生きて死ぬ私 (ちくま文庫)
長らく絶版になって入手困難でした
『生きて死ぬ私』
がちくま文庫になりました。
畏友、増田健史のおかげです。
解説を内藤礼さんが書いてくださっています。
私も文庫版あと書きを書きました。
ちくま文庫
『生きて死ぬ私』
解説 内藤礼
文庫版あと書きより
自分の周囲のことをどのように感じ、どのような思想を抱くかということは、人が生きていく中で次第に変わっていくものである。
生まれたばかりの赤ん坊は、自他未分化の世界の中で、自分でも完全にはわからない欲動に突き動かされている。青年は、将来のことばかり思い煩い、老人は過去のことを振り返りがちである。近代においては、「思想」は年齢や人生の時期と関係なく普遍的に立てることのできるものだと考える傾向が強いが、実際には、生物としての人間の変化とともに、その思想もまた変貌して行く。
そんな中、人生のある時期にしか書けない文章というものはあるものだと思う。小学校の時の作文や、高校の卒業文集などはわかりやすい例だが、大人になって公の場で発表する文章も、また同じことである。今回、こうしてちくま文庫に収めていただくことになった『生きて死ぬ私』が出版されたのは、1998年6月。文庫版に改訂するに当たり読み返してみると、あの頃の私にしか書けなかった文章だということをつくづく感じる。
5月 10, 2006 at 08:07 午前 | Permalink
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受信: 2006/05/13 14:21:55
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コメント
より本当を求めるって、おもしろいですね
今、分からない!と言うことを知る努力を
しています
時、空を超えて ワクワクする心
何か、そんな雰囲気を大事にしたいな
と思います
投稿: 山下 明 | 2007/06/14 9:18:29
「生きて死ぬ私」については、茂木先生の公式サイトに“テクスト”として内容の全部が載っていたので、どういう話かしらんと、読んで見た所、何だか切ないような、というより、読み手の心をチクチクと刺すような読後感が残ったことを覚えている。
あのテクストを全編読んで、特に印象に残った章は、茂木先生の母上が、息子である先生に一緒に墓に入ることを拒否されたとたん、身を捩じらせて叫ぶように泣かれたくだりが出て来る章と、たんぱく質だかなんだったかの実験の為に、まだ学生だった茂木先生が、兎を“殺生”し解体したのだが、あとで複雑な思いが残ったという章だ。
特に後者の章は、兎を解体する直前まで、「この兎を救うべきか、それとも解体すべきか」というところでギリギリの選択を迫られている、学生時代の茂木先生の苦悩が描かれている。
「生と死」の問題をこのころから茂木先生は、その澄める眼で見つめていたのに相違ない。
我々は「生と死」の問題をその問題に直面するまで、深く考えようとしていない。親、親戚、兄弟、友人、恋人など大切な人が死んだり、病に侵されたりしない限り、死のことなど考えない。
今本当に大事なことは、平時の時にこそ、生と死という人間にとってのっぴきならぬ問題について真正面から向き合うことだ。
このホンがその為の、助けになるのでは、と思う。
この本を書いてから数年たち、茂木先生もある意味、成熟した「大人」になり、考えかたも変わり、色々な分野で科学の本質についてとか、大切さやロマンを説いているのであられるが、魂の問題と生と死についての難しい問題は、今も茂木先生を悩ませているのに違いない。
投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/10 19:13:02