まさに阿房列車なり
短文失礼。
聖心の授業、脳のシステム性に
ついて。localなattentionとglobalなattention.
V3とV2。
テレビマンユニオン 花野P,田中ナオト、佐藤
女史。広尾にて打ち合わせ。
NHK。プロフェッショナル打ち合わせ。
羽生さんの回。
研究所。
東京工業大学の國府田くん、勝呂くん
見学に来る。
土井利忠さんを囲んでの会食。
品川の夜景がキレイ。
本日は再び大阪への日帰り。
21世紀フォーラム。
まさに阿房列車なり。
6月 14, 2006 at 06:28 午前 | Permalink
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コメント
自治体職員です。
移動することの本質は、その目的、目的地における活動にあると考えられています。
目的別交通量、交通手段分担率などの計画用語に見られるように、目的(通勤通学、通院、買物、自由…)や手段(鉄道、バス、自動車、自転車、徒歩…)が交通行動の分析対象になります。
高齢化社会における生活の足の確保、交通利便性の向上といった命題から、通院や買物のためのコミュニティバス運行といった議論になるわけですね。そのことが間違っているわけではありません。
しかし、都市における、あるいは農村におけるモビリティのあり方を具体的に検討しているうちに、私は、移動すること、そもそもそのことが人間の根元的な欲求ではないかと考えるようになりました。
脳科学的にはいかがでしょうか?
移動欲の立場から見ると、目的地とは、移動を果たすためのかりそめの目標、捏造された需要ということになります。
投稿: 金野 | 2006/06/17 2:07:40
きのう、このエントリーにコメントしたはずなのだが、きょうみたらコメントしたはずの文章がなかった。
こちらが誤って消したのかもしれない。
ところで…茂木先生のこの「クオリア日記」は、私にとって、明日への活力となっております。
これからも楽しみにしています。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/06/15 17:49:49
「土井利忠さん」をスタートして
「常に戦っていないと安定しない・・・」
という新聞記事を経由して
結局「エリクソンの発達理論」にたどり着きました。
いつの間にかぐるっと一回りして
もとのところへ戻ってきたような感覚です。
当分このサイクルを回っているのか
その先はどこかも未確定の、
どこか違う世界へ飛び出る道はあるのか?
そんなもの自体が、意味をなさないのか・・・?
結局堂々めぐりの、孫悟空・・・の気分でしょうか?
投稿: TOMOはは | 2006/06/15 6:43:13