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2006/06/25

いまに生きる聖徳太子「十七条憲法」

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月9日号
(2006年6月26日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第11回

いまに生きる聖徳太子「十七条憲法」

抜粋

 私の親しい友人に白洲信哉という男がいる。至って気の良い、親切なやつなのだが、酒を飲むといささか乱暴になる。ぶっきら棒に、「お前はもういい、帰れ」などと言う。
・・・・「白洲」という姓でピンと来た人もいるかもしれないが・・・・ところで、「日本一かっこいい男」の評伝のいわば決定版と言える『風の男 白洲次郎』には、日本国憲法の文案がGHQから時の日本政府に提示された経緯が書かれている。・・・・白洲信哉も、そして私もかつて留学した経験のあるイギリスでは、憲法は非成文である。首相をどのように任命するか、という重要事についてさえ、明文規定がない。・・・もし、条文にどうしてもこだわりたいのなら、良いアイデアがある。かつて日本の歴史の中で重要な役割を果たしてきた法律を、今日においても有効な条文と認めれば良いのである。イギリスでは、西暦1215年に制定された「マグナ・カルタ」は、現在でも憲法の一部分を構成すると考えられている。その精神に準じて、たとえば西暦604年制定と伝えられる聖徳太子の「十七条憲法」を今日でも有効な日本国憲法の法源と認めたらどうだろう。
 「和をもって貴しとなし」という・・・

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 25, 2006 at 03:33 午後 |

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» セカンド・オピニオン トラックバック タイトルつけるの四苦八苦(仮題)
去年の冬のこと。寝て起きたら鼻血が出てましたw。 しかも二日続けて。めったに鼻血 [続きを読む]

受信: 2006/06/26 9:42:17

» 本:風の男 白洲次郎 トラックバック 情報基地
今年で亡くなってまる20年ということもあり、彼に関する本がいろいろ出ている中での基本的な一冊がこの本です。 白州次郎という名前を知ったのはこのタイトルどおり、11年前に日本テレビでやった「世界超偉人100万人伝説」でビートたけし&明石家さんま [続きを読む]

受信: 2006/07/24 1:46:43

コメント

つい先日この記事を拝読する事ができました!

確かに伺ってみれば、大学の授業で教わるよりも古い憲法がありましたね。 子供の頃、聖徳太子から壱万円札が変わった時におさなごころながら、結構寂しかったのを思い出しました。。。(笑)

ちょっと検索を掛けてみたところ、そもそも「憲法」という言葉もこの「十七条憲法」から持ってきた、と書いてあったサイトもありました。内容も、今でも共感する条文も多くて、社会を営む人間にとって「普遍的に分かち合える価値観」について、改めてちょっと考えが広がりました。(確かにいかにも官僚向けだな、という内容もありましたが)

今度、司法の仕事をしている友人達に会う時に適当なタイミングを見つけて、どう考えるかちょっと話してみようと思いました。(普段はとてもリアリスティックな仕事に取り組む彼らも、たまにはこういう「頭のストレッチ」をするのがきっと良いハズ!?)

投稿: | 2006/07/14 1:21:18

白洲信哉さん。
やはり性格もおじいさまそっくりなんですね
「もういい、帰れ」
ってなかなか言えないです(笑)
 すてきであります。

そういえば、初めてわたしが先生をぼんやり認識した雑誌、
白洲さんのおもてなしをうけている。ようやく手に入りました。
茂木先生もぼんやりではなく、お名前もちゃんと載っていた。
しかもかなり前に思えたのに、去年の夏でした。
記憶って、とくにわたしのは、当てにならないんですね。

あらためて拝見して、あー、あごのあたりがとくにそっくりでいらっしゃるなぁと。
小林秀雄さんにはあまり似ていない感じがします。
いずれにしても
 すてきであります。

マグナ・カルタは
すごく懐かしい響きで、世界史を思い出しました。
日本人は英国人と違って、条文がないと駄目な性質なのかなと思いました。
なんとなく歯止めがきかなくなりそうで。

個の中にプリンシプルを持てない、持ちづらい傾向
いろいろ変ってもいまだに。
良いところだけがそがれていっているようでこわいです。
白洲次郎さんが今を生きていらしたら何と言われるでしょうか
お話を聞いてみたい
茂木先生の十七条憲法の案、次郎さんも賛成されるような気がします。

前号は、本屋さんへダッシュしたものの
間に合いませんでした。
はあぁ、ざんねん
バックナンバー頼みです。

投稿: | 2006/06/27 18:16:14

「和をもってと貴しとなす」いい言葉ですね。
今でも、日本人の考えの底にあって欲しいし、All Natural Persons(すべての自然人)の心にも宿る事を願います。日本国憲法の24条、人権に係わる条項の草案執筆に尽力されたベアテ・シロタ・ゴードンが使った言葉、All Natural Persons(すべての自然人)それが日本政府に翻訳の過程で
「国民」と変えられてしまったという事実があります。
ベアテ・シロタ・ゴードンは、外国人も含めた平等というもっといい方向に持っていこうとしたのです。

偶然的事情に基づいて成立したと言う事実があるにしろ、
草案を作成した人達は、この憲法に平和への願いを込めたに
違いないと思っています。戦争、自衛のための交戦権をを放棄した憲法が日本に60年以上もあり続けている事に感謝すると共に、
世界が平和になることを、次世代を担う若い人達のために
祈っています。
平和ボケほど幸せなことはありません。

投稿: | 2006/06/26 22:26:11

「聖徳太子の『十七条憲法』を今日でも有効な日本国憲法の法源と認めたら如何だろう」というが、その前に現行の憲法を大幅に改正しなくてはならない。もちろん、何時か来た道に逆戻り、というか明治憲法のような内容に逆戻りするのではなく、21世紀のグローヴァライゼーション時代に相応しい、人々が人間として生き生きと生きる全ての権利(基本的人権の尊重、信教・集会・思想の自由など)を永久に保障する内容にしていかなくてはならないだろう。その時にこの「十七条憲法」を下敷きにして現行憲法の改正を行なえばよい。

問題は、いまの永田町に集う政治家たち(与野党問わずすべての)に、その「十七条憲法」を憲法改正の為の下敷きにする「智恵」と「勇気」があるかどうかにあると思う。
ヘタすると彼等は、「明治憲法」を下敷きにして、現行憲法を改訂しようとしかねないからだ。そうなったら、民衆が人間として生き生きと生きる全ての権利が彼等のせいで損なわれてしまうだろう。

常に民衆をロボットのように支配し、操りたいという潜在願望が、彼等にはあるような気がしてならない。

それを防ぐには、まず憲法改正の前に、政治家の改正が必要なのかもしれない。何時までも利権と票ばかりを欲しがり、民衆の幸福の為に動かない、夜郎自大で自己批評能力のない政治家には、憲法改正に携わる資格はない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/06/25 19:30:09

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