いちいち書くのも、もはや
はばかられるが、相変わらず起きている
時はずっと仕事をしているなり。
今週末はひたすら机にしがみついて
仕事をする予定なり。
光文社の新海均さん、
編集者の松崎之貞さんにお目にかかる。
吉本隆明さんにお会いする件について。
新海さんは『家族のゆくえ』を
はじめとする吉本さんの著作を担当し、
松崎さんは徳間書店に在籍されていた時に
吉本さん担当だった。
大思想家のひととなりや、
夏休みの過ごし方など、いろいろ
と教えていただく。
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、将棋の羽生善治さん。
いつもの102スタジオかと思って
すたすた歩いていたら、
どうも様子がヘンで、あれ、
と呆然としていたら、向こうから
住吉美紀さんが来た。
「今日、スタジオどちらでしたっけ?」
「あれ、102じゃないのですか。私も
知らない・・・」
と言っているうちに住吉さんが台本を
見て101だと判明した。
101は、NHKで一番大きなスタジオで、
そこにプロフェッショナルのセットを
設えると、なんだか映画を撮っている
気分になる。
荷物を控え室に放り込んで、ふらふらと廊下を
歩いていると、向こうから白い開襟シャツを着た
すっきりした感じの人が歩いてきた。
「あっ、こんにちは。よろしくお願いします」
それが羽生さんだった。
何しろ初対面なので、劇的かつフォーマルな
出会いを予想していたのだが、
羽生さんとは夏祭りのそぞろ歩きのような
気分の中で出会ってしまった。
収録開始。
いつものことだが、私は決まったことを
言うのがどうも苦手で、アドリヴだったら
いくらでも言えるのだが、「これとこれと
これは押さえなければならない」という
のが住吉さんのようにうまくできない。
「茂木健一郎です」
で始まるスタジオ1が終わると、収録の
半分が済んだ気分になる。
物理的時間の長さで言えば、10分の1にも
満たないのだが。
しかも、昨日は2ヴァージョンも言わなくては
ならなかったのだ。
「インフェルノ」と呼ばれる画像のインサートを
するかどうか、後の編集判断で選ぶ余地を
残しておくためである。
ヴァージョン1
羽生さんというと、早熟の天才という
イメージがありますが、この10年、羽生さんの
中では語られることのない多くの出来事がありました。
35歳になった今、20歳とは全く異なる境地に
達している。今日は、羽生さんの新境地に迫りたいと
思います。
ヴァージョン2
羽生さんは、早熟の天才というイメージが
ありますが、実は、7冠を達成された後、
徐々にタイトルを失い、2年前には1冠にまで
落ち込んでしまいました。その後タイトルを
取り戻し、35歳になった今、将棋界のトップ
として活躍されています。今日はあまり知られる
ことのない棋士羽生善治の新境地に迫りたいと
思います。
住吉さんは、さすがアナウンサー、いつも
「決まり事」をすらすらと言って、
涼しい顔をしている。
スミキチの境地に近づきたいなあ、
と願っていたが、昨日は重大なことに気がついた。
スミキチは、カメラに向かってまっすぐに
スミキチ・スマイルで語りかけているのだが、
その時に「OKの時はまんまるにっこり」
の山口幸子さんが、カメラの下にカンペを
出しているので、それを読みながら
(しかし自然に)話しているのだ。
カンペを読みながら自然に話す、
というのは一つのスキルで、俺はそれが
できないのだ、と思っていたが、
よく考えたら俺がカメラに向かって
真顔で喋っていたら、それはかなりモンダイの
ある映像なのである。
実際、有吉伸人チーフプロデューサーからの
「演技指導」では、私は住吉さんの方を見ながら
語りかけるように話せ、ということなので、
そもそも私はカメラに向かって視線を固定して、
その下にあるカンペを読む、ということが
できないのだ。
だから、言うことを全部覚えて、そのまま
喋るしかないのだ!
そうだったのか!
羽生さんがいらして、トーク開始。
羽生さんが、歩くときにやや前傾姿勢で
いること。
「猫まっしぐら」
ならぬ「羽生まっしぐら」。
まっすぐに対局室の盤面に向かってベクトル移動。
途中のものは、
何も目に入っていない。
東北の老舗温泉旅館での対局前、
散歩をする羽生さん。
やはり前傾姿勢の前のめりで、
横で猫がにゃあと歩いているのも
お気づきではない。
つまり、羽生善治の目は
まわりを見ているのではなく、
何やら抽象的な思念の世界を見ている
のである。
お話していて、正面から顔を見ていると、
羽生さんは、考え事をする時には
目が上にいったり、
くるくる動いたりする。
普通、視線移動は視野を移動し、
注視点を変えるために行われるわけだあるが、
羽生さんの場合は、あたまの中で
なにかを考えている時に、そのダイナミクスの
反映として目が
キョロキョロと移動するわけだ。
車の運転も、ある時これはアブナイ、
とやめてしまったという。
運転している時に、ふっと
何かを思い出したりして、
まわりを見ていないこと
に気付いたというのだ。
「何しろ、考えようとおもえば、いつでも
将棋のことを考えられますからね」
と羽生さん。
どういう意味かというと、9×9の
盤面は、いつでも頭の中でイメージして
駒を動かすことができるので、
その気になれば、24時間将棋の
ことばかり考えられるというのだ。
「じゃあ、プロ同士だと、実は盤面は
いらないじゃないですか。」
「そうですねえ。でも、あった方が
便利ですから。」
棋譜を見せていただいたが、そこには、
先手三5歩
後手同角
などという文字列が並んでいる。
羽生さんは、将棋会館で棋譜をぱらぱらと
見て、
「あっ、これは面白そうだ」とあたりをつける
のだという。
もちろん、将棋盤で駒を並べる
などということはしない。
記号がならんだ棋譜、すなわち
9×9の盤面のイメージの世界。
かつて自分が指した棋譜を全て覚えている、
ということはさすがにないが、
ある盤面を見て、これは自分が指した
将棋かどうかはわかるという。
ちょうど、普通の人が絵や人の顔を見て
「どこかで見た」とわかるように、
羽生さんは将棋の盤面をパターンとして
認識、把持している。
羽生さんの面白いのは、いろいろ
癖があることで、
本人が気付いていないことが
たくさんあると言うが、
考えているときに髪をかきむしったり、
目をぎょろぎょろさせたり(羽生にらみ)
つまりあれは、
思考回路の活性化と同時並列して
起こる運動系の抑制の中、
思考回路の活性が一部運動系に
沁みだしてそうなっているんだと
思う。
養老孟司さんもそうだけど、
猛烈に考えている人はだいたい
ヘンな癖を持っているものです。
体の動きがヘンなのだよ。
若いときはものすごいスピードで
読みを続けていたが、
最近になって、大局観のようなものが
できてきて、
あまり手を読まなくなった、と羽生さん。
そのような指し方に最初に目を開かれたのは
大山康晴さんの将棋を見ていた時だという。
横から見ていて、
「この人は、ぜんぜん読んでいない」
とわかったというのである。
大山さんと言えば、史上最強の棋士とも言われ、
十五世名人 を襲名した伝説の人。
将棋は長く、人生は短い。
まったくですねえ。
脳科学も同じです。。。。
などなどと、
羽生さんと話していると、いつまでも
終わりがない!
それにしても、今日はたっぷり喋っている
なあ、
なんだか
おかしいなあ、と思ったら、
やっぱり普段よりも1時間も長く喋っていた。
延々と、5時間のトーク!
それがあっという間に感じられた。
どうやら、副調整室が、
「このトークは面白すぎる。通常の
プロフェッショナル以外に、「トーク・スペシャル」
もつくりたい」と
途中で判断したらしく、
終了後、とつぜん手持ちカメラまで
登場して、
「羽生さん、お疲れさまでした!」
と挨拶して、羽生さんがスタジオを出て
いくところまで撮影していた。
その映像は、トーク・スペシャルで
使うらしい。
こういう臨機応変の判断をする人
といえば、アリキチこと有吉伸人CPしか
いない。
終わりました、
ふう、と息をついていたら、
まだ放免ではない。
私の「質問」だけ再び撮るという。
そうしないと、編集がうまくつながらない
ということ。
羽生さんはもう出て行ってしまったので、
羽生さんのかわりにアリキチさんが
座る。
私が、アリキチ善治に向かって質問を
発すると、その間
アリキチさんは目を瞑ってじっと聴いている。
OKかどうか、音声で判断しているのである。
それで、目をあけ、にこっと笑って、
「茂木さん、もう一回いきましょうか」
などと言う。
二度ずつふたつ質問をとって、撮影は
終わった。
頭脳労働のあとの打ち上げの一杯はうまいなり。
私たちはビールで、
羽生さんはさいしょから熱燗の日本酒だった。
羽生頭脳にあやかりたいと
見学に来ていた関根崇泰は、大胆にもポケット
将棋盤を胸にしのばせていたが、
羽生さんはそんなもんいらんのだよ。
お前はいるだろうけど。
柳川透は羽生さんの御本に
ご署名をいただき、
関根はポケット将棋盤のかわりに
色紙を出して揮毫していただいていた。
これで柳川と関根の頭脳がますます
明晰になれば、研究室のボスとしては
うれしいんだけど。
関根くん、ひとつ、好物のラーメンでも
たべながら、
「羽生にらみ」で論文を完成させて
くれたまえ!
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