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2006/05/30

夜空に、自己批評の風が染み渡る。

日経サイエンス編集部にて
東京大学の西成活裕さんと
お話する。
 
 西成さんのご専門は「渋滞学」
 自ら駆動するself driven particlesの
集団的挙動を研究されている。

 モデルとして、asymmetric exclusion
process (ASEP)などを用い、
実際の自動車の渋滞を計測して
「基本図」(粒子密度と流量の関係の
プロット)を書くなど数理モデルから
実際的応用までをカバーするアプローチは
大変興味深い。
 
 群衆の動きから、アリの行列、
さらにはマイクロチューブル上の
キネシン、ダイニンの動きのような生体高分子
の挙動まで、
 西成さんは渋滞学の対象にしてしまう。

 適切な形で抽象化された数理モデル
は世の中の様々な事象を考える時に便利な
一本の鋭利なナイフだ!

 西成さんとは、実は以前にお目にかかった
ことがあるという。
 私の大学院時代の後輩、相内正治の紹介
で、
 東大安田講堂前の中央食堂でいっしょに
ご飯を食べたことがあるというのだ!
 
 実は西成さんもそのことを忘れていて、
相内からのメールで「そうだったけな」
と思ったという。

 今や仮想のものとは相成った過去を
探っていると、白カビチーズの内側を
溶かしているような気分になる。
 
 またぜひお目にかかっていろいろ
お話できればと思う!

 最近、「自己批評性」ということについて
つらつら考える。

 自分自身を客観的に見て、その短所弱点を
見据えていなければ、高みに登って
いくことも、より美しい心根、姿に
なっていくことも難しいのではないか。

 世にはダイエットに励む諸子も多いと
聞くが、心の痩身も大切である。

 漱石の処女作『吾輩は猫である』。
 小学校の頃は、ただアハハアハと
笑っているだけだったが、
 今読むと凄みを感じる。

 ご存じ、苦沙弥先生を猫の視点から
記述しているのだが、よく考えれば
(よく考えなくても)苦沙弥先生とは
漱石自身のことである。

吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。

 苦沙弥先生初登場はこんな感じであった。

 果たして自分自身のことを、こういう風に
書けるものかどうか。
 
 自己批評性のない創造者は結局は
大したものになれない。そのことは
確信していいんじゃないかと思う。

 そんなことを考えながら、
東京芸大へ。

 重松清さんとの対論。
 
 重松さんはいつものように
「原稿書き用ハイヤー」で現れた。

 大浦食堂横で談笑した後、
対論開始。

 『涙の理由』というタイトルだったが、
途中で会場の学生たちとも
対話が始まり、
 問題はそもそも芸術とは何か、文学との
関係は何かという本質論につながっていった。

 そもそも、芸術の一部分として文学は
含まれているはずだが、
 なぜ芸大は言語表現をカバーしていないのか?

 植田工が、

初代油絵科の教授の
黒田清輝が、読み書きそろばん
ができないというくらいで、絵を描いては
いけないというのか! と言いましたからね。
今でも、お前ら、いくら勉強は関係ないと
いって、共通一次で40点しかとらないで
芸大に入ってくるとは何事か! という
言葉が飛び交いますからね!

と現代につながる芸大の「伝統」を解説する。

 自己批評能力は
言語表現によって豊かなものになるはずだ。

 布施英利さんの存在は大きい!

 対論が終了し、上野公園に向かって
歩いている時、
 重松さんは「そうか、芸大って、
日本に残った最後の「明治」かもしれないね」
と言われた。
 
 気持ちの良い夕べ。
 ビールもワインもすーっと身体の中に
溶けていく。

 重松さんは、予定を大幅に超過して
公園の中の「飲み会」に参加してくださり、
芸大大学院生にして将来の批評のエース、
粟田大輔は
「ぼくはブンガクに寄り添って生きていきます!」
と宣言した。

 蓮沼昌宏は、言語の波に対抗すべく、
「あーうー」と言いながら、
 将来の芸術復興を誓う!

 砂場でおっちゃんこしながら
油絵科の大学院生の
塚本智也さんと渡辺妥翁子さんのファイルを見る。

塚本智也さんは、立体光学迷彩、隠し絵的な
作品をつくっていて、もう少しでブレークしそう。
一見CGのような絵を手描きでいく
というアプローチはアリ!
だと思う。

渡辺妥翁子さんは「絵が描けない」
フェーズの後、キャンバスに絵の具を塗った
あと、それをマスクとして使うという
造型に向かった。
ルーチョ・フォンタナ以来の空間主義の
伝統、ここにあり!

夜空に、自己批評の風が染み渡る。
あらゆる批評の中で、もっとも価値の
あるものは自己批評じゃないかな。
そもそも、自分のことだったら
よく知っているし、関心もあるでしょ。

自己批評で精神がスリムになり、作品も
すぐれたものになっていく。これは結構。
重松清さんは間違いなく自己批評精神を
もっている。

ただ、そのためには、精神がよほど強靱
でなければならないとも思う。
弱々しいと、自己批評でへなへなと
なってしまう。

実は漱石はとても強い精神の人だったん
じゃないか。

まずは精神の基礎体力を鍛えるべし。
そして、自己批評精神によって彫琢
すべし。

それが人生の黄金の道だ!

5月 30, 2006 at 07:21 午前 |

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コメント

はじめまして、通りすがりのものです。
このブログに書かれている塚本智也さんは、テレビ東京の「時空タイムス」に出ていました。
なんでも昔、彼は「スプーン曲げ」ができて、それで地方の新聞に載ったんですって!(注:現在はスプーン曲げが出来なくなっております)

投稿: | 2006/11/11 19:26:40

茂木先生へ

28日から東京を離れています。静岡ですが、今日はかなり暑かったです。(^-^)何日かぶりに茂木先生のブログを拝見して嬉しくなりました。ネットが見れないのは結構つらいです。

重松さんの音声ファイルもまだ聴けていません。東京へ帰ってからを楽しみにしています。「我は猫である」を最近読んでいます。まだ少ししか進んでいませんが。茂木先生は、小学生でこれを読んで感銘を受けたのですから、やっぱり凄いですね。
今、改めて読んでもやっぱり難しい漢字が多いです。(笑)

自己批評って、画家は自画像を、その為にきっと描くのですね。
自分を他人に批評されるのは誰でもいやなことだけれど、自分で自分を批評する能力のある人は、他人から批評されても、客観的にそれを受け止めることが出来るし、あらゆる角度から照らして真実を見つけることが出来るような気がします。夏目漱石は、自分の実態を晒している所がすばらしいですね。小説家には必要な要素でしょうけど。

「我輩は人間である」という小説を書いてみたら面白いかな?

投稿: | 2006/05/31 23:54:37

 自分のことならよく知っている…はずなんですけれど、
「まだまだ知らないことのほうが多いんじゃないか」だとか
「知っている、わかっているつもりなだけなんじゃないか」
だとか、ぐるぐると考えてしまう。
 マイドクター曰く「あなたは自分のことがよくわかっているよ」
だそうですが、私は「うーんそうかなあ…」となってしまう。

 2・3年前「私ってどんな人?」と聞いたら「ん~疑りぶかい
よね」と、友人。このコメントの書き出しを自分で読んでも、その
友人の言葉は正しいかも。
 自分がどんなかを友人に聞くのだから、興味はあるんだよね。


 ふんふーんと、余裕でちょろちょろとしっぽをふっている、
私が知りたい「私」がいる。
つかまえた!と思って、しっぽに噛み付くのだけれど、
しっぽを犠牲にして「私」は逃げて行ってしまう。
 それをつかまえない限り、私はこの状況を越えられないのかも
なあ…と思う日々なのですよ。

 精神が宿るところは肉体ですよね。強くしなやかな精神を
住まわせるには、私の場合、健康な身体づくりも必要かなー。
 ん?昨日はヤケザケしてしまったのだった!ダメじゃん…。

投稿: | 2006/05/31 19:05:14

魂を打ち込んだ真心が幾度か無惨に裏切られ

 悩みに悩みを嘗めて鍛えられた心が

  偽りやすい目的に目をくれなくなるのである。  九鬼

やはり 傷つき立ち上がることでしか精神基礎体力は、
               鍛えられないのでしょうか。
日頃 逃げないよう心掛けてはいますが、 
           挑みすぎるのも困りものです。
漱石も好きですが 苦悶愉快 あるがまま 子規もいいです。

               お節介気質 北九州より

               

投稿: | 2006/05/31 8:33:44

自分を客観的に見て弱点を見据えていなければ、高みには登れない。
茂木先生はすごいです。世界が狭いせいもありますが、わかっていたとしてもこういう言葉を口にする人は身近にいません。
茂木先生の言葉も自己批評性が含まれているから、素直に聞けるんですね。

漱石先生を心の師とされている時点ですでに安心ではありましたが・・、すべての現象は自分の脳の中でおきていると先生の本で読んだとき、それじゃあ人を傷つけるという感覚が薄まってしまうのではと思って一瞬不安になりました。でも読み進めてあっというまに消えました。

科学者でありながら哲学者でもあるような茂木先生。
お話や、本や日記を拝見していると、漱石先生を読んだときと同じような、なにか大きなものを感じます。
大きな視点で自分やまわりを眺められているんだなぁ、と言う感じをうけます。
漱石先生の精神はやはり強靭だったんですね。たぶん、茂木先生も一緒なんでしょうね。

芸大の粟田さんの言葉はなんとも頼もしい!です
他の学生さんのお話からも、日本の芸術界の未来は明るそうだなあと簡単に思ってしまいました。

あいるけ、の書評も拝見いたしました。
毒につなげた先生がすごい。
表紙もとっても毒っぽいんですね。ひっくりかえしたくなります。
一番驚いたのは、酸素に毒があったことでした。

これからも自己批評性の風を夜も昼もぐびぐびと浸透させていってください

投稿: | 2006/05/30 22:19:33

自分自身を客観的に見て、短所弱点を見据えていくことは、おのれに対する“ディタッチメント”をすることである。それが出来るクリエイターが、日本には非常に少ない、と茂木先生は何時も嘆いている。

自分のクセ、作風はこうで、頭脳の程度はこういうもので…というふうに自分を客観できなければ、芸術に携わる者の“卵”の一人として、一段でも高いところに昇ることはできないのかもしれぬ。

そしてそれは、自らを人間としても高みに向かわせることに繋がるのに違いない。

自分を高みに向かわせた者こそ、どのジャンルであれ、最高のものを世に残すことが出来る。


これから自己批評の訓練をしてみたい。そうしないと、クリエイターとしても、また人間としても、トテモ高みに行くことは出来ないだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/30 19:39:38

先生、はじめまして。

通りすがりのものですが、Blog面白かったんでコメントしてしまいました。

先生の自己批評がとっても気になりました。先生は自身に、どんな自己批評をお持ちなんだろうと・・

強い精神の人 = 色んな意味で懐が深い人 なんですかね。


どうやったら強い精神が身につくのだろう。

やっぱり、いくつもの修羅場をかいくぐるしかないんでしょうか・・

精神が強く、自己批評もできて、創造者。

そんな人がいたら、その人は絶対面白い人だろうな~


先生のBlogを読んでいて(まだチョッとですが)、自分の進みたい方向が何か見えてきました(精神的な)。


ありがとうございました(勝手に・・)。

投稿: | 2006/05/30 12:33:34

「教師」という職業については、よくわかりませんが

私が、教師としての素晴らしさを感じるのは
(もちろん直接お会いしたわけではありませんが)

大村はま先生です。

もうおひとり注目していたのが、実は夏目漱石先生です。

岬龍一郎 著「人を導く者の魂とは―教師の哲学」という本の
第5章にある「木曜会の教師  夏目漱石」を読みました。

ここで、詳しくはお話いたしませんが

「具体的なことは何も教えることなく、
その生き方と仕事を見せることで、
多くの門人を育てた明伯楽だったと思うからである。」とのこと。

その教え子の、寺田寅彦エッセイ集「科学と科学者の話」の
「夏目漱石先生の追憶」には

「先生」としての漱石先生とのエピソードが
尊敬と親しみをこめた文章でつづられています。

寺田寅彦氏も、科学者であるがゆえの鋭い視点と深い洞察力に
裏付けられた素晴らしい随筆がたくさんありますが

その出発点における、漱石先生の存在はとても大きかったようです。

その意味でも『素晴らしい先生との出会い』は

若者の人生において、何ものにも換えがたい
賜物となることを願ってやみません。

投稿: TOMOはは | 2006/05/30 12:32:07

精神力をつける、とか、鍛えるって、最近快感に感じることのひとつです。

何か越えたり、針千本級の事態を飲み込めたとき、
むきむきっと、精神筋肉がもりあがったのを自覚した瞬間、明るい自分がいます。

投稿: | 2006/05/30 9:33:32

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