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2006/06/07

無意識耕作

最近は仕事関係のメールが
加速度的に増えてきて、
毎朝受信箱を開けるとうゎっとなる。

 読んで、返信するだけでも大変だ。

 でも、メールじゃなかったら、もっと
大変なのだろうと思う。

 そんな中、きのうはちょっと異なる
趣のメールがあった。

 一陣のさわやかな風が吹いたような
気がした。

 養老孟司さんから、白水隆さんとの
写真はないか、というお問い合わせ。

 白水先生は、九州大学で長年教鞭を
とられ、日本の鱗翅学の権威だった。

 私は、小学校5年生の時に
母に連れられて
箱崎の九大キャンパスを訪れ、
白水先生にお目にかかったことがある。

 その時、「これは大分の山中で発見された
蝶の新種なんですよ。まだ発表前です」
とゴイシツバメシジミの標本を見せていただいたのが
鮮烈な思い出である。

 何しろ、愛好家が多く、ほとんどくまなく
調査されている日本において、新種が見つかるなど
ということは考えられなかった。
 
 それが、ゴイシツバメシジミは原生林の
梢近くで生活し、ほとんど地面近くには
降りてこないというので見つからずに来たのである。

 小学校5年生の私にとって、
白水先生が手に持たれていた可憐な蝶の
標本は、なによりも輝かしい宝石に思えた。

 果たして写真があるかと母親に問い合わせたら、
「白水先生あの時お忙しくて、
写真はとっていないんじゃないかしら」
と言う。
 
 母の記憶違いでなければ、小学校5年生の
私と白水先生の写真はこの世に存在しないらしい。

 その旨養老先生にお伝えする。

 昨日まで11日間、ドサ回りで、あいだに虫取りを挟みました。
まだ虫の季節が続くので、忙しいんです。


 と養老先生からの返事にあった。

 近日、パラワン島に行かれるとのこと。

 山岳とジャングルの島。
 とてもとてもとてもうらやましい!

 お気をつけて行かれてください。

 聖心女子大学での授業。
 視覚系についての勉強の仕上げと、
ソーシャル・コミュニケーション
導入。

 PC+プロジェクタでの
ヴァーチャル・ホワイトボードの使い方を
覚えて、授業が大分楽になった!

 もう黒板消しもチョークもいりません。

 羽田へ。
 びゅんと飛んで、
 白水先生ゆかりの九州大学に来た。
 
 ユーザーサイエンス機構(USI)関連の
研究打ち合わせ。

 USIが電通と連携しているということで、
東京から毎度おなじみ電通の佐々木厚さん、
 それに九州電通の小野さんも
ブレインストーミングに参加。

 佐々木さん、小野和美さんの他
 坂口光一さん、田村馨さん、河邊隆寛さん、
後郷吉彦さん、坂口敬司さん、加藤完治さん、
藤原昌子さん(以上九州大学)、
 村山由香里さん、清澄由美子さん(Avanti)

 あるキーコンセプトが生まれたことで、
私としてはこれからの道が見えて
来たように思う!

 大橋キャンパスから歩いてほど近い
那珂川沿いの寅兎楽 (ととらく)へ。

 後郷さんは実はヨットマンということで、
博多湾で帆走されているらしい。

 夜の海に落ちることがいかにこわい
ことかという話。

 「村尾」のグラスを持って
一人那珂川河畔に近づけば、
 ウシガエルが鳴き、水面は黒々と
広がっている。

 「無意識」というメタファーにもっとも
近きものは広がる水面か。
 ヨットマンは無意識と向き合っているのであろう。

 博多の夜は長い。デザイナーの平松暁夫妻も
乱入し、(平松さんはいつもスタイリッシュな
黒いジャケットを着ていらっしゃる!)
 坂口さんが屋台で隣りに座った見知らぬ人と
ソッコーで話し込むワザを繰り出し、
 田村さんは何やら下を向いて沈思黙考の
業に入り、
 夜は更けていったのだった。

 坂口さんは参禅を重ねているということである。
 
 人生、酒が上達するより禅行を深めた
方が良いような気もする。
 なぜならそこには無意識の耕作があるからである。

 もっとも、酒を飲んでふらふら
と一人河畔を歩くのも無意識の耕作であるように
思う。
 酒を飲んで談笑するだけが愉しみではない。
 李白以来の無意識耕作の伝統を絶やさない
ためにも、
 諸君、たまには一人ふらふら酒を飲んでは
いかがか。

6月 7, 2006 at 08:26 午前 |

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» 身体を変えたい トラックバック 54のパラレルワールド
最近思うこと。 身体を変えたい。 つまり、この性格というか性質が嫌なのです。 外交的でない部分や、女々しい部分、そしてときおり訪れるディープブルー、、そのすべてが嫌なのです。 人間の性質、性格というものは身体によって決まってくる。身体感覚というものがまずはじめにあり、それをもとに思考回路は形成されていく。 まず身体ありきなのだ。 それは進化の歴史を見ても明らかである。 身体がはじめにあ�... [続きを読む]

受信: 2006/06/07 10:10:28

コメント

「一陣の涼風」のような尊敬する人からのメール。

煩雑極まりない毎日の中、少壮の脳研究者にとってはそれはまさに「一陣の涼風」だった…。

無意識の耕作。魂の奥底を耕す…。ひとり酒杯を手に那珂川の河畔にたたずむ茂木先生の姿が連想される。

ウシガエルや鳥の鳴く声に耳を静かに澄まし、黒々とした平らな水面を眺めていることが、この研究者にとっての静かな魂の耕作なのか。


自分達の周りには、ありとあらゆるノイズに満ち溢れている。クルマのはしる音、クラクション、人の喋る音、パチンコパーラーから流れる“ジャンジャンバリバリ”といった感じの五月蝿い響き…。それらに囲まれてばかりいると、自分達の無意識の中に碌でもないものたまってくるように思われる。

そんな、碌でもないものを吐き出すべく、土曜の午後、私などはいろいろなところへひょいひょいと「放浪」するのだが、どうも行く先は東京23区内という、日本でいちばんノイズに溢れたところばかりで、本当に“無意識耕作”なんてできやしない。

おまけに耳にウォークマンのイヤーレシーバを突っ込んでいるから、どうにも“音”から離れられない。


こんな状態が続くなら、いっそ自分は、多摩川の河畔へいってひとりふらふらと歩くとしてみようと思う。

それなら、魂の静かなる耕作も出来るだろう。

やかましい騒音、殺人的スケジュール…など、人間を疲れさせる要素からのささやかな脱出方法は、ひとり静かなところを訪れ、自然の音に耳を澄ましてみること、あるいは“祈り”とか“瞑想”とかする時間を持ち、ココロの平衡を取り戻すこと…なのかも知れぬ。

皆様、せめて、たまの休日くらいは、“ひとりしずかな所で心を静める”ことをしてみませんか?

投稿: 銀鏡反応 | 2006/06/07 18:38:46

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