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2006/05/29

か細い線で結ばれた厚い地層

土曜日。
 汐留の日本テレビで
 「世界一受けたい授業」の収録。

 新潮社の金寿煥さんが
「お目付」にくる。

 控え室にいたら、武術の甲野善紀
さんが突然現れて技をかけられた。
 前の授業を終えられたのである。

 甲野さんは、いつも唐突に
現れる印象がある。
 養老孟司さんの紀伊国屋ホールでの
講演会の時もそうだったし、
 「小林秀雄賞」のパーティーの
時もそうだった。

 白土三平の『サスケ』風に言えば、
突然現れた忍びの者に「居付いて」
しまい、すでに術中にはまっているのだろう。

 スタジオでは、九州大学の都甲潔さんに
お目にかかり、
 収録後は海野和男さんにおめにかかれた。

 6月22日放送予定。

 新幹線で軽井沢へ。

 星野佳路さんの本拠地、
軽井沢星野に去年の7月にできた
「星のや」
へ。

 池の周囲に配置された
家々に滞在し、
 温泉や食堂にはゆったりと歩いていく。

 翌日、チェックアウトの時に、
ワールド・ビジネス・サテライトの
小谷真生子さんにお目にかかる。

 星野さんには番組に出ていただいていて、
どんなところか、実際に泊まってみないと
というので来た、と小谷さん。

 番組と同じようにシャープな印象の
方だった。 

 車で旧軽井沢のあたりを通る。
 大変な人で人出の多さ。
 「星のや」の
中に流れていた時間がなつかしく
感じられた。

 山あいの草むらに、ミヤマセセリがいた。

 私の育った田園地帯にも棲息している
場所があったが、
 開発で絶滅した。
 それ以来、30年ぶり? くらいの再会。

 お前、こんなところにいたのか!
と思う。

 ミヤマセセリは可憐で、もこもこしていて
かわいいやつだなあ。

 軽井沢で何を考えたかというと、
実はいろいろなことを考えた。

 思考というのはその気になれば負荷を
上げられるものであって、
 今目の前に見えていることと全然
関係ないことに思いを巡らせることが
できる。

 考えたことの一つは、「結びつけ問題」。
 やはりここが突破口の一つなのではないかと
思う。
 
 上野駅で新幹線を降り、
車で根津から白山に抜けた。

 そのあたりを歩き回っていた
学生の自分のまぼろしがそこここにいる。

 その頃のことを思い出し、ミヤマセセリ
を追ったローティーンの自分を思い出して
みると、か細い線で結ばれた厚い地層が
見えてくる。
 
讀賣新聞の読書欄
に書いた『愛の流刑地』の
書評を幻冬舎の見城徹さんが読んで、
 たいへん喜んでいたと、
 大島加奈子さんから伝言。

 その留守番電話を聴いたのは、軽井沢の
風が爽やかな山あいだった。

5月 29, 2006 at 07:30 午前 |

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受信: 2006/05/29 8:11:19

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受信: 2006/05/29 10:51:54

コメント

 ふーん、茂木さん軽井沢に行っていたのか~。
 ヤケなエネルギーが、ぐっとしても出なくなってしまって、
エネルギー充電に行ったのかな?
 いろいろ考える茂木さんのお顔、ステキなんだろうなー。

 ミヤマセセリ。北海道でも見られるようですが、私は見たことが
ないので、調べてみて…笑っちゃった!
本当に“もこもこ”って感じだから!触角は蝶で、ふさふさの体は
蛾のようで。顔もかわいいし、なんだか力が抜けちゃったな~。

 小さい頃の私にとっては、アゲハチョウが特別でした。
よく覚えているのは「うちの庭をクジャクタテハ(クジャクチョウ)が
通り道にしているなあ」という父の言葉。
 今ではクジャクは見られなくなったけれど、モンシロチョウは今年も
よく来ており、1年おきくらいにキアゲハも来て、卵を産みつける
ので、飼育するのです…それは、遠い日の幻に出会うためなのかも
知れなくて…。

 茂木さんは、ご自分の幻に出会われたとき、どんな気持ちを
強く感じるのかな…?

投稿: 龍神 | 2006/05/29 22:39:48

軽井沢でミヤマセセリと30年振り?に出会えて良かったですね。

少年時代の思い出が、さぞ鮮やかに蘇ったことでしょう!

ミヤマセセリではないが、イチモンジセセリは自分の小学生時代にも沢山見かけた。公園に行くとよくみかけた。

やはり同じようにもこもこしていて、茶色い粉っぽいジミな色彩の羽根に白い点々一列に並んでいるのが特徴だった。

あれから30年、今ではもう街中ではイチモンジセセリを見かけることは少なくなった。

新橋で労務系の仕事をしているが、仕事中にひらひらと入ってくるのは何故か蛾ばかり。
なぜかとんと、蝶にはお目に掛かれない。

蛾、といえば、土曜日半ドンの仕事が退けた後、渋谷~洗足~荏原方面を雨のなか、傘を差して歩いていたら、一角に蒼い枝先がもやもやした感じの、緑色の木があった。それはアスパラガスだった。

よく見ると、枝先に蒼い余計な枝がでている。よく見るとそれはシャクガの幼虫・尺取虫だった。枝になりきっている姿がミョーに面白かった。この尺取虫を見た思い出も、自分の中に積み重なって行く。

心の中の魂の地層は、思い出の集積(もしくは堆積)でもって作られるのだ…。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/29 21:16:37

『愛の流刑地』は読んでおりませんし
とりあえず読むつもりもありません。

よって、茂木先生の書評を読んでの、
感想を一言申し上げます。

棘のあることを知りつつも、危険な花に
惹かれてしまうのが人というものでしょうか?

その毒をもって毒を制するには
一歩間違えば、死が待っていることを引き受ける覚悟が要りますね。

その危うさが、また人を駆り立てるのでしょう。

普通の暮らしをする人々は、その小説の中に身を置くことで
その危険な香りに、しばし酔いたいのかもしれません。

私自身は、普段からどこかギリギリのところに
いるような気がすることがあるので

重松さんのお話を読んだり、大貫妙子さんを聴きながら
思いっきり涙を流したほうが、スッキリ元気になれます。


これもまた、人それぞれということでしょうか?

投稿: TOMOはは | 2006/05/29 20:53:29

ミヤマセセリが来年も再来年も、会えるといいですね。
軽井沢の彼らのすみかも、危機的状況なのでしょうか。
心が痛みます。

投稿: 平太 | 2006/05/29 9:51:16

もしかしたら、途中で送信されてしまいましたか?

続きはまた後ほど・・・

投稿: TOMOはは | 2006/05/29 7:40:42

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