが回っている。
 空き時間に「お客様コーナー」で仕事を
する様子や、
 メイクをされている様子も撮影される。

 写り込んでもらおう、と、
お昼を食べている住吉美紀さんや
衣裳のうえだけいこさんに近づいて
いったら、みんなあせってわーっと言った。

 徳岡さんは、吉兆を創業した湯木貞一さんの孫で、
伝統を守りながら大胆な試みを次々と
打ち出していることで知られる
 「味の芸術家」である。

 スタジオに入っていった時、
有吉伸人チーフプロデューサー(ありきち)
が頭を抱えていた。
 
 といっても、番組のことではない。
ワールドカップのことである。

 「朝4時に家に帰って、録画してあった
イタリア対ドイツの試合を見ていたんですよ」
 「ええ」
 「そしたら、朝6時にテポドンのニュース
で放送が教育テレビに切り替わったじゃない
ですか。それで、肝心の「延長最終2分で2点」
の場面が見られなかったんですよ。あちゃー!」

 ありきちさんがなぜそのようにお嘆きだったか
と言えば、「録画で試合を見る」までに、
早朝までに及ぶ仕事はもちろん、
 人との会話、インターネット、
新聞など、試合の結果がわかってしまうような
あらゆる局面を懸命に避ける、という涙ぐましい
努力を積み重ねた末の「本当に楽しみな」
ビデオ観戦だったからである。
 
 「こんなことだったら、BSにしておけば
良かった〜」

 ありきちさんの魂の叫びがスタジオに
こだました。

 一方、すみきちさん(住吉美紀アナウンサー)
はご機嫌だった。

 収録中、徳岡さん入魂の「はものお吸い物」
をいただいたのであるが、
 もう一度、今度は手元をクローズアップで
食べる撮影のために、
 すみきちさんはお代わりどうぞ、という
ことになったからである。

 「人がおいしいものを食べているのを
見るのは本当に腹が立つもんですね、
あはははは」
と収録後、副調整室で見ていた
ありきちさんは語った。

 徳岡さんによると、この吸い物は
昆布は利尻島のある場所でとれる一級品しか使わず、
かつおぶしも厳選してあり、
 なんと一杯あたり出汁の原価だけで
1000円になるという代物。
 
 あな恐ろしや。しかし、本当に美味しかった。

 徳岡さんが、若くして京都吉兆の料理の
責任者となり、苦労されながら
いかに今日のスタイルを確立したか、
そのお話をうかがう。
 
 おじいさんである湯木貞一さんは
あまりにも偉大で、
 ずっと同じようになりたい、
と願っていたが、
 お客さんをおもてなしする、
という茶道から由来する精神をこそ大切にして守り、
 具体的な料理の形は現代に合わせて
変えていくというのが
 真の継承の道だと悟ったという。

 話が弾み、また、料理の準備などで
収録はいつもより長時間にわたったが、
いろいろインスパイアされる
時間だった。

 徳岡さんは笑顔が素敵な、
破顔一笑するとこちらまで思わず笑ってしまう
人で、
 林家正蔵さん(林家こぶ平さん)に似ている。

 実際、友達で、座談の席で正蔵さんの羽織を
借りて小話をしたことがあると言う。

 徳岡さんが料理で使っているという
竹をけずりだした箸が気に入ってしまった!

 明ければ、今日は七夕である。

 「たなばた」という音と、それにまつわる
文化、伝承を思い浮かべるだけで、
 少し違った時間の中に入っていけるような
気がしてくる。

 1分間でもいいから、七夕の世界観の
中に身をひたしてみよう。
 
 目をつむれば、もうそこは銀河。
 

7月 7, 2006 at 06:55 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2006/07/06

プロフェッショナル 仕事の流儀 奥山清行

プロフェッショナル 仕事の流儀 第19回

新しいものは「衝突」から生まれる

〜自動車デザイナー・奥山清行〜

フェラーリ、ポルシェ、GMなど、世界の名車のデザインを手がけた自動車デザイナー、奥山清行(47歳)。現在、イタリア・トリノにある世界有数のデザイン工房・ピニンファリーナ社のデザイン部門で、150人のスタッフを率いる。
奥山は世界中のメーカーから舞い込む依頼を、数人の部下たちとチームを組み、「コンペ」の要領で仕事を進める。個性もアクも強い欧米人デザイナーたちに対し、たった一人の日本人・奥山は容赦なく自分の考えをぶつける。反発も覚悟。個性に個性をぶつけることで、少しずつデザインは変化し、「究極」のカタチへと成長する。それこそが、自ら「猛獣使い」と称する奥山の流儀だ。
トリノのデザインルームで極秘で進められるプロジェクトに密着。部下たちを率い、何よりも美しい車を生み出す奥山の仕事を追う。

NHK総合
2006年7月6日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

7月 6, 2006 at 05:09 午前 | | コメント (3) | トラックバック (8)

『ひらめき脳』11刷

新潮新書 『ひらめき脳』は、増刷(11刷、累計69000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

7月 6, 2006 at 05:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

対談   河合隼雄 × 茂木健一郎

[対談]脳でこころがどこまでわかるか。 
河合隼雄 × 茂木健一郎
潮 2006年8月号 70〜77頁

http://www.usio.co.jp/html/usio/index.php

7月 6, 2006 at 05:04 午前 | | コメント (2) | トラックバック (3)

がんばりや

きっと、私は「がんばりや」
の方なんだと思うが、
 またもやカラスがカーの時間に
起きて、コーヒーを淹れている
時にふと思い出したのが、
 幼稚園の時のことである。

 私は今でも字が汚いけれども、
当時、ひらがなを練習していて、
ある日先生に「もっときれいに字を書きましょうね」
と言われて、
 「そうか、字はきれいに書くもんなんだ!」

 はっと我に返って気付き、
一枚の紙に何回も何回もひらがなを
書いていたら、いつの間にか
 休み時間になって、みんなは
外で遊び始めたけれど、
 私はひたすら書き続けて、
先生に「もぎくんがんばるね」と言われて、
またはっと「そうか、おれはがんばるんだ」
と思った記憶がある。

 そんなことはずっと忘れていたんだけど、
今朝コーヒーを淹れながら思い出したというのは
何か意味があるのかもしれない。

 朝7時30分、NHK。
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
打ち合わせ。

 朝早い打ち合わせは、何だか
「仕事をしている」という感じがして
さわやか。

 有吉伸人チーフプロデューサーに、
「有吉さん、ワールドカップのイタリア対
ドイツの試合、すごかったですね・・・」
と言いかけたら、
 有吉さんが、「頼みます、結果を言わないで
ください・・・」と叫ぶ。

 そうであった、忘れていた。
 有吉さんは、録画していて、それを自分で
見るまでは絶対に結果を見ない、
というポリシーの人なのだった。

 「そんなことを言っても、夕方まで
どこかで結果を見たり、誰かが話題にしたり
しない、ということはあり得ないんじゃないですか!」
と誰かが言うのが聞こえる。  
 しかし、
 有吉さんは、「この人はワールドカップの
話題をしそうだ」という時は気配でわかるんだと
言う。

 それでも、ネタ探しをしようと
思って、夕刊を手にとって、
 「しまった!」
と悶絶することもあるとか。

 打ち合わせは、VTRを見て、
コメントや質問事項を考える。
 大坪ディレクターが、
 「いつの間にか必要な映像を撮っている」
 「天才だ!」
と有吉さんに褒められる。

 収録が楽しみ!

 仕事をしながら、五反田付近に移動。
 駅前の吉野屋で朝ご飯を食べながら、
本を読む。

 研究所へ。

 研究所にいるときは、自分の部屋に閉じこもらないで、
パブリック・スペースにいることにしている。
 すると、いろいろな人が話しかけてくる。
 大塚まりさんが、未処理の書類を
どっと持っていらっしゃる。

 夏目哲さんが、案件を持ってこられて、
議論する。

 関根崇泰が、わらわら近づいてきて、
議論をふっかけてくる。

 そうこうしているうちに、やろうと
思っていたことを積み残したまま、
 ミーティングの時間に。

 ミーティングが3件続く。 
 そのうち一つはEEGについての議論。

 今日も一日が過ぎていく。

 風邪は、大分良くなった。

 カラスも、大分かあかあ言ってきた。

7月 6, 2006 at 04:42 午前 | | コメント (8) | トラックバック (1)

2006/07/05

週刊朝日 林真理子×茂木健一郎 対談

対談 林真理子×茂木健一郎
週刊朝日2006年7月14号(現在発売中)
p.56~p.60

http://opendoors.asahi.com/syukan/index.shtml

7月 5, 2006 at 06:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

朝日カルチャーセンター 『脳と映画』

朝日カルチャーセンター講座
脳とこころを考える 「脳と映画」

2006年7月7日、8月4日、9月1日、9月15日
全4回(各回18:30〜20:30)
(9月1日の回は、映画監督 是枝裕和氏との対談です)

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0607koza/A0301.html#

7月 5, 2006 at 05:19 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

オープンサロン 『未踏ソフトウェアの創造』

日時:2006年7月8日(土)午後4時より
会場:ICCギャラリーA
定員:350名
入場:無料
主催:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

シンポジウムの模様はインターネット中継されます.

参加者
北野宏明(情報処理推進機構 未踏ソフトウェア創造事業プロジェクトマネージャー)
茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー,脳科学者)
遠藤拓己(《Project Phonethica Installation "Rondo"》出品作家)
徳井直生(《Project Phonethica Installation "Rondo"》出品作家)
永野哲久(《Monalisa: 音の影》出品作家)
城一裕(《Monalisa: 音の影》出品作家)
ドミニク・チェン(ICC研究員)

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2006/Opensalon/index_j.html

7月 5, 2006 at 05:13 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

国際ブックフェア トークショウ、サイン会

2006年7月8日(土)
国際ブックフェア (東京ビックサイト)
讀賣新聞、日本テレビブース
14:00〜14:30 茂木健一郎トークショウ
14:30〜14:45 サイン会

http://www.chuko.co.jp/event/016/

http://www.reedexpo.co.jp/tibf/

7月 5, 2006 at 05:08 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

クオリア降臨 4刷

文藝春秋 『クオリア降臨』
は増刷(4刷、累計15000部)
となりました。
 ご愛読に感謝いたします。

7月 5, 2006 at 05:05 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

吉本隆明さん

 聖心女子大の授業。
 ボディ・イメージの話をした。

 最初は黒板やホワイトボードを使っていたこの
授業だが、PC上で書(描)いてプロジェクタ
で出力するというワザを覚えてから、  
 すっかりそれが面白くなって、
使っている。

 Rubber Hand Illusionについて
説明した図。

 もうすぐ試験で、それで終わりである。

 さて、ここからが007。

 学生たちが数人質問に来て、
にこにこ笑いながら聞いているが、
 内心気が気ではない。

 ダッシュで聖心女子大学のキャンパスを
抜け、
 地下鉄日比谷線に飛び乗り、
銀座へ。
 
 ピエール・マルコリーニの店に
走り、チョコレートを買う。

 そして、有楽町のビック・カメラに
走り、
 最新式のSANYOのICレコーダーを買う。

 よりによって、こんな日の朝に
Powerbookから抜き差ししている時に
壊れてしまったのだ。

 聖心を出たのが12時20分頃。
 ビックカメラから飛び出して
タクシーに飛び乗ったのが
 1時少し前。

 運転手さんは女性で、
早稲田大学の大久保キャンパスは
詳しく知らない、というので、
とにかく新大久保を目指して、明治通りに
右折してください、と言った。

 もちろんまだ風邪である。
じっとりと汗のにじんだTシャツを
後部座席でやり過ごしながら、
 Design シンポジウムのパワーポイントを
最終調整する。

 こんなことをしていて、大丈夫か、
と思う。

 会場に午前1時25分に到着。
 座長の東京大学の村上存先生にご挨拶。
 トークを開始。
 村上さんの研究室の助手の柳澤秀吉さんや、
大阪大学の野間口大さんのスルドイ
質問があった。

 会場を出たところで、函館未来大学学長の
中島秀之さんに会って、しばらく立ち話を
する。
 中島さんはとても元気そう。

 再びタクシーに乗り、
『共同幻想論』を読み返しながら
東大の赤門へ。

 新海均さん、松崎之貞さんと合流。

 ちょっと待ってください、とお断りして、
薬局でビタミン剤を買って飲む。

 吉本隆明さんのお宅は、猫が
沢山いた。

 ピエール・マルコリーニは、吉本さんへの
心づくし。

 吉本さんには初めておめにかかったが、
とにかく現代の人ではない、
昔、人間がもっと大らかで広々としていた頃の
人、という印象。

 お話を始める。

 しかるべき場所で改めてきちんと書くが、
うかがうに従って、自分がやはり
類い希なる思想の巨人と接しているという
感動が深まっていった。
 
 古典的な知識性が
不可能になっていき、文学も次第に
やわらかくわかりやすいものになっていく
ことは、一つの必然的な歴史の趨勢だと
吉本さんは言われた。

 三木成夫やゲーテが立ち止まってしまった
場所から、いかに科学主義に接続するか。
 逆に、科学主義の知が思想的、哲学的には
深まらないという問題をどう考えるか。

 次の時までに考える宿題が出た。

 吉本さんの家を辞す。

 竹内薫と、東京ドームで待ち合わせ。
報知新聞の山本理さんにいただいた
チケットで、巨人対中日戦を
観る。

 試合は巨人が良いところなく負けたが、
バックネット裏から野球を見るのは
初めての経験で、
 その臨場感、迫力のシャワーは
格別であった。

 山本さん、ありがとうございました。

 試合終了後、ソッコーで帰宅、
休む。

 やることなどあり、朝早く起きて
カラスの声を聞いている。

 こんなことをしていて、
風邪がちゃんと直るか。
 それでも身体には底力があるもので、
何とか上昇カーブに乗っているような
気もする。

 振り返って、
 吉本さんにお目にかかったことは、
我が人生でも記念すべきことだった。
 いろいろと反芻し、波紋を共鳴させる。

吉本さんとの対話、古典的知識性を巡る部分(MP3, 2.1MB, 2分)

7月 5, 2006 at 05:03 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/07/04

(本日)Design シンポジウム 2006 「脳と創造性」

茂木健一郎 『脳と創造性』
2006年7月4日(火)13:30〜14:30
Design シンポジウム 2006
早稲田大学大久保キャンパス 55号館
大講演室

http://www.jsme.or.jp/dsd/Info2006/04_20-2.htm

http://www.sci.waseda.ac.jp/campus-map/

7月 4, 2006 at 07:23 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

金森穣 NOISM ー身体表現の方法論と可能性ー

Lecture Records

金森穣
NOISM ー身体表現の方法論と可能性ー
(2006年度 美術解剖学 Lecture 8)

2006.7.3. 東京芸術大学 美術中央棟 第三講義室

音声ファイル(MP3, 36.8MB, 80分)

7月 4, 2006 at 07:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

だから、取り敢えずは

 風邪は悪化したが、
朝からアポイントメントが
いろいろ入っており、
寝ているわけにもいかない。

 芸大に向かう時、大粒の雨が降り出したが、
大浦食堂に着く頃には晴れ上がった。

 降水の後の青い空が好ましいのは
なぜなのだろう。

 金森穣さんは移動中。
どこかから、芸大を経由して今日は新潟に
戻るという。
 
 授業は、途中から会場との対話に。

 服を着るかどうか、着るとして、
日常性を帯びるものかどうか?

 様々なダンスの「ジャンル」という
認識と個々の振り付け師の個性の
知覚の問題。

 日本とヨーロッパの「劇場に行く」
という文化の日常の所作としての
定着の違い。

 朝10時から夕方6時まで、
毎日ひたすら鍛錬を繰り返すこと。

 金森さんのお話を聞いていて
思ったのは、思考する者も実は
内面において不可視のダンスを踊っている
のではないかと言うことだった。
 
 身体を動かさない数学者も小説家も思索家も
恐らくは脳髄の中で一つのダンスを踊っている。

 外のダンスと内のダンス、それを結びつけ、
補助線を引き、新しい視点で見ることができたら。

 金森さん、お忙しい中、学生たちの
ためにありがとうございました。

 17日は海の日だし、来週は
所用があり、美術解剖学の授業を
秋までできるかわからない。

 できたとしても、上野公園での飲み会が
開けるとは限らない。 

 あったとしても、私が参加できるかどうか
わからない。

 だから、取り敢えずは秋までは最後だと思って、
公園の薄暗がりに皆が散らばって談笑している
様子を見ていた。
 

7月 4, 2006 at 06:59 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/07/03

(本日)美術解剖学 金森穣

東京芸術大学 美術解剖学 
Lecture 8
金森穣

NOISM ー身体表現の方法論と可能性ー

新潟本拠の日本で初めての画期的なダンス・カンパニー
NOISMを率い、今世界的に注目される
コンテンポラリー・ダンサー
&コレオグラファー、演出家の金森穣さんを
お迎えし、身体表現の方法論と
その可能性について語っていただきます。

2006年7月3日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

聴講歓迎!

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

7月 3, 2006 at 06:42 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

脳と感動

Lecture Records

茂木健一郎 『脳と感動』
2006年7月2日
ソニーエクスプロラサイエンス(お台場)

音声ファイル(MP3, 31.8MB, 69分)

7月 3, 2006 at 06:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

ずっと夢を見ているような感じで

私がイギリスに行っている間に、
『脳に快感 アハ体験!』が発売され、 
 大量にCMが流れた(らしい)。

 「世界一受けたい授業」の効果とも
相まって、街を歩いていて「あの、アハ体験の・・」
と言われることが増えた。

 自宅の近所を歩いていて、小学生の
子供たちが何人かいると、こっちを見て
ごにょごにょ言っている。

 お前言えよ、というようにつつき合っている。 
 
 これは来るな、と思っていると、
案の定「アハ体験! アハ体験!」
などと言って、ピースをしてくる。

 思い返せば、昨年、「世界一受けたい授業」
に出演させていただくにあたって、
脳科学で何か面白い話はないですか、と聞かれ、
パワーポイントを使って説明した一連の話の
中に、change blindnessがあった。

 他にも、神経経済学や、セレンディピティ
などの話をしたと思うのだが、
 その中から日テレの人たちが
change blindnessに着目し、「アハ体験」
をテーマにした授業企画を立てられたわけである。

 周囲が動く時は本人の思惑とは関係なく
そうなるもので、セガがゲーム化の
企画を立て、私が赤シャツになって
CMに出ることになった。

 日曜日のお台場、ソニー・エクスプロラサイエンス
にて開催中のアハ!体験スクェア
でのトークショウで、
ひらめきの脳内メカニズムを紹介し、
感動する、ということの意味について
考えながら、
 今回の「アハ体験!」の一連の
出来事について振り返った。
 
 『脳と仮想』のようなシリアスな本を
書いて、文豪ゲーテのごとく深刻な表情で
かっこつけていたら、いつの間にか赤シャツで
「アハ!体験しましょう」と言って、
子供たちに「アハ体験!アハ体験!」と
追いかけられる人生になりました・・・

なとと喋って、質疑応答の時間になったら、
小さな子供が手を挙げて、
「コンピュータもひらめくのですか」
などと質問している。

いやに賢いガキ(じゃなくて、お子様)だな、
と思って、
何の気なしに「君、お名前は?」
と聞くと、
「いけがみゆたか」
と答える。

「いけがみ・・・あれ、おかしいな」
と言いながらその後ろを見ると、
池上高志の見覚えのある顔があった。

ゆたかという名前は、池上が『死霊』を書いた
作家の埴谷雄高を尊敬していて、ゆかりで
つけた名前だったはず。

いけがみゆたか君に先導された
会場からの質問はとても的確で心の
こもったもので、楽しくトークショウを
終えられた。

池上夫人も質問くださった。
「涙」のメカニズムに関するもので、
私の説明の論理的不備を突いたもの。
スルドイ一家である。

終了後、
池上高志と、ちょっと立ち話する。
ハワイでの人工生命学会の話とか。
池上とは、もっと話したい。
いろいろ議論したい。
8月に進化学会でセッションがあるけど、
その午後どこかの会場で議論を
続ける、というのはどうだろう。

トークショウの前、アハ!体験スクェアを回った。
PSPソフトの『脳に快感 アハ体験!』もプレイできて、
とても楽しいコーナーになっていると思う。
以下、写真レポート。


入り口に、ソニーコンピュータサイエンス研究所
や私の研究内容の紹介パネルとともに、
アハセンテンスが掛け軸になって下がっている。



アハピクチャーは、上の古典的名作4点の他に、
講談社制作の新作が展示されている。



アハチェンジに、自分の姿を映し込めるように
なっている。自由の女神のアハチェンジに、
私と、会場の案内係の方が写り込んだもの。



ソニーエクスプロラサイエンス制作の
「アハビーンズ」に自分の顔を映し込んで
持ち帰ることができる。
「アハビーンズ」が何であるかは、会場での
お楽しみに。

 昨晩は、
 眠っている間、ずっと夢を見ているような
感じで、何回も目が覚めた。

 今回のイギリス滞在中、行きたくて
行けなかったチャールズ・ダーウィンの
住んでいた家にいる夢も見た。

 どうも夏風邪を引いたらしく、喉や
鼻などの粘膜が痛い。
 最初の軽い症状はイギリスで出ていたんだけど。

 このところスケジュールがあまりにもタイトだからね。
 純粋に科学的な側面において、考えたいことも
沢山あるのです。

 というわけで、皆さん、どうかお手柔らかに。

7月 3, 2006 at 06:32 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/07/02

作家

そういえば、網走市民大学の
会場には、演題の横に
 「科学に補助線が引きたい」という
副題が振ってあった。
 なかなかにスルドイ人たちなのである。
 
 肩書きのところには、
脳科学者、作家 茂木健一郎

と書いてあった。
ということなので、今後は作家を名乗る
ことといたします。

7月 2, 2006 at 10:33 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

サッカーW杯で優勝する日本代表の姿を想像してみた

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月16日号
(2006年7月3日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第12回

サッカーW杯で優勝する日本代表の姿を想像してみた

抜粋

 ・・・イギリス独特の「エール」ビールを飲みながら、思い出した光景がある。十年余り前、やはり学会でブラジルを訪れた。リオ・デ・ジャネイロの海岸を歩いて行くと、見渡す限りの砂浜で、少年たちがサッカーに興じていた。・・・あの時のサッカー少年たちも、ブラジル代表選手になるような年齢に達しているだろう。・・・ブラジル代表が自由奔放なのに対して、日本のサッカーは、まるで「段取り」、「根回し」、「様子見」をしているかのようなスタイルが目つ。・・・ワールドカップで優勝するようなことが将来あったとしたら、その時の日本と日本人は一体どんな姿をしているのだろうか。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 2, 2006 at 10:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

ニューロンの回廊 金森穣

BS日テレ 『ニューロンの回廊 潜在脳力の開拓者たち』
   File No.7 金森穣 (演出振付家・ダンサー)
 OA 6月25日(日) 20:00−20:54
    6月29日(木) 19:00−19:54
    7月 2日(日) 20:00−20:54
    7月 6日(木) 19:00−19:54

今回、ドクターモギが潜り込んだのは、演出振付家・ダンサー 金森穣の脳。
 1992年、若干17歳でスイスに渡り、、モーリース・ベジャールに師事。クラッシック、モダン、演劇、即興などを学び、94年からはオランダ ネザーランドダンスシアター㈼に所属。以後、欧米を中心に世界中で公演をする傍ら自ら振付けを始め、フランス国立リヨン・オペラ座やスウェーデン イェーテボリ・バレエでは振付家・ダンサーとして活躍する。
  2004年からは『りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館』舞踊部門芸術監督に就任、プロフェッショナルダンスカンパニー『Noism04』を設立。日本のダンス界に新たな展開をもたらしている。

  金森は自分の肩書きを単なる振付家としてではなく演出振付家としている。日本における振付家の意味と、彼が海外でやってきた振付家の意味に差があるからだ。照明から美術、衣装まで舞台上のすべてを構築する、総合芸術監督。それが、金森のいう演出振付家なのだ。
  若くして世界に飛び出し、さまざまなプレッシャーを経験してきたことで得られた独自の“脳力”。
ドクターモギは、「身体と表現」、「適応能力」、「プレッシャー」というキーワードから、新たな表現に挑戦し続ける新進気鋭の芸術家の脳に迫る!

7月 2, 2006 at 10:01 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

美術解剖学 金森穣

東京芸術大学 美術解剖学 
Lecture 8
金森穣

NOISM ー身体表現の方法論と可能性ー

新潟本拠の日本で初めての画期的なダンス・カンパニー
NOISMを率い、今世界的に注目される
コンテンポラリー・ダンサー&コレオグラファー、
演出家の金森穣さんをお迎えし、身体表現の方法論と
その可能性について語っていただきます。

2006年7月2日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

聴講歓迎!

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

7月 2, 2006 at 09:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日)茂木健一郎 トークショウ

2006年7月2日(日)13:00〜14:00
茂木健一郎 トークショウ
着席整理券(40枚)は当日午前11時より配布

ソニー・エクスプロラサイエンス(お台場)

<開催中>
2006年6月22日(木)〜
2006年7月30日(日)
アハ!体験スクェア

会場では、セガより6月22日発売の
PSP用ソフト
脳に快感 アハ体験!をプレーすることができます。

その他、その場でつくって持ち帰れる自分の顔入り「アハ体験!」のコンテンツも楽しめます。

7月 2, 2006 at 09:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ちゃんと自分をさらけだしたもんね

網走には、小学校5年生の時に
父親と一緒に蝶をとりに来たことがある。

 その時訪れた「原生花園」駅がまだ
あるのかどうか、市民大学での講演の
前に訪れてみた。

 今から30年前。
 たしか、あのころは単線の列車が
何もない草原の中を走っていて、
 2時間に一回くらいしかこない
列車から降りて、次の列車が来るまで
周囲の草原でカバイロシジミを追いかけた
はずだ。

 当時、
 信号もない単線で電車が安全に
行き来できるように、
 通り過ぎた電車の運転手は輪っかの
ようなものをかけたり外したりして、
 シグナルとして使っていた。

 駅舎はまだあったが、小さいままにすっかり近代
的になっていて、
 ちょうど、観光客をたくさん乗せた一両の
列車が通り過ぎていった。
 観光シーズンには、一日何往復か運転される
のだという。

 今は小清水原生花園としてきれいに
整備されているが、 
 あの頃の、何にもなくただ草原が
広がっていた風情もなつかしい。

 原生花園という名前は当時も
あったが、
 ひょっとしたら私が見たのは
名前さえついていない原始の風景の
まぼろしか?
 
 釧網線と平行して立派な道路が走っていたが、
確かこれもなかったはず、と聞いてみると、
昔は砂利道だったそうだ。

 経済成長で生活が豊かになることは
良いことだが、 
 その一方で確実に風景が変わっていくことも
確かだ。

 市民大学は、もう30年も続いているという。
昨年は養老孟司さんもいらした。

 質疑応答でのやりとりが、そこはかとない
ユーモアがあり、楽しかった。

 終了後、
 網走市民大学学長の浪岡清治さん(歯科医院経営)と
永島俊夫さん(東京農業大学教授)が
 「五十集屋」に連れていってくださった。

 海がすぐそこにあり、水産加工場の横で、 
舟形の御輿などが置かれた一階から階段で上がって
いく。
 ボイルしたり、焼いたりしたズワイガニや、
ホッケ、なめたガレイを堪能した。

 もう一軒行きますか、と浪岡さんが
行きつけのバーに連れていってくださった。

 カウンターの中の女性の一人に向かって、
浪岡さんが「あんたのことは昔から知っているわ」
と言っている。
 「あんた、うちに治療にきていたわ」
 「小学生の時だったですね」

 昔小学生だった人は、遠くを見るような表情で
浪岡さんの方を向いた。

 浪岡さんがカラオケを歌ったので、
私も対抗上「知りませんよ」と言ってから
「十五の夜」を歌った。

 永島さんも、実にスルドイ選曲の
センスを見せた。

 それから、2、3回り歌って、
合間に
柿ピーをぽりぽり食べた。

 帰り際、「いや、先生、面白かったわ。
先生、エラカッタよ。
ちゃんと自分をさらけだしたもんね」
と浪岡さんが言った。

 浪岡さんは市役所の近くに住んでいらっしゃる。
その手前にあるのが私のホテル。

 翌日、東京に帰り、羽田空港で
NHKの細田美和子さんと待ち合わせ。

 自動車で移動しながら、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のコードネーム「夏スペシャル」
(細田スペシャル)の打ち合わせをする。

 細田さんは、普段は「デスク」(何人かの
ディレクターを束ねる役割)をしているが、
 今回はディレクターとして、
「逆境を乗り越える」というテーマで
番組を作っている。

 「これが、私がディレクターとして
つくる最後の番組になるかもしれない、
と思うんですよ」
 車の中で、細田さんがぽつりと言った。

 現地に到着。
 ホームで電車を待っていたり、
電車の中で仕事をしている普段のままの
姿を撮影した。

 本を読みながらノートを取りながら
ノートパソコンを打つ、というのはいつもながらの
スタイルで、 
 電車を待っている時にノートパソコンを
開いてメールチェックしたりするのも
いつもながら。

 細田さんが聞く。
 「茂木さん、交差点の信号待ちの時も、
パソコンを開いたりするんですか?」
 「しません!」
 「歩きながら、同時に本を読んだりノートを
取ったりするんですか?」
 「だから、そこまではしませんてば!」

 細田さんの冷静にしかしじわりじわりと
追いつめる口調の前に、
 否定すればするほどアヤシクなる。

 家に帰って、録画してあった
『プロフェッショナル』の
仕事術スペシャルを見ると、
 自分の手の動きが普通の人に比べると
格段に多くて、いかにも多動症っぽいことに
あらためて気付かされる。

 小学生の時、初めて買ってもらった
アイワのカセットテープレコーダーでいろいろ
録音して遊んだ。

 あの時も自分の声が普段とは強烈に違って聞こえたが、
いつの間にか録音された自分の声には慣れてしまった。

 身体の姿勢や動きの方は、声に比べると
格段に難しい。

7月 2, 2006 at 09:45 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2006/07/01

カニ

 網走市民大学でお話するために
女満別へ飛んだ。

 カニを沢山ごちそうになり、
今日は東京にトンボ帰り。

プロフェッショナルのロケ。

 詳細は、あらためて。

7月 1, 2006 at 07:40 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)