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2006/06/01

アートは生きることの意味を生産している

「アートは生きることの意味を生産している」
茂木健一郎
原美術館、三井記念美術館、五島美術館、
畠山記念館、出光美術館、泉屋博古館分館
クオリア的東京美術館散歩

小学館 「和楽」2006年6月号

http://www.waraku.shogakukan.co.jp/latest.html 

6月 1, 2006 at 08:09 午前 |

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コメント

「和楽」を本屋さんで探して、定期購読なのを初めて知りました。
「食のクオリア」も置いていなかった!
広いし、椅子を置く気遣いもあるお店なのですが、
手に入れたいものがなかなかおいていない、ジレンマ書店です。

どうして 
文学>絵画 
と思われてしまうことがあるのだろうと考えたら、
活字の手に入りやすさもあるのかなと思いました。

絵画や彫刻などは、その凄みとか、哀愁とか、迫ってくるもの、
実際に目にしなければ感じられない部分があって、
一点限りのもので、
美術館へ足を運ばなければ対峙できない、
公開されていなければ見ることもできない。
作品集なら文学と同様に手に入りますが、実際に体験するには、
文学より身近でないことがすこしは影響している気がします。

日本人の自己批評性、なんですが、
自己批評性をどう解釈するかにもよるけれど、
私は元来日本の人は、
自己批評性を持ち合わせているほうなのではないかと思ってます。
思いたい、というのもあるかな。

逆に外国の文化が幅広く浸透してきた現代は、
昔から持っていたその気質が薄まってしまった状態なんじゃないかと思えます。
欧米の文化のせいとは言えないですが、
外来のよいところがあまり生きていないというか、日本人らしさが失われてきたというか・・。

漱石先生の作品が当時好評をはくしたのも、
文豪と呼ばれるまでになられたのも、
その文から伝わるものを理解して共感できるような、
自己批評性を自覚している人びとが、
今よりたくさんいたからなのではないかと思います。

そもそもわたしが茂木先生のいう自己批評性というものを
正しく理解できているかが怪しいところですけど。

この前上野に行ったとき、
若冲展のポスターが目に飛び込んできました。
ちょっと派手めの所に若冲の一端が現れてるポスター。
なんだかタイムリーで、ワハッと喜びました。
とうとう本物を見る機会がやってきた!
七月からとなっていましたが、嬉しい限りです


投稿: | 2006/06/03 19:28:25

茂木先生へ

6日ほど静岡へ行っていて、先ほど重松さんゲストの音声ファイルを聞かせて頂きました。重松さんは芸術家的なお話の仕方ではありませんが、茂木先生とは対称的で面白かったです。

自分のことでなんですが、私は絵ばかり描いていた子供時代を過ごしたのですが、お話を聞いていて、過去の記憶が呼び起こされました。
日本に於いては、絵画(芸術作品)というものは、文学よりもランクが下に置かれていた、というのがあるのではないでしょうか? 上から、文学、スポーツ、芸術という具合に。
確かに、文学も芸術ですが、日本では文学と芸術は分けられていると思います。

小中学校の時代、絵が特別上手いからといって、学校の先生から、勉強が優れている生徒や、スポーツが万能な生徒のような特別扱いはされませんでした。むしろ変人の扱いに入っていたような・・。(笑)

夏目漱石があれだけ文豪として名を馳せたのも、やはり文学だったからだと思います。大体日本に於いて、高く評価された芸術家は西洋へ留学されてあちらの絵画を勉強された方々で、浮世絵や日本画は、西洋人や日本に訪れていたフェノロサなどが多分衝撃を受け大評価してくれたから、日本で再評価されるようになったのでは? それまでは、大衆的であったり、仏教と絡んでいたのではないでしょうか? 私は絵画からはとっくに離れてしまって、詳しくはないのですが。

日本人は、島国コンプレックスがあって、自分たちのことを、茂木先生が言われるような自己批評出来ない伝統があったように感じます。

それから、泣かせる小説ですが、本当に、それが売りだと分かっている小説は読む気になりません。なんだか、安っぽい感じがして。私が泣いた小説や映画は自己犠牲のものです。自分が死んで他者を助けるというもの。でもこれ「泣かせる」の基本かも?

所で、絵画でバ~ン! と衝撃がある絵、楽器が鳴る絵、というお話がありましたが、私は中学生の時、絵ばかり描いている私に父が美術本を買ってくれ、その中の、ムンクの「叫び」にバ~ンと来ました。ゴーギャンの「我々は何処から来たのか?我々は何者か?我々は何処へ行くのか?」は、その意味をずっと、大人になってからも考えました。それと、ピカソの「泣く女」の衝撃。

芸大の有元利夫さんの生涯の作品の展覧会を観たとき感動して涙がでたことを思いだしました。お母さんをモチーフにしたと言う。

一枚の絵は、映像となって、脳の中に記憶されます。文学は、年月が経つとおぼろげになってしまう。絵はフィルムのように脳の中で再生できるけど、小説は、衝撃的なセリフや文章は残るのでしょうが。 う~ん、どうだろう。茂木先生は残っていそうですね。私はなんとなく大まかなストーリーを覚えているって感じですが。わざわざ暗記した文章は出てくるけれど。

「我が輩は猫である」を読んでいますが(まだ途中です)、あの小説、小学生であれを理解出来る子供は学者の子供くらいじゃないでしょうか? 茂木先生のご両親は学者じゃないですか? 私の国語能力は極めて低いのでそんな気がします。世間話といい、愚痴といい、なんだか落語みたいな小説ですね。今読んでも、難しいです。米印がいっぱいあるし。
なんだか、いっぱい書いてしましました。失礼致しました。
今は、茂木先生のブログが拝見出来てほっとしています。


投稿: | 2006/06/02 23:25:32

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