« R30 | トップページ | 世界にはある秘められた「真実」があり »

2006/05/04

一人一人が惑星だ!

 仕事上の必要があり、遅ればせながら
 「ダ・ヴィンチ・コード」を読む。

 あっ、と思った。
 途中で、どんどん視点(語りの一人称)
が変わっている。

 『プロセス・アイ』
は視点の変化が沢山出てくるが、これを、
「小説ではあまりないこと」とか、「特定の
一人称でずっと行くのが普通」と複数の人に
言われた。

 真実はどこにあるんだろう。
 私小説の伝統が根強い日本では、
ということか。
 しかし、源氏物語まで遡ると、
特に断ることなくどんどん人称が入れ替わって、
動詞で区別しなければならなくなったりする。
 
 世界という鏡はもともと沢山の主観性の
断片に分裂している。
 だから、人称が入れ替わったって、
いいじゃないか。
 男が、コーヒーにクリームや砂糖を
たっぷり入れても、いいじゃないか。

 「ダ・ヴィンチ・コード」は一神教の
世界観に基づいているが、
 人格神が世界を見下ろしているという
メタファーがあった方が、複数視点性を
スムーズに取り入れることができるのだろうか?

 NHKへ。『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
 ライティング・デザイナー、内原智史
さん。

 内原さんが手がけられた平等院鳳凰堂の
ライティングの美しさに息を呑んだ。
 直接当てるのではなく、
 水面に反射した光で照らす。

 光が波紋となって千年の建築を
映し出し、
 時が視覚化される。

 お話の中で、
 「太陽がやっている仕事」
などということをしきりに言われる。
 なんと、
 ライティング・デザイナーとして、
太陽をライバルだと思っているらしい!

 太陽が直接照明、
 月が間接照明のライバル!
 そんなこと、思ったこともなかった!

 光量では太陽や月にはかなわないが、
 人間は、光を当てる対象を選択することで
本質を照らすことができる。
 ただ、昼間のように明るい蛍光灯が
あればそれで良いというものではない。
 蛍光灯が福音であった歴史は
きっとあったのだろうが、
 私たちは今前に進むべき時が
来ているのかもしれない。

 内原さんに和ろうそくをいただく。
ありがとうございました。
大切に、本質を照らすために使わせていただきます。

 いつもと違うスタジオ101は、体育館の
ように巨大で、
 印象深い収録となった。

 打ち上げの時、チーフ・プロデューサーの
有吉伸人さんが、いろいろ人生について
語ってくださった。

 住吉美紀さんもいつになく(いつにも
増して?!)真剣に話している。

 個人として、どのように生きていくか。
 このとてつもない難題を前に、
私たちは惑うが、
 きっと、苦労が多い方が人生は充実する!

 人間は、実に不可思議な一個の天体であって、
宇宙というイメージの中で、太陽や月と
対抗してぐるぐる回っている。

 私たちは、みな、一人一人が惑星だ!

Every man is a planet, entire of itself!

5月 4, 2006 at 06:45 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一人一人が惑星だ!:

» 「銀河がこのようにあるために」清水義範 トラックバック 54のパラレルワールド
農家学脳科学を題材にした小説はないかと思ってみつけた小説。 銀河がこのようにあるために清水義範 脳に関するおもしろい仮説が登場して、知的好奇心を刺激されます。宇宙論もでてきて、脳が宇宙をどう認識するのかという話に。 ビッグバン宇宙はビッグクランチになるのか。開いた宇宙なのか閉じた宇宙なのか。 ときは2099年、世紀末。なぞの第十惑星カーリーが現れる。太陽くらいに大きいのに質量が... [続きを読む]

受信: 2006/05/04 9:21:54

» 一人一人が恒星だ! トラックバック 404 Blog Not Found
元ネタも、さらにその元ネタもなかなか面白いのだけど、それに対するコメントに Inspire the Next Entry されたので。 独りの超電波プログラマ - お前らがmacを使わないべき10の理由。-名無しさんのコメント一番問題なのはnaoya氏やdan氏ややねうらお氏やhigepon氏のような....... [続きを読む]

受信: 2006/05/04 15:12:16

» 質感・Qualia (フラワーアレンジメントの場合) トラックバック 花華便り (ハナハナ) アートフラワー(上質造花) プリザーブドフラワー ウエディングブーケ コサージュ ディスプレイ 店内 オフィス装花 インテリアフラワー フラワーアレンジメント講習会
昨夜も眠れずに、ボッ~とTVと見ていたら、茂木健一郎さんが出演していた。 お話の内容が面白かった。クオリア(qualia)という概念をキーワードとして、心と脳の問題を研究しているというのだが、一番私が興味を持ったのは、クオリア=質感という言葉。 質感、こ...... [続きを読む]

受信: 2006/05/06 17:34:03

コメント

たいぞうくん、私たち特攻隊みたいだね。嫌だよ・・・、ハニーが助けてくれるといいんだけど。そういえば、小泉チルドレンのおじいちゃん達も特攻隊とか、軍人だったんだ。うちのおじいちゃんは海軍で、ミサイル攻撃を受けて船が沈没したけど、サメに食べられないように赤ふんをたらして大きい魚にカモフラージュして海で浮かんでたらなんとか助かった有る意味奇人の人でした。ただ、飲みに抜け出したのがバレて隊長に、おうちゃく者め!と朝礼のとき木刀でお仕置きされて失神したらしい。どこまで行っても奇人だ・・・。
「ハニーこの軍人の末裔の悪循環をたって」

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 17:32:53

 やっぱり…かもしれない…。
 (これの前の私の書き込み内容の続きなのですが。)
 休みの日に限って、なぜかわりと早起きしてしまう私…。
 茂木さんが、体調崩してダウンとかしていません
ように…。
 

投稿: 龍神 | 2006/05/06 8:53:48

ついでにスーパーマーケットでレジ打ちとか野菜とか乾物並べて初心に戻れ!!!!

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 2:12:08

オラッ!杉村たいぞう!!!!
「ニートも国会議員も紙一重です」
だったら、チルドレンつながりで言わしてもらうけどお前結婚する前に全国の女子刑務所と婦人科病院訪問しろ!!!!!!
合コン行ってた自分が馬鹿だったかわかる。なんで、アマチュアの女子高の演劇部が女子刑務所で慈善公演してんのに、政治家のテメーがガールハントしてんだよ!!!馬鹿じゃねえの。
税金で何をやってるんだ?

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 2:09:03

茂木先生お久しぶりです。といっても、覚えていらっしゃらないと思いますが(^^;)昨年S大学で先生の講義を受けてました☆
内藤礼さんには先生のおかげで出会うことができました。
講義を受けて以来、私たちの間では勝手にもぎっちって呼んでます☆ちなみに、直島はとても気持ちイイ空間でした。

クオリアについてすごく興味があります。
私は幼い頃から“境目”が気になるんです。いつも空が真っ暗になる瞬間を見ようと窓の外を血眼になって見てたんです。でも、いつもほんの少し目をそらしたスキに暗くなっている。あーまた見逃したっていっつも思ってました。
あと“鏡”です。鏡の中に同じ様な(同じなんですけど)空間が広がってることにとても不思議な気持ちでした。だから昔、実験したんです。大きく動いてるから鏡の中の子は真似できるんだ。ならば、ちょっとだけ動かしてみたらどうかな?・・・ほら!やっぱり真似できてない!
って、思ってました(笑)
こういうのってみんなは感じないみたいなんです。
クオリアってこういうふうに私が感じて、今まで感受性と思ってたもののことを言うのかなぁ?
私は発達心理学を専攻していて、感受性の研究に興味があります。
授業のあとに、哲学ではなく、美しさと心理学を学ぶためにはどうすればいいか先生に質問したときに「来週覚えていたら本を持ってきてあげる」と言って下さいました。あれは、何の本だったのですか?
お忙しいのにこんなに長々と書いてしまい、ごめんなさい。
また今年も授業のときに遊びに行きます!頑張って下さい!

投稿: ☆CKA☆ | 2006/05/06 1:32:21

考えたことの無い人は絶対に結婚してはいけない。
これが私の愚有性のクオリアです。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 1:16:29

そんな事も知らずに結婚している人はヤバイです。だから考えるべきなのです。それは、21世紀男性の義務です。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 1:14:28

何故婦人科病棟が増えているか考えたことありますか?

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 1:13:09

21世紀の女性は短命なんですよ。気づかないあなが相当変です。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/06 1:11:55

いまは7時だ。
更新はいまだにされていないようです。
何かあったのかもしれないが、それだったらニュースがはいるはずだと思う。
如何したんだろう…。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/05 19:16:18

 今日も早めに(と言うても11時過ぎに)ここに来たけれど、
いまだ更新なし…。
 「私が早めにチェックすると、更新されないの法則」が、
なんとなく確立されつつ…ある…悲し…くない…わけでもなく…。
 …わかんないや。

 今日はお子様デイだし、もぎさんもひさびさお休みなのだろう。
 と、思いますにします。はしゃぎ疲れにご用心!

 まーたあーしーたー。

投稿: 龍神 | 2006/05/05 18:35:45

初めてメールします。なぜ男性と女性では女性の方が
長生きなのですか?お返事、お待ちしております。

投稿: tuuton2 | 2006/05/05 15:17:21

“Every man is a planet,entire of itself!”

人間は一人一人が惑星である…それもさまざまな形と性質をもった惑星である…。

一人一人が互いに差異をもっており、また同時に尊い存在でもある。

「個人として、どのように生きていくか。このとてつもない難題を前に私たちは迷うが、きっと、苦労が多いほうが人生は充実する!…人間は、実に不可思議な一個の天体であって、宇宙というイメージの中で、太陽や月と対抗してぐるぐる回っている。…私達はみな、一人一人が惑星だ!」

イメージとしての宇宙の中で、日や月と対峙して“公転”しながら苦労を引きうけて生きて行く。そんな人間の中に潜む尊厳なるものと、違いとを守る為の生命哲学が今、求められている。

何度も言うて来たが、そういう哲学を戦後日本はないがしろにしてこなかったか。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/05 1:49:33

 よく晴れた日の太陽、大好きなんですけれど、
5~10分、日に当たるとぶわ-っと湿疹がでてしまいます。
 だから、日陰で眩しい日の光を眺めるだけ…でもなく、
懲りもせず半袖で外にでて、ばりばり掻くことになる。
 大学の研修旅行で渡嘉敷のビーチに行った時もえらい目に。
 「私はあなたを愛しているのに、あなたは私をひどく
傷つけるのね…!」なんて思いながら、ぼりぼりしつつ、
眩しすぎて直視できない“アイツ”に、ちらりと目をやります。
 この体質が変わらない限り、片思いなわけね…。

 数年前、真っ暗なはずの部屋に入ると、青白くて
やわらかな光が。
 まんまるお月さまのしわざでした。
 その時に、「月もこんなに明るいんだ!」と感動して
月光浴をして以来、ときどき月光浴をしていました。
 私の部屋は、そんなゼッコウのゲッコウ浴スポット
なんだけれど、散らかり過ぎて、今は開かずの間…。

 で、私の場合、
 太陽は容疑者で、月は友達、ってところだろか?

 茂木さんのご本は、和ろうそくやロウソクで、真夜中に
読むのが好きよ。

 茂木さん、ひどくお疲れ? あ…いえ…なんとなく。

投稿: 龍神 | 2006/05/04 23:09:10

いつもNHKの番組を見ています。面白いです。
特に面白いなぁと思うのは、茂木さんのゲストへの質問です。
対談の部分がとても興味深い。
太陽と月がライバルとは素晴らしい言葉です。
けれど良く考えてみると、私も月と太陽がかもし出す光や
障子から入り込む光やろうそくの灯りを身体で覚えている
のかもしれない、と時々思います。
意識してそれらの光を見つめ、同じような光を
作り出そうとすると、本当になんだかちょっと
違うので、考え込んでしまう。同じようにはでき
ないのだなぁ、難しいなぁと思うのです。
私は写真を学んでいますが、桑原さんという
写真家が「光が当たるものには、それだけの価値
がある」と書いていました。
光を当てたいと思うものにも、きっと価値がある
のかもしれません。

投稿: **kom | 2006/05/04 17:10:51

牛乳の思い出と言えば、飲んでいる最中に親とケンカして、ぶっかけた事です。でもあれは、後にも先にも始末が悪いので、絶対にやってはいけない!!いい加減にしてほしい時は、水をかけるのが正しいケンカの仕方ですね。ただし、必ずかける相手を選んで、かけた後はすぐ逃げて下さい。
ポイント:意図的にかけてはいけない。
    :怒って逃げる。
    :かけた相手が後始末をすれば自分が正しかった
     ということ。
  責任:必ず仲直りをしなければならない。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/04 16:14:52

きょうのエントリーを読んで、日本の文学界に疑問。

文学の世界においても、一人称が次から次へと交代するのが日本文学の現場では、おかしい、とされているのですか?

だとしたら、そっちの方が変だ。ずっと最初から人称が同じな私小説が主流になったのは、多分に明治以降の傾向だと思う。

人称がいくらいれかわったってよいではありませぬか。
「プロセス・アイ」が「源氏物語」と同じ手法をとっていても大いに構わないと思う。文学の多様性を認めない日本の文壇は、どっかが“いかれている”としか思えない。

「世界というのはもともと沢山の主観性の鏡に分裂している。だから、人称がいれかわったっていいじゃないか。男が、コーヒーにクリームや砂糖をたっぷり入れても、いいじゃないか。」という茂木先生の言い分は、正鵠を射ていると思う。

だって、分裂した主観性が寄り集まって、多様性に満ちた世界というものを構成しているんだから。

文学世界にしろ、他の世界にしろ、日本というのは如何にもこうにも、
「何々はこうであるべき」「何とかはかんとかであるべき」なんていう「“べき”論」ばかりが横行して、それが日本から「多様性」や「偶有性」をなくしていっているのじゃないかしらん。

蛍光灯が福音だった時代、というくだりで、戦後の昭和30年代の高度成長期を思い起こした。

あのとき、確かに蛍光灯をも含めて、3種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)やマイカーや団地、その他もろもろは、或る意味“福音”だった。

今それらは、最早福音でもなんでもなくなった。茂木先生の言われるように、今私達は前に進むべき時が来たのかもしれない。

“光の当てかた”次第で物事の“本質”を見る事が出来る能力も、
人間が他のサルよりも大きく複雑な脳を、進化の過程で手に入れたから得られたわけで、今そういう能力をさらに生かし行く時代に突入したのかもしれない。

それはそうと、日本文学界は江戸時代を通り越し、「源氏物語」の昔に立ち戻る必要があるかもしれない。

小説の人称が入れ替わり立ち代りしてもよかった時代に。

その方が、私小説的手法に雁字搦めになり、閉塞状態(ではないかと思うのだが)にある日本文学界を活性界出来るのではないか。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/04 9:53:15

太陽、月という照明。

たとえば、木漏れ日や、雲間から射しこむ日、海を照らす優しい月、、
自然界が創り出す光の世界にはとても美しいものがある。
オーロラはその最たるもの。

人間と太陽の照明合戦、でもやっぱり最終的には自然に勝てないと思う。
ただし、人間には人間独自の照明技術がある。
B'zのLIVEとかはすごいと思う。。

投稿: 54notall | 2006/05/04 9:27:22

経験から一つ言える事は、目の魅力ですね。その人がどんな状態であろうと、目線を合わせようが合わせまいがチラッと目を見ると、あれ何かが違うよね魅力的だなと思った事があります。ただ、狙いすぎのメイクとか目線はストレスになるから困りますけど・・・。カゲキさんの、力の抜けたしかし、鋭い考察とやさしさのあるあの目の置きようは言葉が無いです。元気にされているのでしょうか、静かな所もあの人の魅力なんですね。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/04 7:45:58

なぜか、第九の「歓びの歌」が耳元に聴こえてきたような
気がいたしました!

『Every man is a planet, entire of itself!』

って、先生が叫んでいらっしゃるように感じたのは
おそらく私だけではないかもしれません…

私は、昨日友人と小学校の恩師にお会いしました。

その後、中学生・高校生に混じって
かめおかゆみこさんの「演劇のワークショップ」に参加しました!

はじめての事に、ドキドキワクワク、ビックリすることもたくさんありましたが

たくさんのことを学び、感じ、身体も使って
ほんとうに、楽しかったです!!

みなさまも、何か楽しく感じられることをなさっていますか?

投稿: TOMOはは | 2006/05/04 7:24:19

ココログの写真を今の自分の写真に変えたほうがいいんじゃないですか、内面と外見の一致するキチンとしたのを選んで、客観的に観てちょっとどころじゃなく変です。毎日鏡を見て、冷静に観察していると健康状態がわかります。ただ、鏡を見すぎるとパニックになるので危険だと最近気づきました。鏡っていろんな意味で怖いものですね。されど鏡ってところです。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/04 7:19:25

この記事へのコメントは終了しました。