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2006/05/01

葉々は青々と繁り

先日、東芝EMIに行った時、
松任谷由実の1978−1989
という全17巻! のCD
全集をいただいた。

 そのうちの三つを
がしっとつかんで、聴きながら
車を走らせる。

 久しぶりに両親の家に行く。
ファックスが壊れたというので、
見るとどうも調子が良くない。

 近くの家電店に行って、
新しいものを求めた。

 最近はほとんどが普通紙ファックス
だということで、唯一売られていた
感熱紙式の機種を買った。
 不具合になったのと
同じ会社のシリーズ。

 ついでにNTTに電話をして、
ナンバーディスプレイを申し込む。

 しばらく前から、自宅の
液晶テレビが電源の点滅を繰り返す
という謎の症状を呈しており
(おそらく電源回路の不具合か?)
 そろそろ買い時かと、
帰路、近くの家電店に寄り、
 ソニーのBraviaを買い求めた。

 今までより格段に明るくなった。
ハイビジョン対応ということで、
 徐々に見れるようにして行きたいと
思う。

 というわけで、家電回りの
手当ての日とは相成った。

 ユーミンの歌だが、改めて聴いてみて、
この人は失恋とか嫉妬とか心残りといった
通常はネガティヴな感情を甘美なものに
してしまう錬金術師だなと思った。

 なぜ、悲しい思いをうたっているのに、
その歌っているという時間の流れ自体は
甘美なものになり得るのか?
 メタ認知には、魂開放的作用があるのか?

 しばらく前に、意識の謎を解くことは、
生と死のミステリーの背後にある宇宙の
真実をのぞき込むことだと直覚した。

 そう考えたら、何だか良い意味での
緊張感が出てきた。

 なぜ有限の時間のうちに生き、死んで
しまうのか?

 死に瀕した人の元へ光のスピードで
阿弥陀如来が
救済にかけつける「早来迎図」のような
ヴィジョンが描かれなければならなかった
理由は何か?

 心脳問題にある程度の見通しをつけることで、
古来の人間の魂の叫びにも応えることが
できるとすれば、
 これもまたメタ認知の魂開放的作用だと
言えるだろう。

 家電店にいく途中、父と会話した。
 「お母さんが入院して、ちょうど一年になるん
だよな」
 
 そうであった。昨年のちょうど連休中に、
母は入院し、大変だったのだった。
 あれから一年。元気になって良かったが、
生老病死の本質が四門出遊の昔から変わる
わけではない。

 ともかくも、5月の世界は光に満ち、
葉々は青々と繁り。

5月 1, 2006 at 05:22 午前 |

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コメント

雪月花さま

この場をお借りして、お話させていただきますね。

木下杢太郎さんのことは存じ上げませんでした。

なにゆえに、これほどまでに日本のことばたちが
生き生きと感じられるのでしょうか?


まだまだ 奥深きことの 多かりしかな…

(なんて、どこかおかしくはありませんか?    TOMOはは  またの名を風待人と申します。)

投稿: TOMOはは | 2006/05/10 18:57:36

はじめまして。茂木さんのブログを発見してうれしいです。これから楽しみに拝見します。

 桜実(さくらんぼ)が熟し、草のかげが
 重くざわざわして、間々露冷たく!
 樫の花のしつこいかをり、
 煉瓦の壁に差す日の華やかさ、うひうひしさ。

 かかる朝、庭を歩み
 草上(くさのへ)に座して新茶を啜れば、
 五月の朝のはれやかな心の底に、
 世界のいづく、草の葉の一(い)つだに缺けざる
 かの一味の悲哀(かなしみ)の湧くをこそ覚ゆれ。
 (「朝の新茶」 木下杢太郎)

生命力あふれる季節の哀れもあるのでしょう。
小林秀雄の「モオツアルト」を読んで、
茂木さんのモーツァルトに触れたいと思います。

 母の日の間近なひと日に

投稿: 雪月花 | 2006/05/10 8:56:14

ご両親に親孝行できて良かったですね。
毎年母の日が近づくと、何とも言えない寂しい
気持ちになります。
母がいなくなって4年。先日久しぶりに母を思って
泣きました。

ここに来ると、何だかホッとします。
たまには知り合いからもらったモーツアルトの
CDでも聴こうかしら。

投稿: かりんと | 2006/05/04 0:48:36

仕事はいいから、早くお母さんの下へ帰るべきだよ。後悔しますよ。男親なんて何もできないから、若いあんたがなんとかしてやらないと、はやくそばにいってハグしてあげて下さい。今はコンピュータがあってどこでも仕事ができるから彼女のそばで仕事をすればいい。

投稿: 千歳飴 | 2006/05/03 0:17:41

大ファンです。私のブログに書いた「モーツァルト・モード」を読んで下さい。

カーステレオから流れる

「茂木健一郎のモーツアルト・モード」


今日、ようやく川堤の桜並木が開花しました。

初々しい桜の「お待たせしました~。」の姿に、うっとりと見とれ、


一年ぶりの再会を喜んでいると、


愛犬クロベーと野遊びをしたことが

わけもなく思い出されて、涙がつつ~っと流れてきました。


「いけない!運転中に何やってんだ!」と気を引き締めて、


桜から目をそらして

空をみあげると、


くず湯をとろ~~~り溶かしたような あかね色の空。

真っ正面には、墨絵のようにすそ野たなびく山がかすみ、


時とともに、2層、3層の・・・


ストロベリーマルガリータ&コスモポリタンのカクテルカラーが


空のカンバスに流れ込んできました。

この世界は、神様からの贈り物なんだ。


レクイエム ニ短調 K626の BGM も


すべてが調和した時の中に

生かされている 私という光のひと粒。

空気の中を疾走する、「モーツァルト・モード」。

投稿: narinatta | 2006/05/01 23:35:26

これは上から2番目の自分のコメントの補足です。
(最初のコメント、詮索過ぎてごめんなさい)
茂木先生もご両親の為にファクス購入ついでにBraviaを購入してあげるとは、やはりSONYの人なんだなぁ…全然そういう風には見えないけれども。
しかし、講演でもTVで見ても、茂木先生からは、本当にSONYの
“匂い”がしませんよね。「脳科学者」という肩書きにも拘泥しておられないですし。
実は養老先生も、同じように肩書き、組織に拘泥していない、などのことについて書いた記事を先ほどTBさせていただきました。
よろしければ是非御覧下さい。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/01 20:37:34

何かの理論に裏づけられているわけではないけれど、
実感として「悲しみ」は甘いなぁと感じます。
悲しみの深さとか、経験したことによって
甘いなんては言ってられないかもしれないけれど。

ひとりでぽつんと悲しみを味わっている時は、
何かがじわーっとしみこんでくるようです。

投稿: kaori yoshihara | 2006/05/01 19:48:30

意識の謎を解くことは、生と死のミステリーの背後に潜む、宇宙の真実をのぞき込むこと…。

人に限らず、有限の内に生命体はうまれ、有限の内に生命体はその生を終わらせ、死に赴く。大抵、生まれるは喜びにみち、死すは悲しみに充つ。

心脳問題も、生死の問題も、失恋を甘美なものに変えるユーミンの歌も、メタ認知の魂の解放的作用ときわめて深い関わりがあるのかもしれない。

もし、生老病死の本質に伴う苦しみ、悲しみを全てつき抜けて生き切ることが出来るのであるならば、死ぬることもまた、生まれ出ることと同じように、歓喜という名の、魂の大いなる開放的作用を得ることが出来るのかもしれない、という気がするのだが…。

ところで、中宮寺の弥勒菩薩半か思惟像の顔と茂木先生の顔はとてもつくりが似ている、と思うのは私だけなのか?

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/01 19:20:04

1978−1989年の自分にタイムトラベルすると…

U~m! 

今と同じくらいに、私の中での激動の時期だったかもしれません。

子どもとの会話で、「どこでもドア」を作るには
タイムマシンの開発が必要ではないか…とのことで

そのドアについたポストに手紙や新聞も届けてもらうこともできる
と言うので、それならもう、PCのメールで似たようなことができているよ…などなど

親子の会話も、飛んでる!ミタイデス…

先生も、ご両親のところをお訪ねになられて
きっと、親孝行なさっていらしたんでしょうね!


さて『阿弥陀如来』のイメージも光に満ちていますが

私は、一歩手間の(?)弥勒菩薩にあこがれます…

半跏偲惟像…(字がいまひとつしっくりしませんが)

あの頬杖をついたような、静かに深く瞑想するお姿に…

投稿: TOMOはは | 2006/05/01 7:10:52

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