« 茂木健一郎 何が人の心を動かすのか | トップページ | スタジオパーク(本日) »

2006/05/18

何よりも美しいと思う

『ニューロンの回廊』
 でメディア・アーティストの岩井俊雄さんと
スピードスケートの清水宏保さんにお目にかかる。

 雨の中、麹町の日本テレビに
入ると、スタジオでは大がかりな
準備が行われていた。
 
 しかし、ディレクターの
野溝友也さんは、しっしっ、と追い払うのである。  
 「茂木さんは見ないでください」

 仕方がないので、控え室でお弁当を
食べながら仕事をしていた。

 本番になって、岩井さんにご挨拶して、
いよいよ『時間層II』を動かすことになった。
 岩井俊雄さんが日本美術展大賞を受賞
された記念すべき作品のホンモノ!である。

 ところが、今度は森義隆さんが
「しっ、しっ。茂木さんは隅の方に行って、
壁に向かって立っていてください」と言う。
 どうしても、見せないつもりなのである。

 カメラが回って、やっと見ることが
できた。
 ファースト・リアクションが欲しかったらしい。
 私は、うわっ! と叫んだ。

 岩井さんは、小学生の時の
工作ノートや、学生の時に就職活動用応募ハガキの
束に書いたパラパラ漫画や、いろいろな
ホンモノ! を持ってきて見せてくださった。
 最近つくられているリベットくんも
沢山「見せて貸して触らせて」くださった。

 岩井さんとお話して良かったなあ、
と思うのは、メディア・アートという
ものに対する観念が変わったことである。

 メディアというものの存立性を
前提に表現を工夫するのが通常の意味での
アートだとすると、メディア・アート
というのは、新しいメディアが成立するその
危うい地点に立ち戻って感じ、考え、
表現することなんだとわかった。
 少なくとも岩井さんはそうやっているんだと
わかった。

 岩井さんは、自分がいろいろなことを
知ってしまった後でも、「何も知らない人
だったらどう感じるだろう」という
原点に立ち戻って考えられる、という。
 ミステリ作家がトリックや真犯人を
知らない状態に戻って自作を読むようなもの。

 収録後、立ち話をしている時に、
岩井さんと私の間には、生年のみならず
たくさんの共通点があることがわかった!

 岩井さんとは、これからもいろいろ
な接点があるのではないか!

 清水宏保さんには、以前からお目にかかりたい
という気持ちが強く、雑誌の対談などで
「対談相手は誰がいいですかね」と打診
される度に、「あのう・・・スケートの
清水宏保さんはいかがでしょう・・・」
と言ってきたのが、ついに実現した!

 前からスゴイ! と思っていたが、
『神の肉体』を読んで、
 完全にノックアウトされたのが2002年。

 「肉体の限界よりも精神の限界の方が先に来て、
そのリミッターを外すことが重要」
 という清水さんの命題は、スポーツに限らず
いろいろな分野について言えることなのでは
ないか。

 その清水さんの強さが、弱さから来ている
というパラドックスの中にしみじみと味わう
べきものがある。

 清水さんは、幼い頃に喘息で苦しみ、
自分の身体はこういう時はこうなる、
と隅々までモニターし、調整を試みる
クセがついたのだという。
 
 喘息という苦しさに向き合ったことと、
清水さんがスケートで
滑走しているとき、あるいはトレーニングを
している時に身体をコントロールしている
時に隅々まで神経が行き渡っている超人的な
感覚は、関係しているのではないか。

 冒頭、「肉体くらべ」などと称して背中合わせ
で立たされた。
 太ももも僭越ながらさわらせて
いただいた。
 鋼鉄のようにぱんぱんに張っていながら、
やわらかい!

 後で、森さんに「茂木さん、珍しく
最初の方動揺していましたね」と言われたが、
あんなことをさせるからだ!
 誰だってドギマギするじゃないか!

 清水さんの言われることは、いちいち
スゴイのだけれども、たとえば、
 「集中する」ということは、
世界の中のある一点だけにスポットが
当たってそれ以外は見えなくなることではなくて、
むしろ全体が見えていることだというのは
とても深いと思った。

 今の脳科学におけるattentionのモデルは、
要するにスポットライトのようなもので、
だとすればwinner-take-allで他のものは
見えなくなるはずである。

 しかし、清水さんの証言によれば、
 トップ・アスリートにおける集中とは、
むしろ全体が見え、しかし何者にもとらわれない
ことである。
 この脳状態は一体何なのか?
 heightened state of awareness
だという特徴付け、Mihaly Csikszentmihalyiの言う
「フロー状態」だという特徴付けはできるにしても、
その正体は未だわからない。

 清水さんのトレーニングの方法は、単に
力学的に大きな負荷をかければかければ
良い、というようなものではなく、 
 脳と身体が一体となった複雑系制御の
ダイナミクスの中に自分を投げ込むことの
ようだ。

 同じトレーニングをしていては
「筋肉はずるい」から、この負荷でいいんだと
怠けてしまう。
 だから、いつも常に新しい
形での負荷を身体に与え続けなければ
ならないというのだ。

 「いつも同じように腕立て伏せをしている
だけではだめなんですね」と私が言うと、
 「こうやったり、こうやったり、と、
手をつく向きを変えたり、姿勢を変えたり
してみるといいんじゃないですか」と清水さん。

 そうか、いろいろヘンでコワイ
かっこうで腕立て伏せをすれば良いのか!
 さっそく実行してみよう!

 限りなく共感したのは、
清水さんにとって何よりも大事なことは、
世界記録を出すことでも、オリンピックで
金メダルをとることでもなく、
 自分の限界を乗りこえていくことだ
ということ。

 そこでの進むべき方向や自分が何に向き合っている
かという感覚は、言葉で表せるものでも
人に容易に伝えられるものでもなく、
 孤独のうちに立ち向かうしかないもの。

 スポーツも考えることも同じだ。 
 私が意識の起源の問題に関して、
「相互作用同時性」の周辺を
考える際に、いつも直面する難しい箇所。
 そこを超えようと格闘することは、
清水さんがスピードスケートで
難しいコーナーをうまくまわろうと
格闘する際に直面することときっと
同じなんだろうと思う。

 清水さんに、大きな勇気をいただいた
ように思う。

 最後に握手。
 アスリートの手は大きく、そして
柔らかかった!
 
 自己の、そして人類全体が未だ
到達したことのないゾーンを目指して
苦闘してきた清水さんの時間は、
この世の何よりも美しいと思う。

5月 18, 2006 at 08:28 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 何よりも美しいと思う:

コメント

スピードスケートの清水選手は、喘息というハンディをものともせず、むしろそのハンディをてこにして、自分自身の肉体の状態をモニターする特技というか能力をものにした。そのようにして自己の限界を突破し、あの超人的な活躍が出来るようになったのだ…。

スポーツでも脳における思考でも、また芸術でも、自己の限界を乗り越えることがどれほど人生にとって大切なことか。
おのれの進むべき方向に向き合って、格闘している感覚は、なるほど、口には容易に出せず、人にはまた容易に語れず、ただひたすら、孤独のうちに立ち向かうしかないものだ。

それは、当然ながら「自分との絶えざる闘い」「自己の“弱さ”とのあくなき格闘」である。

人は、その格闘に打ち勝った時、眼前に、何者にも変え難い「この世の何よりも美しきもの」にたどり着くのだ…。

人間は一生自分との格闘を続ける唯一の動物なのだ。おのれの弱さに打ち勝つたびに、美しきものを勝ち取るように出来ている。

茂木先生が意識の起源について考える時、難しい箇所にあたってそこを超えようと格闘されるのは、それは茂木先生自身との自己の“弱さ”との格闘でもあるとみた。

そしてその難しい箇所を突破した時、そこに先生にとっての『この世の何よりも美しいもの』が先生を待っているのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/18 19:03:32

茂木さんこんにちは。
スタジオパークは気づくのが遅く、見逃してしまいました。とても残念です。
仕事の流儀を楽しみにしています。

「筋肉はずるい」のですね。清水さんの表現力にはっとしました。
集中すると全体が見え、何者にもとらわれない。清水さんのように、精神と肉体の限界に挑戦している方にだけ見える世界はどんなものだろうと想像すると、途方に暮れてしまいます。

「生きて死ぬ私」を読み始めて、ようやく折りかえし地点を過ぎました。
13日にこちらに書きこみをしてからなので、笑われそうなくらいに遅いペースですね・・・。オルタードステイツが難しくて、ひとつひとつ理解しながらと思うと、亀のようになります。
何度か読み返したら、全部理解できるでしょうか。

二章で、高いところから下を見下ろすより、下から高いものを見上げるほうが怖い、と読んではっとしました。私もそう感じて、人に話すのですが、みんなふーん、と言う感じで、なかなか共感してくれる人がいなかったので嬉しかったです。
高いビルなどのそばでそれを見上げると、怖くてくらくらします。
ビルは地面から続いているし、茂木さんが雲を見て感じる漠然とした不安とは、少し違うのかもしれませんが・・・。
死刑制度についても、どちらがよいのかわかりませんが、執行する人の気持を考えたら廃止するべきなのかもしれないと考えていたので、とても共感できました。
この本を書かれたのは大分前とのことで、当時と今の茂木さんでは、考えが変った部分はやはりあるのでしょうか。

「圧倒的に流されてきてしまった」
昨日の日記の言葉にどきっとしました。研究室に椅子を並べて寝ている茂木さんが浮かんできました。
「包丁人味平」・・茂木さんの日記は楽しいです。

河原にいくことがあったら、寝そべって雲を眺めてみます。

投稿: | 2006/05/18 18:15:46

『この世の何よりも美しい』ものと出会えること

それは、いかなるひとの心にも

至福の時をもたらすものなのでしょう・・・

目には見えず、手には触れ得ぬものであっても・・・

投稿: TOMOはは | 2006/05/18 8:55:16

コメントを書く