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2006/06/13

何やら、粘菌とか、菌糸体とか

それが絵であれ、音楽でも
小説だとしても、
 ある作品に向き合って何かを感じる
ということは
 自分を「楽器」として鳴らす
ことだと思う。

 うまく鳴らしたり、大きな音を立てたり、
妙なるメロディーが流れるためには、
それなりの習練がいるし、
 経験もいるし、才能も必要と
される。
 
 小林秀雄は大変すぐれた楽器だったのだと
思う。
 他の人が鳴らない形で鳴らすことが
できた。

 小林秀雄を目の敵にしたり、
「美」という概念を嫌悪する人たちは
自分がどのような楽器だと思っているの
だろう。

 そもそも、美を目の敵にする
のならば芸術などやらなきゃよいし、
 そもそも目の敵にするところが
あやしい。

 何かやましいことがあるから、
感情的な反応を示しているのではないか、
そのようにさえ勘ぐる。

 方法を追求する一方で、
モーツァルトは「ああ、いいですね」
と放っておけばよかろう。

 何よりも問題なのは、
方法が全面に出る人たちの語る言葉が、
通常の意味での芸術表現の現場で起こっている
ことに比べれば、単純過ぎるということだ。
 
 一般人が素朴に好み、感銘を受ける
たとえばゴッホや写楽の絵の中に
あるものと、
 カオスだとか、非線形だとか、アルゴリズム
といった方法で示されているものを
比べれば、
 どっちが複雑かということは
言うまでもない。

 現在の人間の知性ではとてもとらえきれない
ほど複雑な豊饒に、私たちはとりあえず
「美」という名前を付けているだけの
ことであり、
 涙を流すことはそれほどお気楽な
ことではなく、
 ただ現時点では方法に分解できない
というだけのことだ。

 ミニマリズムや実験なにがしが
廃れてしまうのは、
 畢竟、それがあまりにも単純すぎる
からではないか。

 素朴過ぎる、とバカにされる
作品の方がよほど複雑なのである。
 アトラクターとかカオスとか
いうbuzz wordに居付いて、
 中心を外してしまってはいけない。

 中心を外してしまっては、楽器が
うまく鳴らない。

 松井茂さんのやられていることは
ミニマリズムに近いが、
 松井さん自身から受ける印象は
美や自分の楽器性を切り捨てる人
というものとは違う。

 何やら、粘菌とか、菌糸体とか、
そのようなものに近い生命作用が
発酵を続けているように感じる。

 だからこそ、ぼくは松井さんという人に
とても興味を抱いたし、
 芸大の学生たちとの対話は意義
あるものになったと思った!

 とにかくここはとても難しい
ところであり、
 松井さんの授業から受けた
インスピレーションをもとに、
私も引き続き考えたいし、
 みんなにも取り組んで欲しいなあと思うのです。

 授業後、学生も言っていたが、
松井さんには、今までのミニマリズムの
隘路を突破する何かが期待できるような
気がする!

 松井茂さん、お忙しい中
いらしていただき、
ありがとうございました!

 授業終了後、いつものように
東京都美術館前でゆったりと飲んでいる時間。
 
 桑原茂一さんもいらして、
吉村栄一さんといろいろ
 わるだくみをして、
 あかねさんのイラストを見る。

 あかねさんはほぼ日連載が決まった由。
おめでとうゴザイマス。
 
 日本は負けた。
 最初は押し込んでいて、
後半から終盤にかけてぼろぼろに
なるというのは、ほんもののタタカイに
おいて数十年前にも起こったような
記憶がある。

 しかも、相手も全く
同じである。

 選手の皆さん、ご苦労さまでした。
本人たちが一番くやしいんだと思う。

6月 13, 2006 at 07:25 午前 |

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受信: 2006/06/14 4:58:49

コメント

昨日から、また気にかかっていることがあって・・・

以前にも、ご紹介したと思いますけれど
塚谷裕一著「植物のこころ」の中に
「着生・寄生・腐生」についてのお話があって

木の幹などに着生する蘭のお話や
その根に菌根菌という共生菌がいて
両者の関係もオモシロく
他にも自ら光合成をやめてしまって
「腐生生活」をしている蘭もいるそうです。

粘菌やカビのお話を、うかがって思うに
肉眼では見えないような世界にも
底知れぬ深さと広がりがあることに、
ただただ驚くばかりです・・・


もうひとつ、以前から気になりながら
まだ目を通していなかった本があります。

先生は、もうお読みかもしれませんが
ルイス・トマス著「人間というこわれやすい種」です。

私は、気になりながら読めずにいる本が何冊かあって

自分にとっての、ベスト・タイミングが
もしかしたらあるのかもしれないと、
思うことがあります。


ところで、いま頃のイギリスは、
どんな気候なのでしょうか?

12年前の10月頃に、ロンドンを一瞬駆け抜けるように
訪れたことがあります。

こちらより、やはり少し北に位置するように感じる
そんな、印象がありました・・・


目にみえぬ  不思議な門を  駆け抜けて

      異国の丘に  薫る緑風   


お気をつけて・・・いってらしてください!!

投稿: TOMOはは | 2006/06/14 5:52:41

それともやはり共振ということなのだろうか、
それと共感する経験値を持たないものにとって
それはなんだかわからないものとして、処理されてしまうのだろうか、
だいたいにして、
社会に傷つけられたものは、
その世界を変えなければならない、傷を負い
エネルギーを有する、
社会に実害を被った経験が少ないものは、
その世界を受け入れてしまう

投稿: 杉原 | 2006/06/14 1:53:57

ある作品に向き合って何かを感じるということは、
自分を「楽器」として鳴らすことまではわかるが、

うまく鳴らしたり、うんぬん、それなりの習練がいるし、
経験も才能も必要というのは、

表現、批評ということにおいてはいいかもしれないが、

感じるということに関して言えば、
まったく必要ないと思う、

ただあるがままに感じればいい、
自然のままに、

それが先入観や、身体を堅くして、
頭を使って考えてしまうと
おかしくなってしまう、

習練、経験、才能というと権威主義的に思ってしまう人がいかねない、
それはあくまで、そういう逆に染み付いてしまったものから、
自由になるという意味では必要かもしれないが、

だれでも、もともとあるがまま持っていたものだ、
ただ堅くなっているだけですよ、と

そして批評においても本質的にはただそれだけ、
技巧とか知識じゃなくて、震えたものを
あるがまま伝えることができる人ということだと思う、

ゴッホを素朴に好み、感銘を受ける一般の人というのがだいたいあやしい
ゴッホはそんな生易しいものではない、
そういう世界に復讐している絵だ
だからそれが受け入れられてはいるけど、
実際にはほとんど見ていないんじゃないか、
カラスのいる麦畑なんて
ただあるがまま見つめたら、
頭を壊されますよ


投稿: 杉原 | 2006/06/14 1:39:23

ある作品に向き合って何かを感じるということは、
自分を「楽器」として鳴らすことまではわかるが、

うまく鳴らしたり、うんぬん、それなりの習練がいるし、
経験も才能も必要というのは、

表現、批評ということにおいてはいいかもしれないが、

感じるということに関して言えば、
まったく必要ないと思う、

ただあるがままに感じればいい、
自然のままに、

それが先入観や、身体を堅くして、
頭を使って考えてしまうと
おかしくなってしまう、

習練、経験、才能というと権威主義的に思ってしまう人がいかねない、
それはあくまで、そういう逆に染み付いてしまったものから、
自由になるという意味では必要かもしれないが、

だれでも、もともとあるがまま持っていたものだ、
ただ堅くなっているだけですよ、と

そして批評においても本質的にはただそれだけ、
技巧とか知識じゃなくて、震えたものを
あるがまま伝えることができる人ということだと思う、

ゴッホを素朴に好み、感銘を受ける一般の人というのがだいたいあやしい
ゴッホはそんな生易しいものではない、
そういう世界に復讐している絵だ
だからそれが受け入れられてはいるけど、
実際にはほとんど見ていないんじゃないか、
カラスのいる麦畑なんて
ただあるがまま見つめたら、
頭を壊されますよ


投稿: 杉原 | 2006/06/14 1:39:23

ある作品に向き合って何かを感じるということは、
自分を「楽器」として鳴らすことまではわかるが、

うまく鳴らしたり、うんぬん、それなりの習練がいるし、
経験も才能も必要というのは、

表現、批評ということにおいてはいいかもしれないが、

感じるということに関して言えば、
まったく必要ないと思う、

ただあるがままに感じればいい、
自然のままに、

それが先入観や、身体を堅くして、
頭を使って考えてしまうと
おかしくなってしまう、

習練、経験、才能というと権威主義的に思ってしまう人がいかねない、
それはあくまで、そういう逆に染み付いてしまったものから、
自由になるという意味では必要かもしれないが、

だれでも、もともとあるがまま持っていたものだ、
ただ堅くなっているだけですよ、と

そして批評においても本質的にはただそれだけ、
技巧とか知識じゃなくて、震えたものを
あるがまま伝えることができる人ということだと思う、

ゴッホを素朴に好み、感銘を受ける一般の人というのがだいたいあやしい
ゴッホはそんな生易しいものではない、
そういう世界に復讐している絵だ
だからそれが受け入れられてはいるけど、
実際にはほとんど見ていないんじゃないか、
カラスのいる麦畑なんて
ただあるがまま見つめたら、
頭を壊されますよ


投稿: 杉原 | 2006/06/14 1:39:06

ある作品に向き合って何かを感じるということは、
自分を「楽器」として鳴らすことまではわかるが、

うまく鳴らしたり、うんぬん、それなりの習練がいるし、
経験も才能も必要というのは、

表現、批評ということにおいてはいいかもしれないが、

感じるということに関して言えば、
まったく必要ないと思う、

ただあるがままに感じればいい、
自然のままに、

それが先入観や、身体を堅くして、
頭を使って考えてしまうと
おかしくなってしまう、

習練、経験、才能というと権威主義的に思ってしまう人がいかねない、
それはあくまで、そういう逆に染み付いてしまったものから、
自由になるという意味では必要かもしれないが、

だれでも、もともとあるがまま持っていたものだ、
ただ堅くなっているだけですよ、と

そして批評においても本質的にはただそれだけ、
技巧とか知識じゃなくて、震えたものを
あるがまま伝えることができる人ということだと思う、

ゴッホを素朴に好み、感銘を受ける一般の人というのがだいたいあやしい
ゴッホはそんな生易しいものではない、
そういう世界に復讐している絵だ
だからそれが受け入れられてはいるけど、
実際にはほとんど見ていないんじゃないか、
カラスのいる麦畑なんて
ただあるがまま見つめたら、
頭を壊されますよ


投稿: 杉原 | 2006/06/14 1:37:53

サッカー、残念でしたね。。。そしてその展開と同じ位(?)歴史を遡って、思わずという感じで比較なさっている茂木さんの発想にもビックリしました!(笑) う~ん、普段の生活に関してはあの頃に比べたら日本ももちろんほぼ世界最高レベルに上がっていると思うのですが、前回も今回も共通しているのは、相手の文化で編み出されて相手にとっては歴史が長く知り尽くしたルールに則ったタタカイである事、でしょうか?!

・・そう考えると、プロ化以来まだ十数年の日本チームがよく頑張っているし、追いついてきているなぁ、という感じかも?!

投稿: | 2006/06/14 0:40:05

ある作品に対面して、何かを感じる、ということは茂木先生がこのエントリーで言われているように「自分を楽器として鳴らすこと」なのだと思う。うまく綺麗に鳴るためにはそれなりの習練もいるし、センスも才能もいるのである。

私は小林秀雄について、まだまだ知らないが、茂木先生の言及通り、彼はすぐれた「楽器」なのだったのだろう。他の人がならない形で鳴らすことが出来たというのだから、本当に余人の想定以上に、研ぎ澄まされた美的センスを備えていたのに相違ない。

美を創り出す立場の者にとっても、このエントリーで取り上げられた主題は、本当に本気で考えなくてはならないようだ。

いまや美術界をはじめとする「美」の世界のみならず、方法論を全面に出す人間たちの言動がやたらと目立っているご時世である。

しかし、世の中は方法論で片がつくほどそう単純ではない。単純素朴にみえるものほど、実は複雑精緻な生命の気配が潜んでいるのだ。

もっと複雑で、実験うんぬんとかミニマリズムうんぬんとか、そういう単純な論法では解明不能なのだ。

ましてや、美の世界は世のどんなものよりも豊穣で複雑だ。そこに宇宙の真実面の気配も見え隠れする。

単純な「方法」を前面に出して論じて、それで美の本質なんてつかめると思っているのか。絶対に不可能だ。

もっと虚心に、美に向き合い、おのれの魂を震わせて妙なる響きを響かせるがよい。と、私は世に問いたい。

ところで、茂木先生は19日から英国へご出張のよし、くれぐれもご無事でありますよう。恩師の先生と出会えるといいですね!

投稿: 銀鏡反応 | 2006/06/13 19:16:38

難しい言葉がたくさん出てきました。
方法が全面に出る人たち
日記の雰囲気から、深い内容だったのかなと思いました。
講義聴きたかったです。

楽器をうまくならせるようになるのは大変なんですね。
小林さんの評論は、まだ読んだことがありません。
辛らつとは聞きますが、嫌う人はそんなに多いのですか。
美を毛嫌いする人もいるんだ

終盤にかけてぼろぼろ
ほんもののたたかいもそうだったんですね

つぎの試合もがんばって応援しよう


投稿: | 2006/06/13 18:13:58

こんにちは。岩手からお邪魔したものです。3回聴講させて頂き、図々しくも3回とも飲み会にまで参加させて頂きました。後ろ髪を引かれつつ9日の夜行バスで東京を発ち、10日の朝、岩手に到着しました。

講義も飲み会も私にとっては、とても貴重なひと時でした。講義に行くのでさえドキドキして震えんばかりだったのに、飲み会にまで参加できたのは「誰でもご参加ください」という開かれた姿勢のおかげです。何か制約があったとしたら、きっと気後れて行けなかっただろうと思います。
最近、(抵抗はしているのですが)気持ちも行動もどんどん引きこもる傾向に走っているので、慣れない場所に行くことや皆の前で書いたものを発表することはかなり勇気が要りました。けれど思い切って行ってみてよかったです。個人的には課題や壁みたいなものをはっきり意識できました。「自分から人に話し掛ける」とか、ちっちゃなことですが。

茂木先生は「若冲は愛の人だと思っていた」とおっしゃっていましたが、茂木先生こそ愛の人ではないでしょうか^^飲み会のあの「場」を作られたこととか、いろんな場面でそう感じました。あんな風に、難しいことや他愛もないことが、それぞれ真剣に誠実に語り合われている場は貴重だなと思いました。

ありがとうございました。また行きたいです!
それでは、さようなら^^ 葭原 香織(よしはら かおり)

投稿: 葭原 香織 | 2006/06/13 9:49:21

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