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2006/06/30

アツイ感じ

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録。

 NHKの102スタジオに入っていくと、
有吉伸人CP,山口幸子さん、住吉美紀さん
赤上亮さんたちが、
 腕組みして赤い車を見つめていた。
 
 それが、世界屈指の名車と言われる
Enzio Ferrariであった。


 
 ゲストは、この名車を設計した奥山清行さん。
 イタリアのトリノにある世界有数の
デザイン工房、ピニンファリーナの
デザイン部門のトップである。

 ぼくが小学生の時、「スーパーカー」
ブームというのがあって、
 子供たちが数々の名車のミニカーを
夢中になって集めた。

 Enzio Ferrariの前に立って
輝くフェラーリ・レッドのブツの
映像のシャワーを浴びていると、 
 何だかその頃のアツイ感じがよみがえってきた。

 Enzio Ferrariは7500万円くらいで売り出され
たそうだが、限定399台。10倍の
申し込みがあり、売り主はそれだけの額面の
小切手を提出させられた上で、「審査」を
受けたのだという。

 今はそれがプレミアムがついて15000万円
になっている。
 
 Enzio Ferrariは、時速350キロで走れるように
設計されているが、これは、ジャンボジェット機の
離陸時の速度時速300キロよりも速い。

 空気力学的に言うと、いかに「浮き上がらない」
で安定して走行できるかが課題となる。

 そのために、通常の車と違って、
ちゃんと空気が車の表面や中を取って
流れ、逃げるように設計しなければならないのだ。

 そのような機能的必要性を突きつめて
いくと、一見美を追究しているように見える
車のフォルムは、ほとんど唯一のものとして
決まってくる、と奥山さん。

 デザイナー相手に、イタリア語で丁々発止
やりとりする姿はカッコ良かった。

 一つ印象的だったのが、イタリア語では、
英語や日本語に比べて短い単語数で
意を通じることができるので、
 会話の展開、頭の回転が速くなくては
ならないという奥山さんのコメント。

 言葉とサッカーのプレイスタイルの
間には関係があるか。

 収録は、車の出し入れがあり、また
トークが白熱したのでいつもより
長くかかった。

 NHK近くの「二合目」で打ち上げ。

 山形出身で世界でもっともカッコいい車を
設計する男、奥山清行は一緒に飲んでも
とても愉快な人だった!

 カラスがカアで、
 やることがいろいろあり、
小さな時間に起きた。
 
 いつもと違って目覚ましをかけた。 

 水飴のような夢が、ふわっと溶けていった。

6月 30, 2006 at 05:03 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/06/29

プロフェッショナル 仕事の流儀 仕事術スペシャル

プロフェッショナル 仕事の流儀 仕事術スペシャル

明日から使える“仕事術”スペシャル
これまで番組に登場した18人のプロフェッショナルたち。不可能を可能にする彼らの仕事を支えているのは、自らが編み出した独自の“仕事術”である。
今回は、キャスターの住吉が、プロフェッショナルたちの現場に出向き、これまで明かされることのなかった“仕事術”を徹底取材。大手飲料メーカーのカリスマ商品企画部長・佐藤章が、企画会議を突破する中で練り上げてきた「プレゼンテーション術」。ゲーム開発の最前線で70人の部下を率いる植村比呂志の強いチームを作るための「コミュニケーション術」。さらに仕事の能率を上げる極意、プロの手帳の使い方の秘密など。
明日からすぐに使える“仕事術”を一挙公開。これであなたの仕事も変わる!?
 
NHK総合
2006年6月29日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

6月 29, 2006 at 09:34 午前 | | コメント (5) | トラックバック (5)

日経サイエンス 対談 高エネルギー加速器が拓く新たな物理の地平

茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア
高エネルギー加速器が拓く新たな物理の地平
ゲスト:山内正則(高エネルギー加速器研究機構教授)
日経サイエンス 2006年8月号
(2006年6月24日発売)

http://www.nikkei-science.com/

6月 29, 2006 at 09:32 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳と人間

Lecture Records

茂木健一郎 『脳と人間』
2006年6月28日
昭和女子大学 人見記念講堂

 音声ファイル(MP3, 42.3MB, 92分)

6月 29, 2006 at 09:28 午前 | | コメント (2) | トラックバック (3)

ミクニにて

 朝、佐藤可士和さんと対談。
 集英社ウオモ編集部の佐藤絵璃さん、
ライターの岡本純子さん。 
 カメラマンの佐古裕久さん。

 可士和さんとは、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』でご一緒
して以来。

 1時間と限られていたので、
サクサクサクサクとお話を進めたが、
本当は何となくまったりと喋りたい
という気分もあった。
 
 可士和さんとは、波長が合うというのか、
暗黙知のところで共鳴している
ところがあって、
 言葉だけで切り取っていくのがもったいない
ような気もしたのである。

 テレビ朝日のディレクター、柿崎拓哉さんと
日野原幼紀さん。
 番組の企画について。
 いろいろ承りました。

 四谷のホテル・ドゥ・ミクニへ。

 
『ニューロンの回廊』のロケ。

 急いで着替えて、「キッチン横の
シェフズ・テーブル」に座る。

 ただ食べるだけなら気楽でうれしいが、
カメラが回っている中で、
 「ドクター茂木」として何か
言わなくてはならないのは大変だわい、
と思っていた。

 ところが、案に反してとても
楽しかった。
 三國清三さんの料理の力が
大きかったと思う。

 デザートを食べながら、三國さんと
屋上で話す。

 屋上はハーブガーデンになっていて、
計画ではどんどん田舎の雰囲気にする
のだという。

 三國さんは北海道の増毛出身で、
父親は漁業、母親は農業をやっていた。

 「フランスの三つ星のシェフは、皆
田舎出身なんですよ」と三國さん。

 「ガニェールも、ロブションも、カッコつけてるけど
みんな田舎の農家とかの出身。僕と同じ」

 頂いた料理が、アミューズからデザートまで、
一つの統一された「クオリア」であった
ことを言うと、
 「大抵、どこかで力が落ちてしまって、
そこに穴が開いてしまうんですよ。サッカーと
同じ。前半リードしていたのに、最後に
パラパラと点を入れられてしまうとかね」と
三國さん。

 三國さんはサッカーが大好きで、
「キッチンの中にいるのは、なぜかいつも
11人なんですよ」と涼しい顔で言う。

 「僕はゴールキーパーですけどね。フォワード
じゃないんです」

 キーパーこそが全体を見渡せる、という
意味だろう。

 料理は最高の芸術の一つである
ということを再確認した昼下がり。

 アシスタント役の岡村麻純も、大いに
満足した様子であった。

 味のシュートを沢山決められた思いで、
ミクニを後にする。

 昭和女子大学へ。
 
 「人間と脳」というテーマで講演。

 日本文学科教授の太田鈴子さん、
 英文学科教授の平井杏子さんとお話する。

 太田さんは最近は村上春樹をやられていて、
平井さんとはカズオ・イシグロや
小島信夫など多くの共通点があることが判明。

 人見記念講堂の中には沢山の学生たちが
いて、皆、礼儀正しい。

 話している間、彼女たちがどんなことを
感じ、考えているのか、判らなかったので
終了10分前になって、「質問ないですか」
と会場に振った。

 授業の一環として行われているという
この講演シリーズで、会場の学生に
質問を振った人はいなかったらしく、
 急いでマイクを用意してくださったが、
学生たちからは案外質問が沢山出た。

 夜寝る前に
 イギリスで買ってきた
Absolute Powerというコメディを2話見たが、
面白かった。
 
 ロンドンで、政治家や宗教家、作家などの
Public Relationsを扱うPR会社の話。
 良心などというやっかいなものに
邪魔されず、白を黒とし、虚構を現実に
するPRマンを
 Stephen Fryが好演している。

 Stephen Fryは、かつて、インタビューの
中で「ケント州くらいの大きさの脳を持つ」
と称されたほど頭の良い人だが、
 Absolute Powerの中でも得難い
演技をしている。
 
 Fry流の
 知的なコメディは最高にentertainingであり、
まさにイギリスのnational institutionと言うことが
できよう。

6月 29, 2006 at 09:20 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2006/06/28

『プロフェッショナル』主題歌 CD発売

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の主題歌
ProgressのCDが、
2006年8月2日に発売されます。

作詞・作曲 スガシカオ
編曲 武部聡志、小倉博和

http://www.nhk.or.jp/professional/dvd/index.html

6月 28, 2006 at 07:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『ひらめき脳』10刷

新潮新書 『ひらめき脳』は、増刷(10刷、累計66000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

6月 28, 2006 at 07:15 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

ビールは飲む

 成田空港から、NHKに直行した。

 渋谷駅で降りて、スクランブル交差点を
歩いていくと、ものすごい数の人で、
ああ自分はふだんはこういう国に
住んでいるんだなあ、と改めて普段の
生活に思いを致す。

 しかし、そのうちにあっという間に
慣れてしまって、
 また日常が始まるのだ。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

 チーフ・プロデューサーの有吉伸人さんに
「いきなり仕事モードですね」
と言われる。
 
 『プロフェッショナル』チームは、
ワールドカップ中の特別編成の関係で
約1週間の休みがあった。
 有吉さんも、安曇野の温泉に行かれた
そうである。

 住吉美紀さんが、言葉と人格の関係に
ついてスルドイことを言っていた。
 
 イタリアーノにならないと
言えないことがある。

 私も、英語では人格が変わる。
 と思っていたところなのだが、
どうも、最近、英語人格と日本語人格が
変わらなくなってきたような気がする。
 浸透してきてしまったのだろうか。

 美しい日本語というのは確かにあって、
心がけている時には、英語人格と
別のモードになっていることは事実である。

 今回、ふと、漱石の自己批評精神は
英国の精神風土の影響を受けたものかも
しれない、と思い至って、おそらくそうだろう、
と思った。

 あの国ほどcriticismということが
過酷に行われるところはあまりない。
 だから科学が発達するわけだけども。

 もう少し、self indulgenceがあっても
良いかと思うが、漱石の厳しさとイギリスの
それは確かに通じる。

 漱石を経由して、あの魂がひんやりと冷える
感じが日本に持ち込まれ、それが愛読者を
得ている、ということの文明史的な意義は
低くないのではないか、と渋谷を歩く
人々の様子を見ていて直覚した。

 セガのアハ体験のCMを沢山流しているらしいの
だが、本人は未だにオンエアでは見たことがない。

 学生の頃、冗談で、「オレはそのうち椎名誠みたいに
コマーシャルでビールをうまそうに飲んでやるのだ!」
と言っていたけれども、
 「アハ体験しましょう!」
などと赤シャツ姿で言うことになるとは思わなかった。

 コマーシャルでなくてもビールは飲む。

 きりりと冷えたビールを飲み干す快楽は、
高温多湿の日本の夏固有のものがあるように思う。

6月 28, 2006 at 07:11 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006/06/26

シャワー

 (私にとっての)学会最終日。
 私たちのグループの発表、5件。

 それにしても今回はよく働いた。
 ワーカホリック・ケンブリッジ、
ワーカホリック・オックスフォード、
 ワーカホリック・イングランドだったなり。
 
 今後の課題(やるべきこと)がいろいろと
わかったのが、収穫だった。

 イングランド対エクアドルの試合の
前半だけをパブで見た。

 イングランドファンの振る舞い
は、熱狂するのだけども、やはり
ブラジルのファンとは違う。

 サッカーのスタイルは、国によって
違う。
 それがしみじみと面白いなり。

 沢山の仕事が待っている日本に帰るが、
それはそれで楽しみなり。

 イングランドのシャワーを浴びて、
随分元気になった。

 やるぞ!

6月 26, 2006 at 02:25 午後 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006/06/25

いまに生きる聖徳太子「十七条憲法」

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月9日号
(2006年6月26日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第11回

いまに生きる聖徳太子「十七条憲法」

抜粋

 私の親しい友人に白洲信哉という男がいる。至って気の良い、親切なやつなのだが、酒を飲むといささか乱暴になる。ぶっきら棒に、「お前はもういい、帰れ」などと言う。
・・・・「白洲」という姓でピンと来た人もいるかもしれないが・・・・ところで、「日本一かっこいい男」の評伝のいわば決定版と言える『風の男 白洲次郎』には、日本国憲法の文案がGHQから時の日本政府に提示された経緯が書かれている。・・・・白洲信哉も、そして私もかつて留学した経験のあるイギリスでは、憲法は非成文である。首相をどのように任命するか、という重要事についてさえ、明文規定がない。・・・もし、条文にどうしてもこだわりたいのなら、良いアイデアがある。かつて日本の歴史の中で重要な役割を果たしてきた法律を、今日においても有効な条文と認めれば良いのである。イギリスでは、西暦1215年に制定された「マグナ・カルタ」は、現在でも憲法の一部分を構成すると考えられている。その精神に準じて、たとえば西暦604年制定と伝えられる聖徳太子の「十七条憲法」を今日でも有効な日本国憲法の法源と認めたらどうだろう。
 「和をもって貴しとなし」という・・・

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 25, 2006 at 03:33 午後 | | コメント (4) | トラックバック (2)

ほとんどのカロリーを

Association for the Scientific Study of
Consciousnessは、意識の科学に
真剣に取り組んでいる科学者や哲学者の集まりで、
今年の会議はオックスフォード大学にて。

 Edmund Rollsらがオーガナイズしている。

 セント・アン・カレッジ
でもらった会議の資料を眺めていたら、
なんとその中に田森佳秀の名前がある。

 学生との共著なので、果たして
本人がくるのかどうか、と考えながら
通りを歩いていたら、
 向こうから見覚えのある顔がひょこひょこ
やってきた。

 昼食を食べながら喋っていると、
解せないことを言う。

 「オレ、やせたんだ」
 「そうか」
 「一日300キロカロリーだよ。」
 「しかしおかしいな。お前、最近は
酒は飲んでいないのか?」
 「飲んでいるよ。でも、アルコールは
脂肪になりにくいんだ。」
 「ん?」
 「まずブドウ糖になりにくいし、なっても、
ブドウ糖は脂肪にはなりにくいんだ。」
 「つまり、アルコールは摂っても
影響ないということ?」
 「うん。」
 「なんか、ロジックが間違っている気が
するなあ。単に、お前はほとんどの
カロリーをアルコールで摂っている、
というだけの話じゃないのか!」

 ケンブリッジで、昔のポスドク仲間
アダー・ペラーと会った時、アダーが
田森との思い出の話になるとニコニコ
していたが、
 田森はとにかく面白く、楽しいやつなのである。

 以前、山の手線に乗っている時、
当時田森が得意としていたとても複雑な
薔薇の折り紙について、
「何回くらい折らなくちゃいけないんだ?」
と聞いたら、田森が突然黙って、ぼくも外の
景色を眺めていたら、何駅か過ぎてそろそろ忘れた
頃にぼそっと「84回かな」と言ったことがあった。

 田森の「アルゴリズム脳」を象徴する
エピソードとして、いろんなところで
紹介しているので、耳にし、目にした
人も多いだろう。

 そのことを昼食の時に持ち出したら、
田森は、
 「ああ、あれ、間違っていたんだよ」
などと言う。

 「あれはね、対称性を考えると
違うんだ。対称性を決めるために、仮折り
しなくちゃいけないんだけど、その仮折り
は最後には折り目として使わないから、
それを数えるかどうかという問題もあるし、
その仮り折りを省略する方法もあって、
そうすると、折る回数は・・・・」

 田森と来ていた学生の富田くんに、
良いことを教えてあげた。 
 田森先生に怒られたら、
何か面白そうな数学の問題について質問しなさい。
 そのことについて説明している
うちに、いつの間にか忘れてしまうから・・・

 田森佳秀。43歳。金沢工業大学助教授。

 理化学研究所時代からの親友である。

田森佳秀:オックスフォードのパブにて

 私たちのグループは8件の発表。
 パブでは、学生のポスターの手直しを
延々としていた。
 ワーキング・オックスフォードである。

6月 25, 2006 at 03:15 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/06/24

(本日)世界一受けたい授業 ひらめき脳

世界一受けたい授業
2006年6月24日(土)
よる7時57分〜8時54分
3時限目
茂木健一郎
ひらめき脳の作り方 教えます!

http://www.ntv.co.jp/sekaju/

新潮新書 『ひらめき脳』

6月 24, 2006 at 03:05 午後 | | コメント (5) | トラックバック (1)

『ひらめき脳』9刷

新潮新書 『ひらめき脳』は、増刷(9刷、63000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

6月 24, 2006 at 03:00 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

ワールドカップを振り返って

茂木健一郎

 決勝トーナメント進出の夢が絶たれた試合を、私は出張先のイギリスのパブで見た。熱狂はどこの国も同じ。見知らぬ異国の人に慰められるという珍しい経験をした。
 サッカーは個人の自主性や創意に依存する側面が多い。その時々の状況で取るべき選択肢が変わり、選手が仕掛けを工夫しなければならない。昨今のサッカーブームの背後には、自発的な発想に基づいて個人が活動しなければ発展が見られないという、時代の要請があるように思う。
 負けて悔しいのは、サッカーには、体力、精神力を含めた日本の「総合力」が反映されてしまうからではないか。自由奔放なプレイをするブラジルを前に、根回しをしたり、様子見をしたり。代表チームの戦いぶりに、容易には変わらぬ日本の自画像を見ているような気分になったのは私だけだろうか。

朝日新聞2006年6月24日朝刊

6月 24, 2006 at 02:56 午後 | | コメント (5) | トラックバック (0)

折り合い

 ある大切なことに思い至った
時、その場所の記憶と結びついて
かけがえのない何かができる
場合がある。

 私にとって、オックスフォードの
テムズ川のほとりを歩き、
川を渡ってクライスト・チャーチ・メドウを
通り、クライスト・チャーチ・カレッジに
至る道はまさにそのような場所で、
 昨年ここを訪れた時、
私の中でイギリスの実際主義と
審美的感性の間の折り合いがついたの
だった。

 イングランドはまだ敗退して
いないので、
 どこに行っても白地に赤のクロスの
旗をなびかせた車が走っている。

 一度目は大学院生の時。
 次にグラスゴーの学会。 
 二ヶ月の滞在。
 二年の留学。
 その後もほぼ年に一回。

 いつの間にか、過ごした時間
の長さからして、イギリスが第二の
故郷のようなものになってしまっている
と感じる。

 音楽や美術において
大したものをつくってはしないじゃ
ないか、というのが若い時からの不満だったが、
 実際的な知性の卓越はそれを
補って余りあると
思うようになった。

 問題は、自分の人生で何をどうするか。
 せっかく掴んだ大切なものを、
一つ大いに活用したい。

 人生には、ずっと一生懸命何かの
練習をしている、というイメージがある。
 学習曲線は、そう簡単に逓減しそうもない。

6月 24, 2006 at 02:46 午後 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/06/23

Physiologyの喫茶室で

あまりそういうことは
したことがなかったのだが、
ケンブリッジ大学のDowning Site,
Physiologyの喫茶室でHorace Barlowと議論
しているところを、写真に撮ってもらった。

ちょっとセンチメンタルな気分になっていたの
かもしれないけど。

ツーショットの写真は、そんなにないと
思う。

私がいた頃は、おばさんがいて
紅茶を入れてくれたが、
今は自動販売機が置いてあって、
Horaceが飲み物を買ってくれた。

今日、Oxfordに移動する。

6月 23, 2006 at 05:50 午後 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2006/06/22

プロフェッショナル 仕事の流儀 植村比呂志 (本日)

プロフェッショナル 仕事の流儀 第18回

現場に出ろ、答えはそこにある
〜ゲーム開発部長・植村比呂志〜
小学生を中心に爆発的な人気のカードゲーム「ムシキン グ」。カードの出荷枚数は、この3年で3億枚。300億円を売り上げた。そして、女の子たちが母親とともに夢中になる「ラブandベリー」。 刺激的なゲームでなければ売れないといわれる時代に、親子で楽しめるカードゲームという新市場を生み出し、業界の常識を変えたと評される。 その生みの親はサラリーマン。セガ・ファミリーエンターテイメント研究開発部長・ 植村比呂志(41歳)。
「開発の答えは必ず現場にある」この流儀を貫き、ヒット街道をばく進している。6年前、植村はかつてチーム解体の宣告を受け、瀬戸際に立たされたことがあった。徹底した「現場からの発想術」を磨いた結果が、昆虫を使ったカードゲームの大ヒッ トだった。昼夜を徹し行われるゲームのバージョンアップ作業に密着。部下とともに現場に答えを探す、ヒットメーカーの仕事術にせまる。
 
NHK総合
2006年6月22日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

6月 22, 2006 at 04:11 午後 | | コメント (1) | トラックバック (1)

Horaceの元気な姿

 6月のイギリスは美しい。
 たとえ曇っていても、
その性質はやさしく、
 どこか地上の楽園を思わせるのだ。

 Horaceが元気にやってくるのを
見たとき、何だか胸がいっぱいに
なってしまって、
 元気でいてくれるだけで
うれしい人というのは
いるんだなと思う。

 Horace Barlowは1921年生まれ。
今年85歳のはずだが、
 とてもそんな風には見えない。
 
 「ケン、今回は何しに来たんだい」
 「オックスフォード大学で開かれる、
意識に関する会議に参加するために
来たんですよ」
 「ああ、そうだったね。」
 「Horace、今は本を書いている
ということでしたけど、どうですか?」
 「今、3分の2まで来たところだよ」
 「何について書いているところですか」
 「いやあ、意識についても少し触れる
ことになると思うよ」
 「何を書くのか、intriguedです。
Cambridge University Pressですか?」
 「いや、MIT pressから出す、と約束
したような気がするよ」
 「宣伝、流通はMIT pressが良いよう
ですね。」
 「そんなうわさもあるね・・・」
  
 今回は、Horaceにいろいろ
研究上の相談もあるのだけれども、 
とりあえず元気な姿を見てほっとする。

 やるべきこと、やらねば
ならないことを思い描いていると、
昨年書いたあの文章を思い出す。

 しかし、その時の私はファンタジーに浸っている閑がなかった。散歩自体がスケジュールの間隙を縫って実現したものであったし、具体的に考えておかなければならない段取りもあった。私の頭のCPUには、遊んでいる余分な時間があまりなかったのである。そのような「機能的」な脳の使い方を余儀なくされていたことも、あるいはあの時のことに関係があるかもしれない。
 オックスフォードを流れるテムズ川の畔には、様々なカレッジのボートハウスが立ち並んでいる。コックスに励まされてエイトたちが懸命にボートを漕ぐ中を、13人のイギリス首相を輩出したクライスト・チャーチ・カレッジの緑野に向かって歩いていた時、ある啓示がひらめいた。
 数学も、科学も、文学も、芸術も、要するに生きるという上での実際的な配慮に比べれば、大した問題ではない。精神的価値を追求することは良いが、バランスを失ってはいけない。芸術至上主義など、もっての外だ。そもそも、生活者としての知恵に密着した地点からしか、本物の芸術など生まれない。テムズの緩やかな流れを見つめながら、そんなことを考えた。
 イギリスの田園の風景は、確かに美しい。とりわけ、ケンブリッジ、オックスフォードの両大学は、自然の美しさの中で深い思索にふけるための空間的配慮に満ちている。
 しかし、いくら、この風景が美しいからといって、そんなものに耽溺し、感傷していても仕方がない。ただ、人生の中でやるべきことを淡々と実行しながら、その実際的な時間の流れの中に、ほんの少しだけ風景の美を鑑賞しさえすれば良い。実際、賢い人たちは、そうして来たのではないか。

(茂木健一郎 『クオリア降臨』より抜粋)

 批評性とは、Aの横にBを置くことであるが、
日本の横にイギリスを置いてみると、
いろいろ思うところがある。
 もちろん、日本の自分も同じことである。

6月 22, 2006 at 04:05 午後 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2006/06/19

やっぱり積み残してしまいました

午前二時からずっと
仕事。

 はらはらしながら新宿に向かい、
 成田エクスプレスの中で、12枚の原稿を
仕上げる。

 空港に着き、
 ラウンジの壁のコンセントにつっこんで
必死になって学生のパワーポイントを
修正していると、後ろから
ビールを飲みながら談笑している
おやじさまたちの声が聞こえる。

 どこそこのゴルフはどうだの、日本対ブラジル
の試合がどうだの。
 
 どうも、世の中の人がみな忙しい
わけではないようだ。

 ま、いいや。しかし、やっぱり積み残して
しまいました。ごめんなさい。

 では、いって参ります。

6月 19, 2006 at 11:46 午前 | | コメント (11) | トラックバック (0)

ロングシュート

日本戦の後、
仮眠したら、
 中田英寿に、
 「あのロングシュートは良かったね!」
と言っている夢を見た。

 さらに言えば、中田たちと
レストランの横のくらがりで座り込んで
喋っていたのだ。

 そうしたら、調理場からおかみさんが出てきた。

 二つのレストランから同時にいろいろな飲み物
や食べ物をもってきてしまったので、
 お皿が混ざるんじゃないかと心配した
らしい。

 得失点差などを考えても、
決勝トーナメント進出は苦しそうだが、
ブラジル戦は一つどーんといって
もらいたい。

 私はイギリスで(見ることができれば)
見ることになりそう。

 さて、今日の11時過ぎから、
27日(火)の夕刻までの間は、
 インターネットへの接続が
それほど頻繁なものではなくなるので、 
 関係者の方々、ご留意ください。

 等ブログについても、
どれくらい頻繁に更新できるか、 
 わかりませんが、
 できるだけアップしたいと思います。

 それでは、みなさま、
あと少ししたら、
行ってまいります。
 ごきげんよう。

 (その前にいろいろ仕事をせねば
ならないのだった!)

6月 19, 2006 at 02:42 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/06/18

ソニー・エクスプロラサイエンス アハ!体験スクェア 

ソニー・エクスプロラサイエンス(お台場)

アハ!体験スクェア

2006年6月22日(木)〜
2006年7月30日(日)

会場では、セガより6月22日発売の
PSP用ソフト
脳に快感 アハ体験!をプレーすることができます。

http://aha.sega.jp/

その他、その場でつくって持ち帰れる自分の顔入り「アハ体験!」のコンテンツも楽しめます。

2006年7月2日(日)13:00〜14:00
茂木健一郎 トークショウ
着席整理券(40枚)は当日午前11時より配布


6月 18, 2006 at 11:35 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

著者に会いたい 『ひらめき脳』

朝日新聞 
2006年6月18日(日)
読書欄

著者に会いたい 『ひらめき脳』
茂木健一郎

コンピュータを超えろ

文 中村謙
写真 首藤幹夫

6月 18, 2006 at 07:03 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

『松任谷由実×茂木健一郎 対談』

フリーペーパー dictionary  110号

『松任谷由実×茂木健一郎 対談』

ただ今配布中。

http://www.clubking.com/contents/index_webdic.html


以下、Club Kingからいただいた情報より

継続19年のフリーペーパーdictionaryで連載中の、
脳科学者・茂木健一郎さんの対談シリーズ第9回。
今回のゲストは、お互いに大ファンだという、ユーミンこと松任谷由実さん。
新作アルバム『A GIRL IN SUMMER』をiTunes Music Storeで限定先行配信した、
新しいモノやコトに対する好奇心がいっぱいの松任谷さんと、
ユーミンの歌を聴いて大人になったという茂木さん。
初体面となったアップルストア銀座で、
90分に渡って繰り広げられたスリリングな対談の模様から、
「ホープフルモンスター」「母国語」「強さと弱さ」など、
トークから生まれたいくつかのキーワードをピックアップ。
5分間の映像でご紹介します。

Podcast『media CLUBKING』

6月 18, 2006 at 05:36 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

漱石に見た客観的な自己批判の精神

ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月2日号
(2006年6月19日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第10回

漱石に見た客観的な自己批判の精神

一部引用

 しばらく以前から、昨今の日本人に欠けているのは自己批評精神ではないかと思っていた。たとえば、「クリエーター」と自称する者たちの間には、随分なナルシストたちがいて辟易させられる。延々と自分がどう生きてきたとか、作品がどう評価されているかなどの「自分語り」を続け、客観性や歴史の意識がない。
 自己批評は、大脳皮質の前頭前野を中心とする自我の中枢の働きによって育まれる。いわば、心の贅肉を落として美しい姿にする精神のダイエット。自己批評なきクリエーターの作品が一流たり得ないのは当然である。デビュー作から自己を客観化することに成功した漱石だからこそ、文学の歴史に輝く傑作群を残すことができたのである。
(中略)
 ところで、自己批評がもっとも必要とされるのは政治家たちではないか。自己批評を欠く夜郎自大な政治だけは御免被りたいものである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 18, 2006 at 05:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (3)

世界一受けたい授業 ひらめき脳

世界一受けたい授業

2006年6月24日(土)
よる7時57分〜8時54分
3時限目

茂木健一郎

ひらめき脳の作り方 教えます!

http://www.ntv.co.jp/sekaju/

6月 18, 2006 at 05:15 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 仕事の流儀 植村比呂志

次回のプロフェッショナルは・・・・

プロフェッショナル 仕事の流儀 第18回

現場に出ろ、答えはそこにある
〜ゲーム開発部長・植村比呂志〜
小学生を中心に爆発的な人気のカードゲーム「ムシキン グ」。カードの出荷枚数は、この3年で3億枚。300億円を売り上げた。そして、女の子たちが母親とともに夢中になる「ラブandベリー」。 刺激的なゲームでなければ売れないといわれる時代に、親子で楽しめるカードゲームという新市場を生み出し、業界の常識を変えたと評される。 その生みの親はサラリーマン。セガ・ファミリーエンターテイメント研究開発部長・ 植村比呂志(41歳)。
「開発の答えは必ず現場にある」この流儀を貫き、ヒット街道をばく進している。6年前、植村はかつてチーム解体の宣告を受け、瀬戸際に立たされたことがあった。徹底した「現場からの発想術」を磨いた結果が、昆虫を使ったカードゲームの大ヒッ トだった。昼夜を徹し行われるゲームのバージョンアップ作業に密着。部下とともに現場に答えを探す、ヒットメーカーの仕事術にせまる。
 
NHK総合
2006年6月22日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

6月 18, 2006 at 05:09 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

美術解剖学休講

英国への出張のため、
2006年6月19日、
2006年6月26日の
東京芸術大学 美術解剖学 授業は
休講とさせていただきます。

次回は2006年7月3日で、
ゲストは金森穣さんの予定です。

6月 18, 2006 at 05:05 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「積み残し」

あすの出発前に一体何と何と何と何を
終わらせれば良いのやら。。。。
  
 リストなどつくっていないが、
積み残す可能性大。

 このところ、いろいろな
仕事をお断りし続けなければ
ならない状況になっている。
 結局、人生は積み残しが避けられない、
だったら、結果としてそうなるん
じゃなくて、
自分で選択しなくてはね、
という事実を受け入れざるを得ない
今日このごろ。

 Life is what happens
while you make other plans......
---Johnn Lennon.

 柳川透と投稿していた論文
reviewerからのコメントがかえってくる。
 revisionすれば、通りそう。
 やなちゃん、2週間必死にがんばって
ください。

 今日も今日とて一日仕事だが、
日本代表戦くらい「ながら」でも
いいから見たいものである。

6月 18, 2006 at 05:02 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/06/17

実は盤面はいらない

いちいち書くのも、もはや
はばかられるが、相変わらず起きている
時はずっと仕事をしているなり。

 今週末はひたすら机にしがみついて
仕事をする予定なり。

 光文社の新海均さん、
 編集者の松崎之貞さんにお目にかかる。

 吉本隆明さんにお会いする件について。

 新海さんは『家族のゆくえ』を
はじめとする吉本さんの著作を担当し、 
 松崎さんは徳間書店に在籍されていた時に
吉本さん担当だった。

 大思想家のひととなりや、
夏休みの過ごし方など、いろいろ
と教えていただく。

 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、将棋の羽生善治さん。

 いつもの102スタジオかと思って
すたすた歩いていたら、
 どうも様子がヘンで、あれ、
と呆然としていたら、向こうから
住吉美紀さんが来た。

 「今日、スタジオどちらでしたっけ?」
 「あれ、102じゃないのですか。私も
知らない・・・」
 と言っているうちに住吉さんが台本を
見て101だと判明した。

 101は、NHKで一番大きなスタジオで、
そこにプロフェッショナルのセットを
設えると、なんだか映画を撮っている
気分になる。

 荷物を控え室に放り込んで、ふらふらと廊下を
歩いていると、向こうから白い開襟シャツを着た
すっきりした感じの人が歩いてきた。

 「あっ、こんにちは。よろしくお願いします」

 それが羽生さんだった。

 何しろ初対面なので、劇的かつフォーマルな
出会いを予想していたのだが、
 羽生さんとは夏祭りのそぞろ歩きのような
気分の中で出会ってしまった。

 収録開始。

 いつものことだが、私は決まったことを
言うのがどうも苦手で、アドリヴだったら
いくらでも言えるのだが、「これとこれと
これは押さえなければならない」という
のが住吉さんのようにうまくできない。

 「茂木健一郎です」

で始まるスタジオ1が終わると、収録の
半分が済んだ気分になる。
 物理的時間の長さで言えば、10分の1にも
満たないのだが。

 しかも、昨日は2ヴァージョンも言わなくては
ならなかったのだ。
「インフェルノ」と呼ばれる画像のインサートを
するかどうか、後の編集判断で選ぶ余地を
残しておくためである。
 
 ヴァージョン1
 羽生さんというと、早熟の天才という
イメージがありますが、この10年、羽生さんの
中では語られることのない多くの出来事がありました。
35歳になった今、20歳とは全く異なる境地に
達している。今日は、羽生さんの新境地に迫りたいと
思います。

 ヴァージョン2
 羽生さんは、早熟の天才というイメージが
ありますが、実は、7冠を達成された後、
徐々にタイトルを失い、2年前には1冠にまで
落ち込んでしまいました。その後タイトルを
取り戻し、35歳になった今、将棋界のトップ
として活躍されています。今日はあまり知られる
ことのない棋士羽生善治の新境地に迫りたいと
思います。

 住吉さんは、さすがアナウンサー、いつも
「決まり事」をすらすらと言って、
涼しい顔をしている。
  
 スミキチの境地に近づきたいなあ、
と願っていたが、昨日は重大なことに気がついた。
 スミキチは、カメラに向かってまっすぐに
スミキチ・スマイルで語りかけているのだが、
その時に「OKの時はまんまるにっこり」
の山口幸子さんが、カメラの下にカンペを
出しているので、それを読みながら
(しかし自然に)話しているのだ。

 カンペを読みながら自然に話す、
というのは一つのスキルで、俺はそれが
できないのだ、と思っていたが、
 よく考えたら俺がカメラに向かって
真顔で喋っていたら、それはかなりモンダイの
ある映像なのである。

 実際、有吉伸人チーフプロデューサーからの
「演技指導」では、私は住吉さんの方を見ながら
語りかけるように話せ、ということなので、
 そもそも私はカメラに向かって視線を固定して、
その下にあるカンペを読む、ということが
できないのだ。
 
 だから、言うことを全部覚えて、そのまま
喋るしかないのだ!
 
 そうだったのか!

 羽生さんがいらして、トーク開始。

 羽生さんが、歩くときにやや前傾姿勢で
いること。
「猫まっしぐら」
ならぬ「羽生まっしぐら」。

 まっすぐに対局室の盤面に向かってベクトル移動。
 途中のものは、
 何も目に入っていない。

 東北の老舗温泉旅館での対局前、
散歩をする羽生さん。
 やはり前傾姿勢の前のめりで、
横で猫がにゃあと歩いているのも
お気づきではない。

 つまり、羽生善治の目は
まわりを見ているのではなく、
 何やら抽象的な思念の世界を見ている
のである。
 
 お話していて、正面から顔を見ていると、
羽生さんは、考え事をする時には
目が上にいったり、
 くるくる動いたりする。

 普通、視線移動は視野を移動し、
注視点を変えるために行われるわけだあるが、
 羽生さんの場合は、あたまの中で
なにかを考えている時に、そのダイナミクスの
反映として目が
キョロキョロと移動するわけだ。

 車の運転も、ある時これはアブナイ、
とやめてしまったという。 
 運転している時に、ふっと
何かを思い出したりして、
まわりを見ていないこと
 に気付いたというのだ。

 「何しろ、考えようとおもえば、いつでも
将棋のことを考えられますからね」
と羽生さん。

 どういう意味かというと、9×9の
盤面は、いつでも頭の中でイメージして
駒を動かすことができるので、  
 その気になれば、24時間将棋の
ことばかり考えられるというのだ。

 「じゃあ、プロ同士だと、実は盤面は
いらないじゃないですか。」
 「そうですねえ。でも、あった方が
便利ですから。」

 棋譜を見せていただいたが、そこには、
先手三5歩
後手同角
などという文字列が並んでいる。

 羽生さんは、将棋会館で棋譜をぱらぱらと
見て、
 「あっ、これは面白そうだ」とあたりをつける
のだという。
 もちろん、将棋盤で駒を並べる
などということはしない。

 記号がならんだ棋譜、すなわち
9×9の盤面のイメージの世界。

 かつて自分が指した棋譜を全て覚えている、
ということはさすがにないが、
 ある盤面を見て、これは自分が指した
将棋かどうかはわかるという。 

 ちょうど、普通の人が絵や人の顔を見て
「どこかで見た」とわかるように、
 羽生さんは将棋の盤面をパターンとして
認識、把持している。

 羽生さんの面白いのは、いろいろ
癖があることで、
 本人が気付いていないことが
たくさんあると言うが、
 考えているときに髪をかきむしったり、
目をぎょろぎょろさせたり(羽生にらみ)
つまりあれは、 
 思考回路の活性化と同時並列して
起こる運動系の抑制の中、
 思考回路の活性が一部運動系に
沁みだしてそうなっているんだと
思う。
 
 養老孟司さんもそうだけど、
猛烈に考えている人はだいたい
ヘンな癖を持っているものです。
 体の動きがヘンなのだよ。

 若いときはものすごいスピードで
読みを続けていたが、
 最近になって、大局観のようなものが
できてきて、
 あまり手を読まなくなった、と羽生さん。

 そのような指し方に最初に目を開かれたのは
大山康晴さんの将棋を見ていた時だという。
 横から見ていて、
 「この人は、ぜんぜん読んでいない」
とわかったというのである。

 大山さんと言えば、史上最強の棋士とも言われ、
十五世名人 を襲名した伝説の人。

 将棋は長く、人生は短い。
 まったくですねえ。
 脳科学も同じです。。。。

 などなどと、
 羽生さんと話していると、いつまでも
終わりがない!

 それにしても、今日はたっぷり喋っている
なあ、
 なんだか
 おかしいなあ、と思ったら、
やっぱり普段よりも1時間も長く喋っていた。

 延々と、5時間のトーク!
 それがあっという間に感じられた。

 どうやら、副調整室が、
「このトークは面白すぎる。通常の
プロフェッショナル以外に、「トーク・スペシャル」
もつくりたい」と
途中で判断したらしく、
 終了後、とつぜん手持ちカメラまで
登場して、
 「羽生さん、お疲れさまでした!」
と挨拶して、羽生さんがスタジオを出て
いくところまで撮影していた。

 その映像は、トーク・スペシャルで
使うらしい。

 こういう臨機応変の判断をする人
といえば、アリキチこと有吉伸人CPしか
いない。

 終わりました、
 ふう、と息をついていたら、
まだ放免ではない。
私の「質問」だけ再び撮るという。

 そうしないと、編集がうまくつながらない
ということ。

 羽生さんはもう出て行ってしまったので、
羽生さんのかわりにアリキチさんが
座る。 

 私が、アリキチ善治に向かって質問を
発すると、その間
アリキチさんは目を瞑ってじっと聴いている。 

 OKかどうか、音声で判断しているのである。

 それで、目をあけ、にこっと笑って、
「茂木さん、もう一回いきましょうか」
などと言う。

 二度ずつふたつ質問をとって、撮影は
終わった。

頭脳労働のあとの打ち上げの一杯はうまいなり。

 私たちはビールで、
羽生さんはさいしょから熱燗の日本酒だった。

 羽生頭脳にあやかりたいと
見学に来ていた関根崇泰は、大胆にもポケット
将棋盤を胸にしのばせていたが、
 羽生さんはそんなもんいらんのだよ。
お前はいるだろうけど。

 柳川透は羽生さんの御本に
ご署名をいただき、
 関根はポケット将棋盤のかわりに
色紙を出して揮毫していただいていた。
 
 これで柳川と関根の頭脳がますます
明晰になれば、研究室のボスとしては
うれしいんだけど。

 関根くん、ひとつ、好物のラーメンでも
たべながら、
 「羽生にらみ」で論文を完成させて
くれたまえ!

6月 17, 2006 at 08:36 午前 | | コメント (8) | トラックバック (1)

2006/06/16

『人生の回廊』

ややこしい長い経緯があって、
目覚める瞬間は、職員室で
 第九がかかっていて、私は
それに合わせて歌っていた。 

 どうやら毎晩大量の夢を見ている
らしいが、どれもこれも忘れてしまった。
 
 昨日は、
 記憶に特筆すべきハードな一日だった!
 朝起きてから、研究上の某重要書類を書き続ける。

 contingency, small world network,
nano contingency, nano intelligence......

 やっと終えて送ると家を飛び出し、
 タクシーに乗って
 日経新聞の「ぞっとする絵十選」
の原稿を書く。

 運転手のおじさんに、
 「日本テレビはどこですか」
 「麹町はどこですか」
 「電話番号はわかりますか」
 「住所はわかりますか」
と矢継ぎ早に尋ねられて、困る。 
 花野剛一プロデューサーに電話して
情報を得て、なんとかカーナビ
くんに稼働してもらう。

 最近は、タクシーに乗って面食らう
ことが多くなった。
 カーナビ頼みというケースもある。
 規制緩和の是非うんぬんを言う
よりも、なんだか切ない。
  
 少しくらい道がわからなくても、
迷ってもいいから、無事着けば良い。

 麹町の日本テレビ。
『ニューロンの回廊』 
の収録。

 ゲストは、金森穣さんと、押井守さん。

 収録の合間に、「ぞっとする十選」
を書き継ぎ、
 さらにはカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
の書評を書き始める。

 文章を書くのと、テレビの仕事は、
脳の使い方が違っていて、 
 最初は往復するのはとても大変な
感じだった。

 最近では、文章を書くことをテレビの
方に生かす回路のようなものができて
きた感じがする。 
 普段活字の世界で生きているおかげで、
テレビの世界の
その場その場の即興の言葉も、
 生成とコントロールが精緻になってきたのである。

 一方、テレビの仕事が活字に
何らかの形で反映されているかは 
 よくわからない。

 ヨミウリ・ウィークリーなど、エッセイで
ネタとして使わせていただくことは
よくあるのだけれども。
 
 先日、新潟に金森さんのsense-datum
を見に行った時、
 夜、ホテルで触発されて一人「怖い体操」を
した。

 収録中、金森さんの前で「こうやってね」
と手足を動かしてみたら、
 速すぎます。と言う。

 手を前に出して、さっと後ろにもっていく、
という動作をやって見てください。と言う。

 ほら、肘が曲がっているでしょ。
 あっ、いま、手先に注意がいって
いませんでした。
 ずっと、左手へは放っておいたでしょ、
といろいろ指摘される。
 
 目から鱗である。私が金森さんの
マネをして「怖い体操」をしていた
時は、 
 要するに一つひとつの動きが速すぎた
わけで、
 なおざりになっていたのだろう。

 本当に厳密にコントロールしようと
すれば、ゆったりとやって注意を
行き届かせるしかない。
 Noismのメンバーのように素早い
動きをしていても、
 実は身体をカンペキにコントロールして
いるのだという。

 それと、鏡の前でやって来なかった
人はすぐにわかります、と金森さん。
 大きな鏡の前に立って、人からどう
見えるか、ということをフィードバックして
いかないと、
 動きとしては成立していても、
どこか形がダメなのです、という。
 
 男金森穣は6歳の時からずっと
そんなことをやってきたわけである。
 
 その他、とても深い話をうかがった。
 私は金森さんがとても好きになった。
 放送を楽しみにしていてください!

 金森さんは、7月3日の東京芸術大学の
授業にもいらしてくださる予定です。

 次の収録までの合間、花野剛一
プロデューサーと近くのコンビニまで散歩する。

 『ニューロンの回廊』はもともと
1クールの予定だったが、その後延びるか、
花野さんがいろいろ折衝している由。

 私は、収録は楽しいし、花野さんも
苦労してつくったフォーマットだし、
 続いたら今まで通り
良い番組にするために
ベストを尽くそうと思うが、
その一方で、何しろこんなタイトな
スケジュールなので、
 なくなったらその時は
少しは楽になった、と思うことにしよう。

 それにしても、プロデューサーというのは
大変な仕事だなあと思う。
 がんばってください、花野さん!

 Fingers crossed.

 押井守さんには、映画作りの
秘伝のようなものをうかがった。

 必ず、自分にとって「なつかしい」
ものから始めると押井さん。

 思い出すことは創造することであるというの
は私が最近盛んに言っているテーゼであるが、
 押井さんは、自分の記憶にあえて
異質なものを入れることで
 ジャンプを図っているのだという。

 たとえば、子供の頃、雨が降っていて、
踏切の遮断機が下りていて・・・というような
懐かしいシーンがあったとして、
 そこに巨大なロボットを置いてしまう。

 なつかしさ、というのはキーワードであり、
外国にロケに出かけても、
 その風景に自分の記憶を重ねてしまうのだという。

 だから、押井さんのつくる映画は常に
「なつかしい未来」なのだろう。

 押井さんは犬好きで有名だが、
押井さんと犬との関係性には並々ならぬ
秘儀があることを感じた。
 
 押井さんは、子供の頃から
自分がどこにいるのか、「今、ここ」
よりも仮想の方が強くてわからない
流れの中で、
 自分の身体を取り戻す、確認する
プロセスの中に犬とのふれあいが
あったというのである。

 犬の目は神のそれであり、
 人間は犬を選ぶのではなく、選ばれる、
選んでもらったのである。

 ゴーストが身体の間をトランスファー
されていくという押井さんのモチーフは、
押井さんの実感をそのまま描いているのだと
悟った。

 何だか、押井さんご自身が、
とても懐かしい人だった。
 押井さんのかわいい犬に会ってみたい。

 さあ、いろいろハードだった
一日も終わり、地球がぐるぐる
回って
 新しい朝が来た。

 がんばるぞ。スペースをつくるぞ。
 何をやってもいい時間をつくって
思い切り考えて、体を動かすぞ。
 あははあはは。あははは。

 と行きたいところだが、コミットメントした仕事
の山が目の前にあり。
 私の『人生の回廊』は混み合いすぎている。

6月 16, 2006 at 08:26 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

2006/06/15

御林守

森をやたらと切らない
という倫理をいかに育てていくか
ということに関心があります。

冑仏研究家の河村隆夫さん
からいただいたメールによると、
6月22日発売の週刊新潮と、
7月10日発売の文藝春秋の
富士ゼロックスの広告に、「御林守」の記事があつかわれ、
河村さんが撮影した「御林帳」の写真が使われているそうです。
またその写真の下に

写真提供/御林守 河村家(静岡県島田市)

と、表示されているようです。

ご興味のある方はぜひごらんください。

6月 15, 2006 at 05:51 午前 | | コメント (2) | トラックバック (5)

「マジメ」な雰囲気の時は

東京駅から新幹線に乗っていると、
食堂車がついていた頃のことを
思い出した。 

 母親の実家が小倉だったので、
ときどき新幹線で帰った。

 食堂車でハンバーグステーキを
食べるのが楽しみだった。 
 
 大学生になって、一人で新幹線に
乗り、ハンバーグステーキを注文した時、
なんだか一人前になったような気がしたのを
覚えている。

 カップに入ったアイスクリームを
食べるのも好きだった。
 
 幸せというものは、文法で決まる
ものだとつくづく思う。
 
 リーガロイヤルホテル。
 毎日新聞社主催の「21世紀フォーラム」
年間10回開催され、前回は山崎拓さん
だった由。

 パワポを使うのかと思ったら
ステージの上に演題が設えられ、それで
終わり。

 一時間、脳の話をした。

 講演前と終了後、ジュンク堂の
方が本を持ってきてくださったので
サインを書く。
  
 最近は、「マジメ」な雰囲気の
時はフラワーピッグではなく
脳の絵を描いてもっともらしい
ことを書くことにしている。

 いわばサインの裃仕様。

 相手を見て、脳かフラワーピッグか選ぶ。
 関西財界の偉い人たちが集まっているので、
当然のことながら裃が多くなる。

 トンカツを食べていたら、
テレビでワールドカップのフランス対スイスを
やっていた。

 ああ、とりあえずの仕事が終わった!
とほっと一息ジョッキを傾けている
私の前で、 
 人生の星の時を迎えている人たちが
必死になって走り回っている。

 そのずれの中に何やら味わいがあるような
気がして、ビールの泡に重ねていた。

6月 15, 2006 at 05:43 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/06/14

まさに阿房列車なり

 短文失礼。
 
 聖心の授業、脳のシステム性に
ついて。localなattentionとglobalなattention.
 V3とV2。

 テレビマンユニオン 花野P,田中ナオト、佐藤
女史。広尾にて打ち合わせ。

 NHK。プロフェッショナル打ち合わせ。
 羽生さんの回。

 研究所。
 東京工業大学の國府田くん、勝呂くん
見学に来る。

 土井利忠さんを囲んでの会食。
 品川の夜景がキレイ。

 本日は再び大阪への日帰り。

 21世紀フォーラム。

 まさに阿房列車なり。

6月 14, 2006 at 06:28 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/06/13

お知らせ

6月19日から6月27日まで、英国
への出張を予定しております。

この間、メールは不定期ながら送受信
できる予定です。

6月 13, 2006 at 09:12 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

『ひらめき脳』8刷

新潮社『ひらめき脳』は増刷(8刷、累計6万部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

6月 13, 2006 at 08:28 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

『食のクオリア』2刷

青土社
茂木健一郎
『食のクオリア』
は「発売忽ち増刷」になったと
版元から連絡がありました。

ご愛読に感謝いたします。

6月 13, 2006 at 08:06 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

松井茂 「方法詩における唯一と一般──ExFormationの詩学」

Lecture Records

松井茂
「方法詩における唯一と一般──ExFormationの詩学」
(2006年度 美術解剖学 Lecture 7)

2006.6.12. 東京芸術大学 美術中央棟 第三講義室

音声ファイル(MP3, 101分、46.3 MB)

6月 13, 2006 at 07:36 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

何やら、粘菌とか、菌糸体とか

それが絵であれ、音楽でも
小説だとしても、
 ある作品に向き合って何かを感じる
ということは
 自分を「楽器」として鳴らす
ことだと思う。

 うまく鳴らしたり、大きな音を立てたり、
妙なるメロディーが流れるためには、
それなりの習練がいるし、
 経験もいるし、才能も必要と
される。
 
 小林秀雄は大変すぐれた楽器だったのだと
思う。
 他の人が鳴らない形で鳴らすことが
できた。

 小林秀雄を目の敵にしたり、
「美」という概念を嫌悪する人たちは
自分がどのような楽器だと思っているの
だろう。

 そもそも、美を目の敵にする
のならば芸術などやらなきゃよいし、
 そもそも目の敵にするところが
あやしい。

 何かやましいことがあるから、
感情的な反応を示しているのではないか、
そのようにさえ勘ぐる。

 方法を追求する一方で、
モーツァルトは「ああ、いいですね」
と放っておけばよかろう。

 何よりも問題なのは、
方法が全面に出る人たちの語る言葉が、
通常の意味での芸術表現の現場で起こっている
ことに比べれば、単純過ぎるということだ。
 
 一般人が素朴に好み、感銘を受ける
たとえばゴッホや写楽の絵の中に
あるものと、
 カオスだとか、非線形だとか、アルゴリズム
といった方法で示されているものを
比べれば、
 どっちが複雑かということは
言うまでもない。

 現在の人間の知性ではとてもとらえきれない
ほど複雑な豊饒に、私たちはとりあえず
「美」という名前を付けているだけの
ことであり、
 涙を流すことはそれほどお気楽な
ことではなく、
 ただ現時点では方法に分解できない
というだけのことだ。

 ミニマリズムや実験なにがしが
廃れてしまうのは、
 畢竟、それがあまりにも単純すぎる
からではないか。

 素朴過ぎる、とバカにされる
作品の方がよほど複雑なのである。
 アトラクターとかカオスとか
いうbuzz wordに居付いて、
 中心を外してしまってはいけない。

 中心を外してしまっては、楽器が
うまく鳴らない。

 松井茂さんのやられていることは
ミニマリズムに近いが、
 松井さん自身から受ける印象は
美や自分の楽器性を切り捨てる人
というものとは違う。

 何やら、粘菌とか、菌糸体とか、
そのようなものに近い生命作用が
発酵を続けているように感じる。

 だからこそ、ぼくは松井さんという人に
とても興味を抱いたし、
 芸大の学生たちとの対話は意義
あるものになったと思った!

 とにかくここはとても難しい
ところであり、
 松井さんの授業から受けた
インスピレーションをもとに、
私も引き続き考えたいし、
 みんなにも取り組んで欲しいなあと思うのです。

 授業後、学生も言っていたが、
松井さんには、今までのミニマリズムの
隘路を突破する何かが期待できるような
気がする!

 松井茂さん、お忙しい中
いらしていただき、
ありがとうございました!

 授業終了後、いつものように
東京都美術館前でゆったりと飲んでいる時間。
 
 桑原茂一さんもいらして、
吉村栄一さんといろいろ
 わるだくみをして、
 あかねさんのイラストを見る。

 あかねさんはほぼ日連載が決まった由。
おめでとうゴザイマス。
 
 日本は負けた。
 最初は押し込んでいて、
後半から終盤にかけてぼろぼろに
なるというのは、ほんもののタタカイに
おいて数十年前にも起こったような
記憶がある。

 しかも、相手も全く
同じである。

 選手の皆さん、ご苦労さまでした。
本人たちが一番くやしいんだと思う。

6月 13, 2006 at 07:25 午前 | | コメント (10) | トラックバック (2)

2006/06/12

(本日)美術解剖学 松井茂

東京芸術大学 美術解剖学 
Lecture 7
松井茂

「方法詩における唯一と一般──ExFormationの詩学」

2006年6月12日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

聴講歓迎!

6月 12, 2006 at 08:27 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳の中の人生』7刷

『脳の中の人生』は増刷(7刷、累計46000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

6月 12, 2006 at 08:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

なぜウニやイクラを最後に食べるのか

ヨミウリ・ウィークリー
2006年6月25日号
(2006年6月12日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第9回

なぜウニやイクラを最後に食べるのか

一部引用

 大人になった今ではウニやイクラはもちろん好きである。ちらし寿司の中にこれらのネタがないと大いに物足りない。回転寿司に行っても、ついついウニやイクラの載っている皿を目で探してしまう。回っていない時は、声を上げて注文したりする。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 12, 2006 at 08:20 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

かぶきの道

橋本麻里さんは
高橋源一郎さんの娘さんで
フリーの美術ライターをされているが、
美について
いろいろ教えてくださるので
ありがたい。

 それに原研哉さん、内田樹さん、
杉本博司さん、千宗屋さん(武者小路千家次期家元)など
を結ぶキーパーソンでもあるのである。
 
 今回は、「伊勢神宮」への日帰りの
旅を企画してくださった。

 あとで小学館の
『和楽』に原稿を何枚か書かなくては
ならないが、それくらいはおやすい
御用である。

 伊勢神宮には、何回も行っているが、
宇治橋のところで神宮司廳の
河合真如さんが待っていて
くださったことで、
これまでとは違う
流れになることが確信された。

 明治大学の三沢直子さんも
ご同行される。

 内宮は何回も拝しているが、
 御垣内への参拝は初めてである。

 まずは頭を垂れ、塩で
清めていただき、
 黒い玉砂利を踏みしめて
一歩進んだ瞬間に、
 電撃が走った。
 
 感覚が、全てをとらえ、
記憶しておこうと全開される。

 やはり伊勢の神宮は良い。
何と言っても良い。

 ここから先は『和楽』の連載
「日本のクオリアを旅する」
に書くので省略。

 隣りなる古殿地の
設い、たたずまいもまた至上のもの。
 橋本さんが、「こんなに美しいものは
この世にそんなにありませんね」
と言う。
 
 とにもかくにも、
 伊勢の神宮は、まずはとてつも
ないものである。
 
 現代アートの、サイト・スペシフィックだとか、
インスタレーションとか、そんなコンセプトは
とっくの昔に実行してしまっているし、
 超えてしまっている。

 ただ、その真価を現代的文脈に結びつける
ことは難しい。 
 かぶいて、バサラをしなければ
到底新たな創造性の回路に結びつけることは
できまい。

 じゃあ、ひとつ、かぶいてみるか!
 石畳を見ながら算段する。

 別宮の一つ、瀧原宮へ行く。
 
 杉本博司さんは直島の
護王神社の造営の際、唯一神明造りの古様 
を研究するためにこの地を訪れた
とのこと。

 帰り際に宮司さんとお話する。
 河合さんに樹齢千年のクスノキが
あると聞いてきたのだが、 
 そのようなものはないと言う。

 せっかくいらしたのにと、親切にいろいろ
説明してくださった。

 水が湧く美しき土地。
瀧原の名が表すように、瀧が数多くある。

 わき水の一つは井戸として利用
されており、神事に用いられる大切な
役割を担っている。

 本当に親切に教えていただき、辞そう
とすると、「あのランを見ていってください」
と言われる。

 日本古来の自生ラン、「せっこく」。
ほら、あそこにあるでしょう、と大木の
はるか頭上を指し示す。

 「幹から、右に出ている枝がありますね。
次の枝分かれを右にいって、次は左にいって、
L型に曲がっているところに着いて
いるでしょう」
 「はい!」
 「その隣りのこの木ですけどね。途中に
もわもわっと葉が固まって茂っている
ところがあるでしょう。その右側を上がって、
左に折れて、梢の上3分の一くらいのところに
せっこくが着いていますな」
 「本当だ!」

 まるで超能力のようである。 
 せっこくが好きで、普段から観察
していらっしゃるのだろう。
  
 はるか頭上のやっかいな
 場所にちらりと見える白い
花を教えてくださる
的確な言葉遣いにも感服。

 嵐の後など、せっこくが沢山落ちていて、車で
取りに来る人もいる由。

 それにしても、
 水がしたたるような美しい緑。
 自然と足取りもゆったりとなる。

 「今日は、茂木さんにご紹介したかった
『日本のクオリア』のイメージにぴったりの
場所でした」
 と橋本さん。 
 
 イランやイラクから参拝された方々が、
五十鈴川の清流や周囲の山の風情を見て、
「故国と風土を交換して欲しい」と
漏らした、と河合さんが言われたのを
思い出した。

 橋本さんは引き続き文藝春秋の取材がある
というので名古屋で別れ、
 私は一人新幹線で帰る。

 ここのところ働き詰めだったから、
ちょっとはゆっくりしてもいいだろうと
思い、
 ビールを飲みながら流れていく風景を見る。

 日本の風土を愛しつつも、
夜郎自大でもなく、
 オリエンタリズムでもなく、
守旧でもない
 かぶきの道を見つけるのはよほどの
難事であるとつくづく思う。

 そんな中、伊勢の神宮のような場所は
一つの絶対基準として存在し続ける。

 かぶきの道は本当は
至るところにあるのだろう。

6月 12, 2006 at 08:15 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

2006/06/11

メールについて

先週の中頃、一時メールサーバーの
振る舞いがおかしな
時期があり、何通かのメールが失われた
可能性があります。
 出したのに返事がこないという方は、
念のため、今一度お送りくださいますよう
お願いいたします。

6月 11, 2006 at 08:28 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

ブルーなり。

 行けると思って走ったのだが、
 中央線のホームから2分で
新幹線に乗り換えるのはやはり無理だった。

 目の前でドアが閉まって後続列車。

 到着が何秒かずれていたのだろう。

 ブルーなり。
 並んで乗った
 自由席にてこれを記す。

6月 11, 2006 at 08:26 午前 | | コメント (8) | トラックバック (0)

森閑たる風情がしっとりと

 よく、睡眠時間は何時間くらいですか?
と聞かれるが、
 大切なのは目覚ましで起きるか
それとも自然に目覚めるかでは
ないかと思っている。

 どうしても移動しなければならない時など、
目覚ましをかけるが、
 普段は自然に目覚めるようにしている。
  
 レム睡眠からスローウェーヴスリープ
までのサイクルがうまく完結して、
それで目覚めると爽快、という
理論である。

 今朝は目覚ましをかけた
口だが、 
 鳴る前から意識はあった。
 うまいコーヒーを飲んでいる夢を見て
いたのである。 

 コーヒーで目覚めるのはしめたと
思う。
 偶然にせよ、ラッキーである。

 少し疲れが溜まっていたのか、
昼寝をした。
 それでもまだ眠れる気がする。
 いちど一日中ごろごろしている
日があったらうれしいと思う。

 猫が横たわり、
 そよ風が吹く縁側だったらなお良い。

 夕刻、カズオ・イシグロ一冊
だけを持って渋谷へ。

 普段しょっている十何キロという
リュックがないだけでも解放される。

 電通の佐々木厚さんと待ち合わせて、
「常磐松」へ向かう。
 何しろ、白洲信哉からは
「常磐松から國學院に向かって歩いてきて
ください」という曖昧なる指示しかもらって
いないのだ。

 案の定迷って、電話した。
 「住所はどこなんですか?」 
 「それが、ぼくもわからなんですよ」
 「近くにあるという墓は、何という
寺ですか?」 
 「それが、ぼくにもわからないんですよ」
 「うーん、困ったなあ」
 「とりあえず、出ますから」

 白洲さんが
 とりあえず出ても、どうにもならないのでは
ないか。。。。

 佐々木さんがぽつりと言った。

 再び白洲信哉から電話がある。

 「茂木さん、どこにいるんですか?」
 「こっちが聞きたいよ」
 「知らないですか、常磐松。宮様の」

 それで、学習院出身の佐々木厚さんが
反応した。
 宮邸は確かにあり、我々の歩いてきた
方向とは反対である。

 しょうがないなあ、と歩き出す。

 「あっ、いたいた」と佐々木さんが
指す方向に、確かに長身の姿が見えた。

 デザイナーの小池憲治さんも立っている。
 
 ようっ、と手を上げ合って、宴は
始まった。

 伺ったのは、古美術 一元堂の
臼井一元さんのお宅。
 
 信哉が出張シェフの趣向で、
古伊万里研究家の香山さん、
 普段はイギリス在住のデザイナーK氏、
それに白洲信哉の奥様という面々。
 
 白洲信哉の家にあった熊谷
守一の「喜雨」という掛け軸の話に
 なった。

 「あれはいいね」
 「銘がいいね」
 「あれ、ひどいんですよ。私が持参して
掛けて見せたら、ああ、これ、もらって
おくよ、ここの方が似合うだろう、って
そのまま」
 「はははは。そうでもしなけりゃ
手に入らないだろう。作戦を立てたんだよ」

 世が世なら、白洲信哉はとなりの
部族に出かけていって棍棒でなぐって
気に入った女をつれてきたんじゃないか。

 奥さんは、その口ではないですか、
と臼井さんが言うと、
 信哉は、「実は逆になぐられているんですよ」
と言った。

 臼井さんがテーブルの上に並べた
李朝の白磁をいろいろいじる。

 「これはいい形をしていますね」
 「ああ、それは残念ながら作家物です」
 「この小さいやつは?」
 「それも、新物(あらもの)です」
 「この片口(かたくち)は?」
 「ああ、それは古いですよ。16世紀です」

 やりとりしているうちにはっとわかった。
 新しいものは、自我が邪魔を
している。
 ただ単なる酒器として作っているんじゃなくて、
「オレが」という作家性を出そうとしている。
 それが余計な雑味になっている。
 
 近代的自我が芽生えたのはいつからか
知らないが、 
 作家の銘うんぬんと言ってしまっては
もうダメなのだろう。

 ある時期に出来たものが
どうしてもう成らないのか、
以前から不思議に思っていたが、
何となく考えの道筋が出来た。
 
 人間の心の成り立ちが変わって
しまっているのである。
 
 信哉の作ったものはうまい。
 鱧の落としも、浮き袋も、
 スミイカもぽんぽん口に入る。

ビールの後は片口から焼酎を注ぎ、
あれこれやっているうちに夜が更ける。

 本当は朝までお付き合いしたかったが、
何しろ今日は日帰りの「長征」を控えている
のでそうもいかず。

 信哉も前日、京都に日帰りして和久傳で
和楽の渡辺倫明さんと会食して
きたようである。

 「京都に日帰りするようじゃ、
おれの人生ももう終わったと思ったね」
 と白洲次郎の孫が言う。

 そういえば、青山二郎は同じジロウだと
初めて気がついた。

 じゃあ、帰るね、と立ったら、
それがきっかけでお開きになってしまって、
 なんだみんなまだいればいいのに、
と勝手な理屈を吹きながら宮邸の
横を通り、タクシーを拾った。

 宮邸の森閑たる風情がしっとりと
脳裏に刻み込まれた。

 コーヒーを啜る夢で目覚めるのと、
酔って森の緑にしっとりとするのは
どちらも良い工夫なり。

6月 11, 2006 at 06:26 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/06/10

美術解剖学 松井茂

東京芸術大学 美術解剖学 
Lecture 7
松井茂

「方法詩における唯一と一般」

2006年6月12日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

聴講歓迎!

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

6月 10, 2006 at 10:51 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『ダ・ヴィンチ・コード』と「知」への信仰

中央公論 2006年7月号
時評2006
『ダ・ヴィンチ・コード』と「知」への信仰
茂木健一郎

http://www.chuko.co.jp/koron/

6月 10, 2006 at 10:47 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

まぼろしの眞白き大地

必要があって、カレンダーソフトを開けて
「この月はこれくらい、この月はこれくらい」
・・・

とスケジュールを見ていき、
2006年11月くらいからはさすがに
空白も多くなって、
2007年になると眞白き大地が
広がっているのを確認した時、
何とも言えない開放感が
じわーっと胸の中に広がっていった。

これはいい! ずっと、このままで
いて欲しい!

スケジュールなど、入れようと思わなければ
こっちの都合でできるはずだが、そうも
いかず、世間とのしがらみやどうしても
必要なこともある。

それでも、朝からずっと綱渡りの
人生を送っていると、
やれやれ、スケジュールの眞白き大地が本当に
有り難くも輝く光景に思えてくるのである。

午前、お台場のソニーエクスプロラサイエンス
関連のイベントの打ち合わせ。

佐々木貴宏さん(時期首相有力候補に似ている)
に、「このテクストをください」とせっつか
れているのは重々承知だが、
まことにすまないことだと
思っている。

総務の大塚まりさんにも、「茂木さん、
あれどうなっていますか、これどうなって
いますか」と畳みかけられるが、
「いずれ春永に」とまではいかないが、
「できる限り早くやります」
とお答えするしかない。

新潮社の金寿煥さんと町井孝さん
登場。

朝日新聞の読書欄の取材を受ける。
「ひらめき脳」について。

お話しているうちに、どんどん
「空白」の効用とか、遊びが大事だとか、
そういう方向に盛り上がっていって、
肝心の「ひらめき脳」の宣伝に
つながるのかどうか、
ちらちらと金さんの方を見るが、
金さんは「どうぞどうぞ、気にしないで
ください」
と涼しい顔をしている。

記事は18日の誌面に掲載される
予定とのことなり。

ちょっとほっとして、
金さんと会食。
オクラメンタイコ丼の
ねばねばが
元気をくれた!

明治大学出身の矢口裕一さんが研究室
見学に来る。
矢口さんの考えた心の見取り図を
見せてもらう。

ゼミ(Journal Club)。
私にも担当が回ってくる。

朋友、Allan Snyderが最近出した
サヴァンの論文を紹介した。

実は初見だった。
つまり、その場で初めて見て、
5分くらいで読んで、
その場で紹介した。

今週は後半にかけてスケジュールが
本当にひどいことになって、
担当の論文も読めない状況
だったのだが、
それでも、キャンセルすることは沽券にかかわるので、
このようなことに相成った次第である。

よい子の皆さんは、マネをしないでください。

大久保ふみが紹介した論文が、結果として
とても面白かった。
大久保ふみは嫉妬(ジェラシー)の
研究をしているが、
嫉妬を含めて、そもそも感情とは何か、
ということを考える上で、きわめて
示唆を与える論文。

というか、論文に触発されて、
勝手に自分で考えてしまった。

このところ感情についての自分の世界観が
急速に深化している手応えを感じる。

先日、神楽坂の加賀屋で新潮社の金さん北本さん
町井さん池田さんにホッピー指南を受けたが、
そのとき「いや最近ね」
とほのめかした「大ネタ」は
感情に関わることなのです。

夕刻、林真理子さんがいらっしゃる。
週刊朝日の対談。

林さんは、エンジン01などで
時々すれ違ったことはあるのだけれども、
きちんとお話するのは初めてであった。

非常に率直な方だなと思った。
洗いざらしの木綿のように、
自分が感じたことをそのまま語られている。

それが、林真理子という作家の批評性なんだと
思った。

田舎と都会。
平凡と洗練。

取り繕う中でついつい水と油のように
分離されてしまうものどうしの
間を林さんの補助線がつないでくれる。

学生たちのスペースに林さんが
ふらふらと。
「君たち、理系の頭のいい学生さんたちは、
どういう勉強をしてきたの」
と御下問。

もぞもぞ、何も特にはやっていません。。。
とみんなごにょごにょしている。

林さんは分厚いKandelを手にとって、ぱらぱらと
見ている。

やがてときはすぎ、
それではそれではと、
林さんはサヨナラしていった。

ASSCへ向けて、実験の追い込みをしてよね!
と学生たちにハッパをかけてから、
青山の国連大学裏のテレビマンユニオンへ。

『ニューロンの回廊』の会議、及び会食。
 
 花野Pを始め、日テレの遠藤さんを含む
スタッフの方々といろいろお話をする。

 一つの番組をつくるということは
本当に難しいが、面白い。 
 学習曲線急峻なり。

 世間ではボーナスというものが出た
というが、
 金曜の
 夜の渋谷は人がうろうろ歩いていて、
まるでバブル期のごとく。
 
 目をさらのようにして探しても、
心眼を働かせても、 
 まぼろしの眞白き大地はどこにもなかった。

6月 10, 2006 at 10:42 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006/06/09

ドンペリ経済学

研究所にいったら、
ミーティングとか相談事とか処理とかいろいろ
あって、
 気付いてみると
ほんとうに1分も隙間がないのでびっくりして
しまった。

 呆然とたたずむ6月の空の下

 夕刻、所長の所眞理雄さんに
お祝い事があり、
 ドンペリをみんなで開けて
飲んだ。
 
 一本しかない貴重なドンペリを、
 塩野崎敦(シオ)が、
三十くらいのグラスに少しずつ
分注するという離れ業を見せた。

 しかし、このドンペリは、
柳川透と小俣圭のお祝い事に備えて
ずっと学生スペースにおいて
あったものなのである。
 
 もとはと言えば、冑仏研究家、
河村隆夫さん
からいただいたドンペリ
である。
  
 ドンペリ経済学。
 たくさんの分身に散らばり、
みんなが幸せになりました。

 それで、頭の中は、様々な
課題あり、ちょっとした「繁華街」に
なっている。
 あれもせねばこれを考えなければ
あっちを見なければこっちに耳を傾けなければ。

 いっせいにクラクションがぷっぷーと
鳴っているような感覚。

 びっくりしたなあ。

 今日もかなりやばい。
忙しい。

 気を確かに持たなければ、
とても全部はこなせまい。
  
 ファイト!

6月 9, 2006 at 08:10 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2006/06/08

平成18年度版 科学技術白書

文部科学省
平成18年度版 科学技術白書

第1部 p.12~13
コラムNo.1
ありとあらゆるものが「科学」になる時代
茂木健一郎

6月 8, 2006 at 01:43 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

田村馨先生のブログ

九州大学 田村馨先生のブログに
先日の九州訪問のことが
写真+テクストで掲載されています。

みなさん、ごらんくだされ。

http://blogs.yahoo.co.jp/kaorutamu/archive/2006/06/07

6月 8, 2006 at 01:38 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

メンテナンス予定につき、早く簡潔に

ココログメンテナンス予定につき、
いつもと違って前日の深夜に書いている。

(ココログのメンテナンスは、2006年6月8日午前2時〜午後4時に予定されています)

 時間がないので、いつもより簡潔
にて失礼。

 九州大学 目黒実さんと
子供の創造性についてディスカッション。
 
 目黒さんexcellent。

 きわめて有意義な話し合いだった。

 爆睡して東京へ。

 いつも起きると「お目覚めですか」
のシールが張ってある。習い性なり。

 浜松町貿易センター地下にて
ヒレカツ定食。
 遅い昼食(=朝食)。

 電通の佐々木厚さんといろいろ
ワルダクミの総仕上げ。

 TBSラジオ。
 荒川強敬さん。

 新潮社経由で『ひらめき脳』
の宣伝です、と来た話だが、
荒川さんにお目にかかってうれしかった。
 
 さすがです。プロです。

 そのまま神楽坂へ。
 金寿煥さん、北本壮さん、町井孝さん
と金さん直伝のホッピーを飲みながら
 『ひらめき脳』の打ち上げ兼販売促進会議
兼企画会議。

 いくつか画期的なアイデアが
出たような気もする。
 金さん、北本さん、町井さん
ホッピーの泡に忘れないでください。

 秋葉原へ。
 Web学会設立決起集会。
 
 ヤフーの木戸冬子さんが
元締めと見た。

 うん、忙しいけどがんばるよ。
 だって、世の中には面白いことが
沢山あるし、
 素敵なひとがいっぱいいるからね。

6月 8, 2006 at 01:31 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

2006/06/07

「脳」整理法 10刷

ちくま新書「脳」整理法
増刷(10刷、累計85000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

6月 7, 2006 at 08:43 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

無意識耕作

最近は仕事関係のメールが
加速度的に増えてきて、
毎朝受信箱を開けるとうゎっとなる。

 読んで、返信するだけでも大変だ。

 でも、メールじゃなかったら、もっと
大変なのだろうと思う。

 そんな中、きのうはちょっと異なる
趣のメールがあった。

 一陣のさわやかな風が吹いたような
気がした。

 養老孟司さんから、白水隆さんとの
写真はないか、というお問い合わせ。

 白水先生は、九州大学で長年教鞭を
とられ、日本の鱗翅学の権威だった。

 私は、小学校5年生の時に
母に連れられて
箱崎の九大キャンパスを訪れ、
白水先生にお目にかかったことがある。

 その時、「これは大分の山中で発見された
蝶の新種なんですよ。まだ発表前です」
とゴイシツバメシジミの標本を見せていただいたのが
鮮烈な思い出である。

 何しろ、愛好家が多く、ほとんどくまなく
調査されている日本において、新種が見つかるなど
ということは考えられなかった。
 
 それが、ゴイシツバメシジミは原生林の
梢近くで生活し、ほとんど地面近くには
降りてこないというので見つからずに来たのである。

 小学校5年生の私にとって、
白水先生が手に持たれていた可憐な蝶の
標本は、なによりも輝かしい宝石に思えた。

 果たして写真があるかと母親に問い合わせたら、
「白水先生あの時お忙しくて、
写真はとっていないんじゃないかしら」
と言う。
 
 母の記憶違いでなければ、小学校5年生の
私と白水先生の写真はこの世に存在しないらしい。

 その旨養老先生にお伝えする。

 昨日まで11日間、ドサ回りで、あいだに虫取りを挟みました。
まだ虫の季節が続くので、忙しいんです。


 と養老先生からの返事にあった。

 近日、パラワン島に行かれるとのこと。

 山岳とジャングルの島。
 とてもとてもとてもうらやましい!

 お気をつけて行かれてください。

 聖心女子大学での授業。
 視覚系についての勉強の仕上げと、
ソーシャル・コミュニケーション
導入。

 PC+プロジェクタでの
ヴァーチャル・ホワイトボードの使い方を
覚えて、授業が大分楽になった!

 もう黒板消しもチョークもいりません。

 羽田へ。
 びゅんと飛んで、
 白水先生ゆかりの九州大学に来た。
 
 ユーザーサイエンス機構(USI)関連の
研究打ち合わせ。

 USIが電通と連携しているということで、
東京から毎度おなじみ電通の佐々木厚さん、
 それに九州電通の小野さんも
ブレインストーミングに参加。

 佐々木さん、小野和美さんの他
 坂口光一さん、田村馨さん、河邊隆寛さん、
後郷吉彦さん、坂口敬司さん、加藤完治さん、
藤原昌子さん(以上九州大学)、
 村山由香里さん、清澄由美子さん(Avanti)

 あるキーコンセプトが生まれたことで、
私としてはこれからの道が見えて
来たように思う!

 大橋キャンパスから歩いてほど近い
那珂川沿いの寅兎楽 (ととらく)へ。

 後郷さんは実はヨットマンということで、
博多湾で帆走されているらしい。

 夜の海に落ちることがいかにこわい
ことかという話。

 「村尾」のグラスを持って
一人那珂川河畔に近づけば、
 ウシガエルが鳴き、水面は黒々と
広がっている。

 「無意識」というメタファーにもっとも
近きものは広がる水面か。
 ヨットマンは無意識と向き合っているのであろう。

 博多の夜は長い。デザイナーの平松暁夫妻も
乱入し、(平松さんはいつもスタイリッシュな
黒いジャケットを着ていらっしゃる!)
 坂口さんが屋台で隣りに座った見知らぬ人と
ソッコーで話し込むワザを繰り出し、
 田村さんは何やら下を向いて沈思黙考の
業に入り、
 夜は更けていったのだった。

 坂口さんは参禅を重ねているということである。
 
 人生、酒が上達するより禅行を深めた
方が良いような気もする。
 なぜならそこには無意識の耕作があるからである。

 もっとも、酒を飲んでふらふら
と一人河畔を歩くのも無意識の耕作であるように
思う。
 酒を飲んで談笑するだけが愉しみではない。
 李白以来の無意識耕作の伝統を絶やさない
ためにも、
 諸君、たまには一人ふらふら酒を飲んでは
いかがか。

6月 7, 2006 at 08:26 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2006/06/06

ニューロンの回廊 公式ホームページ

BS日テレ 『ニューロンの回廊』
公式ホームページができました。

6月 6, 2006 at 07:57 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

無限に向き合うためのレッスン(自己批評文演習)

Lecture Records

茂木健一郎
無限に向き合うためのレッスン(自己批評文演習)
(2006年度 美術解剖学 Lecture 6)

2006.6.5. 東京芸術大学 美術中央棟 第三講義室

音声ファイル(MP3, 82分、38 MB)

6月 6, 2006 at 07:51 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

真摯にして曇りのない自己批評文

それにしても、綱渡りの一日だった。
 
 朝起きたとき、こりゃダメだ、と
思った。 
 やるべきことと時間の間尺が
合わない。
 アポイントのどれかをさぼりたい気分に
なった。

 しかし、結局さぼらなかった。

 移動しながら資料を読み、
タクシーの中でキーボードを打ちまくる。

 自分でも奇跡ではないか!
というような集中力で、気付いたら
なんとかこなせていた。
 こんな日もあるものだ。

 午前、電通で研究会。
 話を聞き、議論をしながら
手元はずっと動いている。

 これは苦しい。苦しいが楽しい。

 東京芸術大学。
 大浦食堂横のテーブルで
 二件ミーティング。
 ミーティングの合間に、
仕事を送信。
 うーん、タイト。

 やっとたどり着いた美術解剖学授業。
 二つのことを考えたかった。
ひとつは、無限とか断絶とか、そういった
どうしょうもないことを前にした
感情の働きについて。

 芸術とは何か、ということを
考えたとき、どうすることもできない
ことを前にして、私たちの心が
どのような動きをするか、その問題が
本質だと言いたかった。

 つまり、進化論の「適応」概念
では直接的には説明できないということである。

 もうひとつは、自己批評性の問題。

5月30日の当日記で『吾輩は猫である』
の一部を引用したが、
 私は漱石のすぐれた点はその自己批評性に
あると思っている。

 批評は、もともと愛をもって他者を
育てるためにあるものである。
 だとすれば、自分自身に愛をもって
接し、批評せよ。
 ここが出っ張っている、ここが
引っ込んでいると記せ。
 
 漱石のように、自分が貧乏英語教師であること
や、あばた面であることや、
 金が欲しくてたまらないのに超然とした
ふりをしていることや、
 その他、自分のもっとも弱く、痛い
ところをつき、諧謔のうちに活写せよ。

 そうすることが、精神のかたちを
ととのえ、みがき、より美しいものに
していくためにどうしても必要なことである。

 大浦食堂地下の生協で買った原稿用紙を
配ると、みんな神妙な顔をしていたが、
 やがて書き始めた。

 もちろん、私も書いた。
 

 書き終えた人から、前に出て
朗読してもらった。
 植田工がやり、蓮沼昌宏が読み、
何人かの女子学生も朗読した。

 みな、
おどろくほどあからさまに自分のいた〜い
ことを書いてくれた。

 カンドウした。
 うれしかった。

 布施英利さんも、自作を朗読した。
 最後に、杉原信幸も朗読した。

 まだまだ続けたかったが、時間に
なってしまった。

 なんだかすさまじくもしんみりと思い出深い
授業になったと思う。

 あとで、授業に出ていた
芸大生から、

昨晩、私は初めて本気で美術をやめ
ようかと悩んで泣きながら夜を過ごしたのですが、
今日の授業を聞いて、もう少しだけ、あと少しだけ
がんばってみようという力が沸い
て来ました

とメールをいただいた。

 伝わったのだ! と思って、うれしかった。

 いつものように上野公園でビールを飲んでいると、
杉原がなかなか来ない。

 聞くと、「やってしまったあ!」と呆然として、
気持ちが落ち着くまでそのあたりでぶらぶらしていた
のだという。

 杉チャンは、それだけエラカッタんだよ。
より高い次元に行けるように、
 自分をきちんと客観的に見て、
突き放すことができたんだ。

 みんなの前でやるのは、ちょっと
恥ずかしいけどね。

 誤解なきように。成功した著名な
作家、芸術家や、今世間で喝采されている
クリエーターの中に、自己批評のない
人などいくらでもいる。

 裸の王様のまま、歴史に残っている
人もいる。

 だから、漱石のように痛々しいまでの
自己批評性は、クリエーターとして
成功するための必要条件ではない。

 しかし、最高のクオリティ
のものをつくるためには、自己批評精神は
不可欠であると思っている。
 
 突き抜けるためには、自分の出っ張っている
ところや引っ込んでいるところを
きちんと見つめることが、
 どうしても必要なのだ。
 
 日本のクリエーターにはナルちゃんが
多いと以前から何回か書いているが、
 自己批評精神の欠如こそが、
昨今の日本の最大の問題点であると
私は思っている。
 
 だから、本当に良いものが
できないのである。

 皆さんも、日本が列強の仲間入りだと
浮かれている時に、『三四郎』にて
広田先生をして

熊本より東京は広い。
東京より日本は広い。日本より頭の中のほうが
広いでしょう。とらわれちゃだめだ。
いくら日本のためを思ったって贔屓
の引き倒しになるばかりだ

と言わしめた漱石の精神に殉じ、
真摯にして曇りのない自己批評文を
書いてみませんか。

6月 6, 2006 at 07:36 午前 | | コメント (9) | トラックバック (4)

2006/06/05

(本日) 東京芸術大学 美術解剖学 無限と向き合うためのレッスン 

東京芸術大学 美術解剖学 無限と向き合うためのレッスン 

東京芸術大学 美術解剖学 
Lecture 6
茂木健一郎 無限と向き合うためのレッスン

2006年6月5日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

聴講歓迎!

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

6月 5, 2006 at 08:40 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

脳から始まる 江戸の絵師・伊藤若冲が見せる「こだわりパワー」

ヨミウリ・ウィークリー
2006年6月18日号
(2006年6月5日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第8回 江戸の絵師・伊藤若冲が見せる「こだわりパワー」

一部引用

 若冲の傑作を前にし、細見さんのお話をうかがっているうちに、何だか妙な気分になってきた。考えれば考えるほど、若冲の絵は京都そのものであるように思われてきたのである。
(中略)
広い外界との折衝など考えず、小さな世界に立て籠もることで、かえって世界全体に通じる普遍性を得ることができる場合もある。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 5, 2006 at 06:57 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

いただいた「雀の涙」

土曜日。

大久保の早稲田大学理工学部で
「理工文化論」の授業。

400名入る教室が二つあって、
ひとつは中継で見ていたらしい。

質疑応答の時間になったら、
いろいろな問いが活発に出て、
面白かった。

授業が終わったあとも、質問に答えていて
すっかり相澤洋二先生と三輪敬之先生を
お待たせしてしまった。

お二人と昼食をとる約束をしていたのである。

石山敦士先生もご一緒で、
早稲田の理工学部の再編や、大久保キャンパス
の近くに地下鉄ができるという話を伺う。

東京駅へ。電通の佐々木厚さんと合流して、
京都から湖西線で高島へ。

黛まどかさんや加藤秀樹さんが
やられている
「日本再発見塾」(ええじゃないか)
に参加するためである。

もう宿の夕飯は終わってしまっている
時間なので、駅前のショッピングセンター
の3Fで、「すき焼き御膳」を見つけて、
佐々木さんとビールを飲みながら食べる。

ふらふらと駅に向かったら、
緑のTシャツを着た方々が迎えに来てくださっていた。

暗闇の中でも、みずみずしい自然が
あるのがわかる。

会場の興聖寺には、長谷川章さんの
「デジタル掛け軸」が投影され、
念仏踊りが披露された。

夜話で「遊び」の話をする。
無印を立ち上げられた麹谷宏さんが
一千万円のワインを落札して飲んだ話が
面白かった。

ヨーロッパのワインのぶどうは1864年に
一度壊滅的な打撃を受けており、
その後はアメリカのぶどうに接ぎ木したものが
栽培されている。

それで、落札したワインはそれ以前のものという
ことらしい。

飲めるものじゃないだろうと思っていたが、
存外うまかったと麹谷さん。
1864年以前のぶどうから作られた
ワインは長持ちした、という文献が
あるということである。

宿舎に向かい、しばらく懇談。
養蜂家の藤原誠太さんが
日本蜜蜂のことをいろいろ教えてくださる。

明けて小川後楽さんの茶事。
抹茶ではなく、煎茶の茶事である。

小川さんによると、明治の御維新のころ、
日本の茶道はむしろ煎茶中心に
なりかけたのだという。

いただいた「雀の涙」のような
ほんの少しの煎茶は、舌の上で
ひとつの宇宙のように濃厚に
広がって、
大いなる驚きを与えてくれた。

まさにサプライズ。

昼食時、ふらふらと杉の道を歩いていたら、
古池で蛙が飛び込んで、
サワガニが清流を這っていた。

まさに日本再発見。

こんな所に住んでみたいな、と思うが、
容易に果たせないこともわかっている。

自然を思い、田園生活を慕う
ということは、つまりはそのような
やり切れない思いを引き受けるということでは
ないか。

湖西の地は池に美しき鯉が泳ぎ、
森には生命の気配が濃厚で、
文明の虚飾に彩られた東京など
吹っ飛ばしてしまう魅力にあふれていたが、
それを下手に文脈付ければ結局過去
多くの観光地が繰り返してきた俗化の
道を辿ることになる。

人生の多くのことは寸止めで味わう
しかない。

多くのスタッフ、ボランティアの尽力に
より第二回日本再発見塾は大成功。

加藤秀樹さん、高橋世織さん、小川家元、
黛さん、佐々木さん、と帰る。

帰りの新幹線が、黛さんだけが
ひとつ前のやつだったので、さびしいさびしい
と騒いでいたが、
佐々木さんがさっさと黛さんの
荷物を持ってホームに上がってしまった。

黛さんは途中でこだまに乗り換えたよし。

そのこだまを、私たちののぞみが途中で
抜いた時、
私はすでにまどろんでいて、
ほの暗い東海道の風景も目に入らなかった。

6月 5, 2006 at 06:51 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2006/06/03

食のクオリア

茂木健一郎 
『食のクオリア』 
青土社

2006年6月1日発売

美しい表紙の本ができました。

6月 3, 2006 at 09:21 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

ワインは夢の中で飲み

 久しぶりにジョギング。
 二倍の距離を走る。

 いつも遅刻しそうになって、
リュックを背負って走っているが、
あれはあんまり楽しくない。

 背中に重いものがなくって、
軽やかに自由に走るのは、
 何て楽しいことなのだろう!

 風の精になったような気分だなあ。

 午前中、
 あるモンダイについてのブレスト。

 Nさんと出かける。
 TさんやSさんと
 未来についていろいろと考える。

 思い切り考えて、絞って、形づくれば
きっとどこかにジャンプすることが
できるのであろう。

 考えることは、本当に面白い!

 研究所。
 東京大学の田嶋達裕君が見学にくる。
 
 食堂に向かいながら、いろいろ
話す。
 「コウコウはどこ?」
 「ツクコマです。」
 「あれ、池上高志って、ツクコマじゃ
なかったっけ?」
 「池上さんは、名古屋のはずです。」
 「あっ、そうか、じゃあ、ツクコマは
誰だろう?」
 「池上研にいませんでしたっけ」
 「あっ、池上さんに授業を受けたことが
あります」
 「えっ? 熱力学?」
 「いや、波動でした」
 「おっかしいなあ。池上がマジメに授業
しているところを想像すると」
 「いや、わかりやすい授業でしたよ」
 「わかりやすい?・・・」
 「間違えました。親しみやすい、でした。」
 「だろ〜 おかしいと思ったよ。あいつは
飛ばすからなあ」
 「きのう見た映画の話とか、そんなのも
よく飛び出していました」

 いろんな人の発言を混ぜて書いても
ある程度わかってしまうのはなぜであろう。

 ゼミ。Journal Club。星野英一が
たいへんな進歩を見せる!
 前回の論文紹介では、何がなんだか
わからなかったのだが、
 今回は、自分でちゃんと読んでわかっている!
というのが伝わってくるプレゼンテーションだった。

 海馬と大脳皮質の役割分担は何か?
 いろいろと疑問がわいてくる
論文!

 田嶋くんが、現在興味を持っていることについて
話してくれる。
 Generative modelが面白い!
と思っているのだと、ホワイトボードに
パン、パン! と書く。

 田嶋くんに別れを告げ、
朝日カルチャーセンターへ。

 感情の志向性について最近
考えていることを話した。
 これは、オオネタになるように
思うのである。

 飲み会をしていたら、田谷文彦が
ひょいひょい歩いてきた。

 二次会では、ほとんど眠っていた
ような気がする。

 ぱっと目が覚めたら、「茂木さんの
ワインをもらいました」
と誰かに言われた。

 ううん? と起きあがったが、
ワインは夢の中で飲んだような気もする。
 
 ワインは夢の中で飲み、現実のワインは
誰かに飲まれてしまって、
 一体ぼくの人生は、どうなっていくんだろう。

6月 3, 2006 at 09:08 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2006/06/02

朝日カルチャーセンター 脳と心を考える(本日)

朝日カルチャーセンター 脳と心を考える 第4回

(7階の教室です)

2006年6月2日(金)18:30〜20:30

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0604koza/A0301.html#

6月 2, 2006 at 07:42 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

うっすらと後を引く繊細な気配

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
収録は、「仕事術スペシャル」。

 今までに番組に登場した18名のプロから
学ぶ仕事術を、住吉美紀さん(すみきち)と探る。

 スタジオもいつもと違っていて、
住吉さんもぼくもスツールに座る。

 ところが、なかなかやっかい。私は、、
ワイヤレスマイクの発信器がスツールの
輪に当たる。
 住吉さんは、ハイヒールがうまく
載せられない。

 私の方は送信機を前にすることで
解決。
 すみきちの方は、黒い箱を置こうとしたが、
モニターを一目見た有吉伸人チーフプロデューサー
(ありきち)が、
 「こりゃだめだ、映っているよ。ゆみよし、
せいぜい一分半なんだから、がまんしろよ!」
と言った。

 スタジオはもちろんずっと続くのだが、
テーブルの下の足が映るのは冒頭の1分半という
意味である。

 すみきちが今回はPD(プログラム・
ディレクター)も兼ねているので、
 台本を書いている。
 「私の台本は、感嘆詞(!)が多いんですよ」
とすみきち。

 番組で使うVTRを流しながら
収録を進めていくが、
 そのナレーションを本番の
橋本さとし
さんではなく、PDの河瀬大作さん
(極悪トリオ次男)がやっていた。

 なぜ極悪トリオかというと、初期の頃の
飲み会で、私と河瀬さん、それに小池耕自さんが
極悪だということになって、トリオを組んだのである。
 私が長男らしい。

 河瀬さんのナレーションは、
ほのぼの笑わせるもので、
 ありきちさんに「お前学校の放送部みたいだなあ」
と言われていた。

 その放送部河瀬のナレーションに
負けないよう、
 すみきちとがんばった。

 収録中、すみきちに、真顔で
「茂木さん、この前、仕事を始めると
瞬間的に集中できると言っていましたけど、
あれはどうやっているんですか」
と聞かれた。

 そうなのである。私は、ここのところ、
「机に着いたら1秒で仕事を始め、
ぐっと集中する」
「はははと笑っていて、遊びが終わると、
ぱっと瞬間的に仕事を始めて、だーっと
やっていく」
という「瞬間仕事始め」「瞬間集中」
を続けている。

 そうでないと、仕事がこなせない
から、というプラクティカルな理由が
大きいのだが、すみきちの疑問もわかる。

 私も、昔、だらだらしていて、
「さあ、やらなくちゃ」と思っても、
やっぱり始められずに、時間が経っていく、
ということがあった。

 そして、時間が経てば経つほど、
「こりゃダメだあ」
という後悔や自己嫌悪が募っていくのである。

 質問されて改めて思ったのだが、今の私に
とっても仕事のし始めは難しいのである。

 内田百けんが、「阿房列車」の中で、
「止まっている機関車と走っている機関車は
全く別もので、それをひとつで間に合わせ
ようとするから難しい」
と言っているが、
 仕事をしている私としてない私は
まるで別もので、それを一人で間に合わせ
ようとするから難しい。

 助走は抵抗感があり、うまく行かないんだけど、
そのやっかいな状態を恐れたり、不安に思ったり
することがますます仕事始めから遠ざけさせる。

 だから、不安や恐怖を持たず、
仕事と自分の間に壁をつくらずに、
瞬間的にエイヤッと飛び込んでしまうしか
ないんだけど、
 それは繰り返しやっていくうちに自然に
身に付いていくとしか言いようがない。

 論文を書くのが課題になっている
関根崇泰くん、わかりましたか!

 ゲストがいないので、何だか
こじんまりとリラックス。

 突然思い出したこと。
 私は小学校5年生の時に放送部で
カメラマンをやっていたのだった。

 白黒だったが、いっちょ前にズームしたり、
移動撮影したりするのが好きだった。

 年に一回、クラスの番組を作った。
それは晴れ舞台で、ぼくはカメラを
回していたのだが、島田圭くん
(しまけい)が、カメラにどどどどと
走ってきて、「えっ、おれ、今、テレビに
出ているの?」
というギャグをかました。

 給食を食べながら録画放送を見て
みんなで大笑いした。

 牛乳を吹き出した人もいたかもしれない。

 遠い遠い昔のことである。

 プロフェッショナル収録後、
『赤毛のアン』シリーズについて
簡単なインタビューを受ける。
 遠きプリンス・エドワード島の
ことを思い出した。
 あそこはいい場所だったなあ。

 ありきちCPの提案で
みんなで両国の「ほそ川」に行く。

 あの山本益博さんが一ヶ月
通った店なのだそうであります。


 電車を乗り継いでいく。
 プロフェッショナル・チーム、
初遠足。

 水なすを初めて生で食べ、
そばがきをぺろりんと食べた。

 河瀬次男もやや遅れで到着。
ビールで乾杯、お疲れさまでした!

 ほそ川、すばらしい店でした。
 良質の水彩画を見た後のように、
うっすらと後を引く
繊細な気配のようなものがありました。

 相変わらず「瞬間仕事始め」
「瞬間集中」を続けないと仕事が
終わらない、こなせない、仕掛けられない
きびしき日常であるが、
ほんの少しさわやかな風が
 吹いた気がしたのは、
本当にうれしいことではありました。

 ほそ川に連れていってくださった
ありきちさん、そして身を粉にして
おいしさを味わせてくださった
蕎麦の実のみなさん、ありがとう。

 
 あんまり気持ちが良かったので、
番組収録後、スタジオ外に
NHK出版の大場旦さんが
小林玉樹さんとともに原稿の催促に
来ていたこともすっかり忘れて
いたくらいだった。

 小林さんの方は、なんとかだーっと
行けそうだが、
 怪奇オオバタンの方は、なかなかやっかい。
 こわいよう。えーん。

 でも、がんばろう。

6月 2, 2006 at 07:35 午前 | | コメント (11) | トラックバック (4)

2006/06/01

プロフェッショナル 仕事の流儀 大瀧雅良

プロフェッショナル 仕事の流儀 第17回

勝つことより大事なことがある
〜教師・大瀧雅良〜
目前に迫ったサッカー・ワールドカップ。日本代表23人のうち、小野、川口、田中誠の3人を輩出した静岡県清水商業高校サッカー部。その監督を30年以上続ける大瀧雅良(54歳)は、名だたる選手を生み出した名伯楽として、その世界では知らぬものはない存在だ。 その指導方法は厳しい。気の抜いたプレーをすれば、容赦なくしかりつける。校則違反を行えば、たとえ中心選手でも、チームから外す。商業科の教師でもある大瀧が目指すのは「子供を大人にすること」。中学時代にエリートだった選手たちに自分の殻を脱ぎ捨てさせ、常に自分で考えて判断することを、教え込む。「自分に厳しく 他人にも厳しく」「勝つことよりも大事なことがある」その根底には大瀧の確固とした流儀がある。それは「教師の仕事は、教えることではない、考えさせること」。 かつて熱血教師として赴任した当初、大瀧は「教える」ことに夢中になるあまり、紅白戦すらできない状態へと部員を激減させた苦い体験があっ た。新入生を育てながら闘うインターハイに向けての練習に密着。子供たちと教師たちの真剣勝負の姿に、一流のプロの指導術を見る。

NHK総合
2006年6月1日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

6月 1, 2006 at 08:24 午前 | | コメント (3) | トラックバック (7)

「読書案内」730冊

マガジンハウス 
ブルータス No.595
2006年6月1日発売
本読み、本好き、本のプロと一緒に作る
「読書案内」730冊!

茂木健一郎 脳科学の本(聞き手:内田樹)
内田樹 身体論の本(聞き手:茂木健一郎)

http://www.brutusonline.com/brutus/issue/index.jsp

6月 1, 2006 at 08:16 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

アートは生きることの意味を生産している

「アートは生きることの意味を生産している」
茂木健一郎
原美術館、三井記念美術館、五島美術館、
畠山記念館、出光美術館、泉屋博古館分館
クオリア的東京美術館散歩

小学館 「和楽」2006年6月号

http://www.waraku.shogakukan.co.jp/latest.html 

6月 1, 2006 at 08:09 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

チェゴ!

 朝一番で、研究所でブレスト。

 "Conscious 1"ということで、意識問題に
しぼって議論しようという趣旨。

 第一回はThe binding problemにした。
part binding, property binding,
synchronization, convergence zone,
etc.などの話から始める。

 柳川透の発想は、常にcognitiveな方向に
向かう。マルチモーダルとか、感情などの
internalな情報とのbindingとか。

 ネットワークサイエンスと
binding problemの間の関係を
探ると、新しい展開があるんじゃないか。
 Singerらの言うsynchronizationでは、
part bindingは説明できても、property bindingは
説明できない。

 いかにnetworkの性質として
property bindingを説明するか?
 やはりquantum mechanicalまで行かなくては
ならないのか?

 続いて、小俣圭の投稿論文に
ついてみんなで話す。

 小俣は、かなり根性を入れて英文を
書いてきた。
 しかし、書き込み過ぎて、学位論文
っぽくなっている。

 今回の論文で主張するべき最も
重要なポイントは何か?
 そこに至る文脈付けに必要十分な
イントロダクションは何か?

 そんなこんなをやっているうちに
お昼になって、みんなで食事に出かけた。

 須藤珠水といろいろアルバイト
関係の話をする。
 
 大久保ふみのTシャツの文字がよく読めない。
二重になってblurrがかかっているのだ。

 箆伊智充は、いつの間にか「茂木研の
高倉健」ということになっているようだ。
 肩とイカラセて歩くといいかもしれない。

 小俣とコンビニに行き、いろいろと
お菓子関係を買いながら話す。
 チョコクッキーを手に取ろうとしたら、
小俣が「こっち!」と言って
 抹茶クッキーにした。
 小俣圭における抹茶>チョコの法則
の真実とは何か?

 恩蔵絢子の実験条件の
詰めをし、
 柳川透といろいろ話す。

 すると、野澤真一、石川哲朗、大久保ふみ
の三人がソファのところで何やら
話し込んでいるのが聞こえてきた。

 「そこで、表情の違いがわからないんじゃ、
意味がないじゃん!」
 「でも、隠した方がコントロールしやすいん
じゃないかなあ」 
 うんぬんかんぬん。

 大久保さんではなく、野澤と石川が
主に喋っている。
 野澤は声が大きい!

 野澤は、入ってそうそう、
ゼミの運営の仕方などについて
先輩たちにスルドイ意見を
申し述べているらしい。
 ノザワくんの
 「青年の主張」が、立派な研究に着地できることを
願ってやまない!

 共同通信の取材。
 辻村達哉さん、川瀬美加さん。
ジュニア・デザイナーズ・アワード 
 について。

 「そもそもクオリアとは何なのでしょうか?」
 「科学的にアプローチが難しかったのは
なぜなのでしょうか」
 などと、辻村さんが突っ込んでくるので
私も答えるが、どんどん非局所性とか
メタ認知とか泥沼化する方向に行きそうなので、
あわてて軌道修正する。

 General meetingが始まり、
所眞理雄さんとか、北野宏明さんとか、
暦本純一さんとかいろいろな人々が
さっきまで学生たちとブレストをやっていた
スペースに集まってきた。

 九州大学の金イギョンさんが見学に来る。
 私が取材やGeneral Meetingで
オキュパイされている間は、
学生たちが金さんと話していたようだった。

 五反田の「私たちの世界遺産」、
「あさり」へ。

 ビールを飲みながら金さんと話す、
というか、正確にいうと、時々
「で、金さんは脳ではどんなことに興味がありますか」
などと聞きながら、
 基本的に学生たちが金さんと
話しているのを横から聞いている。

 関根崇泰とか田谷文彦が主に喋って
くれた。

 関根に、「金さんは日本に来て4年しか
経っていないのに、こんなに日本語がうまい。
それにひきかえ自分の英語力をどう思うのか!」
と聞くと、
 「うーん」とうなって、突然
ラーメンの話をはじめた。
 魚介類の出汁は、基本的に東京
だけというのは本当なのか!

 研究所近くに、時々行く韓国料理屋
で「チェゴ屋」というのがある。
 これはどういう意味ですか、と
金さんに聞くと、きっぱり
 「最高です!」
と言った。
 「うん?」
 「チェゴは、最高という意味なのです。
最高と書いてチェゴと読むのです。」

 そうだったのか。いつも
食べているカルビ、クッパ、ビビンパ
の味を思い出し、「そうか、あれは最高(チェゴ)
だったのだ」と私と柳川は激しくうなづき合ったの
だった。

 野澤真一はどこかで課題を済ませてから
くると言って遅れてきた。
 
 チェゴ屋の意味を説明すると、
「そうか、だから、チェゴ! とか言っている
んだ」
と野澤。

 野澤は、さりげなく韓流ドラマなど
を見ているらしいのである。

 野澤真一の「青年の主張」があさりに
こだました。

 私は仕事がいろいろあったので、
青年たちの談論風発を背に、ひとり
夜の街へと消えていったのだった。

6月 1, 2006 at 08:06 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)