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2006/05/03

群雀の中の白い雀

どんな言葉が心に残るかというのは、
無意識の生態系のなせるわざだから、
 もともと自我のコントロールできる
問題ではない。

 ここのところ、デカルト的自我を
否定する人たちが語る言葉のある文脈が
気になっているが、
 デカルト的自我がくだらないものならば、
それを単純否定する言説もくだらない
んじゃないか。

 世界が多彩な同時並列的要素から出来ている
くらいのことは、
 物理主義ですでに織り込み済みである。

 だからこそデカルト的自我が
驚異として立ち現れてくるわけだが、
どうも時々議論が逆さまになる。

 それはそうと、河合隼雄さんが
暫く前に言われた「中心をずらさないでいること」
ということがとても大切な言葉として残っている。

 世の中には、よいもの、心を惹かれる
ことは沢山あるけれども、
 それに運び去られてはいけない。

 自分の魂のありかは、きちんと
押さえておかなければならない。

 伊藤若冲の『動植綵絵』の中に、雀が
沢山飛んでいて、その中に白いのが
一羽いる絵がある。
(「秋塘群雀図」)

 この絵など、ずっと忘れることが
できない。
 一羽だけ違う。それが何を意味するか。
何も言わなくても良い。
 若冲の思いは伝わる。

 自分の人生は、そんな、本当に
魂の中心に入り込んでくるものたちとの
出会いによって作られてきた。

 六本木ヒルズのけやき坂で
「ヒルズライフ」の写真の撮影。
 
 反射板をもった方が
いろいろな角度をさぐる様子が、
まるで風にゆれる花のよう。

 読売新聞の待田さんといろいろ
話す。

 社会事象になった小説をどう解析するか。

 フェノメノンはいろいろあれど、
若冲の白い雀のようなものはあんまりない。

 突き刺すものの背後に若冲の宗教心が
あったのだとすれば、
 近代合理主義の下で否定されて
きたものの中には、
 確かに生きる上で外してはいけない
ものがあまた含まれていたのだろう。

 ベルクソンを少し読む。
 論理的であると同時に、感性のチャンネルを
開くということは難しい。

 世界知の引き受けを忘れて、感性だけを
開くのはむずかしいようで案外できることなのだが、
 本当に大変なのは、世界知の全体像を
見続けつつ自らの感性を開くことで、
 みんなそこで苦労をしているんじゃないか。

 きっと、本当は人間一人一人が、
群雀の中の白い雀で、なぜそうなってしまったかと
言えば、意識なんてものが生まれてしまった
からなんだと私は思っている。


5月 3, 2006 at 08:59 午前 |

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コメント

世の中にはたしかに、よい、美しいものがあるけれども、それに運びさられてはいけない、自分の魂のありかはきちんと押さえておかなければならない…。

おのれの魂において、中心をずらさないでいることとは、きっとそういう事なのに違いないが、いざそのように心がけてみようとすると、これが案外に難しい…。

世界知の全体像を見つづけつつ、おのれの感性を開く…これが自分自身にも出来るかどうか…。

そして若沖の「群雀の中に白雀のいる図」。
答えは若沖のみが知っているのだろうが、自分は、これを
「地球上の生物のなかで人間だけが異端である、ということの譬え」の図のような気がしている。
なぜ、人間が異端なのか?

それはやはり、高度に発達した“意識”なんてものを持ってしまったが故に、人間は自然界の中で異端になってしまったからだ。

しかし、おそらくこの答えも、若沖がこの図に秘めた思いの一部しか語っていないに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/05/03 9:51:14

結局、「ことば」に戻ってくるのに

あの青い空に向かって

その「ことば」をポーンと投げてみたい気持ちにかられるのは

いったい何なのでしょうか?

まぁ、そんなことをもう一度放り投げて

青空の下で、気持ちの良い空気をいっぱい吸いながら

お散歩するのが楽しいのかもしれませんね…

投稿: TOMOはは | 2006/05/03 9:08:34

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